まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

年の暮れあなたまかせの風がゆく

2021年12月31日 | 時には日々是日

 31日のさぬき市地方は冬型の気圧配置が続き、概ね曇っていた。気温は3.5度から5.5度、湿度は46%から64%、風は7mから4mの西の風が冷たかった。強風・波浪・乾燥注意報が発令中。明日の1月1日のさぬき市地方は、寒気の影響で概ね曇る見込み。

 

 収縮期105mmhg、拡張期59mmhg、脈拍79bpm、体温36.4c/酸素濃度98%/体重63.8Kg 室内気温21.9c/室内湿度33%/気圧1023hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:10分、日の入りは17:04分 月齢は26.8の中潮。

 

 昨夜というか今朝方の午前2時過ぎ、猛烈な左足の痛みで寝られなくなった。足がつるのである。しばらく痛みとの戦いをやっていたが、ふと、68番の薬が頭に浮かんだ。ツムラの「芍薬甘草湯」である。香川医大に入院していたときに処方されたものをすっかりと忘れていたもの。これを飲んだらたちまちにして痛みが消えた。

 

 今朝も西風がきつい。いよいよと本物の冬が来た。

 

 となりの山からの落葉が時雨のように降ってくる。それを火箸で掴んでビニール袋に押し込んでいく。ホウキも熊手も使えない。奥方が奇妙な植物を植えているからである。普通のおうちでは草は抜いて捨てるのに、奥方は拾ってきて植えるのである。全くかなわんことである。

 

 で、お客さんの目に付くところだけは落葉を拾っておいた。これがいつまでもつかしらん・・・。

 

 奥方はおせち料理に余念がない。こういうものは若い方には見向きもされないのだが、奥方一流のこだわりなのかも知れない。

 

 で、どうしても気になる障子が一枚あったので張り替えることにした。でも、私は座れないし、しゃがむこともできない。それでもやり始めたことだからと、痛い腰を休ませながらの作業になった。

 

 今の障子紙はアイロンで貼り付ける。昔のようなノリは使わない。簡単なようだがこれが難しい。アイロンの先っぽで障子紙に穴を開けてしまうのだ。強く押し続けると焼けたり黄色くなったりするし・・・。

 

 なんとかかんとか、カッコウにはなった。あとは余分な紙をカッターナイフで切り取ればいい。おかげですっかりと腰が痛くなった。

 

 今日のお昼は富山県の「氷見うどんの細麺」の小エビの天ぷらうどんである。つるつるスルスルの独特な舌触り。讃岐うどんにはない上品さがある。讃岐うどんもいいが、氷見うどんもこれまたいい。

 

 どうにか、今日で予定完了。一時はどうなることかと思ったが、思ったほか、すんなりと完了報告。

 

 寒いと思ったら、粉雪が舞い始めた。積もるような雪ではないが、ふんわりふんわりと粉雪が乱舞している。

 

 今日の掲示板はこれ。「ともかくも あなたまかせの 年の暮れ」という小林一茶の俳句から。浄土真宗の門徒の家に生まれ、念仏者としても知られる俳人小林一茶の句である。「ともかくもあなたまかせ」と阿弥陀如来の救いにすべてお任せしている私だから、この人生は、何があっても心配のない人生だというのである。つまり、ただ人任せにして何もしなくていいというのではなく、自分の命の帰る場所を心得え、本当におまかせのできる救いをしっかりと心に持っているからこそ、どんな苦しみや悲しみに出合っても、人生を安心と安堵の中に生きていけるのである。思うようにならない人生だからこそ、悲しみや苦しみの尽きない人間だからこそ、自らの力に頼るのではなく、如来様のご本願にお任せをしていくのが、本当の念仏者であろう。年の暮れに一年を振り返った時、たくさんの方々のご援助、ご協力ご尽力のお蔭で、今の私が生きている事への感謝と、いつでも私の傍で、浄土へ生まれていく道を照らし続けていてくださる、阿弥陀如来への報謝のお念仏とともに、新しい年を迎えていきたいものである。

 

 ねがわくは、この如来の呼び声が、あらゆる人のこころに届き、大いなる励ましとなり、ともに命を輝かせ合う、よろこびの世界に集えますように・・・(Anカレンダー)

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。

 


黙々と年月の行く枯れ野かな

2021年12月30日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 30日のさぬき市地方は、気圧の谷や寒気の影響で曇り、雷を伴って雨や雪の降る所があるらしい。気温は10.0度から4.8度、湿度は60%から44%、風は7mから4mの西南西の風が一時は強かった。強風・波浪・乾燥注意報が発令中。明日の31日のさぬき市地方は、冬型の気圧配置や寒気の影響で概ね曇り、明け方まで雷を伴って雪の降る所がある見込みなのだとか。

 

 収縮期105mmhg、拡張期50mmhg、脈拍78bpm、体温36.6c/酸素濃度98%/体重63.6Kg 室内気温23.6c/室内湿度32%/気圧1017hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:09分、日の入りは17:03分 月齢は25.8の若潮。

 

 昨夜の夕食はちらし寿司にカニ。これを独り占め。

 

 カニは手が汚れるから嫌いだなぁ・・と思いつつ、食べ出したら止まらない。なんだかんだと完食してしまった。

 

 で、今日はご案内のとおりのお餅つき。私は若い頃にお餅を32個も食べて胸焼けを起こして以来、お餅が食べられない。だから、お餅つきだと言っても少しも楽しくはない。ただ、毎年の行事だから粛々とやっているようなもの。

 

 我が家の場合は、こういう餅つき器を使っている。旧宅で母が買ったものだから、もう、30年も40年にも成るのかも知れない。私が若い頃には父が杵を打って母が手返しをしたものだったけれど、父が若死にしたものだから母も面倒くさくなったのかも知れなかった。

 

 今年も弟がお手伝いに来てくれてのお餅つき。だから二軒分の二臼だけになった。奥方が餅米を蒸したり、小さくちぎってくれるので、弟と私が丸めてお餅にしてゆく。この黒い物が「餡:あん」である。讃岐独特の「あん入り丸餅」である。

 

 下の二つが仏さん用の鏡餅。このころは最初だからお餅らしくはならない。「食べたら同じ事」ということで、出来映えは二の次。

 

 餅搗きと言っても、おもちを搗く・・・という感覚ではなくして、羽根で「こねる」という感じ。

 

 ま、毎年、こんなものだ。我が家は二人だけで、私がお餅を食べないから奥方一人分だけがあればいい。

 

 で、できあがったお餅は「ののさま」へお供えをしておく。

 

 これで、私のお仏壇への「お荘厳:おしょうごん」は完了。あとは奥方が仏花に松をどう活けるかである。「あんた、お坊さんでしょ!」と言われるが、仏花の活け方までは習わなかった・・・と、思っている。はず。法要時の仏花は習ったかもしれない・・・。

 

 で、来年の二日の「正月礼=新年会」の準備である。感染症も少しは落ち着いてきたからか、十数名のお参りがあるらしい。祖母の時代には「おとびら開き」ということで、いつもは閉じてあるお仏壇を、お正月にはお扉を「開扉」して合掌、お念仏をしたものだが、私になってからはいつもおとびらは開いたままにしてある。だから、誰でもいつでも合掌お念仏ができるから良かろうわい・・と思っている。

 

 これでお正月の準備が一つ終わった。

 

 で、いつもの。迎春準備確認表。作業は順調に進んでいるが、明日もお天気が悪そうなので、家の周囲のお掃除は無理かも知れない。

 

