まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

薄曇る 五月の空は 今日限り

2015年05月31日 | たまには旅など・・。

 高野山地方は気圧の谷の影響で朝方は雨となり、午後からは高気圧の影響で晴れ間が見えるようになった。気温は16度から21度、湿度は100%から60%、風は0mから1mの北東の風が少しばかり。

 

 一階に若者がたくさん宿泊していて、朝からにぎやかな声で起こされた。まだ、外は霧雨のような小雨が降っていたが、時間が経つと次第に明るくなってきた。

 

 朝の6時半から本堂での勤行である。若者たちもしずしずと勤行に参加してきた。般若理趣経のお勤めだった。その後、住職さんの短い法話があった。感謝することを大切に・・みたいなことだった。

 

 7時からはお隣の毘沙門堂での「護摩供養」である。

 

 7時半からは朝食。一汁一菜の簡単な物。感謝でおいしくいただいた。

 

 簡単に荷物をまとめて、8時には宿坊を出る。バスはもう、門前に止まっている。お土産の「高野槙」の苗木を1本買った。奥方へのお土産はこれだけ。

 

 バスは8時30分に出て、霊宝館には9時前に着いた。一番乗りで霊宝を拝観させていただく。

 

 館内は、こんな感じ。ネット画像からである。もちろん、館内は模写も撮影も禁止である。

 

 これが目玉だったのかな・・・。「孔雀明王像」である。

 

 あたりは、朝靄だろうか、深い霧に覆われていた。このあと、胡麻豆腐を買いに走る人が続出して、一時は行方不明者も出て、バスは20分遅れになってしまった。おばさまたちのお買い物はその後も続く・・・。

 

 なんだかんだがあって、「金剛三昧院」に到着した。ここは駐車場が狭く、それまでの道路も狭いので、添乗員さんはやきもきしながら駐車場の確保に走り回っていた。

 

 ここはお寺の内部は拝観させていただけないものだから、外観や、国宝の多宝塔あたりを見て回る。もう、シャクナゲはすっかりと終わってしまっていた。

 

 これがその、国宝の多宝塔である。ここでも、納経をしてもらう人が続出して、これまた混乱してしまった。これで、高野山の見学とお参りはおしまい・・・。

 

 その後は、山を下りてしまって、「慈尊院」にお参りをする。

 

 これが有名な高野山を案内する名犬の「ゴン」の石像である。ま、有名な犬がいたのだけれど、その犬が亡くなると全国から寄付が相次いで、この石像が建てられたのだとか。うちの「迷犬ごん」もあやかってもらいたいものである。

 

 これが、有名な「町石」だそうで、四国では「丁石」と呼んでいるが、「一町」は109mで、ここから高野山の大門まで180の「町石」が建てられているのだとか。約二〇キロだとか聞いた。昔の歩きの遍路道に建っているらしい。高さは地上部だけでも3m近いのだそうだ。

 

 そこから30分ほどバスで走って、ようやくお昼のレストランに着いた。岩田市にある「ホテルいとう」というところ。このあたりには適当なお店がないとかで、ここになったらしい。

 

 お弁当形式のお昼。男性陣は早くも「ビール」だ、「焼酎だ」と元気いっぱい。私はアルコールお休み中だから静かにお弁当をいただいた。女性たちはそそくさとお食事を済ませてお土産売り場に集結。両手に一杯のお土産を提げてバスに乗り込んでいた。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生を変えるのは 大きな努力よりも むしろ日々の小さな習慣であることが多い」というもの。自分の人生を変えたいと思って、さまざまな努力をしても、そうそうは人生は変わらない。むしろ、「あ!」と思うような一言や、思わぬ人との出会いであったり、ささいな日常のできごとあったりすることが多い。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


あれこれと 悩みのままの 花あやめ

2015年05月30日 | たまには旅など・・。

 高野山地方は気圧の谷の影響で雲が広がっていた。気温は13度から26度、湿度は86%から55%、風は1mから2mの南東の風が少しばかり・・・。

 

 朝の5時起きで迷犬ごんの散歩や洗濯物を干して・・・、6時過ぎにはわが家を出て、6時半にはさぬき市役所に着いた。今日から一泊二日で高野山研修である。

 

 淡路島を経由して、今度は阪神高速5号湾岸線をひた走って、関空前から泉南市を経て・・・内陸部へ入る。そこからは、新しい道や旧道やらを経て、「紀ノ川万葉の里」という道の駅でトイレ休憩やらお昼のお弁当を仕入れる。

 

 それが、この「柿の葉すし」。このあたまに、「まほろば」の字があるのがうれしい。

 

 中身はなんということのない「アジのお寿司」。包装紙が、生の柿の葉である。これが、消毒効果があるのだという。これを、時間節約のために、バスに中で食べた・・・。

 

 最初の研修地はここ。和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野という地区にある「丹生都比売神社」で、平成16年7月7日世界文化遺産登録。高野山と縁深い神社である。丹生都比売神を祀る。ここに、みんなで参拝した。仏像と、銀と、水銀の関係があるのだという。

 

 神社は簡素でさっぱりとした建物だった。

 

 そこから、しばらく山道をひた走って・・・、ようやくに、高野山町に入った。とにかく、山道をくねくねと走ったものだった。ここは、その奥の院。讃岐の人が寄進したという「撫で地蔵」。

 

 奥の院も、ここから先は「撮影禁止」。その理由がふるっている。いろんな人が、これから先でさまざまな写真を撮るのだが、その中に、「あ、こんなものが写っている」とか、「これは何の写真じゃろうか・・」と、お寺にうるさく言って来る人がいたらしい。そこで、「そなに言うんならば、撮影禁止じゃぁぁ」と言うことで、撮影禁止いなったらしい・・と、何人もが、何人もが話しているのが面白かった。

 

 私が気になったのはこれ。この呪縛霊みたいなおじさんではない。「親鸞聖人御墓所」というもの。なんで、親鸞聖人のお墓が高野山にあるん??・・・みたいな感想。

 

 これが、その、親鸞聖人のお墓。中身は「五輪塔」である。なんで、こんなものが、ここにあるんだろうか。

 

 さらには、この、「法然上人円光大師供養碑」である。これは、苔むして年代の古さを象徴していて「さも、ありなん・・」と思わせるもの。その他にも、熊谷寺とか、「法然上人」や「親鸞聖人」にからむお寺があるのだそうですよ。

 

 その後、金剛峯寺や壇上伽藍を拝観させていただいた。もう、その頃は足がうじうじ・・・。

 

 このあたりになると、自由拝観。熱心な方は拝観料を払って中に入って見学したり、写真を撮ったりと自由にお参りをする。

 

 今夜の宿舎はここ。「恵光院」さん。大きくて広いお寺さんである。中はまるで迷路みたい・・・。

 

 夕方からは、「阿字観」とか「写経」があったが、私は正座ができないし、ブログのことがあって欠席させていただいた。

 

 その後の夕食は精進料理その1

 

 これに、ご飯やおすましなんぞが付くのだけれど、なかなかにいい味を出しているなぁと感心した。

 

 最初の1番札所では、般若心経もろくに拝読できなかった人たちが、結願して、高野山まで来ると、経本なしでも般若心経がお唱えできるようになった。

 

  

 今日の掲示板はこれ。「生まれを選ぶことはできないが、生き方は自分で選ぶ物です」というもの。ここの宿坊で働いているお坊さんは、お寺で生まれて、高野山大学で学ぶ一方、こうした宿坊で接客や対人関係、作法などを学ぶのだという。お寺に生まれたという、その生まれをとやかくいうことなく、生き方を、それぞれに考えているのだなぁと考えさせられたことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


