まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

梅雨明けを 待つ勢いの たちあおい

2017年06月30日 | たまには旅など・・。

 四国地方は、梅雨前線や湿った空気の影響で、太平洋側を中心に雨が降り、雷を伴い非常に激しい雨となっている所があった。気温は21.4度から27.3度、湿度は98%から72%、風は1mから4mの西北西の風が一時は強かった。

 

 かねてから、奥方のけいこばぁが、「室戸の海を見てみたい・・・」と、言うていたのだが、私は、そんなものは見たくないので相手にしなかったのだし、右目が見えにくくなっているし、30分ごとにトイレに行くので、旅などしたくなかったのだ。

 

 奥方は、仕事場が変わるので、今は退職手当のなんたらでお休み中。そこで、私の下の弟、「たっくん」を運転手にし、おとなりのおばさんを連れてのドライブを決めてしまった。そこで、仕方なく、高速道路を使わずに、国道11号線を走って、徳島市内へ・・・。

 

 天候は、梅雨時の晴れたり曇ったり、雨が降ったりの不順な状態。30分ごとに、コンビニなんぞでトイレ休憩なんぞをしてもらって、国道55号線を南下して、徳島市内から小松島・阿南経由で、美波町へ。

 

 で、こうした道の駅・日和佐などでトイレ休憩とか簡単な運動とか散歩。車に乗ったまんまでは身体が痛くなるし、エコノミー症候群になる。ご婦人たちは野菜なんぞのお買い物。私はちくわなんぞを買ったが、おひるの弁当のおかずになった。

 

 ここには足湯なんぞもあったが、そんな余裕はなかった。

 

 徳島と高知県の境目あたりにある「宍喰町」の道の駅でもトイレ休憩。おしっこをするために行ったようなものだ。天候は悪いし、さりとて、お土産にするようなものもない。

 

 室戸岬はまだまだ先のほう・・。歩きへんろの方は、23番薬王寺から24番の最御崎寺までは遠いと思った。ここをてくてくと歩くとどれだけかかるんだろうかと、他人事ながら心配になった。

 

 正午を少し過ぎて、室戸岬に到着。小雨の中でお弁当を食べた。

 

 でも、つめたいお弁当だけれど、みんなで食べるお弁当は少しばかり、おいしいと、完食をしてしまった。

 

 岬近くの露店のおじさんが、「ここからだと、南国経由が近いよ・・」と言うので、ユーターンをせずに高知県の南国市に向かった。この区間はノンストップ。

 

 高知自動車道の南国IC手前の、「道の駅南国」で、トイレ休憩と最後のお買い物。ご婦人たちは野菜をどっさりと買った。南国ICから一区間、大豊ICを走って降りて、今度は国道32号線を走って、三次市の井川池田ICから徳島自動車道に乗り、脇町ICで降りた。

 

 そこからは、国道193号線を北上して、さぬき市に戻った。夜は飲んで食べてのカラオケになった。はぁ~、長い一日になったことだった。

 

 六月も最終日だから、期限ぎりぎりでの今日の掲示板になった。「欲を減らせば苦しみも減らせる」というもの。苦しみの原因は、無知と執着であると言う。知ることは、苦しみを減らすカギになり、人それぞれが抱える苦悩を知ることで、和らぐ苦しみがある。失敗から学ぶことによって、追い払える苦しみもある。執着とは、不要なものに、しがみついているところから生ま出て来る。思い込みや執着を手放せば、苦しみが減るかも知れない。執着をゼロにすることはできなくても、減らすことは可能であり、苦しみをゼロにはできなくても、減らすことは可能にはなる。でも。欲を持ったまま、苦を持ったまんまの生き方もまた、大切ではないのかと思う今日このごろ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


寝転べば 梅雨の合間の 夢うつつ

2017年06月10日 | たまには旅など・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷が接近するため、夕方から雲が広がってきた。気温は19.0度から29.2度、湿度は82%から47%、風は3mから5mの西の風が心地よかった。明日の11日は、前線や湿った空気の影響で曇り、明け方から夕方は雨の降る所がある見込みらしい。

 

 今日は、「特別研修」ということで、徳島方面へのバスツアーの日。申し込みの数が少ないからと誘われた。で、高松自動車道の「津田の松原SA」で待ち合わせて、バスに乗り込んだ。

 

 今日のツアーは、徳島県の13番札所大日寺から17番の井戸寺までを歩くのだという。歩く距離は7Km程度だというので、歩いてみようかと思った訳だ。ところがバスに乗って渡された資料には、「12.3Km」と書いてある。歩けるのだろうか・・・。

 

 まずは、13番大日寺から・・・。この頃は、みんな、元気いっぱい。冗談がぽんぽんと出ていた。

 

 しあわせ観音様にもご挨拶。前の「一宮神社」も散策しておいた。

 

 そこから、14番常楽寺までの遍路道も元気いっぱい。暑さもそんなに苦にならない。

 

 私は、広報担当ということで、皆さんについて歩くだけ。いや、ついて歩くだけで精一杯。お寺に着けば、真っ先にトイレに駆け込む。

 

 15番国分寺さんは本堂ほかの工事中。この頃になると、気温もぐんぐんと上昇してきた。

 

 だから、仮本堂におまいりしている。みなさん、経本なしでおつとめをしているから立派なものだ。お遍路し慣れている感じ。今回の参加者は19名。

 

 15番さんから、ほぼ、北に1Knほど歩いて行って、考古資料館で休憩。そこでお弁当タイム。屋外の東屋で心地よい風を受けての昼食。

 

 その後は各自、館内を見学する。このあたりからは、こうした「銅鐸」がたくさん発見されたのだという。でも、香川県からは一枚も発見されていないのだとか。そのあたりの文化の流れというものが微妙なところ。

 

 11時半に資料館を出て、16番の観音寺まではおよそ1.6Km。この頃からすこしばかり右足のくるぶしあたりが痛み出してきたし、トイレの回数も多くなってきた。

 

 本日最後の17番井戸寺までは4.1Km、途中のコンビニで水分補給の休憩をとってくれたのだが、右足の痛みは激しくなる一方。昔、崖から飛び降りて骨折した跡である。脂汗を流しながら歩きつめてのゴールイン。そこからはバスで帰途につく。

 

 最後は眉山前の「阿波踊り会館」でのお買い物タイム。私はトイレに何回も駆け込んでいた。

 

 今日の掲示板はこれ。「恥かく汗かく頭かく 人間が人間らしく生きるため」というもので、いつもの赤松先生のお寺の掲示板からである。松本 梶丸(まつもと かじまる、1938年11月6日~2008年6月4日)は、浄土真宗の僧侶で石川県松任市生まれ。1961年大谷大学仏教学科卒業。真宗大谷派宗務所出版部、研修部勤務を経て、真宗大谷派本誓寺住職だった。私たちは恥もかく、汗もかく。冷や汗はもっとかく。頭などはかき通しだ。でも、それでいいじゃないか。私たちは生きているんだ。人間が人間らしく生きているんだ。汗もかかず、頭もかかず、無恥な言動を繰り返している人たちよりもりっぱな生き方ではないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