 あとは家の周囲のお掃除を残すばかりか・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「年は唯 黙々として行くのみぞ」という高浜虚子の俳句から。いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板から。高浜虚子の擬人化表現を用いて、去る年を表現しているのが特色といえるだろう。太陽と月は宇宙の旅人で、太陽は日没とともに闇の世界にこもり、日の出とともに新たな生命を受ける。月も終わりの闇夜を「月隠(つごもり)」とか「晦日(みそか)」といい、新しい出発を「月立ち」とか「朔日(ついたち)」といった。太陽と月は「死」と「再生」をくり返して大晦日となる。年も古い生命を葬り、新たに生まれて新年となる。私たちもただ、黙々としてゆくばかりである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えると、いいね。


冬戯れてホウキの音の懐かしさ

2021年12月29日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 29日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが、昼過ぎからは気圧の谷や湿った空気の影響で曇ってきた。気温は3.0度から12.0度、湿度は52%から78%、風は1mから2mの南南西の風が少しばかり。明日の30日のさぬき市地方は、冬型の気圧配置となるため、概ね曇り、未明は雨の降る所があるらしい。

 

 収縮期110mmhg、拡張期62mmhg、脈拍78bpm、体温36.5c/酸素濃度98%/体重63.8Kg 室内気温20.9c/室内湿度32%/気圧1025hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:09分、日の入りは17:02分 月齢は24.8の長潮。

 

 「十二月二十八日は火がサドイ、二十九日はクモチでよくないと、節季には日を忌むことが多い。たいていの家では、二十七日か三十日にモチをつく。」という我が家のマニュアルで、我が家は毎年、恒例で三十日にモチを搗く。だから、今日はその餅搗きの準備である。二階の屋根裏部屋の物置に片付けてある餅搗き道具を降ろす日である。

 

 ご案内のように私は足が悪い。それに心臓も悪いから重いものは持てない。そこで、軽い物を二個か三個ずつ運び降ろすから、これだけ降ろすのに30分もかかってしまった。

 

 でも、肝心の餅つき器は重たくて動かせない。そこで、今夜か明日の朝に、奥方に手伝ってもらって降ろすことにした。これだけのものが動かせないというのも情けない話ではある。

 

 で、今度は前日のお仏壇回りの掃除をやることにした。掃除を簡単にやろうと、左に見える緑の機械が強制送風機の「ブロアー」でホコリを吹き飛ばしていたら、焼香用の香炉から灰や抹香が火山のように吹き出して、そのあたりが灰まみれ・抹香まみれになってしまったのだ。それを今日はきれいにお掃除しなくてはいけないのだ。ま、自業自得なんだけれど。

 

 で、灰やホコリがお仏壇に飛び込まないようにと、お扉を閉めてしまっての作業になった。そのあたり一面に灰や抹香が飛び散っているので、経本や聖典やお線香やお盆やらを片付けてしまっての大掃除になった。

 

 前卓(まえじょく)という机の上にあった花瓶や香炉・燭台なんぞも移動させての灰の掃除になった。経机の上も全て片付けての大仕事になった。

 

 で、さっぱりとしたお仏壇回りになった。

 

 その後、仏花や経典などもホコリを払って元に戻した。仏花に松をお供えするのは大晦日の奥方のお仕事である。

 

 これで、私の仏間のお仕事は一応のおしまいになる。あとは大晦日に最後の「お荘厳(しょうごん)」をするばかり。

 

 聖典、経典も雑然と盛り上がっていた物をホコリを払って片付けた。

 

 で、今日はてばやく食べられるようにラーメンになった。カニカマばかりのラーメンである。

 

 迎春準備確認表もここまで進んできた。いよいよ、明日はお餅つきである。別にお正月が嬉しいわけではないし、お正月が待ち遠しいわけでもない。ただ、粛々と、毎年の行事をこなしているだけである。

 

 今日の掲示板はこれ。「この一年 悔いなしと散る 落ち葉かな」というもの。よく見かける言葉だが、誰の言葉化はわからなかった。一茶の句かなぁとも思ったのだがわからない。花には花の役割があり、葉っぱには葉っぱの役目がある。冬が近くなると、広葉樹などは広い葉っぱでは水分を発散させるので木が弱るために葉っぱを切り落とす。また、光合成能力の落ちてきた葉っぱでも植物は弱る。そこで葉っぱを捨ててしまう。紅葉はその前段階で変色するものらしい・・・。紅葉も落葉もお仕事を終えた葉っぱを切り離すことでおきる自然現象。これを悲しいと見るか、寂しいと見るかは人間様のこころのありようだけ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


冷えてきた今日はカニ鍋食べようか

2021年12月28日 | 時には日々是日

 28日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが、午後からは気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇ってきた。気温は6.0度から10.1度、湿度は68%から50%、風は5mから1mの西の風が一時は強かった。明日の29日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、夜は雨の降る所がある見込み。

 

 収縮期106mmhg、拡張期58mmhg、脈拍79bpm、体温36.2c/酸素濃度98%/体重64.2Kg 室内気温22.7c/室内湿度29%/気圧1029hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:09分、日の入りは17:02分 月齢は23.8の小潮。

 

 昨日は身体の調子がよくておいしくカニを頂いた。でも、どっちかと言うと豆腐や白菜ばかりを食べていたような気がする。カニは食べるのが面倒かなぁと思ったりする私。

 

 朝方は、年末ということもあって、今年一年の医療費の集計をやっていた。今年は一日の入院もなかったので、医療費は少なくなった。で、その半分は私の薬代である。毎月、限度額いっぱいということで、18,000円均一。

 

 今日は、介護用品のレンタルショップから会議ベッドの点検に来るというので、それまで雑用をこなしていた。まずは、このエアコン。今年の夏あたりから、このカバーというか吹き出し口が閉じたまんまで動かなくなった。だから、冷たい空気も暖かい空気も出て来なかった。それを、あちらこちらをいじくっていたら暖かい空気が吹き出してきた。

 

 で、いつものように「強制送風機」で仏壇の周囲を掃除していたらば・・・。この左手に焼香用の香炉があって、火山の噴火のように灰と一緒に抹香が吹き出して、そのあたりは灰だらけ、抹香だらけになってしまった。「しまった、しまった、しまむらファッション」。「けっこう、毛だらけ、猫灰だらけ。お尻のまわりは・・・(自粛)」

 

 やはり、本物の掃除機を持ち出してきて、灰や抹香を掃除するはめになってしまった。

 

 このあたりが灰まみれになってしまって、「困った、困った、駒込病院」。ひとまず、休憩・・・。

 

 これが奥方作の「かどまつ」である。このバックの落葉を片付けたいと思ったけれど、今日は風も強いし、気温も低いということでパスした。今から片付けてもお正月までには元通りになってしまう。

 

 11時過ぎに担当者が来て、介護ベッドの点検である。介護ベッドや一階の手すりやお風呂の手すりの緩みやガタの調べ。あとは情報交換や世間話をしながら「お茶」タイム。

 

 今日はなぜかおなかが痛くなったので、梅がゆになった。数字的には問題ないが、昨夜から今朝方になっておなかが痛い・・・。変なものも食べてはいないのだけれど。

 

 年末、12月の月末ということで、通帳記載をしてきて、各種帳簿に記入やら集計やら。

 

 小学校の算数は「2」か「3」かだったのだけれど、最近は、こういう数字まみれを楽しんでいる。

 

 迎春準備はここまで来た。今日は障子の張り替えをやろうと思ったけれど、体調不良でパスしてしまった。

 

 一昨年というか、2019年の12月28日は、こうやって香川医大付属病院へ緊急搬送された日であった。あそこから、よくぞ生還したものだと思って感謝するばかりだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「手を合わせ 今日もいのちをいただく」というもの。町内の善楽寺さんの掲示板にあったもの。私達は生きていくために、日常的に生き物の命を奪って食べている。切り分けられ、綺麗にならんだスーパーの鮮魚・精肉コーナーには、そこに命が宿っていたことを 忘れてしまいそうな程に、「命をいただく」というイメージから遠くなっている。そしてその結果、食べ物が粗末に扱われ、日本での1年間の食べ残し食品は、 発展途上国での、何と3300万人分の年間食料に相当するといわれているそうだ。ご飯を食べる時、手を合わせて、『いただきます』と言うけれど、これは生き物達への『命をいただきます』ということ。感謝のこころを失いたくないものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


