まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

夏の雨一期一会の花に降る

2022年07月05日 | 時にはぼぉっ~とする時

 香川県は、低気圧や湿った空気の影響で曇り、雨の降っている所があった。5日のさぬき市は、低気圧や湿った空気の影響で曇り、断続的に雨や雷雨となっていた。明日の6日は、湿った空気の影響で曇り、明け方まで雨や雷雨となる見込みらしい。心配された台風も熱帯低気圧に変わって、さぬき市では晴れ間も太陽も見えてきた。なんら異常はない。

 

 私の体にも異常はない。まだまだ両足のむくみはひどいが杖をつきながら歩くこともできるが、数十歩歩くだけで息切れがして酸素マスクが欲しくなる。でも、朝食も昼食も人並みに食べられたから大丈夫・・・のはず。

 

 奥方の作ったキュウリやトマト入りのそうめんである。奥方と言えば、先日の入院の時、私が「奥方が・・・」「奥方が・・」というもので、若い男性看護師が「あのぅ・・奥方さんというのはどこの誰ですか?」と聞いてきたのには大笑いしてしまった。姓が「奥方」だと思い込んだらしい。奥方なんぞというのは時代劇くらいで使われているくらいなものか。若い方にはわからんらしい。

 

 さて、かねてからほかのプロバイダーのブログ開設を考えてきたが、古いブログはパスワードがわからない。まるきり新しいのは操作がわからん・・・で、午前中を過ごしてしまった。やはり、無理か・・。かと言って、このままここでの継続は肩が凝って仕方がない。少しばかり無料化を急ぎすぎたらしい。

 

 はてさて、どうしたらいいものじゃろうかと思案投げ首。と言うても、若い方にはわからんだろうが、「考えあぐみ、首をたれること。よい案がなくて困っていること。」ということらしい。

 

 どなたか、無料で簡単なブログはありませんやろうか。ま、どれもこれも、私のメールアドレスではあかんらしい。前に使っていたらしいものが多くて・・・。

 

 台風一過ではないのだろうが、涼しくてさっぱりとした夏になってきた。期待された雨もジョウロで水撒きをした程度。風もなくて、「なんだ?こりゃぁ」という感じ。

 

 でも・・だ。あれこれとやりつくして、「ああ、これでこころおきなく死んでゆける・・・」と思ったのだけれど、細かな話になると、水道料金とか電気料金とかの口座変更届とか、amazonの請求先をどうするのかなどと片付けておかねばならないことがいっぱいあって・・。ま、事故とか遭難とかになると話は違うのだけれど、雑用がいっぱい。それには「本人確認」が必要になってきた現代。なんだかんだで、まだ死ねないなぁと思ったりもして。

 

 今日も細いロープの上を、ふらふらとして歩いているような一日。ふっと、くしゃみをした瞬間に呼吸が止まりそうになったりする。「長く息をする」ことも大切なんだなぁと思ったりする昨今。

 

 今日の掲示板はこれ。「何ものも「自分のもの」ではないと知るのが智恵である」というダンマパダからのことばである。「降れば濡れ 濡るれば乾く袖の上を 雨とて厭う人ぞはかなき」と一遍上人は言った。煩悩にまみれた自分でいいのだと腹をくくると光が見えてくる。「煩悩 を断ぜずして 涅槃を得るなり」と親鸞聖人も言った。人生さえも借りものである。清々しく生きられるコツがそこかしこにある。「何ものも“自分のもの”で はない、と知るのが知恵であり、苦しみからはなれ、清らかになる道である」と、『ダンマパダ』に書いてある。考えても仕方のないことを、あれこれ思い悩む のは愚かなことだ。「眠れぬ者に夜は長く、疲れた者に一里は長い。真実を知らぬ愚者に生死の道は長い」とも『ダンマパダ』に書いてあった。ちなみに、ダンマパダ(Dhammapada)は、仏陀(ブッダ)の語ったといわれる詩の名詩選で、パーリ語で書かれた原始仏典の一つで、真理の言葉といわれているもの。 ダンマは、真理とか法と言うような意味で、パダは言葉と言うような意味。 26の章に分類され、全部で423の短い詩でできている。 「法句経」(ほっくきょう)として日本に伝わっており、 上座仏教では、このダンマパダが最高の仏教聖典である。それだから、ビルマやスリランカでは、仏教の教えといえば、このダンマパダである。 世界的にも、仏教の基本聖典は、ダンマパダであることは、その翻訳点数の多さからみても、そういえるのだろうと思うのである。 ダンマパダは、もともとが詩の形をとっていたので、時代を経ても、あまり改定されずに現在に伝わっている。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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