今日は薄曇りの天気で日差しが弱いぶんだけ・・・気温が上がらなかった・・・。
今日から・・・東かがわ市引田(ひけた)の讃州井筒屋敷母屋(おもや)で、「井筒屋敷 ひな人形展」が始まり、三月の21日まで展示されているとのこと・・。そこで・・・毎年のことなんだけれど行ってみた。
行ってみたのはいいのだけれど、だあれもいない・・・。確かに・・・二月五日(土)の10時からと書いてあるのに、お客さんもいなければ受付のお姉さんもいない・・。しばらく・・そのあたりを歩いてみるが・・・さっぱりのきっぱりで・・・人っ子一人いない・・・。
十時半過ぎになって・・・ようやく準備が整ったのか受付の娘さんがいたので、中に入れてもらった。入場料は400円で昆布茶のサービス込み。ただし・・お茶は・・セルフサービスとのこと・・。毎年のことだから驚きはしないのだけれど。
こういう・・・飾り方がこの地方の「引田飾り」というもの。ひな壇の両脇に・・・市松人形やら藤娘なんぞの人形ケースを積み上げて並べる・・・。だから、この時期には・・・居間とか客間を独占してしまう・・・。
段飾りは「七段飾り」で、女の子は生まれてから七つの節目を乗り越えるということから。市松人形は大小一対にして両側に並べ、早く美しく育つということから。桃の花を中心にして周りに餅花をつけた柳、椿を扇形に飾って、四方八方に羽ばたけ・・・という意味らしい。右下側のわけぎとはまぐりは・・・1つの株から2~30株に増えることから多くの子宝に恵まれ、ハマグリは家庭を治め、家族が大きく育つようにということらしい。
これは今年初めての出品らしくて、「黒塗り源氏枠御殿飾り」というもので、江戸後期のもの。黒漆塗りだとか。
この立ち雛も名工の手になるもので、江戸後期のものらしい・・・。
これも今年はじめてのもので、雅楽舞のひな人形・・・。これは昭和初期のものらしい・・・。こうしたものが・・・20点ほど展示してある・・・。
一番奥の・・・茶室で、昆布茶を頂きながら・・・眼をやると・・、
高さ・・・五十センチほどの「茶運び人形」が・・・。私も作ったんだけれど、我が家とともに消えてしまったもので、懐かしい思いでながめながら・・・お茶を頂いた・・・。
で、今日のお昼は・・・ここ、うどん店かめびし屋に寄ってみた。ここは・・・定休日が、月曜から金曜日・・・ていうことは、土・日しか営業していないってことだ。ま、「引田ひなまつり」の期間中・・2/27~3/3は、毎日やってる筈なんだけれど・・。
で、ここでしか食べられないという・・「もろみうどん小」をお願いした・・。400円だった。ここは・・・半セルフということだけれど、前料金と、お茶・お水・トッピングのみセルフ・・・という・・ほぼ・・一般店並。食べた後の容器もそのままでいいらしい・・・。
ここは・・・本家・・醤油屋さんらしく、テーブルもイスも・・タル(樽)をそのまんま・・使っている。説明せんでもいいとは思うが、タル(樽)・・・というのはほぼ完全にフタが閉じられているもの。本体とフタが恒常的に接続しているもの。桶(オケ)は、本体とフタが必要な時に外れるもの・・・。
で、これが・・・その・・・「イチオシ」の・・「もろみうどん」だ。普通の・・ゆがいたおうどんの上に、ネギとすりごまが載っていて・・・黒い物がモロミなんだそうだ。これを掻き混ぜて・・・つまりはお醤油をかけたみたいにして食べるってことらしい・・・。ま、醤油うどんよりかは香りもそれらしいし、味も・・・もろみなんだ・・。
この・・赤い・・・べんがら壁がここのトレッドマークらしい・・・。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。
春の海(Haru No Umi) 宮城道雄
娘たちと・・・高知方面に旅行中です・・。
若い頃には・・・っていうと、老人ぽくなるけれど、新年にはその年の希望とか夢とか抱負などというものを考えていたが、60を過ぎてくると・・あれもやったし、これもやったし、あれもとっくにすませたし・・・、などと。
当面の目標は・・・「英国士官レキ」の追跡と調査への旅・・・。幕末の瀬戸内海で何が起きたのか・・。
三月には・・・孫のはやてくんらと・・横浜を訪ね歩く・・。氷川丸、日本丸・・北朝鮮の工作船・・・。そして・・英国測量船シルビア号の軌跡・・・。海と船の資料館を訪ねて歩く・・。
四月にはまたも・・・浦賀だろうか・・。
八月には北海道へ・・。咸臨丸の後ろ姿を追いかけて・・・函館・五稜郭から・・木古内の海へ・・。
今年も咸臨丸なのかなぁ・・。
ま、とにかく・・一日、一日を大切に、ありがたく・・生かさせていただこうかなぁと・・。
じゃぁ、また、明日、きっと会えるといいね・・。
唱歌 1月1日
新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
昨年は咸臨丸渡米150周年ということで、咸臨丸に明け、咸臨丸で暮れた一年でした。夏にははやて君らとサンフランシスコにも行って来ました。秋には塩飽本島で講演会も行ったし、暮れにも屋島で講演を行ったことでした。さぬき広島の「ふれ愛まつり」にも出展するなど、文字通り、咸臨丸浸けの一年でした。今年は咸臨丸の後ろ姿を追いかけて、北海道函館にも行ってみたいものです。
家内もめげずに、元気で介護のお仕事に頑張っています。
