まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

ようやくに イチョウの黄色 街の声

2017年10月31日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 大阪市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は9.1度から17.7度、湿度は80%から44%、風は1mの北北東の風が少しばかり。明日の11月1日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 ご案内の通り、今日は親戚の叔父さんの葬儀だというので、従兄弟たちと高速バスに乗って大阪に向かった。叔父さんというのは、私の母の妹の連れ合いという意味の叔父さんである。

 

 今回は、私の母の弟の次女、つまりは従兄弟の「みっちゃん」がバスの手配をやってくれた。で、朝の6時40分に讃岐津田の高速バス停から乗った。これから二時間20分のバスの旅になる。

 

 鳴門海峡大橋を渡る頃には明るくなってきた。この頃に、奥方の作ったお弁当での朝食を食べ終える。

 

 ご案内の通り、私は「利尿剤」を飲んでいるために、30分ごとにトイレに行く。2時間のバス旅だと4回のトイレタイムがいる。そのうちの1回は、途中のパーキングエリアでのトイレタイムがあるが、それで辛抱できるかどうか。これはもう、拷問みたいなものだ。当然、バスにはトイレがあるが、狭くて窮屈で左右に揺れるから、これまた拷問なのだ。

 

 バスが停まったのがここ。これから、環状線に乗るのが分からない。あれこれ、走り回って電車に乗って、どうにか環状線に乗って「鶴橋」に着いた。田舎のおばさんばかりの旅である。スマホを持っていても使いこなせない。私のスマホは故障中。ナンタルコチア、サンタルチア。

 

 どうにかこうにか、たどりついたのは、町内の集会場みたいな場所。大きな葬儀会館だと聞いたのだけれど。

 

 ま、街の葬儀というのはこんなものかも知れないなぁと眺めていた。企業関係や議員さんたちの花輪や弔電もない。

 

 速くいえば「家族葬」みたいなもの。お坊さんも導師だけ。この左端のお孫さんだけが泣きじゃくっていたのが印象的だった。今時、葬儀で泣きじゃくるなんてね。純粋だなぁと眺めていた。

 

 今日は全国的に「友引」の日。一般的には葬祭場や葬祭業者さんたちの定休日の筈。でも、ここは完全営業で、全ての炉が稼働していた。

 

 入場してから還骨するまでの間、お食事処にマイクロバスで移動して、こういうお昼を頂いた。珍しくビールがどんどんと出されてきた。還骨前にかまわないのかなぁと思いながら、地方地方の「お作法かなぁ」としっかりと頂いた。

 

 斎場での写真撮影は禁止だったので、いきなり、初七日の法要になる。やはり、お作法が違うなぁと眺めているばかりだった。

 

 法要が終わったのが16時過ぎ。高速バスの予約時間は17時05分。タクシーを探しても見つからないので泣きそうになった時に、現れたタクシーに救われて、無事、JR難波駅まで。田舎のおばはんとおじさんの珍道中は幕になった。

 

  今日の掲示板はこれ。「秋のもみじは美しいけれど 光があるから目に映える」というもの。雨の日や曇った日に、大窪寺の紅葉を見ても少しも美しくは見えない。同じものなのに、晴れていれば美しいと感じ、曇っていれば少しも美しいとは感じられない。まさに光があるからこそ、目に映えるのである。真っ暗な闇夜に紅葉を見ても、紅葉は見えない。真っ白な濃霧の中や朝霧に立ちこめるあさぼらけの中でも紅葉は見られない。そこに闇夜を切り裂くような光が 差し込んできたとき、ものごとの姿が現れて輝き、秋の紅葉が浮かび上がる。それこそが真実であり、それこそがまことである。私たちの生きるという誠は美し いけれど、さらに、それを照らし出す「光」があるからこそ、輝いて見えるいのちなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


すっかりと 秋一色に 塗った空

2017年10月30日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、寒気の影響で概ね晴れていた。気温は14.4度から16.7度、湿度は84%から54%、風は6mから2mの北西の風が冷たくなった。明日の31日は、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 台風一過で冬がやってきたかのような肌寒さになった。朝の散歩が小走りになった。

 

 明日の31日に叔父さんのお葬式があるので、郵便局で預金を引き出し・・・、

 

 銀行で、私のお小遣いを引き出して準備した。

 

 その足でホームセンターに出掛けて、

 

 島の家の洗面所のドアノブが壊れていたので、これを買おうとしたが、ポケットのどこにも現金がない。それじゃぁ、ダメじゃん、春風亭昇太。車に戻っても財布の中に現金はない。私のお小遣いはどこに消えたのだろうか・・・。

 

 お香典の準備はできた。こちらは郵便局の封筒にしっかりと入っていた。私のお小遣いはどこに消えたんじゃろうか。

 

 お昼から、気分転換のために、ここにやってきた。「公淵(きんぶち)森林公園」で開かれている菊花展である。

 

 今日は平日・・ということで人出はぱらぱら・・・。こうした「厚物(あつもの)」は人気が高い。ま、わかりやすいといえばわかりやすい。数百枚の花弁が花芯の中央一点に向けて鱗状に整然と高く盛り上がったものが良い花とされる。

 

 こちらは「管物(くだもの)」と呼ばれるもの。管状の花弁が長く真っ直ぐ伸びて、花弁の先は小さく固く玉巻き状となり、花芯の部分はカップ状か茶筅状になったものが良い花である。これは「細管」である。

 

 こちらは「千輪菊」というもの。「わぁ、これ元は1本よぉ~」と、娘さんが大騒ぎしていた。

 

 こちらは「一文字」。明治元年(1868)から皇室の紋章になったので、御紋章菊とも呼ばれている。花弁の大きさが揃い、幅広でしわの少ないものが良い花とされる。

 

 これは、「秋の富士」という「寄せ物」である。この作者はたくさんの菊を栽培していて、各地の菊花展にも出品しているベテランの方である。

 

