朝方は霜の朝になって、気持ちのいい快晴になったもので、久々にお布団を干した・・・。
さてだ・・・。まごのはやてちゃんもなぎちゃんも・・・私の持っている「少年探偵手帳」というのが気に入ったようで、自分で真似をして・・「少年手帳」とか、「私の手ちょう」というものを作るのに夢中になった。
「少年」という雑誌に連載されていた「江戸川乱歩」シリーズから生まれた・・「少年探偵団」とか「BDバッジ」・・・。この・・「少年探偵団手帳」にはこどもの遊びに必要なものがたくさん載っていた。それにわくわくしたものだった・・。
で、朝の間は少しだけお散歩に出た・・・。今日ははやてちゃんが東京に行くもので散髪をするのだとかで出かけて行ったもので・・。でも、そう、遠くへは出かけられない。
昨日は素通りしてしまった場所、「八剣(やつるぎ)神社」に行ってみた。高校生時代には、この門前を毎日通ったものだし、小学生の頃にはこの神社で遊んだこともある。裏山で「粘土」が採れるというもので、こどもらが競って、粘土掘りに集まった・・・。
この神社は・・・この「随身門」が有名で、拝殿や本殿には歴史的なものはない・・。この随身門の上に彫刻が施してある。それ以外に・・見るべきものもないように思うが、確かに拝殿や本殿に比べて、新しく、力強くしっかりとしているのは事実・・・。
この彫刻が・・・塩飽大工、生ノ浜(いくのはま)の橘官五郎らの作になるものだという・・・。明治初年に建てられたというのだから、何代目かの官五郎の作になるものらしい・・。
この官五郎さんね。このあたりでは・・野菜の種を蒔くときに、「かんごろさん・かんごろさん・・」といいながら種を蒔くと、野菜のトウがたたないんだって・・。本当の橘官五郎さんは善通寺とか本山寺とかの五重塔を建ててるのに、失礼な話やね・・・。
案内板の・・「同広島嘉三郎」というのは、塩飽・広島の「嘉三郎」だと思われる。明治になって、「人名:にんみょう」という特権が剥奪されて、働く場を追われた塩飽の人たちは、新天地を求めて各地に働く場を求めて散っていったことだろう・・・。
これが、その宮池である「八剣池」。この池に沿って走る県道を、自転車で通学した思いで深い道。今はショートカットで県道は少し南側を走っていて、今は旧道というか、さぬき市道になっている・・。
さて、孫達も散髪をすませてさっぱりとして戻ってきたので、みんなでおうどんに行くことになった。我が家の三人と孫とおとうさんの三人、計6人が・・・いつもの「うどん亭いわせ」に行った。
けいこばぁ・・御用達のお店みたいなもんだ。私は・・セルフのお店が気楽でいいのだけれど、こうしたメンバーだと、セルフでは落ち着かないのだとか・・・。
私はこういうお店こそ落ち着かないのだけれど、たまには・・ということで、今日は・・「生中」がサービスされた・・・。
で、けいこばぁのおごりだからと・・「野菜天うどん」を注文した。650円だかと書いてあった。あんまり・・油ものは苦手なんだが、たまにはいいか。
ところがだ・・・、わぁわぁ・・言うてる間に・・雨がぽつり・・ぽつり・・。「それじゃぁ、ダメじゃん春風亭昇太!」
ところが・・・運転手のなぎパパは慌てない・・・。安全運転でマイペース・・・。私は大急ぎで玄関に行くと鍵がかかってる・・・。勝手口から飛び込んでお布団を取り込んだけれど、しっかりと・・・濡れた・・。
お布団を取り込んだら・・・空は快晴でおてんとさんがぽっかぽか・・・。なんじゃらほい・・。
その後も・・・晴れたり・・雪が降ったり・・あられが落ちてきたりと波瀾万丈の一日・・・。
それはそれとして、今年の年賀状・・・150枚余りあったのに・・・切手シート一つも当たらなかった・・・。今年はいいことも悪いこともないわな・・・と、のんびりとしていたら・・・「順繰りだから・・・自治会長が当たったよ~・・・」だって・・・。なに・・それ・・・。
ということで、今夜、その事務引き継ぎの会があるんだって・・・。いいことは当たらないが、どうでもいいことは当たるもんだわな・・・。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。