まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

つつじ園 声なき風が 二礼する

2018年04月30日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月30日(月曜日)晴れ 107-55-60  36.5  98%  62.25Kg 

 病人が入院をしているのに、毎日もは外出もできないので、今日は病室でおとなしく論文の整理をしたり、過去のデータを修正したりをやっていた。

 

 このあたりでは、「極早生:ごくわせ」という、超早場米を植え付けている。中には、讃岐でも「二期作」ということで、一年に二度のコメの収穫をする農家も出てきている。気候の温暖化もあるのかもしれない。

 

 本当は、香川医大付属病院を退院した時点で発行予定の論文だったのだが、何時迄経っても完治も退院もできないものだから、論文をまとめようにもまとめができないでいる。

 

 医大の看護師さんにお約束をしたのだから、四月発行予定が五月発行になるけれど仕方がない。

 

 一応、体裁は整ったので試験印刷も丁合わせもやってみたので、時期をみて医大の看護師さん用を仕上げて送らねば・・・。

 

 でも、なかなかに落ち着いた時間がとれなくて・・・。あれこれと雑用時間ばかりが過ぎていく。

 

 自分の時間なのに、自分では管理できない時間ばかりが過ぎていく。いよいよ、四月という時間が終わろうとする日。

 

 今日の掲示板はこれ。「不幸はすぐわかるが 幸せはなくしてからわかる」という、いつもの「荒了寛」さんの言葉から。普通に暮らしている時は、不幸だとは思うことはないが、特に幸せだと思う事もない。ところが、幸せを気づく瞬間がある。それは、なくした時である。「幸せはなくしてからわかるもの」なのである。なくして初めて気づいた幸せに、感謝するのである。あの時は幸せだったんだ・・・・と。健康もまたしかり。不健康はすぐわかるが、健康はなくしてからわかる・・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


植えられて 歴史を知らぬ アマリリス

2018年04月29日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月29日(日曜日)晴れ 113-61-60  36.5  96%  61.85Kg 

  今日は許可を頂いての外出である。今日は、さぬき市観光ガイドグループ(おへんろつかさの会)の年度総会である。私は一応、駐車場係と取材という形での参加である。

 

 7時半過ぎに病室を出て、途中のコンビニで小さなアンパンとコーヒーパックを買って、さぬき市前山の前山公民館に向かった。前山に着いたのは8時半前だったと思うが、早くも大野さんとか前田さんとか、常連さんが誘導をやっていた。

 

 総会は9時から始まったが、今年は会員さんの参加が少ないかなぁと思った。例年だと、駐車場がいっぱいになって、あちらこちらへと誘導をしたもんだが、今年は空きスペースが目立ったように思う。その分、会員さんの参加が少なかったように思う。ま、私がどうこう言う問題ではない。

 

 総会の頭取りをやれば、総会の流れは毎年おなじ。あとは受付ほかで待機していた。取り立てて、私の出番はない。

 

 9時過ぎに、記念講演のご講師の坂田知應先生がお見えなった。先生は、総本山善通寺善通寺派教学部長という、えらい先生らしい。しかも講題が「お大師さんと三教指帰」というものだから、私ら真宗学しかわからんものには、馬の耳に念仏だ。

 

 いつもは懇親会にも参加をするのだが、病院食以外は食べられない私には、少しハードルが高い。それだし、アルコールもだめだから、今年はいさぎよくパスさせていただいた。

 

 で、講演が始まるころから失礼させていただいて、私は自宅に戻った。今日のお昼は、スーパーで買った、新鮮野菜の盛り合わせと豆腐のそーめんである。なるたけ塩分のないものを選んだつもり。

  

 あとはブログの更新になったが、本文は毎日に書いている日記を流用し、コピー&ペーストで済むのだが、写真が問題になる。

 

  病室ではネットにつながらないので画像の準備ができない。病室の写真にも限度があって、実写ばかりも使えない。そんなこんなで時間があっという間に過ぎてしまう。

 

 今日の掲示板はこれ。「与えられた場所に生きる意味を見つけない人は、どこに行っても満足はない」というもの。「やりたい仕事が見つからない」とか、「こんな仕事をやるためにこの会社に入ったんじゃない」とか、そういう声をよく聞くのだが、目の前にあるものをまず はきちんとやるべきで、「生きる意味」とか、「仕事の意味」とかは人に教えてもらうものではなく、自分で見つけるしかないのである。自分の置かれている環 境に対して文句ばっかり言っていたって、何も解決はしないし、自分の人格を下げるばかり。だから、今自分にやれることをやる。自分で居場所を作って、自分 で生きる意味を見つけるしかない。シンプルだけど、生きてくってそういうことの繰り返しなのだと思うばかりである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


山吹の 花さわやかに 探墓道

2018年04月28日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月28日(土曜日)晴れ 91-45-87  36.3  98%  61.75Kg 

 最近なぜだか体中がかゆくてたまらない。背中のあせもみたいなものから始まって、足や手や首筋などもかゆい。医大から帰ってからシャンプーもしたし、身体も洗った。あと、ここでも一回、シャワーを浴びた。それでもかゆくて、夜中に寝られないで、「シャワー外出。」ということになった、

