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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 631 奇妙な三角関係 ➋

2020年04月15日 | 1976 年 



二軍に行くならオレが鍛えてやる
原家ではこの1年間は生涯最大の悩める期間だった。一つ目は父・貢氏の去就であり、二つ目は言わずと知れた原選手の進路だった。貢氏は度重なる大学野球部監督就任要請を断り続けてきた。「原監督は口を開けば、オレは高校野球の監督であり続けたいと言っていた」と担当記者は言う。福岡県の三池工を率いて甲子園全国制覇を成し遂げ、松前総長に乞われて東海大相模高を全国屈指の強豪校に育て上げた。その手腕を松前総長は首都大学リーグで発揮させたいと東海大学野球部の監督就任を要請したのである。恩のある松前総長の要請だけに貢氏も悩んだ。大学には大学を取り巻くOBや組織があり、そこへ単身乗り込んで思い通りの仕事が出来るのか。

悩んだ末に出した結論は監督就任受諾だった。8月下旬の事だった。残る問題は原選手の進路。貢氏は常々「プロへ行くのもいい。しかしプロになるという事は野球で一生の身を立てる事だが現在の辰徳の力では一軍では通用しないだろう。2~3年ファーム暮らしとなればファーム組織と指導力が確立しているチームでなければならない。だとすればプロへ行くなら巨人が最適だと考えている」と話していた。また母・勝代さんは「野球で生活するか別の世界で生きていくのかを18歳で決めなくてもいいと思う。息子には好きな道を進んで欲しいけど、決めるのは大学で判断力を高めてからでも遅くないと思います」と。

では肝心の原選手はどうなのか?本人は終始一貫してプロへ行くなら巨人へという希望を持っている。「子供の頃から長嶋さんのファンで巨人ファン。今年の阪急との日本シリーズも後楽園球場で観戦しました。あの0対7の劣勢からサヨナラ勝ちした第6戦です。あれでまた惚れ直しました」と原選手。だが一時は巨人以外の中日や阪急、大洋、ヤクルトもいいと思っていた時期があった。18歳の野球青年の気持ちをいかにプロ球団側が揺り動かしていたかを物語っている。ただし原選手という青年は父親の立場や生き様をジッと観察もしていた。父親は余り気の進まない大学野球に身を預けるのだ。それが禄をはむ者の信義なのだ、と感じている。

父は気乗りしない大学野球の監督を引き受けると決めたのだ。息子である自分も父と一緒になって今はまだ東京六大学リーグと比べてマイナーな首都大学リーグを繁栄させる為に頑張ろうと決めたのだ。「巨人は大好きです。その巨人が僕を誘ってくれて本当に嬉しいです。でも進学することにしました。4年後に再び求められたら最高だと思います。どうしても来てほしいと言われるような選手になれるように頑張ります」と原選手はキッパリ言い切った。貢氏は「私どもの進路は決まりました。ハッキリ態度を明言してプロ球団の方々に迷惑がかからないようにしました」と原親子の進路を表明した。



原番記者の苦しく長~い一週間
11月19日、ドラフト指名漏れによって生じた " 原騒動 " 。プロ入りを拒否しているにもかかわらず巨人が獲得声明を出すと、負けじと広島も古葉監督が獲得の意思を表明するなど対抗意識をメラメラ。元々が巨人志望だった原選手だけに巨人からのラブコールに拒否宣言との板挟みに。ドラフト会議後の一週間は生涯一の長い時間であったろうが同じく、否それ以上に担当記者にとっても長~~いものだった。翌20日には巨人・淡河コーチ補佐が神奈川県相模原市の原家に長嶋監督の親書を持参した事が明らかになると、スワ一大事とばかり担当記者は殺気立ち、各マスコミは急きょ東海大学周辺を張る記者と原家をマークする記者の分担制を整えた。

「原君は巨人のユニフォームがよく似合う。中日でも阪急でもないんだ。僕の後を継いでもらう選手なんだ。僕は君を待っている」という長嶋監督の " ラブレター " に対して両親共ども感激に浸って「大変名誉なことです」とコメントを発表したが、世間に対して嘘はつけない。11月16日に各マスコミを前にして「どんなことがあってもプロへは行きません。東海大学に進学します」と宣言した手前、長嶋監督のラブコールを原家として受けることは出来ない。巨人からの誘いは嬉しいが前言を翻したら原家の信用も東海大学のメンツも失うことになる。巨人には行きたいが記者会見で発表した以上、それは出来ないという結論を23日に出した。

結論が出るまでの間、記者には上司からの矢のような催促が止まらない。「本当に大学進学なんだな?巨人入りは100%、いや1000%ないんだな!」というしつこい詰問に「そんなに疑うのなら自分で調べろよ」と記者達は辟易としていた。東海大・松前総長も「何故巨人は進路が決まった者を獲得したいんだろうか?誰が来ようがダメものはダメです」と巨人の対応に不快感を表した。25日には松前総長と貢氏が会談し原選手の東海大学進学を再確認して事態の収拾に努めた。だが一方の巨人は相変わらず「何としても欲しい。(12月5日の)総選挙の後に松前氏に会いたい(正力オーナー)」と諦めきれない様子。しばらくは巨人・原家・東海大学を巡る神経戦が続きそうだ。



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