冬めいてまとめ始めた日記帳

2021年12月27日 | 時には日々是日

 27日のさぬき市地方は冬型の気圧配置が続くため曇っていた。寒気の影響で、雪や雨の降る所がある見込み。気温は1.5度から5.0度、湿度は68%から50%、風は4mから6mの西の風が強く冷たかった。明日の28日のさぬき市地方は、寒気や湿った空気の影響で概ね曇るらしい。

 

 収縮期109mmhg、拡張期64mmhg、脈拍79bpm、体温36.3c/酸素濃度98%/体重63.8Kg 室内気温20.0c/室内湿度30%/気圧1024hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:09分、日の入りは17:01分 月齢は22.8の小潮。

 

 讃岐でも珍しい雪。いよいよ冬になったなぁと思う今日この頃。

 

 今日は一ヶ月ごとの県立病院での「予約診察日」定期的な検診で、主に薬を処方していただくための検診である。だから、どこが悪いとか、どこが良くなったとかの診察ではない。

 

 我が家を8時過ぎに出て8:30分には病院に着く予定が、道半分のところで財布とスマホがないことに気づいてユーターン。我が家に戻って財布とスマホを掴んで再出発したので、病院には30分遅れの9時前になった。で、いつもはすぐに採血してくれるのに、今日で病院はお休みになるとかで超満員状態。だから、9時の予定が9:40分になって採血と採尿。

 

 泌尿器科へは休む間もなくみたいな状態で10時前に診察。ここは3分診療で薬の処方だけ。顔を見せただけだった。

 

 10時を過ぎると、患者さんはぐんと減った。それぞれの診療科に吸い込まれたみたい。

 

 で、内科もほとんど待つことなく診察へ呼び込まれて、「お正月に飲み過ぎないようにね」とかなんとかで5分間診察。ま、患者にしてみれば速いことに越したことはない。

 

 で、10時半には病院を出た。病院内で受け取ったメールに、

 

 「この宝珠の下のパイナップルみたいなものは何ですか」とよその班のガイドさんからの質問。そこで、その長尾寺さんの大師堂まで走って見てきた。「蓮の花にしては奇妙だし・・」と、あれこれと資料を調べてみたら、「請花(うけばな)」というのだそうだ。「五重塔に施されている花型の飾りのことを「請花(うけばな)」と呼びます。この請花は、五重塔などの「多宝塔」の台座に飾り付けられていることが多いものです。あまり目にすることがないのですが、五重塔などに興味がある方は、請花を見たことがあるのではないでしょうか。」ということで云々とあるが、やはり、「蓮華:蓮の花」を模した飾りだそうである。早速に返信しておいた。

 

 で、ようやくに「ウラジロ」も探してきた。これでお正月らしくなってきた。

 

 これが去年の迎春準備確認表・・。手書きだったものを、

 

 今年はエクセルシートで整理した。ま、きれいなほうがテンションも上がるというものだ。

 

 ほぉ、早くも残すはあと四日しかないのか。

 

 今日は奥方も忙しいというので、簡単なおうどんになった。それでもまぁ、おいしく食べられたというものだ。味付けが良かったのかなぁ。

 

 お昼からは調剤薬局で処方薬を受け取ってきた。病院からファックスしておいたものだ。

 

 これがお薬用のマイバッグ。これがいっぱいになるほどの薬。8週間分というから56日分ということになる。多くなる筈だ。ま、そういう余裕があるのだろうと思う。重篤な患者なら8週間もの薬は出さないはずだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「毎日毎日が人生の大晦日」というもので、いつもお世話になっている町内の善楽寺さんのお寺の掲示板から。生は偶然、死は必然という。「人の生を受けるは難し、死すべきものの、いま命あるは有り難し」と『法句経』にある。人間として生まれてくることは、「爪の上の砂」ほどの確率しかないのだと、釈尊は教えている。それほど極めて稀な人間の生(いのち)を、自分はいったいどのように過ごしたかと忸怩(じくじ)たる思いに襲われるのは私ばかりではないだろう。もちろん私とて、他人に対して少しばかりは善も行い、仏法にも触れてきたつもりである。しかしながら、自分を守るため、あるいは自分の我や意見を通すうちに、誰しも人知れず測り知れない悪業も重ねて一生を過ごしているものである。こうして皆んな早かれ遅かれ、大晦日のあの忙しさにも似て、追い立てられるようにして死出の旅路につくことになるのだろう。年末の大掃除のように、もっと早くから準備を始めておけばよかったと思ってみても、もはや遅いというものだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


何かしら遅し速しで年の暮れ

2021年12月26日 | 時には日々是日

 26日のさぬき市地方は、冬型の気圧配置が強まるため概ね曇っていた。強い寒気の影響で、夜は雪が降る所がある見込み。気温は3.9度から4.5度、湿度は64%から46%、風は7mから5mの西の風が強かった。強風・波浪注意報が発令中。明日の27日のさぬき市地方は、冬型の気圧配置が続くため曇る予報。強い寒気の影響で、明け方まで雪が降る所がある見込み。

 

 収縮期107mmhg、拡張期60mmhg、脈拍79bpm、体温36.3c/酸素濃度99%/体重63.8Kg 室内気温19.8c/室内湿度34%/気圧1022hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:08分、日の入りは17:00分 月齢は21.8の小潮。

 

 今日は気温も低いし、風も強いので阿波の国までドライブをしてきた。山間の町だからと雪や凍結を心配しながら走ったけれど、山には雪が残る程度。たまに道路の水たまりに氷が張っていたくらいだった。

 

 で、仏花用にと「シキミ(樒)」を買った。阿波の国ではお墓には、この樒をお供えするらしく大量の樒が並んでいた。

 

 それと、おまけで、この松の穂も買ってみた。讃岐の国では、こうしたお飾りは見かけたことがない。

 

 その帰りに、少し足を伸ばして「カナクラ」というお仏壇屋さんにも寄ってみた。仏壇屋さんだからどうかなぁと思いながら、「和蝋燭ってありますか」と言うと、「ハイハイ、ございます」というので、買ってきた。

 

 お正月用だからと二対の和ろうそくを買った。

 

 ついでに抹香も買っておいた。ご法事くらいしか使うことがないから、そんなにたくさんもいらないし。

 

 で、仏間のエアコンを確かめてみたら、やはり、エアコンのフタというかヒレというか、カバーが動かない。イスを持ってきて無理矢理開けると、暖かい空気が吹き出してくるが、一旦、スイッチを切るとカバーは閉じて開かなくなる。はてさて、どうしたもんじゃろうか。

 

 今日の確認表。外回りの掃除は、大晦日直前でないと、とめどなく落葉・枯れ葉が振り込んでくるので、いくらやっても綺麗にはならない。だから、ギリギリまではお預けだ。

 

 着々と迎春準備が進んでいる。明日は「県立病院」での予約診察で、内科と泌尿器科の検診がある。ま、早く言えば、お薬を処方してもらうだけの形式的な検診である。私の心臓は手の施しようのない段階にある。だから、いくらかでも生き延びるようにとの薬の配合だけである。その薬の限界も来ている。これ以上、増やすことは出来ないらしい。

 

 今日は底冷えする寒さ。気温は3度しかない。そこで暖かいおうどんでもと天ぷらうどんにした。おまけに油揚げも載せてみた。「天ぷらきつねうどん小の温いん」とでも言うのか。それにシラスや梅干しも載せてみた。下側の白いものは大根おろしだ。