  

 朝食後、昼食までに帰院。

 

 こういう時間設定だとああただしい、シャワーを浴びるのがせいいっぱい。

 

 で、後はホームセンターめぐりと電気店巡り。あれこれと多くのものが並んではいるのだが、欲しいと思うものは、そう、多くはない。島用のテレビ。これもアナログ時代のものにチューナーを接続して使っていたが、どうやら本体がオシャカになったみたい。

 

 掃除機も、みんなが好き好きに使うものだで、パイプが折れてしまってガムテープで補強してある。誰かが余ったものを寄付してくれんかなぁと期待していたが、誰も相手にしてくれないので、新規交換ということになった。これも、みんなからのお見舞金から支出する。お返しはなしだ。

  

 で、シャワーを浴びてすっきりとして寝ようとしたが、やはり、寝るとなると体中がかゆくなってしまう。これはいったい、なんだろう・・・。

 

 宮本看護師さんが、「案外と、ニベアが効くよ」というので、それを買ってきて塗ったけれど、思ったほどでもなかったし、背中には塗れないからなぁ・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「どんなにつらい悲しみにも それにふさわしい幸せがきっとある」という、荒了寛さんの言葉かららしい。この後に、「いまが幸せと思わないと一生幸せになれない」と言う言葉が続く・・・。 こうして一日を大切に生き、揺るぎない座標軸を持てるようになれば、きっと満足できる人生と実感できるようになるのだろうか。しかしのかかし、それを毎日続けるには、強い精神力が必要なのではないだろうか。そんな力は無い私。まずは、その第一歩と考え、きょう一日をしっかりと生きていくことから始めていきたいと思ったことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


薄曇り たんぽぽ園でも 見てくるか

2018年04月27日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月27日(水曜日)曇り晴れ 107-50-60  36.3  98%  62.25Kg 

 昨日の運動がこたえたのか、身体が少し重い。重いけれど、体重は少しばかり減っている。やはり、少しばかりは運動も必要だなぁと、一階の売店へお茶を買いに行くついでだと、階段を下りて、階段を上ってきたが、少しばかり疲れた。そこをしっかりと薬剤師さんに見られた。

 

 午前中は雑用で無駄な時間を過ごしたように思う。ま、病院で何かをしようと思うほうがおかしいのかもしれない。かといって、寝てばかりいるわけにもいかないではないか。

 

 今日は、日浦ドクターの提案で、「カンファレンス」というものが行われて、担当医師、副担当医師、担当看護師から看護師長(婦長さん)、管理栄養士、リハビリ担当技師、薬剤師などに、奥方と私とで総勢10名あまりの会議。

 

 まず、ドクターが過去のレントゲン写真から現在のものまで映して、病状の変化や現状の様子を映して、このままだと退院はできないこと。五月の連休も最後の五日六日に一泊二日で島の家に行くことが了承された。

 

 五日は島の家の掃除、六日は、島の大きなイベントである「おだいしまいり」、「おせったい」の日である。この日、おへんろつかさ会も参加してお参りの予定。私はそのガイドとサポート役。ま、一本道だから案内せんでも大丈夫なんだけれど、肝心なポイントはガイドしなくては・・・。

 

 で、最大の宿題は、日浦Drのやってみたいことの切り札的なものが、「夜間無呼吸症候群」のマスクテスト。これだけは勘弁して欲しい・・と哀願したが、多勢に無勢だ。これは寝る前に装着すると、朝までこのままだ。夜中に数回はトイレに起きて廊下を歩くのに、こんな姿はみんなびっくりしている。

 

 ということで、今回は、このような家庭用の無呼吸検査キットなるもので実験をやってみた。本当に私は「無呼吸症候群」だから、胸水が貯まるのか・・??という試験である。胸水に関係ないなら、こういうものは装着しない。

 

 はてさて、実験の結果はこの週明けに発表だろうか。5月2日は胸水を抜く日になっている。

 

 今日の掲示板はこれ。「言わないで後悔することが一番よくない」という吉永小百合さんの言葉から。言わないですむたくさんの言葉がある。だけど言わないとわからないたくさんの思いもある。言っても どうしようもない言葉がある。だけど言わないでいると少しも前には進めないこともある。言って後悔する言葉がある。だけど言わないで後悔する方がもっと悲 しい。簡単で難しいのが言葉。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね


夢抱いて じっと牡丹を みる遍路

2018年04月26日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月26日(火曜日)曇り晴れ 99-44-60  36.3  98%  62.5Kg 

 HDDがないというだけで不安でたまらない。HDDがあっても活用もしないし、とりたてて中身に用事があるわけでもない。あるものがない・・というだけの不安で、あればあったでどうしようにもないのだけれど。

 

 で、ついに、担当のなべさんにお願いして、そのままのかっこうで帰ってきた。病院のパジャマ姿のまんま、車に乗って帰ってきたが誰も私のことなんぞに注目する人はいない。

 

