今シーズン終了後にトレードが成立し両球団から発表されたにもかかわらず、一向に進展せず
ドロ沼化してしまい江夏が移籍をゴネている間に一方の高橋まで揉め出しました。事の発端は
日本シリーズ終了後に江夏が「自分を必要とする球団へ行きたい」と発言し、退団する意向を
表明した事によるもの。さらに言うと江夏の首脳陣不信は前年の日本シリーズまでさかのぼる。
あの「江夏の21球」の際、古葉監督がブルペンに次の投手の準備を命じた事に江夏が「自分を
信用していないのか」と反発し、火種は翌年のシーズン中も燻り続けて遂に爆発したのだった。
日本シリーズ終了後、宮崎・鵜戸神宮へ勝利の報告をチーム全員で出向いた際にトレードを通告
された事に江夏が「時と場所を考えろ」ヘソを曲げたのだが、そもそも言い出しっぺは江夏でした。
「オレの広島での役目はもう終わりだ。野球の奥義を窮める為にもユニフォームを変えてみたい」と親しい新聞記者に
洩らしたのは今季のシーズン途中での事。そして日本一達成翌日の一部スポーツ紙に 「野球以外に出来る事は無い。
広島に拾われてここまで来れた。広島が要らないと言えばユニフォームを脱ぐかチームを変えるしかない」と発言したと
掲載された。これに対し古葉監督は「要らないなどと言った覚えはないし江夏は来季も戦力として考えている。 しかし
1人の為に他の59人を犠牲には出来ない。カープはナインの和をもってやって来れた。ウチで今以上のモノを求めて
いるのなら無理だ」と言い切った。江夏はスポーツ紙の報道を「あんな事は言っていない。言ってはいないが、仮りに
球団がいらないと言うなら去るしかない」と全面否定はしなかった。問題解決の為に江夏と直接会って話さないのかと
記者に問われた古葉監督は「何も言っていないという人間に会う必要があるのか。言ってもいない事を書かれたのなら
本人がハッキリと(報道陣の)皆さんの前で否定するべきだ。それを見て判断します」と突き放した。
広島が江夏を放出する。救援投手を求める球団は色めき立ち、特に日ハムは早々にラブコールを
送った。「ここぞという時に信頼できる抑え投手が一人いてくれたら、幾つ勝ちゲームを拾えたか」
「小物はいらん。あくまで大物狙いでいく」 そんな矢先に舞い込んで来たのが江夏の放出情報で
大沢監督・小島担当重役は間髪入れず獲得を宣言しました。ただし、江夏獲得を考えていたのは
日ハムだけではありませんでした。西武は大田卓司外野手、ヤクルトは井原慎一朗・西井哲夫の
両中継ぎ投手を交換要員に交渉を進めていました。出遅れた日ハムは大沢監督自ら広島へ単身
乗り込み、広島・松田オーナーと古葉監督の2人相手に直談判しました。松田オーナーの自宅で
交渉が始まり、セ・リーグへは出したくない広島は日ハムとのトレードをその場で決定しました。
「江夏君は日ハムへ預けたい。その代わり高橋直樹投手をウチに譲ってください」と古葉監督が
切り出しました。江夏は欲しい、しかし高橋直は出せない・・大沢監督は決断できずにいた。実は
数週間前、高橋に“優勝するために投手陣のリーダーになって引っ張ってくれ”と大社オーナーの
自宅で5、6時間も話をしたばかりだった。オーナーは高橋夫妻の仲人もしていて可愛がっていた。
「他の選手なら誰でも譲る。ナオだけは勘弁してくれ」 と懇願したが、松田オーナーも古葉監督も
高橋以外はダメだと引かなかった。
すでに日付は変わっていた。悩みぬいた挙句、大沢監督は独断で高橋放出を決めた。「ストッパーが
いれば今の戦力なら優勝できる。江夏以上の抑えは今の球界にいない。高橋は惜しいし約束を破る
ことになるが二度と悔しい思いはしたくない」こうして球団間の話はつき、後は本人に通告するだけと
なった段階でマスコミに漏れてしまった。あくまでも新聞辞令だが、高橋直と交換トレードが成立との
記事に江夏が噛み付いた。江夏の言い分は 「自分は金銭トレードで広島へ来たから今回も金銭で
トレードして欲しい。自分の我が儘で移籍させられる相手が気の毒だ」と。この発言に広島がキレた。
「トレードに選手の意思は反映されない、あくまでも球団間の事務的手続きに過ぎない」と応酬。再び
江夏と球団は対立しトレード話は中座、進展のないまま越年し長引いている間に一方の高橋投手も
日ハムと揉めだしたのでした。 ・・・つづく
古葉さんは江夏をトレードした理由に若返りと表向きはなってますが本当は相性がよくなかったからだと思いますがどうですか?というのも大沢さんに江夏君を預けてくれますか?と打診したみたいですから。