あじさいに 明日の予定を 確かめる

2015年05月29日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で太平洋側を中心に雲が広がっていたが、次第に高気圧に覆われるため、昼過ぎから晴れてきた。気温は20度から27度、湿度は84%から56%、風は2mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の30日は、はじめは晴れるけれど、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夜遅くには雨の降る所がある見込みなのだとか。

 

 朝、山の旧宅に行ってみたら、もう、こんなに草が伸びている。今月頭の3日、4日に草刈りをしたのに、1ヶ月もせぬ間に、もう、こんな具合だ。

 

 こちらは、こんな具合・・・。刈っても刈っても草との戦いになるな・・・。さすがに、今日は草を刈る予定はない・・・。

 

 さて、明日から、「おへんろつかさの会」による、「高野山研修」に出る。ま、一泊二日のバス研修。こんな機会でもないと、「高野山」なんて行く機会はない。だから、「ホームページ作成のための取材旅行」として随伴して行くことになった。

 

 私はカメラと着替えがあればいいかなぁと思うのだけれど、傘も必要かなと思うし、朝夕は冷えるんだろうか・・・。

 

 土日が高野山で、戻ってすぐの月曜の6月1日からは京都に向かう。高速バスはお昼にJR京都駅に着く。この6月2日の午前8時半には間に合わないので、「前泊」ということで、前日の1日に京都に入る。

 

 今回の目的はこちら。2日の18時半からの「興正学会」の発表が予定されている。

 

 ということで、今年は「法然さん」。ここで、いつも、「法然さん」「法然さん」て、言うてるでしょ。ま、これが終われば、「法然さん」もお蔵入りになるのやけれど。

 

 そのための準備も少しばかり。ま、発表は20分間で、質疑応答が10分間。ま、三年間、あれこれとやってきたから、さほど、質問されても困ることはないと思うけれど・・・。

 

 で、最終的な、発表用原稿。これがないと、ついつい、脱線して、30分でも40分でも話してしまう。これで、京都行きも準備万端かな・・・。バスのチケットも予約したし・・・。

 

 午後からは、「おへんろつかさの会」のホームページ更新作業。というのも、ページを修正してドメインへ転送すると、画像が消えたり、テキスト画面に戻ったりする。サーバーの容量不足になったのかと思って、ドメインに接続して削除もしたが、一向に改善されない。

 

 そこで、あれこれ調べたり、サポートセンターへ問合せをしたならば、「セキュリティ対策ソフトが邪魔をする」ということらしいということになった。その・・・「ウィルス・バスター」を一時、止める作業を調べて、やってみた。

 

 うむ。完璧だ。何度やっても、文字化けや画像の喪失はなくなった。なんだ、なんだ、こんなことで、何日も何日も苦労していたのか・・・。問題は、転送が終われば、また、ウィルスバスターを起動しておくことを忘れぬようにしなければならぬことだ・・。

 

 あと、細かなことは幾つかあるが、京都から戻ってのことにして、今日の目玉のお仕事はおしまいになった。

 

 今日の掲示板はこれ。「やりたいことは やれる時に やってしまおうよ」というもの。どこの誰の言葉かはわからない。でも、一般的に誰もがついつい、口走ってしまう言葉でもある。「やりたい時が燃えているとき」、「やりたいときが意欲的な時」、そんな時にこそ、思い切りやってしまって片付けてしまいたいものだ。やりたい時が、やれる時でもあるんだ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


夏が来た 睡蓮池に 午睡する

2015年05月28日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で薄雲が広がっている。気温は17度から29度、湿度は84%から59%、風は2mから5mの南南東の風が少しばかり。明日の29日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 香川県立図書館で借りていた本も、読み切れていないのだが、来週は京都に行くこともあって、本の返却をしておかねばと思って出かけてみた。旅先で何事があるかも知れないってことで、公共の本は、ひとまずお返ししておいたほうが良い。

 

 日本一、狭い県の香川県だけれど、調べ上げたらずいぶんといろんな人がいるもんだ。ま、とりあえず、「向山周慶」とか「軒原庄蔵」とか「平賀源内」、「久米通賢」とか「丸尾五左衛門」なんぞを調べていた。

 

 よせばいいのに、またしても、こんな分厚い町史を借りて来た。ここには、文庫本1冊にもなりそうなほどの「讃岐製糖業」の情報がたっぷりと・・。さすが、専門家、学者さんやね。事細かに調べあげてくれている。

 

 で、今日はここにやってきた。高松市仏生山町にある「仏生山来迎院法然寺」さん。来週に、法然上人の研究発表会があるので、そのご挨拶までに。

 

 ここは、歴代高松藩主の位牌が納めてある「松平家御霊屋(みたまや)」というお部屋。世が世ならば、こんな所に入ったら「無礼打ち」とか「打ち首獄門」になるかも知れない。昔はここから、裏山の「般若台」まで秘密の抜け道があったそうだが、度重なる地震とかで埋まってしまったとか聞いた。

 

 この御霊屋の右手前に、こんな人がいた・・・。「高松松平藩初代藩主・松平重公」であらせられる。合掌お念仏して、失礼した。ここは、一般の拝観コースには入っていなかったが、扉が開いていたのでお邪魔した。

 

 ここが本堂で、本尊は阿弥陀如来さまである。この右側には「善導大師」さま、左手には、法然上人さま、親鸞聖人さまの「お木像」が並ぶ・・・。

 

 この大きなお厨子が「法然上人」さまで、左手が「親鸞聖人」さまである。ここで、「来週は京都で研究発表を行いますので・・」と、ご挨拶申し上げておいた。内陣の、このすぐ前で合掌・礼拝(らいはい)しておいた。

 

 本堂の次は「納骨堂」。ここには、「骨仏」というものが安置されている。この三体が、それ。その反対側に、初代の「聖観音像」がある。つまり、四体の「骨仏」があるということになる。この手前の真新しい物が、近年に制作されたものという。納骨された「遺骨」を、この像に塗り込めてあるのだという・・・。

 

 これが、「平成二十六年」に開眼供養された阿弥陀如来像の「骨仏」である。

  

 で、ここからが、祖師堂である。建物は「三仏堂」と呼ばれているが、ここには歴代の住職上人のお木像が並んでいる。この手前の方は「法然上人」さまである。

 

 私が子供頃には、薄汚いものが並んでいただけだったが、近年には床も天上も、上人像も修復されてきれいになっている。こういうものが、南北にわたって東西に並んでいる。その要所を守るのは「四天王」である。

 

 その人たちに守られて、中央にあるものが、この涅槃像である。正面に阿弥陀三尊像が安置されているので、「三仏堂」とか「涅槃堂」とか呼ばれている。

 

 昭和の中頃までは、みんなで、この涅槃像のすぐそばまでお参りできて、腕とか、目とかは色が変わってしまっていて、まるでお釈迦様が目を開けて生きているよう・・・。

 

 天上から、お母さんの「マーヤ夫人」が薬を投げたが、木の枝に引っかかって、お釈迦様のところには届かなかったのだという。このことから「投薬」という言葉が生まれた・・・とか聞いた。

 

 ふと、見れば、時計は11時を少し過ぎていた。そこで、境内にある、この「竜雲うどんん」に入ってみたら、もう、早くも満席状態・・・。私は一人だから、ゆっくりと座ることができた。

 

 席に着くと、後から後からお客さんが入ってきて、すぐに満席になった。私は、この、「担々つけうどん小」をお願いした。580円だった。まだ、義歯がなじまないので、何を食べてもおいしくはない。

 

 ザルうどんを、このつけ出汁につけて食べる。最後に、このお出汁を、ご飯の上に掛けて食べる方式である。隣の席では、大阪のおばちゃんを讃岐の人が連れてきたのだが、大阪のおばちゃんは「中華そば!!3つやで~」と言うてはる。讃岐のおばちゃんが、「ここは讃岐やで、おうどんを食べてよぉ~」と言うのだが、「かまへん、かまへん。うちらは、中華そばや」と賑やかなこと。かなわんなぁ・・・。