そんな私たちですが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
平成23年一月一日
まほろば自然博物館
今日は元日(New Year's Day)。新年の幕開けの日であり、年の初めを祝う国民の祝日として、1948(昭和23)年7月公布・施行の祝日法によって制定された。
元旦は、元日の朝(「旦」は地平線から日が昇るさまを意味した字で、「日の出・朝」の意味)があり、1月1日の朝を指す言葉だから、二日目、三日目・・・には使わない・・・。
初詣というのは、年が明けてから、初めて神社仏閣に参拝することで、仏教徒ならば檀那寺にお参りする。また、一般的には氏神様やその年の恵方に当たる方角の神社にお参りをして、その年の無事と平安を祈る。「恵方」とは、その年の福徳を司る神、「歳徳神」のい所在する方角のことで、何事をするにも最も酔いとされる方角のことで、今年は南南東(巳と午の間の丙)に当たる。
昔は大晦日の夜に社寺にお参りして一度家に戻り、元日の朝になって再び参詣していたが、今では大晦日の夜から出かけて行って、社寺の境内で元旦を迎えるという形も見られるそうだ。
お寺では除夜の鐘を撞き、新年になると「修正会:しゅしょうえ」が営まれる。
新年の挨拶を述べるために、親戚や知人、上司、近所の人々等を訪れることを「年賀」とか「お年賀」という。現在では年賀状でその代りをするようになっているし、元日には遠慮をし、二日目以降に行うことが多くなった。
では、今年一年もまた、よろしくお願いいたします。
四国新聞社が募集していた・・・『読者の投票で選ぶ今年の「県内10大ニュース」』が決まったようである。
1位は「瀬戸内国際芸術祭にぎわう」ということで、七つの島を中心にして国内外作家たちによる現代アートを点在させたらしい。そこに県外・国外などから女性や若者が続々と訪れ、105日間で約93万人を集め、経済効果は日銀試算で111億円にもなったという。
第2位は「多度津沖で海保ヘリ墜落」。佐柳島近くの海上に海上保安庁のヘリコプターが墜落、乗員5人全員が死亡した。この事故で、島に向かう高圧電線が切断されて夏場のことで大騒ぎになった・・・。冷房や冷蔵庫が止まると高齢者の島では死活問題になってしまう・・。
3位は「高松の8月の平均気温が観測史上最高」となったこと・・・。高松の30・4度をはじめ県内観測地点の全地点で過去最高を記録、熱帯夜や猛暑日も軒並み記録的な日数となり、熱中症の搬送者も続出、市民生活に深刻な影響を与えた。だから、最高気温が35度を超える猛暑日も記録更新された・・・。これは全国的なことでもあった・・・。
第四位には真鍋知事が引退し、浜田氏が新知事に選ばれた・・・。
第5位には・・・さぬき市の大串半島で停車中の車が全焼し、中から焼死体が発見され、夫を殺害したという容疑で妻ら二人が逮捕された・・・。
そんな香川県民を癒やして救ってくれたたのが見習い警察犬として人気の「きな子」で、第6位に入った。7回目になる競技会で初優勝し、晴れて嘱託警察犬に採用が決まった。失敗ばかりして・・・警察犬になれないきなこを応援するファンも多く、映画も作られたり、本にもなった。失敗してもあきらめず、チャレンジする「きなこ」がとうとう・・嘱託警察犬になれたということで多くの賞賛が寄せられた・・・。
これまた・・・いいところでミスをしてしまうさぬきのサッカーチーム「カマタマーレ讃岐」。ご存じ、讃岐うどんの「かまたま:釜玉」にちなんだ・・・香川のクラブチームが、とうとう・・念願の「JFL昇格」を決めた・・・。きなこ・・同様に・・・あきらめず頑張ったことが県民に賞賛された。
8位には「こども手当、県内でも支給」というのは・・・全国的なことで・・・、我が家のようなこどもいない家庭では全く話題にもならなかったことだけれど・・。
第9位には「宇高フェリー2社が一時、航路の撤退表明」が入った。高速道路の料金値下げや無料化社会実験などで経営不振に落ち込んだ「宇高:うたか:国道フェリー」と「四国フェリー」が、岡山ー高松間の航路から撤退すると表明したが、その後、顧客や周囲からの存続の声を受けて撤退表明を撤回したが、問題の根本的な解決策はない・・・。
プロ野球入りを目指す選手を育成する独立リーグの「香川ガイナーズ」が同リーグで日本一になった。讃岐弁で、「根性のある・・」とか「強い・・」という意味の「がいな・・」をチーム名にした「香川ガイナーズ」は四国一」にはなることもあったが、とうとう・・日本一にもなることができた・・・。
今年も香川はたいへんな年にはなったけれど、「きなこ」や「カマターレ」、「ガイナーズ」などに励まされて・・どうにか一年を乗り切った感じだろうか・・・。
じゃぁ、また、のちほど・・。
童謡 お正月
クリスマスも終わり、孫たちは朝早くから大阪に向けて出かけて行った・・・。「USJ」に行くのだという・・・。寒いだろうにねぇ・・・。この山の家では小雨なんだけれど・・・山は真っ白に見える・・。山では・・・雪なんだろうな・・・。
で、おこたに入って・・・一休み・・・。
今は・・・電気による赤外線こたつで、炬燵(火燵、こたつ)は日本の暖房器具のひとつである。熱源の上に炬燵櫓(こたつやぐら、炬燵机とも称する)を組み、こたつ布団(炬燵掛けとも)を掛けたもので、布団の中に足を入れて暖をとる。熱源は古くは木炭、豆炭、練炭などを使ってきたが、現在は電気器具になった。
