まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

花嵐 歴史の重みを 知らされる

2017年03月31日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 丸亀地方は前線を伴った低気圧の影響で雨が降っていた。気温は5.8度から10.9度、湿度は87%から85%、風は2mから4mの北東の風が少しばかり強かった。明日の4月1日は、気圧の谷や寒気の影響で概ね曇り、朝晩は雨の降る所がある見込みらしい。

 

 昨晩には自治会長さんやそのお友達がやってきて、久々の飲み会になった。で、朝はいつものように6時前に起きて布団などを片付け、簡単な朝食を食べて、6時50分に港に着いた。高速艇は7時15分に出航して丸亀港に7時35分に着く。

 

 今度は、塩飽本島(ほんじま)行きのフェリーに乗り換えて7時40分に出港。室内はぎゅうぎゅう詰めの満員状態。私と多田さんは通路に立ったまんまだった。本島泊港には8時15分に着いた。

 

 皆さんが到着するのは9時35分。1時間20分あまりも待ってはいられない。そこで、いつもお世話になっている中西先生がお接待を出している「来迎寺」に行ってみた。ここは讃岐に流された法然上人が島民を集めて「念仏往生」を説いた遺跡である。

 

 そこから逆に、13番大師堂、10番宝性寺、9番太子堂を打って、フェリー乗り場に戻ってきて、皆さんを待つことに。この頃から雨が降り出してきた。そのため、これからはネット画像から。

 

 本島泊港から皆さんと歩き出したのだが、見たことのない人が多くて、どこまでがうちの参加者かがわからない。偶然に歩いている人か、ゲストさんなのか、全くの他人なのかが不明のまま歩いて行く。真ん中の「山根」でお接待を受けたのは半分ほどの人数。会長まで行方不明・・・。

 

 みんなが揃って歩き出したら、もう、10時半。1番札所の「長徳寺」で住職さんが「お弁当」をお接待してくれたが、20個用意してくれたのに5人が足りないという。私と副会長の麗子さんはいらないということは、総勢27人ということか・・・。

 

 で、この後、健脚組は「遠見山」という展望台を目指し、ビギナーコースは6番蛭子神社、5番「専称寺」に向かった。もう、こうなると、誰が誰やらわからない。ここは「法然上人」が滞在したという遺跡である。法然上人の遺品とされるものが残されている。

 

 4番薬師堂を打ってから「笠島町並み保存地区」に入ったが、雨と風が強くて強くて。カメラを構える余裕などなかった。ここで、展望台組とすれ違う。

 

 本当ならば、こういう札所の番外2番であるが・・・

 

 こんな悲惨な状況になっていた。

 

 会長が、どうしても見せたい・・というので、新在家海岸と甲生の「両墓制」を見てから、「東光寺」に向かう。

 

 この本尊薬師如来座像は平安期の作で国の重要文化財。脇士の不動明王と毘沙門天も鎌倉時代の秀作。会長がとくとくと説明する。あと、残留組と帰宅組みに分かれ、12時35分発のフェリーで本島を後にした。もう、誰が残って、誰がフェリーに乗ったのかも分からないほどの混雑だった。

 

 今日の掲示板はこれ。「今日も一日無事に過ごせた これに勝る幸せはない」というもの。「日々是好日」という言葉あるが、晴れた日も、風の日も雨の日もある。主体的に懸命に今日一日を生きるなら、それはかけがえのない一日となり、毎日が佳き日となる。「今日も一日無事に過ごせた。これに勝る幸せはない。」そう、感謝して、今日を終えたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


右に行き 左に迷って 春に遭う

2017年03月30日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 丸亀市地方は、午前中は気圧の谷で概ね曇っていたが、午後からは高気圧に覆われて晴れてきた。気温は8.2度から17.6度と初夏の気温に。湿度は88%から70%、風は1mから2mの西北西の風が少しばかり。明日の31日は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、前線を伴った低気圧が近づくため、昼過ぎから雨が降る見込みらしい。

 

 明日の「塩飽本島(ほんじま)」での「お大師まいり」の実地研修のため、私は隣の「しわく広島」に帰るために丸亀港にやってきた。8時半に我が家を出て、10時前に丸亀に着いた。そこで今夜と翌朝の食材を買って、当然、缶ビールも・・。

 

 11時10分発の高速艇「ニュービサン」に乗る。「NEW-備讃」という意味である。島にお店がないために、皆さん、こんな荷物を持って船に乗る。私は一夜だけだから少しだけ。

 

 高速艇は海上20分でしわく広島の江の浦港に着く。

 

 船から下りると、荷物を降ろし、上着を脱いで、この、軽トラのタイヤ交換を始める。一月に来た時に気がついていたのだが、なかなかに交換に来る間がなかったし、寒かった。

 

 10分ほどで、タイヤ交換を終えて我が家に着いた。

 

 まだ、草は伸びていないので安心した。これから、ぐんぐんと伸びるのだからたまらない。

 

 ここが、私の隠れ家である「暁光庵」。この字を書いたのは、家内の親父の「元昭師」。彫ったのは千葉の偏屈彫師の高橋師。

 

 見れば、車のガソリンがない。タイヤの修理もしなければ・・・と、島唯一のガソリンスタンドに向かったのだが・・・

 

 島の人口は男性が120人、女性が135人の計255人の171世帯。だから、時々お休みするのだが、「3月30日から4月1日までお休み」の看板が・・・。それはないでしょ・・・。

 

 なけなしの燃料を気にしながら、島に唯一ある「天野ショッピングセンター」に向かった。ビールはたくさんあるし、ウィスキーも焼酎もあるが、清酒がない。なくてもいいのだが、島で飲み物がないのは寂しい。

 

 客が来ないから昼寝をしていた親父さんを起こして、この日本酒を買った。これは冷やして飲む酒らしい。

 

 島には、「浦」=集落ごとにお寺があって、立石浦の神光寺(ここ)、江の浦には「地福寺」、青木浦には「長福寺」、市井浦には「玉瀧寺」、茂浦には「正福寺」があるが、いずれも無住。法事とかがあれば地方(じかた)=丸亀とか善通寺から住職さんがやってくる。

