まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

花菖蒲いらないものは何だろう

2022年05月31日 | 時には日々是日

 5月31日のさぬき市地方は、朝方は雨が降ったり曇ったりしていたが、やがて高気圧に覆われて晴れてきた。気温は19度から28.1度、湿度は94%から54%、風は5mから1mの西の風が少しばかり。明日の6月1日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 収縮期100mmhg、拡張期58mmhg、脈拍80bpm、体温36.5c/酸素濃度98%/体重63.6Kg 室内気温21.7c/室内湿度61.3%/気圧1004hPa 体調に変化はない。今日の日の出は04:53分、日の入りは19:10分 月齢は0.6の大潮。今日は午後から初エアコンの試運転。

 

 奥方のバラに、こんなコガネムシの小型のような虫がどこからともなくやってきて、密を吸い取り花びらを食べてしまう。これを指先で一匹ずつ捕まえて処分するのだが、捕まえても捕まえてもやって来るので「往生しまっせぇ~。」と、これまた古いギャグ。

 

 今日は奥方の定休日。朝早くからバラの手入れに余念がない。バラの花はコガネムシの小型に食べられて切り捨ててしまっている。(何という虫なのかわからない)

 

 9時前になるとすっきりと晴れてきて夏空になってきた。そこで、弟と二人でお墓探しに出かけることになっている。

 

 だが、今日は打ち合わせ不足やら準備不足やらで成果が上がらない。こういう供養塔が4基あるはずなんだが2基しか見つからない。こういうものが消えてなくなるはずはないし、誰かが背負って持ち帰るようなものでもない。確かに昭和60年代の町史には記載されているのに姿形が見えてこない。

 

 見つかるのは、こうした「カンタロウ・ミミズ」という大きなミミズくらいなものである。山林に生息するミミズで、体が大きく、青紫色の光沢がある。正式には、シーボルトミミズというそうな。別に害もないみたいだが、あんまり気持ちのいい生き物では無い。

 

 で、作戦を変更して「さぬき市領内」にまで足を伸ばしてきた。こうした案内地図があるのだが、33番と30番の間に「へんろ墓」と二つ書いてある。ガイド用資料には「30丁地蔵付近」と、「30丁地蔵付近の堀切西側」と書いてあるが、その意味がわからない。そのあたりを探しても遍路墓なんぞない。

 

 で、あたりを探したり、山の中に分け入ったりしていると、こういうお墓が見つかった。でも、私が持っている資料と、弟に持たせた資料が違っていて、同じ講義の同じ教授が作った資料に違いがあるのはどうしてなのかと、山の中で軽い論争が始まったりして・・・。ここには9基ほどのお墓があるのに、資料にあるのは、この1基だけ。資料の整理からやり直してからのリベンジになりそう。

 

 こういう旧へんろ道も次回への宿題になった。

 

 で、今日のお昼は、お墓探訪に近い「お食事処はなみずき」になった。四国霊場八十八番札所・大窪寺にほど近い、数寄屋造りの温泉宿「野田屋・竹屋敷」。その一角にある「はなみずき」は、料理人の技を駆使した季節感あふれるうどんとそばを、心静かに堪能できるスポットである。お値段しそうな温泉旅館竹屋敷の看板に敷居の高さを感じてか、そうそう、お客さんは多くない。おうどんやおそばだってお安くは無いお店なのである。絶品うどんに舌鼓を打った後は、緑の山に抱かれた庭園を散策して心にもうるおいを感じることができる。大窪寺門前の「野田屋」と姉妹店だからと立ち寄ったもの。

 

 で、二人ともが「天ザルそば(1050円)」をいただいた。いくらうどん王国の香川県民だっておうどんばかりで生活をしている訳では無い。さぬきの住人だっておそばも食べるしナポリタンも食べる。パン食だって食べるし中華料理だって食べる。

 

 でも、本当のところ、そうめん屋というそうめんが食べられるお店は少ないし、おそばを食べられるお店だって多くは無い。だから、奥方へのお土産も、「じねんじょそば」というおそばにしたほどである。

 

 ついでに、今日もハチクを数本鎌で刈って持ち帰った。もう、背丈が2mも3mもになっていて、おいしくはないのだろうが、食感だけのものかも知れない。

 

 今日の掲示板はこれ。「大事なものが手に入らないのは いらないものを持ちすぎているから」というもの。これは「中野良俊」さんの言葉らしい。服は捨てなければたまってしまうと分かりつつも、もったいなくて捨てられないのが実状である。さまざまな執着心をふり捨てて、「もちすぎている要らないもの」を、この夏すっきり捨てたいものである。生活用品には「捨てるもの捨てないもの、要るもの要らないもの」が判断できるのだが、自分自身の生き方に於いて、人間として生きる上で「捨てるもの捨てないもの、要るもの要らないもの」とは一体なんだろうか。その事を教えてくださるのが仏教であるのだろう。「私の人生でしがみついている要らないものは何だろうか、本当に大事なものに出会ってきたのかな」と、捨てられないものと向き合いながら、断捨離をしてみるのも、面白いものがあるかもしれない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


花しょうぶ頼んだ荷物がやっと来た

2022年05月30日 | 時には日々是日

 30日のさぬき市地方は、低気圧や前線の影響で昼前は雨が降っていたが、昼過ぎからは曇りとなってきた。気温は19.6度から27.2度、湿度は94%から56%、風は1mから4mの西の風が少しばかり。明日の31日のさぬき市は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇るらしいが、昼前からは高気圧に覆われて晴れる見込み。明け方まで雨の降る所があるらしい。

 

 収縮期93mmhg、拡張期58mmhg、脈拍80bpm、体温36.4c/酸素濃度97%/体重63.6Kg 室内気温20.2c/室内湿度50.0%/気圧1006hPa 体調に変化はない。今日の日の出は04:54分、日の入りは19:09分 月齢は29.3の大潮の新月。

 

 今日の天気予報は雨だが、雨らしくもないので出かけることにした。都会の人たちは遊園地だ動物園だ、デパートだ駅地下だ駅中だのと行くところが多いけれど、田舎にはそんなものはない。あるのは農協(JA)の購買部くらいなもんだ。

 

 で、私はいつものお墓探し。現代風に言えば「墓マイラー」というらしい。肩書らしく言えば「遍路墓研究家」とか「遍路文化研究史家」とか・・・。まだ、「評論家」まではには届かない。で、先日のこのお墓は、個人の墓地にあるご先祖さまのお墓らしい。どうりで「生国」が刻まれていないわけだ。

 

 で、「これはきっとお遍路さんのお墓に違いないぞ」と、車を止めてよくよく見れば・・・、

 

 な、な、なんと・・・、「犬之墓」と刻まれているではないか。お犬様のお墓までには手を広げたくないので、即、却下。

 

 これこそ、お遍路さんのお墓だと近寄ってみれば、「なんたら家累代墓地」の標識が立っている。確かにお遍路さんのお墓にしては立派過ぎるものが並んでいる。

 

 さて、これは、どうだ!とそばに行けば、おびただしいお墓の数に圧倒される。これを一人で調べるには根性がいるぞ。「今日は下見だけですよ」と、お断りして引き下がる。「ハイ、雨が降っていますもので・・」とお断りなんぞをしたりして。

 

 今日のお昼は「オカベの麺」という半田の手延べそうめん。

 

 夏とは言うけれど、今日は肌寒い一日。暖かくして、なお、電子レンジで温めてからの「卵かけそうめん」にした。「卵かけご飯は料理じゃない」「卵かけご飯って簡単過ぎ!(卵を)割るだけやろ!」「簡単な料理(が食べたいん)や!」と、卵かけご飯を料理扱いすることに異議を唱えた明石家さんまさんが話題になったが、「卵かけご飯は立派なフランス料理だ」という人まで現れて、一躍、卵かけご飯の話題が再燃している。

 

 それはともかく、時期遅れのように見つけてきた「淡竹(はちく)」である。これを包丁で切ってみた。

 

 我が家の祖母(ばあちゃん)が、「包丁が通ったら食べられる」と口癖のようにいうていたので、これらはみんな食べられる。

 

