まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

山吹の 黄色に今を 教えられ

2015年04月30日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で、西部を中心に雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は14度から24度、湿度は92%から50%、風は1mから47mの東南東の風が少しばかり。明日の5月1日は、次第に高気圧に覆われて、晴れる見込みらしい。

 

 昨日の懇親会の席上で、私の「山頭火句碑集」を納本した人が、お礼をしたいと言うてると、役員さんからの連絡があった。その人にメールを送ろうとしたが、どうにもアドレスが違うようで、あちこちの名簿を探したり、アドレスを何カ所かいじくって、たった一つのメールを送るのに二時間近くもかかってしまった。

 

 そのおじさんが、9時半から10時半の間にお見えになるというので待機状態が続いた。その合間に、ホームページの更新やら法話原稿の修正やらをやって時間を過ごした。

 

 そのおじさんがやって来たのは10時半過ぎ。あちこちと道を間違ったらしい。で、持って来てくれたお礼というのが、焼き肉店のランチョンマット(紙製)。そこには山頭火の自由律俳句が印刷されている。有り難いやら、なんとやら・・・。私、別に山頭火のファンでもないんですけれど・・・。

 

 おじさんというか、先輩が帰られたので、私はいつもの「香川県立図書館」に行ってみた。先週の土曜日に借りた本はほとんど役に立たなかったので、すみやかに返却して、別な本を借りようと思ったが、欲しい本は貸し出されているようで見えなかった。わずか数日で、こんなにも若葉が萌えだしていた。

 

 それでは・・・ということで、高松市飯田町にある岩田神社にやってきた。テレビだかで、「満開だ」ということだったので、「そんなに簡単に満開になるんか・・」ということでやってきたのだけれど。

 

 確かにのぼりも立っているし、お客さんも多いし、露店も出ているし・・・。

 

 でも、「へ・・・・」と思うような藤の花。

 

 場所によっては、こんなものかなぁとも思う花もある。

 

 でも、全体的に房の長さが短い。ここは1mから2mにもなる「孔雀藤」と呼ばれるもの。

 

 ここは駐車場がないのに、大勢の人がやって来るので、狭い道路は押し合いへし合い。介護施設のマイクロバスが来ると騒然とする。

 

 私は写真だけ撮ると、早々に引き上げた。

 

 早くも四月は最終日。明日からはいよいよ5月。だからと言って何があるわけでもない。カレンダーをめくって歩くだけなのかも知れない。確かに、やらねばならないことは多いし、やっておかねばならないものも多い。その優先度、重要度が難しい・・。

 

 とりあえずは、月末処理とホームページの更新などをやっておかねば。

 

 今日の掲示板はこれ。「過去が咲いている今 未来のつぼみで一杯な今」というもの。陶芸家・河井寛次郎さんの「意味ある人」から。「静岡県人づくり百年の計委員会」による提言の基本理念ですがこの言葉も 河井さんの言葉だと聞いている。「今」を大切にしなければ・・・と思わせる言葉の一つである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


このままで 暮れて自然の 山つつじ

2015年04月29日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がっていた。夕方からは雨の降る所があるらしい。今日の気温は17度から22度、湿度は86%から58%、風は3mから2mの南南西の風が少しばかり。明日の30日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、午後は雨の降る所がある見込みなんだとか。

 

 今日は所属する「おへんろつかさの会」の定例総会の日。場所は、さぬき市前山にある「長尾公民館前山分館」で、この「おへんろ交流サロン」の横にある建物である。

 

 で、私たちは「駐車場案内係」で、制服のジャンパーを羽織って、お客さんの車を誘導する。参加会員さんは70人。単純計算で70台の車がやってくる計算になる。

 

 この会は、さぬき市において、四国遍路の知識を伝え、さぬき市を観光的歴史的側面から全国に発信する活動をしている。主には、86番志度寺・87番長尾寺・88番大窪寺の3ケ寺の案内や春と秋に遍路道を歩くまち歩きイベントやお遍路文化に関する講演会などを開催している。会員数は200名少し・・・。

 

 午前9時から総会は始まって、さぬき市大山市長さんからの挨拶を受けたあと、

 

 渡邊会長から活動報告・決算報告・活動方針・予算などが報告された。ま、当たり前の総会風景。

 

 その後、香川県立ミュージアムの渋谷啓一専門学芸員さんから、「四国へんろ展を振り返って その成果と課題」という記念講演が行われた。

 

 講演会には70名余が聴講した。この「四国へんろ展」というのは、昨年10月中旬から11月中旬に行われた、「四国霊場開創1200年記念4県連携事業・空海の足音 四国へんろ展香川編」のこと。約40日の会期中、2万人弱の入場者があったそうだ。

 

 その後は懇親会。懇親会には50名ほどが参加した。ここで、山頭火の句碑集が6冊、「四国遍路の闇と影」が5冊納本できた。皆さんの意見を聞いて、12月の正式版に備えたい。

 

 時節柄、ノンアルコール・ビールがほとんどだった。中には一升瓶を据えて飲んでおられる方もいたし、焼酎だ、ウィスキーだという強者もいた・・・。

 

 私はなぜか、汗が出て・・ひどく息苦しくなって、早々に会場を後にしてわが家に戻った。湿度が高くなったせいだったのかも知れない。わが家に戻ると正常になった。おかげで、どれだけも食べられずに戻ったので、夕食が待ち遠しいのに、けいこばぁは、畑仕事に余念が無い。

  

 4月29日は、もともと昭和の時代に「天皇誕生日」という祝日だった。それが、昭和64年(1989)1月7日に昭和天皇が崩御されたことを受けて、年号が平成に改まり、「天皇誕生日」も平成元年(1989)から「みどりの日」となった。しかし、多くの国民の要望を受けて、平成17年に国会で「国民の祝日に関する法律」(祝日法)が改正され、平成19年(2007)より「昭和の日」とすることになった。1年に一度廻ってくるこの日に、昭和天皇とともにあった昭和の時代を改めて見つめ直してみるのもいいかも知れない。

 

 それまであった、「みどりの日」は5月4日に移動して存続している。もともと4月29日の「みどりの日」は、昭和の時代、「天皇誕生日」という祝日だった。それが昭和天皇の崩御にともない、「天皇誕生日」は今の天皇陛下のお誕生日である12月23日となり、4月29日は昭和天皇が自然を愛したことにちなんで、平成元年から「みどりの日」と名称を変えて祝日になった。自然をこよなく愛された昭和天皇は、「全国植樹祭」にも必ずご臨席になり、ご自身の手により植樹をされてきた。その伝統は、今の天皇陛下にも受け継がれている。

 

 今日の掲示板はこれ。「他人とくらべるのやめると 人生はぐっとらくになるよ」という、いつもの荒了寛さんの言葉から。私ら団塊の世代は「比べられっこ」で子供の頃から育ってきたが、それはいつの世でもそうなんだなぁと思うようになった。今はお仕事もやめて、自由気ままに暮らしているから、自分では誰かと「比べっこ」はしていないつもりだけれど、誰かからは「比べられっこ」されているのかもしれない。でも、その分、楽にはなったけれど、さみしくもなった。背比べの相手がいない・・・というのは、鬼のいない鬼ごっこみたいだなと思った。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