  今日の掲示板はこれ。「つらかった悲しかった みんな今の私となって 私を支えている」という、宋由美子さんの言葉から。宋さんは真宗大谷派阿弥陀寺の坊守さんで書道や美術も手がけ、1987年・1988年に高知で行われた安芸全国書展入選、2006年・2007年には福井サムホール美術展に入賞しているほか、グループ展や個展も多数開催されているのだとか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


朝寒に 今日の予定を 西東

2017年10月29日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は台風第22号や前線の影響で雨が降っていた。気温は17.5度から20.1度、湿度は92%から78%、風は0mから6mの西の風が少しばかり。明日の30日は、寒気の影響で概ね曇り、朝まで雨の降る所がある見込みらしい。

 

 午前中は激しい雨が降っていたが、風は穏やかで台風らしさはなかった。ただ、前日来の雨で川の水量は増して大きな音をたてて流れている。

 

 ご案内の通り、昨夜は次男の家の片付けの慰労会ということだったが、娘家族もやってきて賑やかな食事会になった。

 

 次男が用意した「キムチ鍋」である。鶏肉にエビや牡蠣、カニなんぞが入っている。私たち夫婦と弟二人に娘家族三人の合計7人の食事会になった。

 

 で、恒例のカラオケ大会である。やっぱりうまいのは、娘と孫娘のなぎちゃんだ。

 

 男たちは、自分は上手いと思ってノリノリで歌っているが、どこか音程がずれていたり、声が上ずっていたりする。

 

 ここは音楽室兼リビングルームだったが、昨年あたりからカラオケルームになってしまっている。

 

 孫のはやて君も歌ってくれた。最後のトリは、私が「下町の太陽」を歌って90点の最高得点で幕になった。22時を少し回っていた。それから台所などの片付けをして寝たのは22時半だった。

 

 朝の5時、暗いうちから弟が帰り、奥方が「早出」だと出掛けて行き、娘家族が「塾があるから」と朝食も食べずに帰ってしまい、私1人が残ってしまった。だから台所の片付けから、みんなの布団の片付けなんぞをやっていた。

 

 今日は、「おへんろつかさ養成講座:大窪寺実地研修」の日だったが、昨日の午後、急遽、中止の連絡が来た。泣く子と台風さんにはどうしようもない。

 

 布団を片付けたものだからと、全ての部屋に掃除機を掛け、私の部屋も模様替えをしてみた。私の右側にも端末を置いてみた。

 

 私の左にもレーザープリンターと端末を置いてみた。ガンダム端末が七台にもなった。最強のマシン室になった。

 

 台風だ、台風だといいながら、風らしい風はなくて、しとしとと降る雨ばかりになった。我が家には被害も影響もなかった。

 

 ただ、昨夜の宴の最中に、大阪の叔父さんが亡くなったという知らせが入った。会館がふさがっているので、30日のお通夜で31日の葬儀になるらしい。みんなは、「家長だから」とか「年長者だから」と、私が代表して参列せよというばかり。今時、「家長」なんて言葉は存在しない。31日の火曜日には大事な打合せが入っているというのに・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「この泥があればこそ咲く蓮の花」というもの。与謝蕪村の句だとされ、「あればこそ咲け」という説と、「あればこそ咲く」という説の二つがあるとのこと。泥の中で育っても清らかさを失わない蓮の花は仏教では人生の喩えとして使われている。浄土教の源信僧都・法然上人・親鸞聖人の教えを、源信僧都:「泥中に ありて花咲く 蓮華かな」 法然上人:「泥中に あれど花咲く 蓮華かな」 親鸞聖人:「泥中に あれば花咲く 蓮華かな」 と、例えた話もあった。煩悩や、苦しみや悲しみがあってこそ、この心の中に「蓮の華」が咲くのだという句である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


秋雨に イベント中止の 連絡網

2017年10月28日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で雨が降っている。気温は16.8度から18.4度、湿度は79%から94%。風は3mから5mの東の風が少しばかり。明日の29日は、台風第22号や前線の影響で雨が降る見込みらしい。

 

 昨日とは打って変わって雨の朝になった。泣く子とお天道様にはかなわない。それだし、今日の予定は何もない。

 

 奥方に頼まれた用事と、草刈り機の代金として引き出した現金を元の口座に戻す作業とかを済ませておいてから、いつもの香川県立図書館に向かった。

 

 ここのアキニレの紅葉が一段と進んできた。今日は雨だから人は少ないのかなぁと思ったが、けっこうな人が新聞や雑誌を眺めている人がいた。

 

 雨が降るから図書館でも行くか・・ということで人が集まっているのだろうか。ま、そういう私も似たようなものだけれども。

 

 で、いつものように五冊の本を返却して、またも五冊の本を借りてきた。ま、これも習慣みたいなもので、特段、興味のある本だとか興味のある本を選んだ訳ではない。

 

 こういう本とか・・・、

 

 こういう本とかである。ま、読もうとしても難しい言葉ばかりでちんぷんかんぷんだけれども。

 

 さて、今日は次男の「よっくん」ちの物置の整理をする日だったのだが、あいにくの雨で作業にはならないということで、我が家で「慰労会」をやるというのである。そのお手伝いで三男の「たっくん」もやってきた。で、寒くなったから鍋になった。

 

 ま、なんでもいい。アルコールならば何でもいい・・ということで酒盛りになった。当然、お泊まり用の着替えから寝間着から持参である。

 

 呑んで一段落したら早速にカラオケだ。元来、我が家はみんな音痴だった。親父もおふくろも音痴だった。雨が降ったら近所の人たちが集まっては酒を呑んでは軍歌や三池炭坑節になったが、それこそ、全員が音痴だった。

 

 だから、次男も三男も歌になっていなかった。それでも、好きこそものの上手なれだ。最近は、それなりに歌らしくなってきた。継続こそ力である。

 

 かくいう私も歌はへたである。最近は少しばかりましになったかも知れないが、困ったときは「童謡」や「アニメソング」になる。難しい歌は歌えない。

 