これは・・いつ頃の絵なんだろうかね。明治か大正なんだろうか、それとも江戸時代かも・・。やはり今と同じようだけれど、中はどんなだったろうかね・・・。
こういうのを資料館で見かけたけれど、これでは足は入らないね・・・。お布団を掛けて、足を組むか正座して暖ををとったんやろうか・・。私が子供の頃には・・・
こういうものとか、形がトンネル式とかかまぼこ型みたいなものとか・・、
こういう・・あんかこたつ・・・というものだった・・・。で、いつの頃からか、この上に・・・やぐらを乗せて・・・、
こういう形式になったかな・・・。でも、足を入れていたように思うけれど、これでは足が入らないけれど。記憶違いかなぁ・・。このおこたでは・・木炭を使っていたから・・お布団にもぐると・・一酸化炭素中毒になったし、暴れたりすると・・・灰がこぼれて大騒ぎになった・・・。
現在の「こたつ」の漢字表記はもっぱら「炬燵」であるが室町時代には「火闥」、江戸時代には「火燵」と表記されたというのだから、早い時期から暖房器具として使われていたことがわかる・・。。なお、燵は国字である。また略称として「こた」があるがあまり用いられない。しかし、丁寧語の「お」をつけた「おこた」という言い方は多く女性に用いられてきた。ほかにも「あんか:行火」や湯たんぽもあったが、これはまた別の機会に・・・。
さてだ・・、冒頭の歌・・・「お正月」には、お正月の遊びが出てくる。お正月にはタコあげて、コマを回して遊びましょ・・・というものだった・・・。年末になるとお店の前には「やっこだこ:奴凧」が並べられた者だった・・・。
これに新聞紙でしっぽをつけて、それで高さなんぞを調整した・・・。四角い凧もあるにはあったが、このやっこだこが扱いやすいように思った・・・。それだし・・四角いものはお値段が高いように思った・・・。
それにコマは必需品だった・・・。学校の運動場や教室でも回したし、広場があるとコマを回し合った・・・。
学生服のポケットにはこのコマとヒモが必ず入っていて、この鉄芯でポケットがよく破れた・・・。だからと云って、転んでもこの芯でケガをするようなものはいなかったように思う・・・。
年末に出る新年号の雑誌には特別付録として・・・すごろくや福笑いがついてきた。それもお正月の楽しみだった・・・。
それに・・・「かるた」もあった・・。付録のかるたは紙が薄くて・・・使いにくく、やはり・・お店で買ってもらった「いぬぼうかるた」が楽しかった・・・。「犬も歩けば棒にあたる・・」というので始まったから「いぬぼうかるた」だった。
うちは・・男兄弟だったから・・・まりつきやおいばねなんぞはやらなかった。お正月ってこともないけど、竹馬でも遊んだかな・・・。
おおぉ・・・、雪が激しくなってきた・・・。山は真っ白になってきた・・。我が家ではみぞれみたいで、地面近くでは雨になっている・・・。そろそろ・・クリスマスツリーを片付けて・・玄関に正月飾りでも用意しようかな・・。ゴンの散歩はどうしようか・・・。
じゃぁ、また、夕方に・・・。
香川県丸亀市沖にある、さぬき広島の春の行事に「こんぴらさん」のお祭りがある。海に生活の糧を求め、海で生活し、海に生きるしかなかった島人たちが、こころを込めて信仰してきたおまつりの一つである。
このお祭りは、金刀比羅宮の例祭(毎月十日)に合わせて、四月の十日に行われてきた。だから・・「おとおかのおまつり」と呼び習わせてきた。今年は、十日、十一日に例祭が行われる。で、前日の土曜日には「でごと:出事」として、神社の掃除やら草抜き、社殿の清掃、例祭の準備が行われる。
この「でごと」には、江の浦集落の全員が出ての奉仕作業になる。ここでの歓談やら世間話も楽しいらしいし、役所からの伝達事項もここで連絡される。集落のほぼ全員が顔を合わせるのも、このこんぴらさんや秋の例大祭くらいなものになった。
作業は午前八時からはじまり、およそ十時過ぎには終わる。あとは宮総代さんらが、おしめを作ったり、紙垂(しで)を切ったり、玉串を作ったりする。住民たちは思い思いのお供え物を持ってきたりする。
このこんぴらさんも、昔には別な場所にあったが、明治の「一郷一社令」によって、広島神社の境内に移されたものだとか。娯楽のなかった時代には、おこもりと称して、一晩中世間話に夢中になったとか。今は「宵宮」ということで、二時間ほど、世間話や情報交換を楽しんでいる。
じゃぁ、まあ、来週に会えるといいね。
今日の記事は・・十数年前の写真を参考にした物で、メンバーが大幅にというか・・ほとんど代わっていて・・浦島太郎状態・・。
それはさておき、坂出市の「櫃石島」のお客さんが・・茂浦の「ももて」を見たいというもので、ご招待をしたのはいいんだけれど、当日の朝になって、軽トラが動かない。前日に試験したら・・なんということなく動いたのに・・霜の影響でもないと思うけれど、エンジンが動かない・・・。かからない・・・。かかっても回転が上がらず・・・ダウンしてしまう・・。
仕方がないじゃないか・・。せっかくのお客さんを歩かせて・・島の裏側の茂浦までハイキング・・・。約一時間・・50分・・いや、40分かな・・。
