まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

木犀の 幹にアゲハの 昼休み

2016年09月30日 | 昭和レトロのお話なんぞ・・・。

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で曇り、雨の降り出した所があった。気温は20.5度から24.6度、湿度は88%から72%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の10月1日は、前線や湿った空気の影響で曇り、昼前まで雨が降るらしい。

 

 今日もすっきりとしない天候の一日だった。ま、朝の散歩はどうにか濡れずに済ませたのだけれど。

 

 愛用のインクジェットプリンターが壊れてしまったので、amazon.comで注文したプリンターが朝一番で届けられた。昨日の朝にクリックしたばかりなのに素早いことだ。

 

 このプリンターの無線LAN接続がうまくいかずに午前中が消えてしまった。今まではEPSONばかり使ってきたので、初めてのブラザーというもののシステムがわからなかったせいかも知れない。

 

 で、昨日からやっている家計簿の整理も印刷もうまくできた。

 

 さて、今日もしつこく「肥後守(ひごのかみ)」である。このナイフが禁止になったとかの記事を見た。”犯人の山口は少年だったこともあり、この事件をきっかけに「子供に刃物を持たせない運動」が始まった。それにより、それまでは鉛筆削りや工作に使用されていた肥後守を始めとする刃物が子供から取り上げられ、以後続く刃物規制の始まりの一つとなった。”というものである。

 

 それが、この「浅沼稲次郎暗殺事件」がきっかけだというのである。このシーンは、町の映画館でのニュースで何度も見た記憶がある。昭和35年10月のことらしいので、わが家にはテレビが入っていたのだが、テレビでは見た記憶がない。

 

 当時17歳だった山口少年が、銃剣で浅沼委員長を二度突き刺して殺害したという事件だった。このことから、不良がケンカに使う刃物と、イデオロギーに基づいて白色テロルを行う攻撃道具としてのやいばを一緒くたにし、これらの事態を重く見た警察庁より「飛出しナイフおよび携帯禁止の刃物」に関する通達が出され、刃渡り7センチ以上のナイフは製造禁止になった。肥後守を生産していたメーカーには各地の卸商から返品があいつぎ、三木市内にあった肥後守製造業者46軒が、倒産したという。

 

 それに代わって登場したのが、関東では「ボンナイフ」というものあり、

 

 関西では「ミッキーナイフ」とか「カミソリナイフ」とかと呼ばれていた。私たちの小学校では「ハガネ」と呼ばれていた。これは市販されていたカミソリの替え刃を金属で挟んだだけのものだった。これで、女子たちは鉛筆を削っていた。男の子は相変わらず肥後守を大事に持って使い続けていた。

 

 しかしのかかし、このことで、三木市の46軒の肥後守製造工場が倒産したというのは気の毒な話だなぁと思った。道理で、その後は「肥後守」が姿を消してしまっていたのか。

 

 午後からも、プリンターの設定とか、スキャナーとしての使い方とかOCRの使い方なんぞを試していたが、どうにもなじめないシステムであることか・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「何かをしたい者は手段をみつけ、したくない者は言い訳を見つける」というもの。アラビアのことわざであるらしい。忙しいから・・、時間がないから・・・と、ついつい、後回しにしてしまいがち。本当はやる気がないだけのことらしい。本当にやりたいなら、本当に好きなことなら、寝る間も惜しんでやり始めるはずである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


曼珠沙華 思い出さがしの 日が暮れる

2016年09月28日 | 昭和レトロのお話なんぞ・・・。

 さぬき市地方は湿った空気の影響で曇り、昼過ぎから夕方にかけて雷を伴って激しく降る見込みらしい。気温は23.5度から28.7度、湿度は94%から84%、風は1mから3mの西北西の風が少しばかり。蒸し暑い一日になった。明日の29日も前線や湿った空気の影響で雨が降り、雷を伴う所があるらしい。

 

 少し前に、四国霊場87番札所長尾寺さんの山門前にある「経幢(きょうどう)」を紹介したが、「そんなものは見たことがない」というコメントを幾つか頂いていた。

 

 これは町内にある「向井の神明さん」と呼ばれているもので、「石幢」である、地元では「笠塔婆」と呼んでいるらしい。

 

 これも町内にある「石幢」で、「西教寺の六面石幢」と呼ばれているもの。

 

