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二日ほど、絶好のハイキング日和を所用のため逃したが、漸く今日は待望の
秋晴れの山行き。目標は旧東村の神話の山「梓山」。何で神話の山かというと
上野国郡村誌・奥田村の項に梓山の事が「吾妻山、梓山トモ云。――山頂ニ
直立ノ大石三箇アリ、コノ中央ノ石ヲ日本武尊石ト云、東方ノ石ヲ妻石、西方
ノ石ヲ武彦石ト云」と書かれているからである。「武彦」とは日本武尊の東征に
随行した「吉備武彦」、「妻石」の「妻」とは日本武尊の吾妻滞留に際して土地の
長者が差し出した「上妻姫」の事。日本の歴史は第15代応神天皇からと言うのが
定説であるので、第12代景行天皇の第2皇子の日本武尊の事は神話の扱い。
勿論、大和朝廷関連の誰かがそれに近い東征の実績を残したのではあろうが。
残念な事に地形図には1144mとは記載されているだけで山名が記載されていない
が一般の地図にははっきりと「梓山」と載っている。しかし、知る人は少ない
かも知れない。前置きはそこまで。
二年前、「300山」の横田氏から教えてもらって東村側から泉沢林道を利用して
行った事があるが、今回は榛名湖側からナビを使って稜線遊びをしながら
行こうという計画。
紅葉時季にはもう少しの感じの林間を走って榛名湖畔ゆうすげの駐車場の片隅へ。
途中の「ヒトモッコ山」際で奇麗な紅葉(9.28)。自宅から26k。
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仕度もそこそこに烏帽子と鬢櫛を繋ぐ稜線の烏帽子寄りの鞍部を目指す。
入り口は「加護丸稲荷」、このお稲荷さん、鳥居の掲額は加護丸だが
付近の看板は「加護玉」なのが不思議。目標まで直線距離1.94k。
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高崎市の設置した登山口看板を見て道標に従って登山道へ。
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この道は11月末になると霜柱が立ち、サクサクと踏み拉くのが気分が良い。
間も無く鞍部、表示は相変らずで懐かしい(10.05)。人の気配無しで静寂。
乗り越えは低いクマ笹の薄い踏み跡。西の鬢櫛寄りの鞍部を乗り越えれば
下って泉沢林道終点に達するが今日は東側を乗り越える。
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下りながら烏帽子から北に流れる稜線に無理無く合流。以前からここにあつた
目印テープの付けられている木が引き抜かれていたので立て掛けておく(10.16)。
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今度は尾根道を辿って北の1246m峰に向かう。南からはこのピークは岩峰、稜線
左下にある踏み跡に逃げてピークを通り越すまで進む。「さるかけ橋」の看板が
見えたら右の尾根に登り上げピークへ切り返す(10.33)。踏み跡は尚も続くが。
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地形図に黒ポッチがある限り頂上に何かある筈と積もった落ち葉を蹴飛ばして
その何かを探すが見付らず。諦めて北北東への稜線に乗って右手の樹間から
烏帽子を見ながら前進。
冬場ならここから見える梓山も樹葉で駄目、これは二年前の11月末の写真。
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間も無く赤テープの分岐。右に行けば三角点・烏帽子だが今日は左の広い
雑木林斜面に突入(10.43)。
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此れは参った、ナビがあるから良いようなものだが爺イの最も苦手の類。
谷側に行かないように注意して暫く下ってから、しゃがみこんで濃い雑木の
下からしっかりした尾根を探す。
急降の先の左手にヤセ尾根道発見。左下には作業道も。
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やがて分岐、作業道は右に下り気味なので左の尾根道を選択(10.55)。
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周囲が雑木で何も見えない平坦尾根を一気に進むと地形図上にカマボコ状に
東西に座るピーク着(11.13)。
朽木が道標に見えて一人苦笑い。このコース、一切の標識が無かったから。
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ピーク東端から右の尾根選択。目標まで直線0.7k。左目に巨大なトンガリピーク。
兎に角、鞍部へ急ぐと、その前に小ピーク、ここも三叉なので今度は左を
選択(11.35)。
樹幹に変わったキノコ、何と言うのか博士(カズさん)にでも聞いてみるか?