若葉切る はさみの音の 鈍い朝

2015年04月28日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で太平洋側を中心に雲が広がってきた。気温は14度から22度、湿度は84%から55%、風は2mから4mの南南西の風が少しばかり。明日の29日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がりやすく、昼過ぎから雨の降る所がある見込みだとか。

 

 とある所から講演を頼まれているので、その証拠写真を撮影するために「東かがわ市」に行ってきた。ここは3月だかに開通した「国道11号線大内白鳥バイパス」という新しい道路。このバイパスは、国道11号線の慢性的な渋滞緩和と高松自動車道・白鳥大内ICへのアクセス向上が目的らしい。

 

 これが目的の神社で、

 

 名前は「向良(こうら)神社」と読むらしい。地元では「さとがみさん」という。「砂糖神さん」の意味である。うむ?砂糖の神さんかい・・・。

 

 これは立派な無縫塔。由緒ある人でないと、こういうお墓は建ててもらえない。これが「向山周慶(さきやましゅうけい)」というお医者さんのお墓である。奥方の名前も刻まれているから「夫婦(めおと)墓」である。

 

 こちらが、奄美大島からのお遍路さんだった「当盛喜 改め 薩摩関良介(せき・りょうすけ)」という人のお墓。この二人の名前から「向山」の「向」+「良介」の「良」=「向良」神社になったのだとか。

 

 ここには、生誕の地まである。私の若い頃には古いながらも立派なお屋敷があった。今は、こんな石碑があるばかり・・・。でも、神様になって神社まで造られたのだから偉大な人に違いないが、あんまり、聞いたことのないお名前の二人・・・。そして、民話・伝説の主にまでなっているのである。

 

 そのあたりで、時間をつぶしておいて・・・。

 

 11時前に、昨日の抜歯後の様子を確認するために、歯医者さんにやってきた。今日は、じろりと口の中をのぞいただけでおしまい。あっという間の診察だった。それでも料金は140円。今度は連休後の11日だそうだ・・・。

 

 今日も、山の旧宅、「木村宅や」に行って来たが、さすがにタケノコは一段落したみたい。明日にでも一雨が降れば、またもニョキニョキと出てくるのかもしれない。こちらも、毎日まいにちのタケノコ料理は一休みしたいところ。

 

 午後からは、撮ってきた写真を使ってのスライド作り。今日はまだまだ背骨の段階。30分から40分程度になるように肉付けするのはこれから・・・。

 

 講演はまだまだ先のことだが、忘れぬうちに準備だけはしておこうと思って。今回のお話の外にも2本、3本のお話も用意しておきたいし・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「どんなにつらい悲しみにも それにふさわしい幸せがきっとある」という、荒了寛さんの言葉から。この後に、「いまが幸せと思わないと一生幸せになれない」と言う言葉が続く・・・。 こうして一日を大切に生き、揺るぎない座標軸を持てるようになれば、きっと満足できる人生と実感 できるようになるのだろうか。しかしのかかし、それを毎日続けるには、強い精神力が必要なのではないだろうか。そんな力は無い私。まずは、その第一歩と考え、きょう一日をしっかりと生きていくことから始めていきたいと思ったことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


やまつつじ 思い思いの 夢が咲く

2015年04月27日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は13度から23度、湿度は72%から48%、風は3mから4mの南南西の風が少しばかり。明日の28日は、高気圧に覆われて晴れるらしいが、気圧の谷の影響で夕方からは次第に雲が広がる見込みらしい。

 

 FBFのヤッホさんこと菱村さんから、「四国遍路の闇と影」の誤字訂正通知が届いたので、忘れないうちにと、早速に修正しておくことにした。28項目ほどの修正だが、見て行くとずいぶんと誤字がある。多いのは「ほ」と「は」の認識違い。上下は→・←に変換していたりする。

 

 一応、50項目ほどの修正を施してからお出かけ。本当は、高松の御坊さんで春の法要が行われるので、お参りに行こうと考えていたのだが、土曜日あたりから、またしても歯の痛みがぶり返したようなので、11時から抜歯をするという連絡が入った。

 

 で、元、奥方が勤めていた歯医者さんに出かけて行って、すぐに局部麻酔を打ってすぐに抜歯して5分ほどでおしまい・・。痛みは消えたが、麻酔が2時間以上も効いていて気分が優れない・・・。下あごが私の物ではない感覚・・・。言葉にもならない。

 

 そこで、気分転換に旧宅の木村株式会社に行ってみた。油断をしていると、ほれ、この通り・・・。お墓の前の敷石が持ち上げられている。

 

 あちらこちらからとタケノコが伸びている。短くて細いものは切り飛ばしてしまう。

 

 大きな物だけを持って帰ってきたが・・・、

 

 それでも、大きな鍋、いっぱいになった。またまた、タケノコ料理が続くのか・・・。

 

 13時過ぎに三男のたっくんがやってきて、簡単な食事になった。その頃になると麻酔も完全に切れてきた。

 

 昨日のバス研修で、山頭火の句碑集を配ったが、3部ほど余ったので、お世話になった「宗林寺」さんに届けようと思った。

 

 これが「俳諧の寺」と言われて居る「一畑御坊」の宗林寺さん。真宗大谷派のお寺さんである。

 

 住職さんが境内のお掃除をしていて、いろいろと話し込んだ。拓本のこと、「ザイゴ(在郷)節」で苦労したこと、真宗の説教師のあれこれやら・・・。2時間ほどがあっという間に過ぎた。

 

 このあたりでも、この連休中に田植えをするらしく、慌ただしくトラクターが走り回る時期になった。

 

 今年も、五月の連休中、島の家には誰も行かないらしい・・。私は2日の土曜日から10日の日曜日までを予定しているが、そんなにも長くいるのも苦痛だから、前半は山の家で、7日から島に帰って、「9日のお大師まいり」=「お接待」を済ませてから戻ろうかとも考えている。

 

 今日の掲示板はこれ。「「・・・したい」「・・・になりたい」って、悩んでいてもしかたないよね。ホントになりたい人は、そう思う前にやっているよ。どんどん行動しているよ。」と、言うもの。漫画家であり、絵本作家である小泉吉宏氏の言の葉である。仏教には「願行具足」という言葉があって、願いと実践とがともにそなわること。浄土教では,浄土に生れるための願と行とが兼ねそなわることをいうのだが,その解釈については宗派によって異なる。浄土宗鎮西派では,願行を衆生が起すものとするが,西山派や真宗では,ともに仏のほうでなしとげられているとする。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


緋ボタンの 赤に勇気を もらう朝

2015年04月26日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は10度から23度、湿度は72%から53%、風は2mから1mの北東の風が少しばかり。明日の27日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 さて、恒例の「おへんろつかさの会・バス研修」も最終回になった。今日は7時にさぬき市役所を出発して、81番白峯寺から88番大窪寺までの8ヶ寺を回る最終コースである。

 