 

  今日の掲示板はこれ。「人生は白黒で簡単に割り切れるものではありません。いろんな感情を味わいながら日々を過ごすところに人間の生きる意味がある」という小柳左門先生のことばから。 先生は1966年、福岡県立修猷館高校卒、1973年に九州大学医学部卒。九州大学医学部循環器内科助教授、国立病院九州医療センター臨床研究部長、国立療養所福岡東病院副院長、独立行政法人 国立病院機構都城病院院長などを経て2013年から特定医療法人・原土井病院病院長を務めている。人生はマルかバツか、表か裏か、白か黒かで簡単に割り切れるものではない。赤もあり、白もあり、黄色もあって、人生の意味があるのだと言うているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


木瓜の花 歴史の扉 押し開ける

2017年03月29日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で概ね曇りとなっており、夜遅くには雨の降る所があるらしい。気温は6.2度から14.3度、湿度は94%から48%、風は1mから3mの西北西の風が少しばかり。明日の30日は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、明け方まで雨の降る所がある見込みなのだとか。(tenki.jp)

 

 水曜日になったので、香川県立図書館にやってきた。この前に借りた「自分史」に関する本を斜め読みしたが、あんまり参考になるものはなかった。

 

 そこで、五冊の本を返却して、またも五冊の本を借りた。

 

 ここの図書館に仏教書はたくさんあるのに、「神道」に関する本は多くない。八坂神社や祇園社の本を探したが二冊しかなかった。そこで、ついでに狛犬の本を三冊借りてきた。

 

 祇園神社は、牛頭天王・スサノオを祭神とする祇園信仰の神社であった。他に祇園信仰に基づく神社名称としては、八坂神社(八阪神社・弥栄神社)、広峯神社、天王神社、八雲神社、須賀神社、素盞嗚神社などがあり、時代や資料によって通用される。名称は、神仏分離以前に現在主祭神とされているスサノオが祇園精舎の守護神である牛頭天王と同一視され祀られていたことから来ている。同様の信仰を持ち、「牛頭天王社」と称する神社も多かった。

 

 明治に神仏分離が行われた際、仏教の神である牛頭天王は祭神から外され、神道の神であるスサノオが残ったが、同時に多くの神社名から仏教用語の「祇園」や「牛頭天王」が外され、総本社である京都の祇園社も八坂神社と改名された。しかし神社の名前が変更されても、地名としての「祇園」「天王」や、奉納される祭の「祇園祭」「祇園御霊会」といった呼称、また神社の愛称としての「祇園さん」「(お)天王さん」等が残っている地域は多い。

 

 昨日の「牛の絵」である。ここに「讃州龍燈院」とあり、「滝宮」と書いてある。調べてみると、和銅二年(709)、行基菩薩が滝宮の綾川に霊を感じて祠を作ったのが始まりとの伝承がある、龍燈院綾川寺(明治元年から滝宮神社となる)があったらしい。

 

 そこで、綾川町にある「滝宮天満宮」に行ってみた。菅原道真は国司として在任中は善政を施していたので4年間の任期を終えて京に帰るとき、人々は川西で見送りをし、頭を伏せて拝んで別れを惜しんだ。道真は京に帰ってから出世し右大臣までなったのだが、藤原家の画策により冤罪を負って、九州大宰府に流されることになり、海路で向かっていた途中、強風で高松市香西の神在浦に三日間泊まっていた。これを知った龍燈院綾川寺の住職空澄は会いに行き、許されて船上で会うことが出来、少しの時間別れを惜しんだという。別れ際に道真から記念として御装束と自画像を賜った。その2年後に道真が大宰府で亡くなったのを知った空澄は道真が官舎としていたところに小さな祠をつくり、道真から賜った二品を奉納して道真の冥福を祈ったのが「滝宮天満宮」の起源と言われている。

 

 これが「龍燈院跡」の石碑である。道真が讃岐に赴任した当時、綾南町の滝宮神社の境内になっている辺りには行基が開創といわれる龍燈院という寺があった。道真は、龍燈院の一角にあった官舎に住んだと伝えられている。道真が赴任した当時、龍燈院の一角には讃岐一国の氏神を祀る祠があり、寛平元年(889年)、その祠に道真と龍燈院主とが祇園から牛頭天王を勧請して社殿を創建し、それが後の滝宮神社になったと言われている。しかし、明治維新の神仏分離策により滝宮神社は残り、龍燈院は廃寺となってしまった。その後龍燈院の建物は焼失して今は神社境内に跡地の記念碑が残されているのみである。

 

 NHK-TVでやっていたが、「ブラタモリ」で讃岐うどんの発祥地と言うていたが、空海さんが唐で習ってきた「うどん」を甥の「智泉」に教え、それを一族に食べさせたのが「うどんの発祥地」となったそうだ。

 

  滝宮神社は、明治初年の神仏分離令までは、巖松山綾川寺龍燈院の牛頭天王社と称していた。寛平元年(889年)讃岐国司菅原道真と龍燈院主空澄が、祇園牛頭天王社を勧請したのが由来。堂宇は、明治6年の西讃竹槍騒動により焼失。以後再建されたもの。

 

 午後からは「集落内散歩」で大川ダムまで歩いてきた。

 

 暖かくなったので一気に開花するかと思えば、わずかに、この一輪だけの開花だった。この調子だと、31日の「塩飽本島お大師まいり」でも桜の花は見られないかも知れない。

 

  今日の掲示板は、今日のお話とはまるきり関係ないが、「気分ひとつで大違い まだ半分 もう半分」というもの。冗談半分で引き受けた「俵札」研究。たいしたことあるまいと、たかをくくっていたが、開けてびっくり、「パンドラの箱」。昔の筆文字は読めない。古文書には触れたくない。でも、どうにか・・・大きな峠は越えられた。これは、「もう、半分?」「まだ、半分?」・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


