まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

ぷち・さぬきうどん遍路紀行・・。カレーうどんばかりじゃな。

2009年01月31日 | さぬきうどん
 さて・・・今週は、入院していたこともあって、おうどんを食べる機会が少なくて・・・。

 26日の月曜日は・・「会社に出かけて残務処理をする・・」という理由で・・「外出許可」をもらっておったんですが、あいにくと・・お葬式が入って・・。

 葬儀のほうは・・11時過ぎに終わったもので、訳を言って・・式場をあとにして・・会社に向かいます。なにせ・・月末が近いものだで・・勤務表だの、病気休暇の申請だのをやっておかねばならんもので・・。

 で・・、お昼は・・三木町の「味泉」で・・カレーうどんを食べて・・。

 

 御値段は・・・320円ほどではなかったかと・・。そんなにこってりとしていなくて・・、病気上がりの・・・病院食の後でも・・、そう刺激的なお味ではなかったような・・。

 

 で・・、その夕方には・・・、病院に戻って・・・。

 火曜日の27日には採血だの・・胸部CTだので調べてみれば・・結果はすこぶる良くて・・・そのままでも退院可能だと言われた・・。

 で・・、28日には退院になるのだから・・先週の金曜日でも土曜日でもに退院にしてくれていれば良さそうなものなのに・・。

 で・・・29日の木曜日に・・、会社の病院に出頭を命じられて・・。

 その途中で・・・お昼は・・さぬき市志度の「亀城庵」に立ち寄って・・。

 

 ここは坂出や丸亀の亀城庵と関係があるのかどうかは定かではないが・・「亀城庵・志度店と書いてあるのが気にかかる・・・。

 ここもセルフのお店で・・・店内は広くて・・・100席はあろうかと思うほど。大学が近いせいもあって、若い女性客が多い・・。

 

 ここでも・・カレーうどんを注文した。350円ほどであったかと・・。いや・・、別に・・カレーうどんにはまっているわけではないが、何か・・暖かくて・・パワーのつくようなものと思って・・・。

 で・・30日の金曜日には・・・家族で・・徳島県脇町に行った帰りに・・、奥方が大好きなうどん亭「いわせ」に立ち寄った。

 奥の・・・けいこばぁ・・は、いわゆる・・「うどん」がお好み。かけうどんとか、かやくうどんとかいう・・普通のおうどん。だから・・おでんを取って、いなり寿司を取って・・・かけうどんをすする・・・といううどんが好きらしい。

 だから・・こうした・・一般店にしか入らない。

 私は・・・なぜか・・カレーうどんを注文した。

 

 ここは・・・一般店だから・・カレーうどんは・・500円。ここのは・・しっかりとした味で・・・ピリリっとしている。それだし・・熱い・・・。

 ここは・・・平日でも・・けっこう・・お客が多い。それもご婦人たちが・・隠れ家風にやってきて・・お昼を友人たちと食べてお話を楽しんでいるのが多い。

 

 ここは・・一見して・・田舎の農家風な店構え・・。だが・・お店の中は・・うどん屋さん。農家を改造したものだろうか・・・。

 で・・31日の土曜日は・・・奥方が泊りから戻ってきて・・・、ねむけまなこで作った・・・煮込みうどん・・・。

 

 見てくれは悪いのですが・・・暖かくなって・・いいお味になっておりました・・。

 そんなで・・一週間が終わってしまったのでありました・・。

じゃぁ、また。

梅の香を 過ぎて阿波路や 山けぶる

2009年01月30日 | 自然
 一月も残すところ一日だけになった・・・。はや・・12分の1が終わるってことだ。それも・・ろくすっぽ、お仕事もせずにねぇ~・・・。

 で・・・、まぁ・・リハビリみたいなもので、少しは体も動かしたり、車の運転感覚も取り戻したいと・・、少しおでかけしてみようと思った。

 で・・退院前に・・病院のベッドで見かけたテレビで・・、脇町のうだつの町並みに、假屋崎省吾さんが・・お花を活けていたので、それを見に行こうと思った。で・・、けいこばぁとさっちゃんを誘って・・三人で・・徳島県阿波町経由で美馬市脇町に向かった・・・。この脇町が・・「四国のまほろば」なんだとか・・・。初めて聞いたなぁ・・・。

 

 脇町にある「うだつの町並み」のほぼ中央にある・・「吉田家住宅」は、美馬市指定の文化財の藍商人「佐直」のお店兼住宅を修復して保存しているもの・・。

 入場料500円を払って・・・お店の中に入る・・。和服と古木、それに・・洋蘭のコラボレーション・・・。古木や流木は・・市民や地域の人たちが集めたもの。洋蘭は・・この町にある「あんみつ館」の協力によるもの。和服も業者さんがPRのために協力しているみたい・・。

 

 ま・・、圧倒されるのは・・藍商人のお屋敷だ。けやきなどの丈夫な材木をふんだんに使って・・・それはそれは質素ながら・・・広いおうちを造ってなさる・・。

 修復前は・・ぼろぼろのお化け屋敷みたいだったらしいが、柱や材木は・・・それなりのものを使っているらしかった。壁や瓦は・・新しいものだが、決して違和感はない・・。

 そこに・・流木やら古木やらを置いて・・、さらに洋蘭をさりげなく活けてある感じ・・・。

 

 

