まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

コスモスの 揺れてさやかに 遍路塾

2017年09月30日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は高気圧に覆われるため晴れていた。気温は16.1度から26.1度、湿度は86%から38%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の10月1日は、引き続き高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷や湿った空気の影響で夜は雲が広がる見込みらしい。

 

 すっかりと、秋らしくなってきて、今日は全国的に9月30日の土曜日。今月最後のお役目がここであった。いつもの、さぬき市前山の「前山地区活性化センター」である。

 

 ここで、香川県退職公務員連盟の研修会があり、30名ほどの会員さんがやってきた。学校の先生が多かったように思う。

 

 まずは渡邊会長がお遍路について45分ほど講話をした。

 

 講義の裏で、私たちは待機。その間に、前田チーフガイドには左のガイドブックをプレゼントした。右が私のもの。

 

 もうひとりの寒川さんには、こういうセットをお渡しした。これで、メンバー全員にA5版のガイドマニュアルをお渡ししたことになる。

 

 私たちは、ここにある「へんろ資料展示室」での解説がお役目。なぜ、お遍路をするのか。なぜ、八十八ヶ所なのか、なぜ、遍路というのか・・・みたいなことだ。

 

 こちらが遍路資料展示室の内部。初代館長の木村さんたちが集めたり、協力を仰いで収集した物や寄付されたものが並べられている。

 

 かつては、勉強の嫌いな子供だった私たちが、私たちの子供を教えた先生たちに講義をするのだからおかしなものだ。

 

 ま、そういう私たちだって、にわか勉強の泥縄講話になるのは仕方がない。この左端の先生が、うちの娘の担任だった先生だ。

 

 この前田チーフガイドは、三期生で、もう、8年ほどボランティアガイドをやっているベテランだが、家は真宗で元はポストマン。好きこそものの上手なれ・・・だ。

 

 今日で9月はおしまい。今月も入院することなく、なんとか生活できた。今月もなんだかんだと言いながらスケジュールをこなすことができた。

 

  今日の掲示板はこれ。「ときどきは息抜きをする それが生き抜く力となる」というもの。お遍路の先生である「櫻谷大先達」さんが言うことばに、「お遍路は三こうである。健康(けんこう)・観光(かんこう)・信仰(しんこう)である」らしいし、そのお弟子になった白山さんは、「年寄りは、今日行く(教育)、今日、用(教養)が大切でっせ~」というが、似たような発想だなと思った。私は毎日、息抜きばかりをやっているのだけれど。

 

じゃぁ、また、明日、会えると、いいね。


走り去る 時の流れや 秋の萩

2017年09月29日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は16.8度から26.0度、湿度は92%から58%、風は1mから4mの西北西の風が少しばかり。明日の30日は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 ようやくに秋らしい朝になってきた。朝方は肌寒くて、何を着ようかと考えたほど。でも日中になると暑くなってきた。暑いと言うても26度だけれど。

 

 朝、ふと、リビングを見ると、奥方の赤い携帯電話が残っている。それはあかんでしょ・・・と、奥方の職場まで届けてきた。車で25分ほどのところ。

 

 そこから、高松市内の香川県立図書館にやってきた。少しばかり、アキニレの葉っぱが黄色くなってきた。足下には細くて小さな葉っぱが落ちるようになった。

 

 赤く紅葉している葉っぱもあった。少しずつ、秋の色になってきている。

 

 いつものように、5冊の本を返却して5冊の本を借りてきた。

 

 帰りにスーパーに立ち寄ってトイレ休憩。そして少しばかりのお買い物。奥方と私のガソリンとなるお飲み物も。 

 

 高松の仲間に、新しいA5版のガイドマニュアルと仏教語辞典を送っておくことにした。

 

 で、郵便局から「冊子」小包として郵送しておいた。明日の研修会の案内をすっかりと忘れていたのだった。

 

 で、銀行にも立ち寄って、通帳記載をして、今月の会計処理の準備。今日も結構の距離を走ってきた。午後からも、それくらい走ったのだけれど。

 

 そうそう、冊子印刷ができるプリンターがないので、できるというレーザープリンターを買ったのだけれど、変な冊子になってしまって役に立たない。何かの設定誤りだと思うのだが、オンライン・マニュアルしかないが、それを見ても冊子印刷の記事はない。

 

 いろいろやってみるのだが、なかなか難しそう。表紙印刷はちゃんとできたのだが、本文が変になってしまう。慣れていくしかないな。

 

