まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

藤棚に 声なき風が 二礼する

2017年04月30日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていた。気温は11.4度から今季初の26.7度、湿度は84%から44%、風は1mから4mの西の風が少しばかり。明日の5月1日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしいが、寒気を伴う気圧の谷の影響で、昼前から夕方にかけて雨や雷雨の所がある見込みなのだとか。

 

 いよいよ、四月が終わって明日からは五月。季節的には「夏」になるらしい。

 

 私が島の家に行っている間にお荷物が届いていた。京都の神職さんからである。

 

 中身はこういうものだった。「はてさて・・・」と調べてみたら、

 

 こうしてしめ縄に結んで玄関飾りに使う物らしい。

 

 最初、小汚い「小俵」の中から出てきた「紙くず」を見たとき、「なんだ、これは・・・」と思ったのは事実。このあたりでは見かけないものだし、我が家は真宗なもので、そういう信仰がなかったこともあるのだろう。

 

 調べてみたら、こんな風に結んでみたり、

 

 こんな風に「ちまき」に巻いてあったりしたもの。「蘇民将来符」というものが、どうにか理解できるようになった。

 

 裏面には、こんなものが書かれている。これまた頭をひねることになった。「急々如律令」と書いてあるらしい。中国漢代の公文書の末尾に、「急々に律令のごとくに行え」、の意で書き添えた語。のち、呪文(じゅもん)の終わりに添える悪魔ばらいの語として、道家・陰陽師(おんようじ)・祈祷僧などが用いた。とある。で、右側の落書きのようなものは「道満」、左側の★印は「清明」という意味らしいがよくわからん・・。

 

 今日、まだ、両足がおかしい。中学生と遠足したための筋肉痛なのか、足のむくみなのか歩くのが辛い。そこで、あまり歩かなくていいように、高松市飯田町にある「岩田神社」に行って来た。別に「足が治りますように・・」というお願いではない。この「藤まつり」を見るためである。

 

 ここの藤の説明板。ま、そういう藤である。

 

 お天気がいいから、大勢のお年寄りたちが集まっていた。

 

 町内会なのか老人会なのかお年寄りたちがブルーシートを敷いて花見をやっていた。今日は暖かくて花見にはいい季候になった。

 

 ここも、今週来週あたりが見頃だと言うていた。

 

 こういう小さな神社なのだが、藤まつりのときには大勢の見物人でにぎわいを見せている。

 

  今日の掲示板はこれ。「不幸はすぐわかるが 幸せはなくしてからわかる」という、いつもの「荒了寛」さんの言葉から。普通に暮らしている時は、不幸だとは思うことはないが、特に幸せだと思う事もない。ところが、幸せを気づく瞬間がある。それは、なくした時である。「幸せはなくしてからわかるもの」なのである。なくして初めて気づいた幸せに、感謝するのである。あの時は幸せだったんだ・・・・と。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


このままで 暮れてかすんで 山つつじ

2017年04月29日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は12.6度から22.8度、湿度は80%から56%、風は1mから6mの西の風が一時は強かった。明日の30日は、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 少し前ならば、四日も五日も居られたのだけれど、最近は一晩泊まればすぐに帰りたくなる。あそこの草も抜いておきたいし、こちらのゴミも片付けたいし・・・。でも、「明日があるさ、明日がある・・」と、帰ってしまうのだ。

 

 空き缶や空き瓶、燃えるゴミなどをてきぱきと運んで片付ける。来た時よりも美しく・・・。ちなみに、「小手島」は「おてしま」と読む。

 

 8時35分発のフェリーボート「しわく丸」で島を出た。ふと、気がついたのだが、「二日酔い」のように頭が痛い・・・。「あれれ・・」と思ったのだが、右の耳付近の頭が痛い。触ってみると少しばかり腫れているような。でも、あたまをぶつけたとか何かにぶつかったという記憶はない。

 

 ここは今でも珍しい「硬券」である。

 

 島から出る人は「食料の買い出し」とか「病院通い」とかだが、今日は祝日。昭和の日。息子や孫の所に出向くのかも知れない。

 

 市営の駐車場に戻ってびっくりぽん。左後部のドアノブがない・・。誰かが触って壊したのか、何かがぶつかったのか・・。ま、右側から乗り込めばいいだけのお話である。

 

 帰り道、ここに寄ってみた。高松市西植田町にある「カフェ・ジャルダン」という喫茶店である。

 

 ここは、今時、この、芝桜で有名になる。本末転倒みたいなことで、この時期には、この芝桜を見るためにやってくる人が多い。だから、普段には必要のない「管理料」という名目で、入場料300円の徴収がある。

 

 ここは、毎年、違うシーンに作り替えられるが、今年は全体的に色が薄くて厚みがない。東かがわ市の「芝桜富士」のように、昨年の高温と渇水で、枯れてしまったのだろうか。

 

 この、鳥羽一郎さんが植えた「兄弟船」も何がなんだかわからない。

 

 我が家に戻ってみれば、お客様をお迎えする準備ができていた。聞けば、奥方の職場のおともだちがやってきて、「女子会」をするのだそうだ。

 

 竹の子の煮付けや木の芽和え、竹の子ご飯などと、タケノコ三昧。

 

 それにしても、女子会の会話はながい。よくも話題が尽きないことだ。

 

  今日の掲示板はこれ。「他人とくらべるのやめると 人生はぐっとらくになるよ」という、いつもの荒了寛さんの言葉から。私ら団塊の世代は「比べられっこ」で子供の頃から育って きたが、それはいつの世でもそうなんだなぁと思うようになった。今はお仕事もやめて、自由気ままに暮らしているから、自分では誰かと「比べっこ」はしてい ないつもりだけれど、誰かからは「比べられっこ」されているのかもしれない。でも、その分、楽にはなったけれど、さみしくもなった。背比べの相手がいな い・・・というのは、鬼のいない鬼ごっこみたいだなと思った。

 

