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買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 796 ライオンズバッテリー ②

2023年06月14日 | 1977 年 



繰り上げ1位のシンデレラボーイ
永射投手とは対照的なのがプロ同期生の若菜嘉晴選手。昭和28年12月5日生まれで永射投手より2ヶ月ほど「弟」だ。だが身体は弟の方が大きく、180㌢・78㌔とガッシリしている。永射投手とバッテリーを組んだ時は若菜選手が声をかける為にマウンドに駆け寄ると、オスよりメスの方が大きい " ノミの夫婦 " の如くユーモラスな光景を見せてくれる。若菜選手は福岡県というより広く西日本地区で高校野球の強豪校と知られる柳川商の出身で高校時代から大型捕手として注目され、島根・浜田商の梨田選手(現近鉄)と並ぶスラッガー捕手の呼び声が高かった。

昭和47年に当時の西鉄にドラフト4位指名で入団した。指名順位は4位なのだがこの年はドラフト会議前に西鉄球団が身売り騒動を起こし、1位指名の吉田好伸投手(丸善石油)以下、3位指名選手までの3人が相次いで入団を拒否した為に実質トップ入団だった若菜選手が「俺は繰り上げ1位指名だと」と事あるごとに強調して面白がっている。入団時から梨田選手へのライバル意識は相当なもので「彼にだけは負けたくない」とうわ言のように言い続けた。そんな梨田選手より一足先にオールスター戦出場を果たす。プロ入り後は目立たなかった若菜選手だけに「俺はシンデレラだ」と悦に入るのも無理はない。

それもそのはず、若菜選手が一軍の試合に出たのはプロ3年目でたった6試合。そのうち3試合は代走での出場だった。4年目の昭和50年は12試合で2年間の通算成績は9打数0安打。ようやく本業の捕手らしい使われ方をされ始めたのが昨年からだった。それでも西沢・楠城捕手らの半分程度の39試合で71打数17安打・打率 239 。過去5年間は二軍暮らしが殆どの選手だった。その二軍でも一塁手で起用されたり代打で出たりの選手だった。そんな若菜選手が一軍で起用されたのは正捕手だった西沢選手が肝炎を患い戦線離脱した為だった。鬼頭監督は若菜選手の強肩に目をつけ、打つ方には期待せず開幕から起用した。


2シーズン制でも新人は育つ好例
スタメン初出場の4月3日の対日ハム2回戦(平和台)で高橋一投手からチーム初勝利をもたらす逆転満塁本塁打を放った。これだけならフロックと言えた。事実、その後の4月いっぱいは低打率にあえぎ、盗塁阻止の強肩ぶりだけが目立った。打てない日々が続き、そろそろ鬼頭監督の我慢も限界が近づいた4月30日の阪急戦(西宮)で永本投手から再び満塁本塁打を放ち、周囲にも若菜選手の実力とツキを認めさせ正捕手の座を守ることが出来た。そして5月末に右足首ねん挫で休んだ2週間を除いて試合に出続けた。強肩だけが取り柄のように言われるが大柄で投手には目標が大きく感じ投げやすく、またサインを出すタイミングが良く投手との呼吸もピッタリだ。

永射投手、若菜選手の躍進で考えさせられるのが若手選手の育成とチームの勝利の両立が2シーズン制では難しいという問題。短期決戦では計算しやすいベテラン選手が重宝される。2人を育てた鬼頭監督も昨季は自らのクビをかけ、3期連続最下位の汚名を背負う覚悟で勝利より育成を選んだ。パ・リーグのホームランダービーを独走するリー選手(ロッテ)は永射投手を「あんな投手は見たことがない。打てる気がしないというのが本音」とお手上げ状態だ。盗塁王の福本選手(阪急)は「永射投手はタイミングを外すのが抜群に上手く打ちづらい。運よく出塁できても若菜選手の強肩から盗塁を成功させるのも困難。厄介なバッテリーですよ」と嘆く。

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