 

 天かすが多かったからか、お出汁を吸い取られてしまってベトベトになって大失敗。ま、ものは考えようで、これまた、おいしいと食レポしておこう。

 

 この年末は気温が下がって寒い年末になりそうな気配。鼻水がながれるばかりだが、風邪ではない。

 

 今日の掲示板はこれ。「待てば遅いが待たねば速い 年の瀬 人生お正月」というもの。どこの誰の言葉かわからかったが、あちらこちらで見かけることば。それは誕生日でも忘年会でも新年会でも同じ事。お花見やお月見だって同じ事なのだが、約束の待ち合わせだって、待っているとなかなかに来ないが、遅れてくる人には時間は速い。来年こそは余裕を持って人生を楽しみながら年の瀬やお正月を迎えたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


見てみればここにはここの冬がある

2021年12月25日 | 時には日々是日

 25日のさぬき市地方は、次第に冬型の気圧配置となるため概ね曇っていた。気温は10.5度から11.5度、湿度は74%から48%、風は3mから7mの西北西の風が強かった。明日の26日のさぬき市地方は、冬型の気圧配置が強まるため概ね曇り、雪が降る所がある見込み。

 

 収縮期118mmhg、拡張期68mmhg、脈拍78bpm、体温36.6c/酸素濃度99%/体重63.4Kg 室内気温20.9c/室内湿度42%/気圧1016hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:08分、日の入りは17:00分 月齢は20.8の中潮。

 

 今年もあと一週間。デスクブロックというダイアリーの切り替え時期になってきた。このダイアリーは10月から始まり3月で終わるので、いつから切り替えてもいいようなものだが、毎年、12月31日で終わり、1月1日からスタートしている。そのほうがキリが良くて気分的な切り替えにもなる。

 

 ということで、今年の十大ニュースをまとめてみた。今年はいつになく平穏な一年であったような気がする。取り立てての大きな話題もなく、大きな失敗も事故もなく済んだ・・・というような印象。来年もそうでありたいと念じるばかりだ。

 

 で、今日のメインテーマの「松の枝探し」が終わった。子どもの頃からの年末の大仕事だった。【正月を迎えるにあたり、十二月の二十六、七日ごろ、山へ行ってよくホコッタ、まっすぐ伸びたミクルママツ(三枝重なった松)の若松を切ってくる。これは、年末の数日間水につけておき、オシメ、ダイダイ、ウラジロなどのシナとそろえて、大晦日の午後、玄関、勝手口、仏壇などへ飾る。】という我が家のマニュアルに従って、元気よくホコッタ(成長した)まっすぐに伸びて三枝重なった松を切ってきた。これだけあれば生花や仏壇、料理なんぞに充分な量になるだろうと思う。これが切れたら一安心、天王山を越えたみたいなものだ。

 

 で、お正月用の飲み物やティッシュペーパー、トイレットペーパーなんぞも買っておいた。この重いものが運べただけで生きているなぁと実感した。一昨年には、このビールの一箱が持ち上がらなかったのだ。

 

 ということで、今日の目標も達成した。明日の予定のお墓掃除やシキミの確保は22日の日に終わっている。

 

 あとは掃除と餅搗き、それに生花の添え物の用意くらいなもの。一般的な「県立病院の予約診察」や「介護ベッドの点検」があるくらい。和蝋燭やお香は探せば残っている気もするし、障子の張り替えは我慢すればいいかなぁ・・くらいな程度。来年でもいいか・・。

 

 それにしても、奥方の「花好き」もだんだんと数が増えてきている。こんなところも占領されたし、

 

 私の「マイ・囲炉裏」もカニサボテンに占領された。

 

 私の「芝生広場」もバラ園にするのだと掘り返してバラだらけにしようとしている。ま、私がいなくなれば、みんな奥方のものになるのだから、あえて逆らわない。生き物やお花を世話しているとボケないという話もあるので、それもいいのか・・と、放任している。

 

 毎日毎日、おうどんばかりでは飽きるので、今日は「トコロテン」と「梅がゆ」である。

 

 その上に、そこいらにあるお漬物を載せてみたらば少しは豪華に見えるかも知れない。

 

 そうそう、一昨年(2019)の12月25日の病院食・お昼である。この頃にはおなかがパンパンに腫れてきて、全く食事を受け付けなくなっていた時。翌26日に医大病院への転院をお願いし、27日に受け入れOkとなり、28日に「救急搬送」されてすぐに「ICU」に収用されたという時期だった。あれから思えば、今ではお肉以外はなんでも食べられるようになった。

 

 今日の掲示板はこれ。「幸せは自分で作る 不幸せも自分で作る 幸せも不幸せも 全く他人の仕業ではない」というもの。お釈迦様の前世を書いた仏典「ジャータカ」からの言葉とされている。確かに、幸せも不幸せも自分の心がつくるもので、全く、他人の仕業ではないだろう。確かに確かにお釈迦様の言う通りなんだろう。でも、トイレに行きたいのに駐車スペースがない。薬代を払いたいのにATMに人が群がっているのは私のしわざではない。そういう状況に置いても、「ああ、わたしはしあわせものだなぁ・・」と喜ぶほどには悟れていないとおもう・・・。幸せとは与えられるものではなく、不幸せとは他人様が与えてくれるものではないということ。なんでもかんでも他人様のせいにしてしまう昨今、もう一度、しっかりと噛みしめてみたい言葉である。

 

じゃぁ、また、明日、会えると、いいね。


寒椿やることばかりが積み上がる

2021年12月24日 | 時には日々是日

 24日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが、午後は気圧の谷や湿った空気の影響で次第に曇り、夜遅くには雨が降る見込み。気温は4.5度から12.4度、湿度は96%から82%、風は1mから2mの北北東の風が少しばかり。明日の25日のさぬき市地方は、気圧の谷や寒気の影響で概ね曇り、朝晩は雨の降る所があるらしい。

 

 収縮期109mmhg、拡張期65mmhg、脈拍78bpm、体温36.5c/酸素濃度97%/体重63.4Kg 室内気温22.1c/室内湿度37%/気圧1026hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:07分、日の入りは16:59分 月齢は19.8の中潮。

 

 昨夜はご近所のおばちゃんのお通夜だった。今日が告別式なのだが、時節柄、私たちご近所(同行さん)はご遠慮させていただいた。こういうのが定着してしまうんだろうか。もちろん、お香典などは受け取らないのは定着している。お葬式の姿も変わってしまうんだなぁと感慨深かった。

 

 折しも、私の自分史でお葬式のことなんぞをまとめていた矢先のことだった。

 

 今日は小学校のことを思い出しながらまとめていた。私らの頃の小学生はランドセルなんぞ背負っている子は少なかった。一年二年生はランドセルだったが、三年生になると手提げカバンになっていた。

 

 小学校の頃の校歌なんぞすっかりと忘れていたが、こういう歌詞を見ると、ちゃんと歌えるから不思議なものだ。

 

 今日は奥方がお休みなので、ダイコンの漬物を漬けるのだと張り切っている。早くしないとサルに食べられてしまうかも知れないのだ。

 

 で、サルが来ないような所を選んだあげく、ベランダの物干し場にしばらく干しておくことになった。でも、ここが安全だという保証はない。私のお仕事が増えただけかも知れない。

 

 で、白菜も切って干している。

 

 私は、すす払いならぬ「ほこり払い」「蜘蛛の巣払い」をやってみたが、案外とこれが重たくて自由にはホコリが払えない。少しばかり笹の量が多すぎたかしらん。

 

 その竹を切りに竹藪に行くと、サルがダイコンをかじったあとが残っている。それが何カ所も・・。

 

 高い所のホコリ払い、蜘蛛の巣払いが終わると、

 

