クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

伊勢崎・磯町 あかぼり蓮園  H-29- 7- 6

2017-07-07 09:51:04 | 前橋・伊勢崎・桐生・太田方面
梅雨時の花で爺イの知っているのは残すところ、睡蓮とハスだけになった。
だが、高崎近辺で睡蓮を見られる所が見当たらない。唯一、富岡・蕨の池を
訪れたことがあったが、もう五年前くらいから閉鎖されていて手入れも
されていないらしい。
そこでハスが残ったが何れも古代蓮の富岡・神成と吉井・いしぶみの里は
昨年見たので今日は初めての伊勢崎・磯町の「あかぼりハス園」へ。

高崎からR-17で前橋市街地の真ん中を抜けてR-50を東進する。伊勢崎地区に
入って「西久保」信号で左折して北上。間も無く目印の「ぎぶね製菓」さんが
交差点左にあるが此処から曲がるとやや道が判り難いので少し先の
バス停角を左折、あとは標識に従って右・左・右と進めば幟が林立する
駐車場。幟に書かれているように「天幕城址」の外堀跡を利用したハス園。



駐車している車も多く大きな望遠レンズや三脚を持参している方々もいるので
期待してハス園に向かったが目の前には二分咲きの光景が広がっていてガックリ。
30Km、一時間を費やした遠出もどうやら空振りの気配。



堀の南中央から北方面の様子。



中央東側から西側をみる。堀の先の台地は二の丸跡、その先の木立は
本丸東側の物見曲輪といわれる土塁。



中央東から北方面。



中央西から東の駐車場方面。



北側一帯は幸いにも6-7分咲き。



大方の様子が判ったので観光客の流れに乗って園内をゆっくり周回するも
何しろ暑い、未だ体が猛暑に順応していないので年寄りの熱中症を
警戒して一時間弱で切り上げて日陰のある城址説明看板のある北端に
逃げ込んだ。

開花一日目の花(サムネイル写真は左クリックで拡大、左上の左向き矢印で元に戻る。)



少し開いた二日目の花(サムネイル写真は左クリックで拡大、左上の左向き矢印で元に戻る。)



見頃の三日目の花(サムネイル写真は左クリックで拡大、左上の左向き矢印で元に戻る。)



最終四日目の花(サムネイル写真は左クリックで拡大、左上の左向き矢印で元に戻る。)



尚、OO日目とは爺イの勝手な推定なので正確を欠くが大凡と云うこと。

これは掘の東側から見た城址。手前の台地風の所は二の丸跡で、ある時期には
お花畑になるとか。一見してその先の木立が城址そのものと思い込んだが
入り口の案内板を見たらそれは城址の一角の土塁だった。
説明によると、この天幕城は、永禄年間1558-1569に赤堀城の支城として赤堀氏に
よって築かれその後、那波氏・桐生氏の城となり、ある時は由良氏攻略されるなど、
戦国時代の動乱期を経た後、1590年、後北条氏滅亡と共に廃城となったとされる。
築城の永禄年間は戦国真っ盛りで桶狭間、関東管領に謙信、足利義昭が将軍、
川中島の決戦、長野氏の滅亡ーーーと盛り沢山。



入り口に縄張り図があるが北を上にして書くと言う事に固執して立ち位置とは
逆さまの図なので180度回転させる。
左の湾曲した帯状のものが外堀跡で今のハス園。その右の細長い広場が二の丸、
そして更に右へ土塁と本丸跡、南に三の丸跡が繋がっている。



二の丸と土塁の間に遊歩道があるので南に歩いてみた。途中では大輪満開のあじさいが
目を楽しませる。



途中では全く案内や解説の表示物はない。右手に土塁に進む道があったので
入り込むと土塁の周りを水平に回っている。若しかするとこれは腰曲輪の
ようなものかな?



回り道には何箇所か土塁の上に登る踏み跡があるが台地上は只の荒れた場所で
何の表示は無く反対側の本丸跡と南に三の丸跡らしき広場が畑地になっていた。
今まで見た上州の城は平井城などを除くと殆どが山城だったので平城は
何となくピントこない。



一通り予定を済ませたので未だ午前中で時間は早いが、最近利きの悪い
ボロ車のカークーラーを叱咤しながら帰宅。
写真の程度がデジブック用までに至らなかったので今回はブログのみ。
これでは口直しが必要なので数日の内に富岡・蕨を訪問しよう。ここは
管理・整備の方が作業の合間に色々と説明してくれるので楽しみ。

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