 今日は季候もいいし日曜日ということもあって、どこのお寺さんもお遍路さんが多い。県外ナンバーのマイカーがわんさかと集まっている。ここは81番白峯寺さん。

 

 「おへんろつかさの会」というのは、さぬき市の観光案内ボランティアで、お遍路さんの指導や案内は、公認先達さんにお任せずるが、私たちは、おへんろ道周辺の観光案内をするボランティアである。

 

 例えばこれ。82番札所の根香寺(ねごろじ)さんの山門横に立っている「牛鬼」像である。こういうものは、公認先達さんは説明をしない。中には説明する人もいるかもしれないが、札所とは関係ないので素通りしてしまう。ここでは先輩が一通り説明した後を、私が補足説明した。

 

 公認大先達の櫻谷さんがチェックしている。今日は最終試験みたいなものだ。

 

 84番札所の屋島寺はものすごいお遍路さんたちであふれている。ここでは説明も案内もできる状態になかった。

 

 今日のお昼は、85番札所、八栗寺手前にある「手打ちうどん山田家」さん。ここも県外ナンバーの車であふれていて、お店の入り口には長蛇の列が。私たちは予約してあるのでスムーズに店内に入った。

 

 今日のお昼は「うどん定食」。

 

 昼食が済むと、85番札所の八栗寺へケーブルカーで登る。お遍路さんが多いため、臨時便を出してくださった。

 

 こういう狛犬も私の担当である。これは。「招魂社形」と呼ばれる狛犬で青銅製が多い。

 

 86番札所からはさぬき市内の「上がり三ヶ寺」ということで、ここからが本来のテリトリーになる。

 

 このおじさんは私と同期の七期生で、平賀源内の子孫にあたる「平賀さん」。志度寺で源内さんの講義をしている。櫻谷大先達の真剣なチェックを受けている。

 

 87番長尾寺では、長尾さんが山門の仁王像の説明などをしているし、

 

 お世話役のみゆきさんも長尾寺の本堂の彫刻などについて講義をした。

 

 かわいい子供遍路にみんなの拍手が送られた。

 

 この石井さんという人も、案内の達者な方で、大窪寺の二天門の説明をしてくれた。

 

 この方が、おへんろつかさの会の堀尾さん。今期は副会長ということになっている。大窪寺の不動明王像のお話をされた。

 

 私は、この「御衣黄(ぎょいこう)桜」や山頭火の句碑について説明をした。ともかく、昨年の春から始まった四国遍路バス研修は、ひとまず終わった。習ったことや説明されたことはたくさんあったけれど、片っ端から忘れ去っていく私である。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分の都合で他人を善人したり悪人にしたりはしない」というもの。とかく私たちは、自分に得をさせてくれる人は善人であり、損をさせる人は悪人である。相手が善人であるかどうかではなくて、自分にとってどうであるか・・。損か得かで善人にしたり悪人にしたりするかだけのことなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

 


一日が あっという間だ 山つつじ

2015年04月25日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れている。気温は11度から23度、湿度は86%から30%、風は3mから2mの北北東の風が少しばかり。明日の26日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 今朝も5時半に起きて、6時から三木町の弟の畑を借りている農園の手入れにかり出された・・・。この豆畑も植えたら植えっぱなしだった。そろそろ、諦めたら・・と言うとひどく叱られた。

 

 畑仕事は1時間ほどで終わったので、気分転換に、またしても香川県立図書館に行って来た。借りた本のうちの二冊が気に入ったのでアマゾンで探したら中古品が安くなっていたので注文した。だから、返却をしてきた。

  

 「香川県のふじの名所」で検索したら、①岩田神社 ②藤尾神社 ③みろく自然公園・・・とあった。岩田神社と藤尾神社には行って来た。灯台もと暗し・・・というころで、町内のみろく自然公園にも藤棚があったのか・・・ということで、ここにやってきた・・・と言う訳。

 

 公園の管理事務所の前に少しばかりの藤棚があった。でも、三分咲き程度・・。これだけの藤棚で、香川県下三位なんか・・・と、案内看板をじっくりと眺めたら・・・。

 

 ふじ園・・・というのが確かにある・・・。250m先だが、歩いて行こうと決めた。少しは歩かないと歩けなくなってしまう。

 

 途中の遊園地には親子連れの子供が大勢で遊んでいる。ここだと車も来ないし、お金もかからないし、安全に遊ぶことが出来る。若いお母さんばかりだった。

 

 しばらく歩くとふじ園があった。あったが・・・二分咲き程度。案内看板には「5月」と書いてあったが、5月にならないと無理か・・・。

 

 日当たりのいいところが開花したばかりみたい。

 

 これは若い藤の木たち。

 

 やっぱり、5月にならないときれいにはならないみたい。

 

 マンサクの花・・・と書いてあったが、詳しいことは知らない。

 

 藤の花は諦めて、この公園の中にある「みろく奥池」を一周してみることにした。先日の病院で、体重が67Kgという数字を表示した。ここの体重計は2Kgほど多く出る・・・・と、私は思う。でも、最近は階段を昇るとき、身体が重いように思う。

 

 だから、少しはしっかりと歩かなければ・・・と思う。季節は寒くなく、暑くなくてちょうどいい時期。

 

 もみじの若葉も鮮やかでいいし、

 

 春もみじの赤もいい。ここいらで一句・・・と思ったけれど想い浮かばない。

 

  午後から、山の家に行って来たが、さすがにタケノコを掘る元気はなかった。「もう、タケノコはいや・・・」。掘るのも、見るのも、食べるのも・・。

 

 寒い寒いと云うていたのに、あたりはすっかりと夏の景色。間もなくエアコンだ、冷房だと云わなければならなくなる。人生はあっという間だ。

 

 今日の掲示板はこれ。「一生、一度一回限り やり直しのできない 誰にも代わってもらえない それが私のいのちです それがあなたのいのちです」という赤松先生のお寺の掲示板から。一期一会という言葉がある。一生に一度限りと言う意味を簡潔に表現した言葉で、考えてみると、私たちが経験する事柄は場所や時刻の違いまで含めると、どれも一生に一度限りと言える。おそらくそんな事実は誰にとっても当然すぎることであり、一期一会は日常体験では意識されない事実の一つになっているような気もする。しかし、そこに自分のいのちを乗せて考えてみたとき、その尊さと貴重さを思い知らされる。

  

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


藤の花 思い思いの 花日記

2015年04月24日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は薄雲が広がっていたが、高気圧に覆われて概ね晴れている。気温は11度から22度、湿度は76%から44%、風は1mから2mの北東の風がさわやかだった。明日の25日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 前から講演を頼まれているので、今日は、その会場の下見にやってきた。朝の6時からだそうで、5時起きして寝ぼけ眼でやってきた。朝が早くなったとは言え、こんなに早く起きたのは久しぶりだ・・・。

 

 私の場合、スクリーンとプロジェクターの位置やPCの配置場所がキーポイントになる。右のスクリーンは、講演が始まる前に、上に引き上げられる。いくら何でも、こんな狭い画面では説明しきれない・・・。

 