 ホウキを使ってのホコリ払いになった。こちらのほうが軽くて扱いやすい。でも、蜘蛛の巣払いは案外と粘っこくて強くて取れずに苦労した。取っても取ってもあちらにこちらにとくっついてきれいにはならない。

 

 迎春準備工程表である。松の枝探しが問題だなぁ、明日は雨になるみたいだし。

 

 今日の掲示板はこれ。「時代遅れという非難もあるが 時代がいつも正しいとは限らない」。出典はわからないが、「昔にはこうしていた。」「昔にはおばあちゃんがこう言うていた・・」そのことを守り続けようとすると、そんな時代遅れと言われかねない。「新聞に載っていた、雑誌に載っていた、テレビで言うてた・・。」そういうことが必ずしも正しいとも限らないのである。和服姿のお坊さんが意味不明のお経を延々と読み続ける姿は、一面、時代遅れの時代錯誤だと思われるかも知れない。しかしのかかし、ジーンズ姿でギターを抱えてお葬式の導師をやっていたら、ちっとも尊厳も威厳も荘重さもないことだろう・・・。時代がいつも正しいとは限らないし、時代にあった姿が正しいとも限らないのである。今日のお仕事とは全く関係ないのだけれど。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


空晴れて山のさざんか眼を醒ます

2021年12月23日 | 時には日々是日

 23日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は8.0度から13.0度、湿度は88%から62%、風は2mから1mの東南東の風が少しばかり。明日の24日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れるけれど、夕方からは気圧の谷や湿った空気の影響で曇る見込み。

 

 収縮期109mmhg、拡張期67mmhg、脈拍78bpm、体温36.4c/酸素濃度99%/体重63.8Kg 室内気温23.1c/室内湿度37%/気圧1024hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:07分、日の入りは16:59分 月齢は18.8の中潮。

 

 恒例の「迎春準備表」である。これまでは手書きでその都度やっていたのだけれど、今年はエクセルシートでやってみた。ま、一つひとつやってゆきたいものだ。

 

 で、ケアマネさんが来るまでは自分史「昭和は輝いていた」の執筆をやっていた。

 

 民話集から伝承を抜き出してみたり、古い資料から通り過ぎて行った昭和のできごとを思い出していた。

 

 これは、このあたりでは「ナゴセ」と言ったが「夏越:なごし」とかと言う地方もあり、時期も六月末日という地方もあれば七月末日という所もある。茅の輪くぐりである。こういうものも行われてはいるのだろうけれど行ったことはない。

 

 これは昭和前期ごろのお葬式の様子で、このあたりでは「ソーレン」と言った。私のひいじいさんも、こういう方式で見送った。この頃は丸い木桶の座棺を「コシ」という駕籠に乗せて焼き場まで送っていった。

 

 10時きっかりにケアマネさんがやってきた。毎月のお仕事らしい。だから、私の健康状態の確認から始まる。

 

 要介護2・・・は変わらない。介護用品の増減もない。数字的な体調に変化はないことや測定結果を報告したり、病院のドクターの指示や予防接種の状況なんぞも確認された。特にサービスの増減はない。

 

 で、昨日、ご近所のおばさんが亡くなった。それで今日がお葬式になる。

 

 ところが、先日、親戚のお葬式で着たワイシャツをクリーニングに出したのだけれど、明後日でないとできあがらないのだと奥方が言う。そのあたりにあるものは、まるでおなか周りが合わないので着られない。そこで、量販店に行ってワイシャツを買ってきた。問題は、そのサイズである。

 

 ワイシャツを自分で買うなんて、もう、30年も40年もないことなので、まるで、この数字の並びがわからない。大きめを選べばいいと思うが、あまり大きいのはガバガバで見苦しい。かと言ってボタンが合わないのはもっと見苦しい。店員さんがいないかと探したが見当たらない。で、エイヤーで買ってきた。少し余裕がありすぎたが我慢できる範囲だった。

 

 で、今日は気分を変えて、富山のお寺の奥様にいただいた、「氷見うどん」の細麺をゆがいてみた。なんだか私的には、こちらの方がほっとする感じ。新鮮に感じるからかも知れない。

 

 今日の掲示板はこれ。「若い時学んだものを 年を取って理解していくものである」というもの。町内の善楽寺の掲示板にあったもの。どこのどなたの言葉かわからなかった。若い頃には全く何をいうとるのかわからんことが、最近になって、「ああ、そうだったのか。そういうことだったのか・・」と頭にひらめくことがある。若い頃には、「あの人・・、何をいうとるんじゃろう・・」と思ったときに、「いずれ、わかるときが来る・・」と言われたことが何度も何度もある。未だにわからんことは山ほどあるが、いずれ、それらもわかる時が来るのだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


正しさもそこそこで良い年の暮れ

2021年12月22日 | 時には日々是日

 22日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、湿った空気の影響でお昼から曇ってきた。気温は7.5度から13.0度、湿度は88%から68%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の23日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 収縮期110mmhg、拡張期68mmhg、脈拍78bpm、体温36.4c/酸素濃度99%/体重63.8Kg 室内気温22.1c/室内湿度36%/気圧1019hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:06分、日の入りは16:58分 月齢は17.8の大潮。

 

 今日は「冬至」。 12月に入るとすっかり日が短くなり、気づけば外が真っ暗になっていることがある。2021年は12月22日が「冬至(とうじ)」。一年で最も昼の時間が短くなる日のことである。上記のように、日の出は7:06分、日の入りは16:58分だから昼間の長さは9:52分で、夜の時間が14:08分ということになる。だから5:56分、つまり6時間も夜が長いと言うことになる。

 

 これは昨日の夕食である。昼間に「こがね製麺所寒川店」でおうどんを食べて、そこでいただいてきた無料のおうどんを湯がいて夕食になった。「それは勘弁してよ~」とお願いしたが、「何を言うてるの。お坊さんでしょ、出されたものは食べなさい」とにらまれた。だいこの入ったおでとおうど。冬至の日だったら喜ばれたのに。

 

 この、おうどんの下に見えるグレーの怪獣みたいなものは「自然薯」をすりおろしたもの。我が家では皮付きのままですりおろすのでこんな色になっている。さすがに、これは半分ほどしか食べられなかった。いくらさぬき人でも、連日におうどんを食べて昼と夜と連チャンになると・・・。この味付けのりは「牡蠣しょうゆ味」のノリで広島のお寺さんからいただいたもの。

 

 で、今日のお昼はおなかを休ませるために、「ところてん」と「梅おかゆ」にした。塩ジャケとキュウリのお漬物が入っている。

 

 お昼からお墓に行って来た。うちのご先祖さんも「石の下にはおらぬぞ」ということで、お墓参りはしないので「ほっとけ様」になっている。でも、世間体があるので盆暮れにはお掃除をしている。我が家のお墓は山の中の木の下にあるので枯れ木や落葉がすごい。秋のお彼岸にお供えしたお花が枯れたまんまで残っている。

 

 それを例のごとく、強力ブロアーで落葉・枯れ葉を吹き飛ばしてしまう。奥方が雑草が生えないようにと玉砂利を敷き詰めたもので、掃除が難しいのだ。ホウキで掃けば玉砂利も掃いてしまう。熊手は敷石に引っかかって使えない。

 

 で、シキミ(樒)をさしておいた。お正月用の松はまだ採っていない。来週あたりに松の枝探しに行こうかと、今日、下見はしてきたのだけれど。

 

 ぞうきんなどでお掃除もすれば良かったのだけれど、お昼からは曇ってきて気温がぐんぐんと下がってきたので、用心をして早めに戻って来てしまった。

 

 午後からは「すす払い」をしようと思っていたのだが、気温が下がってきたので風邪をひいては致命傷になると思ってやめにした。まだ、年末までには時間があるのだし。

 

