まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

おみやげの とうきょうばななを たべるはる

2011年03月31日 | 日常

 なんか・・・少しばかり・・お疲れモードかな・・ということで、朝の八時まで寝てしまっていた・・・。歩き疲れたし、少しばかり・・・のどがぴりぴりするかなぁ・・みたいな。

 

 あたりは急速に春めいて・・いや・・夏めいてきたような暖かさ・・。急速な夏がやってきたようで、すっかりと自律神経失調症・・・。

 

 今日は自治会長の名義変更手続きで半日が過ぎた・・・。JAの預金通帳名義変更からはじまって、市役所への自治会長交代の書類が数種類・・。それが終わると、電力会社やら四電工さんにも名義変更手続き・・・。神社まで・・代表者の名義変更をしないといけないらしい・。

 そこまでせんでもいいんじゃないかと思うほどに・・・一年ごとに、その名義を変更するなんて大きなムダだとおもうけれど・・。単に・・「○○自治会」とか「ペケペケ自治会長」でええと思うんやけれどもね・・。。

 

 で、今日は・・・13時過ぎまで・・動いていたもので、おうどんを食べる間がなくて・・。12時を過ぎるとお店が混むしね・・・。そんなんで・・行ったり来たりのうどん放浪・・・。そんな、ええもんか・・・。

 

 そんなんで、町内のおうどんやさんの「杉本」さんに落ち着いた・・。さすがに・・13時を過ぎるとお客さんはいなくなる・・。

 

 で・・・・かけうどん小におあげを乗せてみた・・。180円+100円の280円。今日は身体ならし、こころならし、味ならし・・・かね。どうにも御馳走を食べ過ぎたかも・・・。

 

 そんなんで。午後からはブログの整理・・、書類の整理、写真の整理ほか・・。なんだかんだで、わやわやですわ・・・。明日も少しばかり朝寝モードになるかも・・・。

じゃぁ、また、明日、きっと会えるね・・。


実写版:3月30日の日記帳

2011年03月31日 | たまには旅など・・。

 さて・・・三月30日はいよいよ・・・海上保安庁に行く日だけれど、そこは午後からでないと公開していないので、午前中は・・海の科学館に行くことになった・・・。そこへは・・「ゆりかもめ」という電車にのって、「船の科学館前」という駅でおりる。

 

 まぁ、今回の旅で・・困ったことといえば・・この階段だ・・。節電のために、エレベータやらエスカレーターが全くと言うていいほど動いていない・・。なかなかにお年寄りには階段の上下はつらいものがあった・・。

 

 春休みになったとはいうても・・時期的な問題なのか・・見学者は数えるほど・・。館内は閑散としている分だけ、安心して落ち着いて見学ができた・・。

 

 こういう潜水具から・・丸木舟・芦船から始まって・・・船というものがこれでもか、これでもか・・と置いてある。

 

 この白地に黒の横線が入った帆船は・・「幕府船手組」のマーク。つまり、「幕府軍艦」であることを意味している。。、「鳳凰丸」とか「昇平丸」とか「観光丸」とか・・。ところが・・咸臨丸にはこのような縞模様がない分、「中黒長旗」というのぼり状の吹き流しがメインマストに掲げられていた・・。

 

 はやてちゃんの楽しみにしていたラジコンボート。普通の船とおなじように・・蛇輪を回すと方向がかわり、スロットルの操作で前進・後進・速度調節ができる・・。

 今日の昼食はこの建物内にある「レストラン・海王」で食べた・・。とにかく・・船の数が多くて・・なかなかに全ては見切れない・・・。

 

 午後からは・・砕氷船「宗谷」の見学・・。あの・・南極のオングル島の「昭和基地」まで人材や資材を運んだ船・・・。狭い艦内効率よく分割されていて・・長い航海にはしんどかっただろうなぁというような狭さだ。

 

 はやてちゃんは・・操舵室がお気に入り・・。「とりかぁじ、いっぱい~!」などとやっている。五月の連休には「あかつき2」で実船操作を教えるかなぁ・・。

 ここでも・・階段を上がったりくだったりばかり・・・。さすがに午後になると・・ギブアップ。青函連絡船の「羊蹄丸」は見学中止・・。もう、足がパンパンになっている・・。

 その後は・・地下鉄に乗って・・・築地市場近くの「海上保安庁海洋情報部」へ行って・・「英国軍艦シルビア号」について調査だが・・。

 

 こういう・・・天体測定器具とか測量機材が展示空いてあるが、まぁ・・難しそうなものばかり・・。

 

 

 こういう鳴門周辺の測量地図とか、釜石とかは見みえるのだけれど肝心の瀬戸内海のものはない・・。

 

 これが海軍少将の「柳楢悦」氏。海軍水路部を作った人・・。即ち、現在の海図の基本を作り上げた人ということになる・・。

 

 これが・・海軍の機密海図集。各種軍港の様子、軍艦の配備数などが期されている国歌の機密文書だったものらし・・。

 そういうことで、無事に今回の旅の目的はクリアー。空港近くで・・・軽くお飲み物なんぞを楽しんで、少しばかりの休憩・・・。足がいたくてねぇ・・・。

じゃ、また、今夜、会えるといいね。


実写版:3月29日の日記帳

2011年03月31日 | たまには旅など・・。

 この日も春らしい暖かな日になった・・・。九時半過ぎに家を出て、甥っ子のケイゴ君と、私たち二人は・・横浜に向かった・・。

 

 で、山手にある「外交官の家」なんぞを散策して・・・「横浜ブリキのおもちゃ博物館」に行ってみた。思ったより小さいお店で、3000点とかいうてたけれど、ぎっしりと並んでいるから、そんなに多いおもちゃではないような印象だった・・。ま、ブリキでできた人形・ロボット、船・汽車・自動車・飛行機・・・。あるわ、あるわ・・。

 

 ま、懐かしいなぁとは思ったけれど、それ以上でもそれ以下でもなかったなぁ・・。ま、こういうおもちゃがほしい年代でもないし・・。

 

 その後・・・横浜マリンタワーに案内してくれた・・。私は高所恐怖症だから・・高いところは苦手なんだけれど、まごのはやてちゃんのためならば・・と勇気を出して上がってみた。高さまでは記憶していないが・・・100m前後だろうかね・・・。どうにも、私は高いところが苦手だ・・。

 

 その後・・・日本郵船の「氷川丸」に乗った・・。実は、先のマリンタワーとペアの入場券になっていたもので・・。ま、実に大きな船だ・・。お金持ちはいい船室にとまれるらしいが、一般の人は狭くてきゅうくつな旅やったろうと思うね・・・。

