まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

橋物語 その四 浦島太郎伝説

2005年05月31日 | 歴史
 香川県の西部に「詫間町」という町があります。ここの交換局で電力設備が撤去されたので、その確認に行ってきたのであります。この詫間町は戦前から詫間港という港で栄えたし、海軍の飛行艇「二式大艇」の基地があったことで有名です。その基地の跡地にできたのが「詫間電波高専」。今も学校脇の道路沿いに防空壕がそのまま残されております。
 この詫間町には浦島太郎伝説が残され、「生里」は太郎が生まれた所、「箱」は太郎が玉手箱を開けたところ、その煙がたなびいた山が「紫雲出山」だとか・・・。そのほかにもさまざまな地名や場所があるのだとか。
 で、その詫間町の高瀬川にかかっている詫間大橋にあるのが、この浦島太郎の銅像であります。
 太郎の銅像はきめ細かく作られておるのに、その下流側には簡単な竜宮城がコンクリートで作られておるばかり・・・。その対比が、なんだかなぁと思うばかりです。

橋物語その三 屋島の那須与一

2005年05月31日 | 歴史
 今日の高松は三十一度を超える真夏日となりました。でも、昨日のような蒸し暑さはなくてさわやかな初夏の一日でありました。
 聞いた話によりますと、高松市の下水道のマンホール蓋に描かれているデザインは、高松工芸高校の生徒さんが書いたものなのだとか。いわれてみると、なるほどねぇ~。
 さて、今、話題になっているNHKの大河ドラマ「義経」もいよいよ近日には「屋島出陣」だとか。最近、屋島を訪れる人が増加しておるのだとか。これまた、なるほどねぇ~。で、旧国道の春日川にかかっている春日川橋には、その源平の戦いの有名な一場面が再現されております。
 上流側から那須の与一が弓を引き締め、下流側では船に乗った女性が扇の的を掲げて招いておるのです。


テロ発生か、火災発生か??

2005年05月30日 | Weblog
 今日、坂出駅前を走っていると駅前地下から白煙がもうもうと立ち込めておるんです。こんな光景を見ると、「テロ発生か?」「火災発生なのか?」と思うでしょ。でも、あたりを歩いている人も車も知らんぷり・・・。こんな光景が坂出駅前では当たり前なんでしょうか??
 車ではいつもNHKラジオを聴きながら走っておるんですが、大三島の山火事の報道は何回もやってますけど、坂出駅前で火災発生とか、テロが起きたとも報道しないんです。あれれ??
 今日の香川は29度になるとかいうとったですが、27度は超えていたかも知れません。なんか、蒸し暑い一日でありました。

満濃町の橋物語その二 かりんの実

2005年05月29日 | 自然
 多度津町のマリーナ「西部ヤンマー」さんの社長さんと話し込んでいて、橋の話になって、その社長さんも狛犬や橋の欄干などに興味があるんですって。そういう趣味の人っているものなんですね~。で、狛犬とかマンホールとか橋の飾りとかについて話し込んでしまったものでした。
 船は・・ドライブ(プロペラ)の交換、冷却ポンプの交換、発電用のダイナモの修理、バッテリー(大・小)の交換、船体外部のひび割れ修理などで、数十万円になるらしい・・・。

 さて、今日のお話は、橋物語の第二弾、満濃町の橋についてです。
 この橋は満濃町にある満濃大橋にある彫刻の「カリンの実」です。これって、名のある彫刻家の作になるものやないかなぁと思うんですが、橋のどこにも記載されておりません。このかりんは、「町の木」に指定されておるようで、かりんの実は、町内のあちこちで見ることができます。また、満濃池には「かりん亭」といううどん屋さんまで作られております。

 

こんな風景が香川県にあるんです。

2005年05月28日 | 自然
 高松の社宅からコトデンという私鉄の電車で高松駅に行き、高松駅からJRの電車で多度津駅まで行きました。で、そこから徒歩で船を修理してもらっているマリーナまで町並み観察をしながらのんびりと行きました。
 この多度津町は四国鉄道の発祥の地であるとか、香川の軍港とか、さまざまな表情があるんですが、その中でも、少林寺拳法の総本山「少林寺」があることも有名な町です。中国の少林寺で修行した「宋・道心」という人が、この多度津の町にお寺を建てて、ここで少林寺拳法を普及したのだそうです。
 多度津という町の西部にある丘陵地の中ほどに少林寺というお寺があって、少林寺拳法の修行や、禅宗の勉強や修行なんぞをやっておりますし、禅林学園という学校まであって勉強しておるんだそうです。そこの生徒さんたちが、山の家が被災したとき、たんすなんぞを運び出して片付けてくれたものです。

 