 昼からは気分がいいもので、三階から階段を下りてみた。降りるのは問題ない。一階で血圧とか酸素とかを測定ののち、吸う・吐く・吸う・吐くの呼吸で上がってみる。踊り場では呼吸を整えて、またも階段を、吸う・吐く・吸う・吐く・・・の呼吸で登ってみると、難なく三階まで上がることができた。

 

 それでは・・ということで、再度、階段をくだって登ってみた。ゆっくりだと階段も問題はない。

 

 戻ってきたところにリハビリコーチの木曽さんがやってきた。で、6分間ウォークというものをやることにした。当然、血圧・酸素などを計測記録してうえである。

 

 ここの廊下は63m。私の足で106歩。6分間でどれだけ歩けるか・・・だ。すると、普通に歩いて、苦しくなく楽でもなく、普通に歩いて、ジャスト一分で63m。だから、「はい、よろし」と言われたのは6回歩いた三往復ジャストだった。これは意外中の意外。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分の都合で他人を善人したり悪人にしたりはしない」というもの。とかく私たちは、自分に得をさせてくれる人は善人であり、損をさせる人は悪人である。相手が善人であるかどうかではなくて、自分にとってどうであるか・・。損か得かで善人にしたり悪人にしたりするかだけのことなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


薫る風 今日の荷物は 重すぎる

2018年04月25日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月25日(水曜日)曇り晴れ 114-59-70  36.3  98%  62.25Kg 

 朝、ドクターが、「今日は外出するんですかね・・」というので、「するんです・・・」と、渡りに船だった。「ま、いつでもいいんですが、胸の水を抜いておきたいもので・・」とドクターがいう。「そんなに溜まってるんですかね」と聞くと、「ええ、けっこう・・」という。やっぱり、胸水はたまってくるんだ・・・。こんなことでは連休にも帰れない。

 

 「ドクター許可済み」で外出届を書いた。銀行で当座のお小遣いと通帳記載。入院費用は掛かるが、お小遣いは減らない。病院にいると出費はしない。お茶代か自販機の飲み物ぐらいなものだ。

 

 四電のPR誌用のデータとして、私の著作の生データが欲しいというので、メモリーに移して郵送した。私の作品に「著作権」などはない。もともとが私のものではないし、私はそれを並べたり少し意見を書いたくらいなものだ。

 

 島の自治会長さんには、「英国士官レキ研究資料」を作るように言われていたので、送ろうとすると、原本がない。印刷・製本されたものは何冊かあるのだが、原紙がない。原紙がないと印刷するのに困る。製本したものを解体するかコピーするかだ。それもまた、面倒。

 

 病院に、このPCを持ってくるときに、「今更、レキなんか・・・」と、フォルダーごと消してしまったのかもしれない。印刷したデータがどこにも見当たらないのだ。私の人生、こんなことばかり。

 

 銀行にもよって、通帳記載してきた。何も働かないのに、出費ばかりが増えていく。ケーブルテレビ代、電話料金代(これもドコモのカード払いになった)、電気代、ガス代・・・。

 

 で、昔のレキ研究の資料なんぞが入った資料なんぞを郵送する準備なんぞをいている間に、大切な私の頭脳ともいうべきHDDを忘れて病院に戻ってしまった。医大では、PCもなにもなくても生活できたのに、PCだけあって、HDDがないというのは、何も映らないテレビだけがあるようなものでむなしいものだ。ましてやネットにつながらないPCなんて・・・。

 

  今日の掲示板はこれ。「かけがえのない自分の人生を そのまま受け取れない自分がいる」という、いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。二階堂行邦(にかいどう・ゆきくに)1930年、京都生まれの先生のお言葉である。『同朋』2002年9月号「真宗シリーズ」(東本願寺出版部)から。人はこの世に生まれた限りは、必ず死を迎える時が来る。誰一人として死を避けることはできないし、人生に代理人はあり得ない。しかし、私自身そうした人生 の無常性を感じながらも、どこかで自分だけは特別であり、例外であると思っている。いつも死を日常から遠ざけて、生に執着し続けている。代わってもらうこ とができない人生であるにもかかわらず、欲求ばかりが先行し、自分自身をそのままを引き受けることができずにいる。まさに「わかったつもり」でいることの 無明性から抜け出せない私がいるのである。私が「いつ死んでもよい」と覚悟をきめるものでもなく、思案をつけるのでもなく、かけがえのない人生にたいする まことの目覚めを持たない、あくまでそのような私のためにこそ思案をつけてくださった仏さまのお手回しにうなずき、ただおまかせしていくほかないと気づかされるのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


藤の花 眺め続ける 人が居る

2018年04月24日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月24日(火曜日)曇り雨 119-49-80  36.3  98%  62.85Kg 

 眠剤の影響でもないのだろうが、トイレにはよく行った。で、また、よく眠った。

  

 この病院独自かもしれないが、四人部屋の場合、入り口から見て、奥側(窓際)右を、1-1と呼ぶ。その反対側左を1-2とよぶ。通路側右を、2-1、通路側を2-2とする。私は、その2-2にいる。通路側が出入りに便利だし、ほかの人の邪魔にならない。ただ、通路のあかりが邪魔だし、患者さんの出入りがわずらわしくもある。

