まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

藤棚に声なき風が二礼する

2020年04月30日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は11度から22.1度、湿度は96%から58%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の5月1日のさぬき市は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 118/54/78 36.1c-96% 62.4Kg 体調に変化は無い。おなかの痛みもさほどでもない。

 

 今朝の朝食はこれ。

 

 で、今日のお絵かきはこうなった。今日こそはと「ネズミ男」を書いた積もりだが、おそ松くんの「イヤミ君」になった。

 

 ご存じ、「シェー!」のお兄さんである。え?、こちらにも似てないってか・・。

 

 連日の外出自粛もいい加減、飽きてきた頃なので、久々に、本当に久々に大窪寺に寄ってみた。四国霊場の札所は八割が閉鎖・閉山だと言うし、門前のうどん屋さんも自粛でテイクアウトだけになっているとかと聞いた。

 

 本当に納経所は閉鎖されているし、境内に誰一人としていない。

 

 こういう大窪寺も珍しいものだ。門前のおうどん屋さんの一件はシャッター降りているし、お土産物売り場が開いている程度。今年は閏年で、逆打ちの年だからと賑やかだったが、それも最初のうちだけだった。

 

 そこで、大師堂前の藤棚を眺めて通り、

 

 大師堂前の牡丹の花を眺めてきた。

 

 朝方、些細なことで奥方といさかいがあって、今日のお昼はところてんと残り物のお寿司になった。言い出したら聞かないのが奥方のクセだ。なにせ、イノシシ歳なものだから。

 

 午後からは、お詫びのつもりでもないのだが、前々から気になっていた、野菜畑の防護ネット。昨年秋の大風だか台風だかで傾いてしまっていたまんまだった。直そうと思っている間に、動けなくなり、入院してしまって、今年になった。

 

 退院してからも、やれ、寒いの、やれ、風が冷たいのと言っている間に夏になりそうな気配。勇気を出してまっすぐに直しておいた。なんでも、今晩の夕食も作らないのだとか・・・。

 

 このあたりでも、この連休を利用しての田植えが盛んになっている。私も十数年前あたりには、この29日あたりに田植えを済ませておいて、五月の連休には島の家に帰ったものだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「不幸はすぐわかるが 幸せはなくしてからわかる」という、いつもの「荒了寛」さんの言葉から。普通に暮らしている時は、不幸だとは思うことはないが、特に幸せだと思う事もない。ところが、幸せを気づく瞬間がある。それは、なくした時である。「幸せはなくしてからわかるもの」なのである。なくして初めて気づいた幸せに、感謝するのである。あの時は幸せだったんだ・・・・と。健康もまたしかり。不健康はすぐわかるが、健康はなくしてからわかる・・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


石楠花に今日の苦悩を話せない

2020年04月29日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は10度から21.1度、湿度は86%から38%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の30日のさぬき市は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 106/58/80 36.1c-98% 62.2Kg 最近、おへそのあたりがシクシクと痛む。昨夜も夜中の1時過ぎに痛くて痛くて寝ていられなくなったが、そうそうは救急車は呼べない。このあたりで、救急車を呼ぶのは私くらいになって有名になってしまったし・・・。だから我慢して我慢して朝を迎えた。

 

 今朝の朝食はまたしてもサンドイッチになった。今日こそは「ネズミ男」にヒゲを書こうともくろんでいたのだけれど、サンドイッチでは仕方が無い。おなかは痛むが、おなかが空く方が最優先なのでパクパクと食べてしまった。

 

 この時期あたりに、さぬき市観光ガイド「おへんろつかさの会」の総会が行われるのだが、類に漏れず、コロナ問題でさぬき市の公民館が使用禁止になったりして中止になった。早い話では、懇親会はコロナ騒動で無理やなぁ・・とは言うていたのだが、どこもかしこも会場を貸してくれないのでは仕方がないというものだ。

 

 それはさておき、私のお仕事は、二階納戸の第三事務所にある、この物入れのお片付け。投げ入れ、投げ入れ状態で、今まで開いたことはない。それを、今回は開いてみた。

 

 出てきたのは、封筒、古封筒の束とか、布製の袋もの、紙製のバッグや手提げ袋、それに、ビニールの袋や包装紙の束・・・。「あ、これは使える」、「あ、これも大事・・」と、取っておいたものばかりである。

 

 ないなぁと思っていた手提げ袋が出てきたり、

 

 いつの間にか溜まってしまった紙袋。

 

すると、とんでもないものが見つかった。島の家の売買契約書や権利書などの重要書類。島の家も売ってしまおうか・・・と言っていた最中なので、これは必要な重要書類。それはそれは・・・と、別場所保管。

 

 土地の売買には面倒な書類が必要になるもんだ。当時は無我夢中でやっていたのだけれど、今から見返せば、お金も相当に動いていたらしい。土地の売買契約書に不動産屋さんやら測量士やらの費用やら手数料やら・・・。土地が農地だったからその宅地への変更手続きやら手数料やら・・・。ああぁあ・・・

 

 で、どうにかこうにか片付けはできたと思う。

 

 でも、処分するのはこれだけしかない。みんな、元のところに収まってしまったみたいだ。

 

 朝食も、昼食も食べるにには食べたのだが、なんだか、おへそのあたりがシクシクと痛む。胃なのか腸なのかはわからんが、今日は休日で病院もお休み。救急車を呼んで行くほどの勇気も無い。ここ最近、このあたりで救急車を呼ぶのは私くらいなものだからだ。

 

 そこで、ドラッグストアで鎮痛剤を買ってきた。最近は、こうしたお店でも、お薬手帳がないと薬は売らないとかと言う。ま、そうこうして、今のところはおなかの痛みは消えている。

 