 

 今日の掲示板は、途中のお寺でみつけたもの。「拝まないものも拝まれている 拝まない時にも 拝まれている」というもの。東井義雄さ先生の詩からである。仏さまに背を向けているような私であっても、仏さまは常に私を照らし続けてくださっている。私が仏さまを拝むより前に、仏さまの方が私を拝み続けてくださっていたというのである。私達の中の拝む心に先立って、亡き人・先祖から拝まれているのだと東井先生は言うのである。私達が忙しい忙しいとあくせく働いている日々の中で、亡き人を拝む心を忘れている時にも、常に思いがかけられていたんだと。しかも拝まない者にも「どうか手を合わせ拝む人間になってくれよ、そして迷わず正しい道を歩めよ」と願っておられるのだと言う。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


やれやれと 今日の日記の ホタル草

2015年05月27日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れている。気温は朝から17度。お昼には30度にもなっていた。湿度は72%から46%、すっかりと夏の気候になった。風は2mから3mの南南西の風だった。明日の28日は、引き続き高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷の接近で雲の広がる時がある見込みらしい。

 

 昨夜は、ホタルがわが家に迷い込んできた。右の景色は私の書斎。その引き戸にホタルがやってきて、ガラスに映る自分の姿に驚いているらしい・・。「返して、返して・・」と、奥方が言うものだで、指でつまんで、ベランダから放してやった。

 

 さて、歯周病でぐらついていた歯を抜いて、ほぼ一ヶ月。抜いた後を義歯で補強するということで、いつもの歯医者さんにやってきた。型を取って・・・義歯を預けた。お昼前には修正できるという。

 

 お昼までの時間をどうやってつぶすか・・・ということで、今日はここにやってきた。歯医者さんの前から、昔の11号線というか、旧道を東に東に走って、東かがわ市湊(みなと)西所という地区。この鳥居が、「白鳥大神宮」の鳥居である。その奥にある板状の石碑が目的のもの。

 

 これが、砂糖製造を開基した「向山周慶(さきやましゅうけい)翁砂糖開基之碑」である。なにせ、細くて浅い文字の、しかも漢文だけの石碑だから、何を書いてあるのかはわからない。

 

 そこで、今度は逆に、西に走って、「さぬき市図書館寒川分館」にやってきて、「白鳥(しろとり)町史」を借りようとしたが、あいにくと、「禁帯出」の赤いラベルが・・・。来週あたりにでも、香川県立図書館で借りてこなければ・・・。

 

 「ここまで来たら、今度はあそこだな・・・」ということで、今度は、さぬき市長尾東にある「亀鶴(きかく)公園・花しょうぶ園」をのぞいてみた。

 

 ようやくに、花が咲き始めたところ・・・という感じ。あちらでぽつり、こちらでぽつり・・という風に。

 

 ここの「花しょうぶまつり」は6月中旬の、6日から14日あたりらしい。

 

 わが家に戻って、「おへんろつかさの会」のHPの不具合を確認していたらば、歯医者さんからの電話で、「調整できました・・・」とのこと。急いで駆けつけて、義歯を装着。無くなった歯が、突然に生えて来た訳だから、違和感が残るのは仕方がない。慣れるしかないのだなぁと諦めることにした。

 

 歯が入ったのだからと、近くのうどん屋さんに駆け込んでうどんを注文した。時間は12時少し前・・・。12時前には食べて終わらねば・・・。

 

 で、冷たいものが良かろうと、「温玉ぶっかけ小の冷や」を注文した。380円だった。ところが、慣れない義歯だから、うまくうどんが噛めない。仕方が無いから、喉に流し込むだけ・・・。うどんを食べたという感触は全くなかった。当分はこんなものだろう・・・。

 

 とにかく、新しいホームページ・ビルダーは様子が違う。今までは、マイ・ドキュメントなどにデーターが溜まっていて、それを修正したり削除したりしていたのに、SP版というのは、どこにデータがあるのか分からないし、ドメイン(クラウド)の中にも、「.zip」ファイルで格納されている。ダウンロードしてきても「.zip」だから、扱いようがない。画面ではきれいなページも、転送したら、文字化けしたり、とんでもないページになったりする。

 

 どこかで、クラシック版に切り替えねば、このままではオツムがクラッシュしてしまいそう・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「すぐに広がる不足の心 すぐに忘れる感謝の心 心のけいこは繰り返し」というもの。どこの誰さんの言葉かはわからない。とかく私たちの心には不足の心が広がるものだし、感謝の心は忘れ去ってしまうもの。いかりやそねみやねたみやうらみの心もまた、私の心の繰り返し。パソコンの「ワード」だって、「エクセル」だって、しばらく使わない機能はすぐに忘れ去ってしまっている。ましてや、ホームページ・ビルダーなんて、そうそう、使う物ではないので、すっかりと操作を忘れてしまっていて、その無能さにあきれかえってばかりいる。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


薫風を 受けて手にする 杓の水

2015年05月26日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていた。気温は17度から29度、湿度は86%から42%、風は2mから3mの南南西の風が気持ちよかった・気象台では、「高温が予想されるため、熱中症など健康管理に注意してください。」と言うていた。明日の27日も、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 さて、お約束の火曜日になったもので、「さぬき市前山」にある「おへんろ交流サロン」にやってきた。毎週火曜日は、ここで、「俵札調査」が行われている。午前9時から12時まで。

 

 前回に俵の中から取りだした「納め札らしいもの」の紙くずの中から、今回は、それらを一枚一枚、開いて伸ばす作業。ま、冗談も言いながら、世間話もしながらの作業である。でも、ついつい、無口になって作業に没頭する・・・。ゴミ屑のようなものにスプレーで水を拭きかけると、自然に紙が開いてくる・・・。

 

 一方、会長さんと私は、こちらの端末機側での作業。まずは、この建物のネットワークに無線で接続する操作から。さぬき市の場合は、市内は殆ど光ケーブルで結ばれていて、ノート型パソコンは無線でインターネット接続が可能となっている。これも、コード番号を入力するだけでOKだった。

 

 次に、Justsystemへの接続。会長さんのノートPCと同期を合わせて、ドメインへの接続。アカウントが違いますの、パスワードが違いますのと、あれこれ文句も出たが、すんなりと、ドメインへの接続もOK。試験用のHPは無事、転送成功。

 

 会長さんも一安心したようで、今日の作業の段取りにかかった。私はその間にトイレ休憩。もう、ビールを飲むのを休んでいるのだから、利尿剤は必要ないと思うが、とにかく、1時間に1回はトイレに行くのだから忙しいし、夜中は寝不足になる。

 

 この納め札・・・。真ん中に、「ハート型」が書いてあると問題になった。確かに「♡」のマークが見える。見えるけれど、これは、「文化・文政」時代の納め札。江戸時代の後期のもの。そんな時代に、「ハート・マーク」なんぞ、ある筈がない・・・。しかし、本物ならば大発見なのだが・・・。

 

 こつこつと、納め札を伸ばして、ビニール・ファイルに整理し・・・。

 

 それに整理票を付ける作業。年代、どこから来たおへんろさんで、名前はどういうのか・・みたいなことを整理票に記入する。

 

 そのファイルを、デジタル・カメラで撮影する。

 

 それを私が判読して読み上げるので・・・、

 

 会長がエクセル・シートに入力していく・・・。今日は、そういう流れ・・・。

 

 神社仏閣に、関東方面では、こういう千社札が貼ってある。それが、上方では「納め札」という木の板が打ち付けてあった。昔は紙が貴重品だったからだそうだ。これ(下)は愛媛県の太山寺に残るもの。

 