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下って鞍部でゾッとする。物凄いトンガリ山だ。暫く観察、右から来る尾根
を使う事も考えられるが、谷があって駄目。ナビを見たら標高差は60m、ジグザグで
正面突破が出来ないことも無いので半身の体勢で登り出す。
ブルーの目印紐発見、変わり者は爺イだけではないらしい。
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少しずつ高度を確保しながら何とかピーク東端着。マークして西に向かう。
直ぐに「妻石」に出会う(12.01)。
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上に這いあがって石宮をはっきり見たがったが、やはり駄目、下から写真だけ。
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続けて「武尊石」、
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その先に「武彦石」、未だ頂上は先。
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やがて長い頂上、西端に行くと二年前のマークが健在(12.08)。
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僅かな日溜りを探して休憩・昼食(12.08-13.00)。
合間に標識作り、
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だが梓が読みにくいと思って平仮名にしたら「ず」を「づ」と書き間違えた。
何時か修正するが脇に「梓山」としてあるからまあ良いか?
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下が急に騒がしい、サルの群れかと思ってカメラ片手に追ってみたが発見できず。
13時の時報と共に出発、台地からの降り口はこの赤テープ。
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トンガリも降りは楽なもの。但し、往路は大方吾妻への下りで楽した分、
帰途の殆どが登りという変則ハイクになつた。
カマボコピークまでは何とか我慢できたが、1246m峰への接近は大仕事。
さっき見た作業道でショートカット、「さるかけ橋」に14.08着。
西南に見える山は「鬢櫛」か?
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「さるかけ橋」はこんな形、サルが身体を繋いで橋を作るのに似ているから
らしい。
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1246峰台地に登って休憩、南を見ると目の前に巨大な烏帽子。紅葉僅か。
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岩峰を乗り越えて烏帽子に向かい、分岐で右に入って漸く烏帽子・
鬢櫛鞍部(14.36)。
少し休んで榛名富士の後姿を見ながら駐車場所に15.03。
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帰りに周辺散歩、
沼の原はススキの原となり夕日にキラキラと光っているし、相馬を中心として
右にスルス、左に雄岳の景観が見事。
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西に見えるのは天目山や氷室山なんだろうか?
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伊香保回りでのんびり走行。
蛇足中の蛇足
関東の山の信仰の多くが日本武尊ガラミである事は「あずまはや」の伝承による
ものであるとは、論を待たないが、12代景行天皇と言えば神話の世界かも
しれないが、その第2皇子の日本武尊が吉備武彦などを伴って蝦夷討伐のため
東征した頃、群馬県は「上毛野国」と呼ばれ、北部山岳地帯は「上野(ウエノ)」
と呼ばれていた。今の原町に「上野」の地名が残るらしい。ここに「上妻姫」
という絶世の美女の娘を持ち、上毛野一の富力を誇る上野長者がいた。
東征の帰りにここに立ち寄った日本武尊に対して当時の貴人への礼として
娘を差し出し歓待したので武尊は長期に滞在、娘も武尊の皇子を身ごもる。
別れの時、「吾妻姫と名乗るように言い残し「我妻や 妹背と契る言の葉も
これぞ別れの形見なるらん」の一首を残す。
武尊はこの後、碓井峠に至って亡き妻の弟橘姫を偲び「あずまはや」と
三嘆するが不幸にも父天皇と再会する事無く伊勢の国で没する。
但し此れは日本書記の話であり、
古事記では三嘆したのは「足柄山坂本」と書いてあるのだが。
姫の生んだ皇子は「大宮」とか「巌鼓尊」と言われて大切に育てられたと言う。
この尊を奉ったのが今の原町中学の近くにある「大宮巌鼓神社」であり、
母の上妻姫が亡くなるとその霊は後ろの山に飛び去ったのでその山を
「上妻嶽」又は「吾妻嶽」と呼ぶようになった。此れが今の「吾嬬山」である。
そして麓の山田地区に上妻神社を
建てたと言う。これは吾嬬山中腹の奥宮と麓の吾嬬神社であるそうだ。
尚、大宮巌鼓神社は里宮で奥宮は四万の「稲裏いなつつみ神社」であり
巌鼓(いわつつみ)は「いなつつみ」の転訛であるらしい。この一連の話の
中に梓山との関係は出てこないが、誰かが岩の配列を見て日本武尊伝説と
結びつけたものであろう。
地元の伝承は大事にしたいものだ。
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秋晴れの山行き。目標は旧東村の神話の山「梓山」。何で神話の山かというと
上野国郡村誌・奥田村の項に梓山の事が「吾妻山、梓山トモ云。――山頂ニ
直立ノ大石三箇アリ、コノ中央ノ石ヲ日本武尊石ト云、東方ノ石ヲ妻石、西方
ノ石ヲ武彦石ト云」と書かれているからである。「武彦」とは日本武尊の東征に
随行した「吉備武彦」、「妻石」の「妻」とは日本武尊の吾妻滞留に際して土地の