 で、午後からは、自分史「昭和は輝いていた」の執筆をやっていた。これは「カラウス:唐臼」というもの。麦やお米を搗く道具である。こういうものを夜なべで踏まされた記憶が残っている。シーソーみたいなもので、奥の方で竿を足で体重をかけて踏み込むと、こちら側が上がって、足を放すと重みで杵が落ちて精米した。

 

 これは「ミノ(蓑)カサ(笠)」である。私はこんな姿をしたことはないが、物置に、これが掛けてあった。稲のワラを編んで作った雨具である。笠は、竹の骨組みに竹の皮を編み付けてあった。時代劇に出てくるような姿だが、こんなものが昭和の前期、太平洋戦争ごろまで使われていたのだと思った。だとすれば、戦後は大きく文化が変わったのだなぁと実感した。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分は正しい 自分は賢いというところに立っている これが人間の迷いのもとです」というもの。いつもの赤松先生のお寺にあった言葉から。私たちは「迷い」と聞くと、右に行ったら良いのか、左に行ったら良いのかと迷っている様をイメージしがち。しかし、ここで言う「迷い」とは、「こうに違いない」「こうあるべきだ」という「思いこみ」のことを指すのである。思いこんでいる時に、その思いこみに気付くことはないし、気付かないからこそ「思いこむ」というのであろう。その思い込みをやめることはできない私たちだが、そのことに気づくことが大切だというているのである。迷いを断ち切ったりはできないが、その迷いに気づくことが大切だというのである。SNSを見ていると、そういう思い込みが激しいなぁと思うことである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


思い出は枯れ葉のように舞い踊る

2021年12月21日 | 時には日々是日

 21日のさぬき市地方は湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は6.5度から15.1度、湿度は58%から80%、風は1mから2mの西北西の風が少しばかり。明日の22日のさぬき市地方も湿った空気の影響で概ね曇る見込み。

 

 収縮期113mmhg、拡張期62mmhg、脈拍79bpm、体温36.5c/酸素濃度99%/体重63.6Kg 室内気温21.9c/室内湿度35%/気圧1018hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:06分、日の入りは16:58分 月齢は16.8の大潮。

 

 皆がすなるあぷりといふものを、僕もしてみむとてすなり。それの年のしはすの二十日の、その時に押してみむとす。土佐日記(紀貫之)風に書き始めてみた。皆さんがやっているアプリケーションを私もやってみた・・・ということである。

  

 昨日から運用を開始した「新型コロナワクチン接種証明書アプリ」である。マイナンバーカードをかざすだけで、さまざまな情報があふれ出してくる。多分、使うことはないのだろうけれど。

 

 今日は奥方がお休みで一階部分のお掃除をやってくれたので、私は玄関周りのお掃除と「正月飾り」をやってみた。ここも強力送風機でホコリを屋外へ吹き飛ばしておく。

 

 多くのおうちは、「クリスマス飾り」やリースを飾るのだろうけれど、仏教徒の我が家ではクリスマスなんぞない。だから、この時期には、このお正月飾りをここにかける。

 

 これが「玄関飾り」である。来年は「猫年」なんだろうか。向かって右のイノシシは奥方、左のネズミは私。子どもの頃に遊んだ、コマやメンコ、竹とんぼなんぞを置いてみた。ささやかなお正月気分である。

 

 玄関前の鉢植えにも、こうした飾りをつけておく。100円ショップで見つけた物ばかりだ。

 

 多肉植物にも正月飾りをつけておいた。

 

 そこにあったホウキにも飾りをつけておく。そのあたりにいっぱいのお飾りが並ぶ・・・。

 

 奥方がホームセンターで買い物をするというので運転手で雇われた。その後、お決まりの「こがね製麺所寒川店」である。以前には、私が昨日に行った「うどん亭・いわせ」という一般店が指定店だったのに、最近はここばかり。

 

 目的はこれである。「もったいないうどん」。もらって帰らなければもったないとばかりに、これを目当てに来るのである。

 

 奥方が、このどちらを選ぶかと思えば・・・・、意外や意外。小さな方を選んだではないか。実は先日、大きい方を選んだのだが、さすがに三日もすればべとついて食べられなくなってしまったからである。

 

 私は、この「しっぽくうどん」(450)+おいなりさん(100)の550円。ここにサイコロみたいなお肉が乗っている。奥方に食べてもらったら「鶏肉」だというので安心して食べた。ニワトリは大丈夫だ。だからタマゴもマヨネーズも大丈夫である。

 

 おうどんはやや太麺。でも、のどにするすると飛び込んでいく。お野菜が豊富なのがうれしい。最近はすっかりとベジタリアンになっている。

 

 奥方はいつだって「かけの小の温いん」で230円。それに今日はレンコンの天ぷらをかじっていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「天気に善し悪しはありません 私にとっていい天気 仕事をするのにいい天気はありますが」というもの。天気には、良いも悪いもない。草花には瑞草も雑草もない。天気はその日、真にあるものの如くあって雨を降らせたり、陽の光を注いだりする。草花はやはり、真にあるものに如くあって大輪の花を咲かせたり、小さく地味に花を咲かせたりするのである。そこには、良し悪しや好醜の別などありえない。ただ、真にあるものの如く雨降らし花開くだけである。しかし私たち人間は、必ずそこに良し悪しや好醜の別を立てている。天気や草花だけにではなく、あらゆる物事に善し悪しの分別を立てている。それが私たちの日常の在り方なのである。自分の人生に対しても同じこと。自分の都合に合わせて、善悪や幸不幸の分別を立てるのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


冬めいて日差し乏しき窓がある

2021年12月20日 | 時には日々是日

 20日のさぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は6.0度から11.8度、湿度は66%から50%、風は2mから4mの西南西の風が少しばかり。明日の21日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で概ね曇る見込み。

 

 収縮期110mmhg、拡張期65mmhg、脈拍79bpm、体温36.4c/酸素濃度98%/体重63.4Kg 室内気温23.4c/室内湿度32%/気圧1023hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:05分、日の入りは16:57分 月齢は15.8の大潮。

 

 昨日の今年最後の満月。今夜も満月が見えるそうな。この時期寒いので、ゆっくりとはカメラを構えていられない。

 

 そうそう、昨日に、こういうものをいただいた。「要冷凍」の表示がある。

 

 中身は、こんなものらしい。らしいが・・・、私には食べられない・・・(悲)お肉は食べられないのだ。

 

 今朝も昨日の疲れからか6時過ぎまで寝て居た。奥方が出勤したのを知らなかった。で、相変わらずの自分史の編集で、町史のスキャン作業から。こういう機械で読み取り、

 

 こうしたアプリで日本語に変換する。これをワード文書に取り込んで編集作業となる。

 

 でも、昨日の寒い中でのガイドで、私の身体はどうなるんじゃろうかと心配したが、全くの平気の平左「《「平気の平左衛門 (へいざえもん) 」の略》平気であることを、語呂を合わせて人名のように言った言葉。平気の孫左衛門。」で、大丈夫だった。

 

 私の場合、こうやって毎朝、10時、15時、17時に計測して記録するようにドクターに言われている。

 

 これは「ブロアー」というもの。強力な送風機である。玄関周りの落葉を吹き飛ばそうと買ったものだけれど、屋外ではこのパワーでは無力だった。そこで室内用の掃除機に使っている。

 

 この23日に、この介護ベッドの点検に介護用品のレンタル屋さんが来る。それだから、ベッドの下の掃除をやっておかなければならないと。こういう具合だから掃除機では難しい。邪魔物が多すぎて動けないのだ。

 

 そこで、このブロアーでホコリを吹き飛ばしてしまうのだ。ベッドの下からはカメムシの死骸や鉛筆やらボールペンやらが転がり出す。

 

