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楚巒山楽会さんからの呼び掛けで昨年12月に桐生山中で滑落死した
「極楽とんぼ」さんの慰霊登山に参加した。
桐生方面は不案内のため、早めの出発。前橋から50号線で東進、予定では
競艇場先から68号線(桐生・伊勢崎)へ下りる積もりが気がついたら広沢を
過ぎ慌てて渡瀬川を渡ったところは既に足利。漸く67号線を捜し出して
西に戻り桐生市街地で一番大きいと聞いていた「錦町十字路」を右折して
漸く本来の66号線(桐生・田沼)に復帰。江戸期からの造りと言う区割りの
ハッキリした街並を東北に向い、天満宮や桐生女子高を過ぎると間も無く
左手に「桧杓山城址」の道標、左折して城山林道に入る。
この城址、地形図には「城山」とあるが「桐生城」「柄杓山城」とか「桧杓山城」とも
言われる。
1350年頃の桐生国綱による築城とされるが、10代目の親綱の時、由良に
攻略されて桐生氏は滅亡、その由良氏も1590年の秀吉の小田原攻めの時
に生憎の事に北條騎下であった為、牛久に転封させられて廃城。
本丸が斗口、二の丸・三の丸を柄とする柄杓型の悌郭構造とされるのが
別名の元? 閑話休題。
林道を進むとやがてトイレもある大きな駐車場。案内板を確認して出発(8.45)。
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ここの表示は「桧杓山城」。
山手に向う林道は幅も舗装状態も変わらないが走行は禁止。
途中に道標があつたが城址方面と思って尚前進。舗装の終点から鎖で閉鎖
された急登を行こうとしたが案内書に超急登としてあるルートと気付いて
道標に戻って仕切直しで三の丸に向う(9.00)。ここの表示は「柄杓山城」。
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歩き易い遊歩道で三の丸の稜線に着くとこんな道標と
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石柱
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ここから右折して奇麗な尾根道を進む。
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やがてお定まりのコブの登りとなり岩場も現れるが左への巻道がはっきり
付いている。
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だが、巻道と言っても別に傾斜が変わるわけでもないので早くも息切れ。
やや平坦地でヤレヤレと思ったのも束の間、再びダラダラ登りが始まり
前面に稜線が見えると急登をジグザグで進む。
この石柱で稜線に出ると方向は西向き、
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明るい伐採地の縁を進むと目印の「桐生市基準点」、
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一旦下って平坦道を過ぎ、最後の急登を乗りきると大形・鳴神への主稜線との
合流で「岡平」に着き道標のお出迎え(9.50)。
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ナビはあと、460mと表示、幅広の尾根道をのんびり歩くと、こんな標柱。
図根点は今まで多数見た事があるが「主図根点」と「主」付きは初めて。
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指定された地点についたが10.00と早過ぎだ。当然、誰もいない。
暇潰しに大形山の方に行ってみた。
長い台地を過ぎるとその先に少し岩場に囲まれた小ピーク、
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これを過ぎると目の前に大形山が見えるが鞍部までは急降、登り返しも
大変そうなので散策を止めて元の位置(10.28)。暫らく待って少々不安に
なった頃、四人到着、「あにねこ」さん、「オッサンの山旅」さん夫妻、
「お気楽マサちゃん」何れの方も地元の登山サイトの著名人、当然爺イは
初対面。
やがて山楽会・桐生山野研究会・桐生地質の会などの設営部隊到着。
その中には山楽会会長さん、呼び掛け人の代表幹事さん、hishiyamaさんも。
設営部隊ではhishiyamaさんたちが大奮闘。
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少し、到着が遅れたご遺族の皆さんを迎えて慰霊碑設置、
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ご挨拶、通りががりの人も加わって慰霊祭。
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全体記念写真は山楽会さんのHPから借用。
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休憩後、皆で滑落現場の尾根に向う。直線距離400m強、二つの
コブを経て標高差約100m。
尾根にプレートを付けるが、
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発見場所は断崖に近い急斜面なので上から覗くだけ。
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再び、慰霊碑の所まで登り返して挨拶を交わして解散で下山に掛かる(14.25)。
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岡平で直進する設営隊やご遺族の皆さんと分れて「オッサン」や「お気楽」
さんたちと三の丸経由で無事に駐車場に帰着。心洗われる一日だった(15.00)。
帰途は迷う事無く66号線から68号線へ乗り継いで桐生駅脇を通過して
50号線ヘ一直線。
駅近辺は爺イの思い入れの濃い所。かってここに悲劇が起きた。
それは天皇誤導事件だ。
お暇があったらこのURLをどうぞ。
http://blog.goo.ne.jp/gooshowa4/e/d7a2fc499b1ee62a888e7d9c7e138fb7
長い50号線から高前バイパスで帰宅。全走行距離104K。
故人が好きだったシマフクロウのバッチ、ご遺族の挨拶状の中に入っていた。
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ご来訪のついでに下のバナーをポチッと。