 

 一等客室のお客さんはこんなテーブルでお食事だったらしいし、銀の食器とかで・・。三盗客室は小学校の食堂みたいなものかね・・。

 この船の機関室にはおどろいた・・・。とにかくでっかいエンジンが四つ・・・。まるで・・・小さな工場みたいなもんだった・・・。

  

その後・・・横浜中華街でお食事・・・。本場中国のお料理みたいなわけのわからんものを食べて・・そのあたりをおつゆだらけしてしまったし・・。どうにも田舎者のおのぼりさん風・・・。ま、そのあたりには、それらしき人が大勢いるしね・・・。

 

 食事が終われば・・・「赤い靴はいた女の子」探し・・・。こういう童謡も忘れ去られているみたいで、私が・・・下手な・・「あかいくつ・・・はいてたぁ・・・」と歌うと・・・「あ、これがそうか・・」みたいなことで、若者らが集まってきたが、やがてには・・・すっかりと忘れ去られてしまうのやろうね・・。

 

 その後・・・「横浜開港資料館に行ったり、海上保安庁横浜分室の「北朝鮮工作船展示場」にいってみた・・。

 

  ここの撮影は許可いるようなので・・自粛した。ま、とにかくでかい船だし、漁船を改造して工作船にしたのではなくて、最初からその目的のために作られた工作船だと言うことがわかる・・。とにかく・・大きなエンジンを四個も装備して高速化を図っているし・・・。

 で、今日の旅のしめくくりは・・・ここ。日本丸一世号・・・。

 

 この船はここのドックに保存されていて、実際の航海実習は・・「二世号」が担当しているらしい・・。

 

 これが・・・日本丸の通信室。右側の時計が沈黙時間入りの時計だ・・。

 機関室は・・思ったより小さなエンジンになっていた・・・。

 

 これが四個あったが・・・ちょっとしたトラックのエンジンみたいだなぁとは思った。ま、それが四倍になればパワーもあがるのだろうけれど・・。

じゃぁ、また、あとで・・。

 


実写版:3月28日の日記帳

2011年03月31日 | たまには旅など・・。

 とうとう・・この日がやってきた・・。昨年の秋頃から計画を練って練ってしたのに・・・突然の東北沖関東大震災・・・。田舎は特にわぁわぁ・・と大騒ぎ・・。物資がない、食料がない、電車が止まる、計画停電になる・・・。放射能があふれてる・・、被曝をするぞ・・。

 

 でも・・、この地球上、安全な場所なんてどこにもないんだ・・。それだし・・・誰かさんがいうておった、「クモの糸」・・。カンダタは自分だけ助かろうと思ってクモの巣からお浄土に逃れようとして、あとから来るものを追い落として・・・結局・・自分も地獄に落ちてしまう・・。

 そんな時だからこそ、お互い、助け合おう、分け合おう・・・みたいなことが必要なことだし・・。

 

 高松駅から・・・マリンライナーで岡山駅へ・・。それも・・・三便ほど早い便に乗って・・・。で、岡山駅でお昼だが、「こんなところまできて、おうどんは食べない・・」という我が儘な性格で・・・お豆腐と野菜サラダという簡単なお食事・・。

 

 でも、新幹線は指定席を予約してあるもので、それに乗るしかない・・。二時間あまりを岡山駅で過ごして・・。

 

 で、12時22分だかの「「のぞみ122号」だかに乗って・・・・東京の「品川駅」に着く・・。16時前だったように思う・・。3時間あまりの旅だった・・・。

 で、品川駅で・・・甥っ子のケイゴ君に会って、そこから・・浅草に向かった・・・。

 

 そう、これが・・・アサヒビール本社か・・。違う、違う・・。「東京スカイツリー・タワー」やがな・・。

 その後・・・「勝安芳」の銅像に案内されて・・・。ふーん、こんなものがここにあるんか・・。みたいな印象・・。

 

  そういえば・・、こうした表情の勝さん・・見たような記憶があるね・・。というて、勝さんの実物はみたことがないんやけれど・・。

 

 その後・・・浅草寺や仲見世を歩いて、けいこばぁのおみやげの「唐辛子」を探して歩いて・・・。ま、なんとか、おみやげも買ったしということで・・・弟のおうち、川崎まで戻って・・・。

 さてだ・・。「せっかく、あんちゃんが送ってくれたのに、まだ、計画停電にならんで、使ったことがないんや・・」ということで、「計画停電シュミレーション」・・・。

 

 これは・・・卓上ガスコンロ用のボンベを燃料にする・・アウトドアグッズのランタン・・。けっこう。明るかった・・・。

 

 あと・・、単二乾電池で照明するLEDランタンが二個。早めに準備をしておけば、ランタン生活も楽しめるかなぁとは思った・・。でも、今年の夏場は・・・大幅な電力消費がおこるから、こんな小手先では無理かなぁなどと・・。

じゃぁ、また、少しあとで。

 


旅に来て 空の重さや 弥生尽

2011年03月30日 | たまには旅など・・。

 さて・・・、横浜散歩で疲れた身体を・・・川崎の弟のおうちで休めて・・・、今日はお江戸の散歩。今日が本来の目的地・・。

 その目的地の資料館が開いているのは・・・「水曜日の午後1時から17時まで」だというので、午前中をどするべぇ・・ということで、お台場にある・・船の科学館に行くことにした。ここも東北の地震の影響でお休みをしていたのだが、私らのために特別にあけてくれることになった・・。本当は・・春休みになったということから開館してくれたものらしい・・・。

 

 ここでは・・船に関することがたくさん勉強できる。大きな船の形をした建物は一階から六階まであって、さまざまな海や船のことがわかる・・・。

 

 戦艦大和もいれば和船や潜水艦もいるし、屋外展示では「青函連絡船羊蹄丸」という連絡船もいるし、砕氷船宗谷もいる・・・。まさに船の科学館・・・。ところで・・咸臨丸もいるんだろうか・・・。

  ここがお休みならば・・・靖国神社の就遊館でも行こうかと考えていたのだが、私らの意向をくんでくれて開館してくれたのはありがたい・・・(ほんまかいな・・・)。

 

 で、お昼はおいしいラーメンでも食べて・・・元気をつけて・・・。

 

 今回のメインの目的地はここ・・。海上保安庁海洋情報部。つまり・・だ。さぬき広島にある「英国士官レキの墓」を調べていると、「英国海軍測量船シルビア号」を調べなくてはならない。そのシルビア号に関する資料がここにあるというのだ・・。