 この木の板を本堂や大師堂などに打ち付けたから、お寺のことを「札所」といい、お参りすることを、「打つ」というようになった。もちろん、当時は、竹の釘だったらしい。でも、建物が傷むからということで禁止されるようになって、紙の納め札が登場した。安い半紙を切って、手書きをした。

 

 そういうものが、これ。でも・・・。

 

 お寺に納めたものは、まとめて処分される。

 

 こうした、護摩供養の時などに、「お焚き上げ」ということで、焼却処分となる。だから、お寺には、納め札は原則として残らない・・・。

 

 ところが、こうして、民家や商家などに、「火災防止」などの名目で保存されていることがある。それを私たちが開封し、分類して整理をしていると云う訳。

 

 第一陣の「飯田家」のもの、6千枚はパソコンに収納されて整理された。今は「田淵家」の俵札を解析中・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「すべて 見える世界は その幾層倍もの 見えない世界に支えられている」というもの。東井義雄先生の心に響く言葉より…。

【自分は自分の主人公】

自分は自分の主人公
世界でただ一人の自分を創っていく責任者
九(苦)をのりこえなければ
10のよろこびはつかめない
九九を通らなければ
100のしあわせは得られない

ほんものと にせものとは
見えないところのあり方で決まる

ほんものはつづく
つづけるとほんものになる

すべて見える世界は、それの幾層倍もの
見えない世界にささえられて
そこに存在している

尊いもの 美しいもの 善なるものも
みんな謙虚な人のところへ集まってきて
その人のものとなる

二度とない人生。二度とない今日ただ今。
生きているということは
どんなにすばらしいことなのか
どんなにただごとではないことなのか

いちばん身近な人のおかげが見えないようでは
しあわせにはめぐりあえない

亀は兎になれない
しかしそのつもりになって
努力すれば
日本一の亀になれる

君は 君をりっぱにする
世界でただ一人の責任者なんだね

『森信三先生講述 中・高生のための「人間の生き方」-人間学小門-』(寺田清一編)親子教育叢書 より

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


磨かれて うぐいすの声 鐘三つ

2015年05月25日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷や寒気の影響で夕方から雲が広がり、雨の降る所があるらしい。気温は16度から25度、湿度は88%から44%、風は2mから3mの南風が少しばかり。明日の26日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしいが、気圧の谷や寒気の影響で、昼前まで雲の広がる時がある見込みなのだとか。

 

 さて、明日の火曜日が、「おへんろつかさの会・公式ホームページ」と、WordPress版の引き渡しの日なのだが、今日になって、とんでもないことに気が付いた。WordPress(ワードプレス)は、オープンソースのブログ・ソフトプェアで、PHPで開発されており、データベース管理機能システムとしてMySQLを利用している(中略)。単なるブログではなくCMSとしてもしばしば利用されている・・・・なんたらかんたら・・。

 

 私はホームページ制作を依頼されたのだけれど、その後継は、WordPressだから・・とも言われている。単に、ホームページとブログをやればいいのだろうと、軽い気持ちだったのだが・・・。

 

 これが、一筋縄ではいかない代物。泰平の世の中で、10年前のホームページと、10年来のブログを更新し続けてきたのだが、突然、背後から「ペルリ」が大砲を撃ちかけて来たみたいな慌てふためきよう・・・・。

 

 急いで本屋さんに走ったのだけれど、まるでちんぷんかんぷん。みんなでホームページにアクセスして、そこで意見交換をしたり、品物を注文したり、意思決定をしたり、その統計がすぐさま出たり・・・みたいな・・ブログという印象。

 

 さて、昨日の、この歌。「寒くとも たもとに入れよ 西の風 弥陀の国から吹くと思えば」という歌だった。これは、いくら調べても、親鸞聖人の歌で、枕石寺に関するものだということになっている。

>Yosyiaki Ootuka 比叡山を降り吉水入室後、親鸞聖人は和歌を好んでおられません。そうすると、この道歌は法然上人作の方がふさわしいかも・・・。合掌 南旡阿弥陀仏

 というコメントが・・・。

 

 で、またしてもやってきたのが、「まんのう町十郷宮田」にある「西光寺」さん。一般的には「宮田の法然堂」と呼んでいる。

 

 上人が讃岐に配流中、霊験の地、金毘羅大権現にご参詣の折、南の方で紫雲がたなびいたので、ここまでやってきた。ここではしばらく滞在されて、「寒くとも 袂に入れよ西の風 弥陀の国より吹くと思えば」と詠まれ、日夜別時念仏を修せられた・・・と祈念碑にある。ふむ、師弟が別々に詠んだ歌が、まるきり同じだったというのは、どういうこと??

 

 しかしのかかし、今頃になって、こんなものが出てくるとは・・・。はてさて、この歌は、親鸞さんの歌なのか、法然さんの歌なのか・・。それが、どうして、讃岐に伝わって、供養碑や石碑に刻まれることになったのか・・・。

 

 アルコールを休んで、今日で8日目。幻覚症状が出てきているのかしらん。親鸞さんの歌を讃岐で法然さんが詠む筈はないし、たかが、ブログがホームページ作りよりも難しいなんて筈はないし・・・。困った、困った、こまどり姉妹・・・。参った、参った、マイケル・ジャクソン。

 

 でも、確かにここは、「法然堂」なのであるし・・・。

 

 帰りに、本屋さんで悩んだあげくに、この本を買った。買うには買ったのだけれど、中身はさっぱりとわからん・・・。ダッシュボードだの、CEOだの横文字がいっぱい・・・。長州沖に英国艦隊が押し寄せたみたいなもんだ・・・。

 

 ま、明日、会長さんにあって、公式ホームページの確認と、ドメインへの転送プロトコルを調べねば・・。とりあえず、第一弾は公式ホームページの更新と運用開始だ。それを動かしておきながら、WordPress用のサーバーのレンタル契約とかをやってもらっておかねば。実際に動かしながらでないと、状況が掴めない。

 

 どこを、どう、設定したら、どこが、どう、動くのか・・というのを確認しながら・・カスタマイズしていくことにしよう。

 

 今日の掲示板はこれ。「なんでもいいから、まずやってみる。それだけなんだよ。」というもの。岡本太郎さんの言葉だが、今日の私には、まさにそういう気持ち。みんながやってるんだから、私にもできる筈。会長が知ってるくらいなら、私にも理解できるはず。「やってやれないことはない」。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


まだ慣れぬ 山ほとぎす 鐘ひとつ

2015年05月24日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がるけれど、その後は高気圧に覆われるため、昼過ぎから晴れていた。気温は16度から24度、湿度は89%から44%、風は3mから1mの南南西の風が少しばかり・・・。明日の25日は、高気圧に覆われて概ね晴れるけれど、午後からは大気の状態が不安定となり、雨の降る所があるらしい。

 

 今日は、天気がいいからか、朝から、「テッペンカケタカ」「テッペンカケタカ」の声がうるさいほど・・。まだ、「東京特許許可局」には聞こえない。「テッペン、駆け寄る」「テッペン、カケヨル」程度・・・。のど自慢なら、鐘一つ・・・。

 

 さて、天気もいいし・・ということで、今日は善通寺市西部に行ってみた。すぐそこは、弥谷寺が近い場所。山道を進んだら、弥谷寺に入っていきそうな場所・・。この地下道みたいな所は、上を高松自動車道が走っていて、鳥坂(とっさか)峠がすぐそこ・・・。

 

 そんな遍路道みたいな場所に、こんな怪しげな場所がある。

 

 見上げた上には、こんなものが・・・。これは、何を意味するものであろうか・・・。とにかく、行ったり来たり、戻ったり・・・。ここは、一体、何が有名で、何が特徴なのか・・。

 

 昔の人は「巧者」なものだ。何か、仏様でも彫ってあるみたいだけれど・・。地元の人は、「蛇石」だというのだが、何が、どう、「蛇」なのかわからない・・・。とにかく、知らないものは、知っている人の半分も知らない・・・。