 

 昨夜は、その1-2に新患さんが入り、今朝、オペがあるというので出て行った。オペが終わると個室に入る。今夜は重しを乗せられてつらい一夜を過ごすことになりそうだ。右足付け根の「鼠頸部」からカテーテルを通すために血管を傷つけるので、その止血のために足を動かさないように重石を乗せるのだ。ま、他人様を心配しても仕方がない。

 

 さて、その1-1に入院している77歳のおじさんは「夜間無呼吸症候群」ということで、今日の午後から、高松市番町にある高松病院に転院するらしく荷物をまとめている。ここではマスク(酸素マスクみたいなもの)をして寝ていたのだけれど、調子が悪いみたい・・・。

 

 ということで、今夜は久々に一人部屋になりそうな予感・・・。

 

 夜、島の自治会長さんから電話。8月の上旬に英国士官レキさんの子孫が墓前にお参りをするらしい。そこで、関係者が慰霊祭を行う予定。その会合を今週の木曜日に開催したいとのこと。それは今は少し無理みたい。五月の連休だって危ないのだから。そのお話も金曜日になるかどうかの不安定要素。

 

 実際のところ、大型連休に入れば病院だって、ドクターだって、看護師さんだってお休みになるはず。そこで、何もすることもなく、ただ、安静にして寝てればいいといわれてもだね。

 

 連休に入る前、4月の29日には、へんろつかさの会の年度総会がある。一応、取材ということでお邪魔予定。

 

 で、連休最後の6日には、丸亀市広島町の「おだいしいり」が行われる。そのガイド役をおおせつかっている。はてさて、どうしたものだろうかね。

 

 今日の掲示板はこれ。「今日始めなかったことは 明日終わることはない」というもの。あの、ゲーテの言葉らしい。どんなすばらしい願いを持ち、目標を掲げても、目の前の一歩を踏み出さなくては何も変わらないし、前には進んで行かない。いま何を考えるかではなく、何を行動できているかに焦点を当てて、目標に向けて進んでいきたいものである。でも、いざ始めてしまったら、終わることのない作業だったというのでは、これまた困ったことになってしまうのだが。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


庭先の 紫蘭の花を 過ぎる風

2018年04月23日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月23日(月曜日)曇り 109-45-60  36.3  99%  62.55Kg 

 相変わらず、1時間ごとのトイレタイムで起きるものの量はそんなに多くない。ぐっすりと寝て、朝方に一・二回・・・というのが理想的だが、病院だとこうなってしまう。看護師の歩く音や患者さんのうめき声や物音で、ついつい目覚めてトイレに向かうという感覚。

 

 朝から、今日は外出だということで気分は明るく軽やかだった。朝は胸部X線検査があったので、9時半過ぎに受けてきた。その後、着替えて外出手続き。すでに届は出してあって、主治医の許可をいただいて・・。10時前には病院を出て、いったん、我が家に戻り、山頭火の資料を用意して・・。みれば、弟のよっくんがタケノコを掘って持ってきてくれていた。そこでしばし歓談。

 

 その後、前山のおへんろ交流サロンに向かった。着いたのは11時過ぎだったが、館長の六車さんや受付の秋友女史と雑談。一行は11時半過ぎにやってきた。女性三名に男性一名の四名という陣容。男性は運転手兼カメラマン。インタビューは女性のお姉さんが二人。あと一人は見習いみたい。

 

 なぜ、ここに山頭火なのか・・ということから始まって、地元の俳人・砂井斗志男さんのお話から始まって、長尾町尾崎放哉顕彰会などのお話などに続いて・・・私のお話があって、句碑の管理や保護活動までに話は及んだが、そこまではフォローできない。こういう活動もやったらやりっぱなしになるのは仕方がない。高齢化と資金不足。指導者がいなくなると熱意も継続はしない。

 

 私は、「上がり三か寺」の観光ガイドとして、山頭火の句碑やその周辺の歌碑などをお話するのが目的で、なぜ、句碑を建てるに至ったのかや、それを建ててどうしようと思ったのについては興味がない。また、75基にも及ぶ山頭火の句碑の面倒なんて見られるわけがない。それらのガイドをやってほしいと言われたらやることにやぶさかではないけれど。

 

 取材は12時前から始まって13時時過ぎまで続いただろうか。取材を終えて、病院にもどった。担当看護師のなべさんが検査食を温めて持ってきてくれたし、介護アシスタントさんが身体拭き用のタオルも持ってきてくれた。今日は月曜日ということでシーツも布団カバーも交換してくれた。

 

 午後からは、窓際に新患さんが入ってきた。心臓アブレーションのオペらしい。奥さんがつききりだ。私の時には奥方なんぞいなかったなぁと思いながら眺めていた。

 

 夜は、その方も興奮していたのであろうか、落ち着きがない。だから、久さ久さに「眠剤」をいただいて寝た。

 

