まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

神無月尽きて見つめる体重計

2020年10月31日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は8.5度から18.4度、湿度は80%から54%、風は1mから3mの東北角風が少しばかり。明日の11月1日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れるが、気圧の谷や湿った空気の影響で昼過ぎから次第に曇る見込みらしい。

 

 102/58/79  36.0c-96% 62.6Kg 18.4c-52%-1024hPa 体調は数字的には問題ないが、昨夜、弟とミニ壮行会をやったもので、少しばかり身体が重たい感じがする。

 

 弟の「たっくん」は起きると早々に草刈りを始めた。私の刈り残した土手の斜面部分の草刈り作業である。ここは足場が悪いので重い機械を持っての草刈りは危ないところ。

 

 私は昨日の続きの「夜間灯」の設置工事なんぞをやっていた。旅行が終わるまでは危ないことはしないこと。力仕事はしないことなどを厳命されているので軽微なことばかりをやっていた。

 

 そうこうする内に、自動車屋さんがやってきて、これが私の新しいマイカーになった。ダイハツのタントである。

 

 弟は刈り残しがないか確認しながらの草刈りである。

 

 弟は「アキニレ」だと言うのだが、私には何がなんだかわからない。あの舟木一夫の、「赤い夕日が校舎を染めて ニレの木陰に弾む声・・」の「ニレ」だというが、かまわずに切ってしまってとお願いをした。

 

 で、脚立を持って行って枝の細いところからの切断になった。でも、堅そうで難儀をしている様子。

 

 枝だって太くて重そう。

 

 で、半分ほどで作業中断。後は私が旅行から戻ってからの作業になりそうだ。

 

 長土堤の部分も、こんなだった斜面部分が・・・

 

 こんなにさっぱりとした。これで気持ちよく旅行に行けると言うものだ。

 

 で、お昼は、大窪寺の紅葉を眺めてから、打ち込みうどんでも・・と、新しい車で出掛けたものの・・・。ご覧の通りの渋滞気味。先日にはちらほらとしかいなかったのに、さすが紅葉シーズンともなればこの混みよう。車は詰まって動かないし、うどん屋さんは長蛇の列だ。私らは、「うどんくらいは並んで食べたくはない」というもの。

 

 でも、あちらこちらに行っても、大窪寺であふれた人たちが流れて集まってきていて、どこも行列状態。ようやくに、この「元気うどん」というセルフうどん」のお店に落ち着いた。

 

 大窪寺前の八十八庵のおうどんならば880円のはずが、ここでは180円のおうどんになった。ま、紅葉シーズンでは仕方がないか。

 

 今日の掲示板はこれ。「見えないところでつながりあって 生きているのは竹だけではない」という東井義雄さんのことばから。いつもの町内の善楽寺さんの掲示板から。最近は「自分のことは自分でする、ほっといてくれ」ということが多く聞かれるようになった。独立独歩、他人に世話をかけない、迷惑をかけない、それがかっこいいことだと信じられているし、親も子に、他人さまに迷惑をかけるな、と教えてきた。それはそれで確かに正しいことではあるのだけれど、しかし、人生はそれだけでは生きられない。何でも自分だけでできるなら、だれも挫折したり失敗したりはしないのだ。人生は挫折や失敗の連続。そんなとき、思いがけず、私を助けたり、勇気づけたりしてくれる人がいるものだ。そういうお互いの助け合いによって、社会というものがなりたっているのだ。竹薮の竹は、一本一本ずつ立ってはいるけれど、その根が藪全体に張りわたされ、つながっていることは知られていない。生命というものは決して一人では生きてはいけない、つながり合い助け合って生きているのだ。人の命もまた、つながりあって生きている。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


晩秋の楓の色にせかされる

2020年10月30日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、寒気や湿った空気の影響で夕方からは曇ってきた。気温は16.0度から18.2度、湿度は70%から56%、風は1mから4mの北北東の風が少しばかり。明日の31日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 106/61/78 36.2c-97% 62.4Kg 20.1c-55%-1020hPa 体調に変化はない。尿も体重も落ち着いてきた。

 

 先だ先だと思っていたのだが、11月が目の前に迫ってきた。そんなに立派な旅でもないのだが、やはり、それなりに緊張してくる。

 

 今回の旅行ではブログが書けない。そこで、11月の2日から6日までは「予定投稿」になって、あらかじめ書いておいた記事が、時間になると浮かび上がってくるという仕掛けになっている。今は、その記事の最終チェック段階。

 

 最終日の6日には、指宿温泉から鹿児島市内の「仙巌園」という万治元年(1658)に島津家19代光久によって築かれた島津家の別邸を訪れる予定。その、指宿から仙巌園までをどうやって行くのかがわからない。記号は「バス」なのだが、そんなルートのバスがあるものか、チャターバスなのかがクエスチョンマーク。ま、心配せんでも、ちゃんと連れて行ってはくれるのだろうけれど。

 

 で、最後の新幹線、「さくら558号」は、13:34分発。だから、午前中は、その「仙巌園」にいることになる。最後だから時間調整みたいなものか。これに乗れば岡山で戻って、この旅は一応の完結になる。あとは在来線のマリンライナーで高松に戻ってくる。

 

 そういうことで、持って行くリュックザックやら薬袋やらタオルやらを洗濯して干しておいた。そうそう、このマスクなんぞも洗っておいた。

 

 時間になったので、郵便局で私のお小遣いをおろしておいた。その後、今夜の小宴会の準備のお買い物。今晩、下の弟が草刈りに来てくれるので、ミニ壮行会みたいなものだ。

 

 それからはホームセンターを回って、夜間の玄関灯の品定め。

 

 というのも、こうした玄関灯がつけてあるのだが、13年も経てばセンサーが壊れたのか転倒しなくなった。電球は立派なものだから切れたりはしない。

 

 そういうときにも、「帯に短し襷(たすき)に長し」でいいものが見つからない。そこで、簡易に非常用の玄関灯を付けてみた。

 

 入り口にも玄関灯を付けてみた。旅行中の留守番をする夜間灯である。

 

 お昼は温泉玉子入りのおうどんである。別にダイエットをしているわけではないが、最近は控えめである。

 

 で、防災行政無線の電柱の「基礎部分」を見てきた。こういうコンクリートで固めておくらしい。で、明日の土曜日にはほぼ工事が終わるらしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「眠られない人には夜が長いように 正しい教えを知らない人にはまよいが長い」というもの。
  (前略)
 弓矢を作る人が、矢を削ってまっすぐにするように、賢い人は、その心を正しくする。
心は抑え難く、軽くたち騒いでととのえ難い。この心をととのえてこそ、安らかさが得られる。花の香りは、風に逆らっては流れない。しかし、善い人の香りは、風に逆らって世に流れる。眠られない人に夜は長く、疲れた者に道は遠い。正しい教えを知らない人に、その迷いは長い。愚かにして愚かさを知るのは、愚かにして賢いと思うよりまさっている。愚かな人は常に名誉と利益とに苦しむ。上席を得たい、権利を得たい、利益を得たいと、常にこの欲のために苦しむ。大工が木をまっすぐにし、弓師が矢を矯(た)め直し、溝(みぞ)つくりが水を導くように、賢い人は心をととのえ導く。堅い岩が風に揺るがないように、賢い人はそしられてもほめられても心を動かさない。おのれに勝つのは、戦場で千万の敵に勝つよりもすぐれた勝利である。正しい教えを知らないで、百年生きるよりも、正しい教えを聞いて、一日生きる方がはるかにすぐれている。(後略)