水無月の 京の都に 立ちたれど

2016年06月06日 | たまには旅など・・。

 今日の京都地方は高気圧に覆われて晴れていたが、午後は気圧の谷や湿った空気の影響で次第に雲が広がるらしい。気温は16.8度から29.3度、湿度は96%から52%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の7日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、昼過ぎからは断続的に雨が降る見込みらしい。大気の状態が不安定となるため、雷を伴うところがあるという。

 

 さぬき市や東かがわ市あたりは朝から曇っていて雨でも降るのか・・というような雲行きだったので、傘をどうしようかと考えていたが、荷物になるからとおいてきた。で、9時22分発の高速バスに乗るのに、1時間前の8時過ぎに、ここに来てしまった。帰るのも意味がないと考えて、そのまんま、ここでバスを待っていた。いや、別に慌てた訳ではないし、急いだ訳でもない。単なる時計の見間違いだった。

 

 昨夜は22時過ぎには寝たのだが、どういうわけかバスの中では熟睡してしまっていた。昨日、一昨日のバタバタで気疲れしていたんだろうか。他人さんがいる前で寝るということはできない私なんだけれど。

 

 天王山トンネル内での工事があって、その渋滞の影響で20分遅れでJR京都駅烏丸口には12時35分着になった。相変わらず修学旅行生と外国人の声が多い。

 

 例年の通り、まずは東本願寺さんにおまいりをする。工事も終わってきれいな建物になっている。

 

 コンビニやその周辺に若いお坊さんが多く歩いていたが、こういう、修学旅行生の案内をやっている。予定時間や帰宅時間を聞いて、生徒さんたちを案内したり、こういう、記念撮影までやっている。もちろん、おとなの方たちを案内するガイドさん役もやってる。

 

 たまげたのは、こんな風に乗用車が走っていることだった。むろん、許可を得た車か業者さんだろうが、クラッシャーランをバリバリときしませて走り抜けていくのには驚いた。

 

 次いで本願寺さんへもご挨拶を。

 

 ここにも修学旅行生や外国からの観光客がいたが、東本願寺ほどでもなかった。最近は数人の少ないグループ(班みたいな)になり、タクシーでそれぞれの名所を回り、運転手さんがガイドするようになっているらしい。

 

 そういえば、先週に、京都にやってきて、六波羅蜜寺の見学や三十三間堂や東寺の仏像をお勉強に来たのだった。ずいぶんと昔のことのように思ったが、先週の日曜日のことだった。

 

 みなさん、お土産を手にしているが、ここはグループではなくて集団行動になっている。この子たちは中学生みたい。リュックザックにお土産の紙袋というスタイル。白のズック靴がかわいいなぁと思う。

 

 一本、筋が違えば生徒さんはいない。ま、こういうお店には中学生はご縁がないかもしれない。

 

 ここが今回の目的地の本山興正寺。15時過ぎに到着したが汗まみれになっていた。すっかりと夏になったなぁと実感したことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「ものが縛るのではありません ものをとらえる心に縛られるのです」というもの。これは仲野良俊師(1916~1988)の『三誓偶(さんせいげ)講話』1983年発刊、東本願寺出版部)にある言葉である。師は京都府のお生まれで、大谷大学卒業後、1942(昭和十七)年からビルマ(ミャンマーで日本語学校の教員をされ、1956(昭和三十二年より真宗大谷派教化研究所所員をされた。それ以降は教学研究に携わられ、北海道教学研究所所長、教学研究所所長を歴任された。また、真宗大谷派専念寺住職でもあった方でもある。生活がよくなるのはいいこ とであるが、白黒テレビを買えば、カラーテレビ、その次は大きなテレビ、さらには二台目のテレビと欲望は広がっていく。物を得てしばらくは幸福感があるけれど、後は当たり前になり、欲望はさらに大きくなっていく。この欲望となってくる心に注目しないと、物に流されるだけの生活になってしまうもの。このこと を仲野師は、便利な物を手に入れれば、もっと便利な物がほしくなるといい、結局は次々と出てくる欲しい物、必要な物に縛られた生活になっていくとされたのである。しかしその実は、欲しい物に縛られるのではなく、欲しい物をとらえる私の心に縛られていると言われるのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


旅に出て 小庭の花に 安堵する

2016年05月29日 | たまには旅など・・。

 京都地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、前線を伴った低気圧が近づいてくるため、雨となってきた。気温は17.2度から27.7度、湿度は95%から58%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。天候は晴れから曇ってきて夕方からは雨になった。明日のさぬき市地方の30日は、前線や湿った空気の影響で明け方まで雨が降るけれど、その後は高気圧に覆われて次第に晴れる見込みらしい。

 

 土曜日の夜には弟たちと食事会。そこへ娘と孫のなぎちゃんたちも参加しての「ほたるの会」になった。ホタルの乱舞も楽しんで早めに寝てしまった私であった。

 

 そして、日曜の朝は5時起きの5時半にわが家を出発。6時にさぬき市役所に集合。6時半にバスは京都市内に向かって走り出した。「おへんろつかさの会」の研修旅行で、「富田仏師の工房を訪ねる旅と仏師から見た京の仏像巡りツアー」という旅の始まりである。

 

 今回の研修会には「つかさの会」会員25名が参加して、京都市内五条にある「京仏師・富田工芸」さんのオープン・ギャラリーに寄せていただいた。

 

 富田睦海(Mutsumi Tomita)さんは1978年生まれ。高校卒業後、家業である仏像彫刻に従事するため父親に師事。その後、兄と共に独立し、数々の寺院彫刻や仏像修復、皇室位牌修復などを手がけ、 2010年、その彫刻技術を生かしたシルバージュエリーブランド「睦海」を立ち上げた。富田さんは親子三代に渡り、この京都で「御仏像・京仏具」の製作に従事しており、時を重ね受け継がれてきた最高峰の技法を、京職人として見倣い、彫刻という分野の中で、各宗寺院の仏像や仏具など様々な製作に携わっている。

 

 このオープン・ギャラリには制作途中の仏像や修復途中の仏像などが展示してあって、それを使って、仏像の制作方法や接着技法、「金箔」、「金粉」「切り金」などの手法についてなど、専門的なお話を聞かせていただいた。みなさん、熱心にメモを取りながらのお勉強になった。

 

 この富田先生をさぬき市の志度寺にお迎えして、「彫像会・わらべ地蔵を彫る」という研修会を5回に渡って開いたことから、この工房見学が実現した。

 

 これは制作途中の「金剛力士像・阿形」である。後ろにある平面図の「下絵」を元に、モクの一木造りで像を刻んでいる過程である。計算しながら下絵を引きながらの彫り進めの状態。仏像は、こうして作られていくのか・・・ということを実感した。

 

 その後、近くにある「六波羅蜜寺」を見学。六波羅蜜寺 は、京都府京都市東山区にある真言宗智山派の寺院である。山号は補陀洛山。本尊は十一面観音。開基は空也上人。西国三十三所第17番札所。

 

 時間的に宝物館には入れず、この有名な「空也上人像」を拝観することはできなかった。

 