 これも町内にある「筒野の笠仏」と呼ばれている「石幢」である。これは長尾寺のものより背が高い。

 

 これも町内にある「古枝の六地蔵石幢」と呼ばれているもの。

 

 これも大川町内にある「下り松六地蔵石幢」と呼ばれているもの。まだまだあるのだが、このくらいにしておく。いずれにせよ、このあたりには、こうした石の柱がなぜだか多い。

 

 さて、先日の「なつかしの小学校図鑑」の中に、こんなイラストがあった。私らが小学生の頃には、鉛筆を削るのは「肥後守」という小型ナイフだった。

 

 男の子は、いつも、この、肥後守をポケットに入れていて、木の枝を払ったり、竹細工をしたり、柿の実の皮を向いたりした。だから、男の子の必須アイテムだった。当時は200円くらいだったと思うが、ネットで調べてみたら1800円から2000円程度らしい。

 

 春と秋のお彼岸の中日の日は、50円玉か100円札を握りしめて大窪寺に行くのが楽しみだった。今ではすっかりと姿を消したけれど、この参道の両側にはずらりと露店が並んでいて、珍しいおもちゃやくじ引きとかが並んでいた。

 

 こんな立派なものではなかったが、「十徳ナイフ」なども売っていた。なんでもできると得意になったが、その実、何の役に立たなかった。

 

 業務用では、この「電工ナイフ」が必須だった。電線の被覆を向いたり、切ったりと何かと役に立ったものだった。

 

 アウトドアでは、こうした「サバイバル・ナイフ」も持ってはいたが、実際になると、鎌やノコのほうが便利だった。弦や木の枝をさばくのに、こんなナイフでは間に合わない。しっかりとした「山ガマ」という鎌で一撃するほうが効果があった。

 

 今日の掲示板はこれ。本文とは全く関係ないが、「人生は、いつもいつも第一志望ばかり歩けるものでない。そして必ずしも、第一志望の道を歩くことだけが、自分にとって最良と言えないことだってあるのだ。」という渡辺和子さんの言葉から。第一志望を歩けなかった私である。これまでの私の道がベストなのかどうかはわからない。あれこれとさまよいながら、それでもやりたいことをやってきたような気もしないでもない。体が動くのであれば、これからもなお、あれこれと手探りながら、試行錯誤しながら年齢を重ねた方が返っていいことなのだと考えてもいる。だから、日々勉強だと思っている。色々な人に出逢い、いろいろな風景に出逢い、その時々を見ていきたいと考えている。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


あの頃の 色のままなり 百合の花

2016年06月25日 | 昭和レトロのお話なんぞ・・・。

 さぬき市地方は梅雨前線や湿った空気の影響により、曇りで雨の降っている所があった。気温は25.1度から22.4度、湿度は90%から83%。風は2mから4mの西南西の風が少しばかり。明日の26日は高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 典型的な梅雨の天候。今朝も身体が重くて眠たくて、おまけにおなかが張って仕方がない。利尿剤の効き目が悪くなったのか・・・。「今日はお昼まで頑張ってくるわ♪」と奥方が言うので、「今日は金曜日、しっかりと一日働いて来てよ~」と言うと、「あ、そっかぁ~」なんて言うたものの、パソコンでカレンダーをみたら、やっぱり土曜日だった。ボケが進み出したんだろうか。

 

 作業が中途半端になっている遍路札調査。今は「願文」と呼ばれる「四文字熟語」を調べていた。この札だと、上部の左右にある「天下泰平」「国家安全」という語句を調査している。

 

 これはまた奇妙な書体。筆文字で、よくまぁ、こんな字が書けるもんだ。

 

 これはまた奇妙な色札。この頃には、回った回数で色が変わる・・と言う習慣はない。何かの願掛けなんだろうか。こういうのは千枚あって一枚あるかどうか・・・。今日は1200番から1900番までの調べが済んだ。あと少しだ。

 

 かたつむりのようなゆっくりとしたお仕事になっている。

 

 少しバージョンアップした自分史年表。わが家にテレビがやってきたのはいつ頃だろうかと思案していた。この年表の少し下に、昭和38年に大川ダムが完成したとある。このときに、当時の集落の8軒の人が夕方の6時からダムの完成式典のニュースを見るために集まっていた。だから、それまでは、みな、テレビなんぞ持っていなかったことになる。で、チャンネルを回しながらニュースを追いかけて9時過ぎまでねばっていたのを思い出す。

