
何となく、今年も息災で終わりそう。
後期高齢者夫婦の二人暮しでも年末は何かと雑用が多くなるので
出歩きは今日が最後。で、山かと言えば左にあらず、今年の
活動を象徴する極めて安直な三角点探訪。
(11) 四等 點名・嶺 218.06m N-36-19-09-9 E-138-50-58-5
安中市嶺字大持場

R-18で西進、碓氷病院前の信号を右折してR-125をそのまま
直進。左手の綺麗な特別養護老人ホーム「明嶺荘」前に駐車。

その少し先の小路を左折すると直ぐに発見。


方角は榛名。

(12) 四等 點名・原 221.42m N-36-18-14-51 E-138-51-01-0
安中市郷原字稲田

R-18に戻って更に西進。磯部入口信号を左折して愛妻橋の僅か
手前の道も左折して「かんぽの宿」に駐車。

目標は北側の台地だが崖で「急傾斜地崩壊危険地域」の表示も
在るので直接は行かれず、坂上まで戻る。
民家の間に梅林に通ずる農道があったので中に入る。

数百㍍の藪の中で発見。


(13) 三等 點名・文珠寺 251.5m N-36-17-55-9 E-138-52-01-9
安中市鷺宮字文珠寺

ここは多分、文殊寺城址だから近くに行けば案内板がある筈と
初めから決め込んでいたのが大間違い。
愛妻橋を渡って直ぐの磯部信号を左折し磯部四丁目に入るところで
右折、線路を渡って細道を左折。山に近づいて眺めるとこんな
感じでびっしりと葛の蔦で覆われたような藪山。

付近をウロウロしたが城址への道標など何処にもない。来合わせた
軽トラの人に「登路は?」と聞いたがあっさりと「そんなものねーよ」
とつれないご返事。一応はアタックして見たが全く歯が立たなくて
降参。妙義や浅間を見ながら地形図を見直し。


ここは北側だが、南に回れば小さな点の線がゴチャゴチャとあるので
大きく東に抜けて山の南側の農道に回り込む。
目標との距離300m辺りで何本かの人家への道を探る。
三本目で家の脇を抜ける道発見。直ぐに藪になるが構わず突破。
やがて前方が開けてこんな農道に出会う。

それを辿って山に向かうとあと80mの所から小ピークに登る
竹薮。

着いたところは径10m程の広場、雰囲気は確かに砦跡。
御幣が何箇所もあるが、石宮の前や埋まった石。


そして目的の三角点も。


もしも、ここが文殊寺城址なら、700m西にある磯部城と
一城別郭とも言われる別名・石尊山の砦の事だ。だが、専門家の
解説では構造が如何にも単純すぎるので城というより狼煙台。
武田の侵攻後は甲州との連絡用であり、武田の滅亡で廃城とか。
因みに文殊は「モジョウ」と読む。
良く見たら北側へのみ、はっきりとした下りの踏み跡があった。

(14) 四等 點名・下人見 234.06m N-36-17-53-1 E-138-49-54-4
安中市人見

ここは記録上は「報告なし」なので期待できないが一応は探索に
向かう。磯部信号に戻って南進、線路を潜りR-48に右折して
R-213との交点を西進。目標地点はこの屋敷の中だった。

家人の協力で探したが、ポイントには新しくガレージが作られ
コンクリート敷き。良く聞いたら数年前に調査の人がきて
諦めて帰ったとの事。此方も諦め。
(15)四等 點名・上磯部 270.7m N-36-17-36-3 E-138-50-46-9
安中市中野谷字西北原

戻ってR-48の道なりで上磯部に向かう。
細道に入ると広大な開拓地。人も車も見当たらないところなのに
立派な舗装道路だけが縦横に走っている。
何回も曲がって舗装切れの所に農道。片側藪で嫌な予感。

だが、その藪に目印テープがあつて切り開き場所。

三角点はその先に。


再び妙義が見事。折角だから妙義近くの平場の三角点へ
行く事にして松井田インターに急ぐ。

(16)四等 點名・行田 345.77m N-36-18-41-8 E-138-46-43-1
安中市八城字大見山

目標はインター先の上り車線の側道。入り方が少々難しい。
インターへの四つ角を反対側へ右折、丁字路を左に切り替えして
くねくねと細道を進んで側道に入り込みこの橋際。