 早速におなべに湯がいて、もう、2時間にもなる。これだけ湯がけば下茹では完璧。あとは奥方が煮るなり揚げるなり、ご自由にどうぞ。おそらく冷凍保存になるのだろうけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「生まれを選ぶことはできないが 生き方は自分で選ぶものです」という荒了寛さんのことばから。私たちは、どこの国のどこの誰の所に生まれるかを選べない。親もまた、どんな顔の、どんなこころの、どんな身体を持つ子が生まれるかを選べない。大会社の社長の子に生まれる人もあれば、内乱の続くヨーロッパの貧しい夫婦の家に生まれる子もいる。私たちは自分の生まれを選ぶことはできないけれど、貧しいままで終わるのか、働いて働いて大会社をつくる生き方を選ぶのかは自分で選択できること。明るく楽しく生きるのか、辛く悲しい人生を生きるのか、それさえも自分で選ぶことができるもの。はたして、あなたは、自分で選んだ人生を送れているだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


紫陽花に今日の疲れをほぐされる

2022年05月29日 | 時には日々是日

 29日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は19度から27.8度、湿度は38%から74%、風は3mから1mの西南西の風が少しばかり。明日の30日のさぬき市地方は、低気圧や前線の影響で曇り、昼過ぎから雨の降る所がある見込みらしい。

 

 収縮期102mmhg、拡張期57mmhg、脈拍80bpm、体温36.1c/酸素濃度99%/体重63.8Kg 室内気温20.9c/室内湿度50.1%/気圧1009hPa 体調に変化はない。今日の日の出は04:54分、日の入りは19:09分 月齢は28.3の中潮。

 

 昨日で我が家周辺の草刈りはおしまい。来週には奥方の畑周りの害獣除けネットの修理なんぞをやる予定なので、今日は休養日の予定・・・。

 

 先日に駐車ブロックに足を取られて転倒したわけでもないのだろうが、足が腫れてむくんで歩きづらい。だから、今日は安静日にしようと決めたのだけれど。

 

 あまりにもお天気が良すぎるのでベッドのお布団を干して、二階部分の掃除をやっておいた。二階には私一人だけしかいないのに、一週間もすればワタボコリがどっさりと。私はブロアーで強制的に屋外へ追放するのが得意。どうにも掃除機は面倒なだけなのだ。

 

 朝、奥方が「お仏花を取り換えておいてね」と言い残して出かけた。そのついでに、さぬき市の観光ガイド組合の年次総会があるというので、年会費だけを支払って戻った。どうにも人混みは苦手なのだ。人間の声も苦手だし。その途中で、この「宝円寺」さんの掲示板を見つけたので、車を停めて合掌礼拝、お念仏。

 

 ここには珍しく「二十四輩さん」がある。この舟形光背の仏像が24体あって、親鸞聖人の教えを正しく伝えた24人のお坊さんの石仏である。関東二十四輩さんが有名だが、讃岐にはこういう「写し二十四輩さん」がたくさん残っている。この6月1日には「二十四輩市」という門前市が行われる予定らしい。

 

 奥方は、「お仏花を・・・」と言うていたが、冷蔵庫を見ると今夜の「お飲み物」がない。そこで缶ビールやらノンアルコールビールやらお茶やらを仕入れておいた。奥方は缶ビールは自動販売機みたいに自動的に冷蔵庫から湧いて出るものだと思っているのか、決して「ビールがないの」とは言わないし買わないのだ。

 

 で、お仏花を買ってきて入れ替えておいた。流儀は「まほろば流」のありのまま・なすがまま派。

 

 今日はすっかりと真夏の日差しになってきた。でも、暑くてたまらないという暑さではない。

 

 今日もまた昼食は「大窪寺そば」+玉子掛けである。今日は久しぶりにメレンゲを載せてみた。観光ガイド大窪寺班の班長がアッと驚くネーミング。

 

 確かに「大窪寺そば」と書いてある。へぇ・・・、こういうものまで出ているのか。

 

 食後にはかきごおりを食べてみた。

 

 こういう食べ物が欲しくなるのはやっぱり夏だからかなぁ。でも、涼しくなるのは食べた一瞬だけ。でも、二杯、三杯とは食べられない。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生はやり直すことはできない しかし、見直すことはできる」という金子大栄先生の言葉から。今日の宝円寺さんの掲示板から。言葉には、その人の人生を変えてしまうほどの力があるという。『開運!なんでも鑑定団』でも知られている、世界的なおもちゃコレクター、北原輝久さんへのインタビュー記事より、素晴らしい言葉をご紹介する。北原さんは中学生の頃、勉強ができないため授業をさぼるのが当たり前になり、遊びにふけるようになっていったそうな。そしてある日、退学処分となる事件がおこってしまった。親に合わせる顔がないとひどく落ち込み、なかなか家に帰ることができなかった北原さんにお母さんがかけた言葉である。「おまえの人生はこれで終わったわけじゃない。これから先の人生のほうがずっと長い。だからめげることないよ。人生はやり直しはできないけど、出直しはいつでもできる。」「人生はやり直しはできないけど、出直しはいつでも出来る。」高校進学後も成績は上がらずにいた北原さんだが、担任の先生からの、やる気を出してくれる言葉などに支えられ、「やればできる」という自信をつけていったという。そして、学年最下位だった成績は、卒業式までには学年トップとなり、総代として謝辞を述べるほどまでになったのだそうな。このように、成長を大きく助けてくれたご両親や先生方に感謝すると共に、言葉のもつ力の大きさを実感するようになったと語られていた。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


遅咲きの花あじさいや一筆箋

2022年05月28日 | 時には日々是日

 28日のさぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は20.0度から30.0度、湿度は76%から46%、風は4mから1mの西の風が一時は強かった。明日の29日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 収縮期101mmhg、拡張期60mmhg、脈拍80bpm、体温36.4c/酸素濃度97%/体重63.2Kg 室内気温28.5c/室内湿度35.2%/気圧1008hPa 体調に変化はない。今日の日の出は04:54分、日の入りは19:08分 月齢は27.3の中潮。

 

 今日も午前4時から起きて、お遍路のお墓の分析作業。遍路さんのお墓には、①土まんじゅう、②自然石 ③自然石に戒名など刻字 ④切石(四角柱に整形) ⑤舟形地蔵形 ⑥切石台座付き ⑦供養塔等石碑形などに分類できる。一番多いのが③の自然石に刻字形。次いで④の切石形である。

 

 で、お墓に刻まれた戒名の最後につく「位号」と呼ばれるもの。法師はお坊さん、禅定や禅門は「優婆塞」と言われる在家で仏門に入った人。居士、大姉はお寺にとっても貢献した人。ほとんどが「信士」だから信士は数えなかった。ご婦人は「信女」「尼」。子供も年齢でさまざまな位号が決められている。そういうことをやっていたわけ。

 

 で、7時からは出勤。今日は奥方がお休みだから控えめにお仕事をやっておく。「この剪定は甘いわ・・、天がさっぱりね」とイヤなことを言う。高いところは足が震えてはしごに乗れないので後回しになっているだけ。足が元気になったらやるがな・・・。

 

 今日は、奥方の畑回りの草刈り。ナギナタみたいな鎌で草をなぎ払って、あとは邪魔になる庭木の剪定をすませて草刈りは完了。来週からは、この畑回りのサルよけネットの修理にかかる。

 

 このネットも、私の入院騒動で壊れたまんま。強風でポールが倒れたり、ネットが破れてたるんだりして、猿の侵入を許しているのが現状。今はまだ収穫できるものがないので被害はないのだが、早めに修理しておかねばと準備中。

 

 奥方は先日に買ってきたバラの苗木の植え付けに夢中になっている。私は植物を切り払うのは大好きだが、植えるのは大の苦手。私の植えたものはことごとく枯れてしまうのだ。だから、奥方のお手伝いには参加しない。

 

 バラも花が咲いているときはいいのだけれど、あっという間に花は終わってしまって、後の手入れが大変そう。病気がつかないように消毒作業が多いのだ。

 

 こういうバラにもコガネムシの小型の虫が飛んできて、この中で密を吸ったりして花びらを弱らせてしまうのだ。お店の人に聞いても、虫を集める薬はあるが、追い払う薬は無いのだとか。花びらに防虫剤なんぞもってのほかだとおっしゃるのだ。

 

 ふと見ると、巣箱にシジュウガラが遊びに来ている。でも、巣ごもりする雰囲気では無い。

 

 今日のお昼は日本ソバになった。それになめこが盛り付けてある。なめこそばとでも言うのだろうか。

 

 これはこれでおいしいと思った。夏場だから冷たいおそばだから玉子かけにはできなかった。

 