じゃぁ、また、明日。会えたらいいね。」


若葉して 終の棲家の 草を引く

2017年04月28日 | 自然ありのままに

 丸亀地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は10.8度から20.2度、湿度は92%から49%、風は1mから4mの西の風が一時は強かった。明日の29日は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れますが、気圧の谷や寒気の影響で、昼前から夕方にかけて雨や雷雨となる所がある見込みらしい。

 

 血圧も安定してきたし、おなかの調子も落ち着いてきたので、島の家の片付けに出かけることにした。

 

 島の軽トラのタイヤ交換も終わったので、タイヤ一個だけを持って島に帰る。今回は缶ビールも食材も持たない。たぶん、あるものでどうにかなる筈。

 

 昨夜はオシッコが出なかったし、今朝方も少量だったのだが、そんなに心配もせずに家を出てきた。そのうち、何とかなるだろう。

 

 我が家を7時半に出て、丸亀港には9時過ぎに着いた。で、9時25分発のフェリー、しわく丸に乗った。天気が良くてデッキでいるほうが気分が良かった。

 

 家には10時20分前に着いた。

 

 で、早速に、持ってきたタイヤをスペア用に取り付けた。これでひとまず安心。

 

 草刈りは午後からと決めて、島を一周してきた。最近は石切り丁場からの音が聞こえなくなった。石の切り出し作業は終わったんだろうか。

 

 こういう種類の桜は、島のあちらこちらで見ることができる。

 

 新緑の中を走ってきたが、やっぱり、島のガソリンスタンドは「休業」のまま。島の人も困るに違いない。いくら島だから・・・と言ってもガソリンなしでは走れない。プロパンガスは丸亀本土から運んでくる業者さんはいるが、ガソリンの配達は聞いたことがない。

 

 この前に草を刈ったばかりなのに、もう、元通りになっている。

 

 で、昼からは草刈り。でも、体調が本調子ではないようで、30分もすれば足腰が痛くて動けなくなった。腹水がたまりだしているのか、先日の「おへんろウォーク」が利いたのか。30分草刈りをして30分の休憩。そしてまた30分の草刈りとなる。

 

 家の前と裏も長い草をなぎはらっておく。今年のGWにも、誰もここには来ない様子。

 

 15時過ぎには草刈りも終了。その後、3枚の障子の張替え。破れて隅っこがひらひらしているのが気にはなっていたのだが、なかなかに余裕がなくて。

 

 今日の掲示板はこれ。「高い山ほど裾野が広い」というもの。逆に言えば、裾野を広げなければ高い山にはなれないということ。雑学でも趣味でも語学でも歴史でも、引き出しを多くしてこそ、よりよいお話ができる。多くの人に伝えると言うことは、高い所から低い処に水が流れるように、圧力の高い方から低い方に空気が流れるように、言葉の引き出しを多くしなければ、高度なお話にはならない。そんなことを思った一日だった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


伸びすぎた 髪も竹の子も 藪の中

2017年04月27日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で概ね曇っていた。気温は12.4度から19.6度、湿度は87%から50%。風は1mから2mの西北西の風が少しばかり。明日の28日は、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。 

 

 朝イチで香川県立図書館にやってきた。するとこんなにも若葉が吹き出ている。

 

 それもそうだ。二週間ぶりで、今日が借りていた本の返却日。慌てて、ここに来た・・という訳。

 

 で、五冊の本を返却して、またも新たに五冊を借りた。それも「新刊書」ばかりの五冊。

 

 その中の二冊がこれ。この著者の名前は初めて見るお名前。住所は兵庫県福崎町。なんで、「石川政太郎」に興味を持ったのだろうか。なお、この本は「私家版」でしかも「非売品」となっている。

 

 その後、銀行でお小遣いをおろし・・・、

 

 このスーパーで奥方のビールとお茶を買い・・・、隣町のスーパーで私のビールとトイレットペーパーを買い・・・。同じような名前のスーパーなのに、規模の大きさからか、置いてある物が違う・・・。

 

 これが、その、お買い物。

 

 ついで、浄化槽の検査料を・・・

 

 郵便局で振り込んで・・・、島の軽トラのタイヤ交換をお願いしていた自動車屋さんでタイヤを受け取って・・・。

 

 奥方のお薬を処方してもらうために町内のお医者さんに寄って処方箋をもらって、

 

 近くにある調剤薬局で薬を受け取って帰宅。これで午前中はおしまいになる。

 

 「竹の子、探しておいてね・・・」と奥方はご出勤。お昼から旧宅のお墓に行ってみると、敷石の下から竹の子が・・・。こういうのはすぐさまに除去。

 

 なんだかんだで、10本近くを掘りあげた。

 

 で、お鍋二つでゆがいておく。あとの調理は奥方任せ。私のお仕事はここまで。

 

  今日の掲示板はこれ。「明日の人生はきっと何かあるものです。きょうの苦しみはきょうで終わり。明日の苦しさは明日の話」という吉田潤喜さんの言葉から。吉田潤喜 (全米にてヨシダソースで有名な日本人/ヨシダグループ会長兼CEO)さんの言葉である。苦しみを翌日に持ち越さない習慣をつけられると良いものだけれど。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


春の雨 にわかガイドに 容赦なく

2017年04月26日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は、前線や低気圧の影響で夕方にかけて雨や雷雨となる見込みらしい。夜は気圧の谷や寒気の影響で曇る予報。気温は15.6度から17.6度、湿度は88%から90%、風は1mから3mの西北西の風が少しばかり。明日の27日は、気圧の谷や寒気の影響で朝晩を中心に曇り、明け方まで雨の降る所がある見込みらしい。日中は高気圧に覆われて概ね晴れるという予報。

 

 今日はさぬき市内の某中学校の「へんろウォーク」の日。私はいつから「雨男」になったんだろうか。三月の「塩飽本島お大師まいり」は嵐になった。四月の「しわく廣島お大師まいり」も後半が雨になった。今回は朝から雨・・・。

 