 今日の掲示板はこれ。「大切なことはいまを生きること。人生はすべていまの積み重ねですから、いまをどれだけ大切にするかです」という平田静子さんの言葉から。平田さんは1948年、福岡県に生まれ、フジテレビに入社、扶桑社に出向、雑誌CAZ編集長を経て取締役、常務取締役などを歴任した。2010年に扶桑社を退職、同年4月に「ヒラタワークス」を設立し、幅広いビジネスを展開している。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


藤の花 ひとそれぞれの 花がある

2018年04月22日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月22日(日曜日)晴れ:濃霧  113-61-60  36.3  99%  62.35Kg 

 同室の相棒は外泊ということで昨夜はお泊まり。だから、私一人で早くから寝た。大河ドラマなど眠気の前にはどうでもいいもののようだ。

 

 ふと、携帯電話を見ると、久々におへんろつかさの会長からの電話の着信履歴。ここではマナーモードになっているし、ドライブモードにもなっている。着信履歴をみて、知り合いならば(登録済ならば)リダイヤルするが、見知らぬ場合には即削除する。

 

 会長からは、「四国電力の広報誌 なんたらライトとかいうものから取材の申し込みがあって、山頭火の話らしいので対応しておいてくれ・・」という連絡が。で、いつもの、「おへんろ交流サロン」に電話をすると、受付の秋友女史が応対に出て、「明日(23日)の午前11時半からの取材ですので、おいでてください」という。

 

 さて・・・ということになったが、この日は日曜日だから、主治医も担当看護師もお休み。この日の担当看護師さんに、かくかくしかじかだけれど、昼食はどうしましょうか」という相談をした。私の場合、病院食以外は食べてはいけないことになっている。「心臓食」ということで、塩分が一食で2mmg以下ということなので、市販品はいっさい、食べることはできない。

 

 そこで、検査食というミニパン二個と野菜ジュース・・・という食間に食べる食事を用意してくれることになった。また、そういう情報は電子カルテほかに記載されて共有化されるので、翌日の主治医とか看護師一同に連絡される。

 

 ま、そういうことで、私はルンルン気分で寝たものだった。

 

  今日の掲示板はこれ。「他人とくらべるのやめると 人生はぐっとらくになるよ」という、いつもの荒了寛さんの言葉から。私ら団塊の世代は「比べられっこ」で子供の頃から育って きたが、それはいつの世でもそうなんだなぁと思うようになった。今はお仕事もやめて、自由気ままに暮らしているから、自分では誰かと「比べっこ」はしてい ないつもりだけれど、誰かからは「比べられっこ」されているのかもしれない。でも、その分、楽にはなったけれど、さみしくもなった。背比べの相手がいな い・・・というのは、鬼のいない鬼ごっこみたいだなと思った。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


やまつつじ 思い思いの時が行く

2018年04月21日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月21日(土曜日)晴れ 112-63-60  36.5  98%  61.25Kg 

 外出をするとなると、うきうきとしたものだが、最近は着替えるのも面倒だし、はぁはぁと言い出す始末。荷物を持って歩きだすと、もう、はぁはぁがきつくなる。リハビリで、30Kgの荷物を持つと60mも歩けなかった。20Kgになると120mがやっとだった。パワーがなくなったなぁと実感した。ならばやめておけばいいと思うかもしれないが、ブログも溜まれば大きな荷物になるし、ストレスにもなる。

 

 少しずつでも片付けておかねばと気ばかりがはやるもの。とにかく、この日の目標は15日から20日までの一週間の更新になる。パソコンが古くなったのか、画像が溜まりすぎたのか、動作が鈍くなって反応が遅い遅い。

 

 で、思い切って、中古のノートPcをアマゾンでクリックした。Microsoft社のoffice2013が搭載されていて3万円はいいじゃないかと思った。さすがに、Windowsの古いのはなくて、windowse10ばかりになってきた。

 

 気分転換に旧宅やお墓を見てきた。旧宅の「母屋」の裏側とか東側とか、ずいぶんと軒先が落ちてきた。昭和の12(1937)年に建てたと聞いているが、今年で93年も建っている計算になる。必要なものは車庫の方にでも避難しなければ・・・だが、私は動けない。

 

 お墓も周辺も荒れているが、この身体ではどうしようもない。いったい、ドクターは何を考えているものやら。

 

 タケノコもあったけれど、自分で掘るほどのパワーもなかった。

 

 更新が終わったのでそのまま我が家を出て、コーナンのホームセンターをのぞいてみたが欲しいものはいくらもあるが、必要なものはなかった。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生において もっとも大切な時は それはいつでも今です」というもの。いつもの町内の善楽寺さんの掲示板から。相田みつをさんの言葉であるらしい。いま何を考え、何を具体的にやっているかをよく考えよう。過去に何があろうが、未来をどれだけ夢みようが、いまどう動いているのかがこれからを左右する。今という瞬間を連続して、今日一日を大切にして、それを積み重ねてきたから今がある。それを積み重ねていけば未来ができる。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