 お昼からもしっかりと「遍路墓学」についての論文作成。考察がほぼ終わるので、完成はもう間近。

 

 四台のパソコンをフル活用しての論文作成中。正面右が本文作成中。左が図版集。こちらで図版を選んでマウスでつかんで移動すれば右のPCに貼り付けられる。さらに右のPCでは参考文献を展示中。ここでは見えないが、左端のPCでは確認用のグーグル検索端末。書類に乾電池を載せているのは、窓からの風で、書類が飛ぶのを押さえているだけ。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きとし生けるものを救うと仏が言われたのに 誰が救われるのかと仏に聞く 生きとし生けるものとはあなたのことなのに」というもの。誰のお言葉だか調べてもわからなかった。生きとし生けるもの全てを救わずには居らぬぞと言われても、疑い深い私たちは、それでもまだ、しつこく、「誰が救われるのか」と仏に聞く。信じるということが信じられぬ頑固一徹のわれらであることか・・・・。この如来の大悲を聞いて信じ喜ぶ身になっても、凡夫の迷いの身がすぐにさとりの身になるのではない。この世に生きている限りは、人間としてのさまざまな苦悩はなくならないし、罪悪の身も少しも変わらない。しかし如来の摂めとって捨てないという光につつまれ、浄土に向かう人生へと転じられるのである。そんな「暁の光」になれるようにと念じ続ける「暁光法師」でありたいと思うばかりである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


一人だと一人のままの夏の花

2022年05月27日 | 時には日々是日

 27日のさぬき市地方は昨夜からは雨で朝方まで降り続いていたが、昼前あたりから高気圧に覆われて晴れてきた。気温は18度から28.5度、湿度は92%から44%、風は1mから5mの西南西の風が一時は強かった。明日の28日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れるらしい。

 

 収縮期101mmhg、拡張期58mmhg、脈拍80bpm、体温36.5c/酸素濃度97%/体重63.4Kg 室内気温24.5c/室内湿度54.8/気圧1008hPa 体調に変化はない。今日の日の出は04:55分、日の入りは19:07分 月齢は26.3の中潮。

 

 朝方はまだ雨が残っていたので遅い出勤になった。

 

 それまでは午前4時起きでお墓の位置を地図上にマークする作業をやっていた。

 

 こうして見ると、ずいぶんとお遍路さんのお墓ってあるものだなぁと驚きながら納得しながら・・・。

 

 ま、雨が怖くて人生やってられるか・・・ということで奥方の畑回りの草刈りと植木の剪定作業をやってみた。ここも私の入院騒ぎやらなんやらで草も木も伸び放題の伸ばせ放題。密林まではいかないが荒れ放題の庭になっている。

 

 それを雨具を着ての草刈りと剪定作業をやる訳だ。ここは平坦地だから歩かなくても剪定は可能。

 

 剪定なんぞという高級技術やなくて、邪魔になるものを切り捨てるという「伐採」みたいなもんだ。

 

 で、ほぼ一時間で剪定は完了。切り捨てた枝や葉っぱが乾いて小さくなればすっきりとするはず。きっとまた、奥方に「また、お花を切ったでしょ!」と叱られると思うが、どれが花やらどれが雑草やらわからんのだ。野生の植物はたくましいから、切っても切ってもまた生えてくる。トカゲの尻尾とよく似ているなぁと思うばかりだ。

 

 で、来週の頭に、弟と二人で、またしても払川のお墓探しに行くが、これがどうしてなかなかの難所らしい。この右端のガードレールから下の川の中へ入り、竹藪を切り開き、川を右に渡り、川伝いに道なき道を下って行き、さらに川を左に渡って水路沿いに歩いて行くらしいが、道の無い川を歩くのだから、さぁ、大変。遭難でもしたら、「そうなんですよ」などとのんきなことではすまされない。決死の覚悟が必要らしい。

 

 地図的には、ほんのわずかの200mほどらしいが、川の中を竹藪の中を突き進むというのは勇気のいることだし、第一、車の置き場に困ってしまう。車は国道脇に停めておいて、徒歩で何キロも歩いて川まで行って、川を渡って、車まで戻るとなると数キロは歩く覚悟が必要になるが、足の悪い私には歩けるだろうかと気に掛かる。

 

 その途中で、またまた、昔のお墓を見つけてしまった。明和五年というと、1768年である。今から254年も昔のお墓である。

 

 あたりには幾つものお墓が埋まってしまっている。これを堀り起こすのは面倒だから見て見ぬ振りをしておこうか。

 

 今日は雨のしずくでぐっしょりと濡れたので、温かくした天ぷらうどんにしてみた。揚げも乗せたし、梅干しも大根おろしも乗せてみた。スペシャルW天ぷらキツネ梅うどんになった。どんなんじゃい。

 

 今日の掲示板はこれ。「人の悪い所はよく見える 自分の悪い所は見ようともしないこの私」というもの。どこの誰の言葉かもわからない。江戸時代の終わり頃から昭和の始めにかけて、讃岐の国に山地願船さん(1859~1941)という方がいたそうな。この願船さん、同じ讃岐の庄松同行に並ぶ程の妙好人であったとか。ある時、願船さんが「眼が悪くて困っておりますが、この私の眼を診てくれますまいか」と親しい眼医者を訪ねたそうな。ところが、いろいろと調べてみても、どこにも悪いようにはない。「診たのじゃが、どこも悪くないようじゃがな」と眼医者が言うと、願船さんが言うことに、「私の眼は人の悪いとことばかり見えて困るんですわ・・・」。なるほど。私たちの眼というのは、他人さまのことはよく見えるもの。「あの人、また、スマホを変えたなぁ・・」、「あの人は外車に乗って景気がええなぁ~」などと。それでは、そのよく見える眼でもって、自分の顔を見ようとすると、さあ、どうだ。頑張っても、せいぜい鼻の頭が見えるくらい。鼻が低いとそれさえもむつかしい。一番近くにありながら、見ることできないのが自分の顔なのである。蓮如上人は、「人のわろきことはよくよくみゆるなり、わが身のわろきことはおぼえざるものなり」と、仰せだった。

 

じゃぁ、また、明日。逢えたら、いいね。


睡蓮や庭の畑にカラスの子

2022年05月26日 | 時には日々是日

 26日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、夕方から雨や雷雨となるらしい。気温は19度から27度、湿度は66%から94%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。強風・波浪・雷注意報が発令中。明日の27日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、明け方まで雨や雷雨となる見込みで、昼前からは高気圧に覆われて晴れるらしい。

 

 収縮期101mmhg、拡張期62mmhg、脈拍80bpm、体温36.5c/酸素濃度97%/体重63.4Kg 室内気温22.0c/室内湿度50.2/気圧1007hPa 体調に変化はない。今日の日の出は04:55分、日の入りは19:07分 月齢は25.3の若潮。

 

 今朝も4時起きで、お墓の位置をマーキングするために住宅地図を引っ張り出してきた。こういうものもスキャナーで読み込んでおく。

 

 で、7時からはスパイクを付けての草刈り開始。確かに足下は安定するが、足腰の弱い私には根本的に歩けないから足場固めをするだけで精一杯。

 

 こういう急斜面の草刈りだから、足下が固定されても上半身は不安定。近くの庭木にロープをかけて、それに体を預けての草刈りになった。わずか10mほどの草刈りなのに、40分以上もかかってしまった。

 

 でも、これで、家の北側から東方面・・・。その間に、サルとカラスのけんかの仲裁に行ったりと、草刈りも楽じゃない。どうやら、カラスの巣あたりにサルの軍団がやってきて桑の若葉を食べたらしい。それでカラス軍団と猿軍団の争奪戦になったらしい。カラスは空から特攻攻撃。猿も負けじと枝をゆすって威嚇攻撃。田舎の戦争はこんなもんだ。

 

 逃げるサルの背後から急降下して襲いかかるカラスの軍団。私が下からジェット花火で集中砲火して双方が撤退。休戦になったらしい。

 

 東の旧道部分の草刈りは完了した。この斜面だけがくせ者だったが、これで一安心も二安心もすることができた。これだけに10日もかかってしまったのだ。でも、3、950円のスパイクは、これでご用済み。秋までお仕事が無い。

 

 9時前になると、奥方がバラの苗を買いたいからというのでお出かけ。途中のスーパーでトイレ休憩しようとしたら、パーキングブロックに躓いて前に転倒。膝小僧を痛めたらしい。