 今日の掲示板はこれ。「すぎさりし日は私の深さであり 来たる日は私の広さとなる。今、このひとときをていねいに生きよう」というもの。これまた、どこのどなたのことばかは分からないが、まさにこの言葉とおり・・・。今のひとときを、丁寧に、丹念に、コツコツと生きていきたいものである。そうすれば、私の深さも私の広さもぐんと、その領域を益すことになるだろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


見残した 昨日の夢の 金木犀

2017年09月28日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、昼前まで雨が降っていた。気温は22.4度から24.5度、湿度は94%から70%、風は2mから4mの北北西の風が少しばかり。明日の29日は、高気圧に覆われて晴れるらしい。

 

 今日も朝から雨。雨の日や湿度の高い日は呼吸困難になる。夏の前から梅雨状態が続き、秋になっても梅雨状態。かなわんな~。とうとう、夏は来ずじまい。

 

 頂いた、長尾寺編の観光ガイドブックをスキャナーで読み込んでファイルに落とした。それを昨夜、修正作業をやった。「経幢」とか「嶰ノ口(かいのくち)」とか、「荼枳尼天(だきにてん)」とかの難字に手こずった。

 

 100円ショップで買った、ブックカバーである。

 

 本文を綴じて、少し厚めの見返りを付けた。仮表紙みたいなものだ。

 

 で、そのブックカバーに挟んで、「題箋」を貼り付けたら、丈夫なガイドブックができあがった。

 

 それはそれとして、これを、無くならないうちに配っておかねば・・・。頂戴、頂戴とついつい・・。

 

 それをメンバーさんに配達する準備をして・・・。

 

 町内のメンバーさんのお宅へ配達してから、このお寺にやってきた。このお寺の奥さん(大黒さん)もメンバーなのである。ココは昔は「真言宗大覚寺派」だったのだが、現在は善通寺派で、別格本山である。こんな立派なお寺へ「仏教語辞典」を配達するんか・・・。

 

 天長六年(829)の開基というのだからすごいもんだ。で、本尊阿弥陀如来と脇士不動明王はともに恵心僧都の作という。この本堂も元文四年(1739)に建てられたものだそうだ。こんな立派なお寺の奥さんならば、私らの先生ではないか。

 

 この先生とは、この土曜日にお会いするので、その時に渡そう。あと、男性二人も、土曜日に来るはず。

 

  今日の掲示板はこれ。「葦と書いてもヨシと読む 勝手に決めるな人の善し悪し」というもの。葦(よし)は、葦(あし)のアシと読む音が「悪(あ)し」に通じるのを忌んで、「善し」に因んでヨシというようになったそうで、「悪し」の気持をもって葦の髄をのぞくともっと良くない結果になるのかも。ただ、ものごとの「音」や「ひびき」などで、勝手に、「あし」だの「よし」だのと変えられてはたまらない。人の善し悪しも気分次第で言い換えられたのではたまったものではない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


かまきりが たどり着いたら 金木犀

2017年09月27日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、低気圧や前線の影響で雨や雷雨となり、夜は激しく降る所がある見込みらしい。気温は21.5度から26.6度、湿度は81%から90%、風は2mから4mの東南東の風が少しばかり。明日の28日は、低気圧や前線の影響で朝まで雨が降り、明け方まで雷を伴い、激しく降る所があるらしい。

 

 今日は朝から曇っていて蒸し暑い朝になった。だから、呼吸が苦しくなるし、奥方がお休みなもので外出はできない。外出しようとすると、「どこに行くの?」「何しに行くの?」「1人で行くの・・」とうるさいので、じっと我慢の子であった。

 

 さて、昨日のこと。「どうだ、これは・・・」と、みんなに見せたら、「あ、頂戴・・・」という人がいて、メンバー用のものは少なくなった。それじゃあ、ダメじゃん。春風亭昇太。

 

 で、仕方がないから、またもや印刷して製本して・・・。

 

 こんなことばっかり、やってるんだ。

 

 さて、写真を抜いて、文字ばかりにして、12ポイントの大きな字にして、「お年寄り用」のA5版両面印刷の小冊子用データを作り直してみた。

 

 で、大窪寺行きの「コミュニティバス」の時刻表のQRコードも貼り付けてみたし、

 

 長尾寺から大窪寺間の金融機関やコンビニ、医療機関、食事処などのデーターも追加してみた。

 