枝先の 紅ほのかなる 初夏の風

2018年04月20日 | 観光ガイド的日常

 4月20日(金曜日)晴れ 115-64-60  36.6  99%  61.35Kg 

 今日は外出で、さぬき市長選挙の期日前投票に行ってきた。その前に長尾寺に行ってみた。今日は「ルンルン♪長尾寺」というイベントで、静御前ゆかりの地を歩くというもの。その後、長尾寺名物の懐石料理をいただくというもの。

 

 詳しい案内状を見ていなかったので、9時前に行ったのだけれど、イベントは10時からということで、しまったしまった「しまなみ海道」。まいった、まいった、「舞鶴埠頭」。

 

 いちおう、10時からの「静御前物語」という紙芝居を見てから、私は、期日前投票をすませ、銀行で通帳記載して自宅へ一旦帰宅。

 

 冬物のシャツを夏物に交換、靴も革靴からスニカーに履き替え。法話用のパソコンやらプロジェクターも片付けておいた。その後、奥方が、「浄化槽点検費用を振り込んでおいてね」というので、銀行さんに行ったら、これはうちではお取り扱いできません。前のコンビニか、郵便局でお願いします」とのこと。

 

 そうこうしている間に、一行はもう、長尾寺境内に戻っていて、本堂内の案内とか、膳所に寄ってお食事の準備。

 

 一行はお食事をして解散だが、私たちはそれで解散。家に帰ってブログの更新をはじめたが、画像が多くなってきたからか、パソコンが重くてうごかない。

 

 更新をあきらめていつものケェズデンキに寄ってみたが、係員が誰も来ないので相談もできずに店を出た。新しいパソコンも欲しいが、買うとなればもったいない。はてさて・・・。

 

 病院には16時過ぎに戻った。で、明日も外出許可をいただいて、ブログの更新をやっておかねば・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「金ためて何をするぞと思いしに 煩悩ふやすことばかり」というもの。どこのどなたの言葉かはわからないが、お金を貯めたことのない私には、お金を貯めれば煩悩が増えるのかどうか分からないが、お金がなくても煩悩は増えて増えて困るのだけれど。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


山吹に 今日の怠惰を みつめられ

2018年04月19日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月19日(木曜日)晴れ 96-48-78  35.7  99%  61.40Kg 

 わくわくして、5時半過ぎに体重計に乗ってみたらば、61.4Kg やったぜ・・と思ったのだが、前日の体重は、62.25Kg だったから、850g しか減っていないことになる。2,800ccもの尿を排出したのに、わずかに850gだ。あとの2,000ccはどこから湧いてきて何をしていた水なのか。私の身体は謎ばかり。

 

 民児協の会長から、一か月はうちの互助会で、二か月からはさぬき市の互助会で、三か月になれば全国の民児協のお見舞いが来るが、そこまでは入院はしないだろうな・・・と言われていたのだが、二月の22日に医大に入院したから、四月の22日で二か月が終わり、23日からは三か月目に入るのだが・・・と、ドクターに言うたのだ。

 

 すると、うちの病院は先月の27日に入院したのだから、今日でまだ24日目だ。どういう計算式で、どういう規定で、そうなるのか・・・という。それももっともだ・・・と、会長に電話したが、いまだに回答がない。それよりも、Drから事務方の婦長さんに指示が行ったようで、婦長さんがさぬき市に問い合わせをしたら、「そんな規定はどこにもない」という返事らしい。そういう慣習もないという。なんだ、それは・・・。

 

 でも、二か月連続入院で、さぬき市民児協からお見舞金をいただいているのは事実。これは、返納しないといけないのだろうか。二か月連続入院といっても、最初は香川大学医学部附属病院で、その後、香川県立病院に入院したもので、連続かと言われたら・・・そうでもないな・・という気にもなる。ま、どういう決着になるのやら。

 

 論文のほうはめどがたったし、地籍図のほうもめどが立った。ということは、当面のすることがない。明日は外出ということで、さぬき市長選挙の期日前投票に行ってくるつもり。まだ、許可は出ていないけれど。

 

 その足で長尾寺のルンルン♪長尾寺にも行ってきたいものだ。銀行の記帳とかもやっておきたいし。

 

 今日の掲示板はこれ。「云うべき時に云わず やるべき時にやらなければ いかほどの知識があろうとも何の役にも立たない」という荒了寛さんの言葉から。なるほど!そうだなって!って思って、なるべくその言葉を意識して行動しようと思ってはいるのだけれど、わかっていてもなかなか行動できないもの。言葉ひとつで、今の自分の意識を変えてみたり、すごく刺激になったり、落ち込んでる時に励みになったり....言葉の力ってすごいものだなぁと思いつつ、今日は今日の風に吹かれてばかりの私。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


生まれても 散っても一如の 宮桜

2018年04月18日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月18日(水曜日)晴れ 107-58-82  36.5  99%  62.35Kg 

 今日もいい天気なものだからお出かけをしたいのだけれど、そうそう、連日は出してくれそうもない。今度の20日のイベントと市長選の期日前投票を出しにして出かけようか。

 