 

 で、高松市の香西南町というところにある「ファミリーガーデン」まで行ってきた。ここには里芋のタネからネギ、トマトから盆栽、サボテンからバラまでいろんなものが並んでいる。

 

 でも、時期的にいいものがないらしく、悩んだ末に三本ほどのバラの苗木を買った。

 

 これが悩む奥方である。私はトイレを借りただけ。どうにも「生き物」は苦手なのだ。

 

 で、屋島まで孫の洗濯物を届けに行って、孫と一緒にうどん屋さんに行った。奥方はお寿司だ、レストランだのと言うていたが、孫の一言ですんなりとうどん屋さんへGo!。

 

 で、私は店長おすすめだという「鶏ザル」というものを注文した。奥方のおごりだというので700円のものをオーダーした。このピンクのものが揚げだての鶏天で、この赤とうどんの白で「源平」なのだそうな。牛肉はだめだが鶏肉はOK。やわらかくておいしかったが、麺のコシは超ハード。コシというよか固いという感じ。噛まずに飲み込むだけだった。

 

 食後には、コンビニで買ったもらったソフトクリームをいただいた。これはまろやかで甘さほどよくペロリと食べてすんだ。

 

 帰ったら、ベージュのズボンが血だらけ。ズボンはすぐさま水洗いしておいて、絆創膏で仮修理。思い切りアスファルトに膝小僧をぶつけたもので、よくもズボンが破れなかったことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きるとは何かに一所懸命打ち込んでいく、命を燃やしていくこと」という登山家・栗城史多(のぶかず)さんのことばから。栗城さんは云う。「生きるとは、長く生きるかどうかではなく、何かに一所懸命打ち込んで、そこに向かって命を燃やしていくことだと思います。たとえ90歳まで生きたとしても、夢も目標もなく、何にもチャレンジしない人生はつまらない。大切なことは、登頂までの過程で、いかに自分の100%を超えた、110%、120%の未知なる領域に辿り着けるかということです」と。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


切り捨てた庭ドクダミの花が咲く

2022年05月25日 | 時には日々是日

 25日のさぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は18.5度から27.0度、湿度は90%から60%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の26日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、夕方から雨や雷雨となる見込み。

 

 収縮期103mmhg、拡張期65mmhg、脈拍80bpm、体温36.5c/酸素濃度96%/体重63.2Kg 室内気温22.5c/室内湿度55%/気圧1015hPa 体調に変化はない。今日の日の出は04:56分、日の入りは19:06分 月齢は24.3の長潮。

 

 朝の間は4時起きで「遍路墓学事始」のテスト印刷をやってみた。ページあわせとか前項目との突き合わせとか体裁を考えるための試験刷りである。

 

 こうした統計表の見栄えはどうなのかとか・・・。

 

 で、今朝はガレージ裏の草刈りをやってみた。どこもかしこも草まみれなのだからして。

 

 こういう草刈りも鎌を使っての手刈りである。でも、まぁ、急ぐ仕事でもないしノルマがある訳でもないので、できたらできたところでお休みになる。

 

 すると、こういう斜面だけが残ってしまう。この斜面の草刈りは難しい。足場が無いから力が入らない。下手すると「滑って転んで大分県」(古いギャグだ)になってしまう。

 

 そこでホームセンターを回って、こういうスパイクを見つけて買ってきた。

 

 こういう具合に長靴に装着するらしい。登山用、雪山用のアイゼンみたいだ。明日はこれで草刈りをやってみようか。

 

 それに、昨日のこの地図だが小さくてお墓の位置を、どうやってマーキングしようかと思案中。もっと大きな地図がないものかと考えて、本屋さんに行くことにした。

 

 本屋さんはなぜか10時開店ということになっている。ホームセンターを回ったりスーパーに立ち寄ったりして本屋さんに行ってみたが、「帯に短したすきにも短し」で全く参考にもならない地図ばかり。あと、二軒ほど回ったが、最近はスマホやタブレットがあるから地図なんぞ使わないのか置いていないのだ。

 

 帰って、パソコンの中を調べたら、こういう便利な地図があった。これは拡大も縮小も自在にできる。これは東かがわ市分の地図である。

 

 こちらがさぬき市分の地図で、一番欲しい部分の地図である。なんだなんだ、こういう便利な地図があったのに。

 

 今日のお昼は「カツオのたたきと新タマネギの卵かけご飯。新タマネギのスライスがシャリシャリとおいしかった。

 

 今日の食後のデザートはこれ。「ロッテ、そう」と読むらしい。それの練乳いちご版である。これの舌触りが爽快で気分がいい。

 

 今日の掲示板はこれ。「宗教なき教育は賢い鬼を作る」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。どこの誰の言葉かはわからなかった。が、西洋のことわざに「神なき知育は知恵ある悪魔をつくることなり」という言葉があるそうな。我が国の学制発布以来、宗教は教育のラチ外に押しのけられ、よって日本国民は公教育の場では無宗教教育に育てられた。しかし教育の基盤に、宗教がいかに大切なものであるか、それはいみじくも聖徳太子が十七条憲法の第二条に明確に述べている。

 篤く三宝を敬え。
三宝とは仏法僧なり。即ち四生の終帰、万国の極宗なり。何れの世、何れの人か是の法を貴ばざる。人尤も悪なるは鮮し、能く教うれば之に従う。それ三宝に帰せずへば何を以てか枉れるを直くせん。

 かみ砕いていうと、仏法僧の三宝を篤く敬わなくてはいけない。なぜなら三宝は生きとし生けるものの最後のよりどころであり、世界各国が究極の規範として尊ばねばならないものである。だから時と所を問わずだれもかれもがこれを尊ばなくてはいけない。生まれながらの悪人などはごく稀なものであって、よく教育すれば従うものである。それが教育しても曲がってしまうのはどうしてか。それは教育の根底に三宝を敬う心が欠けているからである。三宝を敬う心を根底としないで、どうしてまともな人間をつくることができようか、というのであるが、三宝帰依の心とは仏教以外の宗教でいえば神を敬う心のことであり、つまり宗教心のことである。「宗教なき教育は賢い鬼をつくる」とあるが、賢い鬼は社会を破壊することはできても、社会を建設することはできない。まともな社会をつくるためには、賢い鬼をつくらぬよう務めなくてはならない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


夏となり今日の予定を組み直す

2022年05月24日 | 時には日々是日

 24日のさぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は16.5度から26.5度、湿度は62%から82%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の25日は、午前中は高気圧に覆われて概ね晴れるが、午後は気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、雨や雷雨となる所がある見込みらしい。

 

 収縮期111mmhg、拡張期67mmhg、脈拍80bpm、体温36.6c/酸素濃度98%/体重63.4Kg 室内気温23.3c/室内湿度50.9%/気圧1017hPa 体調に変化はない。今日の日の出は04:56分、日の入りは19:06分 月齢は23.3の小潮。

 

 今朝方の3時前ごろ、いつものようにラジオ深夜便を聞こうとしたらハム音(ブーンという音)ばかり。ラジオの電池が切れたのかなぁと諦めてまた寝た。

 

 で、5時前まで寝ていて、PCを立ち上げて「らじるらじる」を聞こうとしたら「放送していません」の表示が。で、ちょうど5時になったら放送が始まった。そういう「停波」というのがあるんだなぁと実感した。夜中に機械類の調整やら試験やらをやるらしい。定期メンテナンスの日だったみたい。

 

 ラジオの故障でも、電池切れでもなかったので一安心。3時からの「にっぽんの歌・こころの歌」を楽しみにしていたのだが・・・と言うても、いつも数曲で寝てしまうのだけれど。で、気づいたら、もう、終わっていたりするばかり。

 

 そうこうしていて、朝のゴミ出しなんぞをやったら、午前7時を過ぎてしまっていた。暑くならない間に草刈り開始。こうしたナギナタみたいな鎌での草刈りである。私は腰を下ろしたり、座ったりができないから、立ったまんまでの草刈りというと、こういう道具しか無い。

 

 で、8時前には暑くなってきて作業中止。今日は何メートルも進まなかった。

 

 で、引き上げて帰る途中、我が家の前で親子のサルが遊んでいる。ここは動物園ではないし高崎山でもない。我が物顔で居座られても困るというものだ。

 

 家に帰ると頭に帽子をかむったサル・・・ではなくしてヒトが・・・。大工さんである。ベランダの基礎部分が腐ってきて床板がユラユラとするので直してもらった。元気だったら私がやるのだけれど、こういうかがむ姿勢は無理なのだ。