ま、かろうじて・・儀式までには間に合ったんだけれど・・。一同は・・集会場でお食事をする。朝食が八時半から九時過ぎまで・・・。当然・・御神酒も出るし・・ご飯もお汁も出る・・。で・・調子よくなったところで、神社にお参り・・。
「ちょうさじゃ」「ちょうさじゃ・・」と称えながら・・・集会場から・・塩竃神社までお練り・・・。
塩竃神社では、「やまでら<真言宗醍醐派>」の坊さんがお経をあげる・・。「のうまくさーまんだ・・ばーさら・・」浄土真宗の坊さんには理解できないようなことが・・。ま、このあたりでは珍しくないことだから・・私も慣れっこにはなったけれど・・。で・・、みんなは・・この神社を右回りに三回、回ってお参りして、お賽銭を投げ入れる。その後・・記念撮影。
その後・・弓を打つ順番を決める儀式なんぞがあって・・。
これも儀式化してしまっていて、並ぶ順番も打つ組も事前に決まっているらしい・・。
トヤ「上矢それがしでござる。下矢、どなたでござる」
ハヤ「下矢、それがしでござる」以下・・・云々あるが・・ここで省略されてしまった。
時代と共に・・・省略・・簡略されてしまうのもやむを得ない物か・・。
続いて・・「三度弓」が行われる・・。無言で・・一人が二本ずつ三度弓を放つ・・。それを・・三度・・組を替えて・・放つ・・。途中で休憩も入り、御神酒が回される・・。
若者が・・私語をしたり・・ふるまいが悪いと先輩からお叱りが飛ぶ。「ものをいうな!。これは遊びと違うぞ。儀式やぞ!」そういう・・厳格さは守ってほしいもの。厄除け祈願だし、悪魔退降伏・悪鬼退散の儀式だからね・・・。いいものは・・残さないと・・。
この・・賞品がすごいね・・・。うちの江之浦にはこんなにも賞品が並ばなかったと思うけれど・・・。このお酒の本数はすごい・・・。
私は・・ほかの用事やら打ち合わせで・・・早々に失礼した。櫃石からのお客さんには失礼やったけれど、私も早めに戻らないといけなかったし・・。
それだし・・広島プロジェクトの「レキの墓・奥の池・羽節岩」問題を片付けないといけないし・・・。そんな調査やら打ち合わせやら・・確認やら・・。
さてだ・・。今回の私の広島での最高の発見がこれ!公民館脇の道ばたに放置されている・・この石材・・・。実はこれが大切な物なんだけれど、誰もその事実に気づいていない・・・。さて・・、この石は何なんだろうか・・・。気がついた人は手を挙げて下さいな・・・。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。
「報恩講」というのは、私たちの浄土真宗の開祖「親鸞聖人」さまの御命日の法要やね・・。親鸞さまが亡くなられたのは・・1262年の11月28日だとされているらしい・・。その御命日に法要をするのが本当なんだけれど、全国で一斉にその日にすると大混乱になるし、お寺もお坊さんも・・檀家さんも大変やから・・各地で分散して法要をするようになったらしい・・。
特に・・浄土真宗には・・「真宗十派」といって、西本願寺・東本願寺・仏光寺・興正寺・・などという・・それぞれの流派がある。だから・・昨年の十一月あたりから・・全国でそれぞれぞれに・・報恩講が営まれてきたらしい・・。おそらく・・この高松が最後になるんじゃないのかなぁ・・。
この手前の緑の衣の人が「楽:がく」と呼ばれる人たちで、オーケストラというか、楽団やね。この人たちの楽器の音によって、法中(ほっちゅう)と呼ばれるお坊さんが立ち、歩き、座り、合掌し、礼拝し、読経する・・。時にはこのように「合唱隊」にもなる。正式には・・「お清明(しょうみょう)」という・・節のついたお経を読むのだけれど・・。
で・・、この・・正面に・・紫の衣に赤い袈裟を着けた方がいるが、これが・・我が派のご門主さま。真宗興正派のご門主・「華園本顕上人」さまという・・。
で・・奈良県からおいでの清教寺の西本先生の御法話・・。「出会い・ふれあい・おつきあい」・・。今回のご法座のテーマ、「見える世界と見えない世界」のお話やったかな・・。
私たちの目は・・前は見えるが後は見えない。暮らしぶりも・・上は見えるが下は見えない。精神的に・・外面は見えるが内面は見えない。見える世界と見えない世界があるというお話・・。この黒板に書かれた数字は・・親鸞さまが生まれた年と亡くなられた年・・・。
これから見ても・・90歳のお年ということになるね・・。
で・・いきなり・・なんだこれは・・。
これは・・ご坊さんのお隣にある・・勝法寺の高松保育園の園児によるお遊戯・・。「雨まき紋次郎」だって・・・。雨を降らさないと野菜が死ぬし、大雨になるとみんなが困るし・・みたいなお話のお遊戯・・。
あと・・まりと殿さまという・・・なつかしい童謡の披露・・・。「てんてんてまりの手がそれて。。」ていう・・あの童謡・・。あと・・「報恩講の歌」とか・・。
それが終われば・・・おとき。お接待・・・。
今回は・・「しっぽくそば」におにぎりほか・・。しっぽくうどんは得意なんだけれど・・なんとも・・「しっぽくソバ」とはね。でも、文句を言う訳にもいかないもんだから、ありがたくいただくことに・・。普段だと・・・ご飯ものも食べないのだけれど、進められて・・・このおむすびも三個も頂いて・・。しかも・・残っているからと・・おそばも・・頂いて・・。南無阿弥陀仏・・・。
で・・、午後からの・・昼座・・。
