クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

氷室・天目周回ハイキング(改) H-19-10-24

2007-10-25 08:32:50 | 榛名湖周辺
今週の快晴も今日限りとの予報を聞いて中一日で再び榛名山麓ハイキング。
今日の狙いは、榛名神社脇から遊歩道を使って榛名湖・天神峠、直ぐに
関東ふれあいの道で氷室山から天目山を縦走し、天目から真南に降りて
通称・湯ノ沢峠、地形図の破線に従って沢下りをして帰ってくるという計画。
水曜日朝は恒例の家族の運転手、出だしは遅くなったが、29号線(室田街道)
211号線(安中・榛名湖)33号線(渋川・松井田)を乗り継いで榛名神社無料駐車場。
早くも観光客が多くてやっと隅っこに潜り込む(10.53)。自宅から28k。


参拝客に混じって舗装の参道を進む。千本杉と言うだけあって沿道の杉並木は
何れも大木で由緒ある神社の雰囲気十分。1㌔近くも歩いた頃、売店の所の
表示によって遊歩道へ。


右に渓流を見ながら登ると左手崖上には本殿らしき
建屋が見え、間も無く関所跡や芭蕉の句碑(11.11)。


目の前に大きな堰堤が現れる。これが「国登録有形文化財」の「榛名川上流堰堤」
昭和30年の銘板。


左側に設置された木段で急登して堰堤の右岸を超えると途端に鬱蒼とした雑木林。
やがて分岐の看板。この天目山表示の角度が全く違うので破線を辿るのに随分
苦労したものだ。天神峠まで1.7kの案内。


右手に九折岩。


道標に従って左急斜面を木段で登ってやや平坦な山道。丁度、稜線と渓流の
中間位の高さで北進する。
やがて二又分岐、直進は「神社裏バス停0.2k」とあるので33号線に再接近して
いるらしい。登山道は一寸見難い切り返しの木段で下り道(11.37)。天神1.3k。


東北に進んでさっき離れた渓流の右岸すれすれ。日差しの入る明るい雑木林。
沢には橋が掛けられ急登には木段と至れり尽せりの遊歩道。
「常滑の瀧」と言うのが現れたが落差の瀧ではなく一枚岩盤を滑り降りている
様に見えるが、接近できないので写真もコンなものしか(11.55)。



今度は「丁目石」とあるが刻字が読めないので意味不明。後日調査。
(榛名町歴史民俗資料館によると驚いた事に書かれているのは「あせしらず」
の文字とか。其の昔、某薬品会社が置いた物で沼の原にも一つあるそうだ。
そんなの丁目石と云うのかね?)



丁目石といえば、富士宮市の御神幸道のものが有名だと聞くが、そこまで
行くまでも無く、重鎮さんの「奥秩父・武甲山」、あおちゅうさんの
「深高山」のページに記述がある。大体はこんな風に00丁目と刻まれている。
(借用写真)

この「あせしらず」君も側面をよく調べれば丁目が刻んであるのかな?


崩落個所を恐々と抜けると、やがて巾広の作業道風の道、下はクマ笹(12.05)。


沢を渡ったところに古い道標で天神まで0.8k、尾根の垂れを回りこんで
本流と思われる川の右岸を進む。大分傾斜もきつく、荒れ道。


再び沢を横切った所に「あと0.3k」の道標、右手の樹間から氷室山を
見ながらの急登は0.3kは間違いだと思いたくなるような苦しさ。


漸く広場に着いた。榛名湖方面から登って来る道もあるので峠より
上らしい(12.27)。
広場の隅に古い道しるべ、はっきりは読み取れないが「右いか不 左
あがつまo 善光寺」。ハイカーが数組下山してくる。
(資料館から連絡。「不」に見えるのは「本」の崩し字で「ほ」と
読ませるので「右 いかほ」、さらに「あがつま」の下に半分見えないのは
「道」の崩し字。従って「左 あがつま道・善光寺」)



休まずに早速数十段の木段を登って氷室山登山口。道標には0.3k。


ここの木段は約360段、上に行く程傾斜はきつく息継ぎ休止もしばしば。
振り返ると榛名湖や烏帽子がくっきり、このコースの展望はここだけ。


漸く氷室山頂上、かって消えかかっていた表示もはっきり墨書されていた。
ここは標高1240m(12.54)。天目山まで0.8kの表示。


木段170段で勿体無いくらいの急降、一旦尾根道を行くと直ぐにダラダラ
登りが始るが味気ない木段がなくホッとする。間も無く錆びた鉄柵付き階段
で小ピークに来ると右折の角に「宮標石」(13.24)。


関東ふれあいの道の目印を見てクマ笹の道を行くと


最後はやっぱり130段の木枠階段と木段。
やっとの事で天目頂上。人気なく風が冷たい。展望皆無。


標識と2つ目の「宮標石」、が爺イご贔屓の小標識が見当たらない(13.38)。
見つからなかった標識はこれ。大分、笹刈りもされているので整理されて
しまったか?