 

 で、さぬき広島では「英国士官レキ研究会」というものが立ち上げられたが、いろいろな事情があって、今回、私だけがここに来ることになった。そのついで、まごのはやてちゃんが監視役で、いとこのケイゴ君が道案内ということになったことは先に説明した通り・・。

 

 これは・・・「秘密海図」軍事機密の海図で、軍港や艦船の投錨地などが記入されたもの。

 これは六分儀という天体観測用器具。デジタル設備やコンピュータ機器のない時代に、海洋測量や水路図誌作成にかかわってきた先人達の貴重な資料がここにはある。

 

 これは・・「柳楢悦」。英国測量船シルビア号とともに瀬戸内海を測量した人で、津藩の下級武士だったが、選ばれて長崎海軍伝習所の第一期生として派遣され、勝鱗太郎や榎本武揚らと同期生だった。その後、海軍水路部を創設し、明治四年には海軍少佐に昇進、春日の艦長として北海道沿岸の測量をした。

 これが・・今の・・海上保安庁海洋情報部の前身であった・・。

 

 そのつながりとして働いたのが・・・。

 

 後の真珠王となった・・・、「御木本幸吉である。その足跡を追え!」というのが、今回の旅の指令である・・・。さてさて・・、どこまで・・・シルビア号と御木本幸吉の接点はしぼれるのだろうか・・。

 帰路は・・・羽田発 ANA537便 16:55発 18:10 高松着

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


赤い靴 探してハマは 春の風

2011年03月29日 | たまには旅など・・。

 さて、今日は横浜の旅である。本当ならば・・・「英国士官レキ研究会」のメンバーと一緒に横浜ほかを訪ねる予定であったのだけれど、少しばかり・・・段取りが狂ってしまい、私一人で横浜・東京の旅になる。

 ところが、「それじゃダメでしょ、ビデオちゃん!」ということで、監視役に孫のはやてちゃんがくっついて行くことになって・・・。「そんな・・・、ホテルに泊まるなんて、ダメでしょ、ビデオちゃん!」ということで、弟んちに泊まることになった・・・。

 で、「♪~・・・赤い靴・・・はいてた・・おんなのこぉぉ~」を探して・・横浜に来た・・。

 

 とにかく・・・お船だ・・。昨年春にも・・横須賀・・横浜にやってきたのだけれど、あいにくと・・月曜日だったもので、どことも休館だった・・。その・・リベンジということで・・・横浜に来た・・・。

 この記事は・・・「予約投稿」なので、実際の旅とは違うと思うけれど、それは事後に修正することにして。計画では・・・日本郵船氷川丸・日本郵船資料館・横浜開港資料館・横浜海洋防災基地・・・。

 

 この煙突の「白地に赤の二本線」が、「日本郵船:にほんゆうせん」の「ファンネル・マーク」だ。通常、この「ファンネル・マーク」は「社標」が使われている。これで、この船がどこの船かを識別する。こどもの頃の少年探偵手帳には、このような「煙突マーク」も重要な資料だとして載っていた。

 

 

 ここが・・・日本郵船の資料館やったかね・・・。とか・・。

 

 横浜開港資料館とかを見学して・・・お昼になれば・・・。

 

 横浜中華街でお食事して・・・。ま、このあたりは・・・歩いて見学することになるので・・・おなかもずいぶんとすくだろうしね。

 

 あとは・・・海上保安庁横浜分室に行って、「北朝鮮工作船展示場」を見学する予定。改修工事も終わって私たちをお迎えする準備ができているんだとか・・。

 

 これが・・北朝鮮の特殊工作船の残骸・・・。ほかに装備品の機銃とかも・・・展示されているらしい。

 

 その後は・・・「日本丸:にっぽんまる」一世号の見学・・。ここでは船内も見学できるんだとか・・。

 

 これは「国際信号旗」で、「安全なる航海を祈る」という意味の「UW旗」。港を出て行く船に対して、海の上での・・・「安全なる航海を祈る」という意味の旗を掲げる・・・。

 

 出港する船のメインマストには、その返礼として・・「UW1旗」が掲げられる。「安全なる航海を祈る」

じゃぁ、また、明日まで・・・「安全なる航海を祈る」

 


春の川 超えてのぞみの 叶う海

2011年03月28日 | たまには旅など・・。

 昨年の秋くらいから・・・横浜行きが浮上してきて・・・。ま、丸亀市沖のさぬき広島の過疎化が進む一方だし、他方では・・新造船「しわく丸」が今年の秋には就航するということもあって、「しま興し」として、何かやらんといかんなぁ・・ということで、あれこれと・・。

  

 そこで「英国士官レキ研究会」みたいなものを立ち上げて、イギリス海軍の「シルビア号」とはなんぞや・・・みたいなことから・・・、その資料が東京にあるぞ・・ということで、海上保安庁海洋情報部に行くことになった・・・。横浜はそのついでというか、参考資料を集めに行くということで・・。

 

 で、娘が春休みになったもので、高松駅まで、まごのはやてちゃんと二人を送ってもらうことにして、JRの高松駅をお昼前に出る・・・。

 

 11:10 JR高松駅発の「マリンライナー26号」に乗って・・・岡山駅には12:02分に到着予定。

 

 こういう・・・観光客用の車両には乗らず、普通の一般車両に乗って・・・岡山駅に・・。瀬戸大橋が珍しいという時期は済んだし、マイボートでこの橋の下を何度も通過しているし・・・。ことさら、高い料金を払って見るような興味もないし、趣味でもない・・。

 

 ここ最近は・・・マリンラーナーにも乗ったことがないし、岡山駅にも来たことがない・・・。数年前の夏だかには・・・京都の本山で「住職研修会」があったとき、京都駅から新幹線に乗って岡山駅経由、マリンライナーに乗って帰ったことはあるが、さだかな記憶でもない・・。

 ここでの乗り換え時間は11分。新幹線「のぞみ122号は・・12:23分発。

 

 これに乗って・・品川駅には15:46分着。3時間23分の旅かぁ・・。OA担当の時は全国を走り回っていたのだけれど、そういう時期も短かったなぁ・・。あとは・・地元周りばっかりになって・・・。個人的に旅に出る機会も趣味もなくて・・・。出不精というか・・・面倒くさがり屋だからね・・。

 

 旅に出る三要素というのがあって、「お金」「時間」「健康」なんだそうだ・・。この三要素が揃ったときには旅に出られるが、その三つの内のどれが欠けても・・旅には出られないのだそうだ・・・。でも・・「旅に出ようという意欲」というのも要素にはなり得るなぁと思ったものだった・・。