 その後、平安神宮前にある「アミタ本店」で昼食。京料理をいただいた。

 

 ここは外国人観光客用のお土産が置いてあって、お店に来る人たちは外国人が多かった。

 

 その後、向かったのが「三十三間堂」である。ここで富田仏師から、ここの仏像の特色、見方などについてのレクチャーを受ける。三十三間堂は京都市東山区にある仏堂。建物の正式名称は蓮華王院本堂。同じ京都市東山区にある天台宗妙法院の境外仏堂であり、同院が所有・管理している。元は後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂。本尊は千手観音で、蓮華王院は千手観音の別称・蓮華王に由来する。

 

 建物内は「撮影禁止」のため、画像はネット画像から。内部はこのような千手観音が千体いるのだという。ここは「院派」「円派」「慶派」の流れを組む仏師の作り上げた「総合芸術展」であるという。だから、同じように見える仏像だが、それぞれに個性があって作風が違う。誰か知り合いに似た人がいるとか、逢いたい人の顔があるとか・・タクシーの運転手さんが中学生や高校生に説明していた。

 

 中央に安置されているのが「丈六仏」の千手観音座像である。丈六仏とは 仏像の背丈 (丈量 ) の一基準。仏は身長が1丈6尺 (約 4.85m) あるといわれることから仏像も丈六を基準とし,その5倍,10倍,また2分の1などに造像された。坐像の場合の丈六像は半分の約8尺(2.43m)であるとされている。

 

 次いで向かったのが「東寺」である。東寺は、京都市南区九条町にある仏教寺院。真言宗の根本道場であり、東寺真言宗の総本山でもある。「教王護国寺」とも呼ばれる。山号は八幡山。本尊は薬師如来。寺紋は雲形紋。 東寺は平安京鎮護のための官寺として建立が始められた後、嵯峨天皇より空海に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。

  

 ここも堂内撮影禁止のためネット画像から。木造薬師如来及び両脇侍像(重要文化財)で、金堂(本堂)にある本尊である。中尊の像高2.88メートル、台座と光背を含めた総高は10メートルに達する巨像で、中尊の光背には七仏薬師像を配している。台座の懸裳の下には薬師如来の眷属である十二神将像が配されている。仏師康正の作で、日本の仏教彫刻衰退期である桃山時代における佳作である。薬師如来像が左手に薬壺を持たず、坐法が左脚を上にする降魔坐である点、台座を古風な裳懸座とする点などに復古的要素が伺える。

 

 講堂の中立体曼荼羅である。ここにもタクシーの運転手さんが中学生や高校生に小声でひおひそとガイドしていて、立ち止まることもできない状態。その後、雨がぽつりぽつりと降り出してきて、早めに出発して帰路についた私たちだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分の幸せは自分で決めていい 今のまんまそのまんま だからあなたはそのまんまでいいよ」というもの。「遊書家 とし」さんの言葉から。 「自分の幸せって自分で決めて良いんですよねぇ~。だから、今のまんまの自分でも幸せだったりするんですよねぇ~。だ から、そのまんまの自分でいられることが幸せだったりするんですよねぇ~。なぁ~んて、ふと思ったトシでした♪。みなさんに幸せな事が起きますように ♪  」と云うことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


水仙を 摘んで供えた 墓がある

2016年02月06日 | たまには旅など・・。

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で雲が広がっていた。気温は3度から10度、湿度は80%から54%、風は1mから4mの西の風が少しばかり。明日の7日は、次第に高気圧に覆わるが、はじめ寒気の影響で雲が広がりやすく、雪や雨が降り雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 ふと目が覚めたら5時半だった。どうしようかなぁと思ったが、折角だから・・ということで、お隣の本願寺さんの「晨朝(じんじょう)」のお勤めに出ることにした。今どきの朝の5時半というと、まだまだ真っ暗・・・。

 

 おあさじ(朝のおつとめ)ともいうが、朝早くから大勢のお参りの人が・・・。それにしても、出仕している大勢のお坊さん達も大変だなぁと思うことだった。4時起きくらいになるのだろうか・・。このお参りの方々は、自分の「マイ経典」をお持ちなのである。

 

 朝のお勤めが終わると、近くのコンビニで100円ほどのパンと120円ほどのコーヒー牛乳を買って朝食。今日はもう、帰るだけで、何の予定もない。

 

 コンビニから見た、宿坊の「興正会館」。この二階に泊めていただいた。今日からは「華園学院」という教育生のスクーリングがあるのだそうだ。その案内が部屋ごとに張ってあった。

 

 本来ならば、興正寺の「ご晨朝」にも出なければならないのだけれど、バスの切符が買えるかどうかが気になって、早々に部屋を片付けて帰る支度をした。こんな朝早くからでは銀行も郵便局も開いてはいない。何も用事がないのであれば、ゆっくりとして、ご晨朝に出て、銀行が開いてからにしようかとも考えたけれど、それでは、今度はバスが夕方にならないと出ないのだ。

 

 本願寺の獅子さんにもお別れを告げて・・・。

 

 そこで、京都駅前のバスターミルでバスのチケットを買った。なんとか、チケットも買うことができた。

 

 残った残金はこれだけ・・・。41円。お茶も買えないじゃないか。

 

 でも、なんとかなったじゃないか。いつもはお土産のお漬け物を買うのだけれど、今回はそれはなし・・。だって、お店が開いていなかったんだから・・・という言い訳。財布を忘れたなんていうことは秘密の秘密。

 

 どうにかバスの座席を確保したら、これで問題解決。無事にバス・ストップに下りられたら笑い話で済まされそう。

 

 今日の掲示板はこれ。「弱いから強くなれる 待っていないから何でも持てる」という、城たいがさんの言葉から。「じょー・たいが」と読む。見ているだけで、楽しく元気になれる笑文字(えもじ)の詩画書作家。ユニークな笑顔のお地蔵さんなど、造形作家でもある。人間の根源の愛と笑顔への回帰を訴え、描く詩画書は多くの賛同者を得ている。 宮崎県出身、京都を拠点とし制作活動中。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


梅咲いて 今日の日記を 書き終える

2016年02月05日 | たまには旅など・・。

 今日の京都市は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすく、北部では断続的に雪や雨が降っていたらしい。気温は2度から10度、湿度は86%から54%、風は1mから3mの北西の風が冷たかった。

 

 久々に京都の本山へ出かけることになった。お勉強といえばお勉強、試験と言えば試験。一枚の通知書だけで、どういうことなのか事情がわからぬままに出かけたもの。16時に集合して着替えをして16時半に研修室に入れ・・・というようなもの。当日の予定も日程も宿泊も不明・・・。

 

 淡路島に入ってすぐに、財布がないことに気が付いた。普段は財布など持たないし、持っていれば使うし・・・ということで、小銭入れしか持ち歩かない。しかし、今回は京の都まで行くのだから小銭だけでは心細い。しかしのかかし、ここまで来て気付いても、もう遅い。

 

 茄子がママならキュウリがパパよ。ありのままならバッタがパパよ。なるようになるさの成り行き任せ。困った時にはカードがあるさ。

 

