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どうやら連日の雷襲来も納まった様なので今年も恒例の「御巣鷹の尾根」への慰霊登山。
今年で八回目になる。開始したのは別冊文芸春秋に2003年から長編連載された横山秀夫の
「クライマーズ・ハイ」を読んだその年の八月、未だ林道延長が工事中で現在の下の
駐車場から登山道に入り重機稼動の直ぐ脇を作業員の指示に従って通過したものだ。
2007年はウィルス感染症によるダウンでパス、2008年は四月の豪雨で「中止の滝」付近が
60m幅で崩落し遺族の方々の為に鉄パイプの足場、1.2m幅の板張り仮設通路を作り前後を
バスのピストン輸送したが、其れは慰霊祭当日のみで一般の人は下の駐車場までの
5.6k、標高差500mを歩かなくてならないと言うので二年連続でパスしているので
10年間で8回という訳。
下仁田からR-45で南牧を通過して「湯ノ沢トンネル」。背後に豪快な山並みが連なる。
このトンネルは2004-3完成だが、ほぼ直線の3.3Kで南牧・檜沢と上野村・楢原を結んで
おり旧道の塩沢峠経由より20分も短縮されているとの事。
このトンネルの区域を「ふるさと林道湯ノ沢線」と云う事を聞いた事があるが
詳しくは知らない。
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トンネルから南進してR-299に丁字路で合流して左折(東)、僅かの距離で楢原郵便局の
手前角を右折する。ダム用道路で三岐・浜平・太神楽1号・2号・虎王・長岩・手水
琴音と八つのトンネルを潜ると御巣鷹の尾根に向かう村道が始まるが僅かに
小さな落石が見られるたり山側から水が染み出して路面を濡らしている程度で
走り易い。全長は郵便局から15K。
「中止の滝」前には駐車車両が一台、100mの距離にある滝見物か?爺も一度だけ
見物に行ったことがあるが結構きつい登りでおまけに直下には近づけなかった。
表示ではここから駐車場まで6kとある。
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やがて下の旧駐車場に到着して観音像に迎えられる。現在はここは通過だけと
思われるのでこの像もお役目が軽くなったようだ。延長村道は1.3k、標高差は
180mとの触れ込みだがかっての表示はここから昇魂の碑まで2030m、標高差は500mと
あったような気がするが上の駐車場に表示されている歩行距離800m、標高差180mとは
数字が合わない。
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観音像の左側には「参拝道登山口」の道標が残っているがこれは2006-7より閉鎖中。
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再び車上に戻って上の駐車場、突然燃料切れ警告のオレンジランプ。何時もの
要給油走行距離には未だ150kもあるのに。どうやら最近の出歩きで全てアイドリングで
車を冷やしていたからその影響かも。県道まで15kもあるが下りなら殆ど「N」で
行けるので楽観。
日陰を選んで割り込み駐車。ほんの僅かに登って登山口。表示に拠るとここは標高1359m、昇魂の碑が1539mなので差は180m、距離0.8k。
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登り掛けの所にカウンターが置いてあり記録のため押して下さいと。
数値は1700の中盤を差しているので今年の慰霊祭当日からの記録かな?