 

 品川駅には・・・甥っ子の「けいご」くんがお迎えに来てくれることになっている。そこから・・川崎までは電車に乗るのだろうね・・。都会の交通網は全くわからない・・・。

 

 ということで、今夜は・・川崎の弟の家にお泊まり・・。計画停電がないといいのだけれど・・。

じゃぁ、また、明日、きっと会えるといいね。 


音立てて 春水の行く 犬の後

2011年03月27日 | 日常

 さて・・、年度末ともなると人事異動で悲喜こもごも・・・という時期で、残る者、去る者・・・思惑の外れたものなどと・・。そしてまた・・引っ越しだ移転だと大騒ぎをするころ・・・。

 

 そういうことも終わったなぁと・・のんびりとしていたら、青天の霹靂のように・・・「自治会長」の当番なんだと・・。この集落は・・十二戸。60歳以上が16人、それ以下が12人の合計28人という小さな集落。だから、すぐに当番が回ってくる。

 

 で、昨夜、役員改選というても、筋書き通りに順番通りみたいなことだから仕方が無い。で、今朝の8時から事務引き継ぎということだったが、田舎の自治会でも、USBメモリーでデータやら書類の引き継ぎだ。

 

 ワードやらエクセルやらPDFファイルで、PCを使っての事務引き継ぎ・・・。おそれいるね・・・。さすがにパワーポイントとかはなかったけれど・・。で、会計処理ファイルにはデータ保護がかかっていたり、電子日付印とか電子印鑑とかを使っている・・・。なかなかに・・・自治会長にもなれんね・・・。唖然としたなぁ・・。

 

 で、役所関係から体育協議会・神社・電気・水道・浄化槽点検・・・・などの名義変更処理。JAさんの通帳の名義変更やら電柱敷地使用料振り込み名義人変更なんたらかんたら・・・。

 そうそう・・今朝も大霜で、あたりは真っ白に見えるほどの霜・・。

 

 それだし・・氷も・・・。間もなく四月だというのにねぇ・・。

 

 だから・・昨年の今頃のブログを見ると・・・チューリップが開いているのに、今年はつぼみがようやく出だしたころ・・。桜・・・ソメイヨシノはまだまだ・・つぼみ。

 

 で、今日のお昼はここになった・・。木田郡三木町の「手織りうどん・滝音(たきね)」ここはセルフのお店だが・・セミ・セルフというか、プチ・セルフというか、自分で製品を受け取って、料金前払いで、食器は自主返却・・・。

 

 ま、店員さんが、厨房から出ない・・・という簡易型のセルフ。このカウンターが仕切りになっていて、従業員はここからは出ない・・・という感覚・・。

 

 で、珍しく・・・「わかめぶっかけぬくいん:340円」+ちくわの天ぷら:100円の計440円。いまさら・・わかめを食べても髪は黒くはならんのだけれどねぇ・・。

 

 その後は・・・神奈川の弟んちに持って行くお土産を少しばかり買って・・・。あとは・・孫達の遊びのお相手・・・。

 今日は・・・久々に暖かい午後になって、まごたちも外で走り回ってにぎやかだ・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


沈丁花 慌てる私を 笑ってる

2011年03月26日 | ふるさと散歩

 朝方は霜の朝になって、気持ちのいい快晴になったもので、久々にお布団を干した・・・。

 さてだ・・・。まごのはやてちゃんもなぎちゃんも・・・私の持っている「少年探偵手帳」というのが気に入ったようで、自分で真似をして・・「少年手帳」とか、「私の手ちょう」というものを作るのに夢中になった。

 

 「少年」という雑誌に連載されていた「江戸川乱歩」シリーズから生まれた・・「少年探偵団」とか「BDバッジ」・・・。この・・「少年探偵団手帳」にはこどもの遊びに必要なものがたくさん載っていた。それにわくわくしたものだった・・。

 で、朝の間は少しだけお散歩に出た・・・。今日ははやてちゃんが東京に行くもので散髪をするのだとかで出かけて行ったもので・・。でも、そう、遠くへは出かけられない。

 

 昨日は素通りしてしまった場所、「八剣(やつるぎ)神社」に行ってみた。高校生時代には、この門前を毎日通ったものだし、小学生の頃にはこの神社で遊んだこともある。裏山で「粘土」が採れるというもので、こどもらが競って、粘土掘りに集まった・・・。

 

 この神社は・・・この「随身門」が有名で、拝殿や本殿には歴史的なものはない・・。この随身門の上に彫刻が施してある。それ以外に・・見るべきものもないように思うが、確かに拝殿や本殿に比べて、新しく、力強くしっかりとしているのは事実・・・。

 

 この彫刻が・・・塩飽大工、生ノ浜(いくのはま)の橘官五郎らの作になるものだという・・・。明治初年に建てられたというのだから、何代目かの官五郎の作になるものらしい・・。

 この官五郎さんね。このあたりでは・・野菜の種を蒔くときに、「かんごろさん・かんごろさん・・」といいながら種を蒔くと、野菜のトウがたたないんだって・・。本当の橘官五郎さんは善通寺とか本山寺とかの五重塔を建ててるのに、失礼な話やね・・・。

 案内板の・・「同広島嘉三郎」というのは、塩飽・広島の「嘉三郎」だと思われる。明治になって、「人名:にんみょう」という特権が剥奪されて、働く場を追われた塩飽の人たちは、新天地を求めて各地に働く場を求めて散っていったことだろう・・・。

 

 これが、その宮池である「八剣池」。この池に沿って走る県道を、自転車で通学した思いで深い道。今はショートカットで県道は少し南側を走っていて、今は旧道というか、さぬき市道になっている・・。

 さて、孫達も散髪をすませてさっぱりとして戻ってきたので、みんなでおうどんに行くことになった。我が家の三人と孫とおとうさんの三人、計6人が・・・いつもの「うどん亭いわせ」に行った。

 

 けいこばぁ・・御用達のお店みたいなもんだ。私は・・セルフのお店が気楽でいいのだけれど、こうしたメンバーだと、セルフでは落ち着かないのだとか・・・。

 

 私はこういうお店こそ落ち着かないのだけれど、たまには・・ということで、今日は・・「生中」がサービスされた・・・。

 