高松のマンホール 那須の与一

2005年05月28日 | Weblog
 船の修理ができたので、多度津町のマリーナまで電車を乗り継いで行ってきました。その前に、インターネットでマンホールについて調べてみたら、なんと、「マンホール友の会」というのがあるじゃないですか。で、高松のページを見ると、カラー版のマンホールが掲載されておるんです。
 で、その場所に行ってみると、本当にカラー版の「那須の与一」があるんです。高松市の場合、フルカラー版、黄色一色版、着色なし版の那須の与一型があるようです。そのほかにも、多くのマンホール蓋のタイプがあるんですが、こういうのは、正式のホームページにまとめたいと思っています。しかし・・・、マンホールを調べて歩く人って多いんだなぁと思ったことです。


着々と柱や梁・桁ができています。

2005年05月27日 | Weblog
 今日は26度を超える暑さで、屋外を歩けば汗が流れました。
 我が家の部材の切り込みをしている某木材工場の資材倉庫を訪ねました。もう、ほとんどの大きな部材の切り込みは終わって、これからは直立する柱の切り込みにかかるそうです。
 一般的には専門の工場に図面を送って、「プレカット」という基本的切込みを機械で行うのですが、我が家は大きくて、背の高い建物になる関係で、プレカットができず、一本・一本、手作業で切り込んでいます。写真に見える部材は桁材で屋根や天井を支える水平材ですが、長くて大きな材木群です。
 来週半ば頃に基礎工事を行う前の「位置決め」を行い、いよいよ基礎工事にかかる予定です。
 しかし、喜んでいいのか、悩んでいいものか、家を建てる予定地付近から、多量の「茗荷:みょうが」が芽を吹き出してきたのです。前の所有者が植えたもので、これを市場に出しておったとか。踏むつぶすにはしのびないし、こんな多量の茗荷を移転するというのも・・・。
 次々と問題が出てくるものです。


高松空港付近を走っていると・・・。

2005年05月27日 | Weblog
 天気のよい日、高松空港付近を走っていたとき、ふと・・見ると・・・「オール1」必ずあるんでしょうが、めったに見ることのできない、「111111.1」
 もう少しで気づかずに通りすぎてしまうところでした。
 私が3年前に、この車を預かったときには、ただの3万キロあまりだったのですから、8万キロを走った計算になります。これを3で割ると、1年に2万7千キロ。実によく走ったもんです。
 マイボートの修理が終わったようなので、明日は多度津までJRの電車に乗ってゆき、そこからマリーナまで町内路上観察をしながら歩いて、そこから「あかつきー2」に乗ってさぬき広島に行きます。島で一泊して母のさっちゃんの話相手になって、お昼過ぎにフェリーで丸亀に出て、また、JRで高松に戻る予定です。


奉公記念像「いちたろう やぁい」

2005年05月26日 | Weblog
 丸亀市の西に「多度津町」という町があって、小高い山が「桃稜公園」と呼ばれて親しまれています。少林寺拳法の総本山「少林寺」のあるところです。
 この山の頂上にお母さんが手を上げて子どもを呼んでいる像、「いちたろう やぁい」があります。日露戦争に行くために、この多度津の海から出征してゆくわが子を見送り、「お国のために奉公するんだぞぉ~」と呼びかけている母の像です。この話は美化されて映画や舞台、浪曲にまでなって、先の世界大戦が終わるまで「軍国の母」として賛美されたものです。
 今は、「子を思う母の像」として再建されて、今も多くの人たちがここを訪れています。
 パソコンが流行りだしたころ、文章作成ソフトに「一太郎」というのがあって、(今もあるんですが・・・)パソコン愛好家が多く集まったという場所でもあります。今は「ワード」が有名になって、かつての「一太郎、やぁい~」と叫びたい想いになったものであります。


香川のちょうちん

2005年05月26日 | 民俗
 おしごとのついでに社宅付近を歩いていると、三好提灯店を見つけました。ここは香川でも有名な「ちょうちん」を作るお店です。最近は提灯なんて使うこともなければ、見ることもない道具ですが、電気のない時代にはなくてはならない道具でありました。
 光にあふれた現代にあっては、必要でなくなった「ちょうちん」ですが、この三好提灯店は、実にさまざまな提灯を作成してはマスコミに取り上げられています。
 お店は普通のありふれた二間ほどの間口の、奥行きの長い建物でして、そのお店にあるのが、この、「さぬきうどん提灯」です。この三好さんにかかればできない提灯はないらしく、サンタクロースやフグ提灯まで展示されておるのです。いまや、提灯は光という暖かさを与える道具ではなくて、夢という暖かさを与える道具になったのかもしれません。

