まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

桑の実に 遠い昭和の 味を見る

2016年05月30日 | 今日はすっかりと俳句の世界

さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、昼前まで雨の降る所があったが、次第に高気圧に覆われてくるため、昼過ぎからは晴れてきた。気温は18.4度から26.0度、湿度は96%から75%、風は0mから1mの南西の風が少しばかり。明日の31日は高気圧に覆われるため、概ね晴れる見込みらしい。

 

 朝方は小雨。梅雨の走りだろうかと思うような天候になって、少しばかり蒸し暑いかなぁと思うような中途半端な天候。

  

 郵便局や銀行さんに用事があるので、それまでの時間帯に、山の旧宅をのぞいてきた。土曜日に雑草を片付けたところに、早くも草が伸び出してきている。これからは雑草との戦いになりそう・・・。

 

 屋敷跡の桜の木も覗いてみたが、土曜日に刈った草はそのまんま。枯れもせずに元気な様子。曇りや雨では草も枯れない。一気に暑くなってもらいたいもの。

 

 さて、興正学会から「真宗公論」が届いた。

 

 それも十冊も・・・である。こんなにたくさんいただいてもどうしようもない。前回は五冊だったので、どうにか処分できたのだが、10冊ともなると、はてさて、どうしたもんじゃろうかいのぉ。

 

 こういう内容だから、誰も読みたがらないし、ほしがらない。弟たちも一瞥しただけ。まるで猫に小判、馬の耳に念仏、ヌカに釘・・・である。

 

 今週の食材なんぞの買い物を済ませると、もう、お昼。最近の一日はあっという間に過ぎる。

 

 エアコンの交換工事が13時から15時の間・・・という連絡があったので、納め札に書かれた「四文字熟語」の整理の続きをやっていた。地道な作業の積み重ねである。それをしたからと言って、世の中が変わる訳でもないし、世の中の役に立つという研究でもない。それが、「民俗仏教学的研究」である。

 

 そんな地道な研究の中から、思わぬ結果が見えてくることもあるが、多くは徒労に終わってしまう物ばかり。それでもやり始めなければ終わりは来ない。

 

 14時過ぎになって電機屋さんがやってきた。おじさんが室内の工事を担当して、屋外は若い青年がテキパキと動いている。なかなかに呼吸がぴったりのチームである。

 

 こんな重い室外機も、ひょいと抱きかかえて二階まで持ち上げてくるのだから要領がいいのか、コツがあるのか、パワーがあふれているものか。私だったら三段上がったら息が上がってしまいそう。

 

 ちょうど1時間で作業終了。片付けも清掃も早くて手際がいい。これで梅雨時を快適に過ごせそう。実費工事費も、200Vの電源を100Vに切り替える工事費の4320円で済んだ。「古い物を交換するのですから、数万円は覚悟しておいてください」と言われていたので、少しばっかり得をした気分。

 

 今日の掲示板はこれ。「まず動く、心配するのは後でいい」というもの。悩む、否定される、文句を言われるからと動けない人がいる。そこで、「また、今度!」と蓋をしてしまって、結局は何もやらずに文句タラタラ。でも、まず、やってみることが大事。行動を起こすことが大切。そうすれば、開ける道もあるし、開ける扉もある。邪魔や衝突を知るからこそ、得られる結果だってあるものだ。「やりたいぞ!!」、そんな意欲を持った生き方をしてみたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


山吹の 黄色鮮やか 高気圧

2016年04月30日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は7.7度から22.4度、湿度は92%から53%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の5月1日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 連休中の4日が返却日になっていたので、香川県立図書館へやってきた。十日あまりでぐんと緑が濃くなってきた。

 

 今日は土曜日と言うことで子供連れの家族が多かった。で、5冊の本を返却して、6冊の本を借りてきた。別に読みたい本でもなかったが、ついつい、手に取った本・・・。

 

 電子書籍の作り方とか製本に関する本など・・・。どういう本を作れば面白いかなぁ・・と考えたりして。

 

 その後、高松市飯田町にある岩田神社にやってきた。ここが香川ではナンバー1のフジの名所らしい。

 

 近年は、4月26日から5月5日にかけて「藤まつり」が行われているらしい。

 

 期間中にはこうして露店も出ていて、子供たちも賑やかに走り回っていた。

 

 境内では、こうして藤棚の下でお花見をやっていたが、卓上にあるお茶のペットボトルが気になって仕方がなかった。

 

 これが、そのフジの花である。房の長さは2メートルにもなるらしい。

 

 孔雀藤は樹齢約800年。1本の幹から,高さ2m,広さ10.8m×24mの棚いっぱいに広がる。2m以上も垂れ下がる花の姿はすばらしく地区外からの見学者も多い。見ごろは,4月下旬~5月初旬頃。毎年4月26日から藤まつりを開催しており,期間中の休日には弦打地区の各種団体の協力によりお茶席が設けられるという。昭和46年10月,香川県の自然記念物の指定を受けた。ほかにも岩田神社境内には,高松市の名木「イスノキ」もあり,こちらも興味深い。

 

 イスノキは、暖地に自生するマンサク科の常緑高木で、別名、ユスノキ、ユシノキ、ヒョンノキ。この木の葉っぱにはアブラムシの寄生で虫こぶができるのが特徴。あまりきれいなものではないので掲載しない。

 

 境内のツツジもきれいだったが、「躑躅」という字はきれいだとは思えない。一瞬、「ドクロ」かと思ったが、それは「髑髏」で、似ているようだが大違い。

 

 この連休中に田植えをする農家が多いようで、あちらこちらで田植えの準備やら、

 

 田植えをやっている農家も多く見かけた。最近は、田植えだからと言っても、なかなかに会社を休ませてくれるところはないらしい。この時期に有給でも取ろうものなら、「会社と田んぼと、どっちが大事なんだ!」などと言われるようになった。だから、こうした連休に片付けてしまうしかない。

 

 今日の掲示板はこれ。「そのときはそのときです。そのときもそのときです」という、城たいがさんの言葉から。「城 (じょう)たいが」さんは見ているだけで、楽しく元気になれる笑文字(えもじ)の詩画書作家。ユニークな笑顔のお地蔵さんなど、造形作家でもある。人間の根源の愛と笑顔への回帰を訴え、描く詩画書は多くの賛同者を得ている。 宮崎県出身、京都を拠点とし制作活動中である。何か困ったことがあっても、「そのときはそのときです」と、どっしりと構えていたいものではあるが、やはり、ウロキョロしてしまうし、考え込んでもしまう我々である。「そのときも、そのときです」と、言い切れるようになりたいものだが、はてさて・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


もの言わず 今日も暮れたり 山つつじ

2016年04月17日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は16.9度から27.6度、いきなり夏日になった。湿度は80%から60%、風は1mから6mの西南西の風が吹き荒れていた。明日の18日は、気圧の谷の影響で雲が広がり、昼前から昼過ぎは雨の降る所がある見込みらしい。