 昨日から節制をし、早寝をして今日に備えていたので、中学校を出た頃は快調だった。ところが、高松自動車道の高架を超えた頃から、少しずつ県道が上り坂になる。この日は、一年生五クラス154人と引率の先生が10名人ほど。それに私たちガイドが5名、総勢170名ほどの軍勢。

 

 オレンジタウンという所になると脂汗が流れ出し、腹水が満杯状態になり、呼吸困難になり、足がむくんで歩けなくなった。そこで一行とは離れて、物陰で排水し、給水してしばらく休んだ。一行とは100m、200mと離れてしまう。

 

 当願堂というところで休憩して休むはずが、リーダー(私)がいないものだから、どんどんと歩いて行ってしまう。私は愕然とする。タクシーを呼ぼうか、救急車がいいか・・と考えながら歩いて行くと、今度は峠を越えたようで下り坂になった。そうなると、どんどんと歩けた。

 

 旧へんろ道沿いにある「玉泉寺」というお寺で一行は休みながら見学をしていた。私も給水をしながらしばらく休んだ。一行と言っても、一班、二班、三班は、すでに先行している。休んでいたのは、ガイド不在の四班と後続の五班だった。ここで、私が先頭に立って歩き出した。

 

 こういう、旧遍路道をずんずんと歩いて行く。このあたりは何度も歩いているので大丈夫。学校を出たのが八時半。長尾寺に着いたのは十時前だった。

 

 長尾寺の山門前でほっとする。ガイドは会長にお任せして、私は一休み。もう、雨と汗と脂汗とでびしょ濡れ状態。とくに靴や靴下がいけない。

 

 時間まで境内のガイドをやっておく。十時半になると、徒歩で、大川バス本社に向かう。雨は相変わらず降り続いている。バス本社からは観光バス三台に分乗して大窪寺に向かう。

 

 途中、さぬき市前山にある「おへんろ交流サロン」でのお勉強。ここでは、チーフガイドの前田先輩と柿木先輩が交代で「お遍路とは何か」「お接待とは何か」という講義をする。

 

 残りのガイド三名はゆっくりと休憩。その後、昼食になった。11時前から12時半まで、ここでお勉強をしてから出発になった。

 

 13時過ぎに大窪寺について、境内の学習。150人を五班に分けてガイドするのだから、ぶつからないように、適宜、コースを変更しながら進めるのが大変。中学生と言っても、少し前までは小学生。中学校に入って、まだ20日もたっていない子供たち。あんまり難しいことをお話してもわからない。

 

 雨のせいもあって、予定より1時間ほど早く終わって帰ってきた。学校に戻ったのが14時半。反省会も終わり、生徒さんの拍手に送られて、中学校を後にした私たちだった。今日の歩数は17,654歩、体重は2Kg減の65.4Kg。いつも、これくらいだといいのだけれど。

 

  今日の掲示板はこれ。「今日始めなかったことは 明日終わることはない」というもの。あの、ゲーテの言葉らしい。どんなすばらしい願いを持ち、目標を掲げても、目の前の一歩を踏み出さなくては何も変わらないし、前には進んで行かない。いま何を考えるかではなく、何を行動できているかに焦点を当てて、目標に向けて進んでいきたいものである。でも、いざ始めてしまったら、終わることのない作業だったというのでは、これまた困ったことになってしまうのだが。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


萌え若葉 今日の荷物は 重すぎる

2017年04月25日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方ははじめ晴れていたが、南からの湿った空気の影響で昼過ぎから曇ってきて、小雨まで降ってきた。気温は13.2度から21.6度、湿度は78%から60%、風は2mから3mの東南東の風が一時は強かった。明日の26日は、前線や低気圧の影響で曇り、昼前から雨が降る見込みらしい。

 

 今日は恒例の火曜日ということで、ここ、前山地区活性化センターへ出勤である。気候が良くなったので歩き遍路の人も増えてきた。今日も何組も何組もやってきては休憩をしていた。

 

 で、私は自分で調べた資料や調べた結果などを展示してみた。仙台白石藩の片倉小十郎のこともプレートにして展示してみた。

 

 善光寺のご朱印や、その由来などもまとめてみた。決められた狭いスペースに、あれこれと並べてみた。

 

 これで、私の展示スペースのレイアウトは完了した。ここの配布用資料をどうするか、それが今後の宿題だ。

 

 中島先生のブースも展示できるよう、準備が進んでいるみたい。女性陣は、後の資料の整理とか不要な資料の廃棄なんぞをやっていた。これで、一応の調査が終わるのだろうか。

 

 いやいや、寒川家の納め札の調査報告書も作らないといけないし、この、納め札以外のものの「調査研究報告書」も作成するのだとか。

 

 先の「年度総会(3/22)」の時、ちょっとしたはずみで、「レンズフード」が折れて壊れてしまった。ま、細くて薄い部分だから、これまでに何度も折れては交換してきた。

 

 だから、今回もamazon.comで注文して、今日の午前中に届いていたみたい。

 

 早速に交換、装着してみた。

 

 お昼からは、四国霊場88番札所の大窪寺にやってきた。明日の「学校支援ボランティア」の下見である。

 

 阿弥陀堂前の「御衣黄(ぎょいこう)桜」の様子を見に来た訳である。ようやくに赤いラインが見えてきている。花はまだまだ小さいものが多い。

 

 江戸時代に、京都の仁和寺で栽培されたのがはじまりと言われており、「御衣黄」という名前は江戸時代中期から見られ、その由来は貴族の衣服の萌黄色に近いため。古くは「黄桜」「浅葱桜(浅黄桜)」などとも呼ばれていたが、それがギョイコウなのかそれともウコンを指すものなのかはっきりしない。江戸時代にシーボルトが持ち帰った標本が現存しているらしい。

 

 このようなお大師堂前の藤を楽しみにしていたが、今年はようやく花が咲き出した程度。牡丹だって、まだまだつぼみのままだった。

 