 で、けいこばぁのおごりだからと・・「野菜天うどん」を注文した。650円だかと書いてあった。あんまり・・油ものは苦手なんだが、たまにはいいか。

 ところがだ・・・、わぁわぁ・・言うてる間に・・雨がぽつり・・ぽつり・・。「それじゃぁ、ダメじゃん春風亭昇太!」

 ところが・・・運転手のなぎパパは慌てない・・・。安全運転でマイペース・・・。私は大急ぎで玄関に行くと鍵がかかってる・・・。勝手口から飛び込んでお布団を取り込んだけれど、しっかりと・・・濡れた・・。

 

 お布団を取り込んだら・・・空は快晴でおてんとさんがぽっかぽか・・・。なんじゃらほい・・。

 

 その後も・・・晴れたり・・雪が降ったり・・あられが落ちてきたりと波瀾万丈の一日・・・。

 それはそれとして、今年の年賀状・・・150枚余りあったのに・・・切手シート一つも当たらなかった・・・。今年はいいことも悪いこともないわな・・・と、のんびりとしていたら・・・「順繰りだから・・・自治会長が当たったよ~・・・」だって・・・。なに・・それ・・・。

 ということで、今夜、その事務引き継ぎの会があるんだって・・・。いいことは当たらないが、どうでもいいことは当たるもんだわな・・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


観音の 前にも後ろにも 春の風

2011年03月25日 | ふるさと散歩

 朝は大霜の気持ちのいい朝で、暖かそうであったし、風もないし・・ということで、久々の歴史ウォークに出ることになった・・・。あ、先週に・・さぬき広島で歴史ウォークをやったばかりやったね、そら、えらい、すんまへん・・・。

 で、どこに行くかというと・・・このあたりから北を見ると山が壁のように見える。「火山:ひやま」という山らしい。その中腹に・・・変なものが見える。岩だろうか、崖だろうか・・・。

 

 “地元密着”を謳っていながらブログ六年目にして初めて行ってきました・・・。言うとらん・いうとらん・・。地元密着なんて謳ったことはないこのブログ・・・。なんでもありのなんでもなし・・・。ありのママならばったがパパよ・・・。

 

 我が家から・・ほぼ・・真北に向かって歩いて行って・・・。県道を越えてさらに北へ進むと、一時間ほどで、西教寺(さいきょうじ)という真言宗のお寺に着く・・。

 

 その少し手前にあるのがこれ。これというても分からないが・・。 石憧(せきどう)というもので、寺より下には、西教寺六面石憧(せきどう)というものらしい。『県指定有形文化財で、石憧は笠(屋根)や憧身(屋根から下の部位)が六面或いは八面をした石造物で、供養や経塚の標識として造立されたものる。西教寺六面石憧は、南北朝時代の代表作で、凝灰岩が用いられている。東塔=憧身は高さ約1.4m幅約42cm一面の幅は約28cmの正六角形で、一面に「永和2年3月24日(1376年)と刻まれている。

 

  西教寺は香川県さぬき市大川町富田東にある真言宗のお寺で、文化財も多く残されている。教院や本堂などは古いもの。庫裡などは最近に修復されている。

 そこからさらに北に歩いて行くと・・・山道に入る。案内板には「遊歩道」と書いてあるが・・・単なる山道だ。

  

  丁石=(市指定史跡に指定)は 奥の院(穴薬師)までの登山道沿いに八丁(約800m)間に一丁(約100m)間隔に丁石(地表部約1m×17cmの角柱)と西国33石像が造られている。丁石は津田の「板屋」で有名な安芸幸四郎(文江)の妻衣武(きむ)が丁石を寄付した。丁石には梅が谷に因んで梅の句が刻んでいる。

 

  弘法大師が修行の途中に当地に立ち寄り、一夜建立の祈願をして火山(ひやま)の中腹の梅が谷の大きな岩(凝灰岩)に薬師如来像を彫っていたところ、夜が明けてないのに、「天の邪鬼」がいたずらをして鶏鳴を発したのを夜明けと勘違いして、一夜建立の祈願が破れたと思って、像彫りを途中のまま大窪寺へ立去ってしまった。

  

 この伝説により、「天の邪鬼」が悪戯をしなければここ西教寺が八十八番札所になったかもしれないので、八十八番札所前と自称しているそうな。 頭部の長さ約70cm、胸部までを肉厚彫りにした半身の巨大な薬師如来像磨崖仏で、『西教寺の磨崖仏 「彫刻」大川町指定文化財(現さぬき市)(昭和43年5月1日指定)』伝空海作。

 更に、この像の上方約50mの所に、線刻の近い薄肉彫りによる高さ90cmとその両脇に高さ約50cmの不動明王の像がある。『西教寺の磨崖仏 「彫刻」大川町指定文化財(現さぬき市)(昭和43年5月1日指定)』

 

  で、これが奥の院の「磨崖仏」だ・・。 西教寺から800m位登った火山の中腹に「穴薬師」(梅が谷)がある。堂内には高さ約90cm薄肉彫りの磨崖仏厄除薬師如来像が岩崖内の壁面に刻まれている。薬師如来像の右側には、高さ約1mの十二神将一体が厚肉彫りで刻まれ、その他に浮き彫り線刻等の手法による小像や丸彫りの像が安置されている。

 帰りは・・自動車が入ってくる舗装された道路を歩いて戻ってきた・・・。で、いつものみろく自然公園前にある道の駅みろくの「みろく食堂」でのお昼になった・・・。

 

 今日は歩き疲れたので・・・肉うどん(450円)+おでん一品(110円)+缶ビール(260)・・・という豪華版。どこが豪華版なんだか・・・。

 

 午後からは風が強くなって・・・冷たい午後になったけれど、夕方になると風もおさまってきた感じ・・。明日には・・・筋肉痛かなぁ・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

 


鳥も鳴く 不動明王にも 浅い春

2011年03月24日 | 自然

 今日も空気の冷たい一日になった・・・。日常生活には寒暖計がくっついていないもので、温度がどうなのかということはわからないものだ・・・。いつもかつも・・・温度計を持って行動している人はいないと思う・・。

 

 だから・・気温がどうだったかは分からないけれど・・・空気は冷たいなぁとは思った・・。朝の散歩でも牛革の手袋はしていたのだけれど、冷たくて冷たくて・・・・。お彼岸は過ぎたばかりなのにね。

 午前中・・・、「PDF」ファイルを作る操作を勉強していた・・。会社にいた頃には・・日常的にやっていたのだけれど、二年もすれば・・・バージョンも違うし、OSも違うし・・・どうやったらどうなるのかが思い出せない・・。

 