やはり・・別院の法要ていうのは・・格式があるっていうか・・お作法がきちんとしてるというか・・。見事なもんだなぁと思う・・・。本山で行われているお作法・・「厳式」ていうんだろうけれど、お坊さんの立ち振る舞い、雅楽の演奏・・お声明(おしょうみょう)、読経・・・すべてが・・・見事・・・。
で・・法要が終わったあとで・・・。
ご門主さまのお言葉・・。華園本顕上人・・・ていう方なんだけれど、うちのご門主さまだ。世が世ならば・・天皇陛下みたいな方か・・お殿様みたいな方やろうね・・。今では・・「社長」なんだろうけれど・・。
この社長の訓示を・・幹部一同・・社員一同が・・・承って・・・みたいなことで・・、法要が終わった・・。
ま。語りつくせない部分はあるのだけれど、今日はここまで。
明日、また、会えるといいね。
「今日は早くに戻って来てよ~。お客さんがお待ちかねなんやから・・」
一度、起こされたらもう寝られない・・・。お布団を片づけてお掃除をして、「今日こそは帰らねば・・・」みたいなことやね・・。
この日はお隣の「立石:たていし」という集落での「ももてまつり」に行こうと誘われている・・・。気分的にはどうでもいいのだけれど、自治会長さん同士の約束があるみたいで・・・。
午前中は散歩をしたり、部屋の片づけをしたり、食材を片づけたり、生ゴミの片づけをして・・・。お昼前から立石八幡神社に向かった・・・。島にはいくつもの神社があるが、「はちまんさん」というのは、ここの立石八幡神社しかない。
ここも・・・廻船問屋だった「尾上吉五郎」さんが大旦那となって寄進を続けてきた神社で、古くは天霧城から落ちのびてきた香川氏が建てた神社だとか。由緒あるお宮さんらしい。
だから・・由緒あるようなお作法で「ももてまつり」が行われる。ここは・・きちんと袴姿に裃をつけている。この三人が「三将弓」というらしい。奥から「はやのはや」「中」「とやのとや」というらしい。
一連の神事があって弓を打つが、まずは「三将弓」から・・・。
まずは・・この大的から・・。ま、準備運動みたいなものだろうか・・。でも、最初はこの大的を外して山の中へ飛び込む矢が続出する。やがてには的に当たるようにはなるんだけれど。
的に当たればごほうびが出るらしい・・。
で、これが「笹」というもので、ここに賞金が飾られる。一等が2500円、二等が2000円・・・みたいに六等まである。
とやのとやを務めた若い衆の多度津水産高校ほかで弓道をやっていた川上くんが一等から三等を独占・・・。賞金6000円と清酒3本を射止めた。さすがやね・・。
私は四等で1000円と参加賞・・・。ま、ゲストやからね・・。
で・・13時からはじめて・・、14時半には行事も終わってお片づけ。ここは厄除とかはないらしい。とにかく・・・一等から六等までが決まればそれでおしまいみたい・・。同じ島なのに、それぞれのやり方があるみたい・・。
で・・・心配してくれた横瀬さんの好意で・・・よこせ丸で丸亀港まで送ってくれて・・・。時間的には16時40分過ぎでないと船がないので、一刻も早く帰りたいと言う思いを叶えてくれて・・・。15時過ぎに江の浦港を出港・・。
多少の風と波とがあったけれど、それを突き切って・・・20分ほどで丸亀港に着き、15時半・・・。一気に走って・・・17時前には自宅に到着・・。やれやれだわ・・。
あとはお荷物を片づけたり、着替えたり・・データを整理したりして夕食には間に合って・・・。
あとは食べたり、飲んだり、お話したりといつものパターン・・。
どうにか・・皆さんともお会いできてやれやれ・・・。皆さんは、明日の朝にはもうお帰りになるというので短い時間だけれど、それなりに楽しんでいただけたのやろうか・・・。
ということで、お正月の予定行事はこれでおしまい・・。なんだかんだとあったけれど、ひとまずこれでしめくくり。また・・・362日の日々の暮らしが始まるわけやね・・。
でも・・早くも娘家族は今週末からの「三連休」を楽しみにしているみたい・・。
私は・・たってき・・七日の日の県立病院の定期予約診察が難関・・・。ここんところずっと飲んでばかりだだからね・・・。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。
大みそかに遅くまで起きていたためか・・この日は七時過ぎに眼が覚めた。それから置きだして部屋を片づけ、簡単な朝食を食べた。ゴミを片づけ、いちおう、部屋の片づけをした。いつでも帰れる準備だけはした。この日に帰れたら帰るつもりにして・・。
で、九時前に広島神社に向かった。「百々手:ももて」祭りの準備のためだ。連日の強風で落ち葉が散乱しているし、まつりの設営もしなくてはならない。柱を並べたり紅白の幕を張ったり、ゴザを敷いたりと少ない人数でやらなくてはいけない。
今年の立ち人は四人になった。喪中の人は神社に入ってはいけないとかの「ブク」の禁忌があるためとか、ま、いろんな事情があるらしい・・。それはそれで仕方のなことだ。それだし、この集落の人口も大きく減ったし、お盆と違って帰省客も少ないらしい。
まつりの準備が整うと、立ち人は竹で作った捨て矢一本ずつを持って、集落内の小さなお宮さんにお参りする。裏恵比寿宮・浜恵比寿宮・牛頭天王宮・貴船神社・天神宮などを回って集落内にまつりが開かれることを触れて回る。