 

 少し前から、常用しているノートパソコンが奇妙な動き方をしたり、フリーズしたり、滑らかに動いたりと変な感じだったが、今朝になってみると、まったく動かなくなってしまった。何かをしたとか、変なものをダウンロードしたとかということは一切ない。それなのに、まったく、システムが動こうとはしない。

 

 この週末の23日には、おへんろつかさの会の総会があって、その記念講演会に出講する予定なのだが、そのパワーポイント資料も、配布資料も、自治会関係の資料も入ったまんま・・・。このマシンはどうなってもいいが、そのデータがないとたちまち困る。

 

 こんなものを五日で作れと言われても気力が失せて、同じものは二度と作れない。そのために、あちらこちらに保存したのだが、、それは、パソコン本体内のあちらこちらだから、どうにもならない。

 

 こういう配布用の資料とか、

 

 こういう資料は、この20日に配布するもの・・・。こういうものや名簿なんぞも新規に作り直すとなるとたまらない・・・。

 

 あれこれとやってみて、とうとう、ここまでこぎつけた。

 

 そして、とうとう、ここまで復旧することができた。でも、相変わらず、動作が不安定・・・。

 

 大事なデータを、別のハードディスクにバックアップ。とりあえず、必要なものから、マシンが動く間にできるだけ抜き出していく。それを、デスクトップPCなどに複写しておく。

 

 このあたりでは田植えが始まっている。このあたりから、来週、次の大型連休あたりが第一のピーク。そのあとは、オーソドックスな6月上旬あたりから中旬。

 

 データを移送している間に、あれこれと文房具を買ってきた。とりあえず必要なデータは確保できたので一休み状態。夕方には頭の散髪をしてもらった。

 

 ここのところの九州熊本から阿蘇周辺の大地震。油断大敵というけれど、明日は我が身か我が家か・・・というところ。安心なところなんてどこにもない。「しわく広島には津波なんて来ない」と漁師さんはいうていたが、平成16年の18号台風では高潮で我が家の玄関まで海水が押し寄せたし、その年の23号台風では我が家が流された。この日本に、安心なところはどこにもない。

 

 この今の家は、耐震設計、耐震構造で建ててもらったが、土石流はどこからでもやってくる。上流には大きなダムがある。熊本みたいに、地面が裂けたらひとたまりもない。

 

 「新しいマシンだから大丈夫」と思い込んでいたノートパソコンでも、ある日突然に動かなくなってしまう。そうなれば、どうにもならない私がいる。パソコンが動かないと何もできない私がいる。「油断大敵」だなぁと思ったことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分のことは棚に上げ やたら他人の棚卸し」というもの。こういう女性を「棚上げ女」とかと云うそうな・・・。男性だって、多分にそういうことはあるように思う。「最近の若いもんは・・・」とかなんとか・・・。ま、お互いに気を付けたいものではある。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


山桜 散りゆく時を 見逃さず

2016年04月05日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は湿った空気の影響で雲が広がっていた。ときおり日差しが差し込む程度。気温は11.8度から19.2度、湿度は81%から56%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の6日も、気圧の谷や湿った空気の影響で、雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 今日は恒例の火曜日だからと、さぬき市前山の「おへんろ交流サロン」に出かけたが、今週はお休みなのか誰も来なかった。私がメールか電話だかを聞き忘れていたのだろうか・・・。

 

 それでは・・・ということで、香川県立図書館にやってきた。この前に借りた「島四国」に関する本を返却する期限が近づいていたためである。

 

 私が借りた、この本を、誰かがじっと待っているかと思うと、早く返さねば・・・という気が少しばかりするからだ・・・。ま、こういう本は、誰も待ってはいないとは思うのだけれど。

 

 で、今日も大川ダム一周のウォーキングにやってきた。全国的に、桜が満開らしいし、途中で見かけた桜も満開状態だった。でも、ここの桜は、盛りを過ぎて若葉が見えるように鳴った。

 

 ダム公園も、雪が降ったような感じになっている。

 

 陽だまりの桜はすっかりと若葉が萌え出ている。

 

 放水路にはハナイカダ(花筏)ができている。

 

 この109段の階段を踏みしめて昇って・・・ダムの管理用道路を歩いて・・・県道を戻ってくる。いつものコース。

 

 間もなく田植えが始まるので、ダムの貯水量も多くなっている。早いところでは三月末から田植えが始まっていて、このあたりでは、4月から5月にかけての連休の田植えが多くなってきた。台風に遭わないためだという。

 

 ダムの堰堤からは、わが家が小さく見える。

 

 ムラサキツツジも元気に花を開かせている。

 

 そうそう、奥方に頼まれていたお買い物のついでに、これも一緒に買ってきた。これも4月1日から1本10円の値上げだそうだ。

 

 ウォーキングの後の1本はあっという間に食べてしまった。

 

 今日の掲示板はこれ。「るす寺に せい出して咲く 桜かな」という小林一茶の俳句から。こういう句もあった。「いざゝらば 死(しに)げいこせん 花の陰」 見事な桜の花を見て日本人はどういうわけか死を連想するようである。お釈迦様の入滅が2月15日(涅槃会)ということに関係しているのかも知れない。こんな句もあった。「ちる花を屁とも思はぬ御顔哉」、「ちる花や土の西行もうかれ顔」、「大川へ 吹なぐられし 桜哉」、「ちる桜 けふもむちゃくちゃ くらしけり」、「日本は 這入口から さくらかな」、「桜花 何が不足で 散りいそぐ」、「なまけるな いろはにほへと 散桜」・・・。まだまだ、たんとあるらしい。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


何色と 問えば黄色の春の里

2016年03月20日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は8度から17度、湿度は76%から51%、風は1mから3mの北北西の風が少しばかり。明日の21日も引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 さて、午前中はパワーポイントを使っての講演会資料の作成をやっていた。1時間の講演をするための資料だからちょいとした手間がいる。あの画像はどこに保存したんだったか、あの資料はどこのHDDに保存したんだったか・・と、あっちこっち丁稚。

 

 で、今日もさぬき市前山にある「おへんろ交流サロン」に出勤となった。今日は京都から偉い教授がお見えになるので案内をせよ・・という大役である。

 

 それが、この方、小西淳二さんという京都大学の名誉教授で医学博士。小浜病院の名誉院長でもあるらしい。この方がお墓参りに帰郷するのだという。そのついでに、おへんろ資料展示室を訪問されるので、ガイドをせよというのである。昨日の、あの、お墓である。

 

 そのお方がやってくるのが、お昼から・・・と言うていたのが、14時になり、15時になった。だから、合間に、またしてもダム一周のウォーキングをすることになった。

 