 

 親戚の叔父さんが電機製品の取り扱いをやっていて、半ば押しつけのように、自分のノルマ達成のために置いて行ったようなもの。だからこのあたりの山奥の集落でははるかに早かった。

 

 こういうアニメ、フィリックスとかいうネコが走り回っていたような記憶がある。それとかポパイとか。

 

 昨夜、どこかのテレビで、この映像が流れていたが、この時は小学校近くの老人ホームで見ていた。なんで、老人ホームに行ったのかは覚えていない。

 

 この「番頭さんと丁稚どん」はあちこちで見せてもらったが、わが家でもしっかりと見ていた。ということは、昭和の33年から35年の間・・・くらい。34年の秋だったかも知れない。白馬童子や少年探偵団もあった。

 

 てなもんや三度笠や、

 

 とんま天狗は家で見ていた記憶がある。

 

 こういう手回しローラーのついた洗濯機も中学生の時には置いてあった。これで教室のカーテンを洗って褒められた記憶があるから確かだ。こんな風に、少しずつ記憶をひねり出して行く。

  

 今日の掲示板はこれ。「なんとかなる なるようになる なるようにしかならない 心配するな」というもの。一休和尚が弟子たちに残したとされる遺言が『大丈夫、心配するな、何とかなる』というものだった。トンチで有名な一休禅師のお話。一休禅師が亡くなる直前に弟子たちに、「この先、私が亡くなった後、本当に困り果てた時、これを開けなさい。それまでは絶対に開けてはならない」と巻物を遺して亡くなった。何年か後に、寺に大問題が持ち上がり、寺の存亡の一大事になった。弟子たちは、知恵の限りを尽くしたけれど、妙案を思いつかず、どうしようもなくなった。そのとき、一休禅師が遺してくれた巻物のことを思い出して、恐る恐る紐解いてみると、その巻物にはこう書かれていた。『大丈夫、心配するな、何とかなる』。 それを見た弟子たちは、あっけにとられ笑い出した。ほどなく、一休禅師がまるで見透かしていたかのように、どうしようもないと思われていた寺の問題は、見事に解決してしまったと言う。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


大楠に 人の声無く セミの声

2014年07月25日 | 昭和レトロのお話なんぞ・・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、午後は大気の状態が不安定となるため、雲が広がってきた。雨の降る所があるのだとか。高温が予想されるため、熱中症など健康管理に注意するようにと、気象庁が呼びかけている。気温は26度から35度、湿度は81%から63%。風は2mから1mの北北東の風が少しばかり。明日の26日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 さて、先日から気になっている場所をどうしても確認しておきたくて、またも琴平に出掛けてみた。いや、先日、「おもしろ博って、どこでやってるんですか?」と、琴平名物の「駐車場誘導員」に聞いてみた。いずれも、「そんなもんは知らん」とにべもない。要は車を預けた人がお客さんで、それ以外の人には聞く耳を持たないようだ。

 

 で、あれこれとWEBほかで調べて出掛けてみた。「KONPIRA昭和なつかし博」というものらしい。これがメインのポスターである。これを見ると、こんぴらの町の七ヶ所で、それぞれにイベントをやっているらしい。

 

 で、こういう古い町並みを歩いてみたが・・・やっていない。「ナツカシアター」には昔の映画ポスターなんぞを展示してあるはずだが、あかりもついていないし、入口はロックされている。よくよくポスターをみれば、「毎土日休日のみ開催」という小さな文字が・・・。それじゃダメじゃん、春風亭昇太。

 

 ということで、今はここだけしかやっていないという、「ことひら浪漫館」。こんぴらさん(金刀比羅宮)の参道口にある、この「金陵の郷」は、酒造り創業当時(寛政元年(1789年))の白壁の酒蔵をそのまま復元している。大楠がそびえる「くすのき広場」を取り囲むように建つ「歴史館」「文化館」では、昔ながらの酒造りの風景を再現していて、酒造りの工程を人形の作業風景により紹介。ビデオ紹介や徳利、酒ビン、ラベルの展示、試飲コーナーもある(無料)。