 

 これが、その供養石と言われるものである。法然上人さんがここを通りかかった時、弟子に汝の父が蛇になって、この岩の中で苦しんでいると言って、岩を割らせて、これを救い出したと伝えられているらしい。

 

 これが、供養碑に刻まれている歌の拓本であるが・・・。「さむくとも 袂にいれよ 西の風 弥陀の国より ふくと思えば」という歌らしいが、なんで、この歌がここにあるのだろうか。この歌は、親鸞聖人が、越後から常陸国をご教化の際に、懐かしさのあまり、お弟子二人を伴って、大雪の中、日野左衛門の館を訪ねたのが、建暦2年(1212)旧暦11月27日の夕方であった。主はそれとは知らず、一夜の宿も貸さぬばかりか、仏道修行をする者は身命を惜しまず野や山に寝るのがあたりまえ、雪や嵐を苦にして安楽に宿をとるとは何事か、と悪口を申して門前まで追い出してしまった。聖人は、日野左衛門のこのような態度に腹も立てず、自分を戒め、日野左衛門のみ教えの未熟さを歎かれ、この者をここで救わなかったなら、彼は一生苦しむであろう、あの邪険驕慢な態度を直して救うのが私の務めだ、と決心された。厳冬の夜、降り積む雪の中では、いくら修行の身とはいえ、寒さが身にしむので、心配したお弟子がお声をかけると、「寒くとも袂(たもと)に入れよ西の風 弥陀の国より吹くと思えば」と読まれ、二人のお弟子を諭し、門の扉止めの石を引き寄せて休まれたという。その扉石が「お枕石」であり、「枕石寺」というこの寺の名前になったと伝えられているが、その親鸞聖人の歌が、なんで、ここに刻まれているのであろうか。

  

こうして見ると、まさしく、蛇が口を開けて襲いかかってくるようである。それをさせじ・・・と、法然上人が、供養碑を口に建てて、噛みつくのを防いでいるようにも見える。

 

 こちらは、全く、逆方向にあたる、旧の仲南町十郷買田という地区。土地勘がまるきりないので、これを、どう、読むのかはわからない。琴平町から、宮田の法然堂に向かう川の中にあるものだが、ここを、「法然上人腰掛け石」と呼んでいる。「南無阿弥陀仏」と刻まれた「名号石」以外には何も見えない。まさか、この「名号石」に腰を掛けた訳でもあるまいに・・・。

 

 これでは、まるで、どなたかのお墓みたいではないか・・・。法然上人は、どこに腰を掛けたんじゃろうか・・・と、見回すこと10分余・・・。

 

 あれじゃろうか・・、これじゃろうか・・。ま、これが一番に近いから、これだろうかと思うばかり・・・。

 

 さて、午後からは、例によって例のごとくに、「おへんろつかさの会ホームページ」の作成をやっておく。ホームページ・ビルダーのクラシック版では「公式ホームページ」を。SP版では、「WordPress」仕様を、ほぼ、カスタマイズできた。

 

 で、出来上がったものを、「ドキュメント化」しておく。「コンピュータ 電気なければタダの箱」にならぬように、証拠を紙に残しておくという、相変わらずのおじさん手法・・・。

 

 余った時間で、「向山周慶」の別視点からの「パワーポイント化」もやっておく。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は いろいろあるから 退屈せんでよい」という 曹洞宗の僧侶、余語翠巖(よごすいがん)さん(1912-1996)の言葉から。確かに永い人生に於いて様々なことが起きては過ぎる。それを退屈せずに楽しむか、退屈しながら漫然と過ごすかで人生の味わい方は大きく違う。有り難いと思って過ごすのか、苦痛だと思って過ごすのかでも人生は大きく違う・・・。その選択で、人生の味付けも変わってくる。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


廃校の 静かにあやめ 残される

2015年05月23日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で雲が広がっていたし、ときおり、小雨が降ったり止んだりする天候だった。夜には雨となるらしい。気温は16度から24度、湿度は78%から54%、風は1mから3mの南の風が少しばかり。明日の24日は、気圧の谷や前線の影響で雲が広がり、明け方までは雨が降るけれど、夕方からは高気圧に覆われて、次第に晴れる見込みらしい。

 

 さて、5月もあと残すところ一週間ほど。あれもやらねば、これもやっておかねば・・ということばかりになった。どれから優先順位をつけるべきか・・と、ウロキョロするようになった。で、気分直しに、香川県立図書館にやってきた。

 

 やってきたのだけれど、読みたい本がある訳ではないし、読んでおきたい本がある訳でもない。ましてや、借りても、本気で読書なんぞできるほどの余裕はない。

 

 で、適当に選んだ、これらの本。当面、講演会や法話に使えそうな人物が何人か載っている。ま、借りておこうか・・・程度の本である。

 

 こちらの本・・・。この「さぬき市文化財保護協会」が近年に出した本だが、この、「さぬき市文化財保護協会」の会長さんというのが、私らの「おへんろつかさの会」の会長さんと同一人物らしい・・・。そう言えば、先日、「さぬき市歴史民俗資料館」に出向いたら、渡邊会長さんが、古文書の調査をやっていた。あの方は、そんなに偉い方だったのか・・・。

 

 今日は、奥方は一日、デイサービスの応援だとかで出かけて不在。部屋を片付けて掃除をして、気分一新して、作業に取りかかった。というのも、アルコールを休んで、今日で6日目。熟睡できないようで、昼間は眠たくてたまらないが、夜中は眠たくなくて、しかも薬の関係で、1時間おきにトイレに起きるから、いよいよ、睡眠不足・・・。

 

 そんな偉い会長さんに頼まれたのだから、やるしかないなぁ・・ということで、ホームページ作成にいそしんでいる。WordPressという方式は、あらかた理解できたので、「公式ホームページ」版を、今度は、「ホームページ・クラシック」というタイプで作成することにした。理屈は同じで、手法が違うだけ。

 

 そればっかりをやっていると、飽きてしまうので、学校の時間割みたいに、2時間が過ぎれば、今度は、偉人伝をスキャナーで読み込む作業に切り替える。

 

 これは、新たに見つけてきた、「向山周慶:さきやましゅうけい」の情報を、スキャナーで読み込んで、ワード文書に格納している。

 

 で、読み込んだものを、原本と付き合わせながら修正しておく。ルビがないとスムーズに読み込んでくれるから楽である。この新事実を、すでに造ってある、セミナー用のパワーポイントに取り込んで修正する。電子情報にしておけば、すぐに活用できるからありがたい・・・。

 

 土・日・月・・・で、ホームページの公式版と、WordPress版を仕上げて、火曜日に会長さんのチェックを受ける。で、転送設定を確認して転送試験を行う。水曜日は歯医者さんで入れ歯の修理。30日・31日は高野山での研修があって、戻るとすぐに京都に向かう・・・。

 

 何か、忘れ物はないだろうか・・。手違いはないだろうか・・・。

 

 で、戻って来るのは6月の5日。梅雨前のロードで良かったな。6月上旬の京都の天気はどんなんかなぁ・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「頂上ばかり眺めずに、まずは目の前の一歩をどう歩かです」という、石川真理子さんの言葉から。

 頂上ばかり眺めずに、まず目の前の一歩をどう歩むかである。
 目の前の一歩をとにかく大切に
 「遥かな山の頂上を眺めて、とてもじゃないけれど、これは登れないと言っているわけである。てっぺんばっかり見て踏み出したら、転ぶかもしれない。大事なのは、その頂上に続く目の前の一歩を、どんなふうに踏み出すか。できる限りの最良な一歩を踏み出すことに心を砕きなされ。その日その時々により良い一歩を重ねることが、いつしか高みへとおのれを導いていくのですから」 話題になった書籍「女子の武士道」である。著者の石川真理子さんのおばあさんは、武士の娘であり、そのおばあさんが真理子さんに教えた言葉五十五が紹介されている。その中の引用からである。