 今日の掲示板はこれ。「時代遅れという非難もあるが 時代がいつも正しいとは限らない」。出典はわからないが、「昔にはこうしていた。」「昔にはおばあちゃんがこういう言うてた・・」そのことを守り続けようとすると、そんな時代遅れと言われかねない。新聞に載っていた、雑誌に載っていた、テレビで言うてた・・。」そういうことが必ずしも正しいとも限らないのである。和服姿のお坊さんや、意味不明のお経を延々と読み続ける姿は、一面、時代遅れの時代錯誤だと思われるかも知れない。しかしのかかし、スーツ姿でギターを抱えてお葬式の導師をやっていたら、ちっとも尊厳も威厳も荘重さもないことだろう・・・。時代がいつも正しいとは限らないし、時代にあった姿が正しいとも限らないのである。今日のお仕事とは全く関係ないけれど。

 

じゃぁ、また、あした、会えると、いいね。


晩春の声を聞きつつ布団干す

2020年04月28日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は10度から19.5度、湿度は82%から40%、風は1mから4mの西南西の風が少しばかり。香川県では、30日まで空気の乾燥した状態が続くため、火の取り扱いに注意するよう呼びかけている。明日の29日のさぬき市は、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 104/56/78 36.4c-98% 61.8Kg 体調に変化は無い。

 

 今朝の朝餉はこんなもの。朝から生野菜は嬉しいと思う。

 

 で、今日のお絵かきはこれ。でも、何か変だなぁと思っていたのだが・・・、

 

 あ、そっかぁ~。ネズミのヒゲを忘れていたのか・・・。これまた失敗、失敗。

 

 で、今日も外出自粛で二階の断捨離の続き。いらぬ本や書類の整理。私のこれまでの研究した書類なんぞがずいぶんと溜まっていた。

 

 それでも、あれもこれもとは捨てられない。で、これだけはゴミに出してもいいかなぁと。

 

 今日のお昼はカレーうどん。昨夜の残りのカレーを乗せただけのもの。

 

 昼からは古い写真の整理作業。どうでもいい写真がどっさりとあった。平成6年に建てた島の家の別荘は、当時は珍しくもあり、嬉しくもあったのか、どうでも良い写真がどっさりとあったし、島のお墓や廃屋やお寺や神社の写真なんぞがぞろぞろと出てきた。

 

 だから、そうしたものは片っ端から捨てることにした。

 

 これは、島の神社の「百々手神事」で、弓を始めた頃の写真。まだ、髪が残っている。

 

 遺影になるかなぁと残したもの。

 

 こちらが良かろうか・・・。

 

 遺影については、さぬき市でも有名な「黒田画伯」にお願いをしとるのだが、もう、二年にもなるのに音沙汰がない。一度、催促してお願いの確認なんぞをやっておきたいものだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は、後ろ向きにしか理解できないが、前を向いてしか生きられない」というもの。私の言葉のようにはなっているが、調べて見れば、「セーレン・キェルケゴール」という人の言葉らしい。人生と言うものは行動してきたことでしか理解することができない。これは他人様から見れば、結果しか見てくれないし、重要視されないのがほとんどであるからだ。しかしのかかし、人は過去に生きることはできないのだ。生きる為には前に向かって進むしかないのだ。「セーレン・キェルケゴール」はデンマークの哲学者。実存主義の創始者でもあり、彼の家の全ての部屋に紙とインクが置いてあり、何か思いついたらすぐに書き留められるようにしていたのだという。「世界中で最も多量のインクを使った人」とも呼ばれたと言う。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。

 


春めいてまとめきれない日記帳

2020年04月27日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、夜は曇るらしい。気温は10.5度から20.4度、湿度は82%から42%、風は1mから3mの西北西の風が少しばかり。明日の28日のさぬき市は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 114/58/80 36.2c-98% 61.6Kg だんだんと右目が重たい感じになってくる。でも、手術までには一ヶ月もある。それに右目が白くなってきているのが実感できる。

 

 今日の朝食はこれ。食パンの上にチーズを載せて焼いたらしい。おかげで今日もお絵かきはない。

 

 昨日、我が家の設計図面なんぞをスキャナーで読み込んだデータが行方不明になった。USBメモリーに移したところまでは覚えているが、その先の記憶が無いし、そのメモリーもどこにもない。そこで、再度、同じ画像を読み込んでみた。

 

 これが我が家の一階の平面図。私が設計したものである。上半分が、今の私たちの居場所。ダイニングキッチンで食事をし、隣の和室6畳で寝起きしている。その下のリビングに、この私の第一事務所がある。浴室・トイレはすぐに並んでいる。第二事務所は向かって左下の洋室の片隅に机だけの事務所ができている。

 

 で、こちらが二階部分。下の方の、納戸4.0畳が第三事務所で、昨日今日の作業場所。その隣の洋室10畳が私の前の書斎だったところ、今は第四事務所になっている。スキャナーなどが置いてある。

 

 外観はこのような形。大きな三角屋根が特徴になっている。

 

 設計イメージは、こんな風な建物だった。

 

 で、ここが、この今の我が家が建てようとしている土地で、元は水田だった。それを母が友人から格安で買ってくれたもの。そうなると、仕方なく、家を建てるしかなくなってしまった・・・という経緯だった。

 

 南から北を見た当時の風景。平成17年の景色である。こういうものもようやくに見つけて、スキャナーで取り込んでおいた。

 

 今日も本棚の本を断捨離する準備をやっていた。どれも貴重な本なんだけれど、私がいなくなれば何の役にも立たなくなる本である。思い切って処分することにした。特に、右端の「信者めぐり」はどこを探して見つからず、何ヶ月もかかってようやくに見つけた本だったが、「布教使」を諦めた時から開くことはなくなってしまった。

 

 ごっそりと、段ボール箱に詰め込んで処分してしまうことにした。いつまでも置いておけば未練が残るばかりだと考えたからだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「明日の人生はきっと何かあるものです。きょうの苦しみはきょうで終わり。明日の苦しさは明日の話」という吉田潤喜さんの言葉から。吉田潤喜 (全米にてヨシダソースで有名な日本人/ヨシダグループ会長兼CEO)さんの言葉である。昨日は昨日、今日は今日。明日は明日の風が吹く・・・。苦しみを翌日に持ち越さない習慣をつけられると良いものだけれど。

 

 じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


緋のつつじ怠惰な午後をあざ笑う

2020年04月26日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で概ね曇り、昼過ぎから夜のはじめ頃にかけて雨や雷雨となる所があるらしい。香川県では、26日昼過ぎから26日夜のはじめ頃まで急な強い雨や落雷に、28日まで空気の乾燥した状態が続くため、火の取り扱いに注意するよう呼びかけている。気温は11.5度から21.5度、湿度は72%から50%、風は1mから5mの西の風が少しばかり。明日の27日の香川県は、高気圧に覆われて晴れるが、夜は気圧の谷の影響で曇る見込みなのだとか。

 

 108/62/80 36.4c-99% 61.7Kg 相変わらず体調に変化は無い。

 

 今日の朝餉はこんなもの。今日もサンドイッチ風になっているが、ここ何食分かのポテトサラダの残りを挟んだだけのもの。おかげで今日もお絵かきはなし。

 

 さすがに、不要不急の外出自粛もくたびれるものだ。こんな山奥だから散歩に出ようが草刈りをしようが自由なんだけれども、なんだか、最近の空気は冷たく風は厳しい。

 

 そこで二階の第三事務所の本棚の断捨離をやってみることにした。上三段の書籍類はすでに片付け・断捨離済み。だから、今日は下三段の断捨離になったのだが、下から三段目はノートが多かった。ノートが好きなのかいろんなノートを買ったらしいのだが、ほとんどというかまるきり使っていないノートばかりなのだ。

 

 で、下から二段目のファイル類を見ると、若い頃に収集した資料がどっさりと出てきた。このお墓の資料は200ページを超えるすごいものだったが、墓石屋になる積もりも無く、墓石評論家になる意思もなく、何のために収集したのか今となっては謎になっている。

 

 続いて、こちらは「袈裟史」の資料である。お坊さんは、なぜ、袈裟を着るのか・・・という研究のためであったと思う。こちらも膨大な袈裟に関する資料集だった。

 

 よくもよくも、これだけの資料を集めたわい・・・と思うほどの資料で、お袈裟の作り方まで収集してあった。今では「五条袈裟」「七条袈裟」が普通だが、九条、二十五条などという袈裟もあった。

 

 これで、「袈裟学」の講演でもしようと考えていたのだろうか。ま、一部、観光ガイド大窪寺班の勉強会では「袈裟史・袈裟学」の講義をやったことがある。

 

 他にも、「妙好人庄松同行」についての講演会の資料や、

 

 ふるさと散歩シリーズのガイド資料とか・・・。こういうものも、みな、断捨離してしまった。

 

 そんな中、探しても探しても見つからなかった、今の我が家の設計図面集が見つかったのには小躍りして喜んだ。

 

 それとか、私が小学生の頃の、我が家の土地の様子を思い出して書いた図面も見つかった。あれこれと、トレースしたり、複写したりで苦労していた図面だったのに、いつごろに、こんなものを書いていたのだろうか。

 

 それでも、捨てる紙くずはこれだけにしかならなかった。まだまだ、断捨離が甘いと思う。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分の都合で他人を善人したり悪人にしたりはしない」というもの。とかく私たちは、自分に得をさせてくれる人は善人であり、損をさせる人は悪人である。相手が善人であるかどうかではなくて、自分にとってどうであるか・・。損か得かで善人にしたり悪人にしたりするかだけのことなのである。そんなことで、人を区別したり、差別したりはしたくないものだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


はや紫蘭足下にいる春の亀

2020年04月25日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は8.5度から18.7度、湿度は68%から34%、風は1mから3mの西南西の風が少しばかり。明日の26日の香川県は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 104/58/78 36.1c-96% 61.8Kg 体調に変化は無い。ただ、右目が重たいようでなんだか気分が悪い。この手術が終わるまでは何もできないというか、すると危ないというか・・・。

 

 今朝のお絵かきは何にしようかと思案していたのだが、思わぬ「フェイント」(フェイント (feint) は、球技・格闘技などで相手を惑わせるためにする動作である。 フェイク (fake) とほぼ同義であり、『特定動作をするふりをする』と一般的には解釈されている)。食パンの上に生卵を置いてレンジに掛けたらしいが、生卵は生卵のままになった。なんとも言えぬ味になった。

 

 さて、固定資産明細帳が完成したので、今度は「人生会議」の完成に向けて作業をしていた。エンディングノートとは、高齢者が人生の終末期に迎える死に備えて自身の希望を書き留めておくノートで、 自身が死亡したときや、判断力・意思疎通能力の喪失を伴う病気にかかったときに希望する内容を記録する書類である。特に後者の内容を、事前指示(英: Advanced directive)と呼ぶ場合があるらしい。

 

 これも、民生委員会の席上で配られた資料の中にあったものを流用してみた。

 

 そういうことで、今日も「人生会議」の準備中。自分が最後まで自分であり続けるための「生活設計書」みたいなものだ。

 

 それを、「Aアドバンス・Cケア・Pプランニング)」と言うのだが、漢字で書けば「人生会議」になるのだという。

 

 私の場合、「心不全」という病気は治ることがない。しかも「ステージD」で「終末期」であるという。お仏壇のおロウソクが数ミリしか残っていないような状態である。風が吹けば、消えてしまうような風前のともしびであるとドクターは言った。

 

 で、ドクターの持ってきた「エンディングシート」にも、このノートを参考にして記入して提出した。もう、あの病院に戻ることはないし、あの病院が私を受け入れることもない。

 

 私のお葬式・・・。お坊さんの世界では、あれこれとお葬式論争が激しいし、それなりの理由にも頷けるのだが、私にお葬式は必要も無くて、家族の有志が静かに送ってくれればいいと思っている。家族葬というか、有志葬というか、お坊さんもいらないし、読経もいらない。花輪も盛り籠もいらないし、香典もいらない。みんなでお念仏してさえくれればそれでいい。

 

 今日のお昼はこれ。豆の入ったご飯だった。

 

 午後には、エンディングノートの製本も終わった。これで、もう、思い残すことはない。

 