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僅かの登りで閉鎖中の旧道に出会うが設置されている水場は今まで気付かなかった。
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水場にはコップも付属しているが何処から引いているのかは不明。こんな水場の元を
幾つか探ったことがあるが大方は湧き水ではなく近くの渓流にパイプを突っ込んで
あるだけなので有り難がって飲んだことは無い。
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何人かの若者集団にスイスイと抜かれるがこっちは無理せずにマイペース。
気温は高くないが渓流沿いで湿気が多いためか、何とも肌に空気がベトッと
張り付く感じ。
最近設置されたと思われる「山守地蔵」を通過。
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やがて頼りになる手すりが現れる。水害の村道修復と同時に5000万円をかけて整備した
と聞くが、年寄りには大助かり。
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随分歩いたなーと思ったら表示は「あと500m」でまだまだ半分も来ていない。
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左上方に通称「日航ノ小屋」が見えた。其の奥にはトイレ設備もある。
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スゲの沢との分岐。スゲの沢は尾翼部分が滑走して落ち込んだところで150名の方々が
纏まっていたが他の部分に比べて遺体の損傷が少なく、四名の生存者もここから発見され
もしも、救助の手順がここを優先していたらもっと多くの人が救助された筈との
論議を呼んだ。ここの道標は「あと240m」との表示。
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この辺からは既に多くの墓標が現れ、表示によっての分かれ道が多くなる。
別方向から巡回してきた男性と挨拶を交わしたが直ぐに追い越され。
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風車に迎えられて広場着。この風車、以前は碑に向かって左側だったがいまは右後方。
丁度10.30でスタートだから50分の所要、フツーの人は30分以内だから約2倍、去年より
10分も遅い御到着だ。
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さっき先行した御仁と日陰のベンチで休憩がてら雑談。嬬恋・鎌原記念館関係の方。
爺イも度々嬬恋地区を徘徊しているので色々な情報を教えて頂き名刺交換。
尾根筋に向かう嬬恋氏と別れて昇魂の碑に向き合う。周辺の多くの花束は萎れていない。
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本日の爺イ。流石に今日は何時もの赤シャツではなく神妙に黒シャツ。もう体力的に
かつてのように蟻ヶ峰や大蛇倉山に行く元気は無く墓標めぐりの予定。
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一旦、石段下に戻って「平和の鈴」の栞が入っている筈のプラ箱を開けたが
去年と同じく駄目。時期が遅すぎで品切れかなと思っていたら近くのベンチにいた
数人のうちの一人が近寄ってきて「今は鈴を用意しなくなったので代用の短冊形の紙と
取り付け紐で願います」と。聞いたらこの方はここのかつての管理人で「ナラカツ」
として著名だった故・仲沢勝美さんの後任として活動している黒澤さんだった。
ベンチで長談義。
黒澤と云っても前村長の黒沢丈夫さん(1913-2011)との縁戚関係は無いとのこと。
因みに黒澤丈夫氏は凄い人だったらしい。元海軍少佐で操縦経験もあった。
1965年から2005年までの40年間、10期連続の無投票で村長を務め退任時は91歳の健荘。
その間、1985年の日航機事故、其の適切な対応手腕で全国に名が轟いた事は周知のこと。
管理人の黒澤さんに確認した「U字溝」と云われる山の傷跡。
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この日、この日航機は全国を飛んでいた。朝から羽田ー千歳(503便)、
千歳ー羽田(504便)、羽田ー福岡(363便)、福岡ー羽田(366便)。この366便には
平和台の中日戦を終わった阪神タイガースの選手集団が後楽園(未だ東京ドームは
存在していない)の巨人戦の為に乗っており、事故後、プロ野球選手の移動は
新幹線と飛行機に分乗する様になった。
そしてこの後が運命の123便となって羽田から伊丹に向かったのである。
記録に拠ると123便は羽田を発って房総西岸を南下、大島北方で西に進路を変えた所で
機体の損傷発生、操縦不能の状態で下田から駿河湾を横断して焼津、北上して
富士山西側から大月、大きく機体を右に傾けて急降下しながら上野村に向かう。
丁度、「U字溝」に来た時は既に水平飛行ではなく「垂直」。つまり右翼を下に
左翼を上にして右翼が「U字溝」の山肌を擦って水きり石の様に大きくバウンド、
完全に裏返し状態で御巣鷹の尾根に激突。
其の前にバウンドのショックで中央部からやや下部で機体は二つに折れていた。
前部は前のめりに山に激突して木っ端微塵、中央下部の燃料が爆発。後部は斜面を
滑走してスゲの沢に落ち込んだとのこと。
事故発生からの32分間の地獄は乗員乗客にとってどんなだったかなどは想像を
絶するものだろうし、簡単に口にするべきではないだろう。とりわけ絶望の中でも
最後まで奮闘した乗務員達の墓銘碑を訪ねるのが今日の目的。
誰の墓銘碑が何処にあるかはやたらと探し回っても見つからない。幸いにして
管理人の黒沢さんはその全てを記憶していて必要ならその場まで案内してくれる。
目的は機長の高浜さんと坂本九さん。黒澤さんに位置を教えてもらってこの観音像の
脇を通過して稜線を登る。
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看板「9E」で右に入って50m位、大島(坂本)九さんの碑。
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今度は登山道になっている稜線に戻るが途中でアシスタントパーサーの吉田雅代さん。
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墓銘碑群の最上部に三つ並んだ立派な碑。
右から航空機関士・福田博さん、真ん中が機長・高浜雅巳さん、左が副操縦士・
佐々木裕さん。
彼らも被害者なのに、それも必死に頑張った被害者なのに一時期は加害者のように
扱われたのが気の毒。一般の碑と違って俗名を側面に彫ったのもその辺の配慮か?