 今日は昨日の反対回りに、ダムの堰堤から歩き始めて対岸を通り、流入口から時計回りに戻って来るコース。時間はやっぱり40分だった。さすがに少しばかりかかとが痛むようになった。もともと、右足首を痛めていることもあって、少し負荷がかかると痛みが出て来る。

 

 湖畔の桜はだいぶ蕾が大きくなってきた。来週の土日には開花しそう。さくらまつりはその次の週。満開時期になるだろうか。

 

 郷土の偉人(医人)・・・とでも言うのだろうか、ここの館長さん直々がご案内。お出迎えにはさぬき市長もやってきた。館長は志度寺門前にある自性院の住職さん。自性院には平賀源内さんのお墓があるが、この左から二人目の方が小西さんで杉田玄白記念館設立を目指しているもので意気投合したみたい。スーツ姿の方が弟さん。白髪あたまの方が私どもの渡邊会長。

 

 この、納め札のコーナーになると、渡邊会長が説明役に・・・。

 

 展示をあわただしく見学したあとは会議室で座談会。左から、大山・さぬき市長、ここの副館長の寒川さん、小西淳二さんと弟さん、私の右横には渡邊会長。でも、この四人はよくしゃべる。あたまがいいんだろう。次から次へと言葉が機関銃のように飛び出してくる。

 

 で、お茶の相手にこのおはぎ。おもちや甘い物は大嫌いなんだが、会長が「食べなさい」みたいに目配せするもんだから、しぶしぶ食べた。大切なお客様の前だから残しては失礼・・みたいな気分。おかげで夕食が少ししか食べられなかった。

 

 で、奥様がまたまた能弁家・・・。さぬき市長と会話がはずむ。

 

 小西さん一行がお帰りになって、ようやくに私のお役目も完了・・・。なんか、永い一日になったような印象だった。

 

 今日の掲示板はこれ。「だまされて人間がわかる 失敗して世間がわかる 悲しんで幸せがわかる」という荒了寛さんの言葉から。先日には東日本大震災から五年になった。悲しんで幸せがわかった人も多いはず。人にだまされ、事業に失敗し、多くの人々の悲しみに触れて、「三千大世界」が見渡せるようになってくる。まだまだ・・・そういう世界にはたどり着けない私たちであることか。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


水仙が 精一杯に 手を伸ばす

2016年02月15日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で雲が広がり、弱い雨や雪が降っている所があった。気温は7度から4度と下がってきたし、湿度も68%から80%へと上がってきた。風は3mから4mの西の風が少し強かった。明日の16日は、引き続き寒気の影響で雲が広がりやすいらしい。

 

 昨夜は母、さっちゃんの祥月命日だということで、兄弟・いとこがやってきた。私らの子供の頃には、「法事奉賛孫子の正月」ということで、ほぼ毎月のように、「法事奉賛」を目的にした「宴会」が行われていた。これを「おきゃく」と呼んでいた。その名残で、こうして兄弟・いとこたちが集まってくる。

 

 これが私の兄弟。左から長男の「ひっくん」、二男の「よっくん」、三男の「たっくん」。ともに定年退職の年金生活者。だから、あんまり、豪勢な宴会にはならない・・・。

 

 わずかだが、蕗のとうの天ぷらもある。

 

 最後は、三人兄弟で「フォークソング合唱会」。オンチばかりのでたらめな歌ばっかりだ。

 

 あまりのバカバカしさにハエまでがよろけてこけた。

 

 で、弟やいとこたちは眼が覚めたら飛んで帰っていってしまった。そこで、朝方は気持ちの良い朝だったので、二日酔いの頭で、お泊まり客の布団を干したり、

 

 全ての部屋にも掃除機をかけた。そうそう、我が部屋のエアコンだけれど、「エアコンが止まったり、動いたりするのはどうして?」という質問に、兄弟・いとこが声を合わせて、「氷結!!」だって。「どうしたらエエのん?」と聞くと、「溶けるまで待つ!!」だって・・・。それはアカンなぁ・・・。

 

 ホームセンターで、発泡スチロール板を買ってきた。商品名は「デコパネ」と言うのだそうだ。

 

 これに、カラー印刷した、「納札俵」と「納め札調査」の写真を貼って、展示用パネルを作ってみた。なかなかにいいじゃないか・・と自画自賛。

 

 この、左から二人目の白髪のおじさんが・・・私。真面目にやっとるでしょ。案外と、私の写真ってないものなんだ・・・。

 

 なんで、こんな写真があるんだろう・・・と、よくよく考えていたらば、今日は「おねはん」の日。涅槃会(ねはんえ)は、陰暦2月15日、お釈迦さまの入滅(にゅうめつ)の日に、日本や中国などで勤修される、釈迦の遺徳追慕と報恩のための法要である。現在では、3月15日に行なわれているところもあるらしい。涅槃というのは、ニルヴァーナの訳語であり、迷妄のなくなった心の境地を指す言葉であったが、この場合には、釈迦が亡くなったという意味で用いられている。実際には、お釈迦さまが入滅した月日は不明であり、何伝仏教ではヴァイシャーカ月の満月の日と定められている。ヴァイシャーカ月が、インドの暦では第2の月であることから、中国で2月15日と定めたものであるという。

 

 なんだかんだと言うていたら、にわかに雪が降り始めてきた。大慌てで布団を取り込んでお片付け・・・。片付いたと思ったら雪は止んでしまった・・・。なんじゃらほい。

 

 今日の掲示板はこれ。「本当の宗教心とは ただ一度の人生を 無意味なものにしたくないと 願う心である」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。「祇園精舎(ぎおしょうじゃん)の鐘の声、諸行無常の響きあり」とは平家物語の冒頭の有名な句であるが、お釈迦さまは諸行無常とは、「この世は無常である」 と説き、生あるものは必ず滅び、何一つとして変わらないものは無いと言っておられる。即ちあらゆる現象は変化して止むことがない、人間の存在もそうであり、つくられたものはすべて瞬時たりとも同一のままではないのであり、物事はすべて時間と共に移り変わるということでもある。そんなただ一度の人生を無意味なものにしたくないと願うのは誰しものことではあるまいか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


雪降りは 遊びにも行けない犬

2016年02月07日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われてくるため概ね晴れていたが、夕方からは寒気の影響で雲が広がってきた。気温は2度から8度、湿度は86%から52%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の8日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすいらしい。

 

 朝方の山はうっすらと雪が降ったらしい・・。でも、そんなに冷たい朝ではなかった。

 

 ベランダにもわずかな雪らしいものが・・。でも、犬が大喜びをするような雪ではない。相変わらず、エアコンは冷房モードのままで暖房にはなってくれない。このままだと、夏になると暖房モードになるのかも知れない。かと言って、どうしたら治るんだろうか。エアコンはまだ修理したことがない。

 