 

 その入口にあるのが、この「ことひら浪漫館」。

 

 そこにあったものは・・・・。思わず、「なに、これ!」という、「ゆるぃぃぃ」品物。昭和の30年代から40年代のなつかしい家庭用品を集めたものらしい。「あなたが噛んだ、小指が痛い・・・」という伊東ゆかりの音楽も流れていたりする。

 

 手回し脱水ローラー付きの洗濯機や・・・・

 

 古い遊技機。俗にいう「パチンコ台」やスマートボール機もあった。一応、それなりのなつかしさは観じられるのだけれど・・・・。

 

 ま、一応、内部も見学させていただいて・・・。

 

 ま、ここは何度もお邪魔しているもので、さほど感じるものもない。

 

 さすがにここから先は無理。この暑さで大門まで行ったら熱中症になってしまいそう・・・。結局の薬局で、七ヶ所のイベント中、やってるのは浪漫館だけ。あとの六ヶ所は「土日休日限定イベントだった。

 

 午後からは、明日からのバス研修の準備。土佐藩・大洲藩・宇和島藩が、なぜにも遍路対策を強固にしたのか・・・という、最終のフィールドワーク。今回は夏場ということもあって、一泊二日の研修になる。そのお泊まりほかの準備。

 

 今日の掲示板はこれ。「目の前の苦しみに負けるな!! 近くにあるほど苦しい いつか過ぎて行くから 永遠の上り坂など無い」というもの。さだまさしの一所懸命日めくりカレンダーからの言葉である。最後の「永遠の上り坂など無い」というのが効いている。本当に苦しい時には、登っても登っても・・・いくら登っても下り坂にでないことがある。どれほど登っていくんだろうかと思うほど登っていくときがある。でも、下り坂のない上り坂はない。永遠の上り坂などない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


今日を生き きっぱりと散る 藪椿

2012年01月21日 | 昭和レトロのお話なんぞ・・・。

 三日連続しての雨になった。今日は暦の上では「大寒」らしいが、気温も十度近くあって風もなくて寒くはない。肌寒くもないし、おだやかな雨の日・・・。

 

 さすがに今日のぽちの散歩には傘をさして行った。ま、細かな小雨、霧雨みたいな雨が降っていた。雨の降らない連続記録というのが56日だか58日だかと言うてたが、二ヶ月かそこいらのことやったかなぁ・・。もっと、雨がなかったように思ったけれど・・・。だから、我が家の野菜は壊滅状態・・・。

 ま、雨も時にはいいもんだ・・・。

 

 ということで、今日も「レキ墓研究」というても、基幹部分はできている。そこに画像を張り込んだり、ページ数を打ち込んだりと・・・体裁部分の作業になってきた。付録もつけたり、おまけの年表も加えたり・・・。

 来月七日に「広島お大師まいり法要打ち合わせ:自治会長対応編」があるのだが、そこに「レキ墓研」の幹事さんもやってくる。それに間に合わせようと・・・製本作業に入っているって訳だ。

 

 で、今日は雨も降っているし・・ということで、町内の「すぎもと」さんちに行ってみた。ここも最近はご無沙汰かな・・・。少なくとも今年は初めてかも知れない・・・。

 

 で、いつもながらの・・・「しっぽくうどん」を注文した。とにかく・・一日一食だから・・・いろんなものが入っているおうどんが有り難い・・・ということで。

 

 これで・・380円。夏場には・・・いなり寿司とかも食べたけれど、最近は小食になったものか、おうどん小の一玉だけ・・・。おでんも天ぷらもご飯物も選ばない・・・。

 

 食後は・・・おなかごなしに・・・近くにある「みろく自然公園内にある「さぬき市歴史民俗資料館」に寄ってみた。今の時期だから誰も居ない・・・。係員もいたりいなかったりするが、事務員というても事務もないんだろうし・・・。

 

 人気のない、しかも暖房もない・・倉庫風の資料館・・・。ぞくぞくとするような寂しさの中に眠っている昔の遺産・・・、」いや、お宝か・・・。だから・・・少し前には・・「写真撮影は許可がいりますから・・」と言うてたが、係員もいないもんだから写真撮影も撮り放題・・・。入場料は空き缶に100円硬貨を入れておいた。