 それを廊下に掃き出して、さらに廊下から屋外へ吹き飛ばしてしまうのだ。電気掃除機を使うより手っ取り早い。

 

 廊下からベランダに吹きだし、それを屋外に放出してしまう。ここは一軒家だからかまわない。ホウキで掃き出すのと同じ事だ。

 

 昨日はガイドでお昼を食べそびれたので、今日は少し贅沢で、ここに来た。昨日は朝抜きの昼抜きの夕食だけ。だから今日は食べるぞと、さぬき市長尾東にある「うどん亭・いわせ」という一般店に来た。

 

 で、この時期限定の「しっぽくうどん」である。580円。お野菜を煮込んだほくほくのおうどんである。秋から冬にかけてとれる数種類の野菜と油揚げを煮干しの出汁で一度に煮込み、ゆでたうどんの上から具材とともにかけてつくる料理で、野菜の甘みやうまみに油揚げの味が加わり、寒い季節にとても美味しく食べられる。「讃岐うどん」の特徴であるコシの強さとなめらかな食感に加えて、地元でとれる季節の野菜を活かした代表的な冬の郷土料理である。

 

 今日の掲示板はこれ。「私たちのいのちは、ただ不思議ということに支えられてある」というもの。石川県松任市にある真宗大谷派本誓寺の住職だった松本梶丸師のことばからである。私のこのいのちは、自分で作った覚えもなければ頼んで作ってもらった覚えもないままに、私は今こうして生きている。一昨年暮れから昨年の二月までには死線を何度も越えてきた。それは、今”不思議ないのち”が私を生きているとしか言い表せない確かな事実である。また、このいのちは、自分で作った覚えなど全くないのだから、「恵まれた」「与えられた」としか言い表しようがなく、その事実は「不思議」でしかない。私たちは、自分が生きていることを当たり前のことであるかのように錯覚し、日々をそのことを意識することもないままに生きているが、このいのちは恵まれたいのちであることに深く頷くとともに、今こうして生きていることの不思議さに心を寄せながら、人間として生まれ、人間として生きていくことの意味あいを考えたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


木枯らしはオカリナを吹くように奏でるように

2021年12月19日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 19日のさぬき市地方は、気圧の谷や寒気の影響で曇り、昼過ぎまで雷を伴って雨が降っていた。その後も曇ったり晴れたりみぞれたりしていた。気温は4.5度から9.2度、湿度は66%から52%、風は2mから6mの西南西の風が一時は強くて冷たかった。明日の20日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 収縮期114mmhg、拡張期63mmhg、脈拍77bpm、体温36.4c/酸素濃度97%/体重63.8Kg 室内気温23.2c/室内湿度34%/気圧1024hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:05分、日の入りは16:57分 月齢は14.8の満月の大潮。

 

 今朝はどうしたことか、起きたのが6時前。奥方の出勤直前だった。で、今日の予定は午後からなので、のんびりと、子どもの頃の思い出日記。今日はたなばたの思い出なんぞを書いてみた。私らの子どもの頃のたなばたと言えば旧暦の八月14日。ちょうど、月遅れのお盆と一緒になった。その頃、タイモ(里芋)の葉にたまる露を集めてきて墨をすれば字が上手になるとかと言われたもの。祖母に言われて集めたことがあったが、まるきり字は上手にはならなかった。

 

 そういうものを文章に入力していたのである。ま、自分探し、ぼけ防止、認知症予防みたいなことだ。いくら書いて残しても誰も読む人はいないのだけれど。

 

 で、今日の天気はややこしい。「あら、ややこしや~ややこしや」。朝はいい天気だったので、布団でも干そうかと思ったけれど、間もなく小雨になり雨になり・・・。午後からは晴れたり曇ったりみぞれが降ったりと不安定な天候になった。ガイドの相棒は「雨がものすご降じょんで。それに寒いけん、うち、やめるでぇ~」とお断りの電話が・・・。相棒はそれいいかも知れないが、私は部長だし、班長だし、責任者だし・・。

 

 ともかく約束だから現地に行かなければならない。「12:10分頃、門前の八十八庵(やそばあん)の駐車場で待て」という指示だから、12:00に現地に着いた。すると、幹事さんから、「おへんろ交流サロンに今着いた。30分遅れになる」との連絡が入る。仕方なく30分の待機になった。

 

 待っていると、こんなお遍路さんが・・・。この子も今日が結願(けちがん)して証明書ももらったという。お母さんは二枚の結願証書を大事そうに持っている。個人情報なので詳しくは触れない。

 

 今日のお客さまは東京の某大学の観光学科の教授と学生さんら一行18名。お寺よりもまずはおうどんとばかり、八十八庵名物の「打ち込みうどん」を食べるという。私はまたも車の中で40分の待機・・・。

 

 「ばえる(映える)」ポイントを教えて欲しいというので、ここがいい、ここもいい・・・と、そういう場所の案内とガイドになった。

 

 学生さんらは本堂にお参りしたり、納経所でご朱印を頂いたりと若者らしい行動を楽しんでいる。私はしばしの休憩。前日には「こんな寒さ、アカンでぇぇ・・。わし、倒れるでぇ・・」と思って交代を頼んだけれど、皆さん、日曜日は忙しいらしくて却下されてしまった。だから、覚悟してきたけれど、今日は案外と楽だった。

 

 この若者が今日のお客様。ご朱印を頂いたり記念写真を撮ったりと観光気分満点。私も無理押しはしない。学生さんだから自分で勉強すればいい。

 

 この手水場の由来とかのお話をしたり、

 

 宝杖堂(ほうじょうどう)や「原爆の火」のお話もしておいた。

 

 で、大師堂やら鐘楼やら・・・をガイドして、

 

 いつも通りの仁王門でのお別れ。30分の予定がちょうど、1時間になった。だから、ガイド終了は15:00ちょうど。なんとなく無事にガイドが終わってほっとしたところ。やれやれ・・・である。

 

 今日の掲示板はこれ。「うかうか歩いていれば この道くもり ふと我にかえれば この道晴れてくる」というもの。煩悩によって、こころの目が曇っていれば歩いて行く道を迷い、ふと、心理に目覚めたら私の進む道が晴れてくるということだろう。別に「うかうか」と歩いているつもりはないのだけれど、「なんだかなぁ・・」と思う昨今ではある。明日にははっきりと進む道を見つけておきたいものではある・・・。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


冬めいてガイドしたくの二度三度

2021年12月18日 | 時には日々是日

 18日のさぬき市地方は、引き続き冬型の気圧配置の影響で概ね曇っていた。気温は3.0度から7.4度、湿度は66%から54%、風は6mから3mの西の風が一時は強く寒かった。明日の19日のさぬき市地方は、気圧の谷や寒気の影響で概ね曇り、朝から昼過ぎは雷を伴って、雨や雪の降る所がある見込み。

 

 収縮期106mmhg、拡張期57mmhg、脈拍78bpm、体温36.5c/酸素濃度99%/体重63.6Kg 室内気温19.6c/室内湿度38%/気圧1023hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:04分、日の入りは16:56分 月齢は13.8の大潮。

 

 昨夜、20:45分頃に、「ピンポーン♪」と宅配便屋さんがやってきた。師走だから混んでいたんだろうなぁと同情するばかりだった。普通ならば、「こんな時間に・・」とぶつくさと文句を言うのだけれど。

 

 それに私が注文したものだから仕方がないと言えば仕方がない。先日、島の家に帰った時、隣の畑に、こういうものが付いていて、家の横を通るたびに「ピーポーピーポ」とか「キュンキュンキュン・・・」とかとうるさかったのだ。で、そういうものを探してみた。で、これが届いた。確かに犬の鳴き声まで聞こえてきた。

 