 リニューアルした東本願寺さんの境内で、コンビニで買った98円のパンに121円のコーヒー牛乳でお昼。なにせ、12時過ぎに京都駅に着くもので、どこもかしこも食べ物やさんはいっぱい。並んでまでは食べる習慣がない。ふと、横を見たら、「境内での飲食はいけません」との張り紙が・・・。道理で警備員がにらみつけていると思った。食べてしまったら仕方がない。

 

 ぶらぶらと歩いて本願寺さんへ。ここにFacebookにユニークな投稿をしている「しんぽー」さん(仮名)がいる。名刺をいただいてわかったが「新報さん」らしい。道理で脚立や腕章やカメラを持っている訳か。

 

 で、思いがけなくお土産までいただいた。お返しは6月にでも・・。讃岐だから「うどん脳くん」でも・・。

 

 少し早いが本山に到着。時計をみれば14時前。2時間もあるな。

 

 境内の紅梅が満開。外国からのお客様がスマホで自撮りをやっている。それもたくさんの女性たちが。

 

 ここまでやって来たのだが、ここで、いったい、何をするのか、何時までやるのか、誰が集まるのか、全くわからない。たまたま出会った人に聞いても、何も知らない・・という。宗務所へ行っても、担当者は忙しそうにしているだけ・・。

 

 仕方がないので、梅を眺めているだけ・・・。そうそう、山門で、何人の方が挨拶をして出入りするかを勘定してみた。東本願寺さんでは50人中3人。本願寺(西本願寺)さんでは50人中6人、興正寺では50人中1人。案外と頭を下げて山門に入り、頭を下げて山門を出る人は少ない。観光客がほとんどなのかも知れない。お念仏の道場なのだから、きちんとご挨拶はしていただきたいもの。

 

 今回の研修は二人だけ。その一人は用事があるからと帰ってしまい、困った私は担当の方に宿坊に泊めていただいた。そこでさみしくテレビ相手の部屋呑みしておやすみすることになった。

 

 本当はこれだけではないのだけれど・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「人の数だけ鬼はいます。いえ、それだけ仏さまもおられるのです」という塩見行雄さんのことばから。「渡る世間は鬼ばかり」は実感するけれど、そんなに仏さまがいるとは思えないけれど、家族にとってみれば、やさしい仏様なのかなぁとは思ってもみたり。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


うつむいた 額アジサイの 背になみだ

2015年07月01日 | たまには旅など・・。

 宇和島市地方は梅雨前線の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は23度から25度、湿度は96%から80%、風は6mから1mの南南西の風が強かった。午前中には10mm/hから20mm/hの降水量があった。明日の2日は、四国の南海上に梅雨前線が停滞するため雲が広がり、午後は雨が降りやすい見込みらしい。

 

 朝の6時半にさぬき市役所津田支所に集合ということで、お天気を気にしながらここにやってきた。ここまでは車で10分ほど。今日は「さぬき市文化財保護協会津田部会の県外研修の日。たまたま、渡辺会長がこの会の会長も兼ねていて、今日の研修のお誘いを受けた。

 

 午前7時前に津田町を出て、高松自動車道・津田・寒川ICに乗って松山自動車道経由で宇和島市に向かう。外では雨が止んだり降ったりを繰り返している。

 

 このようなバスに今回は20名の参加者だった。文化財なんたらの会だから、みんな、おじいちゃん、おばあちゃんばかり。それだから、話題は古墳の話とか銅鐸の話だとか専門的なお話ばかり。私は考古学は大の苦手・・・。

 

 愛媛県は豪雨警報が出ていたとかで、河川はみんな、こんな状態。川から水があふれそうな勢いだった。それに色が悪い・・・。

 

 今日の目的地は、北宇和郡松野町という山の中の集落である。ここに、「目黒ふるさと館」という施設があって、ここに「土地争い」が起きて、裁判のために、絵図や地形模型が作られて、江戸に運ばれて裁定がくだったらしい。その「模型」が残っている・・・というので見学にやってきたもの。

 

 銀杏の木を削って、こうした地形図の模型を作り、六等分にして江戸まで運んで裁定の資料にしたらしい。大名にすれば、7万石と10万石では江戸城での座席から違うらしい。そうした、骨肉の争いが各地であったらしいが、こうした資料が残るのは極めて珍しいらしい。

 

 当時の庄屋さんの屋敷風の建物には民具なんぞも展示されている。

 

 壁面にあるものが、模型を作る際に使用した絵図面のレプリカ。こういう広大なエリアの模型を作って、江戸間で運んだというのだから大仕事だったに違いない。

 

 今日は、道の駅のレストランが定休日だというので、お弁当になった。食事場所は、松野町役場の研修室をお借りした。

 

 この左から三人目が、渡辺会長さん。

 

 途中の川、四万十川の支流らしいが、台風のような濁流が流れている。相当の雨が降ったらしい。

 

 その後、宇和島市に向かい、宇和町の「卯之町」という伝統的建築群」の町並みを見て歩いた。ここはガイドさんつき。この方がガイドさん。ここは、明治時代の「開明学校」跡。こうした学校を地元の人がお金を出し合って建てたらしい。

 

 うだつの町並み「脇町」に似た感じの町並みだが、道幅が広いのが特徴らしい。持送り、出格子、しとみ戸、うだつ、白壁という伝統的な建築物が使われている。

 

 このような、四国の片田舎にも文豪や時の総理大臣とかかやってきていたというのが驚きだったし、けっこう、繁盛してしていた様子もうかがえた。

 

 私のおみやげはこれだけ。奥方の好みである。宇和島と云えば「じゃこ天」だ。

 

 今日の掲示板はこれ。「雨の日も 風の日も また悩む日も それがそのまま人生なり」というもの。一度かぎりの人生、くりかえすことのできない人生。その人生を充実感を持って生きるか虚無感を持って生きるかは、全て自分自身の責任であろう。「花の生命は短くて、苦しきことのみ多かりき」と言った人がいる。喜怒哀楽の交錯する人生であるが、思いおこされることは実に苦悩に類したものが多いような気がする。しかしのかかし、この歌には何かしら心ひかれる響きが感じられはしないだろうか。はかない青春の生命がかみしめた、ほろにがい甘さが感じられるようである。苦しみは大切にしなければならない。悩みを粗末にしてはならない。雨にも風にも嵐にも、それぞれかけがえのないあじわいがある。森羅万象、全てが私の人生を輝かせてくれる活性剤である。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


あら六月 京の都に 立ちたれど

2015年06月01日 | たまには旅など・・。

 京都市の天候は気圧の谷の影響で薄雲がかかっている。気温は17度から31度、湿度は84%から54%、風は1mから3mの東南東の風が少しばかり。

 

 高野山から戻って、準備もあたふたと、今度は京都に向かっての旅立ちである。高速バスのチケットはWEBで購入済み。三日分の着替えとお衣装があればいいというくらいのお出かけであったが・・・。

 

 9時25分に高松自動車道の「高速大内」からJRバスに乗って、一路、JR京都駅烏丸口に向かう。昨日に渡った鳴門海峡大橋を渡り、淡路島を縦断して、明石海峡大橋を渡る。「昨日もここを通ったなぁ~」という思いばかりが駆け抜ける。別にどうでもいいことなのだけれど。