  今日の掲示板はこれ。「かけがえのない自分の人生を そのまま受け取れない自分がいる」という、いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。二階堂行邦(にかいどう・ゆきくに)1930年、京都生まれの先生のお言葉である。『同朋』2002年9月号「真宗シリーズ」(東本願寺出版部)から。人はこの世に生まれた限りは、必ず死を迎える時が来る。誰一人として死を避けることはできないし、人生に代理人はあり得ない。しかし、私自身そうした人生 の無常性を感じながらも、どこかで自分だけは特別であり、例外であると思っている。いつも死を日常から遠ざけて、生に執着し続けている。代わってもらうこ とができない人生であるにもかかわらず、欲求ばかりが先行し、自分自身をそのままを引き受けることができずにいる。まさに「わかったつもり」でいることの 無明性から抜け出せない私がいるのである。私が「いつ死んでもよい」と覚悟をきめるものでもなく、思案をつけるのでもなく、かけがえのない人生にたいする まことの目覚めを持たない、あくまでそのような私のためにこそ思案をつけてくださった仏さまのお手回しにうなずき、ただおまかせしていくほかないと気づかされるのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


アイリスも 願いも供えて 大師堂

2017年04月24日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は8.1度から21.6度、湿度は94%から62%、風は1mから4mの東南東の風が一時は強かった。明日の25日は、高気圧に覆われて晴れるが、昼過ぎからは気圧の谷や湿った空気の影響で曇る見込みらしい。

 

 今日は天気もいいし・・・ということで、少し足を伸ばしてみた。と言っても、私のこの足が伸びた訳ではない。ここは、徳島県石井町にある真言宗善通寺派別格本山の寺院、童学寺。

 

 山号は東明山(とうめいざん)、本尊は薬師如来。空海(弘法大師)学問所の由緒から学業成就の寺として広く知られる。四国別格二十霊場二番札所。四国三十六不動尊霊場十一番札所。

 

 石井町では、「地福寺」、「徳蔵寺」、「童学寺」という三ヶ所のお寺の藤を見て回る「石井の藤まつり」をやっている。そこで、今日は、この童学寺にやってきたというわけ。

 

 『阿波志』等に伝える寺伝によれば、飛鳥時代、行基が創建したという。奈良時代末から平安時代にかけ空海が7歳から15歳まで当寺で書道や密教などを学び、『いろは四十八文字』を創作したと伝わる。(実際には、その説は否定されている)

 

 その由緒から寺号を童学寺と称するようになったとされる。弘仁6年(815年)、空海が42歳のときに再び当寺を訪れて伽藍を整備し、自らが彫刻した薬師如来、阿弥陀如来、観音菩薩、持国天、毘沙門天、歓喜天を安置したという。

 

 童学寺の近くには「石井廃寺跡」(徳島県指定史跡)という奈良時代前期にさかのぼる寺院跡が存在し、これが童学寺の前身ともいわれている。石井廃寺跡からは、金堂、三重塔などの建物跡が検出されており、東に塔、西に金堂が建つ、法起寺式伽藍配置であった。 正和元年(1312)津茂・松家両氏の発願により大規模な修繕が行われたことが、現存する棟札からわかっている。

 

 平成29年(2017)3月25日午後5時30分頃、庫裏(住居兼台所)が火元とみられる火災が発生し、本堂及び庫裏などの建物が全焼、国指定重要文化財の木造薬師如来坐像は運び出され無事だった。

 

 これが昨年同季の本堂である。左下は納経所。

 

 本堂内はこのような無残な姿に・・・。

 

  3月の火災で本堂などが全焼した童学寺の本尊で国指定重要文化財の「木造薬師如来坐像(ざぞう)」(像高64センチ)が23日、初めて一般公開され、約2千人が参拝した。本堂に隣接する聖天(しょうでん)堂で特別御開帳法要が行われ、塩田龍澄(りゅうちょう)住職(39)ら5人の僧が読経する中、信者らは坐像に向かって手を合わせた。

 

  帰りの宮川内ダムにかかっていた鯉のぼり。強い西風を受けて元気よく泳いでいた。

 

 午後からはまた、護符展示用のパネルを作っていた。どういう展示になるかは手探り状態。

 

 できることから、コツコツと・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「この世にはいろんな山がある それぞれにそれぞれの頂きがある」というもの。「この世にはいろんな花がある それぞれにそれぞれの花びらがある」みたいなことか。人によって、それぞれの山のイメージがあり、山というと乗り越えなければならない試練にも感じるけれど、もう少し身近なものでイメージすると目標であったり、目的であったりするかも知れない。頂きはそれを乗り越えたとき、達成したときに感じるもので、そこから見えるものは、それまでの景色とは違うはず。これも「荒了寛」さんのことばから。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


庭先の つつじの花に 揺らぐ風

2017年04月23日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は7.4度から19.2度、湿度は86%から56%、風は1mの東南東から西の風が少しばかり。明日の24日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 本来ならば、昨日の「年度総会」が終わったらすぐに丸亀に向かい、しわく廣島で草刈りをする予定だったのだが、どうにも体調がすぐれないので、もしもの事態を考えて予定を変えた。で、昨日の総会の様子をHPに更新することにした。

 

 その前に、天気がいいので布団を干して、二階部分に掃除機をかけておく。でも、少し動くと「ぜぇぜぇ・・ハーハー」と呼吸がおかしくなる。腹水がたまってきて心臓を圧迫するからである。

 

 血圧の高い状況は収まった。ただ、腹水がたまるのがどうにもならない。でも、それも午前中で収まるようになった。でも、翌日の朝にはやはりおかしくなってしまう。でも、少しずつ改善されてきているように思う。

 

 そういうことで、HPの更新を黙々とやっていた。こういう作業だと、何の問題もない。

 

 その合間に、奥方が「野菜畑を耕すのでミニ耕耘機のエンジンをかけて・・・」というので動かし始めたが古い燃料が残っていたようで動かない。そこで新しいガソリンを買いに行ったりと・・・。

 

 新しいガソリンに入れ替えると一発で始動した。でも、この機械を使うことはまだできない。

 

 その間に、山の旧宅でタケノコを掘ってきた。サルやイノシシが見残したタケノコがどっさりと。もう、サルもイノシシも飽きたのかも知れない。

 