 でも、少しばかり縮小されているようで、余白が多くて文字が小さい。12ポイントにしたのに小さくなってしまう。余白をいじると、紙面が大きくずれてしまうし・・。またしても失敗。我が家のプリンターでは無理だ。

 

 ま、試作品はできたのだから、それはそれとして、この「長尾寺編」を、私の作成法で作り直してみようとやってみた。

 

 OCRソフトの「読んde!!ココ」を起動して、この長尾寺編をデータ化して、うちのひな形に流し込んでみることにした。

 

 このプリンターはスキャナーとしてしか使っていない。このプリンターにも「冊子印刷」はなかった。

 

 わずか、22ページのA5版なのに、しっかりと二時間半あまりもかかってしまった。読み取ったものを修正したり、文章にするのに手間がかかったのだ。文字化けもあるし、段落が飛ぶし。

 

 そんなことで、一日はあっという間に過ぎてしまうのだった。

 

  今日の掲示板はこれ。「人生は凸凹道だ 平坦な道はない」というもの。良くないことの後には必ず良いことがある。人生において平坦な道などはない。山あり谷ありで、まるででこぼこ道だ。人生を楽しむと言うことは、道をどう歩むかを判断し、歩き方を楽しむことであるような気がしている。お釈迦さんは、「人生は苦である」と悟られた。平坦な道ではないことを学ばれたのだろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


金木犀 咲いてこの日を 良しとする

2017年09月26日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は19.0度から27.0度、湿度は94%から70%、風は1mから3mの東南東の風が少しばかり。明日の27日は、低気圧や前線の影響で昼過ぎから雨が降る見込みで、夕方からは雷を伴う所があるらしい。

 

 今日は全国的に9月最後の火曜日・・・ということで、恒例の前山地区活性化センターに出勤だった。

 

 で、「これで、どうだ」みたいに、A5版のガイドマニュアルを並べたら・・・

 

 長尾寺担当の青野さんが・・・

 

 「こんなもの、作りましたけど・・・」と取り出したのがこれ・・・。

 

 私がやろうとして、ギブアップしていた、A5版の両面印刷・・・。思わず、目が点・・・。会長までもが、「あ、簡単やで・・。知らんかったん??」

 

 うちの、この、レーザープリンターでは、どうやってもできないみたい。マニュアルを開いても「冊子印刷」という項目はない。いくらやっても、長い屏風かお経の折本みたいになってしまう。ダメだ、こりゃぁ・・。

 

 そこで、このインクジェットタイプのプリンターでやってみた。

 

 これだと冊子印刷はできたのだけれど・・・

 

 こういう、カラー版の印刷になった。それだし、文字が小さい。これでは読みにくいし、ページ数が多くなって印刷費がかさんでしまう。

 

 別なプリンターでやってみると、モノクロにはなったが、やはり、読みにくい。元の原稿からやり直しになった。でも、インクジェットで十数部作るとなると、インク代がなぁ・・。

 

 そうそう、若い頃に使っていた「ホッチくる」というステップラーを久々に取り出してきた。

 

 中綴じ用とか、筒を作るときとか、箱を組み立てる時なんぞに使ったもの。

 

 縦でも横でも綴じられたもの。薄い本は使わなくなって、たまに贈呈用の本の収納箱用に使ったりしたもの。今は、「平綴じ」とか「和綴じ」で、こういうものでは厚さが足りなくなった。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分から回っている気の風車」というもので、いつもの赤松先生のお寺の掲示板からのおことばである。『仏説譬喩経』の「黒白二鼠のたとえ」がある。(以下概要)

 一人の旅人が悪ゾウに追いかけられ、木の根を伝って井戸の中に逃げ込んだ。ほっとするのもつかの間、目の前に黒と白のネズミが出てきて、代わる代わる木の根をかじり出した。下を見れば大きな毒蛇が口を開けて旅人が落ちてくるのを待ちかまえている。このままでは確実に根は切れて、大蛇に食べられてしまうことになる。そこに、木の根のミツバチの巣から甘い五滴の蜜が口の中に落ちてきた。その甘さに心が奪われ、もっと蜜をなめたいと思って、旅人は今にも切れそうな木の根をゆすりだした…。(以上)

