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#242 監督交代 ・ 阪神編

2012年10月31日 | 1981 年 


「私の与り知らない話が次から次へと飛び交い迷惑している」 小津球団社長が半ば呆れ顔でぼやくのも無理もない。9月初旬に在阪スポーツ紙が中西監督の進退を「辞任」と「留任」の二手に分かれて報道合戦を開始して以来、広岡・野村・西本・吉田・村山・安藤など「次期監督候補」の名前が出るわ出るわ・・肝心の中西監督自身は未だ自らの進退について明言していないのに。確かに中西監督は態度表明してはいないが周辺を取材した記者によると家族には「今年で身を引く」と伝えているらしい。東京・渋谷区に住む家族は去年の段階で退団を薦めていたが本人の希望を尊重して今年も監督をする事を認めた。しかし一連の球団内でのゴタゴタに嫌気がさして今度こそ「帰って来て欲しい」と懇願し本人も了承したとの事。

後任は誰なのか?小津球団社長の本命は広岡氏である。そもそも一連の阪神の監督を巡る騒動の根源は昭和53年オフの広岡氏招聘失敗にあると見ている関係者は多い。この年は広岡氏がヤクルトを率いて日本一になったのだが、選手の食生活改善にまで着手した広岡氏がベンチ内の飲料水をヤクルト製の乳酸飲料から豆乳に変更した事に松園オーナーが激怒し対立した広岡氏は退団を決意していた。その情報をキャッチした小津社長がシーズン中にもかかわらず「阪神を立て直して欲しい」と監督就任要請をしたのだ。広岡氏は「辞める翌年に同じリーグに行くのは・・・」と渋っていたが小津社長の熱意に折れて要請を受諾した。「俺について来たい者は一緒に来い。同一リーグは…と思う者はヤクルトに残って構わない。君らの生活に関る事だから充分に考えて結論を出して欲しい」と広岡氏は当時のヤクルトのコーチ達に告げた。

小津社長は広岡氏の何を評価しているのか。「広岡氏の厳しさと管理野球を阪神に注入して欲しい。彼なら巨人に対抗できるチームを作り上げる事が出来る」それが小津社長の思いだった。選手を叱れない首脳陣の体質が江本ら選手達の造反を引き起こす原因だと考え、戦力補強よりも先ず監督・コーチ陣の改善から始める決断をしたのだった。さっそく広岡氏の意を受けてコーチ陣の組閣を秘密裏に開始したが、この阪神の動きがマスコミに漏れてしまう。ヤクルトが阪急を倒し日本一を達成した翌日のスポーツ紙に『広岡退団、阪神監督就任へ』 とスッパ抜かれてしまった。これで「阪神・広岡監督」構想は泡と消えてしまい球団は急遽、ブレイザー監督に乗り換える事になる。今回の中西監督退団で足掛け4年に渡るラブコールが再燃したのだ。

阪神と広岡氏の交渉は第三者が介在した回数も含めると五度ほど行なわれた。しかし遂に合意には至らなかった。広岡氏が提案した球団改革案は小津社長の想定以上の物で阪神側から交渉打ち切りが告げられた。「広岡君とは縁が無かった」小津社長に残された選択肢は球団OBしか無かった。巷間ウワサになっていた野村氏や西本氏には打診すらしていなかった。「村山か吉田か」しかし阪神電鉄本社筋によると両者とも候補にすら上がらなかったという。「もうスター選手がそのまま監督になる時代じゃない。大リーグでは3Aの選手を育て上げてた監督が彼らを引き連れてメジャーの監督に就くケースが増えている。ウチの二軍にも安藤という適任者がいるではないか」これが本社側の考えだった。安藤二軍監督には村山や吉田のような現役時代の実績は無い。そんな人物に阪神を託して大丈夫か?小津社長は熟慮の末に「安藤はいずれは阪神の監督になる男」であると判断、生え抜き監督の台頭に賭ける事となった。

10月23日午後2時、大阪市梅田のホテル阪神で新監督就任会見が始まった。同席した小津社長は何度も「予定通り」を強調。「阪神電車はいつもダイヤ通りに動いています。阪神の監督人事も今日の会見も予定通りです」と自虐的に話すと報道陣からも苦笑が漏れた。ここ数週間に渡り本命の広岡氏や野村氏・西本氏といったビックネームが世間に氾濫していただけに、地味な安藤二軍監督の会見に集まった報道陣の数は昨年のブレイザー監督を引き継いだ中西監督の就任会見と比べてかなり少なかった。それでも4年ぶりの生え抜き監督、内部昇格となると昭和42年の村山監督以来12年ぶりとなる今回。阪神の本気度は異例の5年契約が物語っている。

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