行き先を告げず姿消す
実はインタビューを予定していた日には永射投手に会えなかった。彼は宿泊先のホテルのフロントに「すみません、インタビューは明日に変更してください」と私へのメッセージを託して独りで大阪の夜の街に出掛けてしまったのだ。その日(7月31日)は日生球場の近鉄戦に永射投手は先発登板した。序盤からクラウン打線が爆発し7点リードしていたが、3回裏に羽田選手に3ラン本塁打を打たれたところで降板させられた。よほどショックだったのか誰にも行き先を告げず消えてしまった。「彼を許してやってください。悔しさと情けなさで自分が嫌になったんだと思います」と同僚の古賀投手が永射投手に代わって頭を下げた。
私も辛くなってきた。永射投手に会えないのは残念だったが、それより3ラン本塁打を浴びて降板させられ宿舎に帰るなり姿を消した気持ちがひしひしと伝わり気の毒な思いだった。翌日の昼に私は再びホテルを訪ねた。彼のショックはまだ癒えていないはずと思い、私は昨夜の件は口にしないと心に決めていた。顔を合わせるなり永射投手は「昨夜は申し訳ありませんでした」と謝罪した。「曽根崎のスナックで夜中の2時過ぎまで飲んでました」と話す永射投手の表情は意外にもスッキリしていた。いかにも若者らしく爽やかさと生気を取り戻していた永射投手に私はホッとした。
強く印象に残る1勝目
プロ入りは5年前。指宿商からカープに入団した。1年目は1試合に登板し0勝0敗。2年目は20試合に登板したが0勝0敗と結果が出ず、当時の別当監督(現大洋監督)は「今のままじゃ通用しないので投球フォームをサイドスローで投げてみろ」と命じた。左腕でサイドスローは珍しく、小柄な体格のハンデを克服しプロの世界で生き残るにはそれしかないとフォーム改造を決めた。「サイドに変えてみたらコントロールが良くなった。力まずに八分の力で投げても球のキレが良くなりました」と本人も手応えを感じた。だが現実は甘くなく、2年目のオフに太平洋クラブへトレードされたが移籍後も勝ち星をあげることは出来なかった。
やっと勝てたのは昨シーズンの藤井寺球場での近鉄戦で既にプロ入り5年が経っていた。「九州の両親に電話をしました。『よかったな』とうめくように言ってくれた親父の一言を今でも憶えている」と浅黒い顔に思わず笑みが滲み出た。父親は鹿児島県の大浦町で果樹園を経営している。スポーツ一家で父親も2人の兄もマラソンが得意だ。「実は僕もマラソンが得意で高校時代は県大会の駅伝に出たことがあるんです」と。そう言われてみると 身長171cm・体重76kgと小柄な体格の割に足腰と胸板の発達が目につく。そこに強靭なバイタリティが秘められているように思える。
念願を球宴で果たす
今シーズンの永射投手は既に8勝をあげ優勝候補の阪急を抑えて首位に躍り出たクラウン投手陣の貴重な支柱となっている。その左腕はオールスター戦で3連投し、全セが誇る王・張本選手のOH砲をピシャリと封じた。「第1戦で王さんをファーストゴロ、張本さんはセンターフライに抑えた。2戦目は2人から三振を奪い、3戦目はセカンドゴロと四球だった。3連投は批判もあったけど僕は大満足です」と過去5年の苦渋から一気に解放されたかのような活躍だった。「広島時代にワンポイントリリーフで王さんと対戦したんですけど打席の王さんと目が合った瞬間に体がすくんでしまった。まさに雲の上の存在なんです」と当時を振り返った。
その時の登板を含めて王選手に2本の本塁打を許した。「自分の力の無さを思い知らされました。でもいつか絶対にそのお返しはしたいと心に秘め続けてきました。その念願がオールスター戦の舞台で果たすことが出来て嬉しかったです」と感慨深げに話す。子供の頃に西鉄ライオンズに憧れプロ野球選手を目指した少年は、その夢を実現させ栄光のスターダムへの道を力強く歩み出している。インタビューを終えると近くにいた年輩の紳士が「クラウンの永射投手ですよね。頑張って下さい応援しています」と言うと「ハイ、ありがとうございます」と応じる永射投手を見て夢が叶ってよかったなぁと感激した。23歳の若者の将来は無限に広がっている。
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