 ゾウとは時間の流れ、井戸の中の大蛇は私を待ち構える死の影、木の根は自分の寿命のこと、黒白のネズミは夜と昼のこと、すなわち私のいのちが一日一日と死に近づいていることのたとえである。五滴の蜜とは、そんなきわめて危機的な状況も忘れて、食欲、色欲、睡眠欲、名誉欲、財欲という日常的な欲望にうつつをぬかしていることをいうのである。生きる目的は、金でもなければ財でも名誉でもない。「人身受け難し、今すでに受く」(よくぞ人間に生まれたものだ)と生命の尊厳と歓喜に目覚めて生きることなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


あでやかに 耕作放棄の 曼珠沙華

2017年09月25日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は18.8度から27.0度、湿度は94%から57%、風は0mから2mの北東の風が少しばかり。明日の26日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 当面の大きなお仕事は片付いたみたい。夏休みの自由研究の、「大窪寺観光ガイドブック」と、「寒川家俵札調査報告書」も片付いたし。その疲れが出た物か、妙に眠たくて仕方ないし、下の奥歯がひどく痛み出した。

 

 我が家のキンモクセイの色がはっきりとしてきた。香りの方は一向に感じない。

 

 生物の保全上、ひどく危険な臭い以外は感じなくても生きていく上で必要でなくなったのかも知れない。それだとしたら、青木まり子現象は危険な臭いを感じるのかも知れない。

 

 じっとしていると、痛みが増してくるばかりなので、少しばかりドライブをしてきた。最明寺と書いて「さいみょうじ」と読むらしい。真言宗のお寺らしい。香川県高松市塩江町安原下というところにある。

 

 大宝元年、僧行基が楽師如来を彫り安置したと言われる。シーズンになると境内一面に咲き誇る萩の花にちなみ萩寺とも呼ばれ、毎年9月には萩まつりが開催された。

 

  41世の明圓和尚が、一株のミヤギノハギの優美な姿に魅了されたことに始まり、今では約20品種1500株の萩が境内に咲き誇り、萩寺として知られる。

 

 萩といえば赤紫色の花で知られるが、この境内では白色の花が混ざり合い、コントラストを作り出していた。

 

 東かがわ市五名地区で見た曼珠沙華。昔は、田圃の畦が崩れるのを防ぐために植えたもの。根っこに毒があるためにもぐらが近寄らないのだとか。

 

 だから、田圃の畦には数百本の曼珠沙華。

 

 我が家のそばでも曼珠沙華。これを見ると秋だなぁとは思うのだが、日中はなかなかに暑かった。

 

 これは、東かがわ市入野山という地区にある「三宝寺(さんぼうじ)」さんの「菩提樹」である。

 

 ここの菩提樹が香川県下では最大の物とされているそうな。

 

 ここの山門脇にあるイチョウもきれいだが、まだまだ紅葉にはほど遠い感じだった。

  

 今日の掲示板はこれ。「人間必ず死ぬ 病気にもなる この身の事実から目をそむける事 それを迷いという」というもの。生まれたものは必ず死ぬことになっている。しかし、死ぬために生まれてきたのではなく、死ぬために生きているのでもない。 未来のために現在があるのではないし、現在のために過去があったのではない。その時の「今」こそかけがえのない「いのちの時」である。 過去に縛られることなく、未来を追うことなく、過去によって成り、未来を生む「今」を大切にしたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

「萩の寺」とも呼ばれ、宮城野萩を中心に約300株のハギが植えられている。例年は9月中旬に見ごろを迎えるが、今年は少し早めに咲き始…
「萩の寺」とも呼ばれ、宮城野萩を中心に約300株のハギが植えられている。例年は9月中旬に見ごろを迎えるが、今年は少し早めに咲き始…

キンモクセイ お墓参りの 日が暮れる

2017年09月24日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で曇っていた。気温は19.7度から25.8度、湿度は92%から63%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の25日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 昨夜、大騒ぎした弟たちは、朝の5時半に目覚めると蜘蛛の子を散らすように帰って行った。娘も用事があるとかですっ飛んで帰ってしまったし、奥方も6時半になると出勤していった。後には私1人が残るのみ・・・。

 

 空っぽになったビールサーバーを片付ける。ボンベはボンベ、サーバーはサーバーと、ボルトを緩め、解体する。それを玄関まで運んでおく。下に敷いていたビニール・シートも外のウッドデッキに並べて干しておく。こぼれた水やビールなんぞもきれいに拭き取っておく。

 