 さて、タケノコは掘るのも食べるのも飽きてきたもので、昨日には、こうして、鎌でバサバサと切り飛ばして行った・・・。ところが、奥方がまたしても、「お友達が欲しい・・・と云うとるんよ・・・」と、のたまわく。木村株式会社は「タケノコ販売会社」やないんよ・・・。

 

 期待をしないで出かけたら、こんなにも生えていた・・・。そのお友達は、これ、全部を喜んで持って帰ったのだと云う・・・。私に、掘り賃を頂戴ませませ・・。

 

 わが家には、頭部をサルがかじったものがこんなに残った・・・。

 

 それでは・・・ということで、出かけた先はここ。高松市飯田町にある「岩田神社」である。ここの藤は「孔雀藤」ということで有名なのだけれど・・・。

 

 来て見て・・・なんだ、これ・・。ようやくに咲き出した程度。樹齢七百年で貞治二年に細川頼之が観藤の宴を催したと伝えられているという石碑があるが、どうにも神社の由来書はすぐには信じがたい・・・。

 

 そうか、ここは五月になるときれいになるのか・・・。全くの期待外れの方が何組も・・・。「癒やされもしないわね・・」「そうねぇ・・」と帰って行った。そういえば、ここには「藤まつり」ののぼりも提灯も出ていない・・・。

 

 今日は春の例大祭の準備だろうか、大勢の人が柱を組んだり、縄を引いたりと作業をやっていた。

 

 それならば・・・と、やってきたのが、高松市西植田町の「藤尾神社」にある大きな藤棚である。ここは最近に造られたものだと思う・・・。ようやくに花が咲いたところで、房はまだまだ短くて30Cmから50Cm程度・・・。

 

 このピンクの藤はすごい・・・。ここには、白・桃色・紫・黄色の四種類の藤があるが、こればかりが勢いづいている。

 

 白いものも、これ、この通り。ここは大きな蜂がぶんぶんと威嚇をしてくる。形もずんぐりとしているので、人を刺さないとは思うが、大きな音で頭上を飛ぶと、やっぱりこわくて逃げてしまう。

 

 藤色も房を垂らしてきた。

 

 標高一六三・八メートルの山頂に藤尾八幡神社が鎮座するこの山は、古くから山全体が社叢(しやそう)であると同時にご神体とされ、地域住民の信仰を集めている。昔は社殿がなく、住民は山そのものを麓(ふもと)から見上げて拝んでいたのだという。

 

 五月の連休が終われば、もう一度、ここに来たいと思ったことである。

 

 ここからは、高松市東部、右に五剣山、左に屋島が望める。

 

 今日の掲示板はこれ。「目覚めとは 当たり前、正しいと思っていたことの間違いに気づかされることである」というもの。「目覚め」とは、今まで当たり前、正しいと思っていたことではなかった、間違いであった」と、自分の非に気づかされることである。当たり前、正しいと思っていたことと云うのは、煩悩を通した見方でもあった。これに対して「目覚め」というのは、煩悩を通さない見方に照らされて、何が真実か・・・ということに気づかされていくということである。最初の表題、「自覚の宗経」ではなくて、「仏教は自覚の宗教」が正解である。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


藤の花 休み続ける 親子連れ

2015年04月23日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は10度から23度、湿度は76%から32%、風は3mから1mの北東の風が少し・・・。明日の24日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 芝桜もいいが、そろそろ藤の花だなぁ・・ということで、徳島県石井町に行って来た。ここには、地福寺・徳蔵寺・童学寺という三ヶ寺で藤の花が見られるという。

 

 まずは、JR石井駅近くにある地福寺さんに寄ってみた。ここは元亀年中(1570年頃)にはすでに古寺といわれていた歴史ある寺院。慶長年間(1600年頃)火災に遭い、その後自覚大師により再建された。毘沙門堂の本尊毘沙門天は弘法大師作と伝られている。境内の藤は、寛政年間(1790年頃)に植えられたものといわれ、30mにも拡がる藤棚は現在も見事に花を咲かせ、石井町のシンボルにもなっていると云う。

 

 地福寺の境内には、紫藤と白藤の藤棚があって、山門を入ってすぐ右にあるのが「白藤」。幹は1本でものすごく太い。

 

 なかでも樹齢200年余りの紫藤は、石井町のシンボル。南北30メートル・東西6メートルの藤棚は、見ごろになると花房が1メートルにも及び、訪れる人の目を楽しませてくれるという。

 

 本堂前には盆栽の藤がずらりと並べられていて、その審査会も行われるのだという。

 

 町中に「藤まつり」の幟が立てられ、提灯が飾られている。また、町内各所に駐車場も用意されている。4月下旬~5月上旬に開催される藤まつりには、毎年多くの人が町内外から訪れ、その期間中には、盆栽審査会、フリーマーケット、写真撮影会などのイベントも開催され、石井町の特産物の販売も行われている。寛政年間時の住職隆淳上人が庭に1株の藤樹を植えたものがここまで成長している。花の長いものは2m余りにもなりみごとなものである。

 

 徳蔵寺は場所が分からずに通過してしまって、今度はここ。童学寺にやってきた。童学寺(どうがくじ)は、徳島県石井町にある真言宗善通寺派別格本山の寺院。山号は東明山(とうめいざん)、本尊は薬師如来。空海(弘法大師)学問所の由緒から学業成就の寺として広く知られる。四国別格二十霊場二番札所。四国三十六不動尊霊場十一番札所でもある。

 

 変わった形の山門だが、ここの落書きがすごい・・・。

 

 こういうものや壁に刻んだものなどが全面にびっしりと・・・。これはあまりにもひどすぎる・・・。

 

 書き込まれた年代は、昭和30年代が多かったように思った。最近のものはない。最近はマナーが良くなったのか、それとも最近のこどもはお寺にはやって来ないのだろうか。それをそのまま放置してあるお寺の考えはどんなものなんだろうか。

 

 「阿波志」などに伝えられた寺伝によれば、飛鳥時代に行基が創建したという。奈良時代末から平安時代に掛けて空海が7歳から15歳まで、当寺で書道や密教などを学び、「いろは四十八文字」を創作したと伝わっている。その由緒から寺号を「童学寺」と称するようになったとされる。弘仁6年(815年)、空海が42歳の時に再び当寺を訪ねて伽藍を整備したという。

 

 これが童学寺のふじである。

 

 ここには、こんな、切支丹灯籠がある。

  

 切支丹灯籠だと云われれば、そうなんだ・・と思うが、云われなければ素通りしてしまいそう。

 

 ここの黄色いツツジが印象的であった。

 

 今日の掲示板はこれ。「野辺の花がひたむきに咲いているように、あなたもひたむきに生きなさい」という松原泰道先生の言葉からである。松原泰道(まつばらたいどう)、1907年11月23日-2009年7月29日)は、臨済宗の僧侶で東京都港区の龍源寺の住職だった。1972年出版の「般若心経入門」(祥伝社刊)は記録的ベストセラーとなり、第一次仏教書ブームのきっかけを作った。1989年仏教伝道文化賞受賞。1999年禅文化賞受賞。著書は百冊を超える。宗派を超えた仏教者の集い「南無の会」前会長。南無の会は1984年に正力松太郎賞を受賞した。2009年、肺炎のため101歳で死去した。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ふじの花 洗濯物が 良く乾く

