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駐車場手前に早くも大きな石碑「水汲みにいくのが地獄の一の木戸
行くとは見えて 帰る人無し」箕輪城攻防戦の激しさか。
おやっ、是は何処かで聞いた事があるぞ! そうだよ 牛伏山の一郷山城の
攻防で見銘寺のあった北の沢の水の手を巡る伝承の筈だか。
まあ、武田の西上州侵略・寺・水の手と揃えば何処にでも当てはまるから
良しとするか。
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直ぐに「水の手曲輪」の看板、
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山裾に包まれた寺の全景。
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石段を上がって本堂の左を摺り抜けると観音堂。
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ここが城址の「観音様口」と言われるところ。城址に向かうと珍しい
石柱発見。「史跡境界」と。
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上面には大きな矢印。矢は境界外を指している。
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だが、二十㍍おきぐらいに設置されているので
希少なものではないらしい。上西氏に通知するほどではない。
細道を進むと分岐、右は城址や椿名口で判り切っているので左の
「大手尾根口」に進むと僅かで看板のところで車道に下りる。
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「法峰寺」の西200mほど。ユックリ歩いて駐車場。
次は室田の長年寺、初代鷹留城主・長野業尚開基の寺で当然長野氏の
菩提寺。
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ここの境内には井戸の掲示が二つ。一つは榛名湖と繋がって
涸れる事が無いといわれる「満行井戸」
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もう一つは「伝説の井戸」、これは長野氏息女木部姫伝説。
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困ったことに木部姫は箕輪城落城後に榛名湖に身を投げたと言う伝説があり
湖畔にれっきとした木部神社とも言われる「御沼オカミ神社」も現存する。
かって探し当てた懐かしい奪エバに挨拶して

寺の左奥に長野氏の歴代の墓
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方形石の地輪正面に刻まれた戒名から見ると写真右から
業成・業政・憲業・業尚・業氏・業固・業続となる。
業政の戒名は「一清長純居士」なのだがこの写真でわかるかな?
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アッと、肝心の業盛が居ないのに気付いた。聞いたら業盛の墓は
井出の大円寺西方500mの原っぱの中との事、もう日暮れも近いので
別の機会として帰宅。
1/31、業盛墓所を求めて井出に向かった。123号線で井出信号を北進、
僅かのところに「大円寺」看板発見。下部に業盛公墓地案内図ありと
書かれている。
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取敢えず大円寺、
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住職の話ではここは菩提寺関連ではなく、落城後に
当時のこの寺の住職・法如が遺骸を貰いうけ、今の墓所に葬ったとのこと。
案内図に従って畑の一本道を西へ。直ぐに案内通りの巨大赤白ポールが見える。

位置はニ子山古墳と10号線の中間ぐらい。
現場は井野川の左岸に「なりもりぼえん」が出来ている。
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旧群馬町指定文化財とされているので整備は完璧。
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隣に辞世の記念碑。
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「春風に 桜も梅も 散り果てて 名のみ残れる
箕輪の山里」
残念ながら、この辞世は桜・梅などの季節に絡ませているので、かつての
永禄六年二月二十二日という落城説に合わせた後世の軍記作家の作である
というのが現代の定説。永禄九年九月が正解。
(蛇足)
明治時代に作られた箕輪攻防の詩がある。かつてバンカラ壮士たちが
高吟していた姿が浮かんでくるようだ。長いのでその極く一部を紹介して
古城址探訪はTHE END。
「想い起こせばおおそれよ 頃は永禄六年の 風なお寒き頃とかよ
若田ヶ原の血戦に 衆寡敵せず打破れ 城は重囲に陥りて
水ノ手さえも絶ち切られ 孤城は既に落日の 回えさん術もあらなくに
城将長野業盛は 是迄なりとや想いけん 勝負を一気に決っせんと
主従集まる本丸に 今ぞ末期の酒くみて 空を仰いで悵然と
名残り惜しみつ将士らが さらば者共死ねや死ね 大手の門を押し開き
名乗りを挙げて打ち向かう 秋水寒く月青し
君よ知らずや真影の 上泉伊勢が養いし 一騎はまさに当千の
鬼をもひしぐ箕輪武士 屍は積んで山をなし 血潮は流れて川をなす
忽ち替わる修羅の途 阿鼻叫喚に鬨の声 豪勇その名聞こえたる
執権藤井友忠は 無念や武田勝頼を 組み敷きながら撃たれけり
戦も最早是までと 討ち漏らされし郎党を 心静かに引きまとめ
再び帰る城中に 自ら城に火を放ち 紅蓮の炎天を衝く
父の遺訓を果し得て 心に掛かる事も無し
業盛生年十九歳 未だ蕾の桜花 榛名颪の朔風に いとどゆかしき
名を止めて 散りて敢え無く成り果てぬ
鳥よ唄えよ古を 水よ無限の囁きを 野菊の花のひともとを
手向けて吾は弔はんーーー