目立つところに三角点。


(17)四等 點名・小竹 385.57m N-36-18-59-6 E-138-45-43-4
安中市五料字中松原

最後の一つはさっきの切り返しのところを直進。丁字路にこの
道標。

右折して数キロの路傍で発見。


以上で本日の予定は終了。
後期高齢者夫婦の二人暮しでも年末は何かと雑用が多くなるので
出歩きは今日が最後。で、山かと言えば左にあらず、今年の
活動を象徴する極めて安直な三角点探訪。
(11) 四等 點名・嶺 218.06m N-36-19-09-9 E-138-50-58-5
安中市嶺字大持場

R-18で西進、碓氷病院前の信号を右折してR-125をそのまま
直進。左手の綺麗な特別養護老人ホーム「明嶺荘」前に駐車。

その少し先の小路を左折すると直ぐに発見。


方角は榛名。

(12) 四等 點名・原 221.42m N-36-18-14-51 E-138-51-01-0
安中市郷原字稲田

R-18に戻って更に西進。磯部入口信号を左折して愛妻橋の僅か
手前の道も左折して「かんぽの宿」に駐車。

目標は北側の台地だが崖で「急傾斜地崩壊危険地域」の表示も
在るので直接は行かれず、坂上まで戻る。
民家の間に梅林に通ずる農道があったので中に入る。

数百㍍の藪の中で発見。


(13) 三等 點名・文珠寺 251.5m N-36-17-55-9 E-138-52-01-9
安中市鷺宮字文珠寺

ここは多分、文殊寺城址だから近くに行けば案内板がある筈と
初めから決め込んでいたのが大間違い。
愛妻橋を渡って直ぐの磯部信号を左折し磯部四丁目に入るところで
右折、線路を渡って細道を左折。山に近づいて眺めるとこんな
感じでびっしりと葛の蔦で覆われたような藪山。

付近をウロウロしたが城址への道標など何処にもない。来合わせた
軽トラの人に「登路は?」と聞いたがあっさりと「そんなものねーよ」
とつれないご返事。一応はアタックして見たが全く歯が立たなくて
降参。妙義や浅間を見ながら地形図を見直し。


ここは北側だが、南に回れば小さな点の線がゴチャゴチャとあるので
大きく東に抜けて山の南側の農道に回り込む。
目標との距離300m辺りで何本かの人家への道を探る。
三本目で家の脇を抜ける道発見。直ぐに藪になるが構わず突破。
やがて前方が開けてこんな農道に出会う。

それを辿って山に向かうとあと80mの所から小ピークに登る
竹薮。

着いたところは径10m程の広場、雰囲気は確かに砦跡。
御幣が何箇所もあるが、石宮の前や埋まった石。


そして目的の三角点も。


もしも、ここが文殊寺城址なら、700m西にある磯部城と
一城別郭とも言われる別名・石尊山の砦の事だ。だが、専門家の
解説では構造が如何にも単純すぎるので城というより狼煙台。
武田の侵攻後は甲州との連絡用であり、武田の滅亡で廃城とか。
因みに文殊は「モジョウ」と読む。
良く見たら北側へのみ、はっきりとした下りの踏み跡があった。

(14) 四等 點名・下人見 234.06m N-36-17-53-1 E-138-49-54-4
安中市人見

ここは記録上は「報告なし」なので期待できないが一応は探索に
向かう。磯部信号に戻って南進、線路を潜りR-48に右折して
R-213との交点を西進。目標地点はこの屋敷の中だった。

家人の協力で探したが、ポイントには新しくガレージが作られ
コンクリート敷き。良く聞いたら数年前に調査の人がきて
諦めて帰ったとの事。此方も諦め。
(15)四等 點名・上磯部 270.7m N-36-17-36-3 E-138-50-46-9
安中市中野谷字西北原

戻ってR-48の道なりで上磯部に向かう。
細道に入ると広大な開拓地。人も車も見当たらないところなのに
立派な舗装道路だけが縦横に走っている。
何回も曲がって舗装切れの所に農道。片側藪で嫌な予感。

だが、その藪に目印テープがあつて切り開き場所。

三角点はその先に。


再び妙義が見事。折角だから妙義近くの平場の三角点へ
行く事にして松井田インターに急ぐ。

(16)四等 點名・行田 345.77m N-36-18-41-8 E-138-46-43-1
安中市八城字大見山

目標はインター先の上り車線の側道。入り方が少々難しい。
インターへの四つ角を反対側へ右折、丁字路を左に切り替えして
くねくねと細道を進んで側道に入り込みこの橋際。

目立つところに三角点。


(17)四等 點名・小竹 385.57m N-36-18-59-6 E-138-45-43-4
安中市五料字中松原

最後の一つはさっきの切り返しのところを直進。丁字路にこの
道標。

右折して数キロの路傍で発見。


以上で本日の予定は終了。
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