 今日は雨が降っていたし、歩くのがつらい・・さっちゃんもいることだしで、この生け花展だけで帰ることにした・・・。うだつの町並み散歩はまた、今度にすることになって・・。

 で・・・今日のお昼はさぬき市長尾にまで戻って・・そこで・・カレーうどん。昨日もカレーうどんやったなぁ・・。

 

 けいこばぁとさっちゃんは・・かけうどんの小・・・。それにおでんをすこしばかりと・・。

 

 そんなで・・終わってしまった一日でした。

じゃぁ、また。


 

やれ今日も やらねばならぬ 雪おこし

2009年01月29日 | 日常
 やっぱり・・我が家はいいなぁ・・と思う・・。とりたてて・・、どこが良くて・・、どこが悪いというものではないが、病院と比べれば・・・天国と地獄だ。

 幸いに・・・今回は寒い時期であったから、そうも感じなかったが・・・、これが七月や八月やったら・・、お風呂にも入りたいと思っただろうし、毎晩が・・・暑くて蒸し暑くて・・・汗まみれになって・・困ったことだろうと思った。

 それでも・・毎朝・・、蒸しタオルで頭から背中から足の先まで・・・拭いて・・拭いて・・・洗ったものだった・・。

 我が家に戻れば・・、堂々とお風呂に入って・・さっぱりとするのだから・・、我が家がいいのは当たり前なのだけれども・・。

 

 さて・・、今日は・・会社の病院・・。NTT西日本 高松診療所に行ってきた。昔の・・・「高松逓信病院」だ・・。今でも・・・「ていびょう」と仲間内では言ったりするが・・、「NTT病院」という略称が普通かなぁ・・。

 ま・・、ここが・・私たちの健康管理をやってるわけで・・、毎年の健康診断や人間ドックなどを取り仕切っているわけだ。そこで・・・異常が発見されれば・・精密検査があって、指導区分とか勤務管理とかが行われる・・。

 今回のように・・勤務を放棄するような・・入院とかをすれば・・、ここに呼び出されて・・・事情聴取を受けて・・勤務状態を指示される・・。

 

 そういう人たちが何人かいて・・、14時の約束が・・・14時半過ぎになって・・院長の面談があった・・。

 とりあえず・・・、七日の旅行から風邪をひいた話から始めて・・・、昨日の退院までの17日間の病院での出来事をお話して・・。

 しかしのかかし・・・、さすが・・院長だ。話の内容を理解して・・私のいわんとすることをすっかりとわかってくれた。・・・・。さすがやな・・と思った。

 

 風邪をひいた・・。その風邪が悪化した。そこに・・・ストレスがからみあって、咳が止まらなくなって・・・呼吸困難になった。呼吸ができないものだから・・肺臓が動作しなくなって・・・肺うっ血になり、呼吸、困難に陥って・・心房細動が発生した・・・。

 なるほど・・。そう・・言われれば・・そうなのかも・・。

 

 点滴と・・・酸素吸入とで・・心房細動がおさまり・・咳がおさまると・・平常に戻ったが・・やはり・・・咳が激しくなるとおかしくなる・・。調べてみれば・・・肺炎をおこしていた・・。一時は・・・インフルエンザのおそれもあったが、それはそれでおさまった。

 

 ということで・・、二月二日から・・通常の勤務に戻るということで・・院長の許可を頂いた・・。

 「その後はどうするん・・?」と、院長は質問したが・・、私は・・、もう。仕事にはもどらないと答えた・・。

 好きなことをやって・・太く・・短く生きぬいて・・おしまいにしたいと・・。

 この前のように・・・やりたいことをやり残して・・・あの世にお招きいただくことは・・・ご遠慮申し上げたいと・・・。

じゃぁ、また。

おかげさまで・・退院いたしました。(*^^)v。

2009年01月28日 | 日常
 朝の七時・・・。病院が動き出す前に・・・担当の日浦ドクターがやってきて・・。

 「退院はいつでもOKなんですが、今日にしますか、明日にしますか?」と言ってきた・・・。けいこばぁは・・・「入院費は・・水曜日に届けるので・・・いつでもいいよ」と言うてたので・・・「今日の午後・・昼食を食べてからにお願いします」ということになった・・・。

 

 つまりは・・・肺炎が治ったということで・・、心臓の疾患が治ったということではない。右の肺の上部にあった・・・白い部分がなくなり・・、左の肺の下にあったウイルス性の肺炎もすっかりと治癒した・・という診断での退院になる。

 喉の痛みも・・・オレンジ色の血痰もなくなったし、咳も全くなくなった。

 しかしのかかし・・・それで・・・心房細動が完治したわけではないので、うれしい退院ではないが・・・ま、これでしばらく様子をみようというわけだ。次回は・・・二月の12日。外来診察の予約もできているらしい・・・。今日から二週間後ということらしい・・・。

 

 これが・・・請求書・・・。17万円あまり・・・。17日で17万か・・・。お安くはないねぇ・・・。ま、これで・・・命が一つ助かったと思えば安いもんだとは思うのだけれど・・・。

 三割負担になれば・・・けっこう・・負担するもんだわね。

 ま、一時・・・インフルエンザの疑いがあって、三日間ほど・・個室に入っていたこともあるしね・・。

 