持参の線香を手向けて労をねぎらう。
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心配して様子を見に来た黒澤さんにお礼を言って広場に戻って休憩後、
再会を約して下山。
今度は車の心配、ガス欠の不様にならないように殆どを「N」で走行。実はこんな事は
初めてではないので馴れたもの?
R-299に到達してスタンドを探しながら帰路とは逆に東へ向かう。楢原・乙父・父母の
三つのトンネルを潜って約6K走行して上野道の駅近くで漸くJAのスタンド発見。
満タンにして再び西に戻って楢原トンネル脇から「慰霊の園」。
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真ん中に合掌をイメージしたモニュメント。
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其の奥に確認できなかった多くの遺骨を納めた納骨堂。其の前には520人の犠牲者の
名前が石に刻んであり、慰霊祭の夕刻にはここに520本の蝋燭が立てられて
「ローソク供養」が行われる。
機長・副操縦士・航空機関士の三名のほかにチーフパーサー・アシスタント
パーサー(7名)スチュワーデス(4名)の全ての乗務員の名前を確認して合掌。
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遅い昼食の後、湯ノ沢トンネル入り口に戻る。序に今年の秋には紅葉見物にくる予定の
「天狗岩」の登山口を確認する事にした。
分岐の赤岩橋のうえから塩ノ沢川を見下ろすと山岳地帯に相応しく深い谷の様。
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ここから塩ノ沢峠に向かう旧道で蛇行を繰り返しながら「やまびこ荘」を通過して
約3Kで登山口道標。
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入り口はこんな感じで風情ある登山道。だが、この脇には駐車出来ない。
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約50mほど先に進むと10台は置けそうな簡易トイレ付きの駐車場。
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案内板もあってご親切。流石に家族向きと宣伝するだけあって安心出来そう。
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全ての予定を終了して再びトンネルに戻ってのんびり走行で帰宅。
楽しみにしていたヤクルト戦の放送も無く結果も引き分けでやや不満。
ここ数ヶ月、わが一族は重病人続出で応援のため超多忙。19日も暑さの中、
姪の納骨を済ませたばかりで何とも重苦しい夏だ。
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今年で八回目になる。開始したのは別冊文芸春秋に2003年から長編連載された横山秀夫の
「クライマーズ・ハイ」を読んだその年の八月、未だ林道延長が工事中で現在の下の
駐車場から登山道に入り重機稼動の直ぐ脇を作業員の指示に従って通過したものだ。
2007年はウィルス感染症によるダウンでパス、2008年は四月の豪雨で「中止の滝」付近が
60m幅で崩落し遺族の方々の為に鉄パイプの足場、1.2m幅の板張り仮設通路を作り前後を
バスのピストン輸送したが、其れは慰霊祭当日のみで一般の人は下の駐車場までの
5.6k、標高差500mを歩かなくてならないと言うので二年連続でパスしているので
10年間で8回という訳。
下仁田からR-45で南牧を通過して「湯ノ沢トンネル」。背後に豪快な山並みが連なる。
このトンネルは2004-3完成だが、ほぼ直線の3.3Kで南牧・檜沢と上野村・楢原を結んで
おり旧道の塩沢峠経由より20分も短縮されているとの事。
このトンネルの区域を「ふるさと林道湯ノ沢線」と云う事を聞いた事があるが
詳しくは知らない。
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トンネルから南進してR-299に丁字路で合流して左折(東)、僅かの距離で楢原郵便局の
手前角を右折する。ダム用道路で三岐・浜平・太神楽1号・2号・虎王・長岩・手水