 あんまりにも涼しいので、リビングのおこたの上で作業をすることにした。例の「納め札」の現代語訳文作成である。資料館にそのまま展示をしても筆文字が読めない人がいるので、読みやすいように活字に訳す作業である。

 

 これまでは、年号と住所、氏名などをエクセルシートに集計してきたのだけれど、その中から86点を抽出した。さぬき市内の年号や住所氏名がはっきりとわかるものを選んだ訳だ。その選んだ物を、書いてある通りに訳していく訳だ。この中央の「奉納小豆嶋八拾八箇所霊場順拝同行貳人」などと活字にしていく作業である。

 

 目的が決まっているし、用途も決まっているので、パターンというものが見えてくると、「あ、この字はこういうことか・・・」と理解できるようになってくる。ま、読めないものは仕方がないが。

 

 で、こうして訳文をつけていくのである。

 

 こうして、午前中で43件分が処理できた。あと、半分になってきた。

 

 昼からは、奥方が買い物に行こうと言う。今度の日曜日に、母の四回忌のお勤めをするので、その後の「おとき用」。そういうことで、兄弟3人といとこ1人の四人だけ。奥方はまたしてもケアマネの研修会。男ばかり4人が酒盛りしても楽しくはないと思うがいかがなものか。

 

 さて、ときどき、ここで紹介しているのだが、「住宅顕信」の今日はお命日。1987年2月7日、住宅顕信(すみたくけんしん)という俳人がひっそりこの世を去った。享年25歳。浄土真宗本願寺派の僧侶だった。10代はリーゼントにサング ラス、16歳で年上の女性と同棲。22歳出家得度、以後、結婚、白血病の発病、離婚、病室での育児に句作と、普通の人の何倍かの早さと勢いで人生を駆け抜 けた。そんな男の肖像と、ひりひり心ふるわす俳句の詰まった1冊が「住宅顕信読本」。サブタイトルの「若さとはこんな淋しい春なのか」は、彼の句である。

 

 1982年、中央仏教学院の通信教育を受講。翌1983年4月、教育課程修了。7月、西本願寺において得度。浄土真宗本願寺派の僧侶となり、法名を釋顕信と名乗った。10月、同棲相手と結婚。両親の援助により自宅の一部を改造して仏間をつくり、浄土真宗の根本経典「無量寿経」にちなみ、無量寿庵と名付けた。1984年2月、急性骨髄性白血病を発病し岡山市民病院に入院。6月、長男誕生。不治の病の夫に対して妻の実家の希望により離婚。長男は顕信が引き取り、病室にて育てた。10月、自由律俳句雑誌「層雲」の誌友となり、層雲社事務室の池田実吉に師事。この頃より自由律俳句に傾倒し、句作に励むようになった。特に尾崎放哉に心酔した。

 

 故郷岡山の旭川沿いに建てられた顕信の自由律俳句「水滴の ひとつひとつが 笑っている顔だ」というもの。放哉の句をにじませるようなことばを紡いでいる。

 

 私たちは「納得をして生まれてきた訳ではなかったけれど、無駄なことではなかった」と信じたい。そして、「満足をして死んでいくのでもないけれど、空しくはなかった」と信じたい。住宅顕信という俳人の命日に「南無阿弥陀仏」を称えさせていただいたこともありがたいことだと感謝をしたい。

 

 今日の掲示板はこれ。「死ぬからこそ 本当に生きる道を開く」というもの。金子大栄先生の言葉だと記憶している。生まれたいと思った覚えもないのに、生まれていた。年を取りたいと思っていなくても、年を取る。病気になりたいと思っていないのに、病気になる。そして、死にたいと思っていなくても、死んでいくのである。全ては、与えられたものなのだ。とすれば、人生の本当の味わいというのは、人生が与えてくれることを「ご縁」として、謙虚に受け止め、受け入れるところに感じられるものではないだろうか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


冬の日は 右に東に 声がする

2016年01月10日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、寒気や気圧の谷の影響で、山地を中心に雲の広がっている所があった。気温は2度から12度、湿度は70%から56%、風は0mから4mの西北西の風が一時強かった。明日の11日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がる見込みらしい。

 

 さて、今日は地区の「山の神さん」の例祭日ということで、朝の7時からお掃除と準備。でも、6時45分に行くと、もう、みんなが集まっていてお掃除をやっている。あたりはまだまだ薄暗かったのだけれど。

 

 で、7時15分過ぎにはお掃除も終わり、しめ縄も張り終えて準備は終わった。

 

 こうして、山の神さんはきれいになった。昔はここに拝殿があって、お籠もりをしていたらしいが、今は基礎石が残るばかり。今は集会場で直来(なおらい)をやるようになった。

 

 少し休憩して、奥方はさぬき市の小田という地区での行事に出かけて行き、私は弟の「よっくん」の家のご法事に呼ばれている。右の掛け軸は「西国33観音霊場」のものらしい。向かって左側は「小豆島88ヶ所霊場」のお軸である。それにしても数が多いなぁと思ったら、奥の院とかのご朱印も入っている。

 

 般若理趣経のお勤め。若いお坊さんで、はっきりとしていて声が若いから、どうにかついていくことができた。

 

 で、おときはここ、さぬき市昭和という場所にある「日本料理:菊水」さん。

 

 今日はご法事が多いのか、「本日貸し切り」になっていた。「あんたとこのために貸し切りなんか」と言うと、「そんなバカな・・」と言われた。わずか、10名ほどでは貸し切りにはならんわな・・。

 

 これは一部。他にもお刺身だの天ぷらだの茶碗蒸しだの・・と、いろんなものが出てきて、半分も食べられずに残してしまった。どうにも胃袋が小さくなって、豆腐とエビの天ぷらくらいしか入らない。丸残り状態・・・。

 

 だんだんと親戚筋の顔ぶれが少なくなってしまうのはどこも同じか・・・。

 

 家に戻ると、サルが田んぼで日向ぼっこ。カメラを向けても逃げようとはしない。逆ににらみ返すのだからたまらない。ここにも30匹くらいいるのだが、この子だけ撮って戻った。サルも珍しくもなくなってしまっているし・・・。

 

 15時からは「山の神さん」のおまつり。おまつり・・と言っても、神主さんが来る訳でもないし、祝詞をあげる訳でもない。みんなで二礼二拍手一礼しておしまい。あとは座談会に終始する。

 

 こういう感じで、女性が6人、男性が3人、欠席1名の総勢10名の小さな集落の例祭。男性陣は共通の話題がなくて、三名とも無言の1時間・・・。

 

 今日は110番の日・・・ということで、孫のなぎちゃん(向かって左)が、香川県警の「一日通信司令長」を委嘱されたということだった。

 

 あいにくと、お昼のニュースは見られなかったけれど、夜のニュースあたりでも見られるのかな。

 