 今日は身体拭きの日だが、ここは温めたタオルを二本出してくれるだけ。あとは自分でやってくださいというここらしいサービスである。ま、お年寄りや体を動かせない患者さんが多いわけで、何でも自分でできる(多分、私が最年少なのだと思う)のだから仕方がない。

 

 さて、17日の胸部X線検査の結果、やはり、右肺の下部に胸水が溜まっているらしい。それで、私が苦しいわけでも呼吸困難になっているわけではない。でも、少し動けば苦しくなったり、呼吸困難になったりはした(昨日のこと)。そこで、ドクターは、新たな「利尿剤:アゾセミド錠30mg」を追加した。これまでは、これと同じものと、サムスカ15mgが処方されているので、若干の追加ということになる。

 

 このわずか1錠の薬の追加で、1時間ごとに200ccほどの尿が出る。お昼前から夜中の0時までに2800cc、およそ3リットルもの排水になる。で、飲んだ水分量は800cc、単純計算で、2,800 - 800 = 2,000 という計算になる。だと、体重も2,000g つまり、2Kg 減るかと言えば、そうはならない。

 

 今日も入退院が相次いだ。帰っていく人は嬉々とし、入ってきた人は不安といらだちにおびえている。

 

 この前に交換したカーテンだが、洗濯が終わったようで元に戻す作業が行われた。吊ってあるカーテンを、まるで引き裂くようにカーテンレールから外す作業はマジシャンのよう。あんなに簡単に外せるのか・・・とマネしたくなるほど。

 

 また、洗濯したカーテンをカーテンレールのフックに掛けていく作業も手際よくて、「さすが、プロだなぁ」と見入ってしまった。ま、私には関係のないお仕事だけれど。

 

 久しぶりに、地籍図の確認作業をやってみた。改めて地図を見ると、ああ、そうだったなぁと、新たな思い出もわきあがってきて、幼いころに遊んだ田んぼや畑を思い出す。あそこの栗畑には犬の死骸を埋めたなぁ・・とか、あそこの田んぼで刈り取った稲は、みんなで運び出してきて脱穀したなぁとか、遠い日の思い出が甦る。弟たちは覚えているだろうか。

 

 携帯電話に見覚えのない番号からの着信があった。普通は、知らない人の電話番号は無視して削除してしまうのだが、何度も何度もかけてきているので電話してみた。「四国新聞社」だと名乗っている。聞けば、どこかで、おへんろつかさの会の「おだいしまいり」のチラシを見たらしい。そこに私の連絡先が印刷されていたらしい。しばらくお話をして、あとは、丸亀市のコミュニティセンター連絡するように言った。入院先では何もわからないというものだ。

 

 島にはちゃんと88の石仏(本尊)と、お大師さんの石像があるのだが、お接待のある札所にしかお参りはしない。最近はそれぞれの集落で3ヶ所くらいの札所になっていて、7集落だから21ヶ所だと思っている。20年ほど昔はそれの倍くらいあったのだが、過疎と高齢化でぐんぐんと減ってきた。今年は五月の連休の最終日だから、はてさて・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生に夢があるのではない 夢が人生をつくるのだ」というもの。誰の言葉かは定かではないが、一説には「謝世輝[しゃ・せいき]」(台湾出身の成功哲学研究者、物理学者、科学史家・世界史家、東海大学教授、1929~)だと言われているが確かではない。人生に夢があるのかないのかは知らないが、夢が人生を作るというのは納得できる。私は「通信」という夢を追いかけて40年を過ぎてきた。今は「まほろば工房」という夢を追いかけて走り続けている。夢が人生をつくるということを信じて生きていきたい。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


あさみどり あたらしい靴 履いてみた

2018年04月17日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月17日(火曜日)曇り 102-52-82  36.5  98%  62.35Kg 

 なんだか夢見の悪い朝になった。ザルとボールと空き箱をくれて、これでこれからはおしっこを自己管理するようにとのお達しが・・。こんなもので、どうやって管理するというのか・・。ま、夢なんてそんなものだが。

 

 で、これまで続いてきた深夜のトイレ便。昨夜は0時と3時の二回だけだった。その分、おなかの張りが半端ない。同じような病院食を食べ、同じようなペットボトルのお茶を飲み、それ以外に間食も差し入れの果物もないのだけれど、体調が不安定。

 

 今日はお約束のご法話の会。8時半に胸部レントゲン検査を受けてから着替えて出発。ところが着替えるのに一苦労。荷物を担ぐのに一苦労・・。前回の外出と同じじゃないか。家に帰って着替えるのも一苦労。おなかが張って呼吸困難になる。ぜーぜーはーはーというのは、手術前と同じではないか。

 

 途中でおしっこをしながら行くが、それほどの量が出ない。これは黄色信号。目的地近くの長炭橋の近くのうどん屋で簡単な昼食。ここでもトイレを二回。トイレを借りに入ったみたい。そこから目的地のお寺まではすぐそこ、お昼前にお寺に入って待機。お寺では阿弥陀経のお勤めをやっていた。で、13時半から永代経の法要で、私の出番は14時から。だから、二時間あったのだけれど、その間も血圧計と酸素計でチェックを繰り返す。