          仏陀の言葉 (仏教伝道協会編『仏教聖典』より)

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


長土堤をコスモス刈りに向かう列

2020年10月29日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で夕方から次第に曇ってきた。気温は13.0度から20.5度、湿度は80%から56%、風は1mから2mの北北西の風が少しばかり。明日の30日のさぬき市地方は、寒気や湿った空気の影響で概ね曇るが、夕方からは高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 106/47/78 36.3c-97% 62.4Kg 17.6c-55%-1018hPa 体調は元に戻ったよう。今日はトイレによく行くようになった。それはそれで辛いものがある。

 

 今日は奥方がお休みなもので外出は禁止。旅行前だから無理も禁止だから草刈りも伐採も剪定もダメ・・・ということで自宅での安静になった。

 

 そこで、来週からの旅行の下準備。とにかく、JRの新幹線などの列車の旅だそうで、快速マリンライナー8号、東海道新幹線ひかり502号、東北・北海道新幹線はやぶさ25号、はこだてライナー1350号、はこだてライナー133M号、はやぶさ22号、あさま617号、はくたか557号、ワイドビューひだ14号で三日目。鉄道ファンにはたまらないのだろうが、あんまり興味はわかない。

 

 4日目はワイドビューひだ4号、ひかり637号、さくら557号、快速なのはな、5日目はさくら558号、マリンライナー49号で高松駅到着・・・ということになるらしい。

 

 これが「なのはな号」である。ま、こういう旅が順調に終わるように念じるばかりだ。

 

 そんなさなかに珍しく携帯電話が鳴った。で、思わずに取った。見れば怪しげな見たこともない電話番号。「もしもし、こちらなんたらカードですが・・」と言うではないか。しまったしまったシマムラ衣料。これはまずいなぁ・・と聞いていると、「マルナカのカードの入った小銭入れがなんたらかんたら・・・」と言うではないか。その途端に、「はいはい、ありがとうございます。」と低姿勢に早変わり。小銭入れの中のカードから追跡調査で、私の落とした小銭入れが判明したというではないか。

 

 で、早速にさぬき警察署に出向いてきた。警察に行くなんて何年ぶりだろうか・・・。

 

 で、さぬき警察署の「落とし物係」というのがあるそうで、そこに行くと・・・。

 

 私がなくした小銭入れがあるではないか。中には珍しく6千円相当の小銭が入っていた。スーパーのサッカー台(客はこのスペースを使って、商品を買物袋(レジ袋や自前の買物袋)に詰めたり 、店が提供している段ボール製の空き箱などに詰めたりする。日本語名としては、「サッカー」と「荷作り」の語呂合わせから来る「作荷台(さっかだい)」 「サッカ台」 という異称もある。)に置き忘れてあったと、スーパーから送られたものらしい。その日、レジ係のおねえさんにしつこく聞いたのに「知らない」と言われたもの。

 

 小銭入れには、これをくださった「にころこ」さんのマークの跡が残っている。

 

 こういうマークだった。

 

 元は、こういう袋だったもの。一ヶ月経って落とし主が現れないからと警察へ届け出て、担当者がカード番号から私を探し出して電話を掛けてきたというもの。普通だったら、おそらく携帯電話の電源が切れているか、無視していた筈。全くの偶然といえば偶然。有り難いといえばありがたいお話。

 

 奥方は、来週からの旅行の準備をやっている。ま、日々好日と言えば日々好日だが・・・。

 

  今日の掲示板はこれ。「金をつかむ者は人を見ず 鹿をおう者は山を見ず」。鹿を捕えようとしている者は、獲物にばかり気を取られて山全体のことが目に入らなくなってしまうことから。「追う」は「逐う」とも書く。「鹿を逐う猟師は山を見ず」ともいう。眼の先のことばかりにこころを奪われて、周囲のことなんぞ気にもかけていないことを言うておるのだと思う。木を数えて林を忘れる/木を見て森を見ず/金を攫む者は人を見ず/木っ端を拾うて材木を流す/小鳥を捕らえて大鳥を逃がす/獣を逐う者は目に太山を見ず/小利大損/雀脅して鶴を失うというのもこのたぐいであろう・・・。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


あくびする口の中まで秋の色

2020年10月28日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は12.5度から22.4度、湿度は90%から66%、風は1mから2mの西南西の風が少しばかり。明日の29日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 128/79/80 36.3c-98% 64.4Kg 16.5c-55%-1020hPa 昨夜から尿が出ないし、おなかが張るような感じがする。血圧もやや高め。体重がぐんぐんと増えてくる。

 

 今朝は朝食も喉を通らない。奥方が、「それは変でしょ!」と言うのだが、確かに変だ。少し前には朝食ができる前から起き出してきてウロウロとしたのに。

 

 そうは言うても、早くからは病院は開かない。そこで、いつもの「白衣史研究」をやっておく。これは「伊予鉄バス」が始めたお遍路バスの第6回目の記念写真である。昭和33年(1958)のことらしい。

 

 こうしてみると、最初は一人しか来ていなかった白衣を、6回目になると、ほぼ全員が白衣を着るようになった。前列左中程の方はお先達さん。後ろの二人は乗務員。このことから、他の会社のお遍路バスでも白衣が流行し始め、今ではお遍路バスの全員が白衣を着ての巡拝になっている。

 

 さて、来週の月曜日から「フルムーン旅行」が始まる。ああ、それなのに今頃になって体調がおかしくなるというのはどうしたことだ。この旅行がキャンセルにでもなれば奥方からは大目玉をくらってしまし、キャンセル料がふいになって大損になってしまう。

 

 それで大慌てで県立病院に駆け込んだのだが、予約診察と違って飛び込み外来は後回しになってしまう。レントゲン検査や血液検査を済ませているうちに、トイレに何度も行くようになって、診察を受ける10時半過ぎになると平常に戻ってしまったではないか。

 

 それに、今日は患者さんが多くて待ち時間ばかりになってしまう。で、結局の薬局で、「夜用の利尿剤」と、緊急用の「頓服」を処方してもらって帰るしかなかった。もう、どこも悪くなくなってしまったのだから。

 

 で、その後、高額医療費の請求事務などをやってきたが、先月までは数万円の払い戻しというか補助金が出たのだが、最近は入院することもなく、高額な医療費も払わなくなったので、わずかしか戻らなくなった。うれしいやら悲しいやらさみしいやら・・・。

 

 だから、ものの数分で手続き完了。

 

 その後、町内の調剤薬局で利尿剤やら頓服をいただいてきた。先の内科の処方薬が18,000円の限度額額超えで、おとといの泌尿器科の薬も、今日の利尿剤などの薬もお金はいらないことになってしまった。これまた、うれしいやら悲しいやらさみしいやら・・・。

 

 で、今日のお昼は普通に食べて済んだ。何がどうしたと言うのだろうか。体重は元の62Kg台までに落ち着いてきている。夕食前、お風呂上がりには61Kg台までには下がると思う。

 

 で、食後の散歩で、昨日の「防災無線用鉄柱」の工事現場を見てきた。今日は工事はお休みだと聞いている。ここにコンクリートを流し込む手筈らしい。明日には埋め戻しをして、この土曜日にはスピーカー取り付け工事などを予定している。