 

 大工さんが作業をしているあいだ中、監視をしている訳にもゆかず、あたりを見回すとトカゲが水槽に落ちて困っている。登ろうとするのだけれど、プラスチックだから滑ってすべって登れない。そこで網ですくって助けてやった。トカゲはお礼も言わずに一目散で逃げた。夜になるとおみやげを持ってお礼に来るかしらん。

 

 奥方も手慣れたもので、とろろとちりめんを用意しておけば、恒例の卵かけご飯にして食べるのを知っているので手抜き中の手抜き。ツナ缶のシーフードとポテサラを乗せてのTKG。一粒一滴、みなご恩。不足言ってはもったいない。 感謝で おいしく 頂きましょう << いただきます >> 。

 

 午後からは「遍路墓学事始」用の地図つくり。この地図の上に、お墓の位置をプロットしたいのだけれど、小さな地図だから難しいかも。

 

 ま、やってやれないことはない。失敗したらやり直すだけ。サルベージ船が「KAZU1」を海底に落としたみたいな重大事項でも無い。

 

 バラの花に、こうしたコガネムシの小型の虫が集まってきて花を食い荒らすので、この虫退治もいやになるほど。処分しても処分しても、どこからか集まってくる。葉っぱの消毒には奥方は夢中だけれど、この虫の防虫剤だってあるはずなのに。

 

 今日の掲示板はこれ。「がんばらない いつも一所懸命だから」というもの。いつだったか、俳優の倍賞千恵子さんが旭日小綬章を受賞したとの記事があった。その新聞に彼女のコメントが載っていて、「(前略)でも、頑張らないで、一所懸命というのが私のモットーなので…。(後略)」だったようなことで、曖昧なことしか覚えていないのだが。「がんばる」は「我を張って」一途で頑固のこと。がむしゃらにやることらしいが、「一所懸命」というのは自分の意思で物事に打ち込むさま・・・らしいが、どこがどう違うのかなぁとは考えてみても、わからない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


ドクダミや佛の背中はなぜ見えぬ

2022年05月23日 | 時には日々是日

 23日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れのち曇。気温は17.5度から27.7度、湿度は82%から46%、風は1mから2mの北西の風が少しばかり。明日の24日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 収縮期98mmhg、拡張期54mmhg、脈拍79bpm、体温36.4c/酸素濃度97%/体重62.8Kg 室内気温20.3c/室内湿度60.0%/気圧1012hPa 体調に変化はない。今日の日の出は04:57分、日の入りは19:05分 月齢は22.3の小潮。

 

 今朝も4時起きになった。夜中に何回もトイレに起きるのだが、頭が寝ているのか30分もトイレにいる。寝たと思ったらまたトイレ。だったら、起きていればいいじゃないかということで起きた。で、遍路墓学(遍路馬鹿学かも)の原稿追加や原稿修正やらをやっていた。

 

 こんな具合で、熟睡をしとらん訳だ。オレンジは覚醒。熟睡は濃い紫。本人は寝ているつもりなんだが、こうして見れば寝ていないじゃないか。

 

 こういう資料も作り直しになった。何月にお遍路さんが亡くなったのかという統計である。ま、お遍路さんが亡くなる年代とお遍路さんの数とは比例しないと思うし、亡くなった月とお遍路さんの数とは一緒にはならんと思うのだけれど。

 

 で、朝の7時からは朝のお仕事の草刈りである。鎌で手刈りをするものだから、30Cmほどずつしか進まない。でも、30Cmずつ進んでいくと、やがてには3mになり6mになる。しんどいのだけれど前に進むしか無い。

 

 「継続は力なり」と、どこかの代議士先生が言いそうな言葉だけれど、まぁ、そういう気分しかない。そこでやめたら、そこでおしまい。先には進まない。これも1時間が限度。8時になれば気温がぐんと上がってくる。そうなれば作業中断。心臓が止まれば人生はおしまい。明日のために今日はここまで。

 

 そうは言うても、何日かかかって、この裏庭の草刈りはおしまい。明日は明日の風が吹く。

 

 今日、ふと見つけた「ナナホシテントウ」である。珍しくは無いのだが、この模様は何のためについているんだろうか・・・などと、チコちゃんに叱られる風に考えたりもしていた。

 

 これはオニヤンマだろうか。鬼でもないのに、なんでオニヤンマっていうの?みたいに考えたりもしていた。暇では無いのだけれど、頭脳のボルダリングである。

 

 8:30分からはまたしても「遍路墓学」のお勉強。今日は奥方がお休みだから外出禁止。いや、外出自粛。

 

 このように、テキスト文書に、「梵字のア」を入れることに成功した。「奉納」の前の記号である。こうなると、全部のファイルに、この「ア」を入れていった訳だ。160基ほどのお墓の八割に、この「ア」が入っているので、それらをすべて置き換えていった。ちなみに、このブログには貼り付けられなかった。

 

 今日のお昼は「オカベの麺」である。徳島県の半田そうめんの一種である。この麺はコシの強さが売り物らしい。天気予報では暑くなるという予想だったのに、曇ってきたからか肌寒いほど。慌てて冬物のセーターを引っ張り出してきて、温かいそうめんにしてもらった。

 時期的には、もう、冷たいそうめんがおいしい時期なんだけれども。

 

 で、食後のおやつはこれ。ソーダフロートである。肌寒いと言いながら、こういうものを食べる時期でもあったのだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「迷いとは心がふたつになること 悟りとは心がひとつになること」というもの。鏡はその前に来た姿を素直に映し出すもの。自分の姿を映したとき他人の姿が映ることはない。これは、鏡が、自分の決まった顔というものを持たないからであり、鏡にとって、映った物それぞれがすべて自分の顔だからである。このように、映ったすべての物を自分として受け入れ、自分と他人の区別なく、清らかで、大らかな鏡のような心を、人、一人ひとりが、持つことが大切なのだと云うているのである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


シャリシャリと新たまねぎの重誓偈

2022年05月22日 | 時には日々是日

 22日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は14.5度から26.8度、湿度は92%から52%、風は1mから2mの西南西の風が少しばかり。明日の23日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 収縮期100mmhg、拡張期59mmhg、脈拍80bpm、体温36.5c/酸素濃度97%/体重62.7Kg 室内気温18.5c/室内湿度59.6%/気圧1010hPa 体調に変化はない。今日の日の出は04:57分、日の入りは19:04分 月齢は21.3の小潮。お昼からのマシン室は29.6度までに上がって、冬物の衣装から慌てて夏物を出したけれど、夕方にはまたしても冬物に着替えるのかな。

 

 今日も朝の7時からは裏庭の草刈りをやってみた。奥方がどこかでポケットに入れてきたツタが、あたり一面中に広がってしまった。「ヘデラ・カナリエンシス」とか「おかめツタ」と言われるものらしい。その繁殖力は異常すぎるほどに広がってしまう。

 

 それを根元ごと、切り捨ててしまうのだけれど、すぐにまた復活するからやっかいだ。

 

 奥方は「緑が多いのはいいことなのよ」と言うけれど、異常繁殖しておとなりの畑まで浸食したら困るでは無いか。ということで、これだけ刈るのに四日以上もかかっている。ま、四日というても、四時間だけれども。

 

 で、8時を過ぎたら気温がぐんぐんと上がったので作業中止。9時過ぎから、先日にお邪魔した美術陶芸作家の及川さんちに行ってきた。こういう旧の農家を借りて移住してきている作家さんである。

 

 今日は、及川さんの管理地にある遍路墓の再調査のためである。普通、「生国」という出身地が刻まれていないお墓は「遍路墓」とは認めない。地元の人との区別がつかないからである。よその国(府県)だとお遍路さんかも・・・となる訳だ。でも、四つ足堂裏には生国の無いお墓が多かった。だから、ここのお墓も仲間に入れようと考えたからである。

 

 こういうのが、お金(所持金)を持っていなかった人のお墓。埋葬して石を置いただけ。当時はお杖を墓標代わりに立てたのだろうが、そういうものはすぐに腐ってなくなってしまう。

 

 これだ。確かに「延享二丑天」と刻んである。1745年である。今まで調べたものの最古は「明和二年(1765)」だから、20年も古い、最古の遍路墓となるではないか。ただ、残念なことに「生国」がない。これは致命的な欠損。正式な資料にはなり得ない。