 

 これは・・・ウーパールーパーの頭・・・。イヤ・・違う・・。

 「ばんや(番屋)こたつ」というもの。丸い上ふたをあけて、なかに炭火を入れて、これをお布団の中に入れて暖を取ったもの。

 

 これにも「番屋炬燵」と書いてあるが、こちらは瓦製・・・。引き出しみたいに四角い箱状の容器が入っていて、その中に炭火を入れて暖まった。

 

 これにも「ばんやこたつ」と書いてあるが・・「置きこたつ」。同じように・・弁当箱みたいな四角い箱状の容器があって、そこに炭火を入れて、木の灰で周りを囲ってあった。炭火だけだと熱すぎた。

 

 これは・・「やぐらこたつ」この木枠の中に、横の番屋炬燵を入れたりもした。これが・・今の電気炬燵の原型やろうねぇ・・・。この木枠の上から布団をかぶせるのは今も一緒やしねぇ・・。

 

 これは陶器製の湯たんぽ・・。最近、また、湯たんぽが見直されてきたけれど・・・。

 

 「若い時は二度とない」・・・という言葉はよく見聞きするが、「老いた時も二度とない」というのは初めてだ。そう言われたら・・そうかも知れない。若いときも老いた時も、そうでない元気なうちも・・・みんな・・・今という「今」を生きて生ききることが大切なんだなぁと思う今日このごろ・・・。

 

 じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


いわし雲 魚嫌いの 風が吹く

2011年11月08日 | 昭和レトロのお話なんぞ・・・。

 今日は暦の上では「立冬」ってことらしい。ま、昨日と比べると・・少しは涼しくはなってきたかなぁという感じだけれど。でも、気温は13度から17度、18度という適度な温度で、日陰に行くと少しばかり肌寒かったりしたものだけれど・・。

 

 で、前から行ってみたい、見てみたいというところがあったもので、高松市内に出向いてみた・・・。それが・・「昭和大鉄道展」。というても、別に鉄道に興味があるわけでも、鉄道に思い入れがある訳でもなかった・・・・。

 

 それだし、私は「鉄ちゃん」ではないので、難しいことはわからない。ただ・・「大鉄道展」というから、すごい展示があるのかなぁと思ったまでだった。なんか、この日本を切り開いてゆく・・鉄道の勇ましさみたいなものが見えるかなぁと思って・・・。

 

 ということで。香川県立ミュージアムに行ったわけだ。

 

 企画展示室には・・こうした昭和のレトロな町並みが作られている。こういう風景があるというのも楽しみだったのだけれど、少しばかり暗いのが不満だった・・・。ここは撮影可能なんだけれど、少しもきれいに写ってくれなかった。省エネだか、設備のできのわるさを隠すためなのか、照明が暗くて意味が分からない・・・。

 

 昭和の本屋さんとか電気屋さんとか映画館とかおでんの屋台とか食堂とか・・・。そういう・・趣向はいいのだけれど、そのあじわいができない・・・。

 

 こうしたホーロー看板とかが、まるで映画のセットのような昭和レトロの町並みだ・・・。

 そこを出ると、汽車、蒸気機関車などの資料展示だが、鉄道の設立趣意書とか資金集めの書き付け(?)とかの資料なんぞ見てもちんぷんかんぷん・・・。文献資料なんぞはただ置いてあるだけ・・・。中身が知れないのでは意味がないでしょ・・・。

 

 これが、入場券の上に印刷されている蒸気機関車の画像らしい・・。これは国鉄の高徳線大坂峠をゆく蒸気機関車C-58のもの。そして、下の写真が、チケットの下部の写真らしい・・・。

 

 こちらは私鉄の「高松琴平電鉄開通記念の写真。昭和2年のもの。

 大鉄道展という割には迫力がなかったなぁ・・。大きい物がないのがその理由だったかも知れない。個人が集めた切符とか記念写真とかが目立ったかなと思った・・・。新婚旅行に着ていった洋服とかカメラとかは余分だなぁと思った・・。

 

 でも、先の静岡旅行でもそうだったのだけれど、妙に私のこころが揺れないのだ。何を見ても「ふぅぅん・・・」どこを見ても・・「ふぅぅん・・・」で終わってしまう。かといって、悟りきった心境ではないし、怒ると時には烈火のごとく怒るし、ドラマでは涙をこぼして大泣きするし・・・。