花冷えの 陽だまりにいる 猫二匹

2017年03月28日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、午後からは曇ってきた。気温は5.7度から13.8度、湿度は90%から66%、風は2mから4mの西の風が一時は強かった。明日の29日は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎから夜のはじめ頃にかけて雨の降る所があるらしい。

 

 毎週、火曜日はここに出勤である。さぬき市前山にある「前山地区活性化センター」である。通称は「おへんろ交流サロン」というお遍路さんの休憩場所になっている施設。

 

 今日は、5月のウォーキングのチラシの文面の推敲・校正作業を、ああだ、こうだ・・とやっている。

 

 私と中島先生は、次の展示の準備中。まずは、「飯田家の納め札」の撤収と元のファイルに戻す作業。

 

 整理が終わると、次は展示の準備。今回は「六十六部日本廻国」の納札である。六十六部廻国聖とは、法華経を66部書写して、一部ずつを66か所の神社仏閣の霊場に納めて歩いた巡礼者。室町時代に始まるという。また、江戸時代には、仏像を入れた厨子(ずし)を背負って鉦(かね)や鈴を鳴らして米銭を請い歩いた者たちを言う。略して六部(ろくぶ)とも言った。

 

 今回は、仮置きをしてみて、枚数とかの調整をすることになった。日本廻国の納札でもずいぶんと残っていたものだ。

 

 春になると、ぽつりぽつりと歩き遍路の方がやってきて、しばらく休んだり、係員に説明を聞いたりする。私どもはノータッチ。質問されたらお話くらいはするのだけれど。

 

 ひょんなことから、大阪の神職さんからメールを頂いて、この変哲もない紙切れが、とても大事なものだとお知らせを頂いた。

 

 それに関連して、「感神院」というお札も見つかった。

 

 こんな「牛」の絵も数枚、見つかった。「当社は慶応4年(1868)5月30日付の神衹官達により八坂神社と改称するまで、感神院または祇園社と称していた。創祀については諸説あるが、斉明天皇2年(656)に高麗より来朝した使節の伊利之(いりし)が新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まるという。」と、八坂神社の由緒にはある。

 

 これは、「蘇民将来子孫也」と書かれた紙符。「我蘇民将来之子孫也」という 八坂神社などののお札は、「私は蘇民将来の子孫です。だから、ご先祖さまと同様、あなたさま(疫病神)を手厚くもてなします」という意味が込められているというのである。京都の八坂神社の祭神のスサノオは疫病神(疫病の神様)で、スサノオを鎮めるために行われるのが祇園祭であるという。スサノオが疫病神になったのは、中国の伝承と結びついたためであるらしい。

 

 ということで、このコーナーは私が担当することになった。そういえば、しわく広島には、「祇園牛頭天王社(八坂さん)」という神社があったことを思い出した。

 

 午後から、県営大川ダムまで散歩してきたが・・・

 

 桜の開花はまだ、なかった。でも、だいぶ、つぼみがふくらんできている。

 

 今日の掲示板はこれ。「別れがあるから 毎日が貴重である」というもの。朝ドラもいよいよ最終の週になるらしい。「いくらお金があっても買えないものがある。それは寿命だ」とか言うセリフがあったような・・・。必ずやってくるお別れの時、それまでの時間をいかに明るく楽しく元気よく過ごせるのか・・・。そのことを考えてみれば、今日という日、今という時間が貴重だということは納得できることではないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


花寒に 畑で手を振る 人がいる

2017年03月27日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は湿った空気や寒気の影響で曇り、雨の降っている所があったが、やがて晴れ間が見えてきた。気温は5.6度から11.8度、湿度は91%から62%、風は3mから5mの西の風が少しばかり。明日の28日は高気圧に覆われて晴れるらしいが、寒気の影響で朝まで曇る見込みなのだとか。

 

 朝方は雨だったようで、ハクモクレンにもしずくが光っていた。

 

 でも、やがて晴れ間が見えて気温も上昇してきたので久々にお布団を干した。

 

 事務所の掃除もやっておく。一人だけの部屋なのに、なぜだかほこりが多くとれる。

 

 掃除が終われば、いつものようにウォーキング。昨日は奥方がお休みだったので外出は控えめで2,800歩しか歩けなかったので、今日は7,000歩を目指すことにした。いつもの香川県営大川ダムである。

 

 私が小学6年生の頃に工事が始まって、中学2年生の時に完成したように記憶している。ダムの桜はまだまだつぼみ。

 

 4月には住宅保険の保険料の引き落としがあるので、郵便貯金の奥方の口座から引き出して・・・

 

 JAさんの口座に入金しておく。こういう雑用ばかりが私のお役目。

 

 野菜用の肥料や野道具を何点か買った。これも奥方の雑用。

 

 こちらでは、昨日、マグカップを落として割ったので、奥方に内緒で買い換えておく。どうにも感覚が鈍くなったのかどんくさくなった。

 

 帰ってくると、にぎやかな声でサルたちが遊んでいる。最近はワナを仕掛けても、学習したのかワナにはかからず、エサのミカンやサマイモをかすめとって食べている。サルは増えるばかりだ。

 

 昼からは、三月分の活動記録やら巡回記録、高齢者名簿の修正作業などをやっておく。

 

 十年日記も整備しておく。できることからコツコツと。

 

  今日の掲示板はこれ。「困難に挫ける人もいれば 困難で成長する人もいる」というネルソン・マンデラさんの言葉から。「困難に挫ける人もいれば、 困難で成長する人もいる。挑戦を続け、最後の瞬間まで「希望」という武器を振りかざす」というのが元の言葉らしい。 若くして反アパルトヘイト運動に身を投じ、1964年に国家反逆罪で終身刑の判決を受ける。27年間に及ぶ獄中生活の後、1990年に釈放される。翌1991年にアフリカ民族会議(ANC)の議長に就任。デクラークと共にアパルトヘイト撤廃に尽力し、1993年にノーベル平和賞を受賞。1994年、南アフリカ初の全人種参加選挙を経て同国大統領に就任。民族和解・協調政策を進め、経済政策として復興開発計画(RDP)を実施した。1999年に行われた総選挙を機に政治家を引退した。(Wikipediaより)