 

 こういう石仏も風化が激しくて判読不能。悔しいでは無いか。しばらく及川さんと歓談の後、払川地区を後にした。

 

 家に戻ると、またしても、「バラの花のコガネムシ退治」である。コガネムシが花を食べてしまうのだそうな。

 

 今日のお昼もまたまたまたまた、TKG。今日は焼き鳥ととろろの卵かけご飯。「小満(しょうまん)」は、季節の指標である「二十四節気」の8番目の節気。「草木が成長して天地に満ち始める頃」という意味で、2022年は5月21日(土)〜6月5日(日)。小満の頃は、麦の収穫期である「麦秋(ばくしゅう)」と呼ばれる時期。本格的な梅雨入りはまだだが、ぐずついた空模様の日が続くらしい。この時期におすすめの食材はサクランボ。残念ながらサクランボは無い。

 

 食後のデザートにはこれ。「ブラックアイスバー」である。少しばかり甘すぎたかしらん。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分のことより ちょっと他人のことを考える こんな人を心豊かな人という」と云うもの。雪山隆弘著 『ブッド・バイ -み仏のおそばに-』より。最近、何かにつけて、車の運転や道を歩いていても、クラクションを鳴らしたり、すぐカッとなってイライラしている私を見かけるようになった。ほんの数秒のことなのに、お先へどうぞとは言えないのである。自分だけの世界しかみられないから、さらにイライラしてしまうのだ。それぞれがこの地球に共存しているし、自分だけの空間ではないのだが、ついつい、自分のことばかりを優先させている私がいる。なかなかに、「心豊かな人」にはなれないなぁと思うばかりである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


山あいにあめんぼうがいる昼下がり

2022年05月21日 | 時には日々是日

 21日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で朝から小雨が降っていた。午後からは曇り、夜のはじめ頃にかけて雨の降る所があるらしい。気温は17.5度から19.3度、湿度は72%から86%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の22日のさぬき市は、高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 収縮期105mmhg、拡張期60mmhg、脈拍80bpm、体温36.4c/酸素濃度99%/体重62.7Kg 室内気温17.5c/室内湿度59.3%/気圧1015hPa 体調に変化はない。今日の日の出は04:58分、日の入りは19:03分 月齢は20.3の中潮。

 

 朝から雨になった。雨だと草刈りも剪定もできないし、お墓の再調査にも出かけられない。生ゴミ・燃えるゴミのゴミ出しだけは雨の中行ってきた。今日のお仕事はそんだけになった。あとはお休み。

 

 だから、今日は「遍路墓学」の原稿執筆に時間を当てた。正面左側で原稿を執筆中。正面右側は参考文献を表示して、それを右側にコピペしているところ。マウス一個で自由自在に二台のパソコンを操作している。右側のPCでは検索をやって調べ物をしながら、なおかつわからない文字を調べたしているし、左側のPCでは、執筆中の文章に挿入する画像選択をしているところ。四台のパソコンをフル活用している。ついでに、左側のPCではラジルラジルでNHKラジオを聞いてもいる。

 

 左手のPCでは、画像を大きく拡大したりして、墓面の文字を読み取ろうとして、拡大したり左右に動かしながら解析作業をやっている。

 

 右手では「三州」とはどういう国なのかを調べたり、墓面に刻まれた文字を手書きでマウスで書きながら調べている。昔の文字はわかりにくいし、略字や当て字なんかもあるので、手書き入力で文字検索もやっている。

 

 だから、一ページを書き上げるのに三十分から一時間以上もかかってしまう場合がある。なにせ、昔のお墓は手彫りで石工さんがコツコツと彫ったものだから、読みにくいものが多いのだ。

 

 外が雨では仕方が無い。「現地に行こう、現物に触ろう」主義だけれど、雨では現地に行くこともできないし、雨の中、雑木林に入る勇気は無い。

 

 奥方からは、「このバラの花の中にコガネムシなどが入り込むからピンセットで捕ってちょうだい」と言われているが、どうにも他人さんのお仕事には興味がわかない。数匹をやっつけただけで飽きてしまった。

 

 気分転換にドライブに出たら、あたりはもう、すっかりと麦秋の季節。こんなにも麦の色が熟れてきているのかと浦島太郎状態。月日の流れは速いものだ。そう言えば、あたりの田んぼの田植えはすっかりと終わっている。

 

 スーパーの駐車場で、こんなものを見つけた。こんなオート三輪自動車は珍しい。これのどこにもメーカーや型番を示す表示がない。あとで調べてみたら、125ccのバイク並みだけれど普通免許が必要だという。一人乗りで、価格は432,300円だという。面白いけれど、私みたいに山道を走り回るには適当ではないみたい。奥様や娘さんが、ちょいのりでお買い物にはいいかもしれない。

 

 今日のお昼はまたもやお寿司になった。アジの姿寿司である。奥方はお寿司を作るのが大好きみたいだ。

 

 このアジの酢漬けの中にすし飯が入っている。昨夜はフキの入ったチラシ寿司だった。

 

 今日の掲示板はこれ。「人間の可能性を閉ざしているのは、他人でもなく、外部環境でもなく、自分の意識である」という、掘義人さんの言葉から。父は原子力の研究者だった。幼少時には米国で、高校時代はオーストラリアで暮らした。京大工学部を出て入社した住友商事では、重化学プラント貿易に携わった。会社派遣で留学したハーバード・ビジネス・スクール(HBS)で、価値観がぐらりと揺らぐ。米国人の友人たちから「なぜ大企業に勤めるのか」と不思議がられた。新たなビジネスを立ち上げる起業家こそが社会を変革する原動力であり、かっこいい存在なのだ、と。HBSでは、自らを企業の経営者の立場におき、どんな戦略をとるべきかを議論する。2年間で800以上の事例で学ぶ「ケース・メソッド」という学習方法では「あなたならどうするか」を、徹底的に考えさせられた。28歳だった堀は、図書館の中庭の芝生で寝ころびながら考えた。「このスクールはすごいな。こういうビジネススクールを日本につくれないだろうか」。学んでいる大学院自体を、起業対象として考える。堀の夢は、こうして生まれたのだった。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


曇天を見上げて一人花菖蒲

2022年05月20日 | 時には日々是日

 20日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇りとなった一日。気温は14.5度から21.4度、湿度は62%から84%、風は1mから2mの東の風が少しばかり。明日の21日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇る見込み。

 

 収縮期103mmhg、拡張期64mmhg、脈拍80bpm、体温36.5c/酸素濃度97%/体重62.6Kg 室内気温19.5c/室内湿度56.7%/気圧1018hPa 体調に変化はない。今日の日の出は04:59分、日の入りは19:03分 月齢は19.3の中潮。

 

 今朝も朝の7:00時から8:00まで裏庭の草刈りをやっていた。少しは運動もしないと歩けなくなるし、寝込んでしまうと大ごとだからである。ここはミョウガ(茗荷)畑だったところに家を建てたものだから、今もあちらこちらでミョウガが生えてくるので、草刈りをやってもきれいにはならない。

 

 で、機械の草刈り機は重いから使えないので、こうした長い柄の鎌でなぎ払うのである。これだと立ったまんまで草刈りができるからである。私は座ったり腰を下ろしたりはできないので、立ったまんまの草刈りになる。何かいいものは無いかと、「ホームセンター」を回るのだが、帯に短したすきに長し・・で、いいものに出会わない。これはいいなぁと思うとすごくお値段してしまう。

 

 だから、きれいにはならない。でも、長い、ピンピンとしたものを刈り払うだけでもすっきりとするものである。

 

 我が家のバラが一斉に咲き出した。花の名前は何度聞いてもすぐに忘れてしまうので覚えないことにしている。特にバラにはカタカナの名前が多いので、ことさら覚えられない。

 

 で、昨日と今日はなぜか奥方がお休みだから出かけるに出かけられない。出かけようとすると、「どこに行くの」「何しに行くの」と小うるさいのだ。それだから、今日も閉じこもり(引きこもりではない)で、調べてきた石碑の集計やら整理やらをやっていた。本文の原稿にも加筆修正しながらである。

 

 「遍路墓学事始」を標榜しとるもんだから、こと細かく整理分類して学問らしくしなければならない。

 