 台風接近・・ということで、明日の「養成講座大窪寺現地研修」は延期になった。そこで、大窪寺ガイドチームに電話連絡の連絡網を張った。明日もゆっくり寝ていられるか・・・。

 

  今日の掲示板はこれ。「どんな難局にあっても、「どうにかなる」という楽観性と。「自分でどうにかする」という強い意志があれば そこを切り抜けていくことができる」という塩月弥栄子さんの言葉から。生きているとさまざまな難局に出会うものである。その難局との出会いでどのような行動をするかで人間性が表れたりするもの。多くの難局との出会いが人間性を高め、難局に対して的確に処する術が身についていくのではないだろうか。そういう意味においては、難局は歓迎すべきものであると捉えることもできるだろう。難局に対しては楽観性と強い決意を持って臨むことが肝要ではないだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


秋空は 風のそよぎも 柿の実も

2017年10月27日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は13.8度から22.1度、湿度は92%から60%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の28日は、前線や湿った空気の影響で朝から雨が降る見込みらしい。

 

 すっきりとした秋晴れのいい天気になった。今日は高松コンベンション・ビューロー主催の「紅葉の秋・遍路ウォーキング~大窪寺編」というイベントの観光ガイドをする日。私たちの担当するのは、旧多和小学校跡から遍路路をガイドして大窪寺へ。大窪寺境内をガイドして門前で昼食を食べてお見送りするもの。

 

 お客様はコミュニティバスで、ここまでやってきて、ここから私たちがガイドする。チーフガイドは、この、長い杖を持った前田チーフガイドと、白い頭の「権大先達」の寒川先達、それに白い旗を持っているお寺の大黒さん(真言宗寺院の奥様)の三人と、添乗員として参加している渡邊会長と柿木副会長という錚々たるメンバー。参加者は19名と観光会社の三人の担当者。

 

 それに伴走する私と青野幹事。歩くのは27名で、足の速い人もあれば遅い人もあって、最初は長さが100mにもなったが、次第に慣れてきて長さが短くなってきた。

 

 所々でガイドしながら、長さをまとめていく。ここは「二本杉」という場所。お遍路さんを葬ったら、山が豊かになって、1本は帆柱になり、1本はお屋敷の床柱になったというお話。

 

 ようやくに大型車やバスが通る道から外れて閑静な遍路路に入ると、雑談などをしながら歩けるようになった。

 

 ここが、今回の歩き遍路の大きな目標で、あと1.7Kmほど。全体はおよそ5Km。ここからは旧遍路道をしばらく歩く。

 

 四国霊場88番札所の大窪寺のイチョウもようやく黄色くなってきた。今日は中国の方たちが十名ほどのグループでやってきていた。しきりに赤くなり始めた紅葉や銀杏を大喜びでカメラにおさめてはしゃいでいた。

 

 今日の19名の参加者にも二人の中国人と通訳さんのグループがあった。こうして、枝の先っぽが紅葉しはじめている。

 

 二天門で、これからお寺に入るので、まずはマナーとお作法をお話する。境内では左側通行すること、堂内では脱帽すること、お遍路さんの邪魔をしないことなどなど。

 

 もう、この頃になると気もそぞろ。おなかがすいてきてガイドのお話も聞こえない。

 

 お昼になると、一目散に門前の八十八(やそば)庵になだれ込む。裏手の予約席に会場がセットされている。太っ腹な観光会社さんで、私たちガイド七名も予約席に案内してくれた。

 

 ここに来たら、まずはこれ・・。みたいに「打ち込みうどん」である。これをおわんに移して食べる。皆さんはここからバスで帰り、電車で高松まで帰るらしいが、私はここで失礼をした。今度は明後日の、「おへんろつかさ養成講座大窪寺現地研修」の準備がある。台風の影響で雨らしいが、大師堂でのお勉強になる予定。

 

  今日の掲示板はこれ。「今から一年も経てば、私の現在の悩みなど、およそくだらないものに見えるだろう。」というサミュエル・ジョンソンさんの言葉から。1年前に悩んでいたことって何だろう・・・と、自分自身を振り返って考えてみたが、何があったか、何に悩んでいたのか思い出せない。10年日記を開いても、そんな悩みのことなんぞは書いてない。今回の言葉を読んでみて、「ああ、なるほどなぁ」と感心した。本当にくだらないものだったのであろう。悩みとはそのときの状況によって変わり、他人からすればどうでも良いような悩みもあれば、深刻で大きな悩みもある。一人ではどうすることもできず相談できないとか、悩み過ぎて食事も摂れない、夜に眠れないといったようなことは誰もが一度は経験してきたはずだ。でも、1年もすれば、そんなことなぞ、すっかりと忘れているから大丈夫なのだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


秋晴れて 庭の手入れや 猫の声

2017年10月26日 | 自然ありのままに

 丸亀地方は、高気圧に覆われて晴れていた。気温は11.8度から20.0度、湿度は90%から63%、風は1mから2mの東の風が少しばかり。明日の27日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 昨夜は日本酒と焼酎をしこたま飲んでぐっすりと寝た。島の家だと奥方の目が届かない物で飲み放題の食べ放題。全くの「治外法権」。でも、きっちりと六時半には目を覚まして近所を散歩してきた。

 

 念願の草刈りも終えたし、こちらがわの植木の剪定もすませたし、切った枝葉を燃やして処分した。

 

 裏庭の柿の実も収穫した。そのままにしておけばカラスに食べられてしまう。

 

 しわく広島の江の浦港には、こんな石碑が建っている。島出身の書道家、藤本玄幽さんが、地元広島の観光振興の一環として、いろは歌のような言葉を石に刻んで立ててあるもの。

 

 これは「勝ちに誇れば功を失う」と刻んである。こういうものが、「い」「ろ」「は」「に」という順序で立ててある。

 