 今日の掲示板はこれ。「耐えてこそ 蕾ふくらむ 梅の花」というもの。昨年末にはこの冬は暖冬だなんて気象予報士が自信ありげに口を揃えていたが、ここ数日前から”寒の入り”に恥じない気温になってきている。ネットで調べると万葉集で萩についで多く出てくるのが梅で、合計すると119首もあるそうだ。この「耐えてこそ 蕾ふくらむ 梅の花」は、「梅ちゃん先生」の梅子の名前の由来であったが、梅の花は辛い時期に耐えて幸せを迎える象徴的な花なのかも知れない。ふと見ると他の木々も春の準備を始めているようだし、梅の花も紅梅も、少しずつだが花びらが開いているように見える。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


みかん売り 交番脇に 店を出す

2015年12月05日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため、瀬戸内側で雲が広がりやすかったが、概ね晴れていた。気温は7度から14度、湿度は68%から58%、風は1mから6mの西北西の風が一時強かった。明日の6日は、気圧の谷の影響で雲が広がる見込みらしい。

 

 今週も、孫のなぎちゃんのテニスの試合だというので、香川県営運動公園いくしまコートにやってきた。「香川県中学冬季ソフトテニス大会」だというのらしい。

 

 「今日は球場に多くの車が入っていくけど試合があるんかなぁ・・」と、素通り・・。なぎちゃんが、「生島よ」というが、「亀水(たるみ)やろ・・」と、先週の亀水コートに行くと、「ここ、違うの、いくしま・・・よ」という。「じぇじぇじぇ・・・」と、ユーターンして、ここにやってきた。ここにもテニスコートがあることをすっかりと忘れていた。

 

 「今日はお母さんがお迎えに来るから、じぃじはいいよ」と言うので、先週と同じように82番札所の根香寺(ねごろじ)と、81番の白峯寺(しらみねじ)にやってきた。「ジィジはいいよ・・・」と言われても、さりとて行くべき所も思いつかない。

 

 ここには、まだ、紅葉が残っていた。さすがに三脚を提げたカメラマンの姿は見えなかった。紅葉の時期は終わったのだろうか。私もデジイチも愛用のコンパクトカメラも持って来なかった。そこで、非常用のミニ・コンパクトカメラで撮ったもの。

 

 ここには、こんな紅葉が残っていた。本堂前には白衣姿のお遍路さんが3組ほどお参りしていたが、個人でお参りするときには声をあげずに目で読経していた。恥ずかしいんやろうか。それでは本尊様には聞こえないと思うが・・・。

 

 で、先週と同じように、瀬戸内海歴史民俗資料館でトイレ休憩。今日も5時に起床、6時過ぎにわが家を出たもので、トイレに行く間がなかったのだ。

 

 で、帰る途中にある「香川県ミュージアム」にも寄ってみた。「なんか、サルの展示をやっていたなぁ・・」ということで、立ち寄ってみた。平成28年・2016年の干支は、丙申(ひのえさる)。新年・さる年企画として、館蔵品から「さる」に関連する作品を紹介している。

 

 森狙仙(もりそせん・1747~1821年)は、大坂画壇で活躍した絵師で、もとは狩野派の技術を学び、のちに円山応挙(まるやまおうきょ)らの影響を受けて写実を重視するようになった。動物画、ことに猿の絵を得意とし、柔らかで細かな体毛の質感の描き方や、ユーモラスな表情や仕草の描写などに秀でていたという。

 

 三十六人歌合帖:安政4年(1857年)拝領:高松松平家歴史資料からである。「さる」がついた人物と言うと、小倉百人一首に登場する「猿丸大夫(さるまるだゆう)」があげられる。平安時代前期以前の歌人と考えられるが、他の史書に見えず謎の人物とされているという。

 

  昭和時代に明治生まれの女性が作ったもので、全身が赤く、庚申堂(こうしんどう)に祀られる「身代わり猿」と思われる。古くからひな祭りなどに飾られ子どもの災難を祓うとされた「這う子(ほうこ)」や「天児(あまがつ)」と呼ばれる人形と形が似ている。猿の赤い身体の色が魔除けとみなされ、子どものお守りにもなったと考えらるという。(同館パンフレットから)

 

 さて、どこでお弁当を食べようかとウロウロと走っていて、庵治町の高台に神社が見えたのでここにやって来た。皇子神社という。狛犬調査でやって来たのは、もう、十数年前のことになるので、全く記憶にはない神社であった。

 

 で、この高台から屋島や船隠しの海を眺めながら、奥方が作ってくれたお弁当を食べていたが・・・。

 

 このブランコ・・・・。何かで見た記憶があるが・・・。

 

 『世界の中心で、愛をさけぶ』(せかいのちゅうしんで、あいをさけぶ)は、日本の小説家・片山恭一の青春恋愛小説である。小学館より2001年4月に刊行。通称「セカチュー」。2004年以降、漫画化、映画化、テレビドラマ化、ラジオドラマ化、舞台化されているという。

 

 その映画の影響だろうか・・。たくさんの錠前が・・・。

 

 なかには高級そうな錠前も二個三個・・・。ま、幸せになるように・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きるうえで「悩み」はつきものです。 まったく悩みのない人生などあり得ません。生きるということは、すなわち悩みと共に歩くことなのです。という枡野俊明さんのことばから。枡野俊明(ますの しゅんみょう/1953年2月28日-/男性)さんは、神奈川県横浜市出身の曹洞宗の僧侶で作庭家。神奈川県にある建功寺の住職を務める人物であり、禅の 思想と日本の伝統文化に根ざした「禅の庭」の創作活動で国内外から高い評価を獲得。日本造園設計の代表を務めるほか、多摩美術大学環境デザイン学科教授や ブリティッシュコロンビア大学特別教授も兼任している。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


緋のもみじ 南無阿弥陀仏を 包み込み

2015年11月23日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、朝から雨が降っていた。気温は11度から17度、湿度は91%から81%、風は0mm/hから1mm/h程度の小雨だった。明日の24日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がり、明け方まで雨の降る所がある見込みらしい。

 

 昨年の今頃は左目が白内障で車の運転ができずに悶々としていた時期。今年は目がよく見えるために、11月はなんだかんだと走り回っていたような気がする。でも、大きな峠は越えたようで一安心。今日は気が抜けたような放心状態。

 

 歴史研究会での講演やら法話会、まちぶら探検隊におへんろつかさの会のお手伝いやお寺の観光ガイドと慌ただしい11月だった。今月末のうちのお寺の報恩講が終われば、今年は終わったも同然。あとは年賀状だの年末準備・お正月の準備などで12月は終わりそう。

 

 お昼前になって、「お歳暮を送るので一緒に行ってちょうだい」と、車の運転手役を頼まれた。今日は勤労感謝の日でもある。勤労をしていない私は勤労をしている奥方に感謝しなければならないのだと・・・。はいはい、運転手をやりますです・・・・。