 午後3時からは歯医者さんの診察日で、納豆を食べて折れてはじけた下の前歯の修理だが、なんだのかんだので1時間も掛かったのに、来週の土曜日でないと歯が入らないらしい。

 

 文句を言っても仕方がないので、来週まで待つことになった。

 

 今日の掲示板はこれ。「元気を出せ。人生に必要なものはイマジネーション(想像力)とカレッジ(勇気)とサムマネー(若干のお金)だと」いうチャップリンの言葉からである。まさに、その通りだなぁと、私の短い人生を振り返って納得するばかりだった。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


山ツツジ誰一人来ぬ山の寺

2020年04月24日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇っていたが、その後は高気圧に覆われて晴れてきた。気温は7度から16.4度、湿度は72%から44%、風は1mから8mの西の風が一時は強かった。県では、24日夕方まで強風や高波に、26日まで空気の乾燥した状態が続くため、火の取り扱いに、25日朝は霜に対する農作物の管理に注意するよう呼びかけている。明日の25日の香川県は、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 98/48/78 36.1c-96% 61.6Kg 体調に変化は無い。右目がみえないのが気になる程度。

 

 今朝の朝食はハムエッグ。

 

 で、今日のお絵かきはこれ。カラスでもスズメでもない。最近、話題になっている「悪魔退散」のお守りにも使われているそうな。

 

 奥方にこれだ・・・言ってもわからない。最近の流行り物らしい。私が書いたのは、「あまびえ」という。アマビエ(歴史的仮名遣:アマビヱ)は、日本に伝わる半人半魚の妖怪。光輝く姿で海中から現れ、豊作や疫病などの予言をすると伝えられている。 同種の妖怪と考えられるものに尼彦/あま彦/天彦/天日子/海彦(読みの推定:あまびこ)、尼彦入道/天彦入道、アリエなどがあるらしい。

 

 朝一番のお仕事はこれ。恒例の「高額医療費支給申請」である。

 

 で、いつものさぬき市役所寒川別館に行ってきた。

 

 すると窓口にはこのような仕切り板ができている。で、所定の手続きを済ませてきた。

 

 今日のお昼はお好み焼きである。今日も西風が強く、室内でデスクワークをやっているしかない。

 

 で、一応のデーターがまとまったので、固定資産明細帳を製本することにした。私がいなくなってしまえば、土地の番地を言われても誰もわからなくなってしまう。我が家の土地が、どこからどこまでかもわからなくなってしまう。

 

 そこで、こうした地図付きで、しかも、その明細まで記録してある。

 

 これらの多くの土地が山に戻り、草に覆われてしまっているのだけれど、その土地はわかるだろうと思われる。

 

 こういう製本テープで製本してみた。

 

 こうして三冊の明細帳できあがった。あとの一冊は我が家保管用である。これは特別製になる予定。

 

 三時のおやつはこれ。最近はなぜか、甘いものが欲しくなって困っている。

 

 今日の掲示板はこれ。「今日始めなかったことは 明日終わることはない」というもの。あの、ゲーテの言葉らしい。どんなすばらしい願いを持ち、目標を掲げても、目の前の一歩を踏み出さなくては何も変わらないし、前には進んで行かない。いま何を考えるかではなく、何を行動できているかに焦点を当てて、目標に向けて進んでいきたいものである。でも、いざ始めてしまったら、終わることのない作業だったというのでは、これまた困ったことになってしまうのだが。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


庭先のつつじの花を過ぎる風

2020年04月23日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で曇っていた。気温は10度から14.5度、湿度は70%から54%、風は2mから6mの西の風が一時は強く冷たかった。明日の24日の香川県は、気圧の谷や寒気の影響で曇るけれど、昼過ぎからは高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 104/54/78 36.2c-98% 61.4Kg 体調に変化は無い。右目の白内障が進んできたのか、なんとも気分が悪い。奥方は眼科に行ってきたら~とうるさいが、先日に検査を受けたばかりだし、5月下旬には手術も決まっているのに、そうバタバタすることもないじゃないかと、そのまんまだ。

 

 今日の朝食である。藤を書いても「さやえんどう」だと言われるし、メダカを書いても「さやえんどう」だと言われるからと、今日はサヤエンドウを書いてみた。

 

 「それじゃぁ、サヤエンドウの特徴が見えないじゃないの」と言われてしまった。じゃぁ、今日は「鮎の夫婦」ということにしておこうか。

 

 今日は暦の上では春なんだが、それにしては寒すぎる。こんな時期に外に出て、肺炎にでもなったら致命傷だ。で、今日も相変わらずの「テレ・ワーク」。

 

 で、もう、何日もかけて作ってきた「固定資産台帳」も大詰めを迎えてきた。

 

 我が家の田んぼの上に、このような「木馬道」があったことや、

 

 こうした、「松根油(しょうこんゆ)」を採った跡なども残されていた。昭和18年ごろから20年頃には航空機のガソリンが枯渇して、村人に、「松ヤニ」を集めさせ、それで「松根油」という油を作って飛行機の燃料にしたという話だったが、本当にそれで飛べたのかどうかは定かではない。

 

 こういう木馬道が、昭和の50年頃まではしっかりと残されていたものだった。そんな歴史にも触れておいた。

 

 で、こうした原本が完成し、保存版の試験印刷をやっていた。

 

 これを都合、四冊、作る予定である。

 

 今日はどういう訳か、奥方がお休みなので、あれこれと監視されているみたいで背中がくすぐったい。で、奥方は畑の周辺の雑草を刈ったり抜いたりしている。もう少し暖かければお手伝いでもしたいのだけれど、先に書いたように肺炎が怖い。

 

 「あんたが草刈り機で刈ってしまったから、紫木蓮が枯れてしまったじゃないの」とものすごく叱られたが、数年もすれば新芽が出てきて花が咲きだした。生物のいのちもたくましいものがあるなぁと感心したものだった。

 

 山にも新芽、若葉、浅緑が戻って来た。この緑が濃くなって深い緑になったならば夏になる。

 