 

 こうした電柱が二本、建てられている。

 

 今日の掲示板はこれ。「どんな難局にあっても、「どうにかなる」という楽観性と、「自分でどうにかする」という強い意志があれば そこを切り抜けていくことができる」という塩月弥栄子さんの言葉から。生きているとさまざまな難局に出会うものである。その難局との出会いでどのような行動をとるかで人間性が表れたりするもの。多くの難局との出会いが人間性を高め、難局に対して的確に処する術が身についていくのではないだろうか。そういう意味においては、難局は歓迎すべきものであると捉えることもできるだろう。難局に対しては楽観性と強い決意を持って臨むことが肝要ではないだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


野路菊を避けて穴掘る建柱車

2020年10月27日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は12.5度から23.4度、湿度は82%から58%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の28日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 117/63/80 36.1c-97% 63.6Kg 16.6c-62%-1018hPa 体調に変化はないが体重が少しずつ増えているのが謎である。

 

 食事がぐんと増えたという訳でなし、お茶をがぶ飲みした訳でなし、アルコールを飲んだわけでもない。運動だって7000歩から8000歩は歩いているし、階段の昇降だって一日に何回も往復しているし・・・。

 

 運動不足だ、皮下脂肪だ、内臓脂肪だと言われてもなぁ・・・と、今日も草刈りをやってみた。もう、ブヨだのアブだのと言う害虫は居なくなったし、気楽に草刈りができる。たまにしつこい蜘蛛の巣がからんでくるばかりだ。

 

 昨年は、ほとんど草刈りや庭木の剪定なんぞはやれなかった。おなかが張って呼吸苦で動けなかったのだ。だから、どこもかしこも草まみれになっている。それを充電式草刈り機でなぎ払ってしまう。

 

 ここが我が家の最南端。大きな田んぼの隅っこになるものだから遊休地になっている。だから、このあたりは1mもの長い草が伸び放題になっていた。それを刈り倒しておく。母が居た頃にはお花なんぞも植えていたのだが、奥方は野菜畑だけで精一杯。

 

 最近はサルもウリボウもやってこないのか、野菜が順調に伸びている。この畑の周囲の草を刈り払ったということだ。

 

 昨日、診察を受けた泌尿器科から、膀胱なんぞの排出をよくする薬を処方してもらっていたので受け取りに行ってきた。とにかく、どこも悪くないそうだが、尿が出ていないような気がするだけだから、ま、薬でも飲んでおいてくださいな・・・みたいなことらしい。

 

 で、内科の予約診察日に合せて、12月14日までの49日分の朝昼夕の三食後だから、こんな量になった。

 

 これを薬箱に詰めたら、漢方薬「防風通聖散」がはみ出した。防風通聖散は内臓脂肪を減らす薬らしいが、さほどに効果があるようにも思えない。

 

 で、今日から、防災行政無線の建柱作業が始まった。普通は一本でいいところだが、うちの集落は山手の奥まった地域だから電波が届かない。そこで、受信用電柱と、拡声器用電柱と、そこまでに至る通信線用の電柱と三本も建てることになった。

 

 その現場を確認して、指定した位置に電柱を立てているかを確認してきた。工事は一週間程度かかるらしい。地元に迷惑を掛けないように随時パトロールしておくことにする。

 

 お昼からは、相変わらずの「白衣史研究」である。ま、お遍路さんが何を着て歩こうが自由と言えば自由なんだけれども、「ねぇねぇ~、ガイドさん。お遍路さんが白い服を着ているのは何で??」と、訪ねられた時、

 

 と、言うのではガイド役は務まらない。

 

 「実はねぇ・・・。バス会社のせいなんですよ」と、お話をすれば納得できるはず。

 

 大きな声では言えないけれど、小さな声では聞こえない。ここだけのお話。

 

 今日の掲示板はこれ。「吐いた言葉を呑みこめば 辛さ苦さが 喉を刺す」というもの。山田の法泉寺さんにあったものを利活用。「吐いた言葉を呑みこめば 辛(から)さ苦(にが)さが喉を刺す」。自分の言葉を呑み込んでみれば、辛さや苦さが喉を刺すようにきつい・・・。よくもこんな言葉を吐けるものだと驚かされる。よくよく言葉を吟味して話さねば・・・。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


日暮れ時些細なことから秋を知る

2020年10月26日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は12.0度から21.1度、湿度は78%から48%、風は1mから2mの西北西の風が少しばかり。明日の27日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 103/48/78 36.2c-97% 63.2Kg 14.7c-65%-1018hPa 体調的には問題がないが、どうにも尿の量が少ないように思うし、体重が増えているような感じがする。

 

 今日は奥方がお休みだから朝食は7時過ぎになった。だから、今日は主夫はお休み。今日はおとなしくお勉強の日。

 

 忘れていたというか、まだまだ大丈夫と思っていたのだが、明日からの工事だから、今朝になって大慌てで「行政無線」の建柱工事の着工の周知文を作って各戸に配って歩いてきた。それで朝の散歩にした。

 

 で、いつもの「白衣史研究」になった。

 

 こういう資料があるのだが、「出典」というか、「出拠」がわからずにいたのだが、あれこれと探していて、ようやくに文書を発見することができた。これに朝の間は掛かっていたみたいなもの。

 

 四国遍路が、いつごろから白い着物、白衣を着るようになったのかを調べている。明治・大正あたりは模様の入った着物姿である。菅笠、お杖は持っているし、「札ばさみ」も胸に吊っている。でも、輪袈裟や半袈裟はまだない。

 

 奥方の車の車検が明日で切れるというので、代車を借りに行っていた奥方が、新しい車、タントを借りてきた。これに慣れておくようにということだった。

 

 でも、奥方は、こういう新しい機能ばかりがついた車はイヤだと、私がこれに乗ることになった。奥方は私のムーブに乗り換えるのだそうだ。

 

 で、ご近所を走ってきたが、そんなにも変わらんじゃないか。

 

 どうにも歯茎が腫れてなおらないので、相変わらずのおかゆである。まるで病人食みたいだ。

 

 こういう食事ではパワーも出ないが、致し方ない。最近は肩こりがするほどの作業もやっていないのだが・・・。

 

 3時からは泌尿器科の検査があった。尿の勢いを調べたり、カメラを尿道に通したりする検査、これにも慣れた。別に痛くもかゆくもない。

 

 で、大山鳴動して鼠一匹出て来ない・・・。ま、安心するやら、納得できないというか・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「ほんのささいなできごとが生きる理由になることもある」というもので、いつもの町内の善楽寺さんのお寺の掲示板から。私たちは偶発的に生き物として存在していて、身体は新陳代謝により順次新しい物質に置き換わっている。精神だの頭脳だのという物だって、いつも生まれ変わり死に続けている。物質的なオリジナルは、どこにあるのだろうか?それでも、私たちは、生きることに執着し、自分だけの好き嫌いがあり、経験したことを記憶として留め、それを基盤に成長(改善)しようとしている。自分が分からなくなったら、空を見てみようではないか。そして、宇宙に想いを馳せてみようではないか。答えは見つからないかも知れないが、今ここにあるのは偶然、自分の今がどうであっても、自然はビクともしないものだ。たかが宇宙の片隅のほんの些細な出来事ではないか。それでも人は人と共に生きようとしている。あの人もこの人も人だ。些細なことにこだわらず一緒に生きる仲間と思えないだろうか。ほんの些細な出来事が、生きる理由になることだってあるじゃないか。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。

