当時は社会問題化するほどの大騒ぎでしたが 「6年間で2度のリーグ優勝・日本一は無し」
優勝を逃した4年は最下位・2位・5位・3位ですから解任は理不尽ではないでしょう。 特に
「常勝を義務付けられている(笑)」巨人なら尚更。1993年からの第二次就任時は多少マシに
なりましたが、FA制度を使って補強しまくりの優勝ですから大した価値は有りません。
いち早く報じた10月21日付 スポニチの見出しは『解任』、日刊スポーツは『辞表』、そして巨人の機関紙・報知は来季の開幕権を
得た事だけ報じていた。長嶋本人が 「讀賣上層部で長嶋をクビにし新しい監督を連れて来ることを決めた」 との情報を知ったのは
10月15日の夜半だったと言われている。その前日夜に長嶋は正力オーナーに会って「来季こそ…」と情熱を込めて自分の構想を
披瀝している。その時すでに球団を遥かに超えた讀賣グループ上層部で長嶋更迭を進めていた事を知って長嶋は大きなショックを
受けた。後に分かった事だが、その時点で既に藤田新監督は「内示」を受けていたのだ。
夏頃から流れていた更迭説は長嶋擁護派の巻き返しで一旦は消えたと思われたが、球団レベルを超える更迭派が留任をアッサリ
蹴散らした。この解任劇が完璧かつ、隠密裡に進められた証拠が鈴木セ・リーグ会長の発言である。巨人だけではなく球界内の
事案処理に長けて各球団の内情を誰よりも熟知していた筈の鈴木会長でさえ、スポーツ紙が解任を報じた10月21日午前11時に
リーグ事務所に顔を出した際つめかけた報道陣に「長嶋クンは辞めないよ、先日も讀賣の務台社長に話したんだ。"今の戦力じゃ
優勝は無理だよ、開幕権が取れれば御の字" とね。務台さんだって分かってくれてる筈、だから…」藤田氏がNHKに辞表を出した
との情報が入っても「藤田クンはヘッドコーチだよ」と留任説を引っ込めない。あまりの自信たっぷりの言葉に記者たちも 「会長が
言うのなら」と帰って行った。
その時の様子を鈴木会長が手記として回顧しています
長嶋君の退団は私にとって全く予想外の出来事だった。8月下旬、巨人は5位から4位に上がるかどうかというところであった。
パ・リーグの日ハムが後楽園で開幕するのも良いが、後楽園は大正力の時代から深いかかわりがある。その後楽園で巨人は
このところ開幕権を失っていて、3位になって開幕権を得れば大成功だと思っていたのである。優勝した広島を表彰する為に
18日は広島に滞在しセレモニー後も広島に留まり巨人戦を見物した。19日・20日の2試合とも巨人が勝ち3位が確定したのを
見届け帰路についた。同じ飛行機に搭乗した長谷川代表に「後楽園で開幕出来る、これで正力君も安心しただろう」と告げると
長谷川君も喜んでいる風だったので長嶋続投を信じて疑わなかった。一夜明けた21日、一部のスポーツ紙が「辞表を叩きつける」
「解任」と書き立てたが、その紙面は急に書いたものではなく、あらかじめ用意された予定稿に感じられたのでトバシだなと思った。
事実、長嶋君は「オーナーに報告してからですが来季もやりますよ」と言っていたのだ。辞任すると分かったのは記者会見が始まる
直前に、巨人の球団関係者から「秘密にして申し訳なかった・・」と連絡が入った時だね。実は長嶋君自身も自分がどうなるのか
分かってなかったそうだ。21日朝からマスコミにマークされ自宅から出られなくなり球団からの連絡を待ち続けたが「とりあえず
大手町の讀賣新聞社本社に来い」と言われ行くと解任を告げられた。あの記者会見の10分前だったそうだ。巨人にも色々と都合も
あるだろうが日本プロ野球最大の功労者に対して遇する道を誤ったと言えるのではないか。テレビに映る長嶋君の自分を抑え、
言葉を探して喋っているのを見た時、不覚にも涙が出たよ。
また今回の解任決定は正力オーナーの不在を狙ったクーデターとの見方がある。オーナーは
時には苦言を呈する川上前監督と違い、長嶋が可愛くて仕方ない。そのオーナーが長嶋監督を
切ることに賛成しないのは明らかだった。そこで8月に讀賣新聞社・社主として渡米中の留守を
ついて務台社長ら解任派が決起したというのだ。未だに正力オーナーは長嶋に球団常務取締役
就任を要請するなど未練タラタラだが讀賣新聞は「巨人を辞めた人間を特別扱いするのは…」と
既に「過去の人」扱いだった。こうした巨人の仕打ちに対して長嶋は記者会見でも「解任」との
表現は使わず、あくまで自らの意思で身を引いた「辞任」であるとの主張を貫いた。
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