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


毎日が 生きるいのちの 芽吹く花

2017年03月26日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、夜遅くには雨の降る所があるらしい。気温は4.7度から10.6度、湿度は90%から65%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の27日は、湿った空気や寒気の影響で曇り、雨の降る所がある見込みらしいし、午後からは雷を伴う所があるらしい。

 

 今日も曇り空で肌寒い一日になった。

 

 昨夜は自治会総会が行われた。自治会総会と言うと、お弁当とかを用意して盛大に行うところがあるらしいのだが、ここは質素に行われた。

 

 で、今日は議事録をまとめて引き継ぎ作業。

 

 それを次回の自治会長用に記録として保存しておく。

 

 一年間に使った資料は廃棄処分にする。

 

 必要な資料は電子化して数台のパソコンに複製保管しておく。

 

 昨年の自治会総会の写真や資料類が探してもないと思えば、この日は委任状を提出して、花見の宴をやっていたのだった。

 

 昨年は豪勢な食事である。今年はこの週末の土曜日の4月1日のお昼から夜中まで。お昼はバーベキューを楽しむらしい。

 

 その前に、私の大仕事がその前日のこの行事。3月31日に行われる「塩飽本島お大師まいり」のガイド役を任されている。このくらいの距離ならば大丈夫とは思うのだけれど。

 

 だから、その前日には広島入りしておく。で、31日には朝いちの7時15分の高速艇で丸亀港に出て、皆さんをお待ち受けする予定。

 

  今日の掲示板はこれ。「見る気がなければ何も見えない。聞く気がなければ何も聞こえない」という荒了寛さんの言葉から。だからと言って、何でも見たがって、余計なものまで見てしまって気になってしまったり、何でも聞きたがって、余計な事まで聞いてしまって不安に陥ってしまったりするのもどうかと思う。他人の事も、自分の噂も、事実とは違ってる事が勝手に出回っているということはよくある話である。そういうことに翻弄されない心構えが必要な時代でもあるなぁと感じる今日このごろである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


ウグイスが よく啼く朝だ 伸びたひげ

2017年03月25日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇っていた。気温は4.1度から9.7度とまり。湿度は78%から54%、風は1mから3mの東北東の風が冷たかった。明日の26日は、引き続き気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、雨の降る所がある見込みらしい。

 

 我が家の横の水路を流れる水が、昨日に見た「弥勒奥池」に流れ込むのだが、それにしても水量が少ないなぁと思いつつ、朝の散歩に出た。

 

 水門のゲートはあがっている。ということは、川の水量が少ないってことだ。

 

 ダムからの放流はない。ただ、この発電棟の放流だけ。

 

 ダムも田植え前だから、そんなにたくさんの放流はできないのだろう。

 

 ふと、上を見ると、今にも倒れそうな木があちらこちらに。今度、大雨か地震でも起これば崩れそう。ま、人が通ることもないし、民家もないのでそのまんまなのだろう。

 

 県営大川ダムの桜はこんなもの。今日も寒いので、このまんまだろう。

 

 今年はツクシもわらびも見ない。そう、思って歩いていたら、こんな所にツクシが・・・

 

 これは「ど根性つくし」ではないか。その左にも小さなツクシたちが芽を出している。

 

 いつもなら、我が家の近くや大川ダムの周辺で、ツクシ取りやワラビ採りのおばさんたちがうろうろするのに、今年はまだ少しも見ない。

 

 さて、お昼からは「自治会総会」の準備。自治会長七つ道具とか・・・

 

 引き継ぎ書とか・・・

 

 総会の資料とかを準備して、会場の準備に出かけなければ。

 

 今夜の総会が終われば、しばらくは安泰。今度の五年後まで元気でいられるかどうか。

 

  今日の掲示板はこれ。「生きることに満足せずして 何に満足するのか」というもの。これこそ、町内にある善楽寺さんの掲示板から。人間の根本的なことは「生きる」ということ。それには「食べる」ということが必要になり、「生き抜く」という力が求められ、そこから更に「学習」だの「経済」だの「文化」だの」「宗教」だのが求められる。この地上にあるすべての生き物は、「生きる」と言うことに「満足しなくては」次のステップが踏み出せない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


木蓮華 別れの刻を 編み上げる

2017年03月24日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて、概ね晴れていた。気温は4.4度から11.2度、湿度は83%から47%、風は2mから3mの北北西の風がすこしばかり。明日の25日は、高気圧に覆われて晴れるけれど、湿った空気や気圧の谷の影響で夕方からは雲が広がる見込みらしい。

 

 朝の散歩で、香川県営大川ダムまで歩いてきた。だんだんと歩ける距離が減ってきた。体重が増えたから歩けないのか、歩けないから体重が増えたのか、どっちやろか~。

 

 おや、昨日はピンクはわずかしか見えなかったのに、今日ははっきりと桃色が見える。この週末にはちらほらと咲くのだろうか。

 

 我が家のワクモクレンも花が開いてきている。今年は梅も遅かったし、ツクシやワラビはまだ生えてこない。

 

 10時になったから、さぬき市立図書館にやってきた。開館を待ちかねてお年寄りがどっとやってきて、一斉に新聞紙を広げる。男たちは新聞が大好きみたい。

 

 ここの図書館の本は肩が凝らないような本ばかりが多い。で、借りていた五冊の本を返却して、またも五冊の本を借りた。

 

 これがまたまた、ジャンルがバラバラ・・・。適当と言えば適当。広範囲と言えば広範囲。多様性に富んでいるというか、だいたいやなぁ・・というか。

 

 こういうのは肩が凝らないからいい。

 

 若い頃に読んだ本だが、今年の五月に「歴史講座」で「狛犬の話をして欲しい・・」と頼まれている。ま、復習の意味で借りてきた。

 

 この本の「文化論」というのがいい。本物の「お遍路学」や「お遍路実践論」はお先達さんに任せておけばいい。私たちは「観光ボランティア」だから、文化論やお接待学を学べばいい。