 我が家も連日、タケノコづくしなのだが、今度は春巻きにするのだとか。春巻きだって、そうそうは食べられない。

 

 昼食後は、例の「護符」などの展示用パネルの制作。仙台藩白石家の「片倉小十郎」についてのパネルなどである。

 

 ま、できることからコツコツと・・・。

 

 この「護符」についても調べてみた。ただ、これだけのものだが、これから、信州善光寺の朱印だと知れた。この朱印は、鯉が水面で口をパクパクしている図案だというのである。そう言われても納得しがたいのだが。

 

 こういうパネルにしてみた。明後日の火曜日に「仮展示」をしてみて、また、考えることにする。

 

  今日の掲示板はこれ。「大切なことはいまを生きること。人生はすべていまの積み重ねですから、いまをどれだけ大切にするかです」という平田静子さんの言葉から。平田さんは1948年、福岡県に生まれ、フジテレビに入社、扶桑社に出向、雑誌CAZ編集長を経て取締役、常務取締役などを歴任した。2010年に扶桑社を退職、同年4月に「ヒラタワークス」を設立し、幅広いビジネスを展開している。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


お念仏 おなかさすって 藤の花

2017年04月22日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は11.7度から20.2度、湿度は86%から54%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の23日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 いつもお世話になる「前山地区活性化センター」の西側にわずかに見える建物・・・。

 

 ここが、「さぬき市前山地区多目的研修センター」通称「長尾公民館前山分館」。ここで、「おへんろつかさの会総会&研修会が行われる。私たちは駐車場係。

 

 どこの総会でも似たようなもので、まずは司会者による開会挨拶、ついで、会長挨拶。

 

 来賓挨拶として、さぬき市長さんの挨拶。その後、平成28年度事業報告と収支決算。次いで平成29年度事業計画案と収支予算案と続く。私は朝からおなかがパンパン。腹水がたまっていいて、ズボンがどれも穿けなくなくなっている。でも、トイレに30分ごとに行くと楽になってきた。

 

 この日の参加者は75名ほど。皆さん、熱心な方々ばかり。総会は9時から始まって9時40分に終わり、10分間の休憩・・。

 

 10時50分からは講演会になる。今日の講師は香川県立ミュージアムに勤務されている「上野進先生。若い研究者だった。

 

 今日の演題は、「資料に見る近世の札所寺院―志度寺を例として―」というお話。昔からの書物や文書、図絵などから見えてくる札所寺院とはどうであったのか・・・というお話だった。

 

 例えば、「四国遍礼名所図会」寛政十二(1800)年の志度寺さんである。左下の山門から入って、放生池を渡って本堂にお参りするが、その横の小屋のようなものが「大師堂」である。こんなに小さかった。

  

  その50年後の嘉永六年(1853)、あのペリー提督が浦賀に黒船でやってきた年である。向きが違うが、左下の山門から入って中央付近の放生池を渡って左上の本堂にお参りする。その横には立派な大師堂が描かれている。現在の志度寺の建物に近い図絵である。

 

 11時20分に講演会は終了した。その後、休憩となり、会場の様式を変更して懇親会となった。飲み物は時節柄、お茶とノンアルコールビール。

 

 昨年から、イスやテーブルを使わず、車座になっての懇親会。

 

 思い思いの席で、それぞれの歴史話やお遍路のお話などで盛り上がっている。私は相変わらず、30分ごとにトイレに立つ。でも、ノンアルコールビールやお茶を頂くと、おなかはパンパンに張ってきて苦しくなる。で、早々に帰ってきた。帰ってきたらなんともない。

 

  今日の掲示板はこれ。「人を失った悲しみの深さは生前にその人から我が身に受けていた贈り物の重さであった」というもの。お友達のお寺の掲示板にあったことば。宮城(みやぎしずか)先生の言葉である。先生は1931年(昭和6年)、京都市生まれ。 大谷大学文学部卒業。 大谷専修学院講師、教学研究所所長を歴任。真宗大谷派本福寺前住職。 九州大谷短期大学名誉教授。 2008年11月21日逝去。 法名 聞信院釋智雄 著書には 『地獄と極楽』、 『真の仏弟子』、 『真宗の本尊』、 『親鸞ー生涯とその教え』など多数。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


芝桜 こころのひだを 見透かされ

2017年04月21日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は、気圧の谷の影響で曇っていた。気温は10.9度から18.3度、湿度は94%から63%、風は1mから2mの北北西の風が少しばかり。明日の22日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 先日のしわく廣島のお大師まいりの時、猪塚先生から、「歴民の”昭和のお葬式とお墓”展に行ったんな~」と言われていたのだが、ようやくに今日、高松市の五色台にある「瀬戸内海歴史民俗資料館に来ることができた。

 

 民俗学では、葬送墓制は日本人の古い精神文化を色濃く残すものとして早くから研究者の関心も高く、その習俗は時代を経ても変わりにくいものと認識されてきたが、この平成の時代、それらは大きく変化し、今や昭和時代までのお葬式やお墓のようすは昔語りとなってしまった。そこで、ここでは、「昭和のお葬式とお墓」と題して、その失われた習俗や墓地景観などを道具や写真からひも解くテーマ展を開催している。

 

 これは、佐柳島からの注文で、さぬき市大川町(私の住んでいる町)の桶職人がつくった棺桶である。うちの曾祖父は、これに入れて「野辺の送り」をした。小学二年生の時だった。

 

 これは、「四本旗」で、お坊さんになってこれを習った。諸行無常と呼ぶ。お釈迦様が前世における雪山童子であった時、この中の後半偈を聞く為に身を羅刹に捨てしなり。これより雪山偈とも言われる。「いろはにほへどちりぬるを 諸行無常」「わがよたれぞつねならむ 是生滅法」「うゐのおくやまけふこえて 生滅滅已」「あさきゆめみじゑひもせず 寂滅為楽」だった。

 

 これは「四花」とか「死華」とか言った。若いうちはこれを作らされた。

 