ご来訪のついでに下のバナーをポチッと。
行くとは見えて 帰る人無し」箕輪城攻防戦の激しさか。
おやっ、是は何処かで聞いた事があるぞ! そうだよ 牛伏山の一郷山城の
攻防で見銘寺のあった北の沢の水の手を巡る伝承の筈だか。
まあ、武田の西上州侵略・寺・水の手と揃えば何処にでも当てはまるから
良しとするか。
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直ぐに「水の手曲輪」の看板、
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山裾に包まれた寺の全景。
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石段を上がって本堂の左を摺り抜けると観音堂。
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ここが城址の「観音様口」と言われるところ。城址に向かうと珍しい
石柱発見。「史跡境界」と。
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上面には大きな矢印。矢は境界外を指している。
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だが、二十㍍おきぐらいに設置されているので
希少なものではないらしい。上西氏に通知するほどではない。
細道を進むと分岐、右は城址や椿名口で判り切っているので左の
「大手尾根口」に進むと僅かで看板のところで車道に下りる。
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「法峰寺」の西200mほど。ユックリ歩いて駐車場。
次は室田の長年寺、初代鷹留城主・長野業尚開基の寺で当然長野氏の
菩提寺。
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ここの境内には井戸の掲示が二つ。一つは榛名湖と繋がって
涸れる事が無いといわれる「満行井戸」
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もう一つは「伝説の井戸」、これは長野氏息女木部姫伝説。
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困ったことに木部姫は箕輪城落城後に榛名湖に身を投げたと言う伝説があり
湖畔にれっきとした木部神社とも言われる「御沼オカミ神社」も現存する。
かって探し当てた懐かしい奪エバに挨拶して
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寺の左奥に長野氏の歴代の墓
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方形石の地輪正面に刻まれた戒名から見ると写真右から
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業政の戒名は「一清長純居士」なのだがこの写真でわかるかな?
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アッと、肝心の業盛が居ないのに気付いた。聞いたら業盛の墓は
井出の大円寺西方500mの原っぱの中との事、もう日暮れも近いので
別の機会として帰宅。
1/31、業盛墓所を求めて井出に向かった。123号線で井出信号を北進、
僅かのところに「大円寺」看板発見。下部に業盛公墓地案内図ありと
書かれている。
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取敢えず大円寺、
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住職の話ではここは菩提寺関連ではなく、落城後に
当時のこの寺の住職・法如が遺骸を貰いうけ、今の墓所に葬ったとのこと。
案内図に従って畑の一本道を西へ。直ぐに案内通りの巨大赤白ポールが見える。
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旧群馬町指定文化財とされているので整備は完璧。
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隣に辞世の記念碑。
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「春風に 桜も梅も 散り果てて 名のみ残れる
箕輪の山里」
残念ながら、この辞世は桜・梅などの季節に絡ませているので、かつての
永禄六年二月二十二日という落城説に合わせた後世の軍記作家の作である
というのが現代の定説。永禄九年九月が正解。
(蛇足)
明治時代に作られた箕輪攻防の詩がある。かつてバンカラ壮士たちが
高吟していた姿が浮かんでくるようだ。長いのでその極く一部を紹介して
古城址探訪はTHE END。
「想い起こせばおおそれよ 頃は永禄六年の 風なお寒き頃とかよ
若田ヶ原の血戦に 衆寡敵せず打破れ 城は重囲に陥りて
水ノ手さえも絶ち切られ 孤城は既に落日の 回えさん術もあらなくに
城将長野業盛は 是迄なりとや想いけん 勝負を一気に決っせんと
主従集まる本丸に 今ぞ末期の酒くみて 空を仰いで悵然と
名残り惜しみつ将士らが さらば者共死ねや死ね 大手の門を押し開き
名乗りを挙げて打ち向かう 秋水寒く月青し
君よ知らずや真影の 上泉伊勢が養いし 一騎はまさに当千の
鬼をもひしぐ箕輪武士 屍は積んで山をなし 血潮は流れて川をなす
忽ち替わる修羅の途 阿鼻叫喚に鬨の声 豪勇その名聞こえたる
執権藤井友忠は 無念や武田勝頼を 組み敷きながら撃たれけり
戦も最早是までと 討ち漏らされし郎党を 心静かに引きまとめ
再び帰る城中に 自ら城に火を放ち 紅蓮の炎天を衝く
父の遺訓を果し得て 心に掛かる事も無し
業盛生年十九歳 未だ蕾の桜花 榛名颪の朔風に いとどゆかしき
名を止めて 散りて敢え無く成り果てぬ
鳥よ唄えよ古を 水よ無限の囁きを 野菊の花のひともとを
手向けて吾は弔はんーーー
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