 

 この民家の台所のようなお店が、このあたりでは超有名な「かまぼこ屋」さんらしい。次から次からとお客さんがやって来る。奥方はここから「お歳暮」を送ってもらうのだそうだ。

 

 これは、ここの息子さんが書いたポスターらしい。ほほえましい、かわいい絵である。

 

 揚げたばかりの丸てん・・・。

 

 こちらは「細てん」・・・である。「じょうてん、ください」とお客さん、「あら、もう、終わったんですが・・」。「じょうてん、ください」「すみません、もう、出てしまったんですが・・」の連続。このあたりの人は、この竹内の天ぷらで生きているみたい・・・。もちろん、このあたりのスーパーや道の駅でも売っているらしい・・・。お店は、高松市牟礼町原・・・という所。必要な方は検索で調べてみるといい。

 

 奥方が、「今からだと、こがね製麺所やね・・」というので久しぶりにここにやってきた。さぬき市志度にある、「こがね製麺所志度店」である。

 

 11時半前だったが、次から次へとお客さんが入ってくる。人が途切れた瞬間の画像。

 

 久しぶりの「肉うどん」。小の一玉で420円。ずいぶんと高くなったものだ。私のキャッシュカードで奥方のおごり・・・。今日は休日と言うことで家族連れが多い。奥様がお休みしたいときには讃岐ではうどん屋さんが繁盛する。

 

 午後からは、おへんろつかさの会ホームページの更新作業と、私のホームページの更新作業。行事やイベントが終われば「終了」とか「済み」とかの表示を貼り付ける。で、12月が間近になったので、来年1月の行事予定表を作成したが、さすがに来年の予定はまだ何も入っていない・・・。

 

 秋の日はつるべ落とし。曇っていて雨が降れば、あっという間に日が暮れる。

 

 今日の掲示板はこれ。「黒い土に根を張り どぶ水を吸って、なぜ、きれいに咲けるのだろう。私は大勢の愛の中にいて、なぜみにくいことばかり考えているのだろう。」という星野富弘さんの言葉から。先日、ハスとスイレンの違いは何ですか?と尋ねられたが、蓮も睡蓮もともに泥の中で育ち、泥水を吸って育つが、少しも汚れることなく染まることなく花びらを開く。だのに、私たちはきれいな洋服に身を包み、清浄でおいしい食べ物を食べて、きれいであたたかなお布団にくるまれて寝るのに、苦しみに染まり、悪心に汚れ、悩みやそねみにまみれて育つ。こころという感情のなせる業である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

 


赤のまま 今日を終えたり 山もみじ

2015年11月16日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷の接近で夕方から雲が広がる見込みらしい。気温は12度から19度、湿度は84%から69%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の17日は、前線や湿った空気の影響で雲が広がり、昼過ぎから雨が降りやすくなる見込みなのだとか。

 

 そろそろ、五色台の紅葉も始まったかなぁ・・と、四国霊場82番札所の根香(ねごろ)寺に向かっていたら、下笠居小学校を上がったところで止められた。ここから先は通行止めだと言うではないか。聞けば、今日から工事にかかるのだそうだ。それじゃダメじゃん春風亭昇太。

 

 仕方がないから、坂出市側の大崎が鼻から五色台に入り、瀬戸内海歴史民俗資料館経由で根香寺までやってきた。ずいぶんと大回りのめっちゃ遠いコース。お遍路さんだか紅葉見物の人だかの車の列も続いている。

 

 山門にはこんな看板が・・・。今週末の連休には大勢のカメラマンが集まるのを予想しての看板らしい。ここも紅葉の名所だから、お遍路さんよりもカメラマンが多かったりする。それだし、ここの駐車場は狭い。ま、日曜・休日には通行止めは解除されるらしいが。

 

 今日の根香寺の紅葉はこのあたりだけ。この週末でも紅葉はあんまり進まないと思う。

 

 再度、通行止めのお知らせを掲載しておく。

 

 それでは・・・ということで、81番札所の白峯寺にやってきたら・・・。ここにも、こんな看板が。確かにここも駐車場が狭い。それに境内も狭いので、大きな三脚を開かれたらお遍路さんには迷惑だ。だから、ここにお邪魔するのは諦めた。

 

 でも、せっかく、ここまで来たのだからと、この「崇徳天皇陵」でも・・・と、脇道に入った。

 

 これが、保元の乱に敗れて讃岐に流された崇徳上皇のお墓(稜)である。このお話は土曜日の渡邊会長の講義で聴いたばかり・・。天皇でありながら火葬にされたというお話である。それほどに都では恐れられたのであろう。

 

 このあたりは広葉樹が少ないからか紅葉も見えない。

 

 天皇陵から白峯寺に入ってくると、少しばかり紅葉が見られた。ああいう看板を立ててあっても、カメラの三脚を立てて堂々と写真を撮っている中年のおやじさんが何組もいる。図々しいというか、厚かましいというか・・。マナーが悪いというか、ルールを守れないというか・・・。

 

 で、何日ぶりかで、88番札所の大窪寺にやってきた。ここもすごいカメラの放列・・・。お遍路さんの姿も多くなったが、紅葉見物の人も多い。最近のお遍路さんもスマホをかざしている。

 

 こうして見るとすぐに分かるが、白衣を着ておられるお遍路さんはバスツアーの方。手前の白衣を着ていないお遍路さんは家族連れのマイカーでのお参り。中にはマイカーでも白衣をちゃんと着ておられる方もいるけれど、おおよそは、そういうことらしい。

 

 空が曇ってきたので大慌てでわが家に向かった。お布団や洗濯物を取り込まなければ・・・。雨に濡らしたら面倒なことになる。

 

 今日、坂出で見つけた掲示板がこれ。「葉を落とし 凛と冬待つ 桜かな」というもの。私には落とす物もなく捨てる物もなく、煩悩や欲望を抱えたまんまで漫然と冬を待っている。秋が過ぎるなら過ぎるでいい。冬が来るなら来るでいい。桜のように生きられないのは覚悟の上だ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


舞う落ち葉 黙って見ている 午後である

2015年11月12日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は12度から17度、湿度は80%から49%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の13日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夜には雨が降る見込みらしい。

 

 先日の丸亀市での歴史講演会の後で、「今回のパワーポイントの画面コピーが欲しい・・・」という熱心な方がおいでになって、半分、面倒だし・・、半分、また、赤字になるし・・・ということで、お断りしたのだが、どうしても・・というので、シートを印刷して製本した。

 

 先日には、塩飽本島の学校の先生から、「本島の民俗と歴史」という本が是非とも欲しいので送って欲しい・・」という依頼があって、その二冊を郵便局から送ることにした。多くの場合、本を送っても礼状の一枚も来ない。だから、いつもお断りはするのだけれど。そうそう、国立国会図書館だって、「送れ、送れ」と言うだけで、ハガキの一枚の礼状も来ない。