 この人が・・・なにくれと心配してくれた・・・木村さんという看護師さん。帰りも・・・エレベーターのところまでお見送りしてくれました・・。

 そうそう・・私の担当の・・・橋本というナース、あの・・ピーターに似てるナースさんは、請求書やら退院許可証やらの一連の手続きを渡してくれて・・・、私の腕の・・・IDベルトを切断してくれまして・・。一連の退院手続きが終わったのでありました・・・。

 

 で・・・、自宅に戻ると・・・うちの病院に電話をして、院長の診察を受ける予約をしてもらい、明日の午後に・・・NTT病院に行くことになりました。ここで・・事情を説明して・・・勤務指定を受けてから・・・職場に戻ることんありますが・・・、出社は・・二月二日からになりそうです・・。

 ま、そういうことで・・なんとか退院しまして、また、社会復帰しましたのでよろしくお願いいたします。<m(__)m>。

じゃぁ、また。

採血を 待つ間の永さ 百合の白

2009年01月27日 | 日常
 病院も慣れてしまえば・・・気楽なものかも知れない・・・。食べることにも・・・働くことにも・・・なんら・・心配をしなくてもいいのだから・・。

 食べて・・・寝て・・・、食べて・・・寝て・・を繰り返すばかりなんだから・・。煩わしい・・点滴も注射もなくなれば・・・こんないい場所はないのかも知れない・・。

 

 最近は・・・個人情報保護・・とかで、希望すれば・・・入院情報は開示されない。受付で尋ねても、ナースステーションでたずねても・・・教えてはくれないし、病室の入り口にも・・名前は表示されていない・・。だから・・私が入院していることは・・家族くらいしかわからない仕組みになっている。そういうわけで・・・誰もお見舞いにもやってこないから・・・ずいぶんと気楽なものだった・・。

 一階のレントゲン室や内科の診察室にいく最にはメガネをかけてマスクをして歩けば・・・知り合いにもし出会ってもわからない・・・。

 火曜日には・・・採血もしたし、胸部CTも撮影したし、X線撮影もしたが・・、結果はすこぶる良くて・・・しかも・・・呼吸器のドクターの診察でも「完治」という・・お墨付きをもらった・・。

 

 この日の夕方には・・・「退院はいつでもよろしい・・」という呼吸器科のドクターのOKをもらったが、循環器の担当のドクターはやってこなかった・・・。

 ま・・、そんなに急いで退院をしなくてもいいのだが、病院というところは永くいたいと思う場所ではない・・・。なにせ・・・お年寄りばかりで、私が一番若い・・・という印象で・・・大声で叫んだり・・わめいたりする声がひっきりなしだし、おしっこだ・・・なんだのと・・・ナースコールもひっきりなし。そのたんびに・・・看護師が走りまわる・・・。

 自分のベッドサイドのポータブル・トイレで用を足すお年寄りとかがいるものだから・・・おちおち・・寝てもいられない・・。

 

 最初は・・・味のない・・病院食は・・食べられるものではないと思っていたが・・・、それも・・二週間もすれば・・・すっかりと慣れてきて・・おいしいと思うようになった・・・。それだし・・・それしか食べるものがないのだから・・・それを食べるしかないのだし・・。

 不思議なことに・・・、病院にいる間には・・・ビールが欲しいとは少しも思わなかった・・・。それだし、ビールがなくても眠れるし、手が震えることもない・・。不思議なことだなぁと思ったことだった。

 ともかく・・・退院が近いのだなぁとは・・思える夜だった・・・。

じゃぁ、また。

 

曇る空 旧正月と 言われても

2009年01月26日 | 日常
 で・・だ。26日の月曜日は、会社の仕事を片付ける・・ということで、ドクターに許可をもらって・・・「外出」ということだったのだが・・。

 突然にというか・・、ほぼ・・予定通りにというか・・、同じ自治会内のおばあちゃんが亡くなって・・・そのお葬式・・・。

 母のさっちゃんは・・対外的な場所には一切出ない・・。けいこばぁは・・・早出だということで・・・朝の6時半から出て行った。結局・・・私がお手伝いに行くしかない・・・。

 これでも・・病人だぞ・・・と言いながらも・・・「仕方がないかぁ・・」ということで、お葬式のお手伝い・・・。

 

 最近は・・・自宅でお葬式をするおうちはほとんどなくて・・・、こうした・・・会館を使ってのお葬式。おうちを片付けたり・・お茶を出したり、食事を出したり・・・というような手間がいらないし、後片付けもいらないからと・・、こうした会館を使うようになった。

 だから・・、男性陣は・・・受け付けが主な仕事。女性陣は・・・お茶を出したり・・・片づけたりする程度・・。一戸から一人が出れば・・・それで十分すぎるほど。でも・・出ないというわけにはいかない・・。都合がつかなければ、親戚からとか・・・の応援をもらったりするようだ。

 たまたま・・この日は・・・外出許可があったもので、仕方なくというか、ちょうどよかったというべきか・・。

 

 おおおばあさん・・・ということで、参列者も少ないし、悲しみにくれる人もなく・・・。静かに・・・お見送り・・・という感じ・・。

 私と同じ年の奥さんがいるが、そのおばあさんだから・・・90歳代か、100歳を超えているような・・おばあさんだ。子供のころにはお見かけもしたが・・・懐かしいような・・・。

