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高校時代の江川と松坂はどちらが上?と聞かれたら、凄みなら江川・力量なら松坂と答えます。
もし同時期に存在していたら松坂の方が上だと思います。江川の「凄み」とは打者との相対的な
力の差が圧倒的だったという事ですが当時の打撃練習は同じ高校生が投げる球を打つくらいで
ピッチングマシーン相手の練習で打撃技術が上達した頃だったら、A級の投手である事には違い
無いが"怪物"ではなかったと思います。
'70年代の高校生は甲子園出場校レベルでもプロとの力量差は大きく、高卒プロ入りしていきなり
一軍はもちろん、清原・松坂・マー君らのように主軸になる事は皆無でした。それは高校生自身も
自覚していたようでドラフトで指名されてもプロ入り拒否した選手が多数いました。
'76年のドラフトの目玉は投手は酒井(長崎海星)、打者は原(東海大相模)でしたが、全指名71人中
高校生は40人 そのうち13人が拒否しました。特に大洋は指名した6人のうち5人が高校生でしたが
4人に拒否されました。
もし同時期に存在していたら松坂の方が上だと思います。江川の「凄み」とは打者との相対的な
力の差が圧倒的だったという事ですが当時の打撃練習は同じ高校生が投げる球を打つくらいで
ピッチングマシーン相手の練習で打撃技術が上達した頃だったら、A級の投手である事には違い
無いが"怪物"ではなかったと思います。
'70年代の高校生は甲子園出場校レベルでもプロとの力量差は大きく、高卒プロ入りしていきなり
一軍はもちろん、清原・松坂・マー君らのように主軸になる事は皆無でした。それは高校生自身も
自覚していたようでドラフトで指名されてもプロ入り拒否した選手が多数いました。
'76年のドラフトの目玉は投手は酒井(長崎海星)、打者は原(東海大相模)でしたが、全指名71人中
高校生は40人 そのうち13人が拒否しました。特に大洋は指名した6人のうち5人が高校生でしたが
4人に拒否されました。
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