 これは塩飽の島々でよく見かけた「六角塔婆」。ここにも諸行無常が書いてある。

 

 これもしわく廣島で見かけた「極楽丸」。初盆には昔は木製で立派なものを作ったらしいが、本船がこれを漁船と間違って大騒ぎしたことから、紙製とか段ボール製になった。

 

 これはまた、立派な座棺用の輿である。三豊市詫間町で使われていたもの。まるで神社の御輿みたいだ。

 

 これは、まんのう町(旧琴南町)の野辺送りの写真。血の濃い女性は嫁入りの時の白無垢と白いかぶりものをして、「善の綱」を引いている。

 

 これは三豊市詫間町での埋め墓。犬や狼が遺体を荒らさないように、竹などで遺体を守っている。これを「猪垣(いがき)」と言った。昭和に育った人たちにとっては。「そういえば昔のお葬式やお墓はこんなだった」と懐かしく思われるかもしれない。また、平成生まれの人たちにとっては見たこともない驚きの道具や風景(写真)に出会えることだろう。

 

 その後、高松市飯田町にある「岩田神社」に寄ってみたが、ここの「孔雀藤」はようやく開花したばかり。お年寄りたちが「ふじまつり」ののぼりを立てたり、境内のお掃除をやっているところだった。

 

 お昼からは、東かがわ市帰来にある「芝桜富士」を見てきた。昨年の夏の暑さと小雨で六割が枯れてしまったとかで、今年はさみしい芝桜富士になっていた。

 

 この「五合目」はいつもだときれいに満開になっている場所だが、秋から今年の春に植え直したようでお花が小さい。

 

 今日の掲示板はこれ。「苦しみや悲しみのおかげで 心は深くなり美しくなるのです」という荒了寛さんの言葉から。

 幸福というものがあるのではありません。幸福と思うこころがあるのです。幸福と思う心が幸福なのです。楽な道を苦しみながら歩いている人は、近くても到達できません。苦しみの道を楽しみながら歩いている人は遠くても必ず到達できるのです。思い切ってあ「ありがとう」と一言云ってごらんなさい。その一言で相手もも変わるし、自分も変わるのです。苦しみや悲しみのおかげで、こころは深くなり、こころは美しくなるのです。これまでできなかったことも、これからはできるかも知れません。過去にとらわれることなく、やってみることです。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


枝先の 緑ほのかな 春の風

2017年04月20日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、はじめ晴れていたが、気圧の谷の影響で昼過ぎから曇ってきた。気温は9.4度から16.3度、湿度は96%から62%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の21日は、南海上を東進する低気圧の影響で、朝から昼前にかけて雨が降る見込みらしい。

 

 今日は4月20日の木曜日、今日は何の予定も計画もない。だから・・と言う訳でもないが、来週の「学校支援ボランティア」の下調べのために、四国霊場88番札所の大窪寺にやってきた。私たちは、お寺のガイドはしないことになっている。じゃぁ、何をガイドするんだ・・ということで下調べ。

 

 来週半ばまでなら、この花が咲いているだろうと下調べ。これが何だか知らない人が多い。大きなカメラを構えたご夫婦に、「この桜は珍しい、緑の桜なんですよ」と教えても、「もう、終わってしもとる・・・」と、花も見ずに場所を変えた。「ふーん、何を撮影に来ているんだか・・・」

 

 珍しい桜でも、興味のない人には「馬の耳に念仏」。もったいないことだ。

 

 先の人は、葉っぱが出たら終わり・・だと思い込んでいるのかも知れない。この桜は、これからが見頃になるというのに。来週、中学生を150人連れて参りますのでよろしく。>院代さま。

 

 県道2号線の防災工事も大詰めを迎えている。今は「植生工事」で雑草の種を吹き付けしている。上の方は緑化が進んできた。

 

 島のお友達から、「来週、イギリス公使館へ行く用事があるので、レキの資料を送れ」と、メッセージが来た。すぐに印刷して製本した。

 

 忘れないように、すぐさま、送る準備をした。

 

 で、郵便局から「書籍」として送って貰った。

 

 その足で、山の旧宅に言ってみた。もう、サルもイノシシも飽きたのだろうか。我が家も二人家族なもので、二三本でいいからと掘ってみた。さすがに昨日の今日だから、少し動くと動悸がすごい。心臓が止まらないように休み休み、掘ってみた。

 

 こんなにもいらないのに、これほど掘れた。掘らないでほおっておくと竹藪になる。いらないけれど、切り飛ばしてしまう。

 

 でも、皮ばかりで、中身は少ない。

 

 皮をむいてしまうと、これだけになった。

 

 それを鍋に入れて湯がいておく。あとは奥方が、煮付けにするなり天ぷらにするだろう。

 

  今日の掲示板はこれ。「金ためて何をするぞと思いしに 煩悩ふやすことばかり」というもの。どこのどなたの言葉かはわからないが、お金を貯めたことのない私には、お金を貯めれば煩悩が増えるのかどうか分からないが、お金がなくても煩悩は増えて増えて困るのだけれど。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


ただ無心 風に任せる 山つつじ

2017年04月19日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は12.4度から20.6度、湿度は74%から51%、風は2mから7mの西風が強かった。明日の20日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 さて、今日は月に一度の「予約診察日」。今朝も朝から調子が悪い。

 

 この日曜日から「おなかが張る」、「息苦しい」というのに、足・・膝からかかとまでの部分がむくんではれぼったくなってきた。で、今日を待って、病院へやってきた。

 

 まずは、「胸部X線撮影」。これは数分で済んだ。

 

 「検体検査」の「採血」は数分待って、あっという間に済んだ。だが、「検尿」では「尿」が出ない。だから、胸部に水がたまって「胸水」になる。それが心臓を圧迫して高血圧になり、肺を押しつけて息苦しくなる。

 

 予約は11時からだったが、10時半過ぎに診察になった。先のグラフを見せたところ・・・、

 