琴音と八つのトンネルを潜ると御巣鷹の尾根に向かう村道が始まるが僅かに
小さな落石が見られるたり山側から水が染み出して路面を濡らしている程度で
走り易い。全長は郵便局から15K。
「中止の滝」前には駐車車両が一台、100mの距離にある滝見物か?爺も一度だけ
見物に行ったことがあるが結構きつい登りでおまけに直下には近づけなかった。
表示ではここから駐車場まで6kとある。
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やがて下の旧駐車場に到着して観音像に迎えられる。現在はここは通過だけと
思われるのでこの像もお役目が軽くなったようだ。延長村道は1.3k、標高差は
180mとの触れ込みだがかっての表示はここから昇魂の碑まで2030m、標高差は500mと
あったような気がするが上の駐車場に表示されている歩行距離800m、標高差180mとは
数字が合わない。
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観音像の左側には「参拝道登山口」の道標が残っているがこれは2006-7より閉鎖中。
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再び車上に戻って上の駐車場、突然燃料切れ警告のオレンジランプ。何時もの
要給油走行距離には未だ150kもあるのに。どうやら最近の出歩きで全てアイドリングで
車を冷やしていたからその影響かも。県道まで15kもあるが下りなら殆ど「N」で
行けるので楽観。
日陰を選んで割り込み駐車。ほんの僅かに登って登山口。表示に拠るとここは標高1359m、昇魂の碑が1539mなので差は180m、距離0.8k。
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登り掛けの所にカウンターが置いてあり記録のため押して下さいと。
数値は1700の中盤を差しているので今年の慰霊祭当日からの記録かな?
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僅かの登りで閉鎖中の旧道に出会うが設置されている水場は今まで気付かなかった。
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水場にはコップも付属しているが何処から引いているのかは不明。こんな水場の元を
幾つか探ったことがあるが大方は湧き水ではなく近くの渓流にパイプを突っ込んで
あるだけなので有り難がって飲んだことは無い。
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何人かの若者集団にスイスイと抜かれるがこっちは無理せずにマイペース。
気温は高くないが渓流沿いで湿気が多いためか、何とも肌に空気がベトッと
張り付く感じ。
最近設置されたと思われる「山守地蔵」を通過。
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やがて頼りになる手すりが現れる。水害の村道修復と同時に5000万円をかけて整備した
と聞くが、年寄りには大助かり。
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左上方に通称「日航ノ小屋」が見えた。其の奥にはトイレ設備もある。
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スゲの沢との分岐。スゲの沢は尾翼部分が滑走して落ち込んだところで150名の方々が
纏まっていたが他の部分に比べて遺体の損傷が少なく、四名の生存者もここから発見され
もしも、救助の手順がここを優先していたらもっと多くの人が救助された筈との
論議を呼んだ。ここの道標は「あと240m」との表示。
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この辺からは既に多くの墓標が現れ、表示によっての分かれ道が多くなる。
別方向から巡回してきた男性と挨拶を交わしたが直ぐに追い越され。
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風車に迎えられて広場着。この風車、以前は碑に向かって左側だったがいまは右後方。
丁度10.30でスタートだから50分の所要、フツーの人は30分以内だから約2倍、去年より