路上観測1:マンホールのふたって・・・。

2005年05月25日 | Weblog
 普段、何気なく通り過ぎている道路にも、実にさまざまな情報が横たわっておるのです。その中でも、マンホールのふたぶたが静かな観察視点になっておるそうです。このデザインは各自治体ごとに決めるんでしょうが、中には単に町のマークだけを鋳込んであるものもあるんですよ。そのデザイン大会もあるそうです。
 こうした下水や汚水のマンホールのフタを調べるだけでも、一冊の本ができそうです。それに、四国ガスや四国電力・電電公社やNTTなどと調べてゆくだけでも、結構な「香川学」になりそうです。近年には「平成の大合併」が行われることから、古い町名が刻まれたマンホールのフタが高くなるかも知れません。ちなみに、これは高松空港が開かれた「香南町」の汚水ふたの写真です。
 私たちの足元には、さまざまな情報が転がっておるのです。ただ、こうした調査をされる人は、交通安全に注意してください。


沈黙のダム 台風に見舞われた豊稔池 

2005年05月25日 | 自然
 昨年10月の台風23号は香川県東部で大きな被害を与えたが、西讃の大野原や観音寺方面でも甚大な被害を与えたという。その大野原の山間部でも至る所で山崩れがおこり、山肌に大きな崩落現象が見られる。
 先に紹介した豊稔池周辺でも山崩れがひどく、遊水公園に至る道路が流失し、ダムの近くまで行くことができない状態のまま。ダムには今も茶色によどんだ水が流木とともに残ったまま。あの巨大な石積みアーチダムは放水(吐水というらしい)することもなく、水音ひとつなく沈黙したまま。巨大な象が静かに眠ったままのように見える。このダムも近く、田植え用の用水を放流しなければならない時期になるが、水路は激しく壊れており、放流ができるのかどうか疑問になる。
 このダムに至る県道も大きく流失し、今も復旧工事が各所で行われている。

橋物語その1 龍の子どもとかりんの実

2005年05月24日 | Weblog
 今、鋼鉄製の橋が話題になっていますが、関係があるのかないのか・・・。
 さて、このモニュメントは最近できた国道32号線・満濃・綾歌バイパスの満濃町がわの橋の上にある「龍の子ども」のモニュメントです。あのこんぴら丸のお土産売り場の近くです。
 龍の子どもは満濃池に移転してきたお母さん龍を、三谷三郎池から、はるばると訪ねてやってきたのでしょうか。手にしているかりんは町の木です。満濃町近辺には、こうしたユニークなモニュメントがありますので、おいおいに、つれづれにお話してゆきたいと思います。
 橋の名前は「はらいがわおおはし」、上り側から見れば、「祓川大橋」となっています。昔、こんぴらさんにお参りするとき、この川で体を洗って清めたことから「祓川」の名があるそうです。
もっとも、こんぴらさんには遊戯場や芝居小屋、賭場などがあって、この川で身包みはがされて支払いされられたことから、「払い川」だといわれたこともあったとか。

  あじさいの 揺れて昼寝の 揚羽かな  暁光

みなくちまつりと午王さん

2005年05月24日 | 民俗
 高松市勅使町の周辺の農家でも田植えの準備にかかっています。このあたりは自分ちでモミを撒いて苗をたてるのです。この苗代(なわしろ)の水の取り入れ口にお花を立てて、神社から頂いた午王(ごおう)さんという御幣を立てて、稲の無事な生育を願うのです。これを「水口(みなくち)まつり」というのです。
 私の家でも昔はこういう風習があって、黄色いやまぶきなどのお花を供えた記憶が残りますが、近年には農協の育苗センターで育てた苗を買うために、こうした「なわしろ」という概念がなくなって、廃れてしまった民俗伝承でありました。しかし、この地区には今もこうした風習が受け継がれているのに関心したものです。
 苗箱にはシートがかけられて保温し、または小鳥の害から守り、周囲には幾重にも網を巡らせて、ネズミなどの侵入を防いでおるようです。

  野の花を みなくちにさし 御幣ゆれ  暁光

さつき展の季節です。

2005年05月23日 | 自然
 県内の各地でさつき展が開かれておるようです。高松市内でも玉藻公園や神社の境内などで展示会や即売会などが開かれており、愛好家で賑わっています。
 太田上町の廣田神社の境内でもさつきまつりが行われており、愛好者たちがさつきを囲んでさつき談義に花をさかせておりました。
 この写真は昨年の今頃、玉藻公園で行われたさつき展に出品された名花の「今村姫」という名前のさつきです。この今村姫はテレビや新聞でも紹介される有名な作品で、この前には人だかりができ、さつき作りのうんちくが語られるのです。

  ひとしきり 薀蓄をきく さつき展  暁光

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