  

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


夏が来た 空一杯の 伸びやかさ

2015年05月22日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は上空の気圧の谷の影響で薄雲が広がっていた。気温は14度から24度、湿度は81%から46%、風は1mから3mの南南西の風が少しばかり。明日の23日は、気圧の谷の接近で雲が広がり、夜遅くには雨が降る見込みなんだとか。

 

 禁酒のせいで眠りが浅くなったものか、なんだか昼間は眠たくなる。相変わらず、利尿剤の影響で1時間ごとにトイレに起きるせいでもあるかも知れない。「春眠なんたら・・」の時期は終わったように思うのだが・・・。

 

 今日は、取り立てての約束も用事もないので、朝からこれのお勉強・・・。会長さんの言うことには、「公式ホームページ」と、「ホームページ・ビルダーSP」を使っての、「WordPressサイト」経由のブログを立ち上げて、会員相互の連絡場所にする・・とのこと。10年来のホームページ・ビルダーユーザーなんだが、「SPって、なんじゃい・・」、「ワード・プレスって、なんじゃらほい・・」の世界なのである。

 

 これが、その、「ホームページ・ビルダーSP」の立ち上げ画面。左のテンプレートを選ぶを開いて、好きなタイプの画面を選んで、真ん中で編集していく。サイトを公開する手順書がないので、転送プロトコルやパスワードが分からないから、サイトを公開するところまではいかない。

 

 こういう、テンプレート(ひな形・画面)を参考にしながら、カスタマイズ(個別化)していく。これまでの、カット・アンド・ペースト的に、どんどんと貼り付けていけばいいものではなくて、いちいち、メニューを開いて、マウスで選択して・・・と、面倒なこと、このうえない。初心者には、こちらが便利なんだそうである。

 

 一応の、デザイン・シートを作成してあるので、それを、左から右にコピー&ペーストすればいいようなものだが、それは問屋が卸さない。クラシッック版はクラシック版、SP版はSP版。簡単にはコピ・ペはできない仕組み・・・。一般店のおうどんをセルフのお店で食べるということはできないらしい。

 

 たまには休憩をして、昨年度の活動実績表とか、今年の活動計画表などをノートに整理して、今年の「取材ノート」を作成しておく。今年は、ホームページ担当兼ブログ管理者も兼任して、電子広報担当みたいなお仕事をするらしい・・・。

 

 何度も、ここでも書いているが、「おへんろつかさの会」というのは、「さぬき市商工観光課内」に所属する「観光ボランティア」で、「上がり三ヶ寺(86番志度寺・87番長尾寺・88番大窪寺)周辺のおへんろ文化を全国に発信する団体である。宗教的なことは、「公認先達」さんにお任せをする。と、言いつつ、そこいらのお先達さんよりすごい猛者もずいぶんといる。

 

 これは、眞念の道標を解説する渡邊会長。自分は主催者だから、自分の写真がない。だから、HPが更新できん・・・と仰る。ふむ、で、私が、写真を撮って、HPに掲載する訳か・・。ま、健康増進のために、すこしばかりやってみるとしようか・・・。

 

 今年の活動計画を見ると・・・再来年の秋まで予定が入っているぞ。その上に、私の講演会があるし、法話の予定も入っているし・・・。自分の予定とも調整が大事になるな。

 

 ま、お相撲さんの決まり文句みたいに、「一番、一番を頑張るだけっすっ」だな。

 

 モーニング・セミナーの事務局からも講演会の確認電話があった。7月31日に日程変更になったとのこと。チラシやパワポの日時変更をやっておかねば・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「時 あなたを待つ時間の長いこと あなたという時間の短いこと 計れば同じ時間なのに」というもの。ご存じ、「あいだみつを」さんの言葉である。仕事だって、遊びだって同じ事で、じっと待っている時間、いやなことをやっている時間、いやな相手といる時間はなんと長いことか。反面、好きなことを楽しくやっている時間のなんと短いことか。つまりは、時間の長さは同じなのだけれど、いかに自分の心が充実しているか否かの相違なのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


山あいの あめんぼがいる 昼下がり

2015年05月21日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は12度から25%、湿度は80%から37%、風は2mから4mの西北西の風がそよそよと・・・。明日の22日は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 すっかりと夏の空になってしまったが、これだけでは終わるまい。やがてにはうんざりとするほどの「梅雨」がやって来なければ、本格的な夏にはなれそうもない。

 

 昨日、「おへんろつかさの会」の渡邊会長からお呼び出しがあったもので、町内にある「さぬき市歴史民俗資料館」にやってきた。ここで、渡邊会長と藤井先生は、古文書解読のお仕事をしているとのこと。

 

 そこで、「おへんろつかさの会」のホームページの更新作業についての打ち合わせになった。会長自らが、ホームページを立ち上げたらしいが、あれこれと作業が多くて、更新どころではないのだという。そこで、私に白羽の矢が当たった・・・らしい。

 

 ま、私も前から気にはなっていたので、自分なりに、こうやればいいのに・・という腹案はあったもので、大筋では合意できた。それなりの準備もできていた。

  

 で、気軽な気持ちで引き受けてきたのはいいのだが、私はオーソドックスな、「クラシック」というバージョンで運用しているのだが、今度は、「SP」でやる・・というのである。簡単バージョンなのだが、まるきり勝手が違う。メニューも簡単だし、操作も簡単なんだが、簡単過ぎて、どうやればいいのかがわからない。

 

 あれこれとやってみるのだけれど、なかなかにはいうことを聴いてはくれない。

 

 最後の最後、サーバーに手が届かない。メール・アドレスが違うと言われてばかりで、ドメインにまでたどり着けない。転送用のプロトコルもわからない・・・。「保存したら、転送でおしまいやから・・」とはいうものの、その前段ができないのでは、転送にもならないではないか・・・。一度、設定してしまえば、あとは、保存+転送・・でいいのだけれど。

 

 ま、来週の火曜日まで、あれこれとやってみて、火曜日には、会長のPCをお借りして、転送部分を真似して設定すればいいだけのこと。それまでに、こちらでできることをやっておかねばと考えている。

 

 さて、ものはついでである。「みろく石穴」の復習をやっておく。江戸時代の末期近く、掛け井と呼ばれる山裾を回る水路では漏水が多くて、みろく池まで水が届かなかった。そこで、軒原庄蔵は、友人らの力を借りて測量を重ね、山の底を一直線に「石穴:トンネル」を掘ることを考えついて藩の許可を頂いた。その掘削の様子である。

 

 これが、そのときの絵図面だというが、これだけではわからないので、赤線を入れてみた。この部分が「隧道」になっている。実際には、こんなに長くはなくて、105間、189m。これを3年間も掛かって、昼夜12人体制で掘り抜いた・・・というから大変な工事だったことがわかる。

 

 ということで、今日は「山あり、谷あり・・」の一日になった。

 

 あ、そうそう、久々にお布団を干して、毛布を片付けて夏用のお布団に入れ替えた。でも、朝夕は涼しいが、夜中は暑いという時期にもなってきた。布団をかぶったり、蹴ったりの複雑な時間が過ぎる。

 

 夕方もまた、さわやかな青空になったことである。

 