 さて、今日も午前4時起きになった。寝ようとしても寝られないのだ。チコちゃんに教えてもらったように、「シープ、シープ、シープ・・・」とつぶやいてみても寝られない。そこで、起きだして「自分史」を書くことにした。これは「B級・オリンピック号」というゴム動力式の紙飛行機だった。こういうものを作るのに夢中になったものだった。

 

 あと、明日の山寺さんのガイドの準備。どこぞやの大学の「観光学科」の生徒さんが来るらしい。観光学ってなんじゃらほい。そういう学生さんにはどういうお話をすればいいものかと思案していた。

 

 こういう資料も用意したけれど、近年は感染症対策で「インバウンド」のお遍路さんは皆無になった。それにお遍路さん自体が皆無になってきたこともある。最近、ようやくに歩き遍路さんが復活し始めたかなぁと思ったところになんたら株のお話が吹き出してきた。

 

 で、資料を印刷途中にまたまたストライキ。今度はブラック(黒)のトナー交換だとさ。全く、急ぐ間にはあわない機械だこと。それにしてもよくトナーを呑み込むマシンなのだ。

 

 で、その辺で拾ってきた角材にアラームをビス留めしてみた。中には充電式の電池が入っていて、頭に付いているソーラーパネルで太陽光を拾って充電するらしい。

 

 それをネットに刈り止めしてみた。ここでダメなら場所を変える必要があるから。

 

 今日のお昼は「おじや」である。寒くておなかが冷えたものだか調子が悪い。と言うか、あいにくとご飯が足りなかったらしい。

 

 奥方が二階でゴソゴソとやってると思ったら、私の干し柿を持ってきて、大根おろしの上に干し柿を切って入れたらしい。それにしらす干しも載せたもの。まぁまぁのお味になった。

 

 お昼から、ガイド予定の「やまでら」さんに行ってみた。案の定、だあれもいない。少し前には押し合いへし合いして超密現象が起きていたのに、紅葉が散ってしまうと薄情なものだ。

 

 二週間前の喧噪がまるで嘘みたい・・・。でも、ここは底冷えがする冷たさ。こんな冷たさと西風の強風の中で観光ガイドをやるのか・・・と思うとぞっとした。チーフガイドのまえださんに電話しても「土日はあかんでぇぇ。孫のミルク代を稼がな年越しができん!」と却下された。ふむふむ。

 

 今日の掲示板はこれ。「徒(いたず)らに過ぎし月日のしのばれて 殊更をしき 年の暮れかな」という新渡戸稲造先生の言葉かららしい。いつもの赤松先生のお寺の掲示板にあったものから。いよいよ今年も終わろうとしているが、過ぎ去ったこの一年に何をすることができたかと静かに振り返ってみると、入院・入院で明け暮れた前半戦。昨年と同じく、やはり後悔すべきことが多い のではないだろうか。しかし、悔いることは改めることのはじめなので、来年の暮れには、まさか同じ後悔をすることはないとは思うのだけれど、極悪非道のこ の身であるから、来年も又、同じような後悔をしているのかも知れない。

 

じゃぁ、また、あした、逢えると、いいね。


冬めいて囲炉裏恋しき独りの日

2021年12月17日 | 時には日々是日

 17日のさぬき市地方は、次第に冬型の気圧配置となるため曇り、午後からは雨になった。夜遅くから雷を伴って雪の降る所がある見込みとか。気温は11.0度から13.5度、湿度は96%から50%、風は2mから8mの西の風が冷たく吹きすさぶようになった。明日の18日のさぬ地方地方は、引き続き冬型の気圧配置となるため、概ね曇るらしい。未明まで雷を伴って雪の降る所がある見込み。なお、強風・波浪・雷の注意報が発令中。

 

 収縮期91mmhg、拡張期55mmhg、脈拍78bpm、体温36.7c/酸素濃度99%/体重63.8Kg 室内気温23.1c/室内湿度41%/気圧1010hPa 体調に変化はない。今日の日の出は07:04分、日の入りは16:56分 月齢は12.8の中潮。

 

 昨日は富山県からさぬきうどんのメッカに道場破りだと言って、「氷見うどん」がやってきた。作り方は、稲葉うどんと同じで竹によりながらかける手縫いで、油を塗らない。ルーツは輪島のそうめんで、元々は「糸うどん」との名称で、他の手延べうどんとは異なり、最後まで手で撚りをかける特徴があり、高岡屋においては『一糸伝承』の名で現在も販売されている。このうどんは加賀藩御用達のうどんであり、商品名の通り製法は家伝のものであった。発祥は高岡屋によるものであるが、当時登録がされなかったため商標としては昭和50年に創業した海津屋の関連会社が保有している。そのため、高岡屋が岡山県で製造したうどんを「氷見うどん」の名で発売していた際には不正競争防止法に基づいて海津屋が訴訟を起こし勝訴しているらしい。

 

 同じように、千葉からはイチゴが届いた。歯の悪い私を考えて、やわらかいイチゴにしてくれたようである。早速に「しょうゆ」を掛けて食べてみた。マヨネーズの方が良かったかしらん。

 

 今日は気圧の関係か、はなはだパワーが出ない。で、朝の4時過ぎから起きだしてパソコン・ワーク。先日にスキャンした地図を読み込んで、そこに「家」のマークと名前を入れてみた。昭和の30年代ごろのご近所さんの思い出である。これらのおうちは廃屋となり竹藪の中に消えた。

 

 そうして、大きなマップに作り上げていた。こうした作業はなんともなくできる。歩こうとすると歩けないだけだ。

 

 子どもの頃の「お正月」の思い出もまとめていた。このあたりでは「ションガツ」と年寄りが言っていた。昔は娯楽がなかったから、盆とションガツは楽しみなものだった。そういうものをまとめている。

 

 「年の初めのためしとておわりなきよのめでたさを・・・♪。」正月の元日には学校に行った。新年の式と言ったかどうかは覚えていない。ただ、こういう歌を歌って、紅白のまんじゅうをもらって帰ったものだった。のどかな風景だなぁと思い出す。

 

 午後を待たずに雨になった。山では雪になっているのかもしれない。今夜は雪になるとの天気予報fだった。

 

 本降りの雨になった。

 

 それでは・・・と、お仏壇のすす払いをすることにした。まごが小さかった頃には「ハイハイ」と手伝ってくれたものだが、近年は一人しずかにお掃除をやっている。子どもの頃には「おみがきさん」と言って、仏具に溶液をつけて磨いたものだった。今の仏具は磨いてはいけないと言われている。あくまで「すす払い」「ほこり払いだけである。

 

 お供えしてある物全てを取り出して並べ、羽毛のハタキでそっとホコリを払うだけである。

 

 これが我が家のご本尊様の「阿弥陀如来立像」である。これも、そぉっと、そぉっと、ホコリを払っておく。

 

 これが我が家のお仏壇の「前卓:まえじょく」である。台風で傷んだお仏壇の須弥壇の部分だけを取り出して机に作り替えてくれたもの。ここにお花や香炉、燭台などをお供えする。

 

 で、元通りに組み立て直しておいた。あ、おりんを経机から降ろしておかねば・・・。

 

 今日の内容とは全く関係ないが、今日の掲示板はこれ。「他人の不幸は小さく見えて 自分の不幸は大きく見える」というもの。誰の言葉だったか忘れたけれど、「人間って、双眼鏡みたいなのを持っていて、他人の幸せは、大きく見えるけれど、他人の不幸は、小さく見えるんです。逆に自分の幸せは、小さく見えて、自分の不幸は、大きく見える。そこが解ってないと、一生、幸せになれない」という言葉があった。また、「いつだって、自分に足りないモノばかり数えてしまう。そんなことより自分が持っているモノを数えるべき。」という言葉も思い出した。「本当の幸せって、それを感じ取れるチカラかも知れないな~」と思ってしまった。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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