 

 さて、我が家のすぐ横の水路をどんどんと水が流れているが、どんなもんじゃろうか・・・と、その水の行き着く先に行ってみた。

 

 これが、「弥勒奥池」である。底にたまった土砂などを掃除したらしい。その工事が終わったので、ここに水を溜めているらしいが、満水までにはまだまだみたい。田植え時期までには満水にしておかねば。

 

 これが水源である。我が家の横から流れ出ている水である。

 

 ついでだからと、この弥勒奥池の周囲の遊歩道を一周してきたが、30分ほどの距離だった。

 

  今日の掲示板はこれ。「地獄も極楽も その舌がつくる」という、荒了寛さんの言葉からである。何気ない言葉のやり取りで、そんなつもりが無くても相手の機嫌を損ねたり、言わなくてもいい嫌味を言ったことで気になってしまい気分が落ち込んだり心配したり・・・。相手あっての会話。相手の事も考えて自己満足なしゃべりにならないよう心掛けたいものである。舌が悪いわけでも口が悪い訳でもない。この私の「こころ」が問題なのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


春の日は 静かに緩く 音もなく

2017年03月23日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で曇っていた。気温は4.6度から12.4度、湿度は86%から43%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の24日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日は月に一度の「予約診察日」。「また~、五万円の出費だなぁ・・」と、重い気持ちで病院に入った。空は曇っていて、今日はなんだか肌寒い空気が流れていた。

 

 今日は10時から「栄養指導」、11時から「診察」で、その前に「検体検査」があるので、9時過ぎに病院に着いた。

 

 検体検査は、10分ほど待っただけで採血が終わり、5分ほど待たされて「尿検査」が終わった。車いすのお年寄りは、どうしても時間がかかってしまう。

 

 10時前に栄養士さんが呼びに来てくれて「相談室」に入った。「心臓病用・高血圧症」の栄養指導。塩分を控えめに、野菜をしっかりと、お魚は干物より生ものを・・・というお話。カップ麺はお出汁やスープは飲まないこと、アルコールは休肝日を・・などと30分ほど。

 

 今日は早めに進むのかなぁと思ったけれど、結局の薬局で、ドクターの診察は午前11時からになった。

 

 ま、新しくしたタブレット端末をいじくっていたら、そんなに気にもならなかった。

 

 血圧も脈拍も、体重も問題ない。しきりに「無呼吸症候群」の検査がやりたいらしいのだが、丁重にお断りした。若い頃のように動きもしないし、大酒も飲まないので大丈夫。

 

 「じゃぁ、来月は19日で・・」ということで診察はおしまい。特に今月は問題なし。

 

 帰りに調剤薬局によって、お薬を受け取って帰宅。

 

 あれ?、今月は1万円も安い・・・と思ったら、「27日分」ということだった。いつもは35日分だから、一週間、8日分少ない。それで1万円も違うのか・・・。カップ麺しか食べられない訳だ。

 

 帰ってから、県営大川ダムに寄ってみた。桜のつぼみはどんなじゃやろ・・・。

 

 まだまだ、つぼみは硬そう・・・。でも、緑色が見えてきたし、少しばかりピンク色ものぞいてきた。

 

 昨年の今日は、こんな具合だったから、今年は少しばかり暖かかったから遅いようだ。

 

  今日の掲示板はこれ。「一言多かったか 一言足りなかったか 一言で人生が変わることもある」という荒了寛さんの言葉から。自分の一言で誰かが変わったという実感はないし、人に言われた一言によって自分の考え方が変わって、そのおかげで人生が変わったかもしれないということも ない。でも、一言多かったことで失敗したことは数知れないくらいにあるし、一言足りなかったことで理解されずに悔しい思いをしたこともいくらでもあった。  こういう一言は、内容も大切なのだが、相手の心にグッとくるタイミングで投げかけるからこそ響くものなんだろうと思う。タイミングが悪いだけで「一言多い」または「一言足りない」という結果になってきたのだなぁとは思ったりする。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


草萌えて 確かな明日が 見えてくる

2017年03月22日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷の影響で夕方から雲が広がるらしい。気温は5.1度から13.4度、湿度は78%から55%、風は4mから2mの西の風が少しばかり。明日の23日は気圧の谷の影響で曇るらしいが、午後からは高気圧に覆われて晴れる見込みだという。

 

 今日は水曜日だからということで、香川県立図書館に向かった。借りていた本を返却するためだった。

 

 昨日の寒さとは一転して、今日はおだやかな春の朝になった。

 

 暖かいと、人出も多くなる。ま、平日の朝だから、高齢者が多い。ご婦人の姿も目についた。

 

 で、いつものように五冊の本を返却して、また、五冊の本を借りた。そろりそろりと自分史年表はできあがりつつあるが、自分史となると、あれも、これもと乱雑になってしまう。

 

 ま、参考にはならんだろうが、自分史関係の本を借りてきた。つん読になるとは思うのだが。

 

 ふと、思い立って、ドコモショップに行って来た。私は電話が大嫌いだから、携帯電話はほとんど使わない。使わないのに、ドコモからの請求が高い。

 

 だから、いらないサービスを削除して欲しいとお願いをした。

 

 向こうさんも商売だから、あの手この手で攻めてくる。

 

 タブレット端末にもいらないものがありあますから、持ってきてください・・という。だから、家に戻って、タブレットを持ってきたら、バッテリーが弱っていますから機種変しませんか・・・などと。それでお安くなるなら・・と、機種変をした。

 

 携帯電話もシニア割引だ、なんだのというので、お安くなるなら・・と機種変をした。三月分は少しお高くなりますが、四月分からはお安くなりますという。ホンマかいな・・。

 

 家に帰ると、レターパック便が届いていた。何の本を買ったんだろ・・と開いてみれば、「塩飽大工」の本だった。注文したのは一昨日だったと思うのだが、早速に送ってきてくれたのか。

 

 カラー版で、313ページもあって2,000円とはお安いなぁと驚いた。それも送料込みというのだから恐れ入る。

 