2015年04月22日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は7度から19度、湿度は86%から54%、風は2mから3mの北東の風が心地よかった。明日の23日も、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 今日は月に一度の「予約診察日」。二ヶ月おきでもいいように思うが、薬の都合なんだろうか・・・。

 

 今日は胸部エックス線検査で肺に水が溜まっていないかの確認用写真。その後採血による「検体検査」。最近は採血によってなんでもわかるみたい。都合8個の検体を採取された。これで肝臓のことも心臓のことも分かるらしい・・・。

 

 9時に受付機を通過して9時05分にレントゲン検査、9時32分に検体検査、10時10分に診察終了・・・。田植え時期に入ったから患者さんが少ないのかな・・・。

 

 天気もいいし、病院の用事も終わったし、帰る途中だし・・ということで、またもや、ここに寄ってみた。今日は、わざわざではなくて、病院から戻る途中・・・ということで。例の「芝桜富士」である。

 

 今日は天気がいいから大勢のお客さんがいるし、後から後からどんどんとやってくる。

 

 この娘さん二人は中国の方みたい。このあたりの手袋工場にでもお勤めさんだろうか。何を話しているのかわからんが、日本人の会話は聞こえているみたい。

 

 いろんなポーズでさかんに写真ばかりを撮っている。

 

 山はすっかりと夏の色・・・。

 

 この方が管理者の森本さん。今日はお手伝いのスタッフさんがたくさんいた・・・。アイスクリームだ、コーヒーだとてんてこ舞いで走り回っている。100人も200人もやってきたら、駐車場はあふれるし、道路は混むし、ご近所さんも大変だなぁと他人事ながら心配になった。

 

 さて、今週の日曜日の26日は、おへんろつかさの会のバス研修に出かけるので、「さぬき市議会議員選挙の「期日前投票」に出かけた。市議会議員だと云われても、記憶にあるのは3人ほど・・・。まるきり知らない人ばかり・・・。同級生だと云われても・・・全く記憶にない人もいる。

 

 山藤がきれいに咲き出す時期になった。隣の集落にあった、「南川のフジ」というものを見に行ってきたのだけれど・・・。

 

 香川県指定の天然記念物だというのだが、まったく勢いがなくなって、かろうじて生きているだけの古木状態・・・。あきまへん・・・。

 

 ここにある「二宮金次郎」像は、本物のたきぎを、本物のロープで背負っている。壊れたから、こうしたのか、こうするために、壊したのか・・・。ここに来るたんびに不思議に思う・・。「なにこれ珍百景」に登録は無理か・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生いい時もあれば悪い時もある 悪い時にはもうこれ以上悪くならないし、辛い時にはちょっと我慢していれば大丈夫」というもの。岡崎朋美(本名:安武朋美【旧姓:岡崎】1971年9月7日 )は元スピードスケート選手。都留文科大学特任教授長野オリンピック・スピードスケート女子500メートル銅メダリスト。所属は富士急行。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


やまつつじ 思い思いの 時が行く

2015年04月21日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は前線や寒気の影響で雲が広がり、未明は雨が降る見込みだが、その後は、高気圧に覆われて次第に晴れてきた。気温は12度から20度と少し涼しい一日、湿度は86%から50%、風は4mから2mの北北東の風が少しばかり。明日の22日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日は火曜日恒例の香川県立図書館に行く日。ま、火曜日は大手を振って外出ができる日でもある。奥方も今日はお仕事だから図書館まで一緒に・・という訳にはいかない。このアキニレの枝に若葉が萌えだしてきている。

 

 つつじの花も開き始めて来た。今日は9時ちょうどにここに着いたので、駐車場もガラガラ・・・。館内もガラガラ・・・。

 

 仏教書5冊を返却して別の仏教書5冊を借りた。

 

 こういうものほか4点。やさしいものばかり。でも、一週間で5冊は無理だろうか。

 

 今日のトイレ休憩はここ。古来よりの水枯れの地である香川県を救う『香川用水』は、高知県早明浦ダムで貯水された水を徳島県池田ダムで阿讃トンネルに分水し、香川県に流している。トンネルから出た用水をさらに香川県内に貯水するべく新造されたダムが、この『宝山湖』である。その容量は香川用水2週間分。つまりいざ渇水になっても、これまでよりもさらに断水まで2週間の時間が稼げるようになったということである。頼もしくもあると同時に、香川県民の生活を守る本土決戦最後の砦ででもある。(四国堰堤ダム88箇所巡りより)本土決戦というのはちとオーバーな表現・・・。

 

 で、やって来たのは、三豊市山本町河内にある薬王寺さん。通称「ボタン寺」と言われている薬王寺は、明治維新までは菅生神社の別当の真言宗のお寺であった。

 

 境内には、明治になって菅生神社から移した本地堂・鐘楼のほか、本堂・大師堂・客殿庫裡・山門などがある。また、仏像は本尊薬師如来のほか脇侍などが8体と、仏画として高祖弘法大師像があり、大師像の両眼は弘法大師みずからの真筆と伝えられ、古来より目引き大師と崇められている。年中行事として、御影供(みえく)や4月中旬には「ぼたんまつり」があり、各地からの参拝客で賑わっている。

 

 今年の「ぼたんまつり」は4月の19日(日)だったもので、今は、のぼりも案内看板も何もない。久々にやってきたが、道を間違いもせずにたどり着くことができた。できたが・・・、「はて、ここで良かったのかなぁ・・」と、しばらくウロウロしてしまった。

 

 ここには、250種600株の牡丹が植えられているとは云うものの、牡丹が咲き乱れる・・という風景ではない。

 

 本堂よりも大きな大師堂・・。わずかに牡丹が植えられているという風景・・・。花が終わってしまった後なんだろうか・・・。

 

 この三豊は香川県一のたけのこ産地。高瀬、山本、財田などで生産されている。栽培されているほとんどは孟宗竹(もうそうちく)で、春に地下で大きくなったたけのこを掘り出して収穫する。道路脇に1mほどの大きな鉄製の箱が何十と置いてあって、そこにタケノコがぎっしりと詰まっている。

 

 こうなったタケノコは根元からバサバサと切り捨ててあった。大きくなったものは売り物にはならないのかも知れない。

 

 今日の昼食はここになった。仲多度郡まんのう町四條にある「太郎うどん」である。開店当時にはよくお邪魔したお店だが、ずいぶんとご無沙汰をしている。

 

 久々に「肉うどんの小」で350円。聞いていると、「かけ大・・」というのが圧倒的に多い。それに天ぷらものとご飯物をチョイスして食べている。よく入るもんだ・・・。

 

 ということで、今日も「木村宅家」にやって来た。草が一気に伸び出して来たが、草刈りには少し早い・・・。

 

 昨日に20本ばかり掘ったのに、またまた出ている・・・。

 

