クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

翁草に会いに富岡・神成山  H-24- 3-14

2012-03-15 11:48:39 | 妙義・下仁田・富岡・南牧
久し振りの温暖予報に釣られて富岡・神成山へのハイキング。
切っ掛けはネットで華やかに咲き誇る「翁草」、だが10日ほど早すぎたので
殆ど空振りで僅かに西端の四宮吾妻山の東側にある栽培地でほんの数輪だけ。

R-254で富岡地区を西進して小さな「神農原」信号を右(北)折、上信電鉄駅の
脇を抜けやや複雑にくねる道を経て「宮崎公園」の駐車場(9.57)。



入り口にコース案内図、「富岡アルプス」とも喧伝されるこの縦走路は約3.7K
だが、登山口までと下山してから南蛇井駅までを含めると多分5k強。
看板には神成山の「九連峰」とあつて、ほど良いアツプダウンの尾根道。
九峰と聞くと下仁田にも下仁田九峰があることを思い出す。
こっちは藤山・大山・御嶽山・螢山・大崩山・川井山・浅間山・伊勢山(三峰山)・
稲含山だか何故か小沢岳(南牧所属?)や金剛ノ萱は入っていない。



駐車場を出ると直ぐに西中学とハイキングコースへの道標で左折。



一本車道を過ぎると前方に中学、左右どちらからでも行けるが正規の登山口は
右折。



途中に宮崎城址の説明看板。



その右手のこの地域が発掘現場らしい。



道標に従って左手の中学敷地に沿って細道に入る。



そこには新品に等しい綺麗な道標、これはコース全般にわたって設置されていた。



ぐるっと敷地を半周するとやっと山道に入る。



直ぐに右手の土手に石像物、看板がかすれて読めないが。



続けて「不動さんと地蔵さん」。



残念にも地蔵さんの首は欠損。



次は「普寛さん」、秩父出身の御嶽教の開祖(1731-1801)で実在した人物。



何とも気持ちの良い尾根道が続くのでのんびり歩く。



アナグマの道との表示、確かに矢印方向に藪が割れている感じ。



「不動さま」の看板が右手の高みを指しているので一寸寄り道。



土手の中腹にお歴々が勢ぞろい。



やがて「御嶽座主大権現」の巨大碑のピークを過ぎると



「見晴らし」の道標。



横長の見晴台正面に稲含山を含む西上州の山々。





上信電車沿線の町並みが意外に近く見渡せる。



その先には新旧入り混じった道標。



「狸の家」の表示にもこの雰囲気では素直に頷き。



「神成城址」の看板を通過するが、北側に何となく城址らしき感じがするだけで
はっきりとは判らない(10.27)。



前方に初めてピークらしき樹木の塊。



登り始めの鞍部に宇芸神社への道が左手に下っている。
丁寧に設置された木枠段で登ると



「神成山に到着。



大きな石宮と登山者記入帳。



表示板には「竜王ピーク」。



左奥には三角点。頭部分が欠落しているが三等で点名は「神事谷」。



石宮は明和二年とあるから1765年、有名な明和事件はこの二年後で小幡藩も巻き込まれた。



北向きのこの巨大石碑は「御嶽大神」。
新堀方面から登ってきた単独氏に出会う。やはり翁草を探しに来たとのことだが
全く見られずに残念そう。こっちも一つも発見できないとの情報交換。