 今日はなんだかんだで、汗まみれになったことだ。

 

  今日の掲示板はこれ。「執らわれると目が狂ってくる 欲が出ると耳が聞こえなくなる」というもの。あることに執着すると、そのことしか見えていないことが多くある。幾度もある。咸臨丸だったら咸臨丸のことばかり。レキの墓だったら、そのことばかり。周りのことなど見えてはいない。欲が出ると、そのことしか考えずにいて、他人の忠告なんぞまるで受け付けない。そういうことって、いくらもあることだ。それが私たちなのである。そのことに気づくことがまずもって先決問題なのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

 

 


雪柳 彼岸の墓の 髪飾り

2017年03月21日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は低気圧の影響で昼過ぎまで雨が降っていたが、その後は冬型の気圧配置となるため晴れ間も見えたが、夕方からはまたしても曇ってきた。気温は6.2度から13.0度、湿度は92%から74%、風は2mから5mの北西の風が少しばかり。明日の22日は高気圧に覆われるため、概ね晴れる見込みらしい。

 

 昨日は暑いほどだったが、一転して今日は肌寒い一日になった。

 

 毎週火曜日は、ここ、さぬき市前山地区にある「おへんろ交流サロン」に出勤する。

 

 一年間、展示を続けていた納め札の展示を終えることになった。その後へ、これまで調べてきた護符や神符、お守りなどの「俵札」を展示することになった。

 

 とりあえず、私の担当だった「田淵家」の納め札を全て引き上げた。

 

 引き上げた納め札を、間違えないように、元のファイル、元のホルダーに戻していく。まるで神経衰弱ゲームみたいなものだった。

 

 その後、次の作業についての打ち合わせ。今月31日に塩飽本島で行われる「お大師まいり」の実地研修である。でも、本音は勤番所や専称寺や人名の墓見学、東光寺の仏像拝観や両墓制の見学らしい。

 

 作業は午前中で終わって、また、来週。

 

 お昼からは、集落内の地神さん、山の神さん、お地蔵さんで日曜日に集めたお賽銭をJAさんに入金して、今年度の私のお仕事はおしまい。

 

 JAさんで、三ヶ所から集めた377円のお賽銭を入金。ここもしばらく来ることはないと思う。

 

 で、会計処理をすませておいて、

 

 総会用の会計報告書も作成しておいた。自治会総会は、今週の土曜日の25日。

 

 ついでに、我が家の会計帳簿も処理しておいた。

 

 東京では桜が開花したというニュースが流れたが、我が家のハクモクレンもようやくに開花してきた。

 

  今日の掲示板はこれ。「できない理由をいくら挙げてもしようがない。逆にどうしたら前へ進めるかを考え、一つひとつ手を打っていく。そういうふうに思考回路を転換することで、道はひらけていく」という荻田伍さんの言葉から。荻田 伍(おぎた ひとし、1942年1月1日生 )は、福岡県出身の日本の実業家。アサヒグループホールディングス相談役。失敗したこと、うまくいかなかった理由や言い訳を幾ら並べても済んだことは仕方がない。今度は、どうしたらうまく行くだろうかと前向きに考えて一つ一つを積み上げていくしかない。そうでなければ、あんな大きなピラミッドなんぞ積み上げられる訳がない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


春めいて 挨拶はずむ 寺の庭

2017年03月20日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、はじめ高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で次第に曇り、夜遅くには雨が降るらしい。気温は3.8度から14.3度、湿度は98%から50%、風は0mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の21日は、低気圧や前線の影響で雨が降るけれど、午後は冬型の気圧配置となって曇る見込みらしい。

 

 子供の頃には、お彼岸の中日には、近郷近在の人たちに混じって、大窪寺に行くのが年に二回の楽しみだった。我が家の横の山道を町内から歩いてきた子供や大人たちがぞろぞろと、蟻の行列みたいに歩いてくる。

 

 この赤い線のように、谷や尾根、たんぼ道を歩いて「山越え」で大窪寺に向かうのだ。親戚の子や友人知人らを待っていて、一緒に大窪寺まで歩くのであった。

 

 昭和30年台から40年頃には境内参道にたくさんの露店が出ていて、十徳ナイフとか拡大縮小器とかの変わったおもちゃがあるのが楽しみだった。50円玉を一個握りしめて山道を歩いたものだった。わが家からだと3時間も4時間も掛かって歩いたように思う。

 

 朝の7時過ぎにわが家を出て、大窪寺に着くのはお昼前。弁当を持って行ったんだろうか、その頃に、食べるものを買った記憶はない。お昼を食べて、お昼過ぎにお寺を出て、遊びながらわが家に帰り着くのは決まって夕方だった。帰り道は決まっていなくて、緑の線のように歩いて帰ったこともあった。

 

 さすがに高校生になった頃には行かなくなったのだが、気がつけば、そういう露店は少なくなり、植木屋さんが出ているばかりになって、いつしかそのお店も来なくなった。そして、近年は、こういう「柴灯大護摩供養(さいとうおおごまくよう)」というものが行われるようになった。四国内の霊峰や修験場で修行している山伏たちが集まって弘法大師の恩を報い、徳を慕って供養を営む八百年余りの伝統行事らしい。護摩焚きの後は、火渡りの式が行われる。この護摩供養は年に2回開催され、春は春分の日、夏は8月10日の山の日に行われる。

 

 修験道(しゅげんどう)は、山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた日本独特の混淆宗教である。修験宗ともいう。修験道の実践者を修験者または山伏という。今回は若い青年が混じっていた。衣は「鈴懸(すずかけ)」といい、「結袈裟(ゆいげさ)をつけ、法螺貝を持つ。腕には「最多角念珠(いらたかねんじゅ)」を巻いている。そして、腰には「手錫杖」や「檜扇(ひせん)」、「柴打ち」という刀を差している。今日は「般若心経」と不動明王真言を称えていた。

 