 この先生は、黒と赤の筆で童子に文字を書く「錦文字」という手法なのだとか。その先生も少し前に亡くなったとか。でも、この、「いろは石」はしっかりと残っている。来週の日曜日だかに、「いろは石ウォーク」が行われるらしい。

 

 この島は「青木石」という石材採掘の島で、あちらこちらに、こうした採石された「丁場」が残る。

 

 あちらこちらで柿が熟れているが、こどもはいないし、お年寄りは獲れないので、そのまんまになっている。

 

 島のあちらこちらで「つわぶき」の花が咲いている。

 

 今回の目的はクリアできたので、13時前のフェリーボートで帰宅することにした。

 

 この島の乗船券はいまだに「硬券」である。

 

 今日の掲示板はこれ。「何もかもは出来なくても 何かひとつはきっと出来る。」というもの。(岡本肇/新日本カレンダー) より。「やりたいことはたくさんあるんだけど・・・」。だけど、行動できない人がいる。話を聞いてみると、時間がないとか、経験がないとか、能力が足りないとか、出来ない理由が次々とでて来るもの。でももう少し詳しく話を聞いてみると、一度に大きなことをやろうとしているのだとわかってくる。普段まったく運動していない人が、「マラソンに興味があってやってみたいけど、とても出来そうにない」と言うのである。そりゃ、いきなりフルマラソンとかは無理というもの。でも何もしなければいつまでたっても出来ないままだ。まずは、今すぐにできる何か小さなことを見つけることが大事。夢や目標に近づくために、今日できるほんの小さなことだ。それを積み重ねていきことにしよう。毎日やることはたくさんあるだろうが、ほんの小さなひとつのことなら出来るはず。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


剪定の 今日の鋏は 秋の音

2017年10月25日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 丸亀地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は11.5度から20.9度、湿度は88%から52%、風は1mから3mの北北西の風が少しばかり。明日の26日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 雨で延び延びになっていた島の家の草刈りのために、弟のたっくんと一緒に丸亀港に着いた。港近くのスーパーで食材を買って11時10分の高速艇を待っている。

 

 平日だけれども案外と乗客はけっこういる。でも、見るたんびにしわが増えて髪が白くなって、「あれ、どちらさんでしたか・・」という人が増えてくる。

 

 丸亀港からしわく広島の江の浦港までは海上約20分。11時半には江の浦港に着いた。多少風があったが大きな揺れはなかった。

 

 おだやかなしわく広島の江の浦港である。この港に入ればほっとする。帰ってきたなぁ・・という感じ。

 

 先日来の雨で刈った草は幾分かの湿り気があったが、一箇所で火をつけると、すぐさま四方に燃え広がってきれいに焼けた。だから、あんまり激しくは燃えないで、表面上だけ炎が走る。当然、水道のホースを伸ばして待っている。

 

 草を燃やした後、伸びてきた草を刈り払ったりして。

 

 これでだんだんとさっぱりとしてきた。

  

 このあたりも草は片付けたし、長い草も刈り払ったし・・。

 

 次には庭木の剪定作業。剪定たって、何を切って何を残すかなどの選定などしない。やみくもに伸びた枝を切り払うばかり。さっぱりとさえしていればいい。形も枝ぶりもない。

 

 これが来年になれば元通りになるから大変だ。

 

 つわぶきの花である。この島にはこれが多い。我が家にもこれが咲き誇っている。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きていれば立ち止まることもある。そんなときは進みすぎたと思えばいい」という植西聡さんの言葉から。転んでしまったことなど気にする必要はない。そこからどうやって立ち上がるかが大事なのだ。もし人生で何かうまくいかないことがあるのだとしたら、たぶん、それは自分で台本を書きすぎたのかも知れない。すべての人を自分よりえらいと思って仕事をすれば、必ずうまくいくし、とてつもなく大きな仕事ができるものだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


草刈って イナゴが迷子に なっている

2017年10月24日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、昼前にかけて曇っていたが、その後は高気圧に覆われて晴れてきた。気温は12.4度から18.9度、湿度は76%から56%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の25日は、気圧の谷や寒気の影響で朝まで曇りますが、高気圧に覆われて昼前からは晴れる見込みらしい。

 

 さぬき市寒川町にある香川県立門入(もんにゅう)ダムからは、台風で満水になったようで余剰水を放流している。その姿がなんともおかしいように見える。

 

 なんとなく、片方の鼻から鼻水が流れているようで、私はこれを、「はな垂れダム」と呼んでいる。あくまで個人的な感想である。

 

 で、毎週火曜日はここである。この「前山地区活性化センター」へ出勤して、俵札の整理をやっている。もう、四年目になっている。俵札というのは、お遍路さんがお接待を受けた時に、お礼に渡す納め札を小さな俵に詰め込んで保存していたものである。

 

 寒川家、飯田家、田淵家と三軒の農家にあった俵札を開いて調査したのだが、来春には、飯田家のものを研究成果として印刷発行するために、最終確認を行っているのである。

 

 この左側の人が中島先生で、一覧表のリストのデータを読み上げて修正する係。右の大きなディスプレーの向こうに渡邊会長が画像データを開いて操作する係。私たち数名が、この画面を見ながら解読する係というわけ。これは、「サワ」なのか「イワ」なのか・・と、ワイワイといいながら読み解くのである。その右は「同行二人」の「二人」が見える。

 

 こういうマニュアルを見ながら、年月日、地名、願目、氏名・・・なんぞを読み解くのである。さぬき市教育委員会からの出版になるので、正確に記録しておかねばならないのだ。

 

 この赤札は、巡拝した数を意味しているのではない。この頃には(明治時代)、そういう回数による色別はなかった。だから、特殊な意味合いを込めて赤色にしている。

 

 こういう作業を延々と続けているのである。その合間に、11月のイベントの相談とか打合せを交えたりしながらになる。当面、大窪寺班は、この27日に観光団体主催のウォーキングのガイドと大窪寺周辺のガイド、29日の「養成講座大窪寺実地研修」の境内ガイドと、ガイド法の指導、11月3日のさぬき市主催の88ウォークでの大窪寺境内ガイドなど。