 私の年齢や身長、体重尿の量なんぞを入力すれば、私の食塩摂取量が算出される。それが、11.05g/day ということになる。標準は、6g/day だから倍近くの塩分を摂取しているというのである。「水分と塩分の採りすぎですから、半分にしてください」とのこと。水はペットボトル500mlを10本だから5リットル。これも半分の2リットルから2.5リットルまで。

 

 泣く子とドクターには勝てない。

 

 当分、このカップ麺は禁止になった。薬代が高いからカップ麺しか食べられないのに、それを禁止されたら、私は何を食べるというのだ。このあたりには「かすみ」もやってこないから、かすみさえ食べられないのに。

 

 くすり屋さんに行く前に、途中の銀行で4万円を下ろしてきたが・・・、

 

 病院代と薬代とで、33,290円になった。4週間分だから少しお安い計算になっている。5週間分だとたまげるお値段になる。

 

 午後から、さぬき市立図書館に行って来た。

 

 前回に借りた、この本。返却日が昨日だった。黙って返却したが、何も言われなかった。しばらくはまた、忙しくなるので、今日は本は借りずに戻って来た。

 

 夕方になると、「利尿剤」が効いてきたのか、だいぶ、楽になり、血圧も下がり、足のむくみも楽になった。

 

  今日の掲示板はこれ。「自信の上には奢りがあり、謙遜の下には卑屈がある。決して、自信に墜ちるな、謙遜に満ちるな」という大滝秀治さんのことばから。大滝さんは大正14年6月6日生まれ、平成24年10月2日没。俳優・ナレーター。本名同じ。昭和18年に旧制私立駒込中学校を卒業して、三田の電話局に勤務した。昭和20年に通信兵として召集され、戦後は大手町の電話局で、進駐軍を担当した。平成23年度文化功労者。名優の一人として舞台やテレビドラマ・映画・テレビコマーシャルと60年以上にわたり幅広く活躍した。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


御衣黄も この時期だけの ほめ言葉

2017年04月18日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇っていたが、昼過ぎからは晴れてきた。気温は14.0度から21.9度、湿度は86%から64%、風は5mから6mの西の風が一時は強かった。明日の19日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日は火曜日ということで、恒例の「前山地区活性化センター」に出勤した。いつもは9時からなので8時45分くらいに来るのだが、今日は準備してきた展示物を展示するので8時10分にここに来た。

 

 で、準備したものを展示ケースに並べてみた。まだ、「仮置き」である。

 

 置いてみて、この「かぶと」が誰の物かわからない。「愛宕山」はどこの「愛宕山」なのかわからない。愛宕権現(あたごごんげん)は愛宕山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神号であり、イザナミを垂迹神として地蔵菩薩を本地仏とする。神仏分離・廃仏毀釈が行われる以前は、山城国(現京都府)愛宕山白雲寺から勧請されて全国の愛宕社で祀られた。

 

 このかぶとは、仙台藩の重臣、「片倉小十郎」のもので、代々、「片倉小十郎」を名乗って、このかぶとを着用した。伊達政宗の病の目をくりぬいたのも、この「片倉景綱」であった。愛宕山白雲寺は勝軍地蔵(将軍地蔵)を本尊としたため、戦国時代にかけて愛宕権現は勝軍地蔵が垂迹した軍神として武士から信仰を集めたという。

 

 今度の宿題はこれである。「長日護摩供之トク 本願 成就院」という護符で、誰かが「高野山」と朱書きしてある。で、この袋の中に、

 

 という「神符」が入っていた。これはどこのものなのか・・・。

 

 で、こういう本で調べてみた。この「金峯山寺」の境内に「成就院」という建物はあった。

 【成就院】 成就院は「吉野山絵巻」(桜本坊所蔵)ならびに『大塔宮之吉野城』によると、葦駄天山の南にあった。寺僧方。 「吉野惣山寺領配当目録」(文禄四年)で五石を配当されている。では、祇園社は・・・。

 

 【牛頭天王社】牛頭天王社は高算堂の南方にあった。創建不詳。「大和国国軸山金峯山寺由緒略記」(慶応四年七月、東三箱五号)に「牛頭天王社去子守社南二町余、在躑躅岡。素蓋雄尊ヲ祭~。御鎮座ノ時代分明ナラス」とある。

 

  慶応四年(一八六八) 五月廿四日、神仏分離にともない吉野山の三社の社号を改める願書を弁事伝達役所に提出したが、その中で牛頭天王社を躑躅岡神社と改称する案が出された (集成三部三八四号)。しかし、「牛頭宮は子守の八王子神社と岩倉の牛頭神社と辰之尾の雨師明神社へ分割合祀された」(宮坂徴和前掲書)。と、あった。

 

 私と中島先生は次の展示の準備。

 

 ほかの皆さんは、今週の土曜日に行われる年度総会の準備に大わらわ。

 

 お昼から大窪寺の「御衣黄(ぎょいこう)桜」を見てきたが、ようやくに花を開きかけたところ。今年は何もかもが少しばかり遅い。

 

 今日の掲示板はこれ。「険しい道ではつまずかないが 平らな道でつまずく」という荒了寛さんのカレンダーから。危険な場所や困難な仕事には慎重に慎重に行動して、結局何もなく終わることがあったりするもの。逆に、『なんでこんなことで?』とか『そんなことも出来んのか』といわれる仕事なんかで、思わぬ失敗をしたりするもの。慢心や油断がそういうことを起こしてしまうのだろう。初心を忘れず、丁寧な仕事や行動を心掛 けたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


あさみどり 新しい靴を はいてみた

2017年04月17日 | 自然ありのままに

 丸亀地方は、低気圧や前線の影響で昼過ぎから雨となった。気温は13.8度から21.1度、湿度は96%から71%、風は1mから4mの南南西の風が吹いていた。明日の18日は、低気圧や前線の影響で明け方まで雨や雷雨となる見込みで、その後は高気圧に覆われて晴れるらしい。

 

 今日は旧暦の3月21日ということで、「しわく廣島」の「お大師まいり」の日。いわゆる「島四国」の日である。ま、一般的には「お接待の日」と呼ばれている。ここが、立石浦のお大師堂で、ここが島四国の1番札所である。