 とにかく・・・その・・ダウンロードしたファイルを起動したら・・「シリアルナンバーを入力して下さい」の一点張り。そこにシリアルナンバーを入力したら、更に・・「シリアルナンバーを・・・」の連続で・・・ファイル変換の操作には入れない・・・。そんな難しいことをやってなかったけれどもなぁ・・と思ったけれど。

 で、ふっと、ワードデータをクリックして、そのまま・・ソフトのアイコン上にドラグしたら・・・一瞬の間に変換してくれた・・・。「あ、そうそうそうやった・・・」みたいな・・。ずいぶんと・・おばかさんになってるね、私も。

 

 みなさんは、どんなソフトを使ってるんかね。「いきなりPDF」っていうものを使ってみたけれど、ふっと・・「adobe reader9」を使うと・・多少困ったけれど・・・なんとなく変換できた・・。なんだなんだ・・。そんな簡単なことでいいのか・・・みたいなことだった。

 

 で、今日のお昼はここになった・・・。木田郡三木町鹿伏(ししふせ)の「讃岐うどん 寒川」というセルフのお店。早くからの製麺所さんみたい・・。

 

 で、セルフのお店らしい・・「かけうどん小」を注文した。だと、どんぶりにうどん玉を投げ込んでくれる。これを「テボ」でお湯の中で麺を暖めて・・・ずんどうからかけ出汁を注いでからネギとおろしショウガをトッピング。その後、会計をする・・。かけうどん170円+いなり寿司二個セットで180円。合計で350円。

 

 ま、お昼前になると行列ができるお店だ・・。でも、お店が広いからどんどんと流れて行くので心配することはない。それしに・・店員さんも慣れたものだ。てきぱきと注文をこなしていくからなんでもない・・。

 さて・・その後のことだ。少し前に・・・三本松のメガネのカワイさんが・・・寒川町の「三重(さんじゅう)の滝」のことをブログに書いてあったのを思い出して・・・そこに寄ってみようと思った。私は・・「三重(さんえ)の滝」だと聞いていたからだし、平成16年の台風後の滝のことを知らなかったこともあって。

 

 昔の姿も覚えていないのだけれど、香川の滝というのはこんなもので、水が流れている滝は・・・六月の梅雨時分くらいなものか・・。しかしのかかし、この滝の前には・・・宿泊施設とか遊歩道が整備されていたのに、それらが全くなくなっている・・。

 で、勇気を出して・・・そこからさらに・・・南に進んでみた・・。

 

  この地図の・・・赤い太線が私の走った道筋・・・。寒川町から・・長尾町に入り、そこから東かがわ市五名分に入って林道を進み、再度・・・さぬき市多和に入って・・四国霊場88番札所大窪寺に出た・・・。

 そこから・・・またも・・東かがわ市五名から・・・さぬき市に戻ってきたが・・・高い山の尾根を走ったものでひやひやの連続だった。高所恐怖症がさらに進んだみたい・・。若い頃には・・・高いところが大好きで、「煙とバカは高いところが好きだ・・」などと言われるほど高い場所が好きだったのだけれど・・・。

 

 山道というても、こういう山道ならば平気なんだけれど、高いところから下を見下ろす場所になると・・・、もう、あかん・・。吸い込まれてしまうみたいなイメージで・・。あわてて・・・高い場所から下りてしまった・・・。

 

  ともかく・・・寒かったけれど(背筋もまったく・・寒かったし)、それでも・・・春はそこまで来ているかなぁとは思うことだった・・。やまぬ雨はないし、朝の来ない夜はない・・・。やまぬかぜもないし、過ぎていかない台風もない・・。

 

 がんばろう!日本。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


いまだから がんばろう にっぽん

2011年03月23日 | 自然

 春は名のみの風の寒さよ~・・・と・・歌いたくなるような朝・・・。ここんところずっと、ウインドブレーカーの上下を離せない・・・・。少しばかり暖かいかなぁと油断をしたら・・・セーターやジャージの隙間から冷たい空気が飛び込んで来る・・・。東日本の寒さはいかばかりだろうかと案ずる毎日・・・。

 

 今日・・・阪神甲子園球場で・・「選抜高校野球大会」が始まった・・。高校生の夢をこわさないためと、郷土に勇気と元気をもたらすためにと・・。その・・・選手宣誓でも、大会のスローガンにも・・・「がんばろう!日本」という言葉があった・・・。

 

 「春はセンバツから・・・」。いろんな意見があることだろうが、これらの高校生にとっては「千載一遇」の機会。この春がなければ・・・彼らの青春はなかったも同じ・・・。あこがれの甲子園の切符を手にしたものの・・・巨大地震と未曾有の津波で、その切符が泡となってしまうのか・・・。それをかなえてやりたいという関係者の思い・・・。

 

 震災の中でボランティアをやっていたという東北高校が、地域に応援されて・・・甲子園にやってきた。そして、みんなと一緒に「黙祷」をした・・・。思わずに・・・涙が流れた・・・。涙が・・・あふれた・・・。球場全体から大きな拍手が送られた・・・。

 それは・・同時に・・・郷土代表と言うことで、全国から応援の声や拍手が届く・・・。やはり・・・、春はセンバツからだ・・。

 

 プロ野球の開幕がどうだ、ナイターがどうだというてるが、そんなものはどうでもいい・・。商業野球はいつだっていいじゃないか。今だからやらなければいけないっていうものじゃないし・・・。

 さて・・・、今日のお昼は・・・と走ってみたが、あいにくと・・水曜日が定休日というお店が多くて・・。

 で・・・、香川県の東端まで走ってしまった・・・。というても、日本一狭い香川県だから・・・そう、たいした距離ではない。

 

 ここは・・・なんとも味気ない名前のうどんやさんで、そのものずばりの・・「うどんや」というお店。「名前のないうどんや」というお店も何軒かあるけれど・・・、「うどんや」という名前のお店も何軒かあるんだろうかね。記憶にはないのだけれど・・・。

 

 ここのメニューもシンプルなもので、何をたべたらいいもんだかと・・・。で、珍しそうなものを選んだら・・・、あんまりと珍しくなくなった・・・「たまごとじうどん」・・・仕方が無いね・・・。これが・・300円で、いなり寿司2個で160円。しめて・・・460円か・・・。

 

 麺もお出汁も・・・おいなりさんもおいしかった・・・。このお昼のおうどんが・・・今の私の・・「至福の時」みたいなもんだ・・・。あとは・・・ブログを書き上げたときのビールかな・・・。