 例の「大窪寺観光ガイドブック」は一応の完結をみた。これを、明後日の打合会で見て貰って、後のことを考えることにする。一応、大窪寺班のメンバー用のガイドブックや仏教語辞典も完成している。あとは、配布するばかり。

 

 私用のマニュアルにインデックスをつけておく。別に意味はないのだが、真宗聖典にはこうしてあるので、まねてみただけ。要は「かっこづけ」なのだ。いかにも活用するみたいに見えるだけ。

 

 それが終わると、担当地区内のパトロールと、依頼されていた調査の確認作業。

 

 このように、75歳以上の独居老人、80歳以上の高齢者、85歳以上の独居老人、85歳以上の老人家庭、寝たきり老人の調査、認知症老人調査などなど・・。

 

 一応は、高齢者名簿とか、自分で調査した担当地区内居住者名簿などからリストアップはできている。それが正しいかどうかを確認していく作業である。

 

 該当の方には、「おはぎ二個」を配ってきたのだけれど、今年は、おはぎかティッシュペーパー5箱か・・・ということになったらしい。これを聞いて回ったら、今年は全員がティッシュがいいと答えた。それはそうかも・・・。

 

 今まで、ノーマークだった人が「75歳独居老人」になったり、ご主人がつまずいたことから入院して、介護施設に入って、75歳以上の独居老人になったりした。また、寝たきりの人が入所してしまったり、おなくなりになったりと、名簿の修正が相次いだ。

 

 ここのおじさんも元気で軽トラに乗って走れるようになった。で、77歳ということで、75歳以上の独居老人のリスト入りした。

 

 暑い暑いと言うていたのに、気がつけば、いつの間にか、キンモクセイの花が開いてきた。

 

 暑さ寒さも彼岸まで・・・ということか。秋と言えば、今週いっぱいで9月も終わるのか。

 

 今日の掲示板はこれ。本文とは全く関係ないが、「人生は、いつもいつも第一志望ばかり歩けるものでない。そして必ずしも、第一志望の道を歩くことだけが、自分にとって最良と言えないことだってあるのだ。」という渡辺和子さんの言葉から。第一志望を歩けなかった私である。これまでの私の道がベストなのかどうかはわからない。あれこれとさまよいながら、それでもやりたいことをやってきたような気もしないでもない。体が動くのであれば、これからもなお、あれこれと手探りながら、試行錯誤しながら年齢を重ねた方が返っていいことなのだと考えてもいる。だから、日々勉強だと思っている。色々な人に出逢い、いろいろな風景に出逢い、その時々を見ていきたいと考えている。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


法水の 流れて清し 秋彼岸

2017年09月23日 | たまにはご法務

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていた。気温は19.0度から27.8度、湿度は92%から66%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の25日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 この花は、お彼岸を知っているのか、決まってこの時期に咲く。今年は遅いなぁ・・と思っていても、お彼岸が近づけば律儀に花を咲かせる。

 

 さて、大窪寺観光ガイドマニュアルも大詰めを迎えて、メンバー用の「仏教語辞典」の作成に入った。いつものA4版のマニュアルから、その半分のA5版のサイズダウンしたものにする。

 

 だから、表紙は和紙にしてみた。表紙は使いやすいようにソフトカバーにしてみた。

 

 こちらは女性用。華やかなものにしてみた。男性には濃紺の落ち着いたものにしてみた。

 

 私の物は、バインダー形式で、マニュアルと仏教語辞典をミックスにしてある。こちらはハードカバー形式。私は、マニュアルは持たないタイプ。もう、マニュアルのほとんどが頭の中に入っている。

 

 10時過ぎに我が家を出て、勝覚寺に入った。海暁山海暁閣勝覚寺という。天正十四年(1586)、徳島県、板西城主・赤沢信濃守の子息、正本法師は、丹生村小砂に勝覚寺を建立した。貞亨元年(1684)に、第九世・願故法師は、小砂坊を三本松に移し、堂宇を建立し今日に至っている。現在の明海住職は、第二十五世になり、開基以来四二五年の法灯を継承している。

 

 例年、このお彼岸の中日のこの日に、秋の永代経のおつとめになる。で、いつも、この日に、行事や講演会やガイド役を引き受けてしまって大騒ぎになる。今年も、我が家での「BBQパーティー」を引き受けてしまったのだ。

 

 だから、生ビールのサーバーの設置やら、BBQコンロの準備なども済ませておいてからの出勤になった。

 

