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#206 電撃引退の真相

2012年02月15日 | 1981 年 


巨人・王助監督が前年10月の引退について、自著『回想』の中で赤裸々に語っています。


「私が現役引退を決意したのは長嶋さんが監督を辞めたからではない。世の中には私が長嶋さんに殉じ引退したと言う説を信じている人もいるようだが、私の決意はそんな衝動的なものではなかった」 ・・・

8月14日の中日戦で中畑や篠塚が戸田投手の直球をベンチ内で「全然スピードが無い」と喋っていたのを聞いた王にはとてつもなく速く見えたそうで、その時初めて「引退」の文字がにわかに鮮明になったそうだ。以後、引退と否定を繰り返す毎日を過ごすようになったが最終的に引退を決意して10月15日 球団幹部に「全日程が終了する10月20日の翌日に引退を発表する」と伝えた。そう「10月20日の翌日」は長嶋監督の辞任が発表された日だ。ところがシナリオは翌16日の正力オーナーからの電話で大きく変わってしまった。

「長嶋君は辞める事になる。引退はせずに選手兼助監督として残って欲しい」 とオーナーの口から監督辞任を知らされた。「引退をしたら野球の事はしばらく忘れて1~2年はノンビリしたい。飽きるほど釣りやゴルフを思う存分して余暇を満喫したい」との願いが次々に瓦解していく現実と向き合う事となる。18日、読売新聞・務台社長に呼ばれ説得されるが決意は変わらない。広島での最終戦を終え帰京した20日に恭子夫人に引退すると打ち明け、これまでの感謝を込めて食事を共にし「目黒に改築中の家の完成後は家族水入らずの生活を楽しもう」と改めて引退の意思を固めた。食事を終えて仮住まい中のマンションへ帰宅すると「明日、長嶋監督の辞任会見が行なわれる」と球団幹部から電話が入る。「しばらく茫然としていた。先を越された俺はどうすればいいんだ。俺は8月から悩みに悩んで引退という結論を出したのに…」

長嶋監督の辞任会見を受けてのコメントを求めるマスコミに対して「残された我々は前向きに考えると言う他ありません。私自身について言えば来年は勝負の年で、現役一本で行きたいと思います」と発言した。「嘘をつく事に後ろめたさはあったが、その時点ではああ言うしかなかった」辞任騒ぎが収まるのを待って引退発表をするつもりでいたが一向に沈静化せず逆に拡大化しつつあった。そうこうしているうちに長嶋が辞めるのだから王も辞めるべきだとの声が起こり始めたが王は沈黙を続け発表のタイミングを図っていた。それは間もなく始まる日本シリーズに水を差したくないという王なりの配慮だった。

「決して他人に迷惑をかけるな、人の役に立つ事は進んででもやれ」が父・仕福さんの口癖だった。徐々に「首脳陣が大幅に変わって選手と新しい首脳陣たちとのパイプ役を務める人間が必要になる。自分こそが適任なのではないか、しばらく野球と離れて巨人に恩返しをするのは先の事と考えていたが、今がその時なのではないかと思うようになった」父の「人の役に立つ事…」の言葉を改めて思い出し、自分の我が儘で引退する事で迷惑をかける巨人を手助けする為に助監督の就任要請を受けたのだった。




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