 

 ということで、これは次のイベントの広報担当用ベストの準備。胸にさぬき市マスコットキャクターの「さっきー」をプリントしてみた。

 

 こういう感じ。

 

 背中には、「おへんろつかさ」のマークをプリントした。会の制服と同じもの。

 

 その後、明日からの「しわく広島行き」のために、草刈り用の混合油とか人間用の缶ビールとか焼酎とかを用意した。食材は船に乗る直前に仕入れることにしている。島の家の草刈りと植木の剪定などを予定している。

 

  今日の掲示板はこれ。「くらべて喜ぶ人は また くらべて泣く人である」というもの。人は他人と自分を比べて生きている。人は全ての物事を相対性で選択しているのである。相対性なんていうと難しく感じるが、人は自分と誰かを比べているものである。無意識のうちにも自分の持っている物と人の持っている物を比べていたりする。若い頃にはライターがあった。ジッポーがいいとか、ダンヒルがいいとかと競争したし、時計もロンジンがいいとかダンヒルがいいとかロレックスがいいとか・・。車だって、「いつかはクラウン・・」と言うていたが、今はレクサスがいいとかなんとか・・。考えようによっては「どんぐりの背比べ」みたいなものだったのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


雨の後 しずくに光る ススキの穂

2017年10月23日 | 時にはぼぉっ~とする時

 

 台風と選挙の開票速報の喧噪が終わって靜かな朝になった。平凡が一番、当たり前が一番。

 

 台風一過、担当地区内のパトロールと安否確認。ま、讃岐国は直撃でなかった分、そんなに荒れた様子もない。いつも通りに住民はのんきに安気に暮らしている。

 

 このあたりの稲はとっくに刈り取ってしまっているし、ほかの作物を作っている家もない。栗の実や柿の実が道路上に散乱しているが、サルやカラスの食べた跡ばかりだ。

 

 担当地区内77戸に異常はない。平和でのどかな山あいの靜かな山里である。

 

 気にかかる人は施設に入ってしまったし、残る独居老人たちも至って元気な人ばかりだ。

 

 パトロールから戻ると、夏物の衣料を洗濯して干した。久々の洗濯だった。町のコインランドリーはいつも満員でにぎやかだった。今日あたりは洗濯物が家中に干せたことだろう。

 

 さて、愛用の草刈り機の燃料タンクから燃料漏れがする。ま、当座、必要もないが、涼しくなれば草刈りもやらねば・・・ということで、修理に出すことにした。

 

 で、こういう農機具屋さんに持って行ったら、修理のエンジニアは研修で出払っている・・というので機械を預けてきた。今週も忙しくて草刈りどころではないのだ。

 

 母のさっちゃんが買った小型耕耘機だが、十年もすれば動かなくなった。で、しばらく放置してあったのだが、これもついでだからと、修理をお願いした。これはJAさんで買ったものだから、どこに修理をお願いしたらいいものかわからず、そのまんまになっていた。

 

 いろいろ探して、「大川農機具センター」というところにお願いしたら、すぐに来てくれて動くようになった。ま、使ったら使ったまんま、雨風もそのまんまだから仕方がない。でも、「今回はサービスです」と帰ってしまった。タダというのはありがたい。

 

 ためしに私が始動してみたら、やっぱり、一発でエンジンがかかる。機械というのは難しいものだなぁと思うことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「つらいと思ったら よりつらい方へいく」というもの。最近、「体調不良ですから」ということで、会合や集会をさぼっているのだが、「体調不良」「体調不良」と言い続けていたら、ホントに「体調不良」になってしまった。まだ、つらいとは思わないが、ホントにつらいと思い出したら、よりつらい方向に進んでしまうように思えてきた。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


もういいと おなかさすって 秋の雨

2017年10月22日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は台風第21号や前線の影響で、雨が降っている。夕方からは雷を伴い非常に激しく降る所があるらしい。気温は17.3度から18.7度、降雨量は2mm/hから16mm/h、湿度は94%から86%、風は3mから6mの北の風が少しばかり。大雨警報と洪水警報が発令中。明日の23日は、台風第21号の影響で明け方まで雨が降り、未明は雷を伴い非常に激しく降る所がある見込みらしい。

 

 隣の津田川は音を立てて流れている。すぐ上の大川ダムが放流を開始している。例の薬剤師のお姉さんはのんきに世界一周旅行の話をしている。聞けば今日の夕方の16時に高速バスを予約している・・と、のんきなものだ。

 

 もう、船もJRも止まっているよ。高速バスだって危ないよ・・・と言うと、ようやくに重い腰を上げてバス会社に連絡を始めた。で、11時50分だかのバスに予約を変更できたらしい。

 

 で、高速バスの乗り場まで送って行って来た。しかしのかかし、薬剤師さんて、そんなに儲かるものなのか・・。飛行機で娘と孫との三人で世界一周旅行だと・・。一人150万だから・・というけれどもねぇ・・・。

 

 それでも、「明日のお仕事にさしつかえては・・」と、急いで帰ってしまった。

 

 困ったのは奥方だ・・・・。今日はこの隠れ家的割烹「侘助」でのランチを予約していたのだ。台風だから仕方が無いじゃないかと思うのだが、「すみません、三人が二人になりました・・」と携帯電話で平身低頭。このように、何の看板も案内標識もない。

 

 これが今日の「お品書き」。奥さんの細筆によるもの。今日だけのメニューである。

 

 先付けの太刀魚と菊の和え物。お箸には侘び助の葉っぱの飾り付き。

 

 鮭のバター焼なんたら・・・。

 

 渡り蟹の磯巻・・・。こうなると、なんだかわからん・・。

 

 止め椀、赤出汁、飯栗ごはん、香の物二種。奥方と二人では会話も弾まない。私はトイレに立つばかり。

 

