人は誰しも、被害に遭う
そして、それと同じ数だけ、加害にもなる
世の中には、被害と加害を取り持つ
臨床的なアプローチ法があるという
しかし、どのような臨床的なアプローチ法を用いたとしても
被害の方が、割りを食い、結果的に溜飲を下げる側になるのは
必然的であると思う
大切なのは、アプローチでも、修復でもない
たとえば、身体は、傷を負うと、自然に修復する作用を持つが
しかし、完全に元に戻ることは、まれである
だいたいは、ケロイドなどが代表的てあるように
なんならかの痕を残す
これは、被害者の心境に置いても同じで
一度、釘を打ち付けられた木は、2度と元の姿になることはない
被害者の心は、特に
穴の空いたその姿を受け入れるしかない宿命を負わされる
どのような被害も、修復とアプローチで、直ることはない
たとえ、穴の空いた木に、ニスや塗装を施したところで
その形は、修繕されても、元に戻ったことにはならない
アプローチを換えたとして
高級なニスを塗ろうが、さらに2度塗り塗装を施したとしても
表向きの高級感は、増したとしても
それがもとの姿ではない
表向きの見栄えだけが、被害修復の本質でない<
大切なのは
何が、被害にとって修復となるのか、という指針である
そんななかで
加害は、遠距離からの祈りでしか、実質的には対応できない
2度とその穴の空いた木に触れることは許されない
実質的に、加害が被害に対して行えるのは
アプローチではなく、祈る事だけである
直接的な関係は、被害にとって、さらなる苦役である
加害が被害にとっての、最大最善の幸福を祈る
被害は、修復されるのではなく
成仏する
この被害が成仏を向かえるまでの一連の行いのなかで
加害は、被害が無事に成仏を向かえる一連の時間を祈る
一切の接触を絶ち、被害が成仏を向かえるまでの間に
加害は、それまでの苦役を祈ることで背負う
そして、永い月日が経ち
やがて被害が成仏を向かえる頃になり
それを風のうわさで、加害に伝わることが出来たなら
両者の想いは、初めて、お互いの苦役から
解脱することが可能なのだと思う。
被害と加害
そんな決して交わる事も、修復もされ得ない関係のなかで
両者の思いが、その苦しみから成仏する事を願う