 

 お昼過ぎにJR京都駅に着いた。ちょうど、お昼の時間だから、駅前あたりの食べ物屋さんは行列ばかり。この時期は外国からの観光客や修学旅行生が目立つ。

 

 この子たちは中学生みたい。リュックザックにお土産の紙袋というスタイル。白のズック靴がかわいいなぁと思う。そこから、いつものコースの東本願寺さんにお参りする。

 

 だいぶ、修復工事が終わってきている。でも、まだまだ、工事用の屋根や障壁が構えられている。

 

 こういう企画は、おとなにも用意されたらいいかなぁと思った。

 

 ふと、おなかが空いてきたのを感じて、こういうお店に入ってみた。

 

 で、冷やかけうどんを注文した。140円だった。おなかが空いていたせいか、呑み込むようにして食べたがおいしかった。出汁は少しばかり辛めだった。ま、140円だから仕方がないか。

 

 ここが、和ろうそくの「わた悟」さん。京都本山御用達のお店だし、私んちの和ろうそくはここのものを使っている。ここのご主人が、英国女王の前でハーモニカを演奏したお方。ハーモニカの名手なのである。その後、西本願寺などを回って、14時過ぎに、興正寺に入った。

 

 ところがである。荷物を整理してみたら・・・。

 

 なんと、ノートパソコンの電源コードを忘れている。これでは、ブログの更新ができないではないか。あとは、タブレット端末でなんとかするしかない。

 

 今日から三日間、お世話になるお部屋とお布団。25名分くらいかなぁ・・・。こういう場合も、「座」といおうものがあって、同じ人は同じ場所にお布団を敷く。まさに「領地の占有」だし、「居場所の確保」である。

 

 「居場所の確保」ができたら、今日の街を散歩。孫の「はやて君」と「なぎちゃん」のお念珠を買いに出たが、男の子のものは簡単に選べたが、なぎちゃんのものは難しい・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「ものが縛るのではありません ものをとらえる心に縛られるのです」というもの。これは仲野良俊師(1916~1988)の『三誓偶(さんせいげ)講話』1983年発刊、東本願寺出版部)にある言葉です。師は京都府のお生まれで、大谷大学卒業後、1942(昭和十七)年からビルマ(ミヤンマーで日本語学校の教員をされ、1956(昭和三十二年より真宗大谷派教化研究所所員をされ、それ以降は教学研究に携わられ、北海道教学研究所所長、教学研究所所長を歴任されました。また、真宗大谷派専念寺住職でもあった方。生活がよくなるのはいいことであるが、白黒テレビを買えば、カラーテレビ、その次は大きなテレビ、さらには二台目のテレビと欲望は広がっていく。物を得てしばらくは幸福感があるけれど、後は当たり前になり、欲望はさらに大きくなっていく。この欲望となってくる心に注目しないと、物に流されるだけの生活になってしまうもの。このことを仲野師は、便利な物を手に入れれば、もっと便利な物がほしくなるといい、結局は次々と出てくる欲しい物、必要な物に縛られた生活になっていくとされたのである。しかしその実は、欲しい物に縛られるのではなく、欲しい物をとらえる私の心に縛られていると言われるのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


薄曇る 五月の空は 今日限り

2015年05月31日 | たまには旅など・・。

 高野山地方は気圧の谷の影響で朝方は雨となり、午後からは高気圧の影響で晴れ間が見えるようになった。気温は16度から21度、湿度は100%から60%、風は0mから1mの北東の風が少しばかり。

 

 一階に若者がたくさん宿泊していて、朝からにぎやかな声で起こされた。まだ、外は霧雨のような小雨が降っていたが、時間が経つと次第に明るくなってきた。

 

 朝の6時半から本堂での勤行である。若者たちもしずしずと勤行に参加してきた。般若理趣経のお勤めだった。その後、住職さんの短い法話があった。感謝することを大切に・・みたいなことだった。

 

 7時からはお隣の毘沙門堂での「護摩供養」である。

 

 7時半からは朝食。一汁一菜の簡単な物。感謝でおいしくいただいた。

 

 簡単に荷物をまとめて、8時には宿坊を出る。バスはもう、門前に止まっている。お土産の「高野槙」の苗木を1本買った。奥方へのお土産はこれだけ。

 

 バスは8時30分に出て、霊宝館には9時前に着いた。一番乗りで霊宝を拝観させていただく。

 

 館内は、こんな感じ。ネット画像からである。もちろん、館内は模写も撮影も禁止である。

 

 これが目玉だったのかな・・・。「孔雀明王像」である。

 

 あたりは、朝靄だろうか、深い霧に覆われていた。このあと、胡麻豆腐を買いに走る人が続出して、一時は行方不明者も出て、バスは20分遅れになってしまった。おばさまたちのお買い物はその後も続く・・・。

 

 なんだかんだがあって、「金剛三昧院」に到着した。ここは駐車場が狭く、それまでの道路も狭いので、添乗員さんはやきもきしながら駐車場の確保に走り回っていた。

 

 ここはお寺の内部は拝観させていただけないものだから、外観や、国宝の多宝塔あたりを見て回る。もう、シャクナゲはすっかりと終わってしまっていた。

 

 これがその、国宝の多宝塔である。ここでも、納経をしてもらう人が続出して、これまた混乱してしまった。これで、高野山の見学とお参りはおしまい・・・。

 

 その後は、山を下りてしまって、「慈尊院」にお参りをする。

 

 これが有名な高野山を案内する名犬の「ゴン」の石像である。ま、有名な犬がいたのだけれど、その犬が亡くなると全国から寄付が相次いで、この石像が建てられたのだとか。うちの「迷犬ごん」もあやかってもらいたいものである。

 

 これが、有名な「町石」だそうで、四国では「丁石」と呼んでいるが、「一町」は109mで、ここから高野山の大門まで180の「町石」が建てられているのだとか。約二〇キロだとか聞いた。昔の歩きの遍路道に建っているらしい。高さは地上部だけでも3m近いのだそうだ。

 

 そこから30分ほどバスで走って、ようやくお昼のレストランに着いた。岩田市にある「ホテルいとう」というところ。このあたりには適当なお店がないとかで、ここになったらしい。

 

 お弁当形式のお昼。男性陣は早くも「ビール」だ、「焼酎だ」と元気いっぱい。私はアルコールお休み中だから静かにお弁当をいただいた。女性たちはそそくさとお食事を済ませてお土産売り場に集結。両手に一杯のお土産を提げてバスに乗り込んでいた。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生を変えるのは 大きな努力よりも むしろ日々の小さな習慣であることが多い」というもの。自分の人生を変えたいと思って、さまざまな努力をしても、そうそうは人生は変わらない。むしろ、「あ!」と思うような一言や、思わぬ人との出会いであったり、ささいな日常のできごとあったりすることが多い。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


あれこれと 悩みのままの 花あやめ

2015年05月30日 | たまには旅など・・。

 高野山地方は気圧の谷の影響で雲が広がっていた。気温は13度から26度、湿度は86%から55%、風は1mから2mの南東の風が少しばかり・・・。

 