「極楽とんぼ」さんの慰霊登山に参加した。
桐生方面は不案内のため、早めの出発。前橋から50号線で東進、予定では
競艇場先から68号線(桐生・伊勢崎)へ下りる積もりが気がついたら広沢を
過ぎ慌てて渡瀬川を渡ったところは既に足利。漸く67号線を捜し出して
西に戻り桐生市街地で一番大きいと聞いていた「錦町十字路」を右折して
漸く本来の66号線(桐生・田沼)に復帰。江戸期からの造りと言う区割りの
ハッキリした街並を東北に向い、天満宮や桐生女子高を過ぎると間も無く
左手に「桧杓山城址」の道標、左折して城山林道に入る。
この城址、地形図には「城山」とあるが「桐生城」「柄杓山城」とか「桧杓山城」とも
言われる。
1350年頃の桐生国綱による築城とされるが、10代目の親綱の時、由良に
攻略されて桐生氏は滅亡、その由良氏も1590年の秀吉の小田原攻めの時
に生憎の事に北條騎下であった為、牛久に転封させられて廃城。
本丸が斗口、二の丸・三の丸を柄とする柄杓型の悌郭構造とされるのが
別名の元? 閑話休題。
林道を進むとやがてトイレもある大きな駐車場。案内板を確認して出発(8.45)。
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ここの表示は「桧杓山城」。
山手に向う林道は幅も舗装状態も変わらないが走行は禁止。
途中に道標があつたが城址方面と思って尚前進。舗装の終点から鎖で閉鎖
された急登を行こうとしたが案内書に超急登としてあるルートと気付いて
道標に戻って仕切直しで三の丸に向う(9.00)。ここの表示は「柄杓山城」。
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歩き易い遊歩道で三の丸の稜線に着くとこんな道標と
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石柱
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ここから右折して奇麗な尾根道を進む。
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やがてお定まりのコブの登りとなり岩場も現れるが左への巻道がはっきり
付いている。
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だが、巻道と言っても別に傾斜が変わるわけでもないので早くも息切れ。
やや平坦地でヤレヤレと思ったのも束の間、再びダラダラ登りが始まり
前面に稜線が見えると急登をジグザグで進む。
この石柱で稜線に出ると方向は西向き、
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明るい伐採地の縁を進むと目印の「桐生市基準点」、
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一旦下って平坦道を過ぎ、最後の急登を乗りきると大形・鳴神への主稜線との
合流で「岡平」に着き道標のお出迎え(9.50)。
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ナビはあと、460mと表示、幅広の尾根道をのんびり歩くと、こんな標柱。
図根点は今まで多数見た事があるが「主図根点」と「主」付きは初めて。
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指定された地点についたが10.00と早過ぎだ。当然、誰もいない。
暇潰しに大形山の方に行ってみた。
長い台地を過ぎるとその先に少し岩場に囲まれた小ピーク、
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これを過ぎると目の前に大形山が見えるが鞍部までは急降、登り返しも
大変そうなので散策を止めて元の位置(10.28)。暫らく待って少々不安に
なった頃、四人到着、「あにねこ」さん、「オッサンの山旅」さん夫妻、
「お気楽マサちゃん」何れの方も地元の登山サイトの著名人、当然爺イは
初対面。
やがて山楽会・桐生山野研究会・桐生地質の会などの設営部隊到着。
その中には山楽会会長さん、呼び掛け人の代表幹事さん、hishiyamaさんも。
設営部隊ではhishiyamaさんたちが大奮闘。
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少し、到着が遅れたご遺族の皆さんを迎えて慰霊碑設置、
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ご挨拶、通りががりの人も加わって慰霊祭。
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全体記念写真は山楽会さんのHPから借用。
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休憩後、皆で滑落現場の尾根に向う。直線距離400m強、二つの
コブを経て標高差約100m。
尾根にプレートを付けるが、
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発見場所は断崖に近い急斜面なので上から覗くだけ。
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再び、慰霊碑の所まで登り返して挨拶を交わして解散で下山に掛かる(14.25)。
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岡平で直進する設営隊やご遺族の皆さんと分れて「オッサン」や「お気楽」
さんたちと三の丸経由で無事に駐車場に帰着。心洗われる一日だった(15.00)。
帰途は迷う事無く66号線から68号線へ乗り継いで桐生駅脇を通過して
50号線ヘ一直線。
駅近辺は爺イの思い入れの濃い所。かってここに悲劇が起きた。
それは天皇誤導事件だ。
お暇があったらこのURLをどうぞ。
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長い50号線から高前バイパスで帰宅。全走行距離104K。
故人が好きだったシマフクロウのバッチ、ご遺族の挨拶状の中に入っていた。
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事前準備その他でのご苦労が推察されました。
計らずも桐生地区の著名登山家諸氏と出会えた事も
幸いでした。
今後とも宜しくお願い申しあげます。