 今日の掲示板はこれ。「人間の可能性を閉ざしているのは、他人でもなく、外部環境でもなく、自分の意識である」という、掘義人さんの言葉から。父は原子力の研究者だった。幼少時には米国で、高校時代はオーストラリアに暮らした。京大工学部を出て入社した住友商事では、重化学プラント貿易に携わった。会社派遣で留学したハーバード・ビジネス・スクール(HBS)で、価値観がぐらりと揺らぐ。米国人の友人たちから「なぜ大企業に勤めるのか」と不思議がられた。新たなビジネスを立ち上げる起業家こそが社会を変革する原動力であり、かっこいい存在なのだ、と。HBSでは、自らを企業の経営者の立場におき、どんな戦略をとるべきかを議論する。2年間で800以上の事例で学ぶ「ケース・メソッド」という学習方法では「あなたならどうするか」を、徹底的に考えさせられた。28歳だった堀は、図書館の中庭の芝生で寝ころびながら考えた。「このスクールはすごいな。こういうビジネススクールを日本につくれないだろうか」。学んでいる大学院自体を、起業対象として考える。堀の夢は、こうして生まれたのだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


あやめ咲く 水辺の里の 老夫婦

2015年05月20日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れている。気温は16度から28度、湿度は89%から41%、風は2mから3mの北北西の風が少しばかり。明日の21日は、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 先週あたりから、呼吸困難になるわ、身体が重たくなるわ、右足が動かなくなるわ、心不全寸前まで行くわで・・・、少々、自分でも焦ってしまって・・・。「これではダメだ・・・」ということで一念発起。「禁酒をしなければ・・・」と思ったのだけれど、なかなかにこれが辛いし、難しい・・・。そこで・・・。

 

 で、土曜日あたりから、これを3本飲みながらで夕食を食べるようにした。少しずつだが、体調は改善されてきた。足の痛みは別物だと思う。でも、一昨日の昨日では、そんなに効き目はないらしく、月曜日の整形外科では「肝臓の数値が高い・・」と言われた・・・。

 

 で、今日は内科の予約診察日。例によって例のごとく、胸部レントゲン検査に採血にと検尿による検体検査。私にすれば、大きく身体は改善されてきたと思うのに・・・。

 

 9時に病院に入って、9時45分になって採血。検尿は待ちきれずに、先に採尿を済ませた。要らぬ時に限って、利尿剤が効きすぎる・・・。今日は患者さんの数は少ないのに、待ち時間はずいぶんと待たされる。

 

 そして、問診・聴診・触診などの診察があったが、今日の数値は届いていない様子で、月曜日の整形外科の血液検査の数値で、「肝臓の数値が高い」という診断。今日の検査の数値はどこに行ったんン??

 

 薬局へ処方箋を送信したり、会計を済ませている間に、早くも11時半前・・・。

 

 とにかく、12時前にうどん屋を出ておかなければ・・・ということで、とりあえず、おうどんを食べておく。

 

 こうしたお店は、12時を過ぎると長蛇の列になるし、国道が渋滞する。その前にお店を出ておかねばならない。お昼を過ぎると、職人さんや電気屋さん、運転手さんたちが大挙して押し寄せてくる。こうしたお店は安くて早くて好きな物が食べられるから・・。お昼定食も目玉商品らしい。

 

 今日は気温も高いので、「ひやかけわかめうどんの小」をお願いした。これで350円。とりあえず、おうどんを呑み込んで、お店を後にする・・・。味など味わってはいられない。

 

 途中で、歯医者さんに寄って、来週火曜日の診察を、翌日の水曜日に変更してもらった。毎週火曜日は、「俵札調査の日」になったからである。それにPC入力が始まる日でもあるのだからして。

 

 ということで、講演会用の資料集めのために、町内にある「みろく自然公園」にやってきて、「みろく石穴」の写真撮影。歴史民俗資料館にも寄ろうと思ったけれど、ここは水曜日が「休館日」。

 

 そして、みろく奥池から導水して「富田中村」への配水をしたという「羽鹿池」。ふむ。わが家の横を通った水が、みろく奥池から、この池に導水されて、富田中村を潤しているのか。道理で、見覚えのある人たちが水路掃除をやってくれていると思ったぞ・・・。

 

 お昼過ぎに、「おへんろつかさの会」の会長から電話があって、「明日、ホームページの説明をするので、どこそこに集まって欲しい・・・」との連絡が・・・。またして、新しいお仕事が増えそうな予感が・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「何もしないで怒られるより何かをして怒られるほうがいい。批判を恐れて無難に過ごすよりも、挑戦して失敗して怒られたほうがずっといい」という、十二代目市川團十郎さんの言葉から。怒られて喜ぶことではないし、何もしないで怒られる事も無くなってしまったが、行動を起こさずしてだらだら生きるよりも、行動を起こして失敗して怒られたほうが人間らしくいいなぁとは思う。そのまま生きていたら、怒られもせず、褒められもしないかも知れないけれど、そんな人生よりも、行動を起こして、チャレンジして、失敗したっていいじゃないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


夏が来た 空一杯の 伸びやかさ

2015年05月19日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は前線の影響で雲が広がっていたが、昼過ぎからは高気圧に覆われて晴れてきた。気温は19度から28度、湿度は96%から56%、風は1mから4mの北北東の風が吹いたらしいが気が付かなかった。明日の20日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 朝方は激しい雨が降ってきたので、今朝の迷犬ごんの散歩はやめにした。犬だって犬小屋で丸くなって寝ている。

 

 今日から、また、新しいお仕事ができた。できた・・・と言ってもボランティアだからお金にはならない。午前9時に、さぬき市前山にある「おへんろ交流サロン」に集合して、ここでのお仕事になる。

 

 四国の名家には、このようなものがある。これは「俵札」と呼ばれるもので、お遍路さんにお接待した代わりに「納め札」を頂いて、このようなミニ俵に詰めて天井裏に吊してあった。こうしておけば火事などの災難に遭わなかったとか言う。「とか言う」のであって、決して火事に遭わないという保証はどこにもない。

 

 こうして、屋根裏の梁や棟木に結んであったのだという。中央の俵がこれ。さぬき市長行の「飯田家」の調査は、ほぼ終わった。現在はさぬき市志度の「田淵家」のものを調査中・・。

 

 ハッキリ言って、ゴミの山・・・。でも、必要な人にとっては、これは「宝の山」。小さな紙くずが貴重な発見になるやも知れないのだ。

 

 例えばこれ。わらくずのようなもので、何気なく捨ててしまいそうになるが・・・。

 

 おそる、おそる・・開いてみると・・・。文久三年三月の「納め札」であることが判明した。文化文政あたりから明治あたりのものが多い・・。

 

 何も書かれていない和紙でも捨ててはいけない。カタツムリや虫の死骸以外は、最後の最後まで捨てられない。

 

 領収書、借用書、完納書、伊勢ごよみ、日記、水利表・・・実にさまざまな書類も入っている。こどもの手習いまで入っている。その中から、丹念に、「納め札」「護符」を探し出していく。

 

 こちらでは、その完全な「納め札」をファイルにして、どこの誰が、いつ、納めたものかを整理票に記入していく。

 

 こちらの先生は、それをデジタル画像に落としていく。これが電子データーに格納される。

 

 こうした、納め札が5万枚・・・。今年の秋までには、一応の目途をつけて、来春からの展示会につなげたいと、一同は張り切っている。

 

 最後に、会長から、そういう方針が話されて、毎週、火曜日には、こういう作業を連続して続けていくことになる。

 

 今日の掲示板はこれ。「一人では何も出来ないが 一人から始めなければ何も出来ない」というもの。ボランティアや支援も、すべて一人から始まることが多い。一人の力が集まって、大きな力になって行くもの。その一人が始めなければ確かに何も出来ない。私一人くらいが協力しなくても・・・と、これまではそっぽを向いていたけれど、私が誰かの役に立ちたいと思うことからはじめたいな・・・と思いながら、今日からの参加になった。今日は、78枚の江戸時代の納め札を探し当てた・・・と、ブログには記しておこう。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