 朝の5時起きで迷犬ごんの散歩や洗濯物を干して・・・、6時過ぎにはわが家を出て、6時半にはさぬき市役所に着いた。今日から一泊二日で高野山研修である。

 

 淡路島を経由して、今度は阪神高速5号湾岸線をひた走って、関空前から泉南市を経て・・・内陸部へ入る。そこからは、新しい道や旧道やらを経て、「紀ノ川万葉の里」という道の駅でトイレ休憩やらお昼のお弁当を仕入れる。

 

 それが、この「柿の葉すし」。このあたまに、「まほろば」の字があるのがうれしい。

 

 中身はなんということのない「アジのお寿司」。包装紙が、生の柿の葉である。これが、消毒効果があるのだという。これを、時間節約のために、バスに中で食べた・・・。

 

 最初の研修地はここ。和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野という地区にある「丹生都比売神社」で、平成16年7月7日世界文化遺産登録。高野山と縁深い神社である。丹生都比売神を祀る。ここに、みんなで参拝した。仏像と、銀と、水銀の関係があるのだという。

 

 神社は簡素でさっぱりとした建物だった。

 

 そこから、しばらく山道をひた走って・・・、ようやくに、高野山町に入った。とにかく、山道をくねくねと走ったものだった。ここは、その奥の院。讃岐の人が寄進したという「撫で地蔵」。

 

 奥の院も、ここから先は「撮影禁止」。その理由がふるっている。いろんな人が、これから先でさまざまな写真を撮るのだが、その中に、「あ、こんなものが写っている」とか、「これは何の写真じゃろうか・・」と、お寺にうるさく言って来る人がいたらしい。そこで、「そなに言うんならば、撮影禁止じゃぁぁ」と言うことで、撮影禁止いなったらしい・・と、何人もが、何人もが話しているのが面白かった。

 

 私が気になったのはこれ。この呪縛霊みたいなおじさんではない。「親鸞聖人御墓所」というもの。なんで、親鸞聖人のお墓が高野山にあるん??・・・みたいな感想。

 

 これが、その、親鸞聖人のお墓。中身は「五輪塔」である。なんで、こんなものが、ここにあるんだろうか。

 

 さらには、この、「法然上人円光大師供養碑」である。これは、苔むして年代の古さを象徴していて「さも、ありなん・・」と思わせるもの。その他にも、熊谷寺とか、「法然上人」や「親鸞聖人」にからむお寺があるのだそうですよ。

 

 その後、金剛峯寺や壇上伽藍を拝観させていただいた。もう、その頃は足がうじうじ・・・。

 

 このあたりになると、自由拝観。熱心な方は拝観料を払って中に入って見学したり、写真を撮ったりと自由にお参りをする。

 

 今夜の宿舎はここ。「恵光院」さん。大きくて広いお寺さんである。中はまるで迷路みたい・・・。

 

 夕方からは、「阿字観」とか「写経」があったが、私は正座ができないし、ブログのことがあって欠席させていただいた。

 

 その後の夕食は精進料理その1

 

 これに、ご飯やおすましなんぞが付くのだけれど、なかなかにいい味を出しているなぁと感心した。

 

 最初の1番札所では、般若心経もろくに拝読できなかった人たちが、結願して、高野山まで来ると、経本なしでも般若心経がお唱えできるようになった。

 

  

 今日の掲示板はこれ。「生まれを選ぶことはできないが、生き方は自分で選ぶ物です」というもの。ここの宿坊で働いているお坊さんは、お寺で生まれて、高野山大学で学ぶ一方、こうした宿坊で接客や対人関係、作法などを学ぶのだという。お寺に生まれたという、その生まれをとやかくいうことなく、生き方を、それぞれに考えているのだなぁと考えさせられたことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


たんぽぽに 世のあれこれを 聞いて見る

2015年02月22日 | たまには旅など・・。

 善通寺市地方は四国付近にある前線の影響で雲が広がり、雨が降ったり止んだりした。気温は6度から13度、湿度は83%から66%、風は2mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の23日は、大陸の高気圧に緩やかに覆われるらしいが、上空の気圧の谷の影響で雲が広がりやすいらしい。

 

 今日は、さぬき市の観光ボランティア団体、「おへんろつかさの会」の定期バス研修の日。朝、7時にさぬき市役所を出発して善通寺に向かった。

 

 今日は、四国霊場72番札所の出釈迦寺からの現地研修からである。この人たちは雨具を着ての歩き遍路で、この奥の院の禅定寺まで行くらしい。中高年の団体だが元気あるなぁと見送った。

 

 そこから下りてきて73番曼荼羅寺経由で74番甲山寺。

 

 この研修の講師は、おへんろつかさの会の専任講師の「櫻谷大先達」さん。この方は、引き出しが多いというか、記憶容量がでかいというか、とにかく、いろんなことを機関銃のように発射する。その言葉の乱打に圧倒されっぱなし。

 

 午前中は75番、総本山善通寺で研修はおしまい。「あんたら、きっきょん??」というのが口癖の大先達。私らは確かに確かに聞いているのだが、聞いても聞いても忘れてしまう。「吉祥寺で言うたやろ・・・」と言われても、何ヶ月も前のことなど覚えてはいない。吉祥寺がどこの、どんなお寺だったのかも記憶には残っていない。昨日の夕食に何を食べたかも記憶にない私たちなのだ。

 

 今日のお昼はここ。善通寺市与北町にある。「四国館」という変わったお店。お店の前にはこうしたたくさんの水車が回っているし、お店に入れば「古物商」の看板とともに骨董品や古い農機具などが展示されている。

 

 今日のお昼は、こうした「釜揚げ定食」。左のおかまの中はおうどんが温まっている。真ん中下のおわんに、生玉子、薬味を入れてかき混ぜて・・・。ご飯はキノコ入りご飯とおかずがそれぞれに。

 

 このお出汁にうどんをつけて食べる。

 

 とにかく、讃岐の人はうどん大好きで、うどんは別腹だと言うくらい。

 

 お昼からは、76番金蔵寺から。明治時代に丸亀師団の乃木希典師団長が宿舎としていたお寺である。

 

 77番道隆寺は仲多度郡多度津町にある。こうした観音さんが千体とも二千体ともあるのだという。相変わらず、櫻谷講師の説明は続くが、すっかりと、おつむは飽和状態。

 

 78番郷照寺は、四国霊場唯一の「時宗」のお寺だという。本堂や大師堂前の絵天井は立体的な絵天井になっている。

 

 79番天皇寺は坂出市にある。ここは、この白峰宮と天皇寺の境内が交差しているという変わったお寺。この右下のおじさん、字をかく訳でもなく写生するでもなく、雨の中、座ったり、立ったりを繰り返している。いわゆる「職業遍路」。いくらかの喜捨をお願いして座っているらしい。

  

 今日の最後は、80番国分寺。小雨の降る中での研修になった。メインは、このお寺の後ろにある「国分寺公園」。聖武天皇の頃に全国に作られた「国分寺」の遺跡を発掘し、再現した広大な敷地の僧坊跡や築地塀などの説明を受けた。当時の国営寺院のすごさ・・というものを肌で感じ取った。

