開幕絶望の淵から見事蘇ったサブマリンに拍手!
4月6日、西宮球場での開幕カードの南海戦でこれぞ山田投手という所をその右腕で実証してみせた。この日から遡ること70日余りの1月30日、アンダースロー投手には致命傷ともいえる左膝半月板損傷の診断を下された。翌日のスポーツ紙には『山田開幕絶望』『選手生命の危機』の見出しが躍った。ところがどうだ。ミスターサブマリンは見事に蘇った。南海打線を6回まで2安打零封。7回表の守備でナイマン選手の投ゴロを処理する際にマウンドの窪みに足を取られて転倒し左膝を痛めてしまい無念の降板となってしまったが、継投した山沖投手が好投しチームに開幕戦白星をもたらした。まさにエース・山田ここにありの存在感だった。
強烈な痛みが残っていたに違いないのに試合後の山田は「お粗末な守備でお恥ずかしい限り」と途中降板を恥じた。更に「投手は一人で投げ切るもの。チームに迷惑をかけた」と持論を展開し、いかにもエースらしいコメントを残した。ひと口に70日といっても紆余曲折があった。医師は完治を早め、4月の開幕に間に合わせるには手術を勧めたが山田は固辞。春季キャンプ迄は注射治療と水泳トレーニングで筋肉強化に努めてキャンプイン。しかし痛みが再発し入院、リハビリトレーニングを余儀なくされた。「あの頃は本当にもうダメかと諦めかけたこともあった(山田)」と。上田監督も一時は球宴明けの復帰を覚悟し、今季前半戦は山田不在の先発ローテーションに頭を悩ませていた。
どん底から奇跡の復活を4月6日の開幕戦で見せてくれた。一時は山田に代わって開幕投手候補の一人だった今井投手は「最悪の場合は自分が開幕戦に投げなければと覚悟してました。でも山田さんのことだから調整して必ず開幕に間に合うと思ってました。いつもそうなんですよ、何があっても必ず自分の仕事はキッチリやる人ですから山田さんは」と胸中を明かした。開幕には間に合ったが今季は1年を通して膝痛との戦いが続いた。気持ちでカバーするのも限界がある。何度もリタイアしそうになったが終わってみれば18勝10敗、7月10日のロッテ戦で完投勝利し史上9人目の通算250勝を達成した。今オフは膝痛の完治に向けて入院治療に専念している。
イザという時、ダンゼン頼りになる " つのひろし "
7勝10敗・防御率4.42(14位)は若きエースと期待された本人としては不本意な成績だろうが開幕投手に抜擢され勝利したり、チームの連敗を「8」で止めるなど印象度はナンバーワンだ。4月6日、川崎球場でのロッテとの今季開幕戦で先発した津野投手はプロ2年目の19歳。大方の予想では昨季チーム最多の8勝した田中富投手だった。だが高田新監督は昨季最下位という屈辱を晴らす為に文字通り新たなスタートを若き津野に託したのだ。津野はその期待に見事に応え、坂巻投手の救援を仰いだものの6回2/3 を6安打・2失点に抑えて昭和42年の鈴木啓投手(近鉄)以来18年ぶりの10代での開幕戦勝利投手という偉業を成し遂げた。
「開幕試合と日本シリーズで投げるのが夢でしたから嬉しいどころじゃないですよ。もう最高です!」とハンサムな童顔に涙さえ浮かべて喜びを爆発させた。実は開幕の3日前から重圧で神経性胃炎を発症して注射と投薬を続けていたのだ。津野の奮闘で開幕戦勝利を挙げたがチームは9日の西武戦から19日の近鉄戦まで悪夢の8連敗を喫した。3連敗くらいまでは高田監督も悠然と構えていたが6連敗あたりから「とにかく元気よく声を出して…やるしかない(高田監督)」と同じ話を呪文のように繰り返すのみだった。その連敗を止めたのも津野だった。4月21日の近鉄戦(後楽園)で若きエースは7安打を許したものの1失点で完投勝利してチームを連敗地獄から救った。
「やるしかなかったですからね。たとえ打たれて走者を出しても点を与えなければいいと考えてました。とにかく気持ちで負けないようにと」。この8連敗を止めた完投勝利は今季初の監督賞(金10万円也)となった。選手・監督・スタッフは勿論、日ハム担当記者までもが喜んだ勝利だった。今季5位に沈んだ日ハムにとって開幕戦とこの連敗を止めた試合の勝利の印象が最も強烈だった。また津野は私生活でも目立った。新車のソアラ2000GT(300万円)を購入したり、刈り上げヘアに最新のファッションで身を包んだりと地味な選手が多い日ハムに入団2年目にして多大な影響を与えている。
サインプレーはお手の物。 " ワザ師 " 湯上谷
レギュラークラスが目立った活躍を見せることが出来なかったのも今季南海が低迷した一つの原因。そんなチームに彗星の如く現れたのがルーキー・湯上谷選手。高卒プロ1年目ながらシーズン後半戦に一軍に昇格するとメキメキと実力を発揮した。一軍昇格は8月20日、実はその前日に湯上谷は二軍の中モズ球場で倒れていた。「イヤというほど練習してフラフラだったんです。それでもコーチからティーを叩いておけ、と言われて室内でやっていたら途中で手足が動かなくなってしまって…」と脱水症状で倒れてしまったが、幸い症状は1日で回復し予定通り一軍に昇格した。昇格後はバスター、エンドラン、スクイズなど新人とは思えぬプレーを無難にこなした。
37試合・打率.262 (122打数32安打) ・1本塁打・6盗塁など高卒1年目として充分な結果を残した。この活躍に球団は12月6日に契約更改交渉で73%アップの五百二十万円を提示したが本人は「六百万円は欲しい」と渋い表情。だがペナントレースの1/4しか出場できていないからと「大幅アップは来年のお楽しみ(湯上谷)」とあっさりサインした。「来年は開幕からショートのレギュラーを獲ってフル出場します。来年は言いたいことを言わせてもらいますよ」と不敵な笑顔に球団側も苦笑い。二軍で盗塁王(33個)になった俊足を生かしてスイッチヒッターをマスターすべく秋季練習では猛練習に励み、「ある程度の手応えは掴みました。来季は足でも目立っていきたい」と意気込みを語る。
だが慢心は禁物。先輩の中尾選手は苦言を呈した。中尾は広島に在籍していた頃、高橋慶選手がスイッチヒッターを特訓していた当時の苦労を目の当たりにしていて、「湯上谷は本当に良い選手。それは認める。器用さやセンスは慶彦より上かもしれない。でもそれに胡坐をかいていたらダメ。レギュラーになると相手投手もそれなりの投球をしてくる。今年は1年生で他チームもお客さん扱いだった。でも来年からは厳しくインコースを攻められるだろう。それをどう克服するか。今の湯上谷は少し物足りなさを感じます。慶彦は血の滲むような練習をしてましたから(中尾)」と。夏場の練習で倒れたのもまだまだ本当の体力がついていない証拠だろう。先輩の心配が杞憂で終わるよう練習に励んで欲しい。
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