 

ゴム跳びの輪ゴムが欲しいと思った日

2020年10月25日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は今期最低の9.0度から19.9度、湿度は74%から54%、風は1mから5mの西南西の風が少しばかり。明日の26日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて、概ね晴れる見込み。

 

 115/65/79 36.3c-98% 62.8Kg 14.1c-54%-1016hPa 体調に変化はないが、いつまでも肩こりのせいか歯茎がういて硬い物が食べられない。奥方は歯医者に行けというが、肩こりは歯医者では治せまいに。「歯が悪いから肩が凝るのよ」と言われてもなぁ・・・。

 

 ということで、今日はおかゆになった。しらす入りである。これでは、ますますパワーが落ちてしまいそう。

 

 今日は観光ガイドの「へんろ道研修」というものがあったのだが、私の出番はないようだし、いつもの前山地区から大窪寺に至る遍路道だから、大窪寺班のお庭みたいなもの。だから、今日はパスして「主夫道」をやっていた。

 

 お天気がいいものだから、私の布団や奥方の布団を干して、二階部分の掃除になった。最初はほうきでほこりを集めていたのだが、「そんなんじゃダメダメ。掃除機じゃないとほこりが空中を舞うだけでしょ」ときついダメだしが出た。ついでに、パジャマや着替えなんぞもみんな洗濯して干しておいた。

 

 私のベッドも布団を干して、高さを高くして、その下の綿埃を掃除機で吸い取ってみた。こういうときに、このベッドは簡単でいい。終われば元の高さに戻しておく。

 

 今日はまだ寒くもなく暑くもないので、家中の窓や引き戸を全開にしての換気もやっておく。

 

 奥方の寝室にも掃除機を掛けておく。だから、二階部分のトイレや洗面所なんぞも掃除機を掛けてさっぱりとしておいた。

 

 昨日のご法事のときにいただいたお花も廊下に活けておいた。投げ入れである。親戚のおうちがバラの栽培もやっているそうで、ご法事のたんびに、こうしてお花をみんなに配ってくれる。

 

 掃除が終われば、朝の散歩に出掛けた。少しばかり足にしびれが走るようだったが、歩き出すと平気になった。どうにも最近の体重の増加が気になってならないのだ。

 

 このコスモス畑も見頃は終わったみたい。

 

 この草刈りの続きもやりたいのだが、なかなかに、その気にはならないのだ。草刈り用の作業服は洗濯して干しておいたのだが・・・。

 

 ま、今日は日曜日だから・・・ということで、のんびりとしていてもいいだろう。ふむ、このあたりにも「セイタカアワダチソウ」が増えてきたような気がする。

 

 今日の掲示板はこれ。「昔は何もなかったが何かがあった 今は何でもあるが何かがない」これは「酒井 義一」先生(真宗大谷派存明寺住職)のお言葉からである。今は、物はたくさんあるのだけれども、本当に必要なものは何かと問われると、それが何かが分からない。物があふれすぎていて、便利な物が増えすぎていて、あれも欲しい、これも欲しいと思うけれど、本当にそれが必要かと問い詰められたら、いや、こんなものは欲しくないと思ったりする。反面、昔は何もなかった。食べるものも、着るものも、遊ぶ物も読むものも何もなかった。それでもこころは豊かで何かあたたかいものがあった。今、物はたくさんあるのだけれど、人の情けや愛情や友情や思いやりや慈しみや・・・そういうものがなくなったように思うのは私だけだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


つわぶきの花一面のおおらかさ

2020年10月24日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は14.0度から20.3度、湿度は80%から50%、風は3mから7mの西の風が一時は強かった。明日の25日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 112/55/79 35.8c-97% 62.0Kg 18.4c-52%-1010hPa 体調に変化はないが、やはり、体重と尿の量が気に掛かる。朝は64.4Kgにもなっていたが、お昼前には62.0Kgになった。やはり、尿が多く出れば体重は減る。

 

 「今日はテル子おばさんの四十九日だからよろしくね」と、言い残して奥方は6時前に出て行った。「・・・・・」と、呆然とする私。

 

 テーブル上にはのし袋だけ・・・。確か、退院してきた当時は、「ね、お願い!、そこに寝ているだけでいいから、生きていて・・・」と言ったはず・・・。

 

 家中のどこを探しても礼服の準備はない・・・。玄関を見ても靴の用意もない。先日の病院代の残りを並べてみると、1万4千円しかない・・。法要は午前10時からになっている。大急ぎでお包み袋に「お香典」と「お供え料」を包んで、礼服をタンスから探し出して・・・。こんな時には黒い靴下が見つからない。黒いネクタイも見つからない。見つけた靴下には穴があいている・・・。

 

 法要はお寺だと聞いたので、とりあえずはここへやってきた。いつも掲示板でお世話になっている赤松先生のお寺である。慌ててきたので「入れ歯」を忘れてきた。お念珠は礼服のポケットに入っていた。おつつみ袋は内ポケットに入れてきた。

 

 どうにか、時間前には間に合って法要になった。午前10時から12時までの2時間、三部経さまのおつとめだった。この叔母様は私の父の実姉である。確か、99歳での往生だったと聞かされた。今日の隣の席には、親父の実弟がいる。もう、この叔父さん一人になった。

 

 途中の休憩時間にも、話すことと言えば病気の話ばかりになった。「どななんや・・」「昨日も病院に行ってきたがな・・」みたいな情けない話ばかりに終始する。

 

 心配した「おとき」だが、時節柄、テイクアウトのお食事になって、会食や飲食にはならずにほっとした。ビールが出たらどうしよう、お酒が出たらどうしよう・・と思ったのだが、お料理膳をいただくと、そのまま帰宅することになった。新しい生活様式というか、「ニューノーマル」というのか、こういうのもいいかなぁと思ったことだった。

 

 だから、休憩時間中のお茶出しもない。こういう袋にお茶のペットボトルとお茶菓子が入っている。自分で勝手にどうぞ・・ということらしい。

 

 お料理とお供えをいただいて、自宅でお茶漬けを食べた。もう、時間は13時をすっかりと回っていた。

 

 最近は、朝ドラの影響で、「長崎の鐘」や「とんがり帽子」や「栄冠は君に輝く」「海の進軍」なんぞを歌っていたのだが、昨日から、この「遠き昭和の・・・」ばかりを歌うようになった。

 

 このサビの部分の「喧嘩もしたさ~突っ張りもしたさ 遠き昭和の・・・まぶしい時代~♪」ばかりを口ずさんでいる自分がいる。

 

 今日の掲示板はこれ。「思いわずらうな。なるようにしかならんから今をせつに生きよ。」という仏陀の言葉であるとされている。何も思い悩むことはない。なるようにしかならない(結局はなるようになる)のだから、何事にも囚われずに・・「今」を大切に、真剣に生きることが大切だよと言うとるらしい。「ああ、法事と言えばおときがあるのに、大事なときに入れ歯を忘れた」だの、「車で来たのに、お酒が出たらどうしよう・・」と考えたことがばからしい。奥方が、「今日のお昼はサケ茶漬けで食べておいてね・・・というたけど、法事におときはつきものなのになぁ・・」と考えたけど、結局は今日のお昼は「サケ茶漬け」になってしまったではないか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