 最後にデザートでメロンと梨が出ておしまい。およそ50分間のランチタイム。これでお一人様三千円ですと。主賓のいないお食事会はつまらない。

 

 ついでだからと、弘法大師空海さんの先生だった、岡田の牛養(うしかい)をお祭りする「岡田神社」と、

 

 その先生のお屋敷があった「岡田屋敷跡」を車中からご案内。なんか、台風のおかげで、ばかばかしい一日になってしまった。

 

  今日の掲示板はこれ。「散ると見えるは凡夫の眼 木の葉は大地に還るなり」というもの。これからは紅葉して落ち葉が舞い落ちる時期。「あ、枯れ葉が散って行くなぁ・・」と見えるのは私ら凡夫の眼なんだよ。木の葉は大地に還って行くのだよ・・。みんな、そうして還っていくんだよ・・・というとるのやね。大地に還り、栄養となって、また、新たないのちを生まれさせ、育てていく。そういうことなんやね。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


ほんものに なりきれないと 秋の雨

2017年10月21日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で、雨が降っている。気温は16.0度から17.5度、湿度は90%から96%、降雨量は0mm/hから6mm/h、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の22日は、台風第21号や前線の影響で雨が降り、夕方から雷を伴い非常に激しく降る所がある見込みらしい。

 

 今年の雨はよく降る雨だ。いまだに梅雨が続いているみたいで、なんだかなぁと思うばかり。ま、雨が欲しい人には悪いのだけれど。

 

 今日は奥方の若い頃のお友達がやってくる・・というので、奥方は「希望休」でお休み。なんでも、結婚前に料理教室で出会った人で神戸市内の人。徳島文理大の薬学科で勉強した薬剤師さん。

 

 だから、昼食はセルフのうどん屋さん。街ならば高級レストランにご招待するのだろうが、讃岐はこれが最高のおもてなし。

 

 このカウンターで注文して、サブメニューをチョイスする。で、右端でお会計して、好きなテーブルに付いて食べる。

 

 私とお客さんは、この「溜うどん」の小。梅干しがでっかいのが特徴だ。これに「溜醤油」を掛け回して食べる。

 

 11時前だったので空いていたが、お昼を過ぎると長蛇の列になる。

 

 帰ると、なんだか身体が重い。頭痛もするし歯も痛い・・・。少々、お疲れが出たみたい。

 

 雨は一日中降り続いている。私はお布団を敷いて三時間ほど寝てしまっていたが、それで体調が回復したかというとそうでもない。この湿気がよくないのか、気圧の関係なのか・・。

 

 今夜はご馳走なので、これを食べて早めに寝ることにしよう。

 

  今日の掲示板はこれ。「ほんものは続く 続けるとほんものになる!」という東井義雄先生の言葉から。私たちの生きる道は、一度しかない人生なのだから自分と向き合い、自分を高めていくのが人生の醍醐味なのかも知れない。色々と誘惑や欲望が多いのはどの時代でも同じようで、 その自分の誘惑や欲望の種類は人それぞれに異なるが、小さな勇気を発揮してそれを凌駕するような本物の勇気の心、本物の実践を積み上げていきたいと思うことである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


若い声 聞いてコスモス 生あくび

2017年10月20日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で曇り、夜遅く雨が降る見込みらしい。気温は15.4度から19.6度、湿度は94%から76%、風は1mから3mの北東の風が少しばかり。明日の21日は、引き続き前線や湿った空気の影響で、雨が降るらしい。

 

 偶然に思い出したのだが、13年前の平成16年10月20日、午前10時ごろから降り出した雨が豪雨となり、12時半には、我が家をこのように壊してしまった。当時、家には母と奥方がいたが、逃げ出すこともできず、電気・電話も止まってしまい連絡不能状態に。幸い、向こうに見える旧宅に避難して無事。

 

 当日は給料日で、奥方は銀行から現金を引き出したり当座の食材を買って帰った時は平常通り。それが一気に土石流でこうなった。台風23号だった。おりしも、またも台風がやってきている。

 

 さて、今日は孫のなぎちゃんの合唱コンクールだというので奥方の運転手として行って来た。ここは、香川県民ホール。今は、「レグザム・ホール」と言うらしい。なぎちゃんのお兄ちゃんからだから6年間だか、毎年、ここにやってきたが、今回が最後となる。

 

 ここの大ホールだからこんなものだ。

 

 ということで、コンクールの写真はない。

 

 こういうご時世だから、ビデオカメラあり、スマホで動画撮影したり、タブレットで撮影したりとご婦人たちも手際よい。見ていれば、何年生の何組のお母さんやな・・とか、あ、一年生が終わったから帰るのか・・とかと、そのほうが面白い。音楽は聞いてもわからんのだ。

 

 だから、お隣にある「香川県立ミュージアム」をのぞいてきた。

 

 今は、こういうものをやっている。でも、地方豪族たって、誰も知らない・・。

 

 この人、「讃岐の永直(ながなお)」さんというらしいが・・知らない・・。

 

 「物部守屋(ものべのもりや)」たって、聞いたことがない。ようやくわかるのが、空海さんとか智証大師円珍さんとか・・。

 

 これは妙音寺軒先丸瓦・・というらしいが、7世紀中ごろ、現在の三豊市で讃岐最古の寺院・妙音寺(みょうおんじ)が建てられる。この寺の瓦は約7Km離れた宗吉瓦窯(むねよしがよう・三豊市三野町)で製造されたものである。宗吉瓦窯は日本最古の瓦葺宮殿である藤原宮へ瓦を供給しており、妙音寺・宗吉瓦窯を経営した人物は、寺院建立と宮殿建設という当時の施策について把握し、自らのポジションをいちはやく定めたことがわかる。

 