10分も遅い御到着だ。
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さっき先行した御仁と日陰のベンチで休憩がてら雑談。嬬恋・鎌原記念館関係の方。
爺イも度々嬬恋地区を徘徊しているので色々な情報を教えて頂き名刺交換。
尾根筋に向かう嬬恋氏と別れて昇魂の碑に向き合う。周辺の多くの花束は萎れていない。
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本日の爺イ。流石に今日は何時もの赤シャツではなく神妙に黒シャツ。もう体力的に
かつてのように蟻ヶ峰や大蛇倉山に行く元気は無く墓標めぐりの予定。
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一旦、石段下に戻って「平和の鈴」の栞が入っている筈のプラ箱を開けたが
去年と同じく駄目。時期が遅すぎで品切れかなと思っていたら近くのベンチにいた
数人のうちの一人が近寄ってきて「今は鈴を用意しなくなったので代用の短冊形の紙と
取り付け紐で願います」と。聞いたらこの方はここのかつての管理人で「ナラカツ」
として著名だった故・仲沢勝美さんの後任として活動している黒澤さんだった。
ベンチで長談義。
黒澤と云っても前村長の黒沢丈夫さん(1913-2011)との縁戚関係は無いとのこと。
因みに黒澤丈夫氏は凄い人だったらしい。元海軍少佐で操縦経験もあった。
1965年から2005年までの40年間、10期連続の無投票で村長を務め退任時は91歳の健荘。
その間、1985年の日航機事故、其の適切な対応手腕で全国に名が轟いた事は周知のこと。
管理人の黒澤さんに確認した「U字溝」と云われる山の傷跡。
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この日、この日航機は全国を飛んでいた。朝から羽田ー千歳(503便)、
千歳ー羽田(504便)、羽田ー福岡(363便)、福岡ー羽田(366便)。この366便には
平和台の中日戦を終わった阪神タイガースの選手集団が後楽園(未だ東京ドームは
存在していない)の巨人戦の為に乗っており、事故後、プロ野球選手の移動は
新幹線と飛行機に分乗する様になった。
そしてこの後が運命の123便となって羽田から伊丹に向かったのである。
記録に拠ると123便は羽田を発って房総西岸を南下、大島北方で西に進路を変えた所で
機体の損傷発生、操縦不能の状態で下田から駿河湾を横断して焼津、北上して
富士山西側から大月、大きく機体を右に傾けて急降下しながら上野村に向かう。
丁度、「U字溝」に来た時は既に水平飛行ではなく「垂直」。つまり右翼を下に
左翼を上にして右翼が「U字溝」の山肌を擦って水きり石の様に大きくバウンド、
完全に裏返し状態で御巣鷹の尾根に激突。
其の前にバウンドのショックで中央部からやや下部で機体は二つに折れていた。
前部は前のめりに山に激突して木っ端微塵、中央下部の燃料が爆発。後部は斜面を
滑走してスゲの沢に落ち込んだとのこと。
事故発生からの32分間の地獄は乗員乗客にとってどんなだったかなどは想像を
絶するものだろうし、簡単に口にするべきではないだろう。とりわけ絶望の中でも
最後まで奮闘した乗務員達の墓銘碑を訪ねるのが今日の目的。
誰の墓銘碑が何処にあるかはやたらと探し回っても見つからない。幸いにして
管理人の黒沢さんはその全てを記憶していて必要ならその場まで案内してくれる。
目的は機長の高浜さんと坂本九さん。黒澤さんに位置を教えてもらってこの観音像の
脇を通過して稜線を登る。
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看板「9E」で右に入って50m位、大島(坂本)九さんの碑。
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今度は登山道になっている稜線に戻るが途中でアシスタントパーサーの吉田雅代さん。
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墓銘碑群の最上部に三つ並んだ立派な碑。
右から航空機関士・福田博さん、真ん中が機長・高浜雅巳さん、左が副操縦士・
佐々木裕さん。
彼らも被害者なのに、それも必死に頑張った被害者なのに一時期は加害者のように
扱われたのが気の毒。一般の碑と違って俗名を側面に彫ったのもその辺の配慮か?