 11時過ぎに葬儀が終わったし、あとは用事がないというもので、私は先に会館を出て・・・会社に向かった。月末が近いもので・・・片づけられるものは片づけておきたかった。

 

 パソコンを立ち上げて・・・稼働システムを起動して・・、勤務表のデータ修正。勤務になっているデータを病気休暇に修正する。二週間が病気休暇。先の一週間は予定通りの・・有給休暇。

 さらに・・WEB上から休暇申請をやって、後の二週間を病気休暇で電子申請して、課長の承認を受けなければならない・・。病名まで入力するんだなぁ・・。

 さらに・・車の運転状況の報告・・。一月分の・・作業の報告・月次報告とか、OLAの報告とか・・いろんな報告ものがあるので、それを一つずつ片づけていく。

 請求書が三枚・・・郵送されてきていたので、その支払処理。これもWEB上から経理システムを使って行う。また・・、電話機や古電柱の注文書を三件ずつ作って・・・郵送して・・。

 

 それでも・・作業は・・二時過ぎには終わったので・・・帰宅。

 奥方のお帰りが遅くなって・・・六時を過ぎるというので・・ブログの更新をすませておく・・・。夕食を食べて・・・20時前に病院に戻ればいいことになっている・・。

 しかしのかかし・・・、なんという・・病人なんじゃろうかね。

 ま、明日の火曜日に・・・呼吸器科のドクターの診察を受けて・・・ということだから、気管支系の病気・・、咳が出たり・・肺炎の様子を見たりするんだろうと思う・・。心臓のほうは・・いまのところは・・OKなんだろうとは思う。思うだけの話なんだが・・・。

じゃぁ、また。

白い野は 吉祥を呼び 杯高し

2009年01月25日 | 歴史
 相変わらず・・・冷たい朝になったです・・。のどにじんじんと響くような冷たさです・・・。

 体調は・・・すこぶる快調。で・・、久々に犬を連れてお散歩もしてみたです。

 

 昨夜には雪が降ったんでしょうか・・・。田んぼにはうっすらと白いものが・・・。雪と・・氷が混じったような風景・・・。

 この日・・・25日は、塩飽史談会の会長を永くやってこられた、「塩飽本島」の入江先生の「文化庁長官表彰」の受賞祝賀会がある日・・・。

 体調不良で欠席しようか、めったにないことだから・・・何としても参加しなければ・・・という思いが交錯する。お葬式はかろうじて回避できたが・・。その分、やっておかねばならいお仕事ができない・・。

 そんなことを考えながら・・・散歩をすませて・・・パンなどで朝食を食べた。

 ケイコばぁ・・は、今日も日勤だと出かけて行った。

 私もスーツに着替えて・・・車で出発した。午前八時半過ぎ・・・。

 26日の午前中は・・・近所のお葬式のお手伝いに行かないといけないもので、その半日分を・・・今日、やっつけておいて、それから・・丸亀の祝賀会に行くことにしたわけだ。そこまで・・せんでもええのやけれど、どうしてもやっておきたかったのだ。

 

 すると・・高松市内に入ると・・・吹雪になった。周りは一面・・・雪で真白。

 九時過ぎに会社に着いた・・・。一階部分の故障修理部門だけが忙しそうに走り回っているが・・・ほとんどの部分は真っ暗で・・・冷え冷えとしている。

 二階の事務室に入り・・・数通の請求書の書類やら、メール確認やら・・できる作業を片付けていく・・・。

 お昼前に・・・会社を出て・・・丸亀に向かう・・・。もう、雪の影はない・・。

 午後一時前に・・・オークラホテルに入り、受付を済ませる。

 

 連絡をもらった・・・咸臨丸子孫の会からの生花も準備されていた。会長の小林さんや事務局の小杉さんにも挨拶を済ませた・・・。

 会場には・・・塩飽本島の文化財保護団体や各自治会代表などが半分を占め、私たちの塩飽史談会や咸臨丸子孫の会などの団体が半分を占めるような祝賀会。

 

 今年・・三月で退職をすれば・・・有り余る時間がやってくる。その時間の半分は・・・さぬき広島などの塩飽の島々で過ごしたいと思っているので、こうした会合で・・せいぜい・・PRもやっておいて・・・と思ったわけである。

 家内のけいこばぁ・・も、そういうことを大切にしなさい・・というし。

 

 この祝賀会は・・・私の次の人生への第一歩でもあると・・感じたことだった。

じゃぁ、また。

寒の日々 陽だまりの中 鷺一羽

2009年01月24日 | 日常
 パソコンをいじっていると・・エクスプローラが動かないとか、メーラーが動かないというのは・・実に不安になるもので、病院のような極限の状態に置かれれば仕方がないが、目の前にパソコンがズラズラと並んでいるのに、これが動かないというのは・・・大きなストレスになる。

 電話が使えないってことは、さほどに苦しくもないし、さほどに困ることではない。携帯電話があるし、家内の携帯電話だって使えそうだし。もともと・・、あんまり・・電話が好きなほうでもないし・・・。

 ところが・・・パソコンを使っていると・・・メーラーが動かないとか、エクスプローラなどの・・・・ブラウザーが動かないということは・・・、まるで、耳をもがれた感じがするし、目を覆われたような気にもなる・・。

 

 ともかく・・・家じゅうの・・・電話が使用不能になって・・・パソコンから・・インターネットもできないし、メールの送受信ができなくなるってことは・・・「情報途絶・・・」みたいなものだから・・・パニック状態にもなる。