秋雨に濡れてコスモス立ち尽くす

2020年10月23日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、低気圧や湿った空気の影響で朝まで雨が降り、未明には雷を伴う雨が降っていた。午後は高気圧に覆われて次第に晴れてきた。気温は17.0度から22.2度、湿度は94%から52%、風は1mから5mの西北西の風が少しばかり。明日の24日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 112/55/77 36.5c-98% 63.2Kg 21.4c-67%-1014hPa 体調的には変化はないが、やや、体重が増加傾向にあって尿の量が少ないようには思う昨今。

 

 昨夜は激しい雨だったし、すぐ横を流れる津田川の水音もすごかった。まるで台風でもやってきたかのような水音だった。

 

 だから、朝が来るのも遅かった。ようやくに明るくなった6時半ごろになると雨の量も少なくなった。さりとて、散歩に出掛けられるような雨ではない。

 

 だから、朝の間は「白衣研究」の続きをやっていた。しかしのかかし、「白衣(はくい)」と言ってもさまざまな「はくい」がある。先日の「医療用白衣」もその一つだったし、今日の「僧侶用白衣」とか「神官用白衣」というのも「はくい」の一つ。一方で、違う意味の「はくい」がある。好いこと、美しいことに云ふ。又客種のよいこと、入場客の多い景気のよいことに云ふ。「セコイ」の反対。〔隠〕①芸人仲間で客種の善いこと、又は入場客の多いこと。②すべて景気のよいこと。③香具師間の言葉、上等品の事。金満家・別嬪。芸人仲間では客種のよいこと。又入場者の多いこと。香具師仲間では上等品のことをいふ。とあるが、これは別物。

 

 神職や巫女、皇族などが儀式を行う時などに、また、僧侶も法衣の下に白衣を着用する。この白衣は絹、綿、麻製などで、着物状であり、その下には白襦袢を着る。また白衣には白帯を用いる。これらは夏用と合用がある。なお、白衣は「はくえ」、「びゃくい」、「びゃくえ」などと読む場合もある。(『神祭具便覧39巻』)

 

 白衣とは、①白い衣服。はくい。②白小袖に指貫さしぬき・袴はかまなどを着ただけの装束。③武士が袴をつけていなかったりすること。僧が黒衣を着けずに白い下着だけでいること。非礼なこととされた。 ④〔墨染めの衣を着ていないのでいう〕 僧侶になっていない俗人。在家。(出典 三省堂大辞林 第三版)

 

 白衣 白衣(びゃくえ)は、霊場巡礼の際に着用する白い上着である。法被と同じように袖の着いたものが普通であるが、ベストのような袖なしのものもある。元来は笈摺(おいづる)といって、昔は巡礼の際に観音像を背負って歩いたが着物が観音様が直に触れてはいけないとして、白い布を間に当てたのが起源となる。白は穢れなき心を表し、様々な悩み、迷い、汚れを落とすという意味も持つとされた。

 

 1200年の長い歴史のあるお遍路で、白衣はどのくらい歴史があるのだろうか。実は白衣の歴史は浅く、お遍路に定着したのは昭和初期ではないかと考えられている。弘法大師・空海が生きた時代は八十八ヶ所の札所は指定されておらず、お遍路の概念もなかった。自然豊かな環境で精神を鍛えることが目的で修行僧は四国へ来たと考えられている。後に、弘法大師を信仰する人々が、彼の足跡をたどるように巡礼を開始した。また、江戸時代になってからは弘法大師信仰に加えて観光目的のお遍路さんも増えたと言われている。

 

しかし、江戸時代のお遍路さんには決まった服装はなく、白衣とは限らなかった。これは「近世風俗志」という書物に記載されている。

 

 我が国において仏式で葬式を行う際、故人は白装束を着せられて棺桶に納められることがある。同様に木製の杖や菅笠も棺桶に入れられた。お遍路さんの着る白衣も死装束としての意味が込められているとされている。それは、険しい遍路道の道中で息絶えても成仏できるように死装束を着ているというのである。また、死装束で巡礼するお遍路さんは浄土(聖なる世界)へ歩いていることを示しているとも言う。現在のお遍路では旅の途中で息絶えるような危険性は少なくなったのだが、現世において功徳を積み重ねてご利益を得ようとする人は修行者の正装として白衣を着ているのだという。

 

 午後からは晴れてきた。昨夜の雨がまるでウソのように晴れ渡ってきた。

 

 だから、今日も少しばかり集落内を歩いてみた。だが、やはり本調子ではないのか足がひきつるようでうまく歩けない。昨日の草刈りがこたえたのだろうか。なんともだらしなくなったものである。

 

 昨日の草刈りの後である。昨夜の大雨で刈り払った草などが流されてさっぱりとしたかと思ったが、なんら変わるところはなかったみたい。あの雨は音ばっかりだったのか。

 

 今日の掲示板はこれ。「普通の人は普通に生きているのがいちばん幸せです しかし 何事もなく普通に生きていくのがいちばん難しい」という、荒了寛さんの言葉から。ありのまま」に受け入れることができれば「幸せ」で、人はそれがなかなかできないから「幸せ」に気づかない。つまり、いつでも「いま」を「ありのままに受け入れる「自分」がいれば「幸せ」だと、解釈できるのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


もういいと歩き疲れて秋の雨

2020年10月22日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、低気圧や湿った空気の影響で雨が降り、夜は雷を伴う所がある見込み。気温は20.0度から21.5度、湿度は84%から74%、風は3mから6mの東の風が少しばかり。明日の23日のさぬき市地方は、低気圧や湿った空気の影響で朝まで雨が降り、未明は雷を伴う所がある見込み。午後は高気圧に覆われて次第に晴れるらしい。

 

 115/55/77 36.2c-97% 63.8Kg 24.1c-60%-1017hPa 体調に変化はないが、やや、体重が増加気味だし、尿の量が少ない感じ。おなかが張るという感じはまだない。

 

 今日は奥方がお休みなもので、「来月には旅行が控えているのに、手術にでもなったらキャンセル料が戻らないのよ」などと小うるさい。

 

 そこで、しぶしぶと県立病院に行ってきた。確かに、朝方には64Kgくらいあっても、夕方の17時前くらいになると61.2Kgくらいにはなっていたのに、昨日、おとといあたりは62.2Kgと若干増えてきている。

 

 そこで、7ヶ月ぶりに泌尿器科の診察を受けてきたが、検査をしてみなければわからないとおっしゃって、来週月曜日の午後15時の検査予約になった。若干は膀胱に残尿があるとはわかるらしいが、詳しいことは見えないからわからないみたい。

 

 今までのデータを見てみると、9月までは60Kg台以下だったのに、10月に入ると、61,62,63Kgと、少しずつ体重が増えたり減ったりしながら微増している。だからと言って、食べ過ぎたり飲み過ぎたりもしていない。水分が体内に残るようになってきたのかも知れない。

 

 帰ると作業服に着替えて、昨日の草刈りの続きになった。庭木の枝を剪定した残りを、無造作に投げ捨ててあったのを、ノコや鎌で片付けながらの草刈りになった。

 