神社にもどると金刀比羅神社だの荒神社などの小宮にもおまいりする。それからまつりが始まって行く。宮総代さんは「ご祈祷」というのだが、私はこの言葉が苦手なもので「まつり」ということにしている。
弓道では一回に二本の矢を持つ。これには「甲矢:はや」と「乙矢:とや」という羽根の向きが違うものを使う。だから、「はや」「とや」の順で打つことからか、一番最初の立ち人を「はやのはや」という。これも名手が受け持ち、最後の人を「とやのとや」という。この人も名手が受け持つ。その間にまぁまぁの人が並ぶ。
で、「はやのはや」が祝詞を読み上げる。
「射ちたてまつる・・ももてご祈祷・・・」
続いて「三度弓」ということで、一人が二本ずつ、「悪魔降伏・悪鬼退散!」と唱えながら・・三回打つ。一人が六本、四人で24本の矢が放たれるということだ。これで・・・射場お祓いするような意味だろうか・・・。
それが終わると休憩してお神酒をいただく・・。
その後・・・広島周辺の神社の名前を読み上げながら矢を放って行く。
「天照皇大神宮・・・」「帝都靖国神社・・・」「広島神社・・・」「羽節大明神・・・」などと・・・二十幾つかの神社の名をあげて矢を打ちこむ。的に当たれば賞品が出る・・。間に休憩が入ったり、お神酒が回されてくるとほろ酔い気分になる。風は強く吹くのだけれど・・・手元には炭火の入った火鉢や手あぶりが用意されているし、熱気がこもって来るとあたたかくなってくる。
これも商品の一つ・・・。ティッシュボックスとかお菓子とかが多くなった。集落の人口が少なくなればお参りの人も少なくなるし、賞品の数も少なくなる。それもまた歴史のひだの一つなおかもしれない。そうした波を繰り返して人は生きてきたのだろうと思う。
それが一段落すると・・お昼の休憩になる。世話役さんが昼食を準備してくれてお神酒やビールもふるまわれる。こうなると・・帰れなくなってしまう。けいこばぁからは「早く帰って来て。お客さんがお待ちなんだから・・」と言われているが・・・それどころやない・・。
神社の中央に焚き火があって、古い枝なんぞを燃やしている周囲で暖をとりながら・・・情報交換やら世間話をしながら昼食を楽しむ・・・。
一時からは・・・それぞれのお願いを読み上げる。お包み袋に「家内安全」とか「健康長寿」とか書いてあるので、それと名前を読み上げながら矢を放つ。
「だれそれさんの・・・かないあんぜんを・・・いのる!」パシッ!・・・。みたいな感じで・・。今年は「やくよけをいのる・・」というのはなかったような。
これも・・・二十数人の名前が読み上げられたような気がする・・。「百々手」というのは・・「たくさんの・・・」みたいなことかなぁと思うけれど、とにかく・・・何本の矢を打ったのかは記憶にない・・・。
前にも書いたけれど、的は28メートル先にある28センチの丸い的だが、見た目には50mも先にあるかのように思うほど小さい。熟練者は百発百中なんだろうけれど、素人には狙って当たるものではない。たまたま・・当たる程度のもの。
今年のももて祭りもなんとか無事に終わって・・・。その後はみんなで後片付け。幕を片付け、ゴザを片付け・・・。元の神社のあったように片付けしまって、平成22年のももてはおしまい・・。やれやれだ・・。
これが・・・今年の賞品・・。案外と的中が少なかったみたい。早めにお風呂に入って冷え切った身体を温めて・・・しばしの休息・・・。
その夜は自治会長さんとの懇談会。あの・・「青き島よりGO!」の中に出てきた・・「平井雅子さん」の詩碑を港前に作ろう・・・という大きな目標を設定したり、咸臨丸渡米150周年をどう記念するか・・・みたいなことで。初夢に終わることのないようにできたらいいね・・。
じゃぁ、また。
とりあえずの予定は終わって・・・なんだかんだかとある中で、ふぅぅっと休憩するような日曜日・・。
目覚めれば・・・驚くような冷え込みよう・・・。初めての氷点下らしい・・。あたりは霜で真っ白けだ・・・。(いつからいつまでが初めてと計算するのかわからなんのだけれど・・)
愛犬ゴンじいさんの散歩をさせたんだけれど・・・あたりは真っ白で掃く息は蒸気を噴き出すやかんみたに見える・・・。ゴンじいさんももうろくしたものか・・・呼吸が冷たさに乱れている・・・。かくいう私も・・・マスクなしではのどがひぃひぃと悲鳴を上げる・・・。そんな冷たさだ・・・。
朝食を食べたあと・・・、はやてちゃんとなぎちゃんのお手伝いでお仏壇のお掃除をすることになった。この孫たちに・・お仏壇とのふれあいを持たせようと考えてのことだった・・・。
お仏壇に一礼のあと、すべての装飾品を外して取り出して並べる。お仏壇の中を空っぽにして・・・ほこりとかを取り払う・・・。お仏壇の中には布巾などは使えない。羽根箒で丁寧にお掃除する。
私が子どものころには・・・「おみがき」といって、真鍮の仏具を専用の塗り薬で磨いたものだったが、今は・・埃を払うだけでいいのだという。金物の質が違うような気がする・・。それだし・・お仏壇のどこにも素手で触ってはならぬという。金箔が汚れてしまうからなのだとか。
ということで、お仏壇のお掃除もなんとか終わって・・一つずつ・・お正月準備が進んでいく。旧宅のお墓の掃除も済ませてきたし・・。
ま、言うと言わんと・・、そういう掃除やかたづけをしないでもお正月は来るし、それで・・なんという困難も苦労も問題もないのだけれど。
