Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#44 深夜のトレード劇

2009年07月06日 | 1978 年 
阪神・西武の両球団間で展開された今季最大のトレードが、やっと終結を見ようとしている。11月17日 梅田の「ホテル阪神」で
田淵が西武・根本監督と会い、移籍を了承。1ヶ月以上に渡って燻り続けていた田淵のトレード問題は決着しました。


両球団間で田淵のトレード話が表面化したのは11月15日。それは西武が江川獲得を断念した日と
合致、江川に代わる新球団の目玉として田淵が浮上しました。15日午後3時、阪神電鉄本社3階の
役員室に小津球団社長・岡崎球団代表・西山二軍監督・小林チーフスカウト、西武側からは全権を
託された根本監督の計5人が集まり、交換選手の検討・調整が行なわれました。西武が指名したのは
田淵と古沢これに対し阪神は若菜・真弓は絶対条件でプラス 竹之内・大田・竹田・倉持の中から数人
という交渉が行なわれていました。

交渉は延々と続き、午後9時半 いったん休憩。場所を「ホテル阪神」に移し、泊まり込んででも、という
異例のヒザ詰め交渉でした。交渉がまとまったのが深夜1時過ぎ、このトレード話を一気に決着させたい
阪神は田淵に対するトレード通告を深夜1時半にし、ホテルへ呼び出したのでした。ちなみに もう一人の
古沢への通告は翌日に行なわれました。球団からの呼び出しに田淵は「なんて非常識な。こんな時間に
来いとは正気の沙汰じゃない、オレは行かないよ」とヘソを曲げたが説得されて渋々やって来ました。


Q トレード通告だったのか?
A 「西武へ行けと言われた。こんな時間に呼び出しておいて西武へ行けとは何だ、人をバカにしている。これが10年間 阪神で
   やってきた者に対する仕打ちなのか、情けないよ・・・」
Q どう答えたのか?
A 「どうもこうもあるか、考えさせてもらうと言って出てきた。1ヶ月も晒し者にされたし、言いたい事が山ほどある」
Q これからどうするのか?
A 「わからない、どっちみち阪神には残れない。西武へ行くか引退するかだ。阪神はフロントがこんなだから強くならないんだ、
   犠牲はオレだけで充分。納得がいかなければ辞めたって・・・」


ところで、一方の西武も揺れていました。このトレードの10日ほど前、秋季キャンプで練習する若手に対し
「君達はトレード要員ではない、だから腰を据えて基本からやり直せ」と訓示したばかりでした。その舌の
根も乾かぬうちに期待の若手野手の真弓と若菜、貴重な左腕・竹田、ベテラン・竹之内の主力4人を放出
しました。また、それ以前にも新生ライオンズは若手に切り替える方針を採っていましたが、逆行するかの
ようにロッテを解雇された野村捕手を獲得するなど迷走していました。福岡のイメージを払拭する為に次々と
選手を切っているのだろう、東尾や土井もいずれ追い出されるのではないかと言われていました。

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