 昨日はここまででパワー切れになったので、今日は、その続きである。

 

 そういうことで、昔の「旧松尾村」の「村道」部分の草刈りは終わった。今は、「大川町道」から「さぬき市道」に格上げになって、この上の電柱の建っているあたりを通っていて、ここは払い下げになっているらしい。でも、こんな部分まで我が家の固定資産になって税金を取られたのではたまったもんやない。

 

 地図は上が北だから、現場とは反対になるが、この赤線部分が旧道。我が家の西の黒い線部分がさぬき市道である。細い水色は水路で、東側の幅の広いものが二級河川の「津田川」である。この緑の区間の草を刈ったということである。長さは100mくらいだろうか。

 

 今年中には、この電柱横の雑木を切り倒したいのだが、これはちょっとしたパワーが必要になる。ハシゴを掛けて上の枝部分を切り落としてから、チェーンソーで根元から切り倒したものだが。

 

 今日は食欲もないので、それだしお米のライスだから昼食はパスした。どうにもご飯は喉を通らない。で、いつもの集落内の散歩をしてきた。その途中にある休耕田を利用したコスモス畑である。

 

 散歩から戻って来たら、タイミング良く雨になった。

 

 今日の掲示板はこれ。「散ると見えるは凡夫の眼 木の葉は大地に還るなり」というもの。落ち葉の季節だが、落ち葉はどう見ても「散っていく」としか見えない。しかし、大地へ帰っていくのだと見る世界がある。人も「死んでいく」「亡くなった」としか見えないが、「いのちの世界に帰っていく」「私を照らす大きな世界に帰っていく」というふうに受け止めてきた歴史があることを忘れないでいたい。これからは紅葉して落ち葉が舞い落ちる時期。「あ、枯れ葉が散って行くなぁ・・」と見えるのは私ら凡夫の眼なんだよ。木の葉は大地に還って行くのだよ・・。みんな、そうして還っていくんだよ・・・といただきたい。大地に還り、栄養となって、また、新たないのちを生まれさせ、育てていく。そういうことなんやね。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


あれこれと思案ばかりの神無月

2020年10月21日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが、夕方からは気圧の谷や湿った空気の影響で曇ってきた。気温は13.0度から22.6度、湿度は92%から60%、風は1mから4mの東南東の風が少しばかり。明日の22日のさぬき市地方は、低気圧や湿った空気の影響で雨となり、夕方からは雷を伴う所がある見込み。

 

 102/50/78 36.3c-99% 62.8Kg 21.6c-60%-1026hPa 体調の変化はない。

 

 年末までに片付けておきたいことが幾つかあるが、雨かなぁとか、まだ暑そうだなぁとかで延び延びになっていることもある。で、今日は格別の予定もないので、作業服に着替えてみた。

 

 この画像の左側が田んぼの畦にあたる部分。ここは元は水田の跡地。平成16年の台風の後、この田んぼを譲ってもらって、ここを宅地にしたもの。その畦の高さは2mか3mほど。その下には昔の町道があったが、そこは我が家の土地になっているそうな。

 

 そこの草刈りである。正式には二級河川津田川の堰堤部分にあたるのだろうが、今は誰も管理をしていない。だから、我が家が草刈りをすることになる。で、充電式の電池の草刈り機である。私はペースメーカーを植え込んであるので、エンジン式の草刈り機は使えない。ガソリンエンジンの点火プラグの火花がいけないそうだ。

 

 最初のうちは、こういう短い草ばかりで楽だったのだが、途中からは草が変わって背丈の長い草になる。そうなると休む休みの作業になってくる。

 

 それに春先に梅の木などの庭木を剪定した枝などを無造作に投げ込んであったので、それが邪魔になって進めない。そこで、この枝の処理からやることになったが、このあたりでパワーが切れた。

 

 ということで、あと30mを残してギブアップ。明日の午前中は雨は降らないみたいだから、1時間もあれば片付くはず。明日に残しておいた。

 

 草刈りが終わってからは、草刈り機の「替え刃」を買うためにホームセンターに行ってきた。そのついでに文具屋さんにも寄ってきた。だから、今日は簡素に「富山の氷見うどん」の細麺にした。

 

 お昼からは、我が家から南に走って、東かがわ市五名(ごみょう)地区の、旧五名小学校跡地のイチョウを見てきた。ほんのりと黄色くなってきている。

 

 そして、88番札所大窪寺の大イチョウである。ここもようやくに色づいてきた。足下にはひらひらと黄色い落葉が舞い落ちるようになっている。

 

 このおねえさん、小さな人形に「大窪寺」と書いた単語帳を並べての記念撮影。ようやくにお遍路さんの姿が戻って来た。私の居る間に二台の大型観光バスがお遍路さんを乗せてやってきた。

 

 でも、まだまだ、静かな大窪寺の境内である。

 

 本坊境内の庭園では、紅葉が始まっている。

 

 今日の掲示板はこれ。「人は もう戻れない昨日と まだ知らない明日の間に生きている」というもの。これまた、どこの誰の言葉かはわからない。私たちは、昨日という過ぎ去ってしまった昨日と、まだやってこない明日という、まだ知らない世界の間に生きている。と言うことは、昨日のことは考えても仕方がないしどうしようもない。そしてまた、掴みようのない明日という日を、あれこれ考えても仕方がないということになる。それでも、私たちは昨日のことをあれこれと考え続け、明日のことをあれこれと思案してみたくなるのである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


草刈って蜘蛛が迷子になっている

2020年10月20日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていた。気温は12.5度から22.5度、湿度は82%から54%、風は1mから3mの北東の風が少しばかり。明日の21日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れるが、気圧の谷や湿った空気の影響で夕方から雲が広がり、夜遅くには雨の降る所がある見込み。

 

 98/49/82 36.2c-95% 62.8Kg 20.2c-64%-1024hPa 体調に変化はない。

 

 昨日、届くはずの荷物がまだ届かない。それで荷物待ちの一日になった。

 

 そうは言っても終日、家で待機していることもできないからと、いつもの集落内パトロールに出た。少しは歩かないと内臓脂肪がたまる一方らしい。

 

 これはお隣の集落にある田んぼの風景だが、このあたりでは見かけないものである。数年前ごろから植え付けれれているが、なんだろうと気にはなっていた。

 

 すると、これを作っているおじさん(と言うても私よか数年年下だが)が、「これはマコモダケというものじゃ。天ぷらにするとうまいぞ」と、数本の草の茎をくれた。

  

 その後、さぬき市の広報なんぞを配達してきた。集落内だからと歩いていこうかと歩き出したが、朝の散歩のすぐ後だから足が動かない。仕方がないので、車で配達をしてきた。根性なしではあると思った。

 

 で、先日にメインマシンが壊れたと書いた。メインPCが壊れては大変と、すぐさまに、今度は違うメーカーのデスクトップPCにした。その直後で、「せらい子」のようにメインPCが復活した。復活したけれど、災害用にと。このDELL社のマシンにした。

 

 そのPCの設定も終わった。やはり、メイン画面はガンダムである。

 

 で、今日は”台風記念日”である。今から16年前の平成16年(2004)10月20日のお昼ごろ、台風23号が西日本・東日本を縦断し、死者・行方不明者98人、浸水家屋が50,000棟を上回る甚大な被害をもたらし、平成期では最悪の台風災害の1つとなった。