 お遍路さんがいつ亡くなったのかを調べてみると、春の三月、四月、五月が多く、十一月、十二月も多くなる。つまりは農閑期、お百姓さんがお休みの間にお遍路に出て亡くなっていると言うことに気づくのだ。また、夏場の七月、八月、九月は暑いので暑さで亡くなった人もいる訳だ。

 

 時代的には、江戸時代の後期、文化・文政・天保から安政時代ごろ。大正に入ってからはお遍路さんのお墓はないものとされていたが、四つ足堂墓地で大正十年のものが見つかったが、このあたりが限度らしい。その後の遍路墓は無い。

 

 奥方のお昼は麺類が多い。奥方もお休みの日は手抜きをしたいらしいのだ。ま、私的にはなんでもいいが、お肉を食べられなくなってパワーがなくなったというのは気のせいだろうか。でも、スポーツ選手はお肉ばかりを食べているような気がするのだけれど。

 

 最近は仏壇以外、どこにでも薔薇の花が飾られている。お花が綺麗なうちはいいのだが、弱ってくると、そこいら中が花びらだらけになってしまうのがなんとも言えずにうっとおしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「金が欲しさにいのちを忘れ、いのちなくなりゃ金いらん」という毎田周一さんの言葉から。いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板にあったもの。毎田周一(まいだしゅういち)(1906-1967)は、日本の仏教思想家・詩人。金沢市出身。第四高等学校を経て、1929年京都帝国大学文学部哲学科卒業。1937年 長野県師範学校教諭、1942年石川県師範学校教諭。暁烏敏に師事し、西田幾太郎に学ぶ。雑誌『真』、『大雪山』主宰。仏教の教えを日常の言葉で語り、多くの解説書や詩を残した。没後「毎田周一全集」が纏められた。他にも◎愚禿とは最も鋭利なメスの切り先だ。◎自分とは、最も身近にある他人だ。自分を持て余すというぢゃないか。◎貧しさそのものは不幸ではない。富めるものと比較するとき、不幸になる。などがある。健康のためだ、長生きのためだとサプリや薬を買い求めて高いお金を払うらしいが、いのちなくなりゃ薬もいらん・・・ということにもなるな。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


野いちごの実る藪にも日陰あり

2022年05月19日 | 時には日々是日

 19日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で午後から曇りとなってきた。気温は14.0度から25.7度、湿度は46%から66%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の20日のさぬき市は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇りとなる見込み。

 

 収縮期103mmhg、拡張期65mmhg、脈拍80bpm、体温36.4c/酸素濃度98%/体重63.1Kg 室内気温19.5c/室内湿度55.3%/気圧1022hPa 体調に変化はない。今日の日の出は04:59分、日の入りは19:02分 月齢は18.3の中潮。

 

 朝方は、家の裏側の草刈りをやってみた。この手前はよその方の畑だが作物は作っていない。この石垣は前の地主さんが築いたもので水田がその上にあった。こうした所だから鎌で手刈りになってしまう。だから10cm、15cm・・・と刈り進めて行くしか無い。今日は夏らしく汗が出るようになったのでやめた。

 

 で、今日は月に一度の「ケアマネサービス会議」の日。ケアマネさんが私の健康状態を調べて、今月の介護サービスの内容を検討して計画する会である。なぜか、こういう会は、奥方のお休みの日に設定されているような。で、奥方がお茶を出したりお菓子を出したり。

 

 こういうサービス計画を提示してくる訳だ。

 

 ま、介護ベッドと手すりがメインになる。杖も借りているのだけれど、杖はあんまり使うことはない。坂道では「ノルディックウォーキングポール」の方が便利なんだけれど、そういうのは介護用品にはないみたい。あれはスポーツ用具だからかしらん。

 

 これは先日に奥方が山で採ってきた「野フキ」なんだけれど、私が夕べ、掃除をしたら半分ほどになってしまった。これの皮をむくと、なお、半分ほどになってしまうのだそうな。で、「きゃらぶき(伽羅蕗)」のやり方を調べてよ・・・というお願いが。今頃はきゃらぶきを作っているのだろうかしらん。

 

 私は昨日に調べてきたお墓のデータ整理。早くにやっておかないと記憶が消えて、何が何だかわからんようになってしまうのだ。ここには十数基のお墓があるのかなぁと思ったのだけれど、調べた感じでは四十基ほどはあったような。そこいら中にお墓が埋まっているのだから、ここほれお墓・・・みたいな感じ。

 

 こうした写真に調べた情報を書き込んでおく。これが「遍路墓学事始」の原稿の元になる要素である。これは42枚もあったけれど、調べて整理していくと、最終は39基になっている。これを元に再度、現場調査をすると、もっと増えるのかも。

 

 その画像を見ながら、調べた用紙を元に、エクセルシートに記入して整理する。そうすると、データの重複とかが出てくる訳だ。そういうのを整理していくと、

 

 こういうことで、今日は39基ということになった。なぜ、こんなに大量の遍路墓が無視されてきたんだろう。東かがわ市には、こういう研究をする人がいなかったんだろうか、それとも発表をしているのに私が気づいていないからなんだろうか。それとも、遍路墓に注目をする人がいなかったからんだろうか。ま、普通の人はお墓なんかには興味はないわな。

 

 そんなんで、今日もコツコツとパソコンをたたいて日が暮れようとしている訳だ。

 

 奥方が丹精したバラの花が咲いた。バラにもいろんな種類がありすぎて何が何だかわからん世界だ。「ランブラー」だとばかり思っていたのに「つるバラよ」と言われると、大関かと思ったら十両だったみたいな感じ。

 

 今日の掲示板はこれ。「指を差して人を非難する前に、君のその手がよごれていないか確かめてくれ」という「ボブ・マーリー」の言葉から。世界でもっとも有名なレゲエ・ミュージシャン、ボブ・マーリーは、わずか36歳でこの世を去ったという。ミュージシャンというより、思想家のよう。事実、彼は忠実なラスタファリズム(1930年代にジャマイカの労働者階級と農民を中心にして発生した宗教的思想運動)を実践し、世界に影響を与えてきた。政治闘争にも関与し、政治キャンペーン中に狙撃されてもいた。彼が残したこの言葉も
そんな背景があったからなのだろう。自分を棚上げし、他人を批判してばかりしている人を皮肉っている。事実、執拗に他人を批判する人こそ後ろめたい気持ちを隠そうとしたり、責任転嫁する傾向にあるらしい。ある野党の党首をみても、そんな気がする。相手をさす 人差し指は一本だけ、でも、うち 3本は自分に向いている。自分はどうなんだ?という警告である。健やかにいきたいものである。「指をさして人を非難する前に、君のその手がよごれていないか確かめてくれ。(ボブ・マーリー)

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


手探りで明日を探す花菖蒲

2022年05月18日 | 時には日々是日

 18日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は12.5度から24.4度、湿度は70%から44%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の19日のさぬき市は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 収縮期109mmhg、拡張期64mmhg、脈拍80bpm、体温36.3c/酸素濃度97%/体重63.1Kg 室内気温17.4c/室内湿度59.3%/気圧1020hPa 体調に変化はない。今日の日の出は05:00分、日の入りは19:01分 月齢は17.3の大潮。

 

 さて、iphoneSE が届いてセットアップをやったのだけれど、やり方がまずかったのか真っ白な端末になった。電話帳もなくなったし、携帯メールも消えてしまったし、全くの白紙になってしまった。「すべてのデータが初期化されますよ」とは聞いていたが、メールのアカウントまできえてしまって、再登録しようとしてもなんだかんだと文句を言って、以前のアカウントに戻れない。ま、スマホに個人的なメールが来ることもなく、宣伝のメールばかりだったからさっぱりとしていいか。

 

 電話帳も携帯を持ち始めてからだから、不要な連絡先がたんとあったので、これらをお掃除してくれてさっぱりとしたのか。でも、必要な人は登録していないとスマートウォッチからの連絡が来ない。だから、紙の住所録を引っ張り出して一個一個、登録のやりなおし。SIMカードを挿せば残っているかと思ったのに・・。

 

 何時間もかかってバックアップをしたのに、今度の新端末からはクラウドにアクセスできなくなった。あの私の個人情報はどこに行ってしまったんじゃろうか。

 

 スマートウォッチだって三個もあれば、どのアプリに、どの時計がペアリングしているのかがわからない。順番に一個ずつ試していくしかない。なんたるちあ~、サンタルチア。

 