 今日は8本ほど・・。とにかく、旧宅の周辺とお墓の周辺に竹を伸ばすわけにはいかないので、小さい物や細いものは切り飛ばしてしまうが、大きなものは持って帰ってきた。

 

 これで鍋いっぱいになりそう・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。町内の善楽寺さんにあったもので、「人生において もっともたいせつな時は それはいつでも今です」というもの。相田みつを(あいだ みつを/1924年5月20日-1991年12月17日/男性)は、詩集『にんげんだもの』の著者として知られる詩人書家。 独特の書体で哲学的な作品を数多く発表した人物であり、「書の詩人」「いのちの詩人」とも称されている。旧制栃木県立足利中学校を卒業後、歌人「山下 陸奥(やました むつ/1895-1967)」に師事し、1942年に歌会で生涯の師となる曹洞宗高福寺の「武井哲応」と出会い、在家のまま禅を学ぶ。1943年に書家を志し「岩沢渓石」に師事。書の最高峰のひとつである「毎日書道展」に1954年から7年連続入選を果たすなど、古典的な書における実力を示す一方で、専門家でなければ理解しにくい書のあり方に疑問を抱き、30歳の頃に独特の書体で短く平易な自らの言葉を書く作風を確立。1984年に出版した詩集『にんげんだもの』がベストセラーとなり広く知られるようになり、同詩集は後にミリオンヒットを記録している。(参考文献:ウィキペディア)

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


藤の花 この時期だけの 褒めことば

2015年04月20日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、日本海西部にある低気圧や前線に吹き込む湿った空気の影響により雨が降ったりやんだりの不安定な一日になった。気温は19度から28度と夏のような気温で、湿度は96%から86%と梅雨時みたいな蒸し暑さ。風は5mから2mの南東の風が吹いていた。明日の21日は、前線や寒気の影響で雲が広がり、未明は雨が降る見込みだが、その後は、高気圧に覆われて次第に晴れるらしい。

 

 宿題の本の製本もできたことだし・・・ということで、またしても山の旧宅に行ってみた。山の旧宅のことを「木村株式会社」とか「木村宅や」とか呼んでいる。

 

 すると・・・あたりは悲惨な状況になっている。

 

 お山のサルが先っぽを折って食べ散らかしている。そういうのが十数カ所・・・。

 

 それでも探せばいくらでもタケノコは生えている。

 

 去年は1本も掘れなかったのに、今年はどうだ。毎日、まいにち、こんなにも掘れる。

 

 わが家だって、タケノコご飯にタケノコの煮物・天ぷら・竹の子入りの春巻き・・・・毎日毎日タケノコずくめ。奥方があちらこちらに電話するが、「うちにもあるの・・」と云われてしまう・・。

 

 「皮をむくのが面倒だから・・」と云うお方までいる。だから、湯がいた物を宅配するけいこばぁ・・・。そこまでせんでもいいと思うのだが・・・。

 

 また、今夜もタケノコのフルコースかいな・・・。

 

 タケノコの処理が終わったら、またしても雨・・・。雨が小降りになった頃合いを見計らって・・・。

 

 雨樋の掃除と修理をやっておく。 

 

 今の時期、若葉が出て来ると古い葉っぱを落とすようになる。これが雨樋に詰まってしまうのだ。

 

 お昼から、大窪寺の「御衣黄櫻(ぎょいこう)」を見に行って来た。ギョイコウはオオシマザクラ系のサクラで、4月下旬頃に緑色の花を咲かせる。花が開いたときには緑色であるが、次第に緑色は薄れて黄緑色から黄色になり、やがて中心部が筋状に赤くなる。花の色が高貴な貴族の衣裳のイメージがあり、御衣黄の名前が付いた。遠目に見ると花が咲いているようには思えないが、近寄ってみると気品のある花である。

 

 大師堂前のフジも花が咲き出している。

 

 今日は穀雨。春雨が百穀を潤すことから名づけられたもので、雨で潤った田畑は種まきの好期を迎える。この時季に、特に雨が多いというわけではないが、穀雨以降、降雨量が多くなり始める。「清明になると雪が降らなくなり、穀雨になると霜が降りることもなくなる」という言葉があるように、南の地方ではトンボが飛び始め、冬服やストーブとも完全に別れる季節となる。変わりやすい春の天気もこの頃から安定し、日差しも強まってくる。昔から、この日に合わせて田畑の準備をする。

 

 さぬき市や東かがわ市では田植えが着々と行われている。

 

 今日の掲示板はこれ。「険しい道ではつまずかないが 平らな道でつまずく」という、いつもの荒了寛さんの言葉から。危険な場所や困難な出来事には慎重に行動して、結局何もなく終わることがあったりするもの。逆に、『なんでこんなことで?』とか『そんなことも出来んのか』といわれたり、失敗したりすることがある。慢心や油断がそういうことを起こしがち。初心を忘れず、丁寧な仕事や行動を心掛けたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


芝桜 こころのひだを 見透かされ

2015年04月19日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は前線や気圧の谷の影響で雲が広がり、弱い雨の降っている所があった。夕方から雨となるらしい。気温は13度から23度、湿度は86%から64%、風は1mから6mの南東の風が一時強かった。明日の20日は、前線の影響で雨となり、昼前から雷を伴う所がある見込みなのだとか・・・。

 

 昨夜、奥方が、「どうして一人で出かけるのよ・・」と、つむじを曲げた。けいこばぁだって、一人で洋裁だ、ピアノのレッスンだと出かけるくせに・・・。朝方は小雨が降っていたが、近所のおばさんを連れて、三人で、またもここにやってきた。昨日の「芝桜富士」である。

 

 モクのノ木、モクちゃんに入園料金を入れて入園。

 

 レストランは9時半からだが、ここに入場できるのは日の出から日没まで。だからというので8時過ぎにやってきた。だから、誰もいない。管理人さんもいない。そんなところを3人でぶらぶらと散歩・・・。

 

 2人のおばさんは、「ええなぁ・・・」「ええなぁ・・」と、まるで自分のお庭を歩いているみたい。

 

 そこへ出勤してきた管理人の森本さんにばったりと出会った。そこで、おうちの中に入れてもらって・・・。この森本さんとは昭和の40年代から60年代までの20数年のおつきあいだったが、昭和60年の某公社民営化によって職場が別れて、30年ぶりかの再会だった。

 

 この・・・囲炉裏に座り込んで、お茶までいただいて、苦労話や制作の実話なんぞを聞かせていただいた。

 

 空き瓶を利用したステンドグラス。

 

 車のガラスを利用した窓・・・。

 

 とにかく、21年もかけて作っただけある独創的な山小屋である。

 

 二階にあるテーブルは、一階の明かり取りにもなっている。こういうアイディアが各所にある。

 

 二階にある「絵手紙教室」のお部屋は奥様用かな。黄緑色に見えるのは空き瓶を利用した明かり窓。

 

 囲炉裏部屋の外観で、古電柱を利用した建物であることがわかる。ここにはダルマストーブもあるし、ここで、イノシシの解体もするのだそうだ。おばさん2人はおどろきぱなし。で、ついつい、私と比較するもんだから、私は聞いていられない。私には私の夢があるんだ。

 