 この、秋の永代経のご講師は、佐々木安徳先生。「愛顔敬語」、良き言葉を聞きなさい・・・というようなお話だった。いつもの、シルバー川柳を使ってのお話だった。

 

 お話が終わると、我が家へ一直線。もう、弟たちはお墓参りを済ませてバーベキューの準備中。みんな、忙しい・・・と言いながら、それでも、16時からは佳境に入った。

 

 今回は、お年寄りバージョンと言うことだし、孫たちは試験だ模試だと来ないものだから、量も控えめ。

 

 夕方からは室内でカラオケ大会。弟二人は歌う曲目が大幅に増えている。とにかく、歌ってばかりいる。三男の「たっくん」なんぞは、去年あたりは昔の山男たちが歌う歌をトンチンカンな音程で歌っていたのだが、最近は歌謡曲からJポップまで歌ってばかりいる。どこで、そんな歌を覚えたのか・・・と、みんなが驚いている。

 

  今日の掲示板はこれ。「どうにもならないことは忘れることが幸福だ」というドイツのことわざからの言葉である。中国の孔子も言っている。『虐待されようと、強奪されようと、忘れてしまえばどうということはない。』と。時間というのは幸か不幸か一次元に流れる。人間はそれに合わせて生きていくことしかできない。それに逆らうことが出来ないのだ。 その圧倒的な力のせいで、人は死ぬこともあるが、そのおかげで生かされることもある。それが『忘れる』ということだ。時に人は、遠い記憶の彼方に忘れたい現実を置いて、自分の時を、前に進めるのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


しっとりと しぐれて行くか 秋彼岸

2017年09月22日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で、雨が降っている。気温はぐんと下がって19.3度から23.0度、湿度は80%から96%、風は2mから4mの東の風が少しばかり。明日の23日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 小雨が降っていたので、大きな目立つ草やゴミを片付けてお墓の掃除とした。仏花はお彼岸だからお値段するので、山から「シキミ(樒)」を切ってきてお供えとした。

 

 先日の台風18号で、水中ポンプが動かなくなったので川におりてみた。

 

 市中ポンプは砂の中に埋まってしまっていた。それを掘り出して、川の流れの中に沈めておいた。

 

 これで、奥方の「お願い」通りに、タンク一杯の水が揚がった。おかげで全身ずぶ濡れになった。

 

 雨は一段と強くなってきた。シャワーを浴びて着替えをして、あとはパソコン三昧になる。

 

 昨日、文具屋さんで買った和紙を表紙にして、「和綴じ」にしてみた。今度は糸がクッキリと見えるようになった。

 

 昨日、ホームセンターで買ってきた、A5版のリングファイルをベースにして、上等の和紙でくるんでみた。

 

 これには、ガイドマニュアルと、仏教語辞典も綴じてみた。まるで法話用の「聖典」みたいになった。

 

 次には、孫用の色画用紙を使って表紙を作ってみた。印刷用紙に入っている保護用の厚紙を使って「板紙」にしてみた。

 

 そうすると、このようなハード・カバーの上製本になった。中身のレイアウトにも変化をつけてみた。

 

 これは、100円ショップで買ったノートなのだが、使わずに本棚にあったもの。そのノート部分を外して捨てて、代わりにマニュアルを挟んでみた。

 

 火曜日に、「マニュアルはA5版にする」と言われた時は、「参ったなぁ・・、どうすべえや・・」と思ったのだが、あっという間に、いろんなタイプのマニュアルができた。本番のマニュアルは中身の構成方法。他のグループのやり方がわからない。来週にでも突き合わせが必要なのだがな。

 

 こちらは、A4版で、左から、「仏教語辞典」、真ん中は「ガイドマニュアル」、右は、マニュアル+仏教語辞典の総合版。

 

  今日の掲示板はこれ。「人はみな 生まれて生きて死ぬ 何急ぐ なぜ急ぐ 死を問わず」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板にあった言葉である。人はみな、生まれて、生きて、老いて、病を得て死んでゆく。人は、なぜに生まれたかを知ろうともせず、いかに生きるべきかを問いつつも、なぜに生きているかを問われ、作り上げられた理想は崩れ去る。生きているのは偶然、死んでゆくのは必然。されど人は思う。生は必然、死は偶然と。昨日死んでいても不思議でない私が、今生きていることの不思議さ。人は必然する死を忘れて今を生きる。けれど、死は一刻たりとも私を忘れてはくれない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