 さてだ・・・。今日の夕方に・・・「びでおちゃん・・おるんなぁ~」という声が・・・。「やえちゃんからも案内があるけんど、あきちゃんもみぃちゃんにもいうとるけん・・・」

 

 集落内の「地神さん」の例祭の案内らしいが・・・まるで、子供会の案内みたいな・・・。70とか80とかのお年の人をちゃんづけだし、このわたしも・・・いまだに・・ちゃんづけだ・・。子供の頃の「目線」が・・・そのまま、成長しとるんだろうかね・・。こういうのは・・・なんとかせんといかんがな・・・とは思うけれど、どうにもならんものだろうか。

 

 神奈川にいる弟から電話があって、電車も交通機関も順調に動いているし、資料館や博物館も開いているし、乾電池も使うことなく余っているし、ガスボンベもお米も充分にあるので、何も心配しないで来てほしいという連絡があった・・・。自分の着替えだけを持ってくればいいというので、来週頭の28日からお江戸に行ってくるからね・・・。

 

 しつこいけれど、再確認の意味で・・・。

 

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


特別付録>突然の停電・・・。

2011年03月23日 | 歴史

 私が毎日お邪魔している「ポテトさん」の「ポテトのポテト日記」が印象にのこりました。

 それを・・・私風に書いてみようと思ったものです。

 私が子どもだった頃 よく停電になった。香川県の山の中の一軒家だったから、大雨や台風の日には、いきなり停電になった。当時は・・風で電線が樹木や竹に当たると、それだけでショートして停電になったし、大雨が降ると・・それだけでショートして電気が止まった。台風とか雷が鳴って、トランスという変圧器に落雷して、ヒューズが切れて電気が止まった・・・。

 

 停電になると、めいめいが仏壇からろうそくを取り出して、マッチで火を付けた。父母の頃にはランプを使っていたらしいが、ランプは廊下の片隅でほこりをかぶっていた。私がものごころついた頃から・・・各部屋には裸電球がぶら下がっていた。

 

 ストーブというものはなく、火鉢が熱源になった。炭に火をつけて、それで手を暖めた。そうそう・・小学校にはダルマストーブがあって、石炭当番というものが決められて倉庫から石炭を運んでいた。

 

 火鉢の炭の炎も灯りにはなったが、本を読むほどではなかった・・・。その炭を土を焼いた「番屋こたつ」というこたつに入れて、ふとんをかけて足を入れて暖をとった。お湯を入れたゆたんぽも愛用した。

 

 

 停電になると、そのろうそくのあかりの中で、兄弟三人が・・・息をひそめて嵐の過ぎ去るのを待った。なにか・・・いつもと違う恐怖感で過ごした記憶がある・・・。

 ろうそくの炎が揺れると・・・天井や壁に映っているこどもたちの影もゆらゆらと揺れて‥‥。それが余計にこどもたちの恐怖心をかき立てた・・・。家の裏側には深い竹藪があって、それが大風で波のように大騒ぎしてごうごうという音を立てて大騒ぎしたし、それらが巻き起こす風が障子の隙間から吹き込んできて、さらにろうそくの炎を揺らした・・・。

 停電の夕食には母の作ってくれたおにぎりを食べている・・・ぼうず頭の自分の姿が浮かんで来る。釜屋(かまや)という台所には「おくどさん」というかまどがあって、マキを燃やして煮炊きができた。かまどから漏れてくる炎のあかりで、煮炊きすることができた。プロパンガスが入ってきたのは遅かった。

 

 昭和30年代・・・都会では電化生活が進んでいたのだろうが、私のように 田舎で育ったものにとってはミキサーだの掃除機だのというものは耳にすることもなかった・・・。電気を使うものと言えば・・・ラジオかアイロンくらいなものだった・・・。

 

 停電になると・・・別棟にあった風呂場や便所に行くにも・・・ろうそくを持って行った。風呂場の高い場所にろうそくを横にしてろうをタラして、その垂れたろうの上にろうそくを立てた。だから、風呂場や便所には・・・垂らしたろうのあとがいくつもあった。

 

 風呂は五右衛門風呂で、すぐ横を流れている川の水をバケツで運んで注水して、まきを燃やしてお風呂をわかした。風呂も便所も・・・電気も水道もなかったから・・・停電になっても使うことは使えた。

 ところが・・・台風や大雨の日には・・そのろうそくが風で消えてしまう・・・。嵐の中で・・・泣きそうになりながら・・・はだかで服をかかえたままで母屋に駆け込んだりもした・・・。

 

 計画停電が行われて、不自由な時間を過ごしておられる方は、慣れない暗がりでや忘れていた段差で 転んだりしないよう‥‥ ろうそくの火でヤケドしたりしないよう‥‥注意すること・・・。

 今も田舎では一歩、家から出たら真っ暗・・・。手探りで歩かなければならないから、暗さや不便さは慣れっこだけれど・・。

 電話も携帯もあるけれど、電話をする相手もいないし、かかってくる人もいないから、ないに等しい・・。テレビもあるけれど・・・あまり・・テレビを見る習慣もないから、なかっても困らない・・・。

 

 でも・・唯一・・・このパソコンがないと不自由かなぁとは思う・・。なければないで生活はできるのだろうけれど・・・・。このあたりでは・・・パソコンなしで生きている人たちが大勢なんだけれど・・・・。

 

じゃぁ、また、夕方に・・・。


花冷えの 背筋丸めて 句をひねる

2011年03月22日 | 自然

 三寒四温とはいうけれど、寒い日ばかりが続くような気がする今年の3月・・・。本当ならば、そのあたりは花盛りになる頃なのだけれど・・・。そろそろと・・・ソメイヨシノもつぼみを膨らませる時期になっているのだけれど、相変わらず・・・風が冷たい・・・。

 

 我が家の梅がようやくに花を開いた・・・。二週間は遅いなぁ・・。この下の水槽のメダカや鯉や小魚たちも元気な様子。でも・・・寒いせいか・・・水草の陰に隠れたりする・・・。

 

  今週の予定は今のところはまだない・・・。この週末からは孫達は春休みだろうし、たってき、来週頭の東京行きだけれど、その準備をどの程度すればいいものか・・。計画停電はなおも続くんだろうか・・。乾電池とか・・・ガスボンベとか・・お米とかをリュックに詰めないとあかんのかなぁ・・。

 

 ま、新幹線は・・・東京圏内までには通じているのだけれど・・・、電車とかの一般的な交通網は動いているんだろうか・・・。歩いて・・・川崎とか・・・横浜はきついかなぁ・・。でも、多くの人たちが働いているのだし、住んでいるのだから・・・大丈夫だとは思っているのだけれど・・・。