 

 愚痴ばかりこぼしても意味がないので、今日は、ここの「タイム取り」。この、土曜日のまちぶら探検隊の「みろく公園編」。どういうルートで案内すれば時間が節約できるか・・ということで、三コースを実際に走ってみて、歩いてみて、時間を計測した。

 

 あの、菊池寛の小説「恩讐の彼方に」の讃岐版の隧道である。この石穴の現物を見てから、「さぬき市歴史民俗資料館」に向かう。現物を見てから説明する方が理解しやすいだろうと・・・。

 

 こちらが「さぬき市歴史民俗資料館」で、この建物は、「伝習館」で、この建物の向こう側に、本館の資料館がある。

 

 伝習館の入り口を入ると、このようなジオラマがある。ま、こんなことで、トンネルを掘ったのだろう・・という想像風景である。この隧道の中は、おとながかがんで(背を曲げて)通れるだけの高さである。

 

 この資料館からさぬき市末にある「田舎カフェ樹樹」まで行って、その時間を計り、そこからユーターンして、この「霊芝(れいし)寺」に寄る。ここは数分の距離。ここは「高野山真言宗」の寺院で、高松藩主のお墓がある。そのお墓を見学する予定。

 

 こちらが霊芝寺さんの本堂で、本尊は十一面観音。高松藩初代藩主・松平頼重公が再興し、二代藩主・頼常が東林山霊芝寺と名を改めたのだとか。

 

 これが、二代藩主・常公と十代藩主・頼恕公の墓地への石段であるが、これが実に歩きにくい。高さが一定ではなく、また、奥行きもバラバラ・・。どうやって歩けばいいのかと思案する。それに、食後のおなかには遠く思える。

 

 その先には、このような門があって施錠されている。当日は、開けてくれている筈。高松松平藩は浄土宗のため、仏生山法然寺が菩提寺で、その裏手山頂に「般若台」という一族の墓地があるが、この二代目と十代目だけは水戸藩から来たために、実父水戸光圀公にならって「儒教方式」のお墓になっている。

 

 これが、上の門を入ったところにある「御霊家」で、位牌所と呼ばれているもの。

 

 その先にも階段ばかりが続いている。どうにも坂道や石段は苦手なのである。それだし、土曜日は天候が悪そう・・・。

 

 ここのイチョウはこれからみたい。ここで、「落ち葉相撲」ができそうだ。

 

 と言うことで、旅程表ができた。あとは、当日の天候と、私の体調次第・・・。頼みますぞ。

 

 今日の掲示板はこれ。「掃けば散り 払えばまたもちり積もる 人の心も 庭の落ち葉も」というもの。道歌というものらしい。私たちのこころには、毎日毎日、塵や埃や芥が降り積もる。あれが欲しい、これも欲しいという気持ちが巻き起こり、あいつはけしからんだの、この俺こそが正しいのだという、さまざまな感情が沸き立って、それが降り積もっていく。積もるのであれば、そういうものを払えばいいだけのことであるし、掃き飛ばせばいいのだけれど、こころの塵は掃き飛ばせない。道路を走っていると、毎朝毎朝、自分の家の前や庭先はきれいに掃除をしているが、どうして自分のこころの庭に降り積もったゴミや埃や塵を、掃き捨ててしまわないのだろうか・・・、と、思う事である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


秋時雨れ 洗濯物を 干し忘れ

2015年11月02日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市国地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は10度から18度、湿度は84%から72%、降水量は0mm/hから4mm/h、風は1mから4mの南西の風が肌寒かった。明日の3日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 夜中から昼前にかけてシトシトと静かに降る秋雨になった。だから朝の6時半になっても薄暗かった。

 

 奥方は今日から正式に正社員としてのケアマネの職に就くというので、暗い内から起き出してなにやらガサゴソとやっていた。おかげで私も暗い内から起こされて、なんだか寝不足気味。

 

 一連のドローン騒ぎからか、一ヶ月ごとに送られて来る部品が、ここのところ、二ヶ月分をまとめて、二週間ずつくらいに送られて来る。面倒だから・・・とそのまんまにしておくと、気が付けば8回分、八ヶ月分が盛り上がってきた。「それじゃあダメじゃん春風亭昇太」ということで、組み立て工事を再開したが・・・。

 

 このブロックを積載して、四隅のコネクタにワイヤーを接続しようとしてハタと困った。後部右側のコードと前部右のコードが入れ替わっていて長短が合わずに接続できない。必要な箇所を解体して、部品を取り出して、交換して、再び、カバーを取り付けて・・。

 

 順番通りに、指定された通りに取り付けたつもりなのに・・。部品の位置や方向などの指定が曖昧なのだ。午前中には、配達された39号までは組み立て完了。でも、最後の57号までにはほど遠い・・・。予定では来年の四月上旬に到着予定・・・。

 

 11月8日の、しわく広島のふれ愛まつりに出展する資料は完成して、先日に島に運んだ。次は、7日に丸亀市で行う講演会用のパワポの資料整備・・・。

 

 これまでに使った資料を、加筆訂正修正して使い回す訳だ。

 

 次に、14日の「町ぶら探検隊」に資料追加ということで、霊芝寺さんにある、高松藩主さんのお墓の資料集め・・・。

 

 高松藩主は代々浄土宗ということで、仏生山法然寺の山頂にある「般若台」に墓地がある。しかしのかかし、二代目と九代目の藩主は水戸藩から養子として入ったために、「儒教」ということで、この霊芝寺(れいしじ)に立派なお墓がある。ここを、特別に開けていただけることになって、特別に追加されたもの。

 

 ついでに、津田の松原にも行って来て、ここにも追加の碑があった。

 

 これが、その「琴林碑」と言われるものである。「こんな立派な名勝があるのに、田舎だから少しも有名になれないので、先生に何か一筆書いていただきたいと、男とがやってきたので、一筆したためたぞ」というようなことを書いてある。

 

 そのついでに、町内の医院に立ち寄って、インフルエンザの予防注射をしてもらっておくことにした。さぬき市の方から書類が届いていたので、それを持って行くと安くなるとかだったもので。

 

 問診票に記入して出すと、体温計を渡させて体温を測った。36.2度であった。その後聴診があって、注射を受けて10分ほどで終わった。費用は1000円だった。

 

 今月の土日は全て予定でふさがっている。だから、早めに予防接種が良かろうと思って・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「毎日の不思議を見逃さない そんな感性を持ち続けたい」というもの。見渡せば、私たちの回りには不思議がいっぱい。この私が生きているのも不思議だし、となりの奥さんが生きているのも不思議なはなし。草が伸びるのも花が咲くのも不思議と言えばふしぎなもの。そんな不思議を見逃さない感性をいつまでも持ち続けていきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