 腰の左にあるオレンジ色のものは「走縄」というもので、行者入峰の際の補助的な物であるが、今は修行者の無明を縛する不動明王の剣索の意とされている。新客は十六尺、度衆は二十一尺、先達は三十七尺である。これを左の腰に束ねてぶら下げている。おしりの部分にあるのは、「引敷(ひっしき)」というもので、入峰修行の際の座具であるところの腰に当てる敷き皮のことである。

 

 またこの引敷は何の動物の物であっても獅子の毛皮であると観念する。何故なら畜類は無明に例えられ、その畜類の王の上に座すという事で行者は仏であるから凡聖不二(煩悩即菩提)の極地を表しているのである。また引敷の引くとは、衆生を法界に引導するという意味も含まれている。修験でいう所の獅子とは、鹿の事であり、これは縁覚の乗り物だからである。

 

 この人が大窪寺の住職さんで、今日の「導師」を勤めている。この方が着けている袈裟は「梵天袈裟」という。

 

 この人の袈裟を「輪宝袈裟」とも「結(ゆい)袈裟」とも呼ぶ。額につけている黒いものは「頭襟(ときん)」といい、大日如来の「宝冠」を意味しているという。色が黒いのは「無明」を意味し、12本の筋は、「十二因縁」を表しているのだという。腕には「最多角念珠(いらたかねんじゅ)」を巻いている。

 

 願文を奉読する院代の光容師。

 

 この大護摩供養で、お遍路さんが収めた金剛杖や納め札、祈祷札などが「お焚き上げ」される。

 

 今日の掲示板はこれ。「病は口から入り 禍は口から出る」というもの。病気は口から、はいる食べ物や飲み物が原因で起こり、禍は口から出る ことばが原因となって起こされる、ことが多いということ。 人の口という重要な部分についての言葉で、口をしっかり 慎むことによって、悪いことが起きないようにする、いましめの言葉のようです。 食べ物などは、食中毒、栄養素、食べすぎに気をつけて口の中に入れ、しゃべる時も余計なことは言わないように 気をつけて言葉を発するべきだということのようである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


青空は 音湧くところ 山つばき

2017年03月19日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は2.9度から16.8度、湿度は94%から44%、風は1mから2mの西北西の風が少しばかり。明日の20日は、高気圧に覆われて晴れるけれど、午後は湿った空気の影響で曇り、夜遅くには雨の降る所がある見込みらしい。

 

 この集落の、今年度最後の行事が、「地神さん」である。地神さんというのは、「社日」におまつりをするもので、社日は、春・秋の彼岸に一番近い「戌」の日である。その日は、農耕を休み、「地神さん」の周りで祭礼を行う。その日に農作業をすると地神さんの頭に鍬を打ち込むことになるといわれ、忙しい時期ではあるが、総ての農家が農作業を休んだ。

 

  「地神さん」の周りには注連縄を張り、のぼりを立て、沢山の供物が供えられた。時間が来ると、その供え物は子供達に分け与えられる。その日、子供は「地神さん」の周りに集まり、お下がりを頂くのが楽しみであった。しかし、そんな子供たちもいなくなってしまった。

 

 午前7時集合ということだったが、6時半にはすでに半分ほどが終わっていて、午前7時前には、我が家に戻っていた。この集落は、そんな集落なのである。

 

 奥方の「けいこばぁ」が、退屈そうにしていたので、「涅槃桜」を見に行こうと誘った。場所は、善通寺市にある「善通寺」という大きなお寺である。

 

 こういう具合に満開状態で、多くの見物客がカメラやスマホをかざしていた。

 

 正式には、「明正寺桜」というのだが、花が開くのが釈尊の入滅した3月15日ごろのために、「涅槃桜」と言われているらしい。

 

 花びらが白っぽくて香りも強い。

 

 桜だけではもったいないので、「親鸞堂」にもお参りしたし。

 

 法然上人逆修塔にもおまいりしてきた。善通寺境内東南の隅「五重の塔」の横に法然上人逆修塔(堂)がある。この善通寺は天笠八塔の土を敷いて建立せられた霊場であるため、法然上人は深く崇敬せられ「一度この地に詣でなんともがらは一佛浄土の友たるべし」と申され、生前に自らの菩提を祈るため、また、多くの人の法縁を結ばんがため、この逆修供養の宝塔を建立されたと伝えられる。話として、ご自身の爪髪を収めたとも。

 

 これがその、「逆修塔」である。なんで、弘法大師の生誕地である、真言宗善通寺派の総本山「善通寺」に、親鸞堂や法然上人逆修塔があるのかは、現地でご確認のほどを・・・。

 

 この、五重塔のすぐ横にあるので、よく目につくと思う。

 

 帰宅するとすぐに「自治会館」に向かう。案内は15時から・・・ということだが、朝と同様に、30分前の14時半には全員がそろっている。そして、全員で「二礼二拍手一礼」しておしまい。

 

 あとは、パンとお茶で座談会。「シカが罠にかかっていた」とか、「ハクビシンが何度もワナにかかっていた」とか、「イノシシがタケノコを掘ってある」とか・・・、毎度の情報交換である。

 

 1時間ほどの情報交換が終わると解散。私は、地神さん、山の神さん、お地蔵さんのお賽銭を集めて回り、これを自治会会計に入金して、自治会長のお仕事は終わる。あとは、自治会総会で次期会長を決めておしまい。

 

  今日の掲示板はこれ。「思った通りにはならないが やった通りにはなる」という荒了寛さんの言葉から。ある画家志望の男の話である。その画家はせっせと自分で絵を描き、それを売りに出すけれど、なかなか絵を買ってくれる人は現れない。何とかしようと考えた男は、自分の絵を引き立てるために自分の手で彫刻を施した独自の額縁を作っては、自分の絵を入れて売りに出してみた。しばらくして、絵が売れ出した。男は努力の甲斐があったと、大変喜んだが、そのうち男は、画家を目指している自分にとっては、残酷ともいえる事実に気がついてしまった。「私の絵を買ってくれた人達は、私の絵を気に入って買ってくれたのではなく、額縁の方が欲しかったんだ。」一時はその現実に失意のどん底に陥った男であったが、やがて新しい光明を見いだすのである。「私の額縁を気に入ってくれる人達のために、額縁の職人としてやっていこう。」今までの夢ではなく現実を受け入れた彼は、その後、独自の額縁を作り出す職人として成功するのであった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