 今日の掲示板はこれ。「大切なことはいまを生きること。人生はすべていまの積み重ねですから、いまをどれだけ大切にするかです」という平田静子さんの言葉から。平田さんは1948年、福岡県に生まれ、フジテレビに入社、扶桑社に出向、雑誌CAZ編集長を経て取締役、常務取締役などを歴任した。2010年に扶桑社を退職、同年4月に「ヒラタワークス」を設立し、幅広いビジネスを展開している。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


藤の花ひとそれぞれの花がある

2020年04月22日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で概ね曇っていた。気温は11度から15.2度、湿度は54%から48%、風は3mから7mの西の風が一時は強く寒かった。明日の23日のさぬき市は、引き続き、気圧の谷や寒気の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 112/54/80 36.4c-96% 61.6Kg 体調にこれという変化は無い。足は軽いし、おなかの調子も良い。時におへそが痛くなるのは何のシグナルなんだろうか。

 

 今朝の朝食はこれ。これでも奥方は毎回毎回苦労しながら作っているのだろうと思う。

 

 今日のお絵かきはこれ。奥方が、「さぁ・・・」と頭をかしげたが、「下り藤」の積もりである。

 

 こういうイメージだったのだけれど。

 

 今日は、それぞれの土地についての思い出や、土地の利用状況なんぞをメモする形でまとめていた。それぞれ田んぼや畑にも思い出はあるものだ。

 

 9時頃、我が家の近くで電力柱の立て替え工事が始まった。だから、その間は、我が家は通行止めで缶詰状態になったが、ほぼ1時間ほどで立て込みは終わってしまった。ちなみに、「電信柱(でんしんばしら)」は、昔の電報を送る電信用電柱のことで、電話用の柱でもあった。電気や電力を送る電柱は「電力柱」という。

 

 こういう、個々の土地の思い出やその田んぼの様子なんぞは、弟や娘には興味がないかも知れないが、そういうこともあったのか・・と、理解してもらったらと思うばかりだ。先人の苦労に思いを馳せて欲しいものである。

 

 今日のお昼はタケノコご飯だが、これでは何か全くわからない。

 

 こうして見ればタケノコも見えるが、もっと彩りがあればきれいになったのにと思うばかり。

 

 明日が「空き瓶回収日」なので、お昼からは空き瓶を集積場まで運んでおいた。来月は白内障の手術が絡むので、今月中にきれいに片付けておきたいと思ったので。

 

 さて、昨日の眼科の検査の結果であるが、左右とも「眼底出血」があって、このままいくと失明することもあるという。だから、右目の白内障の手術をしても、よく見えるようになるとは保証できないと言う。でも、今は、白内障の手術をお願いするしかない。結果はあくまで結果だ。後悔とはしたことを悔やむことではない。やらなかったことを悔やむものだからだ。

 

 これまで生きてきたのだから、今さら何があっても驚かないし怖くもない。このまま失明しても仕方が無いが、できることならば、もう少し娑婆の有様を眺めていたいと思うばかりだ。奥方は「パソコンの操作をやめたら??」と言うが、私がパソコンをやめたら、私に何が残ると言うんだろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「他人とくらべるのやめると 人生はぐっとらくになるよ」という、いつもの荒了寛さんの言葉から。私ら団塊の世代は「比べられっこ」で子供の頃から育って きたが、それはいつの世でもそうなんだなぁと思うようになった。今はお仕事もやめて、自由気ままに暮らしているから、自分では誰かと「比べっこ」はしてい ないつもりだけれど、誰かからは「比べられっこ」されているのかもしれない。でも、その分、楽にはなったけれど、さみしくもなった。背比べの相手がいな い・・・というのは、鬼のいない鬼ごっこみたいだなと思ったりもした。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


山肌にむくむくと咲く山つつじ

2020年04月21日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、21日夜遅くから22日明け方まで強風や高波に注意するよう呼びかけている。気温は14.5度から17.5度、湿度は82%から48%、風は3mから6mの西南西の風が一時は強かった。明日の22日のさぬき市は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 110/58/80 36.7c-98% 61.4Kg 体調に変化は無い。先日のおなかの痛みも消えて気分爽快。

 

  今朝の朝食はこれ。今日は奥方が希望休で休んでくれたので、少しばかりサービスしたのか、サンドイッチ風になった。だから、今日のお絵かきはお休み。

 

 その後は、相変わらずの土地台帳の追加作業。旧宅周辺の古い土地図を複製して貼り合わせて道路を色塗りしていた。それも四部分である。

 

 はたまた、主要な土地をトレースしていた。道路工事などで削られた部分の補正なんぞができるかどうかの実験でもあった。子供の頃の思い出なんぞも記録しておけばとも考えたからでもある。

 

 お昼過ぎに、三男の「たっくん」がまたしてもタケノコを掘って持ってきてくれた。丸亀市の山手からのタケノコである。

 

 それを、早速に奥方が皮を剥いて調理の準備をする。

 

 こうして、準備ができたところで、市内の市民病院にお出かけをする。今日は、眼科の検査で、来月に予定されている白内障の手術の準備である。

 

 今日の検査では、蛍光眼底造影検査を行うということで、奥方がお休みを取って送迎してれた。眼科疾患に用いられる造影剤(色素)にはフルオレセインとインドシアニングリーンがあり、特殊なフィルターを通した光をあてると蛍光を発する性質を持っている。これらを用いた検査が蛍光眼底造影であるという。腕の静脈に造影剤を注射すると心臓を経由して眼底の血管に流れていき、その様子を眼底カメラで連続して撮影する検査であると言う。

 

 青色光または赤外光フィルターを通して眼底を照明し、造影剤(色素)から発した蛍光だけを撮影するので、血管内の血液の流れの状態や、通常の眼底検査では発見が困難な病変を詳しく調べることができると言う。インドシアニングリーンは、脈絡膜血管レベルの検査に用いられます。検査は瞳孔を開いた状態(散瞳剤を点眼してから30分は必要)で行い、撮影は数十枚に及んだ。

 