 家に帰ると、水利組合の方々が総出で水路の掃除をしていた。そろそろ、草を刈らねば・・・と思っていたのだが、おかげできれいにしてくれた。水路の左側がわが家の敷地である。

 

 すっきりとした水路になった。

 

 反対側もきれいになった。この水路を通って、水が「みろく奥池」に流れ込み、大川町の富田地区一帯を潤すことになる。

 

 さて、昨日の続きで、今日は「四国遍路の闇と影」の試験印刷。「おへんろつかさの会」の会長さんや、講師の「櫻谷大先達」や、歴史の講師の藤井先生などに見ていただくもの。

 

 まだまだ、修正する部分が多いのだが、早めに見ていただいてチェックもお願いしたいところ。来週の26日のバス研修に間に合わせる予定が、早めに終わってほっとしている。

 

 今日からさぬき市の市会議員選挙が始まった。こんな山奥にも選挙カーがやってきている。しばらくは賑やかになるのかな。

 

 今日の掲示板はこれ。「云うべき時に云わず やるべき時にやらなければ いかほどの知識があろうとも何の役にも立たない」という荒了寛さんの言葉から。なるほど!そうだなって!って思って、なるべくその言葉を意識して行動しようと思ってはいるのだけれど、わかっていてもなかなか行動できないもの。言葉ひとつで、今の自分の意識を変えてみたり、すごく刺激になったり、落ち込んでる時に励みになったり....言葉の力ってすごいものだなぁと思いつつ、今日は今日の風に吹かれてばかりの私。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ただ無心 風に任せる こいのぼり

2015年04月18日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、夕方からは気圧の谷の影響で雲が広がってきた。気温は7度から21度、湿度は76%から43%、風は3mから4mの東南東の風が少しばかり・・・。明日の19日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夜は雨となる見込みらしい。

  

 すっかりと初夏の陽気になったさぬき市南部である。

 

 注文を受けていた「山頭火句碑集」の印刷を始めたら、案の定・・・プリンターが文句を言い出した。

 

 私が印刷を始めたら、こういう文句を言い出すのだが、あれから、2,000枚も印刷しただろうか・・・。仕方がないから電気店に出かけるしかない。

 

 ついでに、ここに寄ってみた。東かがわ市帰来(きらい)という地区にある「芝桜富士」という私設公園である。元の職場の同僚夫妻がやっている。

 

 ここに入園料100円を投入する。こういうものまで、みんな手作りである。

 

 一昨年から公開をしている公園だが、これだけ広い場所を「地道にコツコツ」と、よく開墾して整備をして、よく植え付けたものだ。元はクリ林だったのだという。上の方は、雪に見立てて白い芝桜が植えられている。

 

 ここが一番きれいな「五合目」である。ここには手作りのベンチまで用意されている。

 

 カメラマンが多いのも、この五合目である。

 

 元は、会社に勤めていた時代に、同僚を栗拾いでもてなそうとしたのが原点だとか。畑に『電柱』を6本立てて、その上にブルーシートで簡易の屋根を貼ったものだったという。栗拾いが終わったあと、その下で芋煮や栗ご飯などをみんなで作って楽しんでいたのだとか。その時、みんなの会話の中から「どうせなら家を建ててみよう」と一念発起。木柱からコンクリート柱に変わる時期でもあり、建材として丈夫そうな廃棄される木製電柱に目を着けたそうだ。「森本は電柱で家を建てよるで・・」という声は聞いていたのだが・・・。

 

 まぁまぁ・・本格的な家である。でも、よく見ると、サッシの枠が銀色だったり銅色だったり、瓦が微妙に違っていたりする。壁にはビンをはめ込んでステンドグラス風にもなっている。もちろん、宴会用の大きな囲炉裏部屋まである。不要になったものを集めて、コツコツと20年にわたって作り続けてきたのだという。

 

 お庭にはタケノコがボコボコと出ている。イノシシは出るらしいが、サルはやってこないんだろうか・・・。

 

 頂上からは瀬戸内海の海が見える・・・。夢があるというのはいいものだ。

 

 さてさて、インクとトナーを買ってきたので、私は私の夢を積み上げて行かねば・・・。

 

 しかしのかかし、インクを交換しても、トナーを交換しても、筋がはいるのが気に掛かる。

 

 注文があった五冊プラス三冊を印刷して製本すると、こうなった。

 

 中身はこういう本である。来週の日曜日にバス研修があるが、そのときに配布予定。

 

 今日の掲示板はこれ。「水は低い処にたまるように 背を低くすれば人は自ずから集まる」という荒了寛さんの言葉から。私たちは、そうとわかっていても、ついつい身構えてしまって背筋を伸ばしてしまう。なかなかに背を低くすることもできなくなってきているように思う。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


あさみどり 新しい靴を 履いてきた

2015年04月17日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は12度から19度、湿度は89%から36%、風は3mから6mの北北西の風が吹いていた。明日の18日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 NHKの朝ドラが終わった頃・・・「タケノコがなくなったので掘りに行こうヨ」とけいこばぁが仰る。昨日も一昨日も掘ってきたけど・・・と言うと、「あ、あれ、みんなにあげてしまったの」と仰る。昨年はお猿に食べられたし、目が不自由だったので、タケノコは近所から頂いて食べたというのに、今年はみんなにあげてしまった・・・というのだ。

 

 「昨日も一昨日も掘ったから、そんなには出ないよ・・」と言いつつ、サルのかじったものなど10数本を掘り上げてきた。

 

 皮をむいたらこんなものになる。昔、祖母が、「シャガの花が咲いたらタケノコが出る」と言うてたが、イノシシやサルのことなどは想像できなかった時代の言葉だった。

 

  お仕事が終わったので出かけようとすると、「たけしさんに釘煮を届けてヨ」と仰る。なんでもかんでも上げる事の好きなお方だ。このイカナゴは苦労して手に入れてきたものなのに、翌日にはあちらこちらに宅配して回るのだという。

 

 坂出市沙弥島町にある「香川県立東山魁夷せとうち美術館」で、今日から「日展三山」という展示会が始まる。それを見に行くのに、丸亀市綾歌町に行け・・・というのだ。方向違いも甚だしいが、奥方にはそんなことは関係ないらしい・・・。

 

 このシンプルな建物が「東山魁夷せとうち美術館」である。高校生以下と65歳以上の人は無料で見学できる。もちろん、私は65歳以上である。

 

 ちなみに、「三山」というのは、「東山魁夷」、「杉山寧」、「高山辰雄」の「三山」を言う。これが、東山魁夷の「冬華」という作品。

 

 これが、「杉山寧」の「穹」という作品。

 

 これが、「高山辰雄」の「少女」という作品である。やっぱり、本物は違うなぁと思う。絵画や版画やと言われても、よくはわからない。でも、吸い込まれるというか引き込まれるというパワーがあるなぁ・・と思う。当然ながら、これらはネット画像から。館内での撮影は禁止である。

 