 三豊市高瀬町にある猫坂古墓(ねこさかこぼ)から出土した遺物で、銅製の骨蔵器(写真中央)を、陶製容器(写真左)に納めて埋葬されていた。8世紀初頭には、古墳に代わる墓制としていち早く火葬の習俗を受け入れ、おそらくは都で作られた銅製の骨蔵器に遺骨を納めていたと考えられる。都での流行をキャッチし、いち早く導入するという動きを、8~9世紀に三野郡司として登場する地方豪族・丸部臣(わにべのおみ)氏が主導していたという。

 

 この像は、綾川町にあった龍燈院綾川寺でまつられていたが、明治初年の神仏分離により龍燈院が廃寺となって焼却処分にされる筈のところ、綾川町堂床地区の人びとによって大切に護られてきた像である。 十一面観音や千手観音は「変化観音」と呼ばれており、密教やヒンズー教の影響を受けて成立した像とされ、讃岐国では、10世紀以降の作例が多くみられ、山岳寺院などで祀られていることに注目を集めている。 一説には讃岐国司として赴任した菅原道真が自ら刻んだという伝承をもち、天神信仰との関係もうかがえるものだという。

 

  今日の掲示板はこれ。「生きてきてよかったと心の底からうなずける道を歩みたい」というもの。確かに誰もみんな、こうした道を歩みたいとは思っているのだけれど、そう、うなずける道にたどり着くまでが大変だ・・・。毎日、毎日が試練ばかりのような昨今だから。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


秋雨は 昨日のことを まる忘れ

2017年10月19日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で、夕方まで雨が降るらしい。気温は15.5度から16.6度、湿度は94%から90%、風は6mから2mの北東の風が少しばかり。降雨量は5mm/hから0mm/h。明日の20日は、湿った空気の影響で概ね曇り、朝まで雨の降る所がある見込みらしい。

 

 今日はずんやりと雨・・・。朝から古本や資料の整理をしたけれど、捨てたとたんに、「あの資料、どこやったやろ・・」なんてことになりかねないので、しばらくは積んどく状態。

 

 今日は火曜日ではないのだけれど、ちょいと、ここにやってきた。「おへんろ交流サロン」ではなくて、「おへんろ資料展示室」である。

 

 ここのガイドマニュアルも作らないといけないので、資料集めにやって来たいう訳。

 

 この人が「中務茂兵衛(なかつかもへえ)」さん。左は、この人がお参りするようにPRしている与田寺さんの案内広告。本名は中司(なかつかさ)亀吉。弘化2年(1845)4月30日に、周防(すおう)国大島郡椋野(むくの)村 (現山口県久賀町椋野)の庄屋中司家の三男として生まれた。(一説には次男との説も)22歳の時に家を出て、四国八十八箇所巡拝を始めたと言われている。

 

 以来二度と故郷には戻らず、生涯巡拝の旅を続け、そして最後となる78歳の巡礼で、6か月余りかかってたどり着いた結願の大窪寺を目前にして病に倒れた。実に280度目の巡礼だった。最後は、彼のよき支援者であり信奉者でもあった久保ちか子宅(現:香川県高松市通り町)で56年にわたる遍路生涯の幕を下ろして大往生を遂げた。時に大正11年(1922) 3月20日午前1時であったと言われている。

 

 彼の残した道標のひとつに刻まれた、『生まれきて 残れるものとて 石ばかり 我が身は消えし 昔なりけり』という句は、自らその生涯を詠み上げているかのように思える。彼の道標建立は、厄年の42歳のとき、巡拝が88回目になったのを記念して始め、以後多数の道標を建立し続け、100度目からは『義教』の法名を刻むようにもなった。

 

 その道標の特徴は、ほとんどが大型(道標高の平均約124cm)であり、刻字に彼の出身地である『周防国大島郡椋野村』と、建立の年月、巡拝度数、茂兵衛義教の氏名・法名を刻んでいることである。これは、東かがわ市の市役所前に残る「278度目」のもの。また、道標には珍しく句歌を刻み、『迷う身を教へて通す法の道』という句を好んで選んでいる。

 

 彼が建立した243基以上にも及ぶ道標は、歩くしかなかった時代の遍路の文化遺産として、現在でも高く評価されている。(上は最後となった279度目の道標で、東かがわ市境目の八丁坂口にある) 一方、四国八十八箇所巡拝の傍ら、富士山・大峰山・葛城山での入峰修行や、西国33観音霊場の巡拝なども精力的に行い、明治24年(1891)には76番金倉寺の住職松田俊順 の弟子として度牒(どちょう)(出家僧の許可状)を受けている。

 

 歩きを中心とした遍路で、100回以上巡拝した遍路は何人かいたが、280回にもおよぶ四国遍路の巡礼は、彼のほかには二度と出てこない偉業であり、その残した功績は計り知れないものがある。

 

 しかしながら、時の移ろいははかないもので、今の時代ともなれば、この人を知る人も少なくなり、道標も交通の邪魔だと破却され、移転され、撤去されようとしている。交通事情の変化によって、必要でなくなったものもあり、多難な時代を迎えようとしている。

 

 彼の残した納経帳は三冊で、およそ、100回分の検討だろうか。このように「重ね印」で真っ赤になっている。

 

  今日の掲示板はこれ。「生きるということは すなわち 悩みと共に 歩くことなのです」という枡野俊明さんの言葉から。「いま確かに生きている。その実感を体中で受け止めてください。寒さや暑さ、痛みさえも生きている実感としてとらえてください。悩みが生まれる原因は一つ。それは何かにとらわれているからです。欲望や夢、ときには人間関係にさえも執着してしまう。その執着心にこそ、悩みの発端があるのです。これだけは手放したくない、これは絶対に手に入れたい。この思いが叶わない時に悩みが生まれます。人間の持つ悩みとは、自分自身で生み出しているものが多いのです。(後略)・・・・・」

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


秋雨は お寺の屋根を 湿らせて

2017年10月18日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で曇り、夕方から雨が降るらしい。気温は15.4度から19.2度、湿度は80%から66%、風は3mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の19日は、引き続き前線や湿った空気の影響で、昼過ぎまで雨が降る見込みらしい。