 

 今日の掲示板はこれ。善通寺さんの本堂前にあった言葉で、「一つのことばで気が晴れる 一つのことばでありがとう」というもの。一つの言葉で泣かされて、一つの言葉で大笑い。一つの言葉で喧嘩して、一つの言葉で仲直り。一つの言葉で気がめいり、一つの言葉で気が晴れる。一つの言葉で愚痴をいい、一つの言葉でありがとうという、清水 英雄さんの言葉かららしい。一つの言葉はそれぞれに、一つの心をもっている。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


粉雪を 受けて都の 雲の色

2015年02月13日 | たまには旅など・・。

 近畿地方は冬型の気圧配置となっているため、雲が広がり雪や雨が降っていた。気温は2度から6度、湿度は80%から64%、風は2mから5mの西北西の風が吹いていた。明日のさぬき市の14日は、冬型の気圧配置も次第に弱まり、高気圧に覆われて概ね晴れるが、寒気の影響で明け方まで雪の降る所がある見込みらしい。

 

 お寺の朝は、朝のお掃除から始まる。

 

 今日は御影堂のお掃除から。みんなで畳のから拭きを行う。

 

 その後、朝のお勤めがあって・・・。

 

 ようやくに朝御飯。その後のお勉強があって・・・。

 

 お勉強が終わったのは13時過ぎ。なんだか中途半端な時間である。この時間だと、どこのお店もいっぱいの筈。そこで、この「龍谷ミュージアム」に入ることにした。

 

 ここでは、この、「仏教の思想と文化 インドから日本へ」展が行われている。

 

 二階の展示ではアジアの仏教ということで、インドで仏教が誕生し、アジア全域に広がっていく様子が見られる。これはガンダーラの「燃燈伝授記」というレリーフである。こういうものや「本生話」あるいは「ジャータカ」なども展示されている。

 

 三階の展示場は第二部ということで、日本に伝わった仏教によって作られた仏像か絵画などが展示されている。もちろん、これらは参考画像から。館内での撮影はできない。

 

 その後、粉雪の舞う中、本願寺さんや・・・

 

 東本願寺さんにお参りをする。粉雪は舞っていたが、そんなには寒くはなかった。

 

 三時過ぎになって、ようやく昼食時間が終わったようでお店も空いてきた。そこで串カツのお店に入って、遅い昼食というか、三時の休憩というか・・・。

 

 こうした「ほろ酔いセット」で休憩。

 

 16時40分に、ようやく、高松行きのバスが来る。それに乗り込んで、定刻50分にJR京都駅烏丸口を出て、高松駅に向かう。東かがわ市に戻ったのは20時前だった。

 

 今日の掲示板はこれ。「あすのことを思い煩ってはならない。あすのことはあす思い煩えばよい。その日の苦労は、その日だけで充分である」という『新約聖書』マタイによる福音書第6章からの言葉である。私達人間はいろいろな悩みを抱えながら生きている。しかし、過ぎ去った出来事をいつまでも悔やんだり、遠い未来を思い煩ったりするうちに、大切な現在を見失ってしまうことがあるもの。今日という一日を存分に生きてゆきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えればいいね。

 


底冷えに 記憶の糸が また切れる

2015年02月12日 | たまには旅など・・。

 近畿地方は気圧の谷の影響で雲が広がり、雷を伴い雨や雪の降っているところがあるらしい。今夜の京都府は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がり、雷を伴い、雨や雪の降るところがあった。気温は1度から12度、湿度は86%から51%、風は1mから2mの西の風がやや強かった。明日の京都府は、強い冬型の気圧配置となるため、北部では雪が降り、南部でも昼過ぎから雪が降る見込みなのだとか。

 

 朝の8時20分過ぎの高速バスに乗るために、東かがわ市の「おおちバスストップにやってきた。今日は平日ともあってか人影はパラパラ。このあたりは暖かい春の陽気だった。

 

 淡路島でトイレ休憩をして、京都に向かう。この右側のバスに乗って行く。お客さんは8人ほど。みんな好きな座席に座っていいと言われた。

 

 明石海峡大橋を渡る頃は春の陽気。

 

 京都駅に着いたのは11時15分。おなかは空くし、空気は冷たいし、集合時間が13時だから、あんまりゆっくりもできない。通りがかったコンビニでおむすびとお茶やコーヒーを買って、とりあえず宿舎に入ることを考えた。

 

 どうにも心臓がよくないもので、あんまり急いでもいけないし、でも、何かあるといけないからと、ついつい、先に急ぐクセがある。とりあえず、宿舎を確保、とりあえず布団を確保・・・みたいなことで。これが、本山興正寺の「三門」である。

 

 三門を入ると紅梅が咲き出している。

 

 とりあえず布団を確保して、今夜の寝場所を決める。一夜だけなのだが、それだけで安心するから不思議なものだ。

 

 この研修会館での研修が行われる。

 

  でも、「田舎の学問より都の昼寝」ということで、昔、田舎では、学問を学ぶ方法として、本を読むくらいしか、なかったようだが、都の 京都には、学問や道徳、芸などを身につけた本物の人や先生がたくさんいるので、そういう人たちと、 つきあいができれば、多く深く学ぶことができるという意味があるようで、田舎で3年学ぶのと、都で、昼寝をするのは、ほとんど差がないという意味で、 「田舎の三年京の昼寝」とも言うようである。

 

 本日、はじめての食事がこれ。18時半からの夕食である。ま、お寺に来て、不平や不満は言えないので、「感謝でおいしくいただいた」。

 

 今日の掲示板はこれ。「毎日があたり前だと思っていた。でも、あたり前じゃないことに気がついた 笑顔 優しさ 思いやり あたり前じゃないあなたに感謝 あたり前じゃない今日に感謝」というもの。いつもの生活をしていると、当たり前があたり前になってしまって、その当たり前に慣れっこになってしまうもの。眼が見えない、足が動かない、おなかが空いても食べられない・・・。そんな、あたり前じゃないことに直面したとき、あたり前のありがたさをしみじみと感じるもの。今夜はお酒もビールも飲めない夜だけど、そんなあたり前じゃない今日に感謝する。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


冬晴れは 旅にこころを 奪われる

2015年01月25日 | たまには旅など・・。

 四国地方は高気圧のせいで概ね晴れていた。気温は2度から12度、湿度は80%から51%、風は1mから2mの南西の風が少しばかり。暖かな春のような一日だった。明日の26日は、低気圧の影響で雲が広がり、昼前から夕方は雨が降り、夕方は雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 今日は月に一度の「おへんろつかさの会」のバス研修の日である。朝の7時にさぬき市役所に集合・・・と言っても、起きるのは午前6時だから真っ暗闇。家を出るのが6時半、まだまだ暗い。バスに乗り込んでもまだ薄暗い。明るくなったのは高松市内に入ってから。

 

 今回のバス研修は、四国霊場の54番札所の延命寺から、59番の国分寺までの6ヶ寺での実地研修。お寺の歴史や周囲の環境、お作法などを研修する。私たちはお寺に関係するような全てのことをガイドできるように勉強している。