 その前には、昨日と同じように胸部レントゲン検査や、

 

 心電図検査もやらされた。「眼科なのに、なんで心臓なんですか」と聞くと、「手術後に心臓が悪くなったりする可能性がありますもので・・・」という。そんなんで、なんだかんだの検査づくめの半日になってしまった。

 

 今日の掲示板はこれ。「後悔とは、事を行った結果の失敗をいうのではない。事を行わなかったことをいうのだ。」という櫻井秀勲さんのことばから。櫻井秀勲(さくらい ひでのり)は、東京都墨田区出身の編集者・作家・評論家で、 東京外国語大学ロシア語学科を卒業後、文芸誌の編集者となり、色川武大や松本清張、三島由紀夫、川端康成など数々の文豪達と交流を深める。31歳の時に女性週刊誌『女性自身』(光文社)の編集長に抜擢され、最高部数147万部の新記録を達成するなど名編集長として手腕を発揮。1970年の労働争議を機に光文社を退社し、祥伝社の設立に参加。独立後は運命学や女性学、性科学、結婚論などをテーマに執筆するようになり、170冊を超える著書を発表している。また、「運命の「扉」は、叩かなければ開かない。」や「「思い入れの強さ」と「成功の確率」は比例する。」などの名言も残している。

 

じゃぁ、また、明日、会えると、いいね。


山吹の風ほのかなり八重の花

2020年04月20日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は低気圧や前線の影響で曇り、雨の降っている所があったが、夕方からは高気圧に覆われて晴れてきた。気温は14.0度から19.7度、湿度は86%から66%、風は1mから7mの西南西の風が一時は強かった。明日の21日のさぬき市は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇るらしい。

 

 102/62/78 36.4c-98% 61.4Kg 体調に変化はないが、原因不明のおなかが痛い。ちょうど、おへそのあたりだが、何の痛みだかわからない。安静にしていれば収まってくるが、尿の出血でもないみたい。

 

 今日の朝食であるが・・・、

 

 アンパンマンを書こうとしたのだが、どうにも手元が安定せずにお化けになってしまった。これは没・・・である。

 

 今日は20日の月曜日・・・ということで、先に集金した自治会費前期分を農協さんに預け入れしてきた。みんなのおかねだから紛失しても困るので早々に預金してきた。で、ついでに、日本赤十字社の活動資金500円*9戸分を引き出しておいた。本来は各個人から集めるものだが、ずっと先例として自治会費から支出している。

 

 その日赤社資を社会福祉協議会に納めてきた。やるべきことはさっさとやっておかないと、明日の私がわからない。今日にできることは、今日に片付けておきたいものだ。

 

 で、その足で(車で)県立病院に行ってきた。と言うのも、今日は「ペースメーカー外来」の日で、診察は午後一番の14時からなのだが、事前に胸部レントゲン撮影と心電図検査があるので、午前と午後の二部構成になってしまう。

 

 まずは胸部レントゲン検査だが、最近の情勢だかなんだかで、患者さんは一人も居ない。そこですぐさま撮影室に呼び込まれて数分で終わった。

 

 心電図検査もまたしかり。部屋に入るなり、「こちらへどうぞ」と、私を待っていたかのように検査室に招き入れられる。いつもが、こうだとありがたいのだが・・・。

 

 今日のお昼は自宅に戻っての食事になった。今日は奥方がお休みの日なのだが、最近の病院は怖いので、奥方には留守番をしてもらっていた。だと、「ブログに載せるなら、そんなんじゃダメダメ・・」と、盛り付け治しされてしまった。

 

 なんだか、こちのほうがきれいに見えないが、ワラビ入り・タケノコ入りの山菜お寿司なんだそうだ。それにサヤエンドウ入りかな。

 

 「ペースメーカー外来」だが、何をするのかよくわからない。患者は、こうしてベッドに寝ているだけ。その胸(ペースメーカー)の上に、リング状のコイルを置くだけ。これでバッテリ容量や残量、機能チェックなんぞができるし、脈拍数を自由に変更もできる。

 

 レントゲン検査の結果で、植え込んだ元位置と現在の機械の位置の確認をする。まさか、移動することはないのだろうが、そういう確認もするらしい。

 

 その結果を、ペースメーカー手帳に記録して診察はおしまい。次は半年後の11月である。診察料は1,680円。当分、私の命は保証されたみたい。

 

  今日の掲示板はこれ。「金ためて何をするぞと思いしに 煩悩ふやすことばかり」というもの。どこのどなたの言葉かはわからないが、お金を貯めたことのない私には、お金を貯めれば煩悩が増えるのかどうか分からないが、お金がなくても煩悩は増えて増えて困るのだけれど。蓮如上人の時代、大阪の堺に日向屋という商人がいたという。日向屋は強欲のあまり財産を守ることに終始し、とうとう蔵で孤独死したという。彼の死の報に接した蓮如上人は、「堺の日向屋は、三十万貫持ちたれども、死にたるが仏にはなり候うまじ」と言われたという。人生の目標が経済すべてであるとするならば、これほど人として生まれたことを無駄にしていることはない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


山つつじ歴史の扉を一つずつ

2020年04月19日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが、午後からは気圧の谷や湿った空気の影響で次第に雲が広がり、夜遅くには雨が降る見込みらしい。気温は14度から18.5度、湿度は74%から60%、風は2mから5mの西の風が少しばかり。明日の20日のさぬき市は、低気圧や前線の影響で明け方まで雨が降り、雷を伴う所がある見込みらしいが、夕方からは高気圧に覆われて晴れるらしい。

 

 104/58/80 36.2c-99% 59.7Kg 血尿も治まったみたいだし便通も良くなった。脚は軽いしむくみもない。今のところ、痛いところも苦しいところもない。小遣いもふんだんではないが不自由はしていない。

 

 今朝の朝食である。取り立てての話題もない。

 

 今日のお絵かきは、単に「お花」である。

 

 明日が20日ということで、さぬき市の広報を各戸に配ってきた。今年からは、我が家を含めて9戸になった。また一人、施設に入って自治会から脱退をした。今月は自治会費前期の徴収日である。それも一戸を除いて集金できた。