 

 こういう所におまいりして、お賽銭を置いて、お接待の品を頂いて回るのである。

 

 どういう訳だか、この日のお天気はいつも悪い。毎年、雨に悩まされるが、今日は午前中は大丈夫みたい。さぬき市からお友達が二人やってきて、うちの軽トラの荷台(!!)に乗っていただいて、こうした札所でお接待をいただくのである。

 

 島にはちゃんと88の石仏(本尊)と、お大師さんの石像があるのだが、お接待のある札所にしかお参りはしない。

 

 最近はそれぞれの集落で3ヶ所くらいの札所になっていて、7集落だから21ヶ所だと思っている。20年ほど昔はそれの倍くらいあったのだが、過疎と高齢化でぐんぐんと減ってきた。

 

 今年は月曜日の平日であり、天気が悪いということで、お参りの人も少なかった。

 

 この島には五つのお寺があり、真言宗寺院が4ケ寺、天台宗寺院が1ケ寺で、普段は誰もおらず、ご法事やこういうイベントがあれば、丸亀や善通寺からお坊さんがやってくる。

 

 昔はご飯もの、小豆ご飯とかお寿司とかが多かったが、手間がかかるということで、お菓子とかインスタントラーメンとかになってきた。今年は「ポテトチップス」が多いのに驚いた。

 

 熱心な方はちゃんと「般若心経」をお唱えしていたが、多くがお賽銭を置いて(それも五円とか一円とか)、好きな品物をつまんで帰るのである。

 

 今年のお接待でいただいたものがこれ。ご飯ものは二ヶ所だけになってしまった。

 

 朝の8時から回り始めて、我が家に戻ったのが11時半。頂いたものでお昼にするのかと思うと、しっかりと荷造りして昼食はなし。で、12時50分のフェリー「しわく丸」に乗って帰宅。我が家に着いたのは15時ちょうど。

 

 我が家の台所に、たくさんのタケノコが・・・。たぶん、弟のよっくんだろうと思う。

 

 さっそくに皮をむいて大きな鍋でゆがいておく。新鮮な間にゆがいておくとやわらかい。あとは奥方が煮付けなり天ぷらにするだろう。

 

 今日の掲示板はこれ。「出逢いで人生は広がり 別れで人生は深まる」というもの。

 出逢いで人生は広がり 別れで 人生は深まる

 幸運で 人は自信を深め、不運で 人は成長する。

 順縁(好きな相手)は人の心を癒し、逆縁(嫌いな相手)は人の心を磨く。

 得意分野は 自分らしさを伸ばし、苦手分野は 自分の視野を広げる。

 愛されることで 人は柔らかくなり、愛することで 人は強くなる。

 夢は 新しい物語の始まりで 夢の終わりは 次の物語の始まり。

 心に押し寄せる波は 激しくもあり 優しくもあり

 強くなりたいと戦えば 荒ぶる波に 叩きつけられ傷を負う

 でも その後 必ず 包み込む波がきて 傷を癒してくれる

 そうやって あなたは磨かれ あなたは あなたになっていく 

                     (しあわせは「今」ここにある)より

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


若葉切る 機械の音の 溶ける空

2017年04月16日 | 今日もなんだかなぁぁ・・・だった日。

 丸亀地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は一気に13.8度から23.8度と夏のような陽気。湿度は96%から73%、風は1mから2mの北西の風が少しばかり。明日の17日は、低気圧や前線の影響で昼過ぎから雨となり、雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 またしても丸亀港。今日は修理の終わった草刈機を担いで島に帰る。気分はルンルンだった。

 

 天気はいいし、暑くも寒くもないし、これまでの障害もクリアされたし・・。これで、バリバリと草を刈ればOKだ・・・。

 

 広島神社の桜はまだ残っている。

 

 おお、ガスボンベは交換されていたのでバッチリだ。

 

 ところが、この軽トラのキーがない。私はちゃんとつけたままで帰ったはず。金崎さんが間違って持って帰ったのか。家の中を見てもキーはない。

 

 予備のキーを差し込んでみると、燃料は入れられていない・・・。なんたることだ。そうか、キーがないから燃料補給ができなかったのか・・。(愕然!)

 

 インスタントラーメンで昼食として、お昼過ぎのフェリーで丸亀に向かった。明日、ガソリンがないと困るのだ。

 

 駐車場にとめてあったマイカーに乗って、ホームセンターまで走り、ガソリンの携行缶を買った。本当は、それでいいのだが、フェリーは、危険物の持込が厳しい。

 

 途中のセルフのガソリンスタンドでガソリンを10リットル買い込んで、このタンクに詰めた。また、スーパーで空き箱をいただいてきて、携行缶をすっぽりと隠してカモフラージュした。

 

 こうして、なんとか、ガソリンを注入することができた。つくづく島の不便さを感じたことだった。

 

 ま、これだけあれば、明日半日は大丈夫。

 

 あとは、見える部分だけ長い草だけ刈り払っておいた。あわてたためか、血圧が高いように思えるし、おなかが張って違和感がある。利尿剤が効かなくなってきたのかも。だから、無理をせず、簡単な作業にとどめておいた。

 

  今日の掲示板はこれ。「課題は大きければ大きいほど動かない。ただ、最初の一ミリが動くと、あとはどんな大きな岩をも転がっていく」という、J.フロントリテイリング社長の山本良一さんの言葉から。山本さんは横浜市生まれ。横浜市立桜丘高等学校時代には、バスケットボールで県選抜として、国体出場。 明治大学商学部進学後は、体育会バスケットボール部に属しインカレ三連覇に貢献する。1973年大丸入社。大阪・梅田店営業企画部長、百貨店業務本部営業改革推進室部長などを経て2003年、13人抜きで役員経験なしで社長に就任。 2007年大丸と松坂屋の経営統合に伴い設立された持ち株会社のJ.フロント リテイリング取締役。2010年、大丸、松坂屋百貨店社長に就任。 2013年4月、J.フロント リテイリング社長になった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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