 

 我が家には母と奥方がいたが、この崩れかけた旧宅に逃れて無事だった。私は急遽、会社から戻ったが、途中で道路が流され、土砂で埋まって帰ることができなかった。ゲリラ豪雨で土石流があちらこちらで発生したためだった。

 

 翌日には母親と奥方を救出して丸亀市沖の別荘に逃れ、私たちは高松市内の会社の寮に入って一時しのぎをしたことだった。この台風で、私たちは多くのものを失ったが、平成18年には現在のこの地に土地を求め、家を建てて復活した。あれから16年になるのか・・・。

 

 この時に、ボランティアの子供たちが救出した、この食器棚は、現在の台所で再生されて使われているし、お仏壇も救出されて再生されている。

 

 その後、河川などは復旧されたが、この元屋敷は草まみれになったままだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「くらべて喜ぶ人は また くらべて泣く人である」というもの。人は他人と自分を比べて生きている。人は全ての物事を相対性で選択しているのである。相対性なんていうと難しく感じるが、人は自分と誰かを比べているものである。無意識のうちにも自分の持っている物と人の持っている物を比べていたりする。若い頃にはライターがあった。ジッポーがいいとか、ダンヒルがいいとかと競争したし、時計もロンジンがいいとかダンヒルがいいとかロレックスがいいとか・・。車だって、「いつかはクラウン・・」と言うていたが、今はレクサスがいいとかなんとか・・。考えようによっては「どんぐりの背比べ」みたいなものだったのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


ひたひたと秋が過ぎゆく雨の中

2020年10月19日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、雨の降っている所があった。気温は14.0度から18.0度、湿度は84%から60%、風は1mから3mの東南東の風が少しばかり。明日の20日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 93/43/79 36.3c-96% 62.8Kg 16.4c-60%-1020hPa 体調に変化はないが体重の微増が気にかかる。

 

 今日は56日ぶりに県立病院での内科の診察日。およそ2か月ぶりの診察である。この二か月においては変化はなくて痛みも苦しみもない。ただ、薬が切れるので、その処方みたいな検診である。

 

 今日は9:45分に心臓の超音波検査があるので、9時過ぎに病院に入った。相変わらず、受付前では「咳や熱はありませんか」という質問する職員がいるが、体温測定とか、県外旅行の有無とかの質問はなくなっている。

 

 まずは胸部のレントゲン撮影から。書類をこの窓口に出すと、すぐに検査をしてくれた。右肺の胸水の溜まり具合の確認用である。

 

 それが済むと今度は血液検査の採血である。これも待つ間もなくすぐに処理してくれた。今回は尿検査はない。

 

 それが済んでも、ここだけは予約制で、9:45分にならないと検査をしてくれない。それでも20分待ちくらいで心臓の超音波検査の順番が来たが、この検査に20分以上もかかって終わった。でも、時間をかけた割に大きな変化はないみたい。

 

 ここは予約制のためか患者さんの数は少ないが、ドクターや看護師さんは忙しそうにしているのだから、時間が来れば患者さんがやってくるのだろうか。フィジカルディスタンス的には大丈夫みたいな空間。

  

 で、予定より30分も早くにドクターの診察があった。以前には血液検査の結果待ちということで1時間以上の待ち時間があったが、最近は前回の血液検査の結果で診察するらしくすばやい診察になっている。結果は前回と変わりなし・・・ということ。良くはならないが、悪くもなっていないということである。

 

 病院から帰る途中にある文具屋さんに立ち寄った。奥方が「スクラップブック」が欲しいというので、ここで二冊のスクラップブックを買った。私の血液検査の結果やアレルギー食品表なんぞをベタベタと張り付けるらしい。若いころから、そういうのが趣味みたいなお方である。

 

 今日は奥方がお休みなもので、お昼はこんなものになった。今日はお天気も悪く気温が上がらないので、あたたかいおうどんはのどにやさしいと思った。

 

 食後の散歩をしてみたら、昨日のテングタケは誰かによって壊されていた。ま、このあたりの人から見たら「気持ちが悪い」と思えるようなキノコではあった。私も足で蹴っ飛ばしたくなるようなキノコである。

 

 お昼からは調剤薬局に行ってきた。病院からファックスをしておいたので、薬は調合されているはずだった。ただ、私の場合には量が多いので、しばらくの時間的余裕を持つようになっている。

 

 最近はどこでも「マイバッグ」の時代になった。で、用意した袋がこんな状態になっている。8週間分だから56日分になる。今度の診察日は12月14日、赤穂の義士祭、昔の赤穂浪士討ち入りの日である。

 

 今回は中止になっていた「防風通聖散」を奥方の要望で追加してもらった。これは食前用だから、1日三袋、それの56日分だから量が半端ない。

 

 それでもお年寄りだから18,000円の限度額いっぱいということで、このお値段である。

 

 午後からは、さぬき市広報の配布準備。明日の20日が発行日である。これは自治会長のお役目である。

 

 今日の掲示板はこれ。「人は どう死ぬか いつ死ぬかは選択できない どう生きるか これだけは決められる」というもの。一説には、「ジョーン・バエズ」の言葉だとされている。でも、この前からエンディングノートを書いていて思ったのだが、「どう死ぬか」は、ある程度決められるように思った。事故とか災害とかだと、そうもいかないのだが、病院で死ぬか、自宅で死ぬか、延命治療か、それを拒否するのか、遺体を献体するのかしないのかなどと余生を考えることはできるように思った。そしてまた、持病を持ったまま、「どう生きるか」というのも難しい決断だと思った。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


花つくる人もまばらに菊花展

2020年10月18日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は今季最低の11.5度から21.1度、湿度は86%から56%、風は1mから0mの東の風が少しばかり。明日の19日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、昼過ぎから夕方にかけて雨の降る所がある見込み。

 

 112/60/78 35.9c-96% 62.4Kg 17.2c-59%-1022hPa 体調に変化はない。夜間のトイレ回数は5回、尿は少しばかりで変わりはない。

 

 昨日の夕方に新しいパソコンが届いた。最近はamazonさんの仕事が多くて夜中になってしまうと宅配便のお兄ちゃんがぼやいていたが、「なんなの?また、パソコンを買ったの?パソコンばかりをどうするの!」と奥方の声が大きかった。いつもは昼間だから目立たないのに・・・。

 

 「だから、壊れたんだって・・・」と言っても奥方はパソコンが壊れたことなんぞ知らないのだ。だから、そういうことを言うのだけれど、大事なメインPCが壊れたまんまでは落ち着いてやっていられない。

 

 ま、左のサブマシンでなんとかやってはいるものの、正面の真ん中が真っ黒では落ち着かないではないか。

 

 で、昨夜からマシン室を整理しなおしていたわけである。これで画面もすっきりとした整列になった。医者に「風前の灯火だ」といわれた命である。思うように好きなままに生きていくつもりだ。

 

 まだ、左端の画面が小さいので、25インチくらいの画面にしておきたいものである。

 

 で、おとといのキノコだが、今日はこんな風になっていた。やはり、「コトヒタシロテングダケ(琴平白天狗茸)」らしい。なお、この名は、香川県琴平町の琴平山で採取されたからこの名があるということだ。なお、毒性は検証されていないが、有毒だと思って食べない方が良いらしいが、こんな奇妙なものははなから食べたくないというものだ。

