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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 374 連続本塁打王へ

2015年05月13日 | 1983 年 



少々話は古くなるがオールスター戦中の事、全セ軍のベンチで掛布が山本浩の傍にそっと近づき「随分と飛ばしてますね。あんまり走られると追いつけませんよ。第一、独走したらファンも白けますよ」とニタニタしながら話しかけた。勿論、山本浩のホームランダービー独走の件だ。山本浩は「バカ言うな、年寄りは先を走らんと若い連中に直ぐに追い抜かれるんじゃ」と返した。その予言通り原が量産体制に入り掛布もピッチを上げ始めるのと対照的に山本浩のペースがダウンし始めた。「チャンス到来だ」と昨季の本塁打王の掛布に火が点いた。9月13日時点で掛布は3本差の28号で「この差なら射程圏内」と自信を見せる。しかし夏場を迎える前の掛布は正直言ってタイトルどころの話ではなかった。

5月に原因不明(後に疲労が原因の帯状疱疹と判明)の胸の痛みのせいでフルスイングが出来ない状態だった。それが癒えると今度は腰痛に見舞われた。軽度だった為、大事には至らなかったが「とてもまともに野球が出来る状態ではなかった」と猿木トレーナーは振り返る。更に一部スポーツ紙に視力が急激に低下していると報じられたがこれは全くの誤報だったが本人のイライラは頂点に達した。「ちょっと成績が上昇するとマスコミの皆さんはピタッと話題にしなくなって…」と掛布は皮肉まじりに笑う。体調の話題が一段落して鎮静化すると今度は一塁へのコンバート話で周辺が騒がしくなる。「そうなんスよ。最近は打撃の話はそっちのけでコンバートの話ばかりで」と苦笑する。

そもそもコンバート話が起こったのは右足の大腿二頭筋部分断裂の大怪我を負い2ヶ月も戦列を離れていた岡田の復帰が近づいてきたからだ。怪我がほぼ完治した岡田は即一軍昇格を希望したが慎重の上にも慎重をを期す、との安藤監督の判断により先ずは9月13日の二軍戦で実戦復帰を果たした。ポジションは横の動きの範囲が大きく足に負担がかかる二塁ではなく三塁を守る事となったがこれが波紋を呼ぶ事となる。実は安藤監督は一軍復帰後の岡田を一塁に起用する考えだったので当初は一塁を守る予定だった。だが岡田本人が不馴れな一塁守備ではなく大学時代から馴れ親しんだ三塁を希望した為に三塁を守った。岡田が三塁を希望した事に深い意味は無く、単に馴れない一塁守備で怪我が再発するのを防ぎたかっただけだった。

いくら安藤監督が岡田を一塁で起用するつもりだ、と声高に叫んでも一塁にはバースや藤田がいる。じゃあ外野か?と言っても岡田は新人の時に失格の烙印を押されているから無理。当然、動きの多い遊撃や二塁も有り得ない。となると残されたポジションは三塁しかない。しかし三塁には掛布がいる。さぁどうする?トラ番記者は大騒ぎとなった。記者が向かったのは岡田ではなく掛布の所だった。「三塁を岡田に明け渡すのか?」掛布に対する質問はこの一点だけ。掛布は「チームにとって一番良い方策に従う」と心の奥底を見せず大人の対応に終始する。しかしそれが本心だとは誰も思っていない。長嶋さんに憧れて始めた野球だから三塁で、という本音を掛布はこう表現する・・「僕の夢は生涯一ポジションなんです」

そんな周囲の喧騒に今の掛布は無関心だ。寝ても覚めても生まれたばかりの息子(啓悟ちゃん)にデレデレなのだ。掛布は常々「俺はね外出先から家に電話をするのが好きじゃないんだ。女房を無視している訳ではないけど男が一歩外へ出たら家の事は考えないようにしている」と語っていたのだが息子の誕生で一変する。遠征先のホテルからの電話代がめっきり増えた。「朝と晩、多い時は宿舎を出る昼前にも。ええ、私には何の用事もないのに『ちょっと啓悟の声を聞かせて』と電話を掛けてくるんです」と安紀子夫人は笑う。結婚5年目にして待望の2世誕生だけに元々の子供好きに拍車をかけた溺愛ぶりなのだ。「まだ『ア~』とか『ウ~』としか喋らないけど声を聞くだけで活力が沸いてきます」「息子が大きくなって甲子園に応援しに来られるくらいまで現役を続けたい」と周囲にしみじみと話しているという。連続本塁打王への起爆剤は山本浩より息子の存在なのかもしれない。

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