掃除もすまないのに、孫たちはもう、ゴンじいさんと遊んでいる・・・。こどもらは・・・犬が好きだ・・。
その後・・孫たちは神戸へと旅立って行った・・・。こどもたちにすれば、冬休みというのは楽しみに待っていた休みの一つでもあるらしい・・。
午後からは・・・NHKののど自慢の特集番組を見たりしてのんびりして日曜日は暮れた・・・。
久々に・・お布団も干したし、梅の木の選定も済ませた・・・。
なんか・・・のんびりとした一日になってしまった・・・。
じゃぁ、また、明日、会えるといいね。
で・・先日に替わりの弦を買ってきたもので張り替えることにした・・。これをやっておかないと正月の百々手神事に弓が使えない・・・。
ところが・・・新しい弦には・・・一方(白端)には「弦輪」という輪が用意されているが、赤端には輪がない。自分の弓の長さに合わせて・・自分で輪を作らないといけない・・。その手順というか、寸法が思い出せない・・・。どの本を見ても・・・そういうことは書いてない・・・。
この・・・細くて短い糸のようなものが「中仕掛け」用の麻糸だ。
弓にはある程度の張力をかけた弦を掛けるのだが、いくらの寸法で輪を作ればいいものか・・・。一応の目安は・・弓と弦の間隔は・・・右手を一杯に伸ばした寸法(親指と中指の長さ)で、15センチから20センチ程度らしい・・。でも・・引っ張って・・・その間隔を調べるのは面倒で難しい・・・。前に使っていた弦があれば、それを参考にすればいいのだが・・それはもう・・洗って干してしまったので長さがわからない・・・。
で・・・いろんな本を調べていると、古い超初心者用のテキストにこういう写真があった・・。
へぇ・・そうなんか・・、こんなことをやったかなぁ・・。すっかりと忘れてしまっていた。でも・・最近の参考書にはこうした記事がないのはなぜなんだろうか・やはり・・面授とか弓道教室なんかでないと教えないのだろうか・・・。(弓道の常識やろが・・・と言われるかな)
輪の作り方は・・・白端の輪を参考にして巻けばそれなりにできあがる・・。
で・・・・、下筈に白端の弦輪を掛けて、弓にまたがって体重をかけて弓を曲げる。で・・弓をたわめておいて赤端の弦輪を上筈に掛けて・・・弦を張る。張り終わると弓と弦の間隔を物差しを当てて計ってみる・・・。15センチ・・・。ぴったりだ。
これが・・「切れ弦」を洗って干したもの。弦をばらばらにほぐしたもので、これで「中仕掛け」を作る。付属の物は細くて短いのできれいにはできあがるけれど、上品すぎて私のようながさつなものにはすぐにほぐれてしまう。
こどものおもちゃの弓は弓の真ん中に矢をつがえて打つのだが、本物の和弓は弓の下から五分の二くらいの所を握り、矢をつがえて打つ・・・。だから・・その位置に「中仕掛け」を巻き付けて補強する。
弦に矢をつがえる部分をマーキングする。上に二センチ、下に五センチだが、私は少し長めに補強する。弦にボンドを塗っておいて、ほぐした麻糸を丁寧に巻いていく。太くならず隙間なく巻き付けていく。太くすると矢をつがえる部分(矢筈)が入らなくなるので打てなくなる。細いと・・矢が安定しないし、弦が傷みやすい。
巻き付けが終わると・・かまぼこ板二枚で挟んでこすり併せてボンドをしみこませて麻糸をしっかりと巻き付けておく。これで乾燥したら完成になる。
これが完成したもの。「中仕掛け」がしっかりと巻き付けてあるのが見えるはず。これで弓が使える状態になった・・・。すぐにでも神社に行って具合を確かめてみたいのだけれど、外は強風が吹いて・・・。
まるで台風がやってきたみたいな風で・・・午前中のフェリーは欠航になったとか・・・。とにかく・・・土曜・日曜と強風が吹いていて・・・なんにもできずじまい・・・。
お風呂に入っては食べ・・飲み・・して、またもお風呂に入って・・・食べて呑んで・・・みたいなことで一日が過ぎた。まるで「おはら庄助さん」みたいやね・・・。
じゃぁ、また。
島の駐在さんの素朴なボケと、島のうどん屋さんの鋭いツッコミとが妙におかしくて・・・笑いをこらえながら・・・久々に大笑いをしてしまったし・・・。定年前の・・おとなしい駐在さんを・・・みんなが尋問するものだから・・。
でも・・朝になると・・・秋晴れのようにすっきりとした朝になった・・。
この秋の例大祭には、丸亀の田潮神社の神職さんがやってきて「お式」をつとめるのだが、ここしばらくは・・奥さまがつとめるようになっている。以前には後継ぎさんのご主人がやってきていたのだが、この時期には・・夫婦でいろんなお宮を回るものらしい・・。
それだし、おじさんが来るよりもおねえさんが来るほうがみんなも喜ぶし、それに・・「鈴舞」という舞を披露してくれるのも楽しみになってるらしい・・。
以前には・・・三班くらいなグループがお頭屋さんになって、おまつりをやってきたが、今年は東西の二班になって、直接にはお頭屋さんがするのだが、みんながお祭りに参加してにぎやかにやりましょう・・・ということになったらしい。なにせ、人が少なくなってしまったもんだから・・。全員というても・・二十数戸で、夫婦で参加する人もあっても・・二十人あまりしか集まらない・・。足が悪いからとか病院に行ってるとかで・・来ない人は来ない・・。
これが・・「鈴舞:すずまい」という舞で、お祓いの儀式用の舞のようだ・・。この鈴の音で悪霊を払うみたいなものらしい・・・。