つわぶきは 自分の時間を 生きている

2015年10月30日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 丸亀市地方は気圧の谷や寒気の影響で雲が広がっていた。気温は13度から20度、湿度は70%から56%、風は1mから3mの西北西の風が少しばかり。明日の31日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 台所の流しの下をごそごそやっていたら出てきた、このウィスキー・・。物珍しくて、おいしくて・・・朝になって気が付けば半分ほどになっていた。だから・・・眠たくて、頭が重くて、胃がむかむかして・・・。目が覚めたのは7時半だった。

 

 眠気覚ましに島を散歩してみた。このしわく広島は「採石の島」。「青木石」という花崗岩を産出する。石材以外の産業はない。農家が数件。稲作農家は三軒になった。島の広報誌を見ると、この広島だけで、275人の180世帯。20年前の平成7年に私が移住したときは642人。この2人が私と奥方のけいこばぁだった。20年で半分以下の43%になっている。

 

 柿は実っても、それを採る人は居ない。

 

 空き家は屋根が崩れ、草に呑み込まれてしまった。大きくて立派なおうちが、こうして草や竹藪に呑み込まれてしまっている。

 

 30分ほどの散歩から戻って来たわが家。ここもいつまであるかわからない。この、茶色い葉っぱの木がケヤキの木。小指ほどの太さの木を山の家から移植したのが、こんなに大きくなった。この木も、屋根の高さまでに切ってしまいたいのだが、今日は手足が痛くてどうにもならない。

 

 さて、私が島に帰っているのに気が付いて、こんなお手紙を持って来てくれた。

 

 こんな絵本と一緒にである。

 

 この絵本には、「坊主屋敷」と「宮島さん」という二つのお話が掲載されていて、美大生が絵を描いている。

 

 そして、もう一冊。この島歩きマップである。このしわく広島は「瀬戸芸」には参加していないが、毎年、「ホット・サンダル」というプロジェクトが動いており、各地の美大生が夏休みにやってきて、それぞれの島に泊まり込んで作品を作り上げている。この冊子は、それとは関係ないが、これら三つの島の島歩きのための地図である。

 

 中身はこのようなもの。広島の7つの集落と、手島、小手島の島歩きの案内用の地図である。これがあれば、島歩きは完璧だ。

 

 このマップを参考にして島を回ってみた。ここは島の東部にある「立石」という集落。

 

 このお姉さんに野菜をいただいたりするが、今日はみかんをいただいた。

 

 島のどことも草と竹と柿の実が印象的だった。

 

 島の家には掲示板のデータは持って来ていないので、まだ、少しばかり早いのだが、これ。「形見とて何か残さん 春は花 夏ほととぎす 秋はもみじ葉」という良寛さんの言葉から。「私の形見に何か残しましょう。春は桜が満開になったらそれは私です。夏にほととぎすが渡ってきて鳴いたらそれが私です。秋になってもみじが美しく色づいたらそこに私の心があります。みなさん、それらを私の形見にいたしましょう。 」ということだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

 


すっかりと 秋一色に 塗った空

2015年10月29日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 香川県地方は寒気や気圧の谷の影響で雲の広がっている所があったが、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は11度から21度、湿度は72%から46%、風は1mから3mの西南西の風が一時は強かった。明日の30日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 朝ドラが終わるとすぐに家を出て、丸亀港には10時過ぎに到着。食材や缶ビールなんぞを仕入れて11時10分の高速艇「ニュービサン」に乗る。降りる乗客は十数名で乗る乗客は6名。

 

 これが高速艇のニュービサン。ニュービサンは19総トン、航海速力20トン、旅客定員は74名。丸亀港としわく広島の江の浦港とを海上20分で結んでいる。

 

 定刻どおりに丸亀港を出港してしわく広島に向かう・・・。

 

 この日は西風が強かったのだが、船は東へ東へと進んで、塩飽本島方向に進んで行く・・・。右の島が牛島、左側は本島(ほんじま)。あれれのれ・・・。

 

 すると急に転舵(てんだ)・・。そうか、この船を交わすために牛島方向に進んで、この船の船尾を抜けて広島に向かうのか・・。それにしても、なんだ、この船は・・。「広島丸」とは何なんだ・・・。

 

 国立広島商船高等専門学校 練習船広島丸・・・。そんな海員学校があったのか・・・。 練習船広島丸は、商船学科学生の航海実習・実験実習や学術研究(教員・企業・大学などの研究機関との共同研究)に使われているらしい・また、地元の人たち との交流及び海や船に関心を持ってもらうために、この船を活用した公開講座や瀬戸内海各地での海上教室・体験航海・一般航海を行っているとのこと。

 

 この船と並走したのち、ニュービサンは江の浦港に入港した。

 

 これが、その、練習船広島丸である。

 

 で、挨拶代わりに島一周のドライブに出た。これはお隣の島の「佐柳(さなぎ)島」である。今月上旬にお邪魔したしたところ。

 

 で、茂浦という集落にできたという「ひるねこ」という宿泊所をのぞいてみた。空き家になっていた民家を修理してオープンさせたところらしい。

http://nozomikobayashi.com/archives/38126403.html

https://www.facebook.com/%E3%81%B2%E3%82%8B%E3%81%AD%E3%81%93-786366944803509/

 

 一方、こちらは、甲路(こうろ)という地区にできたという、「ココカラ・ハウス」。地域の家とか、塩飽広島秘密基地とか、よくわからない団体さんの基地らしい。

https://www.facebook.com/cocokarahouse/photos

 

 夕方からは庭木の剪定作業。ケヤキの木が大きくなりすぎたので枝を切り詰めようと思ったのだが、ケヤキというのは樹木の密度が高くて硬くて硬くて・・・。すぐに腕や足が痛くなって、このくらいの剪定で一次はおしまい。大きなノコが必要だし、靴底の硬いものでないと足が痛い。

 

 これが、今回、運んできた帆船模型。ここの自治会長さんのお孫さん(小学生)が作った、紙の咸臨丸を、島の文化祭に出す・・というので、うちの孫が小学生のときに作った・・・という、ダンボール製の咸臨丸も並べたい・・・ということで運んできたもの。一応、「中黒長旗」も付いている。

 

 今日の掲示板は意味もなくこれ。「金をつかむ者は人を見ず 鹿をおう者は山を見ず」という中国の古い言葉から。大金をつかもうと一生懸命になっている日とは、そばに人が居るのに少しも目には入らない。それと同じように鹿を追いかけている漁師はあたりの山がどうであるかを見ている余裕がない。欲に目がくらんでしまうと、たちまちにして洞察力が失われるという教えである。とかく自分のことに打ち込むとき、周囲のことを忘れるものである。常に全体の姿を見ることが大切である。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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