 

 先週のお祭りの時、島の家の草刈りや剪定をしてそのまんまになっているので、弟と二人で片付けに行く予定にしていたが、天候が悪いということで中止にした。ところが、今日はいい天気になってしまった。

 

 無理して行っておけば片付いたのになぁと思ったけれど、もう遅い。水曜日には県立図書館で五冊の本を返却して五冊の本を借りてきた。

 

 で、またまた、トイレに行きたくなったのでありきたりの本を掴んで戻って来た。前に何度も借りたような本ばかりである。ここでも老化が進んでいるのだろうか。

 

 さて、昨日のこの「捨て往来」のことである。これを解読して、皆さんにお話するような資料を作らねば・・・と、ネット検索したら、これを解読したものが出てきた。調べてみたら私のものだった。

 

 これを、いつ、私が作ったのだ・・・。昨日の食べたものを覚えていないのだから一年前のことなど覚えている筈がない。

 

 さらに、ふと、本棚の片隅を調べたら、こんなものまで出てきた。展示用のパネルである。

 

 早速にA4版に拡大してみた。なんだなんだ、とっくに解読ができてるじゃないか。いつの間に、こんなものまで・・・。唖然とするやら力が抜けるやら、記憶力の衰えやら・・。

 

 お昼から、食材を調達するに出たついでに、ここに寄ってみた。さぬき市大川町富田中にある「みろく自然公園」である。ここで、この15日から菊花展をやっているという。

 

 規模は小さくなった。次第に菊作りをする人がいなくなった。町内にも何人も有名な菊作りがいたのだが、相次いで無くなってしまった。だから、お隣の「東かがわ市」とか徳島県なんかの菊なんぞが並べられている。

 

 まだまだ、こんなもの。今月下旬か来月に入ってからが見頃になるのかも。

 

 こういう「厚物」とか、

 

 こういう「管物」とか、小菊とか・・・。

 

 まだまだ寂しいもので、お客さんもおらず、わずかに施設の方が車いすを押して二人ほど。

 

 今日、選挙公報が届いたけれど、私も奥方も、とっくに期日前投票を済ませている。今更、これを読んでどうなる・・。もったいないことをなさるものだ。もっと早くに届けておいてくれないと。

 

  今日の掲示板はこれ。「吐いた言葉を呑みこめば 辛さ苦さが 喉を刺す」というもの。山田の法泉寺さんにあったものを利活用。「吐いた言葉を呑みこめば 辛(から)さ苦(にが)さが喉を刺す」。自分の言葉を呑み込んでみれば、辛さや苦さが喉を刺すようにきつい・・・。よくもこんな言葉を吐けるものだと驚かされる。よくよく言葉を吟味して話さねば・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


端正の 菊の季節の 一途なり

2017年10月17日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で雨が降っていた。昼過ぎからは曇りになった。気温は14.9度から19.7度、湿度は92%から66%、風は2mから4mの北東の風が少しばかり。明日の18日は、前線や湿った空気の影響で曇り、夕方から雨が降る見込みらしい。

 

 今日も朝から雨が降ったりやんだり・・・。しばらくはこんな天候が続くらしい。

 

 で、恒例の火曜日出勤の日。小雨の中、前山地区活性化センターにやってきた。こんな雨の日でも歩き遍路の方が何名か休まれていた。

 

 観光ガイドマニュアルの話は進展しない。9月いっぱいで・・ということだったが、10月も中旬を過ぎたのに音沙汰がない。で、今日のお仕事は、この納め札の解読作業。このおじさんが中島先生で、データーの記録修正係。この大きなディスプレーの後ろの人が渡邊会長で画像解析係。

 

 で、何人もの目で、読み進めていく。「これは藤吉やな」「いや、留吉じゃない?」などとやってる訳だ。渡邊会長は、文化財保護協会の会長も兼ねていて、古文書の解読はお手の物。

 

 だから、こんなマニュアルを作って、私たちに呉れている。これらを頼りに作業をする訳だ。

 

 で、ここにある、「おへんろ資料室」のガイドも、私たちがやることになった。そこで、合間に、ここの観光ガイドブックも作ることになった。

 

 まずは、「捨て往来」と呼ばれる、お遍路さんの通行手形である。

 

 とある有名な方の寄贈された品であるが、その上に書いてあるのが「通行手形」である。

 

 私の訳したものであるが、最後の、「病死などの節は、その処のお作法で処分してください。国元に知らせる必要はありません。」という冷酷なもの。これを「捨て往来」という。

 

 こういうことは、浄土真宗の二十四輩巡拝でも同じような「捨て往来」が使われていたので、どういう理由の旅であっても、こうした形式の手形になったようである。それほど、昔の旅は過酷なものであったということだ。

 

 お昼からは、旧国名と、そこにあった郡名表などを調べたり、

 

 和暦と西暦換算と何の干支の年だったのかを調べる一覧表を用意して、子文書解読の資料作成をやっていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「むつかしいお経を読めと言われて、「庄松助くるぞよ、庄松助くるぞよ」と読んだという。」という、小砂説教所跡にあったお皿のことばから。

 上の一条は、勝覚寺の先代住職は庄松同行を非常に愛撫せられ居りしが、役僧の一人がそれをうらやま しく思い、一つ庄松を困らせて恥しめんとて、三部経の中の下巻を取り出し、庄松に向かい、「お前は有り難い同行さんじゃが、この大無量寿経の下巻の、ここ の御文を読んでみよ」と云えば、庄松の答えに、「庄松を助くるぞよ、助くるぞよとかいてある」と云われたと。

 
*「五劫思唯の大悲の本願も、ただかかる自分一人の為の御苦労であった、勿体なや」と御開山親鸞聖人は喜ばれた。わが身一人に、如来の本願を受け止める無学で経の読めぬ庄松の獲信、「庄松を助くるぞ」と読む・・・。これ、真の大経読解でもあろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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