
スルス岩の行人洞の前鬼・後鬼の表記確認の為に榛名に向かう。
珍しく大気の湿度が低いらしく周辺の山々の姿は鮮明で
高根展望台からの小野子三山も珍しく冴えて見えていた。

ヤセオネ峠の坂下の沼の原北口の駐車スペースに車を置き
榛名富士や相馬山を眺めながらゆうすげの道に入るが周囲は
芒洋としたススキの原に変貌しており僅かに咲き残ったアザミや
マツムシソウが見られるだけ。

南進してスルス岩に向かう。

思い出せば2002年の69歳からハイキングを始めた爺イが
ベテランさんに叱咤され漸くこの岩上に這い上ったのが2004-6、
高度恐怖症同然の気配で岩上では身動きも出来ず脇の烏天狗像も
良く見られなく固まったままだった。

僅かの距離で「触れ合いの道」との丁字路、「行人洞・スルス岩へ3分」
の案内板。

この道標の下には現在は明瞭な「右京の無駄掘り」への道が
作られているがそんなものも無く無駄掘り自体が広くは知られて
いない頃、爺イはスルス岩の南斜面を探し回って無駄掘りに
到達している。

https://blog.goo.ne.jp/gooyamachuu/e/715f4133c8acaebc3cfd42330ce1feff
ふれ合いの道を僅かに西に向かうと叢に埋もれ汚れで判読しにくい
第二の道標で左斜面への笹の細道へ。

余り人も通らないらしく笹に覆われた道には剥き出しの
木の根が這っていたりして足元要注意。

少しの登りでスルス岸壁直下、圧倒的な迫力で頭上に聳えていて
例の「覗岩」の直下に行ければこの数倍の雄大さが
見られるだろうーーと出来ないものネダリ。

これが行人洞の正面。

先ず小野関三太夫氏の線刻彫りを見たがもう原型の想像すら
出来ないほど傷んでいる。

2005-11に見た時はこんな姿だったのに。

祠の左には守護神のように不動明王像、珍しく眷属が見られない。

右手の大きな石碑は「相馬山百回登山/普光院 豊山行者之霊」
だがこの祠との関連は爺イには分からない。

祠の中はこんな形で中央に「役小角」、向かって左に後鬼と右に
前鬼の姿が見えるが2005-11の画像には白い名札様のものが
写っている。

「役小角」については膨大な情報が溢れているが飛鳥時代の
呪術者で「続日本記」にも記述されているとはいえ「世相傳云」
つまり「世間は相伝えて」の程度だから634-701に実在と云うの
を信じたとしても事蹟は伝説で実際は生没年不詳扱いらしい。
その姿は頭巾の様なものを被り右手に鍚杖、左手に巻物、
更には一本歯の高下駄を履いている。

前鬼と後鬼、その関連は別稿。


https://blog.goo.ne.jp/gooyamachuu/e/22ced4164e04c85019b42ba5c4a0d4ac
一寸祠内にお邪魔して行人洞を辞し

正面に榛名富士を観ながら駐車場所に帰着。

時間も早いので榛名湖東岸から周辺の山々。

北岸に回って数少ないウバ百合が今の所除草の巻き添えに
ならず順調に種子を育てていることを確認。

西岸で烏帽子ヶ岳などを眺めてからロマンス亭の
ワカサギ丼で本日終了。

珍しく大気の湿度が低いらしく周辺の山々の姿は鮮明で
高根展望台からの小野子三山も珍しく冴えて見えていた。

ヤセオネ峠の坂下の沼の原北口の駐車スペースに車を置き
榛名富士や相馬山を眺めながらゆうすげの道に入るが周囲は
芒洋としたススキの原に変貌しており僅かに咲き残ったアザミや
マツムシソウが見られるだけ。

南進してスルス岩に向かう。

思い出せば2002年の69歳からハイキングを始めた爺イが
ベテランさんに叱咤され漸くこの岩上に這い上ったのが2004-6、
高度恐怖症同然の気配で岩上では身動きも出来ず脇の烏天狗像も
良く見られなく固まったままだった。

僅かの距離で「触れ合いの道」との丁字路、「行人洞・スルス岩へ3分」
の案内板。

この道標の下には現在は明瞭な「右京の無駄掘り」への道が
作られているがそんなものも無く無駄掘り自体が広くは知られて
いない頃、爺イはスルス岩の南斜面を探し回って無駄掘りに
到達している。

https://blog.goo.ne.jp/gooyamachuu/e/715f4133c8acaebc3cfd42330ce1feff
ふれ合いの道を僅かに西に向かうと叢に埋もれ汚れで判読しにくい
第二の道標で左斜面への笹の細道へ。

余り人も通らないらしく笹に覆われた道には剥き出しの
木の根が這っていたりして足元要注意。

少しの登りでスルス岸壁直下、圧倒的な迫力で頭上に聳えていて
例の「覗岩」の直下に行ければこの数倍の雄大さが
見られるだろうーーと出来ないものネダリ。

これが行人洞の正面。

先ず小野関三太夫氏の線刻彫りを見たがもう原型の想像すら
出来ないほど傷んでいる。

2005-11に見た時はこんな姿だったのに。

祠の左には守護神のように不動明王像、珍しく眷属が見られない。

右手の大きな石碑は「相馬山百回登山/普光院 豊山行者之霊」
だがこの祠との関連は爺イには分からない。

祠の中はこんな形で中央に「役小角」、向かって左に後鬼と右に
前鬼の姿が見えるが2005-11の画像には白い名札様のものが
写っている。

「役小角」については膨大な情報が溢れているが飛鳥時代の
呪術者で「続日本記」にも記述されているとはいえ「世相傳云」
つまり「世間は相伝えて」の程度だから634-701に実在と云うの
を信じたとしても事蹟は伝説で実際は生没年不詳扱いらしい。
その姿は頭巾の様なものを被り右手に鍚杖、左手に巻物、
更には一本歯の高下駄を履いている。

前鬼と後鬼、その関連は別稿。


https://blog.goo.ne.jp/gooyamachuu/e/22ced4164e04c85019b42ba5c4a0d4ac
一寸祠内にお邪魔して行人洞を辞し

正面に榛名富士を観ながら駐車場所に帰着。

時間も早いので榛名湖東岸から周辺の山々。

北岸に回って数少ないウバ百合が今の所除草の巻き添えに
ならず順調に種子を育てていることを確認。

西岸で烏帽子ヶ岳などを眺めてからロマンス亭の
ワカサギ丼で本日終了。

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