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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 411 黄金ルーキーの1年後 ②

2016年01月27日 | 1984 年 



野口裕美(西武)…ドラフト1位に指名され期待されて入団しながら全く活躍出来ず「(契約金)6千万円のバッティングピッチャー」と陰口を叩かれた。だが今は違う。「奴はきっとやる」という周囲の期待と共に本人も「俺は必ず出来る」と確信している。目下、所沢での第一次キャンプで汗を流しているが始動は雪降る故郷の米子であった。野口はまだ深い積雪に覆われている小高い丘の中腹にある実家から飛び出し黙々と走り続けた。連日7㌔の道のりを足を取られながら走った。「寒いのは今だけ。メサキャンプになれば半袖ですから」と既に頭の中では2月のキャンプを想定しており自分なりにテーマを持っている。「小林さん、木村さんが移籍したので中継ぎ枠が空いてますから先ずはソコ狙いです」と。自信に満ちた口ぶりは昨年とは別人である。

昨年は周囲の目にビクついた1年だった。東京六大学のエースとしての自信はキャンプイン早々に打ち砕かれた。体にキレがない、下半身がモロくて硬い、投球フォームはバラバラで手投げ…と首脳陣の評価は散々だった。広岡監督には「あれがドラフト1位か」、投内連携練習を見守る森ヘッドコーチには「やる気がないならサッサと帰れ」と一喝された。周りの視線が気になり首脳陣の言動に過敏となり萎縮するようになる。当然、本来の投球スタイルにも影響しダイナミックさを欠くようになり打ち込まれた。二軍に降格した際には悔しさよりも「ホッとした」と安堵感を吐露した程だ。そんな呪縛から解放されたのはシーズン終盤だった。10月半ばに一軍に昇格し近鉄戦に先発し勝ち星こそ付かなかったが好投した。「一軍で投げる事が出来たのは収穫でした。変化球はダメでしたが直球だけでも抑えられたのは自信になりました」と。

メサキャンプでの課題は制球をつける事だと自覚している。直球は勿論、カーブ・スライダー・シュートの精度を上げて思い通りの所へ投げられる事が出来なければ一軍に生き残れない。それさえ出来れば中継ぎはもとより先発陣に食い込むだけの潜在能力はある。今季大きく変わったのは投球フォームである。走り込みの成果で下半身が安定して昨年までのギクシャクしたフォームが流れるようなフォームに修正された。「今のフォームの方がしっくりします。もう大丈夫です」と話す表情からも今季にかける気迫が伝わる。公私共に仲が良いのが同じ左腕の工藤だ。「工藤とは中継ぎのライバル同士だけど気が合ってね。でも負けませんよ歳も上だし」仲のいい二人だが昨季は明暗を分けた。野口が無勝利だったのに対し工藤は2勝(0敗)、年俸も野口が60万円ダウンの540万円、工藤は120万円アップの680万円と逆転した。嘗ての六大学奪三振王は今、灼熱の地で巻き返しを虎視眈々と狙っている。




木戸克彦(阪神)…木戸の目に映るハワイの景色は1年前と変わりないが木戸自身は大いに変わった。「そうですか?2年目で慣れたからでしょうか。去年は気持ちに余裕がなくてアッと言う間に1日が過ぎていきましたから」と宿舎のマウイビーチホテルの中庭の芝生の上で胡坐をかいた木戸は頭をポリポリと掻きながら1年前を振り返る。思えば昨年は苦労続きだった。卒業試験の為に調整が遅れた事に加えて風邪を引いてコンディションは最悪なまま二軍の選手と共に甲子園球場でキャンプインした。「多くの報道陣に見られていると意識して良い所を見せようと余分な力が入り無理をして訳が分からなくなった。混乱したままマウイキャンプに合流したんです」ハワイ入りした後も木戸の不運は続く。某トラ番記者は声を潜めて「千葉経済短大の篠田さんが臨時トレーニングコーチを務めていたけど木戸の体調を無視してシゴキまくり『細くなったろう』とアピールしたが実は過労でやつれただけだった」と体調不良は改善される所か悪化する始末。