男性の・・ご主人が来ても、こういう舞はやらないものだし、男の神職さんが舞をやるのも・・・ねぇ・・。
その後・・御霊(みたま)をお神輿に移して・・・。
で・・「行幸:ぎょうこう」・・。おみこしをかついでお旅所まで・・。昨年までは・・・「千早:ちはや」という白い袴や狩衣(かりぎぬ)などを着て・・おみこしをかついだものだが、それも省略・・。神人(じにん)になった人しかおみこしにさわれないのではみんなが参加しにくくなるという理由かららしい・・。
人が少ないということは、文化や民俗・伝習の継続までもが失われてしまう・・・。
お旅所での神事が終わると・・お米と甘酒がふるまわれる・・・。新米を神様に供えたものを・・みんなで頂くというわけだ。
で、お神輿が神社まで戻り、神事が行われて、秋のおまつりは終わる・・・。終わるとすぐに・・お片づけが始まる・・。のぼりやら、幕やら電線、電球・・提灯なんぞ・・・。前の日の準備には・・お手伝いの人がいたけれど、この日には・・その場にいる人がお片づけ・・・。
お神輿なども片づけられ、本殿も拝殿も片づけが終わると・・・ようやくにお昼ご飯の「直会:なおらい」になる。
で・・これまでは、お頭屋さんと、おみこをしをかつぐ「神人:じにん」さん、役員、宮総代なんぞだけが「直会:なおらい」という会食をしていたが、今年からは全員にお弁当が用意されて、みんなでお食事をすることになったらしい・・。
そんなんで・・・ビールをしっかりといただいたもので、この日も島にお泊りになった・・・。夜はまた・・自治会長さんと反省会・・・。
じゃぁ、また。
一人でいると、燃えるゴミも燃えないゴミも生ゴミも出ない・・・。空き缶はなぜか増えてはいるのだけれど・・。
で・・午前八時から・・・広島神社のお祭りの準備、ここでは・・「出事:でごと」というのだが、みんなが集まって、草刈りだの落ち葉の掃除だのをして・・男性はお祭りの準備・・・。女性は本殿や拝殿などのお掃除やら・・と。もう、この「江の浦」という集落でも・・・二十数戸しかないのだという・・。だから・・全員が集まっても・・二十数人ということになる・・。
だから・・昨年にはきれいに草を抜いて、きれいになった境内も・・、今年はトラ刈りみたいになって、草刈り機でなぎ払ったところ、草刈りの残った処などができて・・・・。人が少なくなったということはお掃除にも大きく影響してしまう・・・。
でも・・まぁ、それなりにお祭りの準備ができたようで・・・。十時半には・・ほぼ準備ができた・・。ま、お頭屋さんや、宮総代さんなんぞは、玉ぐしをつくったり、「紙垂:しで」というしめ縄にかざる飾りを切ったりと、ご用事はあるようだけれど、私はそのあたりでお暇をもらって・・・。
早い昼食を食べて・・・高見島経由で・・・佐柳(さなぎ)島へ向かう・・。
ところが・・、「あかつきⅡ」の調子が悪い・・。エンジンの回転が上がらない・・。何かを引きずってるようで・・・・まるで速度が出ない・・。こんなんで高見島まで行くと大変だしなぁ・・。佐柳島のお祭にもいけそうもないなぁ・・と、江の浦海岸周辺を前進したり、後退したり、右に曲がったり左に曲がったり、止まったり進んだりを繰り返していると・・・、燃料パイプの通りが良くなったように・・・鼻筋が通ったように・・・グン・・・と速度が上がるようになった・・。やれやれだ・・・。
で・・高見に少し立ち寄ってから・・・一気に北に進んで・・・佐柳島に着いた・・・。ところが・・お昼休みになっていたもんだか・・人がいない・・。
でも・・午後一時になると・・にぎやかに鉦太鼓の音が聞こえて・・・おみこしがやってきた・・。この島は元気やね・・。広島よりも人口は少ないはずなのに・・こんなにも人がいる・・。観客だって・・・五~六十人くらはゴザに座って見ている・・・。
で・・・「佐乙女会」とかいうご婦人の方の踊りなどが奉納される・・。腰の曲がった人んぞいやしない・・。おそろいの和服に銀色の帯を締めて・・・さっそうたる踊りが繰り広げられる・・。幕間にはカラオケ・・。それも高齢のおばあさんやおじいさんが堂々と歌うんですよ・・。この元気はどこから来るのかしらんと・・圧倒される・・。
これが・・「佐柳ふるさと会」の銭太鼓グループの「ゼニーズ」・・・。この中に・・・「鐡五郎」さんと、「おじょも」さんがいる・・・。
でも・・あんまり・・ゆっくりとしてられない・・。秋の天気は変わりやすい・・。風の出ないうちにおいとまして・・・江の浦港目指して・・・。海上・・15分ほど・・。広島は眼と鼻の先・・・。
で・・係留するのに手間取って・・・なんか・・一人でロープをいじくってると・・知恵の輪みたいになってしまって・・・。大汗をかいたので、お風呂に入り・・夕食を食べてから・・・広島神社の宵宮に・・。
数年前には・・・この拝殿がいっぱいになるほどのお参りがあったのに・・、たった・・こんだけ・・・。この上に、私と自治会長さんと・・。あ・・そうそう・・転勤してきたおまわりさんも呼び出して・・・。おまわりさんに、みんなが「尋問」・・。「おうちはどこな・・」「ご趣味は?」などと・・・。
お参りが少ないので・・・お神酒がどっさりで、すっかりと酔ってしまった・・。それだし・・なんだかんだとのとあった一日やったからねぇ・・。
じゃぁ、また。