 ここの目玉の一つが、この、「ラウンジ・カフェ なぎさ」である。カフェの大きな窓からは、穏やかな瀬戸内海と瀬戸大橋が一望できまる。季節や時間、天候によって、様々に変化する美しい風景が楽しめる。瀬戸大橋が橋脚をおろしている一番岡山寄りの島が、魁夷の祖父が生まれ育った櫃石島(ひついしじま)。瀬戸大橋の色は、魁夷が「景観を壊さない色を」と提案した「ライトグレー」が採用されているという。

 

 ものはついでだからと、ここでもトイレ休憩になった。すぐ近くにある「瀬戸大橋記念館」である。瀬戸大橋開通後には、ここで「瀬戸大橋博覧会」だったかが開かれて賑わったが、今は祭りの後のわびしさ・・・みたいで、訪れる人もまばら。敷地内の公園や球技場では家族連れなんぞが遊び回っているけれど・・・。

 

 これが、架橋博のシンボルだった「どだま獅子」。瀬戸大橋記念公園に置かれている流政之の作品。瀬戸大橋の守り神となるように願って、橋脚となった島々や瀬戸内海周辺の石を集めて作られた。「どだま」とは、讃岐の方言で「頭」のこと。私らは、「どたま」といって、「りこげにいよったら、どたま、くらっしゃげるぞ」などと使っていた。「偉そうに言っていると、頭を叩くぞ」という意味である。

 

 内部はこんな感じである。橋がなかった頃の不便さ、修学旅行生が多数亡くなった「紫雲丸沈没事故」などからストーリーが始まる。橋を架けようという運動が起こり、国家的プロジェクトが動き出した・・・。

 

 一つ一つの展示をみていると、ものすごい技術の積み重ねである。この橋を、人間が作ったのか・・・というような高度な計算と技術の開発と応用・・。プロジェクトXのビデオを見ながら、「そうだった」「そうだった」と思い出すことたくさん・・・。

 

 出来上がってしまって、当たり前のように瀬戸大橋を使うけれど、多くの人の犠牲と血のにじむような努力との結晶で、この橋はここにある。

 

 この手前のアンカー。これをここにプラスマイナス15センチ以下の精度で据え付け、水中コンクリートを注入し、その上にロープを固定するブロックを内蔵して橋脚になっている。何度も何度も見てはいるのだけれど、改めて、人間の偉大さを思い知ったことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「出逢いで人生は広がり 別れで人生は深まる」というもの。

 出逢いで人生は広がり 別れで 人生は深まる

 幸運で 人は自信を深め、不運で 人は成長する。

 順縁(好きな相手)は人の心を癒し、逆縁(嫌いな相手)は人の心を磨く。

 得意分野は 自分らしさを伸ばし、苦手分野は 自分の視野を広げる。

 愛されることで 人は柔らかくなり、愛することで 人は強くなる。

 夢は 新しい物語の始まりで 夢の終わりは 次の物語の始まり。

 心に押し寄せる波は 激しくもあり 優しくもあり

 強くなりたいと戦えば 荒ぶる波に 叩きつけられ傷を負う

 でも その後 必ず 包み込む波がきて 傷を癒してくれる

 そうやって あなたは磨かれ あなたは あなたになっていく 

                     (しあわせは「今」ここにある)より

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


鯉のぼり 相談できないこともある

2015年04月16日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷の接近で昼過ぎから雲が広がってきた。気温は10度から22度、湿度は70%から38%、風は4mから3mの東の風が少しばかり。明日の17日は、寒冷前線の通過により朝まで雨の降る所があるけれど、昼前からは高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 今日はすっかりと初夏の陽気。昨日は西に走ったから、今日は南に走ってみようと、徳島県にやってきた。

 

 で、今日のトイレ休憩はここ。あんみつ姫さまのトイレは全自動のトイレらしいが、家来専用は普通のトイレだった。

 

 ここはシンビジュームなどの洋蘭を販売しているお店の「あんみつ館」。中に入ると目玉が飛び出るようなお花ばかりなので、ご用がすめばバイバイしてさらに走る。

 

 向かった先は「うだつ(卯建)の町並み」のある美馬市脇町である。「うだつ」は、日本家屋の屋根に取り付けられる小柱、防火壁、装飾。本来は梁(うつばり)の上に立てる小さい柱のことをいった。そののち、切り妻屋根の隣家との間についた小さい防火壁で1階屋根と2階屋根の間に張り出すように設けられているものも「うだつ」と呼ぶようになる。本来、町屋が隣り合い連続して建てられている場合に隣家からの火事が燃え移るのを防ぐための防火壁として造られたものだが、江戸時代中期頃になると装飾的な意味に重きが置かれるようになる。自己の財力を誇示するための手段として、上方を中心に商家の屋根上には競って立派なうだつが上げられた。

 

 こういう「うだつ」のついた商家がずらりと並んで町並みを作っている。

 

 美馬市は「四国のまほろば」なんだそうである。

 

 このおうちは、元は旅館をやっていたそうで、客が打っている将棋を見た小野五平少年はすっかりと将棋にのめり込み、19歳で江戸に出て、やがて十二世将棋名人になったそうだ。その生家である。

 

 重要伝統的建造物郡保存地区・うだつの町並みのほぼ中央にあって、吉田屋直兵衛が寛政4年(1792)に創業した藍商の屋敷跡で、主屋・質蔵・藍蔵など5棟が中庭を囲むように立ち並ぶ。藍商館の典型的な佇まいを今に残し、往時の繁栄ぶりが偲ばれる。美馬市指定文化財で、内部見学は有料。

 

 今日の目的はここである。大工町にある「脇町安楽寺」にお邪魔する。

 

 ここの山門を直しているというので野次馬根性でのぞきにやってきたという訳。

 

 で、これが、その将棋名人・小野五平翁のお墓である。お花までは持ってこなかったぞ。

 

 こちらが本堂である。南無阿弥陀仏・・・。

 

 で、また、うだつの町並みに戻って帰ることにする。やはり平日にはこんなものか。歩いているのは住民だけ。

 

 そうそう・・・と、立ち寄ったのは電機店。

 

 お買い上げ商品はボタン電池一個の148円。ストップウォッチ用の電池である。ケチなおじいさんやなぁ・・・。

 

 少しばかり歩いたのでおなかが空いた・・・ということで、やっぱり、ここになってしまった。88番札所大窪寺門前にある「八十八庵(やそばあん)」というお土産もの屋さん兼うどん屋さん。

 

 皆さんは冬衣装でふぅふぅ・・と言いながら「名物・打ち込みうどん」を食べている。打ち込みうどんを勧められたが、私は冷たいザルうどんの「団蔵うどん」をお願いした。

 

 歌舞伎役者・市川団蔵さんがおいしいと絶賛した細麺のザルうどん。その後、団蔵さんは船から瀬戸内海に身を投げて姿を消した。そんな由来のある「団蔵うどん」は700円。

 

 今日の掲示板はこれ。「キミが無駄に過ごした”今日”は 昨日死んだ誰かが 死ぬほど生きたかった”明日”なんだよ」というもの。W.Chromick という人の言葉らしい。無駄だとかでなくとも、今日、今を、自分や誰かのためにと意味を込めて行動したいし、大切にしたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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