 現代の中の孤独の世界・・・みたいな印象さえ感じられる・・・。携帯電話から、ブログやHPを更新する人たちがいるが・・、神業みたいなもんだと思う。私は・・・自慢じゃないが・・・メールすらできない。あの・・ちっこいキーボードで文字を打つなんて芸当はできない。たまたま・・・メールをもらったら、それに対しての数行の返信くらいは打ち込めるが・・・それさえも・・・時間がかかってしようがない。

 そういうことで・・ブログの更新も、HPの更新も・・・メールの返事も・・・全くできない状態にあった・・・一週間。まずはおわびをしておきたい・・。

 昨日バージョンでアップしたように・・・、昨夜は・・・何の解決策もなく・・・、とりあえずは・・・0879-43-・・・・という電話には戻ったので、緊急時には間に合うようになったとして・・寝てしまった。

 さて・・・寝ながらにでも・・・「ADSLのランプがつかないということは、ADSLの契約が切れたのだろうか・・?」とか、「IP電話が使えなくなったというのは・・、通話料金が支払われていないからなんだろうか・・・?」などと考え込んでしまっていた・・・。

 ある日、突然に電話が使えなくなる・・・ってことは、契約終了か、料金未払いか、事故かしかない・・・。

 

 朝・・・起きると・・・一番に・・・電話回線の確認にあたった・・。

 ADSL信号がつかないということは、ADSL信号が届いていないからだ。ならば・・・と、局線部分・・(外から入ってきた電話回線)をたぐってゆくと・・、妙なコネクターにたどりついた。それから・・・回線の接続状況を・・・マンガにして描きながら・・・回路構成と、回路チェックを行った・・。

 そして・・、ついに・・・L1と、L2、つまりは・・+と-とが接触している場所を発見し、そこを切りとって、再接続しなおして・・、ついに・・ADSLランプが点灯した・・。修復成功だ・・・。

 

 携帯電話から・・「050-3515-・・・・」というIP電話にダイアルすれば。一発で着信ブザーが鳴り響いたし、応答に出た・・・家内の声も明瞭だった。その逆もまた・・OKだった。

 パソコンを早速に・・・四台ともに立ち上げて・・・、メール受信やメール返信。ブログへのアクセスやHPにも接続したが・・・いずれもみんな・・OKだ。

 やれやれ・・・。

 

 こうして・・・通信環境は修復されたが、これをドキュメント化して、回線構成図やら・・接続図やら、マニュアル類の整理や・・・接続点のしっかりとした保護なんぞもやっておかないとまずいなぁと・・思いつつ・・・やがてには忘れてしまって、また・・いつの日にか・・・パニックになるのかも知れない・・。

 それはさておき・・・、近所のおばあちゃんが亡くなったらしい。明日が大安だから・・・お葬式はあさっての月曜日になった。月曜日は、会社に出て・・お仕事を片付けるからと・・・外出許可はもらっているもので、朝の間は・・お葬式のお手伝いをやって、お昼から少しばかり・・・お仕事を片付けて・・・、夜の20時までに、病院に戻ればいいということで・・。

 戻ったら・・戻ったで・・・何かと慌ただしいことばかり・・・。

じゃぁ、また。
 

 


蝋梅に 朝のしずくや 車いす

2009年01月23日 | 日常
 「助さん、格さん・・、もう、いいでしょう・・」というと、格さんが懐から印籠を取り出して・・・「控えろ、控えろう・・。この印籠が目に入らぬか・・」という・・・水戸黄門の時代劇が・・・三時台あたりにテレビで放映されるが・・・、そろそろ・・・私も・・「もう、いいでしょう・・」と言ってもらいたくなる・・。

 そろそろ・・病院にも飽きてきた・・。痛ければ我慢して寝ていないといけないし、動けないのならば・・・寝ているしかないが・・、まったく・・・痛みもないし、なんともないのだから・・・退屈して困る・・。

 その朝・・・ようやくに・・・「血液検査です・・」と・・看護婦がやってきた。待ちわびた・・・血液検査だ。担当のドクターもやってきて、胸の音を確認したり・・・状況を聞いて帰った・・。

 

 院長回診もあった・・・。胸部X線検査もやった・・・。

 ようやくに・・・退院できると思った・・・。退院できなくても・・・金曜日だから・・・外泊くらいはできると計算していたし、家内もそのつもりで準備してやってきた。

 午後になって・・・会社から・・・お見舞いに行くからと電話があった。

 「もう、帰るから・・・お見舞いはけっこうだから・・」と言ったが・・、お見舞いに行くから・・・待っていてくれという・・。こんな日に来なくても・・・と思ったが・・・会社にも会社の都合というものがあるんだろうと思った・・。

 そこへ・・・ドクターがやってきた。家族がいるのはちょうどいいと・・・病状の説明やら・・・薬の話やらになった・・・。

 ドクターは・・まだまだ・・数値が悪いので退院はさせられない・・・と言った。薬にも・・血液さらさらになる薬を追加するといった・・・。

 結局・・・退院は・・・さらに一週間後の・・30日になるとも言った・・。目の前が・・・真っ暗になった・・・。

 