 

 明日の午前中には、入金処理なんぞをやっておかなくてはいけないが、お昼前からは県立病院での検査がある。心電図やら胸のレントゲン撮影である。午後からが、「ペースメーカー外来」である。

 

 その後、奥方が「タケノコが欲しいので山の家に行こうよ~」というので、期待もせずについて行った。うん、助手席に乗っていくだけだ。山の旧宅に行くと、各所に、こうした穴ぼこがある。イノシシがタケノコを掘って食べた跡である。

 

 そうかと思えば、これはおサルが柔らかい部分をかじって食べた跡・・・。

 

 でも、奥方は、こうしたものもクワを打ち込んで根っこの部分を掘り出してきた。サルは、頭の部分の皮先だけをかじっていて、タケノコ本体までには手が届かなかったみたい。そんなんで、今晩のおかずくらいにはなったらしい。

 

 ようやく、我が家の旧宅部分の固定資産分の整理ができた。緑が水田で、ピンクが畑、黄色が山林である。紫部分が旧の宅地跡である。若い頃には、こうした農地を耕して稲を栽培していたのかと思うと大変だったなぁと思うばかりだ。あ、周りはみんな山である。

 

 そうそう、こうした画像を取り込むために、スキャナーを久々に起動したら動かない。こちらのノートパソコンと交換しても動かない、このノートパソコンをつないでも動かないと、1時間あまりも格闘してしまった。結局の薬局で、四台目のパソコンで画像が取り込めた。こちらが、現在の我が家周辺の地図である。

 

 こうして見ると「初夏の山」という風情だが、今日もまだ風が冷たくて春とは思えない冷たさ・・・。

 

 今日の掲示板は、今日のお話とはまるきり関係ないが、「気分ひとつで大違い まだ半分 もう半分」というもの。二つ返事で引き受けた「民生委員」に「自治会長」。たいしたことあるまいと、たかをくくっていたが、開けてびっくり、「パンドラの箱」。広報委員に文化委員、体育委員に神社の総代・・・。民生委員だって研修会や講習会なんぞが山盛り状態。今はコロナ騒動で小休止中だが、はてさて、どうなってしまうのやら。ま、「まだ始まったばかり」「まだまだ半分」「もう半分」まで頑張るしかないな。

 

じゃぁ、また、明日、会えると、いいね。


ただ無心今日を生ききる紫モクレン

2020年04月18日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、一時期、気まぐれの花時雨が降ってきた。気温は14度から18.7度、湿度は82%から54%、風は1mから7mの西南西の風が一時は強かった。明日の19日の香川県は、寒気や低気圧の影響で概ね曇り、夜遅くには雨が降るらしい。

 

 96/54/78 36.4c-96% 61.4Kg 昨日は二階への階段を何往復もしたせいか、おなかが痛くて何度もトイレに行った。やはり、血尿が出る。まだ、膀胱の傷が癒えていないみたい。安静にしていると血尿は治まるのだけれど。

 

 今朝の朝食はこれ。パンが少し小さくなったような気がする。いつもの「ホテル・パン」ではないのかも。

 

 で、今日のお絵かきはこれ。「そうねぇ・・、バラに見えるかも・・・」と奥方が言うから、今日はバラの日記念日。

 

 朝の間は、自治会長のお役目というよか、「広報委員」のお仕事。さぬき市発行の「広報さぬき」や日本赤十字社の社資募集のチラシとか社会福祉協議会の会報とかが送られてきたので、それを戸別に分類して配布の準備。

 

 毎年、自治会長の最初のお仕事がこれ。日本赤十字社からの活動資金募集。うちの集落では、毎年、自治会費からの支払いになっているが、個別に領収書を発行したりする。

 

 お昼前にはきまぐれ春時雨が通り過ぎて行った。ま、なんとかごころと春の空はなんたらだ・・・と言われるように落ち着かないもの。三寒四温の時期は終わったのかな。

 

 今日のお昼は「カレーうどん」。決して「加齢うどん」ではない。ましてや「華麗うどん」でもない。普通の、ありふれたおうどんにカレーのルーを乗せただけの物。

 

 午後からはいつものように、「固定資産明細帳」の作成。役所の図面のコピーの上に、道路や河川や水路などを蛍光ペンで色づけをしていく。これは最初の方の「目次」みたいな「概略図」である。

 

 そこへ、「水田」ならば緑で、畑は桃色で、山林は黄色に塗ってみた。一部、紫で囲んだところが宅地である。(これは一部である)

 

 晴れ間が出たので、奥方が草刈り機を取り出してきて草刈りを始めた。さすがに、私にやってちょうだい・・・とは云わない。無理して再入院にでもなったら、それこそ大変だからである。この草刈り機は、ガソリンエンジンを使ったものではなくて、バッテリーで動く充電式。だから、ボタン一つで始動するから、ご婦人でも使用が簡単。私は、ただ、バッテリーを充電しておくだけでいい。

 

 我が家のチューリップたちも、そろそろとおしまいだろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「心の中に降る雨に 人の情けが傘をさす」というもの。この言葉は、人それぞれの感じ方によって解釈してよいのではなかろうか。人生の一番の悲しみの時や最大の危機の時に感ずるものであろう。人生において大嵐で難破しそうなときもある。助言・支援などで立ち直ることもある。 物質的なものは、支援・援助で再起できるが、心の痛みは難しいものだ。これまた千差万別である。心の中に降る雨は人の情けが傘となって立ち直ることもあろう。その傘はいろいろだ。傘のような役割を果たすものから傘そのものであることもある。私たちは誰もが一人で生きることはできない。誰だかの支え、願い、支援によって辛うじて私たちは生きているように思う。それらの支援が自分の目に見える場合もあれば、見えないところで支えていただいている場合もあって・・・。他人様の親切の暖かさに触れて、元気をいただき、落ち込んだときも起き上がることができるのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