 

 お昼のおつとめが終わったので、機械のセッティングをやっておく。ここの世話人さんが手伝ってくれた。

 

 ここのトイレも四回ほど使わせていただいた。これだけトイレに行ってもおなかの具合はよくならない。

 

 13時前から法中さんたちが集まってきて、13時半から、仏説大無量寿経のおつとめ。その後、14時から私の出番。40分ほど庄松さんのお話をして、15分ほどの休憩。15時から30分ほどの二席目をお話ししてお役目完了。機械の撤収も世話人さんがやってくれたので大助かり。

 

 16時前にお寺を出て、病院に戻ったのは17時過ぎ。日浦ドクターがやってきて、「レントゲンを見る限り、やっぱり肺に胸水が溜まりよる・・。お薬を追加しとくね・・・」という。やっぱり、ダメやったのか。何をやっても胸水は止まらない。私の、50日にも及ぶ入院・手術は何だったのか・・・。私は永遠にここから帰れないのか・・・。愕然とするばかり。

 

 今夜は疲れた・・・。早くに寝るとしよう。

 

 今日の掲示板はこれ。「出逢いで人生は広がり 別れで人生は深まる」というもの。

 出逢いで人生は広がり 別れで 人生は深まる

 幸運で 人は自信を深め、不運で 人は成長する。

 順縁(好きな相手)は人の心を癒し、逆縁(嫌いな相手)は人の心を磨く。

 得意分野は 自分らしさを伸ばし、苦手分野は 自分の視野を広げる。

 愛されることで 人は柔らかくなり、愛することで 人は強くなる。

 夢は 新しい物語の始まりで 夢の終わりは 次の物語の始まり。

 心に押し寄せる波は 激しくもあり 優しくもあり

 強くなりたいと戦えば 荒ぶる波に 叩きつけられ傷を負う

 でも その後 必ず 包み込む波がきて 傷を癒してくれる

 そうやって あなたは磨かれ あなたは あなたになっていく 

                     (しあわせは「今」ここにある)より

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


山吹は 時代のひだを 見せつける

2018年04月16日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 4月16日(月曜日)晴れ 102-52-82  36.5  98%  62.35Kg 

 やはり、0:00  1:00  2:00  4:00  5:00 と、トイレには起きるが、その前後はぐっすりと寝ている。で、5時半には起きることにした。

 

 目的も意味もなかったのだが。トイレに行って、およそ2リットル近くは排水するのだが、体重は2Kg もは減らない。こういう計算ができない。Drは、これだけ排水しとるのだから、がぶがぶと飲んだでしょ・・・というけれど、飲む量は750cc だから、計算上は、0.75Kg の in ということになる。で、2,000ccがout ならば、体重は、1.25Kg のマイナスになるはずだが、そうはならない。私の身体は謎だらけ。

 

 さて、今日は担当看護師の渡邊さんが出勤だった。例の論文集を読んで、「面白かったよ、続きも読みたいわ」と言ってくれた。お世辞でもうれしい。で、私の孫の話をしばらくした。ナベさんの息子も大学生で、孫の颯君と同年代だから、部活とか学校のことなどと会話がはずんだ。

 

 今日は身体拭きの日だったが、ここは温めたタオル2本を置いていくだけ。身体は自分で拭きなさいよ・・という意味らしい。ま、自分でできる人が看護師さんや看護アシスタントにお願いするほうがおかしいのかも。で、病衣のパジャマも交換したし、月曜日ということで、シーツも布団カバーも交換してくれた。

 

 今日も買ったばかりの酸素計をつけての廊下リハビリ。部屋の前にある東西に伸びる廊下は60m。私の歩数で103歩。今日の歩数計の最終数値は1,835歩。およそ、9往復した計算になる。単純計算だと、約1Kmにしかならないのか。ま、最初はそんなもんですよ。最初から飛ばすと故障の原因ですよ・・と、リハビリの先生が。

 

 で、最終確認で、明日の法話会の原稿確認やら、機器接続確認をやっておいた。

 

 明日の外出届を出したら、朝、出かける前に、胸部X線検査を受けてから・・・というお達しが。ドクターの指示と看護師のいうことには逆らえない。とにかく、入院患者がお仕事に出勤するのだからいい顔はしないってことだ。

 

 メインになる論文「胸水貯留による心不全症候群に関する対策と社会民俗学的考察」も、ほぼ完成した。今日は最後の、「考察」にあたる部分、「おわりに」を書き上げた。明日の胸部レントゲン検査の結果にもよるが、この週末も外出になるらしい。今は、外出が安全かも。その結果によって、自宅で印刷して校正をやってみる予定。

 

 今日の掲示板はこれ。「過去が咲いている今 未来のつぼみで一杯な今」というもの。陶芸家・河井寛次郎さんの「意味ある人」から。「静岡県人づくり百年の計委員会」による提言の基本理念だがこの言葉も 河井さんの言葉だと聞いている。「今」を大切にしなければ・・・と思わせる言葉の一つである。でも、未来がつぼみとはね・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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