 一月は・・・年始休暇が四日まで。五・六と出勤して・・・七日にはお休みでお寺参りをした・・。八日・九日は風邪で苦しかったが・・どうにか我慢をした・・。

 そして・・あとは・・・病院暮らしで・・一月が終わる。一月に出勤したのは・・・わずかに・・四日。仕事の山ばかりが気にかかる・・・。

 落ち込んでいる私の前に・・・会社の上司がやってきた・・・。家内が事情を話すが・・・私はがっかり・・・意気消沈・・・。

 ま・・・診断書のおかげで・・・二週間という病気休暇をもらったもので、安心しておやすみはできるが・・・、そんなお休みがうれしいはずはない・・。

 

 こんなはずではなかったのに・・・。

 どうにかお願いをして・・・外泊許可をもらった。

 家に着くと・・・、まずは・・電話の修理をやらないといけない・・。

 受話器を持ち上げると・・・電流は流れているから、断線ではない。携帯電話から家に電話をすると・・・話し中になることから・・家の中のどこかで混戦しているか、ショートしている可能性が高い。

 電柱から・・・保安器を経由して・・・最初の接続点を確認・・。それから・・ここまではOK、これから先がダメ・・という・・・切りわけ作業をやっていくが・・・、増設・移転・増設・移転を繰り返しているものだから・・・一階部分・屋根裏部分・二階の端末機室などを・・何度も往復して調べるが・・・わからない。

 ADSL用のモデムに入り・・、そこで・・・電話回線部分と・・・有線LAN部分に分かれる・・・。電話回線部分は・・FAXに入り・・そこから分岐して・・・一階と二階の普通電話に分岐し、FAXの本体からは・・母の部屋のコードレスに飛ぶ・・・。

 そういう・・・回路を調べていくうちに・・・迷路に迷い込み・・・、結局・・・インターネットもメールも使えなくなり・・・、さらに・・・有線電話部分が・・・0879・・・という・・・一般電話になってしまい、050・・・という・・IP電話が使えなくなってしまった。

 ともかく・・・電話だけでも使えるようになったんだからと・・お風呂に入り・・・、久々にビールを飲んで・・・ゆったりと我が家のふかふかのお布団で眠ることができたのであった・・・。

じゃぁ、また。

 

寒見舞い マスク姿が 右左

2009年01月22日 | 日常
 木曜日の朝になっても・・・血液検査やX線検査の指示がこない。通常の朝ごはんを黙々と食べるしかない・・・。

 相変わらず・・・ニュースはオバマ大統領と・・・大相撲の朝青竜の話題ばかり。日本の総理は・・・全くトンチンカンな反応しかしていないようにも見える・・・。大丈夫なのかな・・この日本・・。

 

 この日は・・・雨から曇り・・というあいにくの天候だったが、病院の新築工事が開始される日ということで・・スーツ姿の人間が病院内にあふれていた。県の職員やら病院関係者が上に行ったり下に降りたりと・・・エレベーターも忙しい。

 真鍋県知事さんの姿も見えた。東かがわ市の市長も見かけた・・・。今の建物・・・五階建ての前に・・・三階建ての新病棟を建てるのだそうだ・・。今までは・・駐車場であった部分に・・。だから・・新しい駐車場は・・病棟の裏側に・・・山を削って・・・作られたようで、まだ・・、真新しい・・。

 

 このころになると・・・、喉の痛みも血痰もなくなった・・。体温も血圧もほぼ・・安定・・・。異常な数値は出てこない・・・。

 私的には・・・「退院できそう・・」みたいな予感はあるのだけれど・・、看護師たちは・・そういうそぶりを見せない・・。

 六人部屋の・・・東側の中央が私のベッド。右手のオジサンは・・朝になれば・・お仕事に出かけ・・・夕方には・・・病院に戻ってくる。糖尿病なんだそうだ。

 私の左手には・・入っては出てゆくばかりで・・・誰が誰やら記憶するヒマがないほど・・。一晩・・、数時間で・・部屋を変わるか・・・退院していく・・。

 西側の窓側のおっちゃんは動けない・・・。おしっこもうんちも・・・そのベッドでやっている・・。たまには・・・立ち上がって・・・窓の外を眺めているばかり・・。

 私の足元のおっちゃんも・・・出たり・・入ったりで・・記憶に残らないほど。

 その反対の人も・・糖尿病関係みたいな人が出たり入ったり・・・。

 時には・・・六人が六人ともに・・・まるきり違う番組をみている時間もあれば・・・、大相撲の六時前には・・・みんながいっせいに・・・同じ画面を・・・六台のテレビが映していたりする・・。

 

 この救急室に搬送されて・・・十日が過ぎた・・・。永い・・・十日間だったようにも思う・・・。

 夕方・・・、看護師の木村さんから・・「いい方向に向かってるみたいよ」とささやかれて・・・少しばっかりうれしくなった。退院が近いのかなぁと・・思った・・・。

じゃぁ、また。


しっかりと 羽たたみけり 寒の鷺

2009年01月21日 | 日常
 久々の散歩・・・しかも冷たい風の中の散歩だったが・・・咳も出ず、熱も出ず・・・血圧も上がらず・・・。この日も・・・雨。もっと寒ければ・・・雪になるんだろうなぁと窓の外を眺めているばかりだった・・・。