長者が差し出した「上妻姫」の事。日本の歴史は第15代応神天皇からと言うのが
定説であるので、第12代景行天皇の第2皇子の日本武尊の事は神話の扱い。
勿論、大和朝廷関連の誰かがそれに近い東征の実績を残したのではあろうが。
残念な事に地形図には1144mとは記載されているだけで山名が記載されていない
が一般の地図にははっきりと「梓山」と載っている。しかし、知る人は少ない
かも知れない。前置きはそこまで。
二年前、「300山」の横田氏から教えてもらって東村側から泉沢林道を利用して
行った事があるが、今回は榛名湖側からナビを使って稜線遊びをしながら
行こうという計画。
紅葉時季にはもう少しの感じの林間を走って榛名湖畔ゆうすげの駐車場の片隅へ。
途中の「ヒトモッコ山」際で奇麗な紅葉(9.28)。自宅から26k。
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仕度もそこそこに烏帽子と鬢櫛を繋ぐ稜線の烏帽子寄りの鞍部を目指す。
入り口は「加護丸稲荷」、このお稲荷さん、鳥居の掲額は加護丸だが
付近の看板は「加護玉」なのが不思議。目標まで直線距離1.94k。
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高崎市の設置した登山口看板を見て道標に従って登山道へ。
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この道は11月末になると霜柱が立ち、サクサクと踏み拉くのが気分が良い。
間も無く鞍部、表示は相変らずで懐かしい(10.05)。人の気配無しで静寂。
乗り越えは低いクマ笹の薄い踏み跡。西の鬢櫛寄りの鞍部を乗り越えれば
下って泉沢林道終点に達するが今日は東側を乗り越える。
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下りながら烏帽子から北に流れる稜線に無理無く合流。以前からここにあつた
目印テープの付けられている木が引き抜かれていたので立て掛けておく(10.16)。
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今度は尾根道を辿って北の1246m峰に向かう。南からはこのピークは岩峰、稜線
左下にある踏み跡に逃げてピークを通り越すまで進む。「さるかけ橋」の看板が
見えたら右の尾根に登り上げピークへ切り返す(10.33)。踏み跡は尚も続くが。
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地形図に黒ポッチがある限り頂上に何かある筈と積もった落ち葉を蹴飛ばして
その何かを探すが見付らず。諦めて北北東への稜線に乗って右手の樹間から
烏帽子を見ながら前進。
冬場ならここから見える梓山も樹葉で駄目、これは二年前の11月末の写真。
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間も無く赤テープの分岐。右に行けば三角点・烏帽子だが今日は左の広い
雑木林斜面に突入(10.43)。
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此れは参った、ナビがあるから良いようなものだが爺イの最も苦手の類。
谷側に行かないように注意して暫く下ってから、しゃがみこんで濃い雑木の
下からしっかりした尾根を探す。
急降の先の左手にヤセ尾根道発見。左下には作業道も。
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やがて分岐、作業道は右に下り気味なので左の尾根道を選択(10.55)。
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周囲が雑木で何も見えない平坦尾根を一気に進むと地形図上にカマボコ状に
東西に座るピーク着(11.13)。
朽木が道標に見えて一人苦笑い。このコース、一切の標識が無かったから。
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ピーク東端から右の尾根選択。目標まで直線0.7k。左目に巨大なトンガリピーク。
兎に角、鞍部へ急ぐと、その前に小ピーク、ここも三叉なので今度は左を
選択(11.35)。
樹幹に変わったキノコ、何と言うのか博士(カズさん)にでも聞いてみるか?
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下って鞍部でゾッとする。物凄いトンガリ山だ。暫く観察、右から来る尾根
を使う事も考えられるが、谷があって駄目。ナビを見たら標高差は60m、ジグザグで
正面突破が出来ないことも無いので半身の体勢で登り出す。
ブルーの目印紐発見、変わり者は爺イだけではないらしい。
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少しずつ高度を確保しながら何とかピーク東端着。マークして西に向かう。
直ぐに「妻石」に出会う(12.01)。
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上に這いあがって石宮をはっきり見たがったが、やはり駄目、下から写真だけ。
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続けて「武尊石」、
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その先に「武彦石」、未だ頂上は先。
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やがて長い頂上、西端に行くと二年前のマークが健在(12.08)。
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僅かな日溜りを探して休憩・昼食(12.08-13.00)。
合間に標識作り、
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だが梓が読みにくいと思って平仮名にしたら「ず」を「づ」と書き間違えた。
何時か修正するが脇に「梓山」としてあるからまあ良いか?