あじさいに 今日の感謝を 述べてみる

2015年05月18日 | たまにはご法務

 東かがわ市地方は、気圧の谷や前線の影響で雲が広がり、夕方には小雨も降ったし、夜には雨が降るらしい。気温は、14度から27度、湿度は64%から76%、風は1mから10mの南南東の風が強く吹いたと言うが、お寺の中にいたからか、全く、気づかなかった。明日の19日は、引き続き前線の影響で雲が広がり、明け方まで雨となる見込みらしい。

 

 ようやく月曜日になったのだが、右足の腫れも痛みも少なくはなった。だから、明日か明後日には回復するかなぁと思ったのだが、けいこばぁが、「絶対に行ってよ~」というので、しぶしぶ腰を上げて、県立病院に寄ってみた。

 

 だと、案の定、レントゲン検査に尿検査と採血による検体検査。ところが、データー的には、どこにも異常は認められない。血液検査では、「肝臓の数値が高い」というくらいで、どこにも異常はないと仰る。レントゲン検査でも骨とかにも異常はない。触診でも痛みは感じられないし、目で見ても腫れなどの症状は確認できないと仰る。

  

 月曜日には似たような人が多くて、どこも待ち時間が永い・・・。3時間待って、2分くらいの診察があって、おしまい・・。飲み薬もシップ薬もない・・・。

 

 現役の頃の「電話の雑音」とか「ノイズ」とかというものは、症状が見えない。で、私らが帰ると、またもノイズが出る・・。それと同じで、ドクターの前では症状が見えないのだけれど、自宅に帰れば、症状は出る。そんなもんだ・・。

 

 さて、今日は所属寺院の「春季永代経法要」の日。兄弟子が仕事でお参りできないというので、「これは大変だ・・」というので、駆けつけた。もう、すっかりと、準備は出来上がっていた。私は受付担当である。あと、給仕一般のお手伝い。

 

 讃岐国名勝図会には、開基は明暦三年(1657)沙門正哲の草創とあるが、寺伝によると、天正四年三好氏落城のとき、その家臣板西城主赤澤信濃守は中富川の合戦において討ち死にし、天正十年(1582)赤澤信濃守の一子正本法師が菩提を弔うため、大坂天満興正寺で証秀上人につき得度し、丹生の郷小砂村に小砂坊を開基したのが勝覚寺の始めとされている。古い安楽寺末寺帖にも小砂正覚寺とあり、追加の記事にも三本松正覚寺とあり、創建も寺伝による天正年間が正確といえる。安楽寺末寺となったのは、阿波三好氏の関係であろうと思われる。その後正覚寺と号した。九代目願故のときの貞亨元年(1684)三本松村に移り、海暁山勝覚寺となったとされ、港町三本松の発展とともにその勢力をひろめ、寺院としての体裁を整えた。(まほろば自然博物館HPより)

 

 12時に鐘を撞いて・・・。撞いたのは英海さん。なんとなく、境内は静か・・・。

 

 法要は英海さんが導師となって、仏説阿弥陀経のお勤めとご和讃。

 

 今日のご法話は、西植田町・称名寺住職の柴田好政師。今日は、妙好人についてのお話となり、この寺ゆかりの「庄松同行」についてのお話がメインになった。

 

 この庄松さんは、何歳の時の像だろうか・・とか。この銅像が何歳の時のモデルかと言われても・・・住職の明海さんでも知らんやろ・・・。晩年頃のものだとは思うけれど、「何歳の時のお姿か」と言われてもなぁ・・・。そういうことは、まるきり、想定もしていなかったし、気にもしていなかったが、何をモデルにして、この像は造られたのか、調べてみる必要はありそうだ。間もなく、没後、150周年、150回忌法要も予定されている筈。

 

 あちらこちらに、庄松(しょうま)さんの肖像画はあるが、どこにも「満何歳のもの」などという日付けは入っていない筈。確証はどこにもないような気がする。

 

 ご法話が終わったのが15時半。それから、法具や打ち敷きなどを片付けて・・・。特段の足の痛みもなくお仕事を終えたことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「できるからやるんじゃない やるからできるようになるんだ」というもの。久保ひろしさんの「やるからできる:人生を劇的に変える思考法」から。物事に、最初からできるものはない。少しずつ、こつこつとやり続けているから、立つことも、歩くことも、走ることも、お箸を使うことも、鉛筆を持つこともできるようになった。やってきたからできるようになったんだ。これからもそうだ。できることをやるのは当たり前だ。できないことをこつこつとやり続けていたら、できないこともできるようになる。

 

じゃぁ、また、明日、会えればいいね。


夏らしく 装っている 山河あり

2015年05月17日 | たまには真剣な研究なども

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は13度から24度、湿度は94%から30%、風は3mから1mの北北東の風が少し・・。明日の18日は、西日本に進んでくる前線の影響で雲が広がり、昼過ぎから雨となる見込みらしい。

 

 昨晩も、足の痛みと利尿剤の影響で1時間ごとのトイレに起きるのとで安眠はできなかった。上を向いても痛い・・、右を向いても痛い・・・左を向いても痛い・・と言いつつ、いつしか寝てしまっていて、トイレに行こうとして・・「ビクン!」と痛んで動けない・・。歩き出すのにしばらくかかる、トイレに座れない、立ち上がれない・・・そういうことを一晩中やっていた。

 

 来月の講演会のことで、「違うお話も用意しておくかなぁ・・・」ということで、またしても、香川県立図書館にやってきた。ここのアキニレの若葉がきれいになっていた。やがてにはセミがやかましく鳴く時期になる。

 

 今日は日曜日だから、中学生や高校生が多かった。それも、スマホ片手に騒がしい・・・。これからのおとなはガラケーが人気なんだぞ・・・。

 

 で、向山周慶の追加資料を探したり、新しいキャラクターを考えたりとするために、この本を借りてきた。

 

 ほかにも、このような本なども・・。しかしのかかし、経営者用のセミナーで取り上げるのだから・・ということで、どのような人がいいもんだか・・。考えたあげくに、次に取り上げるのが・・・。

 

 わが町内の先駆者、「軒原庄蔵」である。さぬき市にも有名人はたんといる。たんといるのだが、それでいて、あんまり有名ではない人。ということで、この人についても、資料を用意することにした。

 

 軒原庄蔵は、掛け井手という水路では水漏れがするので、山の下を掘って通水するという特殊な工法を考え出して穴を掘った。それが、この「みろく石穴」である。この工法は、あの、満濃池の放水路にも採用されている。

 

 さて、この右足だが、赤く腫れ上がっている。足の後ろ側に痛みが出る。こんなに痛みの出る虫・・・と言えば、ムカデなんじゃろうか・・・。水平に歩くのはなんともないが、階段の上下が辛い・・・。

 

 そうそう、講演会用の配付資料の第一案ができた。ま、たたき台としては、こんなもんだ。

 

 と、こういうお話に仕上げるつもり・・・。

 

 お天気のいい日曜日だというのに、相変わらずのデスクワーク三昧の一日になった。

 

 今日の掲示板はこれ。「幸も不幸も存在しない」という極めてシンプルなもの。「幸」も「不幸」も存在しない。それは他人が決めることでも外的なもので決まるのでもなく、その人自身の「心」が決めているのである。悲しみや苦しみは、実は現象のとらえ方によって、「幸せ」になってしまうことがある。そういう場合は、「悲しい」「苦しい」と言っていた現象が、幻になってしまい、「悲しく」「苦しい」現象が消えてしまったりする。妻がいる幸せ。独身でいる幸せ。幸せは、その人にのみ帰属するものであり、幸せが見つからないと言っている人は、幸せを感じる心を動かしていないだけかも知れない。事実や現象はひとつ。ただ、それを受け止める側の「心」がその現象の価値を決めているのだ。「とらえ方」の違い一つで、目の前の現象は「幸」にも「不幸」にもなる、ということのようである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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