 

 で、今日の散歩は、少し足を延ばして県営大川ダムを一周してきた。最初は大丈夫かなぁと思ったのだけれど、最初のこの階段さえ登り切ればなんとかなると思い込んで少しずつ登ってみた。だめなら階段を下りてくればいい。

 

 100何段かの階段を登りきると堰堤(えんてい)に出る。あとは平たんな舗装路である。

 

 で、ダムの左岸(川の下流に向かって左側)を南に進んで水源に向かう。

 

 水源からは県道2号線を北上する。こうした平たんな道ならばいくらでも歩ける。でも、右肺には「胸水」という体液が溜まっているものだから、階段や登坂になると呼吸が苦しくなる。そこを通り過ごせばなんとかなる。

 

 今日は肌寒い気温だから、海老天うどんの温いのを作ってみた。野菜サラダ付きである。今のところ野菜のアレルギーはないみたい。

 

 具は多く乗っているが、うどんの麺は少量である。

 

 今日の掲示板はこれ。「なんでもない仕事、それが最も大切なのです。何か人の目を驚かす、というようなものでなくてもよいのです。」という鈴木大拙さんの言葉である。「一歩一歩歩けば何でもないぞ。一歩一歩努力すれば、いつの間にか高いところでも上がっている」「なんでもない仕事、それが最も大切なのです。何かの目を驚かす、というようなものでなくてよいのです」そういう「一日一言集」からの言葉である。人目を引く様な派手な仕事でなくて、何でもない仕事を地道に務めることにこそ奥深い意義があるというもの。吉川英治の「菊作り 菊見るときは 陰の人」、同じく「菊根分けあとは自分の土で咲け」「いくたびもお手間かかりし菊の花」の句を思い起こしていたことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


雨上がりまだまだ蕾の菊花展

2020年10月17日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で雨が降っていた。気温は14.5度から16.1度、湿度は92%から78%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の18日のさぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇るけれど、昼過ぎからは高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 97/49/79 36.0c-97% 62.8Kg 20.0c-59%-1020hPa 体調に変化はない。昨夜のトイレ回数は5回、尿は多くない。

 

 体重も64.2Kgあたりから夕方には61.4Kgあたりまで下がるので、そんなに心配はしていないし、大急ぎで泌尿器科に行くような事態でもないと思っている。

 

 さて、今日は終日の雨。昨日は9800歩ほど歩いたので、今日も・・・と身構えていたけれど、この雨ではどうしようもない。雨具を着てまでの散歩もどうかなぁと思うし。

 

 さて、「白衣史」ということになると、どうしても「医療用白衣」にも触れなければならないし、僧侶や神官の白衣にも触れないといけなくなった。主に白衣は医療従事者や衛生、調理従事者、実験従事者等が着用する。学校の給食配膳などの場面では児童・生徒も着用する。白衣の着用には、衛生、災害予防、制服としての機能があって、主に汚れや洗濯に丈夫なポリエステル製の白衣が多いが、薬品や火傷や火に耐えるよう綿で作られているものもあるらしい。

 

 そこで、気分を一新して、「看護師さんの白衣はなぜ白いのか」ということでリフレッシュしてみた。9世紀の西洋の医師は、もっぱら黒いコートを着用していたという。黒は礼服の色であり、神聖なる医療の現場にもふさわしい色である、と考えられていたためであった。衛生管理よりも儀礼的な慣習が優先された結果とも考えられる。

 

 フローレンス・ナイチンゲール(1820-1910)は1854年に勃発したクリミア戦争に看護婦として従軍し、2年後に帰国すると統計学的根拠を基に医療現場に衛生改革をもたらした。そして初めての宗教系ではない看護学校、ナイチンゲール看護学校を設立した。ナイチンゲールの時代の看護婦はワンピースに白いエプロン、そしてナースキャップという服装であった。のちに女性看護士が白いワンピースを着るようになったのは白いエプロン+ワンピースという組み合わせの影響もあるかもしれないという。

 

 明治時代の1886年に日本赤十字社が博愛社病院を設立。看護婦の育成が始まると同時に、看護服が誕生した。大正時代になると、純白の看護服が看護婦の制服に。白衣がナースの象徴になっている。

 

 こうした日本赤十字社の制服が一般化するようになる。

 

 これは戦地での看護服である。

 

 さらに時代が進むと下はモンペ姿という看護服にもなっている。

 

 昭和の戦後になると看護服もより清潔になり、保健衛生法・環境衛生法により「清潔なナース服」の着用が義務化。綿100%のワンピース型白衣がナース服として定着した。

 

 その後、こうした「白衣」という名称の示す通り、その多くは白色であるが、必ずしも厳密に色が白に限定されるわけではない。手術時や研究者やエンジニアが着る物には青や緑の白衣も存在し、色が付いていても「白衣」と呼ぶようになった。

 

 ところが、昨今の医療現場では白以外の色の白衣を着た医療従事者を多く見かける。衛生を象徴する白が一部姿を消したのは、決して衛生管理が軽視された結果ではない。現在、医師や看護士が手術着に白い白衣を選ぶことはまずない。これは「補色残像」への配慮が理由。補色とは、色相環で反対の位置にある色のことで、緑色の補色は赤紫色で、青なら黄色、赤なら青緑色が相当する。

 

 上のブドウをじーっと見つめた後で、右の白い画面に目を移すと、どんな色のブドウが見えてくるだろうか。答えは、黄緑の心理補色である紫のぶどうが見える。つまり、マスカットが巨峰に見えるというわけである。紫に色づけしてある葉の部分は、逆に黄緑に見えるはず。

 

 手術の際は血液のあざやかな赤色を長く見続けるため、視線を動かすと赤の補色である緑色の残像が現わる。手術中も手術後も、医師の目から血液の赤色の補色残像が消えず、業務に支障をきたすことが問題になった。そこで赤の補色である青や緑色をあらかじめ周囲に配したところ、補色残像の緩和が確認できたため、手術室の壁やカーテン、そして手術着にも緑色や青色が積極的に採用されるようになり、こうして、ほとんどの手術室から白い白衣が姿を消すことになった。

 

 現在、医療現場では(手術室以外でも)真っ白ではない白衣が増えている。衛生管理の必要性から白い白衣が医療現場に定着したのだが、現代は白にこだわらずとも衛生管理は可能になった。だから、医療関係では、赤でも青でも緑でもグレーでも黒でも、依然として「白衣」と呼んでいる。「はくい」である。

 

 今日の掲示板はこれ。「亀は亀のままでいい 兎にならなくていいのだよ」というもの。相田みつをさんの詩に、「トマトがトマトであるかぎりそれはほんもの トマトをメロンに見せようとするからにせものとなる」とある様に、亀は本物の亀であるのに、亀がウサギになろうとしても偽物のウサギにしかなれない。亀は亀のままで本物、ウサギはウサギのままで本物。あなたはあなたのままで本物。私は私のままで本物。私が私のままでいられる世界に出遇うことが大切なこと。そのままでいいという世界に安心させられる。亀は亀のままでいるしかないし、うさぎはウサギでいるしかない。私は私でしかないし、私はキムタクにはなれないのだが、キムタクもまた私にはなれない。だから、「私は私のまま」でいいのだし、「あなたはあなたのままでいい」のだし。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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