汽水空間 ~言葉と次元の力学系へ~

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エッセイ 人生の引き際

2018年12月04日 | 哲学


人生、引き際が肝心
だと、最近は思ってる

それは、自分の居たスペースを他人に譲る。ということ。
人は、その居場所の居心地の良さを、一度体感すると、
そこから立退くことが億劫になる。
そこにずっと居座ろうとする。

しかし、なんでもそこには"流れ"というのがあって、
どんな立場も、年数が経てば、自ずと古くなってしまう。
上手くピースがはまらない感覚がしてくる。

そんな自分が必要か必要で無いかの瀬戸際に
"人生、引き際"の岐路がある。

その岐路に立たされた時、そこに意地でもしがみつくのか、
はたまた他人に譲るのかという二択で、その人の度量が試される。
とみやすけは思っている。

たとえばね、
今、いろんな会社で後輩が育たない。

やる気が無い、根性が無い、とか
いろんな難癖をつけて、後輩をいたぶる人が多い。

仕事は見て盗めなど、働く背中を見ろ的な
言い分をする人達も居る。

そんな今、会社で後輩が育たないのは、
先輩達がいつまでも現役気分でいて、
"人生、引き際"の岐路を見失ったからではないか?

"人生、引き際が肝心"

パズルに合わなくなったピース達は、
自ら、無理にそのフレームにねじ込む事によって、
結局、その居場所をダメにしている。

場の"流れ"を大切にしたい。
その想いは、その居場所に対する愛情である。
居場所を失う恐怖こそ、
その居場所にある自分を死守する行為である。
それは居場所を、エゴで縛る行為だ。

"形の合わなくなったピース"

もし、自分がそうなってしまったら
他人にその居場所を譲る。

やがて、何もしなくてもよくなったピース達は、
その居場所にとっての"余暇"になる。

その"余暇"は、溜まれば溜まるほど
その居場所にとっての風になる。
人は"余暇"を求めて、居場所にやってくる。
そういう"余暇"は、あるだけあった方が良いのだ。

余暇とは、経験
余暇とは、積み重ね
余暇とは、そこに"居る"ということ。

"人生、引き際が肝心"であるとは、
そこに"余暇"を作ることなのだ。

この"余暇"があってこそ、
人から求められ続ける居場所になる。

たとえばそう、先輩達がその会社内の"余暇"になる事で、
後輩達が働きやすくなるといったように。。

"余暇"は、居場所の流れになる。
その"流れ"は、きっといろんな人にとっての出逢いにも繋がる。
そう、その"出逢い"のきっかけこそ、
実は"余暇"そのものであるから。

あなたの人生も、
そういう"余暇"に満ち溢れたものになりますように。
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