華蔵寺
野田神社の隣。創建は1519年と伝わり古くからの修験の寺。
この「客殿」は通称で「書院」。かっての物の切り詰め。
池の中に指定重文の「石造弁財天」、この池は上越新幹線トンネル
工事のため枯渇したとかで水はなかつた。
屋根の部分の両面に馬鹿にやさしい鬼面?が刻まれているが
片方は傷みが激しく写真にならず。
野田神社
1504年頃、華蔵寺開山の創建と云われ長年に亘り華蔵寺に属した。
明治政府の神仏混淆の禁止で分離し、合併整理訓令で稲荷・野田
八幡・日枝が合併。
入り口は多数の石造物のお出迎え。
灯篭と石の鳥居に微かに銘が読み取れる。
野田宿
「鬼ヶ瀬」信号を西に向かうと伊香保街道で野田宿に入る。
入り口に「上野田まちおこしの会」による説明版と
野田宿の看板。
街道筋の各民家に付けられた真新しい屋号を楽しみながら
進むと三国街道との交点に道標。
その脇に大きな「上野田の道祖神」
宿場の中心は本陣の森田家のところ。
宿場はR-26との交差点手前まで続いている。
常泉寺
野田宿本陣の近くの小さな寺。
野田宿に新たに付けられた屋号の看板が此処にも在るが、
「明治小発祥の地」とある。
寺の裏手には叢の中に石仏多数。大きな石宮風のもの。
その回りには小さい仏像がびっしりと付いている。
こじんまりと双神道祖神も。
滝泉神社
宿場を離れてから細道を北進。
船尾滝から流れ降る「滝沢川」の辺に建てられて古名を「滝泉大明神」
滝泉神社への改称は1870年。上野田の鎮守。
巨木の連なる参道
社殿の横の石宮の羅列脇を通過すると
大きな石があり「袂石」と名付けられている。噴火によるのか
流れてきたのかは定かではなく、「小石が成長した」との
伝説を生んだらしい。
今日の所は此処までだが、かつて尋ねたことのある見所を
写真だけ。
一里塚
佐渡街道
長松寺
矢落観音
桃井氏繋がりで榛東山子田城址に行ったので序に。
場所は榛東村役場の東方約200mの極めて判りにくいところ。
元々平城と云われているが多分館跡だろう。
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野田神社の隣。創建は1519年と伝わり古くからの修験の寺。
この「客殿」は通称で「書院」。かっての物の切り詰め。
池の中に指定重文の「石造弁財天」、この池は上越新幹線トンネル
工事のため枯渇したとかで水はなかつた。
屋根の部分の両面に馬鹿にやさしい鬼面?が刻まれているが
片方は傷みが激しく写真にならず。
野田神社
1504年頃、華蔵寺開山の創建と云われ長年に亘り華蔵寺に属した。
明治政府の神仏混淆の禁止で分離し、合併整理訓令で稲荷・野田
八幡・日枝が合併。
入り口は多数の石造物のお出迎え。
灯篭と石の鳥居に微かに銘が読み取れる。
野田宿
「鬼ヶ瀬」信号を西に向かうと伊香保街道で野田宿に入る。
入り口に「上野田まちおこしの会」による説明版と
野田宿の看板。
街道筋の各民家に付けられた真新しい屋号を楽しみながら
進むと三国街道との交点に道標。
その脇に大きな「上野田の道祖神」
宿場の中心は本陣の森田家のところ。
宿場はR-26との交差点手前まで続いている。
常泉寺
野田宿本陣の近くの小さな寺。
野田宿に新たに付けられた屋号の看板が此処にも在るが、
「明治小発祥の地」とある。
寺の裏手には叢の中に石仏多数。大きな石宮風のもの。
その回りには小さい仏像がびっしりと付いている。
こじんまりと双神道祖神も。
滝泉神社
宿場を離れてから細道を北進。
船尾滝から流れ降る「滝沢川」の辺に建てられて古名を「滝泉大明神」
滝泉神社への改称は1870年。上野田の鎮守。
巨木の連なる参道
社殿の横の石宮の羅列脇を通過すると
大きな石があり「袂石」と名付けられている。噴火によるのか
流れてきたのかは定かではなく、「小石が成長した」との
伝説を生んだらしい。
今日の所は此処までだが、かつて尋ねたことのある見所を
写真だけ。
一里塚
佐渡街道
長松寺
矢落観音
桃井氏繋がりで榛東山子田城址に行ったので序に。
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元々平城と云われているが多分館跡だろう。
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