 だから、もう一つの・・「なっちゃん」の「カクカクマシカク写真展2」の個展は見るのをやめにした。せっかくの写真展だからね、なつこさんの力作の写真を見て・・・「ふぅぅん・・」で終わらせてしまうと失礼でしょ・・・。

 

 で、今日のお昼はここになった。「さか枝(えだ)うどん春日店」だ。動画はこちらー

 

 で、今日も日中は暑かったもので、「肉ぶかっけ小の冷や」をお願いした。上の動画でも言うとったけれど、ここの麺はゴムのよう・・・。しっかりとした弾力があってはごたえがいい。冷やだったからなおさら・・・すごい・・と思った。ここは・・わかめがフリートッピングになっているのが嬉しい・・・。ぶっかけうどんには、大根おろしとレモンがトッピングできる。これで380円だった。

 

 ここは駐車場も広くて気軽に立ち寄れるのがうれしい・・・。

 ま、そんなことで、立冬の今日を終えたことだった・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


葡萄棚 青空を握る 空を切る

2011年09月25日 | 昭和レトロのお話なんぞ・・・。

 今朝も肌寒くて・・・五時前に起きたが・・まだ、あたりが真っ暗なもので、お布団にはもぐったが・・・ついぞ眠れなくなって朝が来た・・・。

 最近ね・・・、気になるブログがあって・・・、いや、みなさんとこも気にはなってるんだけれど、それ以外に・・・というと、なんか、妙なブログに思えるかも知れないのだけれど・・・。

 

 こういう・・看板って、すごく興味あるでしょ。え、ない? ない方はそれはそれでいいのだけれど、なんか、懐かしい感じがするでしょ。文字が・・・右から左に書いてある。だから、最近の子供たちには読めない・・・。「はゆうょしお??」って、誰なの?みたいな・・・。

 この話題・・・。「ソラリスの時間」がいいのか、「ちょっと小さかった頃のこと」がいいものか・・。このブログの管理人さんとは・・・私のほうが・・20年ほどおじいさんだから・・・話はどうなんだろうかね、たぶん、合わないと思うのだけれど・・・。

 

 たとえば・・・こんなとか・・。

 

 たとえば、こんなとか・・。

 

 それとか、こんなものだとか・・・。

 これは・・ご存じだよね・・・。

 

 セルロイドの鉛筆ケース。筆箱って言うたっけ~・・・。うちにも古いものはいくらもあったんだけれど、すっかりと大掃除してしまったしぃ・・・。

 

 で、これだ・・。と、言うてもどれだ・・・。この絵はがきというか。絵手紙というか・・・。

 

 これ・・・。これ・・と言うても、わからんだろうが・・・。

 

 ということで、これだ・・。これはまた・・・お相手が全く別な方なんだけれども・・・。偶然にも二人のカレンダーが一緒・・・。こういう絵手紙だけのお友達・・・。それもまた、楽しいし、有り難いし、嬉しいし・・・。

 ともかく・・・九月も間もなくおしまい。この週末には・・・埼玉だかのお客様がおいでになるというので、草刈りとか・・芝刈りとかをやっておかなくては・・・。

 

 ともかく・・、そういう人たちに励まされ、刺激されて・・・、「あ、私は生きてるんだ・・」みたいな大げさなことを言うとるわけだ・・・。でも、いろんな人がいるから楽しいね・・・。おいおいに、私が勉強させてもらってる人を紹介するけんね・・・。

 

  それはそうと、この前のお寺でご法話をされた先生ね・・・。

 

 「雷さんの親子が雲に乗って海の上をドライブしよった・・・。ところが、うっかりと、こどもの雷さんが・・弁当箱を落としてしもうた・・・。お母さんの雷が・・・(あ、ご馳走を落としたがな~・・。かなんわんな・・・。さ、探そう・・さがそう・・)と、二人して・・・お弁当を探したんやと・・・。」

 「へそないか・・」「へそないかい・・」・・・。それが・・「瀬戸内海」のはじめやて・・・。

 ・・・。誰も信じへんやろ~・・・。

 

じゃぁ、また、明日、きっと、会えるといいね。


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