 そんなんで、私宛に携帯メールは送らないで欲しいし、電話も極力かけないように。かけても怪しい番号だ・・と拒否してしまうのだから。だったら、私は何のためにスマホを持っているんじゃろうか・・・。全く、ばかばかしいことだ。カメラだって動画がどっさりととれているが、動画なんぞ使い物にはならんので全削除。新しいうちは何もできないということだ。すこしずつなれていくしかないな。

 

 で、今日は天気もよくなったし・・・ということで、気分転換の意味もあって、例のお墓探しに出かけてみた。

 

 こういうお墓を一つずつ、丹念に調べていくわけだ。手前の倒れているものは起こして正面を向けて写真撮影のあと、メモ帳に、その刻まれた文字を書き写していくわけだ。「お墓なんぞ触ったらバチがあたるぞ」とかなんだかんだと言う人がいるけど、私はお坊さんだから供養をしとるんだぞ・・と言い聞かせて合掌お念仏しながらやっている。ま、意味はないのだろうけれど。

 

 こういう卵形のお墓を「無縫塔(むほうとう)」と言ってお坊さんのお墓である。「法師」の次が「義」にも見えるが左下が見たことのない字になっている。こういうのを調べないと・・・。

 

 ふと、見たら「カンタロウ・ミミズ」という大きなミミズである。「かんたろーみみず」は、「大ミミズ」を意味する四国の方言らしい。山林に生息するミミズで、体が大きく、青紫色の光沢がある。正式には、シーボルトミミズというそうで、その名前の由来は、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトが持ち帰った標本によって記載されたことにちなむそうな。ついでに、この倒れて埋もれているお墓も起こして建て直しておいた。

 

 これは子供のお墓である。前田利三郎さんの子の千太郎君のお墓で、明治五年午年八月廿二日に亡くなり、「智芳童子」の戒名をもらっているが、生国、出身地の記載が無い。幼い子供を連れてのお遍路だったかもと思うと胸がしめつけられる。こういう子供のお墓も何基も残っている。

 

 今日のお昼もしつこく、卵かけご飯。右上にあるものは、ハチクとフキの煮物である。昨日は奥方がお休みで職場の仲間と一緒にふき取りに行ってレジ袋いっぱいを両手に提げて帰ってきたのだ。当分はフキの煮物や「伽羅蕗(きゃらぶき)」になりそうな予感。

 

 今日の掲示板はこれ。「世の中には二つのタイプの人がいる 一つは何かに挑戦しようとする勇気をくれる人。もう一つは 何かに挑戦しようとする時に その勇気を削ぐ人。」というもの。皆さんの近くにもきっと居る筈・・・そんな人。「やったらええがなぁ、君ならやれるやろ・・」と、勇気をくれて応援してくれる人。うれしいではないか・・・。でも、反対に、「やめときぃ・・。そんなアホすんのは損やでぇ・・・。やめとき・やめとき」などと、はなからやる気を止めてしまう人・・・。どれだけ、悔しい思いをしてきたこ とか。幸せや成功というのは、何かを手に入れるからなれるものではない。今、この瞬間にも「幸せだ」「成功している」と感じるものである。今よりももっと素晴らしい人生を手に入れるためには、今の場所にとどまっていてはダメだ。今の状況をドンドンと変えていきたいもの。そして、自分の人生を生きていくために挑戦している人に勇気を与える人になりたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


ブラシの木蝶がついばむ月曜日

2022年05月17日 | 時には日々是日

 17日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇っていたが、高気圧に覆われるため昼過ぎからは晴れてきた。気温は15度から22.8度、湿度は80%から54%、風は2mから1mの西南西の風が少しばかり。明日の18日のさぬき市は、高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 収縮期110mmhg、拡張期67mmhg、脈拍80bpm、体温36.3c/酸素濃度97%/体重62.9Kg 室内気温18.1c/室内湿度62.2%/気圧1015hPa 体調に変化はない。今日の日の出は05:01分、日の入りは19:00分 月齢は16.3の大潮。

 

 朝の間、4:30-7:30には「遍路墓学」の文章の構成やら印刷テストやらをやっていた。で、8:00から9:00までは裏庭の草刈りである。こういうと元気そうに聞こえるけれど、足下はおぼつかいし、重いものは持てないし、機械の草刈り機は使えないから鎌で草をなぎ払うしかない。

 

 でも、30cm、50cmずつと丹念に草をなぎ払っていると、見た目はきれいになったように見える。ピンピンと立っている草がなくなるとさっぱりしたように見えてくる。実際は背の低い草は倒れた振りをしているので、しばらくすると起き上がってきて元通りの草ぼうぼうになってくる始末。

 

 すると早速にピンポーンとお荷物が来た。例のアイホンのリフレッシュ端末である。契約時に保険だか補償だかに加入しているので、壊れた場合は、こういう新しい端末と交換してくれるらしい。

 

 だから、同じ機種の同じ色の端末らしい。私は、この新しい端末に、古い私のアイホンからSIMを取り出して、それを新端末に指し込めば、それでOKだと思っていた。で、あとは、自分でアプリをどんどんとインストールすればいいものだと思っていた訳だ。

 

 だから、電子血圧計やら電子体重計やら電子体温計なんぞの資料を探し出してきておいた。この二次元コードがないとインストールできないからだ。「捨てたんやろか・・・」などと、そこいら中を探し回って見つけ出してきたものだ。

 

 それにスマートウォッチだって、三個も四個も出てきたではないか。買ってもスマホがなければどうにもならない端末だってあった訳で・・・。

 

 ところが・・・である。「古い端末(私の使っていたもの)は初期化して送り返すこと」という注意書きがある。そら、そうだ。個人情報なんぞは消さないとまずいわなぁ・・と作業を始めたら・・・。

 

 私の古いデーターを、この、iCloud というアップル社のクラウドに送って、データを仮保管するのだそうで、これが動き出すと・・・4時間ほどたってもまだ終わらない。じゃぁ、そのデータを新端末にバックアップすると、またまた、何時間も必要になるってことか・・・。

 

 そういう作業には、iCloud のIDとパスワードを入力せよというので、大慌てで、そういうIDを探し出してきたり、端末のコードを入れろとか・・・と煩わしいことばかり。「あなたの自己責任ですから」ということで、時間ばかりが過ぎていく。

 

 いつになったら、このSIMカードを交換して返送できるのだろうか・・・・。その間は何も手につかないではないか。「往生しまっせ~~」。

 

 今日のお昼も懲りずに「TKG」。しらすご飯の玉子かけ。今日はシンプルに「往生しまっせ~~卵かけご飯」と命名した。何の根拠もないけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「無いもんを星が欲しがらんであるもんで喜ばしてもらおうよのう」という河村とし子さんの「おばあさんのひとりごと」から。河村とし子さんは、元々非常にキリスト教の信仰が厚い家庭で育てられたのだが、戦前恋愛結婚したご主人の実家の山口県の随分辺鄙な田舎に疎開で住むことになり、そこの義理の両親と一緒に暮らすことになった。はじめ、このような田舎の大きな仏壇がある家に住むようになって、さぞかし皆ここの人は迷信深い程度の低い宗教に親しんでおられると思い、自分は熱心にそのご両親に毎日キリスト教を説いて聞かせたそうだ。でも、この両親は熱心な真宗門徒で、お寺で法話会があればいそいそと出かけて居眠り一つせずにお聴聞したそうな。そのおばあさんは、よく独り言をおっしゃっていたそうだ。「人間ちゅうもんは、自分しかかわゆうないもんじゃげのー。そういうもんが一緒に暮らすというのは有り難いことよのー」と。また、「ないもんを欲しがらんで、あるもんを喜ばしてもらおうよのー」と、つまりあれが欲しい、この人はこうあって欲しいと、自分の外側のものに対してあくまでも欲求し、そしてそれがままならずに怒り苦しむようになる自分に対して、今すでに頂いているものの功徳の大きさに目覚めて、自分が今こうしてあるというご恩、お蔭を喜んでくれよー、と自分にいつも仏様の智慧・慈悲を味わいつつ暮らしていかれたのだろう。河村とし子さんは、特にこの義母ふでさんと一緒に暮らしている間に、思わず知らず深き念仏者となられ、ある年の 1 月にお亡くなりになったそうな。著作も沢山あり、東本願寺からは「ほんとうのしあわせ 仏縁に恵まれて真の人生」という小冊子が出版されているのだとか。自我を主張して止まない現代の世相に、お伝えし続けたいお話である。合掌

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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