持参の線香を手向けて労をねぎらう。
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心配して様子を見に来た黒澤さんにお礼を言って広場に戻って休憩後、
再会を約して下山。
今度は車の心配、ガス欠の不様にならないように殆どを「N」で走行。実はこんな事は
初めてではないので馴れたもの?
R-299に到達してスタンドを探しながら帰路とは逆に東へ向かう。楢原・乙父・父母の
三つのトンネルを潜って約6K走行して上野道の駅近くで漸くJAのスタンド発見。
満タンにして再び西に戻って楢原トンネル脇から「慰霊の園」。
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真ん中に合掌をイメージしたモニュメント。
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其の奥に確認できなかった多くの遺骨を納めた納骨堂。其の前には520人の犠牲者の
名前が石に刻んであり、慰霊祭の夕刻にはここに520本の蝋燭が立てられて
「ローソク供養」が行われる。
機長・副操縦士・航空機関士の三名のほかにチーフパーサー・アシスタント
パーサー(7名)スチュワーデス(4名)の全ての乗務員の名前を確認して合掌。
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遅い昼食の後、湯ノ沢トンネル入り口に戻る。序に今年の秋には紅葉見物にくる予定の
「天狗岩」の登山口を確認する事にした。
分岐の赤岩橋のうえから塩ノ沢川を見下ろすと山岳地帯に相応しく深い谷の様。
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ここから塩ノ沢峠に向かう旧道で蛇行を繰り返しながら「やまびこ荘」を通過して
約3Kで登山口道標。
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入り口はこんな感じで風情ある登山道。だが、この脇には駐車出来ない。
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約50mほど先に進むと10台は置けそうな簡易トイレ付きの駐車場。
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案内板もあってご親切。流石に家族向きと宣伝するだけあって安心出来そう。
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全ての予定を終了して再びトンネルに戻ってのんびり走行で帰宅。
楽しみにしていたヤクルト戦の放送も無く結果も引き分けでやや不満。
ここ数ヶ月、わが一族は重病人続出で応援のため超多忙。19日も暑さの中、
姪の納骨を済ませたばかりで何とも重苦しい夏だ。
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まだ暗い今のプリンス通りを歩いて押立山に向かいました。目的地は神津牧場です。戦時中で牛乳も不足してたので牛乳を飲むのもハイキングの楽しみの一つでした。結構登りもきつくはるか先に見えるホテルでの休憩を楽しみに気力を振り絞って歩きました。まだ小学生だった私には一寸きつかった様です。そしてやっとホテルに着きました。そこでビックリ何とホテルは正面だけで裏に回ると何もなく撮影用のセットのようでした。それが軽井沢へ行くようになってからアレは何だったのか色々現地の方に聞いても分からず今に至ってます。でも興味を持っている方がおられるの知って驚いています。今だにアレは幻しだったか思い違いだったかは判然としません。因みに待望の牛乳は供出した後で飲めませんでした。
押立の記事がお眼に留まって幸甚の至りです。
2009年の頃、県境付近の低山を訪ねた時のひと時
でした。
この山と幻のホテルの事は今年の六月に永年の闘病の
末、惜しまれて亡くなった「FM軽井沢・星崎遼氏」に
多大な御指導を賜り秘蔵の写真を提供して戴いた
ものです。
「裏に廻るとーー」はこのホテルが半円形だったためでしょうか?
http://heartland.geocities.yahoo.co.jp/gl/richebourg61
http://ohisamastyle.jp/karuizawa/archives/2009/06/02-200840/
小生、昭和20年3月に鎌倉第一国民学校を卒業して
居りますのでTakeさんとは年代が近いと思います。
昭和一桁世代として今後もよろしく。