 まだ・・・酸素マスクはつけたまんま・・・。点滴や注射はないし、採決もX線検査もない・・・。

 6時前に起きて・・・7時には部屋に明かりがついて、みんなが起きだして・・・お茶がやってきて・・・。そうして8時過ぎには朝食がやってくる。高血圧食という・・・塩分のない・・・ほとんど味のない食事を食べるが・・・10日も過ぎれば・・・慣れてくる・・。

 

 私のいる部屋は6人部屋だが、私以外は・・・出たり入ったり・・来ては出てゆくし・・、入っては出ていく・・。私にはいくら待っても・・・帰っていいとはいう気配がない・・。そりゃそうだ。酸素マスクをつけて寝ているのだから・・・どう見ても・・・正常な人間には見えない。

 そろそろと・・・喉の痛みも消えてきたし・・・血痰もなくなってきたように思う。体温も36度下半分あたりで安定してきたし、血圧も・・110台を前後するようで安定はしてきている・・。

 しかしのかかし・・・、ドクターの持っている数値には・・・まだまだ・・異常値が記録されているのだという・・。

 

 11時半過ぎにお茶が配られて・・・12時前に昼食がやってくる。全く・・・単調な時間ばかりが流れていく・・。

 午後…、携帯電話が鳴って・・・、防災訓練が始まった。

 大災害が発生したので・・・安否確認を行う・・という図上訓練するもの。本人の安否はどうか、怪我をしていないかどうか・・・など。メッセージに対して、数字を打ち込んでいけば・・その情報が集約される仕組みらしい・・。

 我が家の電話は・・うんともすんとも言わないとのこと。外からかけると・・プープープーという・・・ビジートーン。話し中状態になっているらしい。

 どこがどうなったというのだろうか・・。金曜日にはFAXは使ったが、土曜日も日曜日にもWEBもメールも自由に使えたし、電話もかけることも受けることもできたのに・・・。19日の月曜日の午後から・・・おかしくなったという。誰が何をやったのか・・・。

 

 ともかく・・・家に帰るまではどうにもならない・・。なにせ、どういう配線になっているものか、自分でも覚えていないし、ドットフォンという・・IP電話だし、ADSLのターミナル・アダプターやらFAXやら、コードレスやらが複雑に接続されているからだ・・・。

 通常の故障係(113・114)では対処できないし、情報機器サービスだけではどうにもならないだろうし、ADSL担当でも処理できないだろうし・・・・。

じゃぁ、また。

 

冬の窓 血圧計の 淡い陰

2009年01月20日 | 日常
 昨夜の呼吸困難は夢であったのかと思うような朝・・・。雨も上がったし、外は明るくなってきた・・・。

 でも・・・酸素マスクはついたままなので、夢ではなかったのかと・・・ため息を漏らしたり・・・。

 朝には採血があるからと・・・朝食が少し遅くなった・・。それが終わると・・胸部CTの撮影があった。NTT病院でも同じような検査をしたばかりなのだが、「そんな一般的な検査はあてにならない・・」のだという。零細企業の病院での検査など相手にはならないものらしい・・。

 

 これが終われば・・ようやくに朝食を食べさせてもらえる・・。

 さて・・、病室にいると・・妙にのどが乾く・・・。だからといって、みんながみんな・・・お茶を飲むわけではないが、私はお茶ばかりを飲むし、ドクターも水分を多く補給して、タンを流すようにという・・。

 だから・・500mlのペットボトルを5本と、ポカリスエットを2本ずつ飲むようになった。150円*7本=1050円。それに新聞を二紙・・・130円*2=260円。まぁ、これが一日のお小遣いからの出費。

 そろそろお財布が寂しくなってきたので、午後からは・・・おしのびで外出。銀行まで行くことに。

 ところが・・・東かがわ市とはいうものの・・田舎も田舎の路線バスというものは1時間に1本しかバスはやってこない。

 昼食が終わると、さっそくに着替えて・・・階段を使って・・四階から一階に下りて・・、そこから・・・バス停はすぐ前。しかしのかかし・・、バスの時間までには40分もある。仕方なく・・・歩いて行くことに・・・。

 バス停を一つ過ぎる頃には・・・さすがに頭がクラクラする。思いの外・・風が強かった・・・。途中のホームセンターでトイレ休憩。ここで・・・ポケットラジオを買った。テレビばかりでは面白くないので・・・ラジオでも聞けばいいかも・・と思ったからだ。

 で・・その先の銀行でお小遣いを引き出して・・・再び・・・歩いて・・・病院へ。1時間半ほどの外出・・・。病院に戻ると・・・汗まみれになった。

 そこへ・・・会社からの電話・・。

 

 ○退院できても、必ずNTT病院の保健師に相談をし、院長の許可をもらってから出社すること。

 ○二月四日の退職説明会に参加する意志があるかどうか。

 ○一月二一日の防災訓練の安否確認訓練には無理をして参加しなくてもよい。

 の三点の確認。二月四日までには退院はできると思うのだが・・・。

 さて・・、ラジオだが、病室の中では・・・全く使い物にはならなかった。鉄骨コンクリートの強固な建物の中、しかも・・・窓際でない分・・・電波は全く入ってこない・・・。残念・・・。

  

 相変わらず・・・酸素マスクは着用したまま・・。点滴や注射はない・・。

 退屈なままに・・・20日という一日が終わっていく・・・。

じゃぁ、また。

どっぷりと 暮れて病棟 春の雨

2009年01月19日 | 日常
 さて・・、1月の19日、担当のドクターが内科のドクターから循環器の日浦ドクターに変更になって、私の症状についての説明があった。