曼珠沙華 恥ずかしいほどの 赤である

2017年09月21日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は18.4度から26.8度、湿度は86%から54%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の22日は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎから雨の降る所がある見込みらしい。

 

 彼岸花を探してさぬき市中を走り回ったこともあったが、お彼岸が近くなると、我が家周辺でも、これ、この通りの彼岸花・・・。時期が来れば顔を出す律儀さというか、ひたむきさ。

 

 朝方の夢で、マニュアルを両面印刷することを考えたので、起きるとすぐにやってみた。最初の4,1,2,3という一枚を両面印刷するのに1時間以上もかかってしまった。こんな簡単なことなのに、これがまた、難しいのだ。で、二枚目の8,5,6,7・・・になると、何が何だかわからなくなってしまった。

 

 これはダメだ・・ということで、高松市林町にある「香川県立図書館」にやってきた。借りていた5冊の本を返却して、また、別な5冊を借りてきた。

 

 印刷や製本には全く関係のない本だった。ときどき、こんな意味のないことをしてしまう。みんな、「青木まりこ現象」のせいである。この現象は図書館を出ると、きれいさっぱり消えてしまうのだ。

 

 だから、こんなホームセンターでは出現しない。ここやほかの町のホームセンターなど数店舗で、製本の材料になるものはないかと探してみたけれど、全く、参考にもならないものばかり。

 

 帰宅してから、残っていた和紙を使って、ハードタイプの「上製本」の本を作ってみた。

 

 ワイシャツなどを買った時に付いてくるボール紙で表紙の板紙にし、和紙でくるんで、印刷用紙で仕上げる。もちろん、真ん中の「背」にもボール紙が入っている。

 

 そうすると、こういうものができあがる。

 

 そこへ本文を載せてのり付けすると、製本ができあがる。

 

 昨日と同じように、「題箋」を貼り付けるとできあがり。

 

 お昼からも、ホームセンターを二店回り、手応えがないので、東かがわ市にある文具屋さんにやってきた。ここでも表紙になるような材料を見つけることができなかった。

 

 なかなかに、A5版タイプのファイルやファイリングは数が少なくて・・・。

 

 でも、A5用のブックカバーと、藍色の和紙を見つけてきた。明日は、これで表紙を飾ってみよう。

 

 今日の掲示板はこれ。「境遇や環境を選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる」という、渡辺和子さんの著書、「置かれた場所で咲きなさい」の中からのことばである。「こんなはずじゃなかった」と思ったこと。あなたは、今日まで生きてきて何回あっただろうか。受験に失敗し不本意な進学をしたこと。目標を持ち、仕事をしていても会社に馴染めない自分。結婚し幸せになれると思ったが、理想とは違う現実。人生は嬉しいことも嫌なこともある。山あり谷ありだ。しかし、人は闇の中で、もがき苦しんでいるとき、自分も周りも見えなくなる。辛く悲しい気持ちは、脳を、身体をすべてを麻痺させる。今回紹介する本は、渡辺和子著「置かれた場所で咲きなさい」というエッセイ集。著者はシスターであり、岡山市にあるノートルダム清心学園の理事長だった。聖書の教えなどを交え、生き方や人生の在り方を説いたこの本は、悩める人々の心の支えになった。160万部のベストセラーである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


コスモスは きらめく露の そのままに

2017年09月20日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、気圧の谷の影響で曇っており、雨の降っている所があった。気温は21.4度から28.1度、湿度は78%から56%、風は2mkら6mの西の風が少しばかり。明日の21日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 ドクターの都合で、予約診察日は10月の12日なのだが、それだと薬代が数万円になるので、分割してもらった。それで、半分を処方してもらうために病院にやってきた。

 

 ドクターの診察なしで処方箋だけいただいて薬だけ処方してもらった。

 

 それでも28,260円。これの倍だと56,520円かぁ・・・。すごいなぁ。

 

 昨年あたりは、二日に一回呑んで薬代を節約できたのだが、最近は飲み忘れると午後からは呼吸困難に陥ってしまって、慌てて薬を飲むようになった。だんだんと薬になれてきたみたい。

 

 さて、ガイドマニュアルだが、俳句集のパターンのページに、大窪寺の来歴なるものをコピペして流し込んだら、簡単にA5版のマニュアルが作れてしまったではないか。

 

 それでは・・・ということで、古いカレンダーを選んで表紙を作ることにした。

 