ほぼ全域が見渡せる景観だが南と西は雑木が刈り払われている。



上信電車が走っているので動画で。でも距離が遠すぎて安物デジカメでは
これが限度。



東に赤城が霞んで見えるが榛名は枯れ木が邪魔で写真にならず。



この新堀神社への道標に従って西へ大きく下降。



次のピークが遠望できる。



鞍部でピークを眺めると



「緊急下山道」の道標。整備団体の細かい気遣いに感服。
ここら辺は出発点の案内板の第三峰を過ぎただけらしい。



着いたところは例の「神成山自然博物館」の箱があるピーク。かつては宇芸神社跡との
看板があったような記憶があるが気づかなかった。



箱の中はこんな感じ。



見た目は可愛らしい「テン」も此処ではすっかり正体がばれて悪役のレッテル。



やがて前方に丘程度のピーク。ここで後続の単独氏に追い越されたが、やはり
翁草が見つからないとボヤキ節。



やや長い登りには補助ロープが附けられているので大助かり。



石宮ピークに到着、「打越の御嶽さん」。石宮は北向きで北にはしめ縄が張られ
下り道も明瞭なので表参道は下丹生方面かららしい。



このピークで早めの昼食と休憩(11.43-12.06)で本日の爺イ。



この下りを経ると



再び前面にピーク。



着いた所は再びの「打越の御嶽さん」。案内図で打越板碑とあったところだろう。



木枠段で楽に下ると



久し振りに平坦な道。



と、前方からオーイとの声。見たところ、さっき先行した
単独氏。「アッタよ!」と斜面を指している。早くも最終の第九峰から引き返して
来たとのこと。近寄るとそこには翁草の看板と極めて狭い斜面に栽培地。
よく見ないと発見できないほど株は少ない。



これはこれから咲くのか?



開花している僅かの株。矢張り、10日ぐらい早すぎか?
でも完全空振りよりは未だましと思わなくてはなるまい。







東に帰る単独氏と別れて最後のピークに向かう。そこは「四宮吾妻山」。
時々、ネットで西宮吾妻山との記事を見かけるが間違いだろう。
頂上に到着。328.1Mの表示柱。



山名標識は吾妻山。



その名の通り大小の石宮が四基。



手前左に二基並び、右のものは元治元年の銘なので1864年。蛤御門の変から
第一次長州征伐に発展する時。



天蓋のこの紋は何だろうか?



右手の一基は嘉永3年だから1850年。国定忠治が処刑されている年



奥の大きなものは万延元年の1860年。桜田門外の変が起き井伊直弼が刺殺された。



少し休んで急坂を下り始めると鳥居跡。



更に下ると祭祀跡。



そして新堀神社に到着して縦走路は終点(12.52)。



社殿の中は「妙見尊像」。



それに往時の寺社の様子を描いた絵馬。



嘉永二年のものと伝わる算額が一枚。



神社を辞して車道に向かうと角に有名な「大サボテンの家」(13.00)。



ここから南蛇井駅に向かうが結構な距離。高速を潜ってR-48出て南進する。
振り返って通ってきた山を見ると南面は絶壁だ。



南には稲含山が堂々とした姿で周辺の山を圧倒している。



南蛇井の駅に着いたが駅員も居ない無人駅(13.23)。切符は乗ってからとバス並の方式。



翁草の最盛期にはこの線路端にも多く見られるとのことなので、ホームから降りて
ウロウロするも見つからないうちに電車到着。乗ると直ぐに区間券を取るので
ホントにバス並み。



数分の乗車で金170円を運転手に払って神農原で下車。テクテク歩いて宮崎公園下。



車道は遠回りなので遊歩道で登って公園内を見物してから駐車場に帰着(14.00)。
11800歩の程よいハイキングだつた。

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2 コメント

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re;おきな草 (爺イ)
2012-04-03 20:01:01
こかげさん
ヤッパリ今の時期でしたか?
何時も焦ってタイミングを合わせられないので
もう少し確認が必要と反省しきりです。
甘楽の桜は慎重にやります。
それにしても大騒ぎの台風は何処へ行った?
現在まで無風で雨も僅か!
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おきな草 (木下こかげ)
2012-04-03 07:24:20
 4月5日「日本おきな草」を南蛇井駅で見学?しました。駅員のお姉さんの案内で線路に入り「じっくり観賞」よかったよー。神成山は数年前にサボテンの家から登って尾根を縦走しました。
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