山つつじ外出自粛の背伸びかな

2020年04月17日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇っており、夜遅くには雨や雷雨となる所があるらしい。気温は9.5度から19.6度、湿度は88%から56%、風は1mから4mの北東の風が少しばかり。明日の18日の香川県は、前線の影響で朝まで雨や雷雨となる見込みだが、その後は、寒気の影響で曇る見込みらしい。

 

 106/58/78 36.1c-99% 60.8Kg 相変わらず、体調に変化は無い。階段も苦しまずに上り下りができていて、「何のために、大勢を呼んで大騒ぎしたのさ」と奥方に言われる始末。

 

 今朝の朝食だが、奥方がパターンを変えてきた。というよか、残飯整理の朝食みたい。お味噌汁でもあればいいのだが、冷えたお茶だから、なんだかアンバランス。

 

 ついに「大宝典」が登場してきた。当時の森林組合か何かのからみで、有志がお金を出し合って作成した土地の大一覧表である。私もいくばくかのお金を出して作ってもらった一冊である。

 

 とにかく大きな土地の明細表である。私んちは、その図面の境目あたり、図面のつなぎ目あたりになっている。

 

 つなぎ合わせたら、こんな図面になった。

 

 ま、今日も外出自粛で、こういう台帳を作っていた訳である。表紙をつけると、それらしくなった。本物の表紙は、どういう表紙にしようかと思案中である。

 

 字体もあれこれと入れ替え差し替え、やってみたのだが、おちついた、このフォントにしてみたが、本番ではどうなることやら・・・だ。

 

 今日のお昼はカレーライスになった。「食べ過ぎだから、少しは少しは減らそうね」と言われたので減らしてみたが、すぐに結果が出る訳でも無い。

 

 さぬき市では、毎月20日が「広報さぬき」の配布日になっている。で、5月号が、本日の午後に届けられる。それを、20日あたりに各戸に配布することになる。

 

 そこで、そこに先の自治会総会で決まったことなどをまとめた書類も入れることにした。

 

 そういう準備もしていた。

 

 午後15時半からは、町内の歯科医院で前歯の修理である。今日は根っこの治療と型取りらしい。私も何かと忙しい身ではある。

 

  今日の掲示板はこれ。「これまでは出来なかったことも これからは出来るかも知れない 過去にとらわれずやってみることだ」という、荒了寛さんの言葉から。過去にはどうやってもできなかったことでも、そこから積み上げてきた人間的な経験や知識が上積みされていて、少しの努力で簡単にできてしまうことがある。過去にできなかったから、前にもやったけれど・・・などと考えずに、新しい気持ちでやってみることも大切なことだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えると、いいね。


若葉切るハサミの音の軽やかさ

2020年04月16日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は9.0度から21.1度、湿度は90%から40%、風は1mから2mの北北西の風が少しばかり。明日の17日のさぬき市は高気圧に覆われて晴れるが、気圧の谷の接近や湿った空気の影響で午後から次第に曇り、夜には雨が降る見込みなのだとか。

 

 112/54/78 36.4c-98% 60.8Kg 全くのワンパターンだが「体調に変化はない」。

 

 これまた、ワンパターンの朝食風景。

 

 で、今朝のお絵かきはこれ。奥方は「オタマジャクシがいっぱい・・」と云ったが、

 

 残念ながら、「春の小川」である。で、メダカの学校である。

 

 今日も奥方はお休みである。だからということでもないが、外出禁止の「テレワーク(?)」三昧。相変わらずの「固定資産台帳」の整備である。

 

 エンディングノートの付録としての「我が家の土地明細大図鑑」の編集作業である。私が小学生の頃には、この集落には14軒の民家があったが、私が成人しての頃には8戸ほどになっていた。その頃の我が家の土地は、このあたり一帯にあった。我が家がここを出てからは、わずか一戸だけの集落になっている。みんな、台風で土地や農地を奪われてしまったからだった。

 

 そういうことで、どこもかしこも草まみれの雑木林に戻ってしまった。それでも役所は「農地」だからと税金を徴収してくる。私がいなくなれば、誰が税金を払うのか知らないけれど、その明細を残しておかなければ戸惑うに違いないと、この膨大な資料をまとめている最中なのである。私だって、父がいなくなってしまった当座は、どこになにがあるかさえわからなかったものだった。

 

 退職してすぐの間には、毎日毎日手弁当で草刈りに出かけ、「我が家の農地を取り戻すぞぉ・・」と意気込んだものだが、一ヶ月もして後ろを振り向いたら、元の雑草の山に戻ってしまっていて愕然とした。こんなことで、俺の人生を無駄にしてはならぬ・・と、草刈りをやめてしまった。以来十数年、農地はすっかりと山林に戻ってしまった。

 

 今日のお昼はカレーうどん。食べ過ぎないようにと気はつけているが、いつしかついつい食べ過ぎてしまっておなかをさする毎日である。

 

 このあたりでは、先月末(3月末)あたりから田植えが始まっているし、この町内でも4月に入ると田植えが盛んになった。お盆前に収穫するとお値段が高くなるそうな。それだし、台風の被害も免れるそうな。

 

 山では「野藤」が花をつけ、山つつじが紫の花をつけて、早くも初夏の風景を見せてくれるが、まだまだ、風は冷たい。

 

 今日の掲示板はこれ。「課題は大きければ大きいほど動かない。ただ、最初の一ミリが動くと、あとはどんな大きな岩をも転がっていく」という、J.フロントリテイリング社長の山本良一さんの言葉から。山本さんは横浜市生まれ。横浜市立桜丘高等学校時代には、バスケットボールで県選抜として、国体出場。 明治大学商学部進学後は、体育会バスケットボール部に属しインカレ三連覇に貢献する。1973年大丸入社。大阪・梅田店営業企画部長、百貨店業務本部営業改革推進室部長などを経て2003年、13人抜きで役員経験なしで社長に就任。 2007年大丸と松坂屋の経営統合に伴い設立された持ち株会社のJ.フロント リテイリング取締役。2010年、大丸、松坂屋百貨店社長に就任。 2013年4月、J.フロント リテイリング社長になった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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