 心房細動はおさまっているが、いつ、再発するかわからない状況にあること。

 右上の肺に、「肺炎」の症状があること・・などが説明されて、まだまだ・・危険な状況にあることが説明された。また、左の肺の下部には・・・ウイルス性の肺炎も確認されるが、これは軽傷なので・・飲み薬で対処できるとのことでもあった。

 

 確かに・・・・喉の奥の痛みが消えないし、血痰らしきオレンジ色の痰がなくならない・・。これが引き金となって・・・心房細動が再発するというのだ。

 しかしのかかし・・、点滴や注射などは全くない。二錠の錠剤を食後に飲むだけ。あとは・・・体温・血圧・心拍数を1時間ごとに計って記録するだけの・・単調な一日・・・。

 

 食事だけが楽しみになる・・。あとは・・テレビを見ながら昼寝を繰り返すばかりだ・・。

 その夜・・・。家から・・・電話が通じない・・と連絡が入ったが、病院からでは何もできないし、なんらの対処策も思い浮かばない・・。

 メインのファクシミリの電源を落として・・・リセットをするように言ったのだが、今度は・・・電源を抜いたままにして放置してしまったらしい。それでは・・さらに・・電話がつながらなくなってしまう・・。

 この夜・・・、22時過ぎに・・・咳が止まらなくなり・・ナースコールでドクターを呼んだが・・・酸素吸入ほかの処理で・・大事にはいたらずに終わってしまった。血圧も・・180程度までには上昇したが、すぐに平常に戻った。やはり・・この喉の痛みが取れないことには安心して眠れない・・・。

じゃぁ、また。

大根が 干からびてきた 軒を出る

2009年01月18日 | 日常
 金・土・日・・・と、自宅で過ごしてみて・・・、なんら支障のないことが実感できた。

 あと・・一週間あるので、じっくりと風邪・咳・痰をなおせれば・・とおもっている。

 そんなで・・、また・・、病院に行ってきますね。今度は・・たぶん、早く戻れると思うけれど・・・。

 

じゃぁ、また。

忘れたく 忘れてはならじ 震災忌

2009年01月17日 | 歴史
 一月十七日は、阪神淡路大震災の起こった日・・・。あれから・・14年・・。あの時に赤ちゃんだった子が・・・、今年は・・・15の春を迎えるのか・・。

 その直後に・・・けいこばぁと・・神戸を訪ねたが・・・、屋根瓦がすべてずり落ちた家と・・・屋根にブルーシートをかけた家のなんと多かったことか・・。

 

 けいこばぁの兄、トシオちゃんを探して・・・兵庫区・・。昔の私の職場周辺では・・・一階部分がぺっちゃんこになったお店や馴染みのタバコやが全くなくなっていたことや、自動車会社などのビルが、まったく・・・押しつぶされて・・カーテンばかりがゆれている姿は痛ましかった・・・。

 

 午前中は・・・そういうニュースが多かった。また・・、そういう・・ニュースを見ながら・・・あのころのことを思い出していた・・。

 さて・・、この日は・・・金物屑や電池などの引き渡しがあったので、それを・・Web上から電子マニュフェストを投入しなければならないのだが、その資料がないので、仕方なく・・・高松の事務所まで車を走らせた・・・。

 このマニフェスト投入は、引き渡しから三日以内と法律で決められている。ということで、月曜日に投入予定が・・・おやすみしなければならなくなったので、急きょ、こういう・・イレギュレーなことをしなくてはならなってしまったもの。

 最近は環境問題には監視がきつく、手順を間違えると「不法投棄」という犯罪になってしまうのだ・・。

 で・・・資料を元に・・・Web上からマニュフェストを投入して・・・家に戻った。

 つまり・・・、普通の状態には戻れている。それでいて、めまいがするとか、動悸がするとかということはない。

 

 さて・・、私の心臓は・・・パイナップルのような壁の厚い心臓で・・良く言えば・・「スポーツ心臓」、悪く言えば・・「先天性心筋症」。だから・・伸縮の動きが悪い・・・。そこから・・・不整脈が出る・・。それだから・・、高血圧と、不整脈の治療を・・・薬を飲んで・・・コントロールしている。

 イラストのように・・、動脈硬化・アルコール・高血圧・先天性というおもな要因によって、慢性の・・・心臓病ということにはなっている。なってはいるが、特段に・・・痛みや苦しさや動悸や・・なんぞという・・・症状はない。全くない。

 この心臓病に・・・「風邪」「過労」「ストレス」「暴飲・暴食」の引き金が働くと・・・「心不全」という症状が発生する・・・・。これが・・大変なのだ。心不全にも軽いものから・・・死にいたるものまであって、「首つり自殺」も・・便宜上・・「心不全」だし、心臓発作で死に至っても・・「心不全」、水におぼれても、ショック死も・・「心不全」と報道される。

 そういう・・例は別として・・、既存の心臓病に風邪とかストレスが加われば・・・「心不全」が起こり得るってことだ・・。これは・・かなりな・・時限爆弾・・・。

 これからは・・風邪をひかないようにし、過労やストレスを溜めないようにし、アルコールをほどほどにしなければ・・と思う昨今である・・・。

じゃぁ、また。

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