クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

吉岡町の史跡探訪(2) H-21-2-14

2009-02-16 16:37:28 | 伝説・史跡探訪
華蔵寺



野田神社の隣。創建は1519年と伝わり古くからの修験の寺。
この「客殿」は通称で「書院」。かっての物の切り詰め。



池の中に指定重文の「石造弁財天」、この池は上越新幹線トンネル
工事のため枯渇したとかで水はなかつた。



屋根の部分の両面に馬鹿にやさしい鬼面?が刻まれているが
片方は傷みが激しく写真にならず。




野田神社



1504年頃、華蔵寺開山の創建と云われ長年に亘り華蔵寺に属した。
明治政府の神仏混淆の禁止で分離し、合併整理訓令で稲荷・野田
八幡・日枝が合併。



入り口は多数の石造物のお出迎え。



灯篭と石の鳥居に微かに銘が読み取れる。




野田宿

「鬼ヶ瀬」信号を西に向かうと伊香保街道で野田宿に入る。
入り口に「上野田まちおこしの会」による説明版と
野田宿の看板。



街道筋の各民家に付けられた真新しい屋号を楽しみながら
進むと三国街道との交点に道標。



その脇に大きな「上野田の道祖神」



宿場の中心は本陣の森田家のところ。
宿場はR-26との交差点手前まで続いている。




常泉寺



野田宿本陣の近くの小さな寺。



野田宿に新たに付けられた屋号の看板が此処にも在るが、
「明治小発祥の地」とある。



寺の裏手には叢の中に石仏多数。大きな石宮風のもの。



その回りには小さい仏像がびっしりと付いている。



こじんまりと双神道祖神も。



滝泉神社



宿場を離れてから細道を北進。
船尾滝から流れ降る「滝沢川」の辺に建てられて古名を「滝泉大明神」
滝泉神社への改称は1870年。上野田の鎮守。



巨木の連なる参道



社殿の横の石宮の羅列脇を通過すると



大きな石があり「袂石」と名付けられている。噴火によるのか
流れてきたのかは定かではなく、「小石が成長した」との
伝説を生んだらしい。



今日の所は此処までだが、かつて尋ねたことのある見所を
写真だけ。


一里塚



佐渡街道




長松寺



矢落観音





桃井氏繋がりで榛東山子田城址に行ったので序に。
場所は榛東村役場の東方約200mの極めて判りにくいところ。
元々平城と云われているが多分館跡だろう。







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