肩の荷を 一つ下ろして やぶ椿

2017年03月18日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、午後からは雲が広がってきている。気温は2.0度から12.8度、湿度は96%から56%、風は1mから2mの北北東の風が少しばかり。明日の19日は引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 今日も前山へ出勤だが、今日の会場は交流サロンではなくて、この前山公民館、正式には長尾公民館前山分館・・という。

 

 今日は、長年の「俵札」調査の総まとめ、「こんなことやりました」という報告会だった。

 

 今日は、報告者側だから会場設営も担当する。プロジェクターの設置からスクリーン用意、マイク設備の確認、テーブルやイスの準備などをやっておいてから、駐車場係も務める。

 

 9時半から、まず、「俵札」講演会が行われる。

 

 講師は県教委・生涯学習課の片桐孝浩先生で、「四国遍路と俵札」というお話だった。四国遍路と遍路道を世界遺産登録にするためには、こうした地道な調査研究の積み重ねが大事だと力説されていた。

 

 参加者は、会員さんが40名、一般から20名ほどが熱心にメモを取りながら耳を傾けていた。

 

 1時間の講演が終わると、今度は、俵札を調査した過程などの苦労話などを私たち担当者が報告する。

 

 くしゃくしゃに俵に押し込まれていた紙くずを、丁寧に伸ばし、整理をした苦労や課程を報告したのは佐々木女史。

 

 その伸ばした納め札を解析し、読み取り、パソコンに投入した苦労などを実物写真や資料を示して報告したのは中島先生。

 

 その整理した納め札などをカメラで画像に収録した苦労話をしたのが多田先生。大きい物や断片などをいかにカメラに収めるかというお話をされていた。

 

 私は資料保存というテーマで、私が書きためた、これまでの作業の流れや動きについてのドキュメントや田淵家の俵札についての調査研究報告書とか、市教委発行予定の資料集の見本とか、この前にまとめた「娘遍路」に関するお話を担当した。

 

 「俵札」という、マイナーで普段には耳にしない言葉なのだが、皆さん、静かに耳を傾けてくれていた。

 

 11時半には、会場の片付けや整理も終わって解散となった。これからは、護符やお札などの展示に切り替えていくことになる。

 

  今日の掲示板はこれ。「努力した人ほど運が良かったと言い、努力が足りなかった人ほど運が悪かったという」というもの。誰の言葉かはわからないが、あちらこちらで見かける言葉である。努力と運とが関係するのかどうかもわからないが、要は自分の気持ち次第だと言うてるのだと思う。若い頃には「運がいいとか悪いとか人は時々口にするけど、そういうことって確かにあるとあなたを見ててそう思う・・・」という歌が好きだった。今は、運だ、天だと考えることもなくなった。加齢なんだろうか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


ぼんやりと 散歩の主婦に やぶ椿

2017年03月17日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は2.7度から13.5度、湿度は86%から53%、風は1mから2mの北西の風が少しばかり。明日の18日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 4月1日に、我が家で「花見の宴」をするらしいので、桜のつぼみの状態を調べに、大川ダムにやってきたのだが、まだまだ、つぼみは堅い。まだ、二週間もあるのだから大丈夫かも。

 

 それでは・・・と言うことで、いつもの「大川ダム一周コース」のウォーキングになった。

 

 この107段だか109段だかの階段だけがきつい場所。あとは平坦地か坂道を下るだけ。

 

 こうした保守用通路を歩いて「水源」に向かう。方角的には「南」に進むことになる。路床はコンクリート打設。ところどころ、イノシシが落ち葉をかき回した跡がある。約1時間ほどの散歩になった。

 

 戻ると、今度は、さぬき市立図書館にやってきた。ちょうど、お昼休みの時間帯だったから、利用者さんは数名だけ。こどもの姿も全くなかった。

 

 昨日からの「昭和30年代(1950年代)」の資料を探しに来たと言うわけ。

 

 町方の暮らしは、あんまり、参考にはならないが雰囲気はわかる。

 

 しかしのかかし、田舎の暮らしの情報は少ない。

 

 我が家にも、古い写真はほとんどない。

 

 こういう本も借りてきた。

 

 オート三輪というのはよく見た。初期には、中央で、バイクのハンドルみたいなもので運転していたが、後期には右端に乗って(今のように)、丸ハンドルになったから、前輪の感覚がわからずに、よくこけた。

 

 お昼からは、さぬき市の広報が届けられた。本来は、20日発行で、前日の19日にやってくるのだが、今月は三連休になるので、金曜日の今日になった。

 

 これが最後の広報配布になるのだが、19日に、「地神宮」の例祭があるので、そこで配布する。ついでに、この中に、25日の「自治会総会」の案内状も入れておいた。

 

 その「地神さん」のおまつりが終わって、そのお賽銭を入金したら、28年度の自治会決算ができる。その総会が終われば、自治会長のお役目は一応、終わる。また、五年後だな。

 

  今日の掲示板はこれ。「良いも悪いも 因果の種は まけば芽を出すいつの日か」というもの。お釈迦様は「因果の法」を説かれた。「因果」とは、「原因」と「結果」である。『善いも悪いも因果の種は播(ま)けば芽を出すいつの日か』という川柳であるが、良い種をまけば良い実がなり、悪い種をまけば悪い実が必ずなるということである。つまり、すべての現象には必ず「因」という種があり、必ず「果」という「結果」が現れるということなのである。今の時勢、善人がしいたげられ、悪人がのさばっている事の多い世の中。何が「善因善果」「悪因悪果」だと文句を言いたくなることが多々あるけれど、お釈迦様は、そんな凡人の姿はとっくにお見通し。「善を施すに、その報いを求めてはならない」と厳しく戒められておられよう。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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