 

 このお寺は56番の泰山寺さん。この石壁に注目。このあたりは河の氾濫が多くて人命も多く奪われた。そのために川石を拾い集めてこのような石垣を築いた。このあたりの民家も似たような石垣がある。

 

 この方が、「おへんろつかさの会」の専任講師の一人の「櫻谷和香」大先達。私の現役時代からの友人でもある。昨年12月に、「権大先達」の「権」がとれて、晴れて「大先達」に昇格した。この人に、お作法やお寺の縁起・歴史などの講義を受ける。

 

 今日は暖かくて、少し歩けば汗ばむほど。今日の参加者は32名。みんなそれぞれのオーソリティーばかりが参加している。この左端のベトナム人みたいな方は「先達」を目指している人。昨年はサンフランシスコを旅してきて英会話のレッスンをしているとか・・・。

 

 これが、今回訪問した「今治市」のマンホールの蓋。来島海峡と村上水軍だろうか。

 

 これは55番札所の「南光坊」さんの境内にあった「松尾芭蕉」の句碑で、「物いへば唇寒し秋の風」と刻まれている。とにかく愛媛県には句碑が多い。

 

 四国霊場の中で、「なんとか坊」というお寺さんはここだけなんだと。ここにも正式な名前があって、「別宮山光明寺金剛院南光坊」というのだそうだが、通称「南光坊」で通っているらしい。

 

 ここの山門は立派なもので、仁王門ではなくて「四天王」が入り口をガードしている。で、今日のお昼は、「今治国際ホテル」の「真珠の間」でのお食事になったが、あいにくとカメラの電池切れとなって撮影できなかった。だけれど、お遍路さんのお昼だから、そんなに豪華なものではなくて、「お弁当」の少しカッコいいものだった。

 

 午後からは、58番の仙遊寺さんから。ここは今治市の高い山、およそ、3Kmの山道を登ったところにある。いろんなお話を聞いたが、お先達さんの顔で、本堂の内陣に入れてもらって、ご本尊さんをしっかりと拝観させていただいた。

 

 私の今回の目的のお寺がここ。57番札所の「永福寺」さん。正面が本堂であるが、

 

 その本堂の前の外縁に奉納されているのが、この「箱車」。15歳の足の不自由な少年が、この箱車に乗ってお四国まいりをしている時、この車を引いていた犬が暴走して少年は箱車から投げ出された。少年はようやくに身体を起こしたところ、足の病が治っていたという。そこで、少年は、この箱車と松葉杖を、ここに奉納したのだという。事実はともかくとして、この箱車はここにある。当時は車輪にタイヤやチューブがあったのだろうけれど、今は金属枠しか残っていない。

 

 今回の研修の最後は、59番の国分寺。もう、この頃になると、私の頭の引き出しは飽和状態。「聖武天皇が・・・・・・」講師の言葉が右の耳から左の耳を通り過ぎていく・・・。しきりに、みんなはメモを取っているが、私はメモする気力さえなくなっている・・・。

 

 今回の研修で、愛媛県は終了した。今日以降の札所は寒くなる前に昨年のうちに打ち終えている。国分寺を15時45分に出て、さぬき市役所に戻ったのは18時15分。すっかりと暗くなってしまっていた。でも、一朝一夕では観光ボランティアにはなれない。経験の積み重ねだなぁと思ったことだった。来月からは香川分に入っていく。

 

 今日の掲示板はこれ。「頂上ばかり眺めずに、まず目の前の一歩をどう歩むかです」という石川真理子さんの言葉から。まさしく、そのとおりである。すばらしい「観光ボランティア」になることばかりを目指すのではなくて、まず、目の前の今日のことを、どう整理しておくかだなぁと思ったことであった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


肩の荷を 下ろす霜月 暮れにけり

2014年11月30日 | たまには旅など・・。

 まだ、真っ暗な6時前にわが家を出た。5時起きというのも京都の本山並。今日は「おへんろつかさの会」のバス研修の日。今回は愛媛県の60番札所から65番札所の6ヶ寺のフィールドワーク。その案内状の出発時刻が6時半と7時出発とがあって、少し早めに送ってもらうことになっていた。

 

 午前7時になると、ようやく夜が明けて明るくなってきた。7時過ぎにさぬき市役所を出発して高松市内へ向かう。途中で10人ほどを乗せながら、高松自動車道高松西インターに入る。今回の参加者は34人。

 

 61番札所の香園寺はまるで公会堂のような建物で、二階の本堂は映画館のよう・・・。

 

 櫻谷権大先達さんから縁起やここの住職さんの開教の努力なんぞを聴かせていただいた。

 

 ついで、62番札所の宝寿寺、63番の吉祥寺を研修する。ま、おへんろ文化の裾野を広げるために、私たちの視野を広くすることが狙いである。

 

 この方は、英語でガイドする先達を目指している方。何を見ても珍しそう。

 

 目をつむって杖を構えて前進して、岩の穴を通す「成就岩」にも挑戦した。

 

 瀬戸内バス・京屋支店に着いたのは1時間遅れの11時半。ここで昼食かた思いきや、ここからマイクロバスに乗り換えて60番の「横峰寺」に向かう。これまた、細いくねくね道・・・。

 

 この頃はまだ、天候も良くて紅葉も楽しめてドライブ気分・・・。

 

 境内は山の北側中腹(750m)にある。四国霊場のうちでは3番目の高地にあり、「遍路ころがし」の最難所であった。昭和59年に林道が完成して、現在は境内から500m離れた林道の駐車場まで車で行き参拝できる。ただし、冬期は12月下旬から2月いっぱい不通となる。大型バスは通行が不可で、マイクロバスに乗り換えて駐車場に向かう。

 

 そこから500mほどの小道を下って境内に向かうが、これがまたしんどい道。かえりはもっと苦しくなる。

 

 ようやくに昼食になったのは14時。これを一気に完食してしまった。

 

 前神寺は、山岳信仰の山として崇拝される富士、大山など日本七霊山の一つ、国定公園・石鎚山(標高1982mの麓にある。真言宗石派の総本山であり、修験道の根本道場でもある。弘法大師は若い空海のころ、この石鎚山に2度入山しており、虚空蔵求聞持法や37日におよぶ護摩修法、あるいは三七日(21日間)の断食修行をしたことが知られている。

 

 そして、今日の打ち止めは、ここ、65番札所の三角寺。ここも途中からタクシーに乗り換えて山門下まで向かう。途中、娘さんの運転する車や中年おじさんの乱暴な車と対向しながら、ひやひやどきどきの山道走行である。で、この75段かの石段がきつかった。おなか満タンだから、苦しい苦しい。足の痛さなんぞどこかへ忘れてしまっている。

 

 今日の掲示板はこれ。「高い山はゆっくり登れ」という荒了寛さんの言葉から。最近は「弾丸登山」という言葉があるようだが、高山病予防のためにも、高い山はゆっくり登った方がよいそうだが、こちらはちと意味合いが違っている。「大きな仕事は焦らず、急がず、ゆっくりと進めたほうが良い」という意味である。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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