漸く休憩・昼食。本日の爺イ。


パンパンに張ってきた脹脛を十分に休めて天目から南へのクマ笹原を急降。
巾広の尾根に踏み跡は殆ど分からないが、正面に見える巨大な1270m峰を
見据えて直滑降(13.57)。
偶に見る赤テープで進路を確認しながら一気に下る。ここの登りは大事だろう。
やがて樹幹にこの目印を見たら尾根は終わりでコースは正解(14.17)。


直ぐ下に細道があるので蛇行しながらそれを下る。この細道を逆に上ると
天目への東南路となるが途中に恐ろしい崩落ガレ沢渡りがあるので二度と
行きたくは無い。
直ぐに小ピーク、ここの乗り越えに要領必要。進行し易い直進路は駄目。
右に回って尾根に乗れば間も無く通称・湯ノ沢峠。忘れ去られて無惨にも
大荒れ。何とか読める昔の道標も道端に横たわり状態(14.26)。



この峠を東進すれば直ぐに126号線、直進は無名の1270m峰でその先で
地形図にもある「覗岩」が見られる。
さあ、ここから問題の破線に沿った沢下りに入る。峠から西に下る道は
古い作業道跡が見られるのでやや安心。やがて沢の始り地点に到達、ここは
未だ涸れ沢(14.36)。沢右岸を進むが薄暗く森閑として何だか気味が悪い。


だが、以前の記憶と大きく違うのに気づいた。兎に角、流木・倒木・崖崩れ
が多くで歩き難い。台風での鉄砲水でもやられたみたいだ。何となく涸れ沢に
流れが出てくると両側は歩行困難となったので沢の中を歩く。
目印の大岩の赤丸が見付らない。こんなのがある筈なのに。


諦めて沢の中を下っていく。赤テープもありコースとしては間違い
無いのだから(14.43)。かつてカズさんは積雪時にここを下っているから
驚きだ。


やがて見覚えのある90度に沢が左折するところ、ここまで来れば
やれやれだ(15.10)。


一旦左の土手に這いあがってから曲がって来た沢をもう一度渡って右岸へ。


広い河原を進むと小さな古い堰堤(15.16)。右を摺りぬけて急降。


ここからも要領が必要。急降して河原に下りたら直ぐに沢を渡って左岸に
行かなくてはならない。一枚岩に水流があり要注意個所。
益々広くなった河原を水流を避けながら右岸・左岸と適当に渡り歩くと
漸く待望の分岐点に帰着(15.30)。
関所跡の門を潜ると右側に小道がある。ここは神社本殿直下に繋がる
裏道。坂を登ると本殿一つ下の大岩のある所。多くの観光客が休憩しながら
あと一段の本殿行きに備えている。


喫煙所で一服して参道の下りに掛り沿道の見所を眺める。
ここにも瀧があつた。「瓶子瀧みすずのたき」。


駐車場所に帰着は16.00、この時間でも参詣客がいる。
帰りは406号の里見街道を経て豊岡経由。


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4 コメント

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榛名川上流堰堤 (haruna3)
2007-10-26 09:56:56
昭和30年代~40年代なかごろ、スケートは榛名湖より早く凍るこの場所で盛んだったようですよ。新宿のコマ劇場前からバスでお客を乗せ榛名神社門前の社家町の宿坊に手分けして泊まらせてスケートしたようです。レジャーの少ない当時社家町は大忙し、お金を数える余裕もなくりんご箱やみかん箱に押し込んで足で踏んづけてしまってた、みたいな話しをされてました(笑)今は昔ですが・・・・・
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スケート (爺イ)
2007-10-26 12:30:46
先日は放置車の件でお騒がせしました。
あの場所でスケートでしたか?中々考えたものです。
小生が学童疎開の延長で高中に通っていた昭和22頃
高崎城のお堀が全面結氷して格好のスケートリンクになっていた記憶があります。あれからもう60年経ちました。

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榛名神社から天目山 (ぼくあずさ)
2008-07-13 11:29:27
はじめまして 横浜に住む ぼくあずさ と申します。
8月下旬に予定している坂東第十五、六観音札所めぐりのついでに榛名神社から天目山へのハイキンクを計画しています。貴記事に写真入りで詳しく説明がありましたので、安心して実行することが出来ます。ありがとうございました。
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天目山 (爺イ)
2008-07-13 14:07:01
HP拝見しました。プロフィールから推定すると
爺イなどは及びの付かない超人ですね。
あのコース、思いのほか辿る人が少ないので
夏季は雑草が繁茂して後半は藪っぽいかも知れません。
拙稿がお役に立てば幸です。
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