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下が急に騒がしい、サルの群れかと思ってカメラ片手に追ってみたが発見できず。
13時の時報と共に出発、台地からの降り口はこの赤テープ。
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トンガリも降りは楽なもの。但し、往路は大方吾妻への下りで楽した分、
帰途の殆どが登りという変則ハイクになつた。
カマボコピークまでは何とか我慢できたが、1246m峰への接近は大仕事。
さっき見た作業道でショートカット、「さるかけ橋」に14.08着。
西南に見える山は「鬢櫛」か?
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「さるかけ橋」はこんな形、サルが身体を繋いで橋を作るのに似ているから
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1246峰台地に登って休憩、南を見ると目の前に巨大な烏帽子。紅葉僅か。
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鬢櫛鞍部(14.36)。
少し休んで榛名富士の後姿を見ながら駐車場所に15.03。
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帰りに周辺散歩、
沼の原はススキの原となり夕日にキラキラと光っているし、相馬を中心として
右にスルス、左に雄岳の景観が見事。
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西に見えるのは天目山や氷室山なんだろうか?
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伊香保回りでのんびり走行。
蛇足中の蛇足
関東の山の信仰の多くが日本武尊ガラミである事は「あずまはや」の伝承による
ものであるとは、論を待たないが、12代景行天皇と言えば神話の世界かも
しれないが、その第2皇子の日本武尊が吉備武彦などを伴って蝦夷討伐のため
東征した頃、群馬県は「上毛野国」と呼ばれ、北部山岳地帯は「上野(ウエノ)」
と呼ばれていた。今の原町に「上野」の地名が残るらしい。ここに「上妻姫」
という絶世の美女の娘を持ち、上毛野一の富力を誇る上野長者がいた。
東征の帰りにここに立ち寄った日本武尊に対して当時の貴人への礼として
娘を差し出し歓待したので武尊は長期に滞在、娘も武尊の皇子を身ごもる。
別れの時、「吾妻姫と名乗るように言い残し「我妻や 妹背と契る言の葉も
これぞ別れの形見なるらん」の一首を残す。
武尊はこの後、碓井峠に至って亡き妻の弟橘姫を偲び「あずまはや」と
三嘆するが不幸にも父天皇と再会する事無く伊勢の国で没する。
但し此れは日本書記の話であり、
古事記では三嘆したのは「足柄山坂本」と書いてあるのだが。
姫の生んだ皇子は「大宮」とか「巌鼓尊」と言われて大切に育てられたと言う。
この尊を奉ったのが今の原町中学の近くにある「大宮巌鼓神社」であり、
母の上妻姫が亡くなるとその霊は後ろの山に飛び去ったのでその山を
「上妻嶽」又は「吾妻嶽」と呼ぶようになった。此れが今の「吾嬬山」である。
そして麓の山田地区に上妻神社を
建てたと言う。これは吾嬬山中腹の奥宮と麓の吾嬬神社であるそうだ。
尚、大宮巌鼓神社は里宮で奥宮は四万の「稲裏いなつつみ神社」であり
巌鼓(いわつつみ)は「いなつつみ」の転訛であるらしい。この一連の話の
中に梓山との関係は出てこないが、誰かが岩の配列を見て日本武尊伝説と
結びつけたものであろう。
地元の伝承は大事にしたいものだ。
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相変わらずの藪山歩き、凄いですね。
日本武尊のお話、読んで面白かったです。
上毛野氏は東北の藤原氏みたいにやっぱり土着の氏族だったんですか?んで朝鮮半島からやってきた大和朝廷が越や出雲なんかを征服したんか。
因みにあのキノコはちょっとわかりません。まだ幼菌みたいだ。木は楢あたりかな。それも枯れていそうなんだが、もしかしたらサルノコシカケの仲間かもしれない。丸いからチャブクロかなと思ったが違う。でもちょっとピンボケなんで同定できないです。
あの山は東吾妻町側から林道を来ても道標も無ければ
登山路の類も無い忘れられた山のようです。
大岩の上に立派な石宮があるくらいなので昔は地元の
信仰があつたとは思いますが。
キノコ写真、確かにピンボケですね。艶のある元気ものでした。
未だ成長期で暫くすると大化けなのかも知れません。
ハル犬に宜しく。
梓山のトンガリが見事に見えます。途中にゲートがありますが
確か開いていたような記憶がありますので、目印の
作業小屋まで車の乗入れが出来るかも。
秋晴れが少なく今日も朝から雨。週間予報では日曜は瞬間の晴間のようですが当りますかね?