 東京都知事が相変わらず・・・脳天気な事ばかりいうてるらしいけれど、まぁ、そういう状況ならば・・・東京もそんなに心配することでもないとはおもうのだし・・・。

 さて、今日のお昼は・・・近くのおうどん屋さんということで、さぬき市津田のこのお店になった・・。

 

 「さぬきうどん羽立(はりゅう)」という一般店。こじんまりとしたお店でカウンター席しかないという変則的なところだけれど、けっこう・・おなじみさんがついていて、繁盛してるみたい・・。

 

 今朝も・・・朝ご飯を食べたものだから・・控えめにして・・「きつねうどん小」を注文した。これで350円だから・・・セルフのお店とたいした違いはない・・・。そこがこのお店のいいところなんだろうね。

 

 お店の中はこういう感じ・・。店長さんは・・・もっと・・ふっくらとしてるし、女性店員も時間帯によって増減しているみたい・・。ま、安心して食べられるさぬきうどんのお店だな・・。もちろん・・・おでんもあるし、ご飯ものもある・・・。

 

 で、午後からは・・・先の塩飽史談会(しわくしだんかい)の資料一切をまとめて・・・「和綴じ」にしたり・・・資料整理を兼ねて・・・ファイリング兼和綴じ・・・。ま、関連した資料を和綴じにしておけば綺麗だし、さっぱりとするし・・・。

 

 それだし・・佐柳ふるさとの会の文集用の原稿も準備しないといけないし、5月の天台宗のお坊さんの会用に講演会用の資料もそろそろと準備しないといけないし・・・。

 そうそう・・・咸臨丸子孫の会の藤本幹事から・・・北海道新聞社から取材依頼が来てるからどうたらこうたら・・・という連絡があった・・。四月の上旬に取材があるらしい・・・。ま、咸臨丸関係者は・・・スケジュールをあけて、首を洗って待っておくように・・・みたいなことだった・・・。

 わしゃ・・・寄っとらんぜよ~・・・。

 

 どこから・・・手を付けたらいいもんだろうかね。まずは・・・納期の迫ってる分から片付けなければならないのだけれど・・・。それしに・・・火曜日ごとに携帯電話に送られてくる・・・佐柳川柳メール・・・。なかなか・・・縄跳びの中に飛び込めないで足踏みばかりだ・・・。

 川柳も・・・なかなかにむつかしいぞ・・・。俳句と・・標語の中間みたいなもんか・・・。なかなかに・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。 


うぐいすも うどんがほしいか あめのなか

2011年03月21日 | 日常

 今日は雨のさぬき路になったです・・。というても梅雨のような雨ではなくて、降ったり止んだりと・・・きままな春雨ですわ・・。

 昨夜は・・大仕事を片付けたしという気持ちから・・何度もお風呂に入り、何度も一人酒盛りをやって、テレビをみるでもなく見ながら、CDを聞くともなく聞いて・・・。ふと、気がつけば午前零時・・。

 「それではダメじゃん・・春風亭昇太」

 

 ちなみに・・私の芸名は・・「春風亭雄昇」。師匠は・・あの・・春風亭柳昇師匠。

 

 おかげで・・今日は少しばかり・・・ねぶたい(眠たい)。で、いつも通りに起きて・・朝ご飯の支度をして、お布団を片付けぇ~の、お風呂を片付けぇ~の、雨戸を閉めぇ~のと・・帰宅準備。

 

 これが我が家と王頭山(おうとうざん)・・。あ、先っぽが写っていないけれど・・。

 

 しばらくは・・・というか、四月末から五月の連休までにはみんなで集まるのだろうけれど、それまでは・・来られない。そこで、冷蔵庫の中身を一旦回収して・・山の家に持ち帰り。そんな準備を済ませて・・・。

 

 10時40分だかの高速艇に乗って・・島を後にした・・・。そんなに急いで帰らなくてもいいのだけれど、テレビでもラジオでも・・・災害のニュースばかり。それに原発か・・・。いいお話もあるのだけれど・・・何度も何度も同じ話を聞かされるのもなんだかなぁと思う・・・。それに、広告機構だかの同じ画像を何度も何度も見せられると・・・美しいものも飽きてしまって嫌みにさえなって頭痛がするし、耳鳴りもする・・・。

 おいしいお茶も二服まで・・・。仏の顔も三度まで・・。これでもか、これでもか・・・と押しつけられると・・・電源を切るしかない。

 

 さてだ・・。このフォーマだかの端末。ノートPCに接続してプロバイダーに接続する某ドコモの端末なんだけれど、設定がうまくいかなくて・・・メールの送受信ができない。その設定方法がわからんままに運用をしているもので、島に行ったり、病院にいたりすると、メール機能が働かない・・・。そんなんで・・数十通が行方不明になっているらしい。。、

 

 山の家の・・メール専用端末は、ノートPCで受け取ったら・・この端末では読み書きができない。郵便でも誰かが先に開封したら、他の人が読めないみたいに・・。だから・・その間にいただいたメールに返信ができないのだけれど、ごめんしてください。内容は・・・ノートPCで読んで下りますので・・・。ただ、そのお返事とかができないってことで・・。おかしなことやね・・。

 さて・・、今日のお昼はここになった・・。丸亀市綾歌町の「サヌキのぴっぴ」・・・。ほんまに、こんな名前かいな。

 

 あの・・・・(というてもわからんやろうけれど)、レオマワールドというテーマパーク近くにある・・・セルフうどんのお店だ。

 

 ちょうど・・・12時近くになったもので・・・わんさかとお客が来た・・・。これが店内の様子・・・。わりと店内は広いが・・・どれくらいの人が座れるのかな・・。ま、50~60人程度やろうか。

 

 かけうどん小を頼んだ・・・。残りの食材を片付けるみたいに朝ご飯を食べたから・・・お昼はどうでも良かったのだけれど・・・。ま、ついでだからと・・いうか、少しは食べておかねば・・みたいなことで。

 ま、みなさんは・・・天ぷらをとりぃの、かまたまをお願いしぃの・・・で、千円単位でおうどんを食べてはる・・。だと。家族四人だと・・・四千円以上か・・。さぬきうどんもバカにはならんな・・。

 ということで、私は・・・かけ小のみで・・160円オンリ・・。エコな食べ方でしょ・・。

 

 そんなんで・・・今日も暮れました・・・。

じゃぁ、また、、あした、きっと、会えるといいね。 


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