マウイキャンプでは夜の素振りに酒に酔った状態で現れて横溝打撃コーチにこっぴどく叱られるなど話題に事欠かなかった。開幕後も5月に腰痛を発症し二軍落ち。静養しても改善せず治療の為に南紀・勝浦温泉病院に通う羽目になるなどプロ1年目にしてすっかり辛酸を舐め尽した木戸だった。期待していた安藤監督も落胆し木戸を推薦したスカウト陣を非難する一幕もあった。「まぁ昨年で5年も6年もの経験をした感じ。落ちる所まで落ちたので後は上昇するだけと前向きに考える」と話す木戸の表情は思いのほか明るい。年明け6日に木戸は勝浦に行ってきた。球団からの指示ではないので費用は全額自己負担。経過観察も兼ねて6泊7日で自主トレを行なった。「10万円ちょっとですかね。苦しんだ頃を忘れないよう自分を鼓舞する為にも勝浦でね」

安藤監督は「今年こそ」と木戸に期待している。笠間を越える正捕手として青写真を描いている。「笠間じゃダメと言う訳ではないが阪神の将来を考えると木戸が出て来てくれないと困る。打力は法大時代に実証済み、2割5~6分は打てるでしょう。後はインサイドワーク。センスもあるので山倉(巨人)クラスの捕手になって欲しい」と。安藤監督は既にオープン戦で木戸の起用が多くなる事を公言しており、その期待に木戸がどう応えるか。「昨年は " 酔虎伝 " などとからかわれましたが今年はもう二度とマスコミの皆さんに話題を提供しないようにします。たとえ、つまらない男と言われても…」と " 笑いのネタ男 " 返上をハワイの青空の下で誓う木戸であった。




榎田健一郎(阪急)…鳴り物入りでプロ入りしてから1年間、榎田の周りには常にマスコミの目が光っていた。しかし今はゴールデンルーキー・野中に注目が集まり、榎田の周辺は静かになった。「野中の人気は凄いですね。僕の時以上で大変でしょうけど。でも負けませんよ、実力で勝たなかったらこの1年が無駄になりますから」と榎田は持ち前の負けん気を露わにする。 " 男はタフでなければ生きていけない " とはレイモンド・チャンドラーの名言だがこの言葉を身をもって体感したのが榎田である。名門PL学園のエースとして甲子園で優勝投手になりドラフト1位指名で入団した。童顔の残る甘いマスクで人気が沸騰し榎田の周りを常に若い女性ファン20~30人が取り囲んでいた。あれから1年、多くの女性ファンは野中の方に殺到。移り気なファンを責めても始まらない。榎田はひとり黙々と汗と泥にまみれている。

「ギャル?いなくなりましたね。何しろ年賀状が昨年の500通が200通に減りましたからね。でも負け惜しみではなくカメラに追われなくなって楽になりました。今は練習に集中出来てます」とすっかり明るくなった。元々陽気な若者だったが昨年は余りに過大な期待に押し潰されそうになり笑顔が減っていた。高校生離れした強靭な肉体をフル回転させて自主トレ、キャンプと目一杯飛ばし、普段は慎重な上田監督を「使えるかも」と思わせる程だった。しかし好調は長くは続かなかった。オープン戦の3戦目の先発に抜擢されたが結果はKO。以降は精彩を欠き、挙げ句には投球フォームを崩し二軍落ち。シーズン終盤に一軍に昇格していよいよ大器が目覚めるか、と期待されたが運悪く腰椎分離症を発症し秋季キャンプまで静養を余儀なくされた。

「まだまだプロでは通用しないと思い知らされた。それが分かっただけでもこの1年は無駄じゃなかった」と前向きに考えられる余裕が出来てきた。勿論、精神面だけではなく下半身に比べて弱い上半身も逞しくなった。腰痛の治療中でもウェートトレーニングを欠かさなかった成果が現れ、昨年の今頃の体重は74㌔と都会のモヤシっ子だったが今は82㌔に増えた。今年もまた自主トレからフル回転するつもりでいる。若手投手たちの先陣を切って早々とブルペン入りし既に全力投球している。「昨年の暮れからノーワインドアップ投法にして動きがスムーズになった。昨年は気持ちばかり先行して身体が付いていかなかったけど今年は違います。体力だけなら一軍ですよ」とキッパリ言い切る顔からは甘さが減り大人へ脱皮しつつある。昨年は逃した開幕一軍を目指して猛ダッシュだ。

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