 表紙を作る作業だが、「アルコール中毒」でもないのに、手が震えたり指が固まってしまったりして、うまくいかなくなった。

 

 最後に「題箋」を張ってできあがり。

 

 もう一冊は和紙で表紙を作って「和綴じ」にしてみた。千枚通しで糸穴を明けておいて。

 

 たこ糸で閉じるのだが、この針に糸を通すのに苦労してしまった。目もどんどんと見えなくなってきている。右目の白内障が進んできているが、まだ、手術する段階ではないという。

 

 で、今日は、この二冊のA5版のマニュアルができあがった。

 

 字も高齢者用に少し大きくしてみた。

 

 今日の掲示板はこれ。「小さきは小さきままに、折れたるは折れたるままに、コスモスの花咲く。どんなに茎が折れ曲がっていようが、花びらがいかに小さかろうが、咲いた花は美しいのだという「しいのみ学園」の園長さんの曻地(しょうち)三郎さんのことばから。

  『博多湾に浮かぶ能古島があり、この島の頂き近くには「折れたコスモス」と題された歌碑がある。「小さきは 小さきままに 折れたるは 折れたるままに コスモスの花咲く」。この歌の作者は、現在110歳にもならんとし、世界各国で特殊教育の講演を続けておられる元福岡教育大学教授・昇地三郎氏である。昇地三郎氏は、ご自身のお子さんが二人とも障害児として生まれ、当時は特殊教育も発達していなかったために、自ら福岡市南区井尻に「しいのみ学園」を設立され、試行錯誤の末に日本の特殊教育の先駆者となられた。ご子息二人はすでに亡くなられたが、能古島の「折れたコスモス」の歌碑は、日本の特殊教育の「記念碑」ともなったのである。

 ではどうしてこの記念碑が能古島に建つことになったのだろうか。ことの発端は、能古小学校出身で当時高校二年生の上村啓二君が交通事故で亡くなったことであった。この上村君は、能古小学校時代に書いた作文で小中学校作文コンク-ルで西日本新聞社・テレビ賞(1978年)を受賞したことがあった。その中に次のような一節があった。

 「その倒れたコスモスの茎にはナイフで切られた跡があった。つぼみも小さく横に倒れていた。コスモスの先を手で触ったえら、そのときしずくがぽつんとなみだのように手のひらに落ちた。秋も深まった日、いつしかコスモスを見に行った。白・赤・紫のコスモスの花が群れになって咲いている中を一生懸命に探した。やっと見つけることができた。他のコスモスの花と違って、ちょっと小さな花が三つほど咲いていた。小さい。でも、僕にはその三つの花が、一番美しくかわいく見えた。今は泣いていないようだった。」

 福岡教育大学での昇地三郎氏の教え子達の間で、氏の長年の功績に対する記念碑を建てようという動きが起こった。その教え子の中には、特殊教育を専攻した歌手(俳優?)の武田鉄矢もいた。この上村君の「倒れたコスモス」と昇地氏の「折れたコスモス」を結びつけたのが、能古小学校校長の中野明氏であった。中野校長は、教育大学のかつての先生である昇地氏の碑を何処に建てるか土地を探していた時、その教え子中野校長に上村君の父から、「息子が交通事故で亡くなった道路沿いの土地に歌碑を建ててください」と要望され、歌碑建立の運びとなったのである。昇地三郎氏が障害をもつ二人のご子息への思い、交通事故で息子を失った上村君の両親の思いが、「コスモス」という花を介して交叉したといえる。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


落ち栗は 拾われもせず 一個二個

2017年09月19日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は20.6度から28.8度、湿度は91%から56%、風は1mから4mの西の風が少しばかり。明日の20日は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 ようやくに秋晴れらしい天候になってきた。気温は若干、まだ高めのような気がする。

 

 今日は全国的に火曜日・・・ということで、今日も「前山地区活性化センター」に出勤の日。

 

 今日は、この男性二人組は、「飯田家」の俵札調査のデーター確認中。古い納め札の文字を確認している。女性三人は情報交換中。私の作った観光ガイドブックを見ながら、あれやこれやと女子会中。

 

 この「仏教語辞典」は評判が芳しくない。やはり、本体内にまとめたほうがいいようだ。それはそれとして、最終のガイドブックは、A4版二つ折りのA5版にしたいそうだ。そのほうが持ち運びには便利だが、どういう項目にまとめるかが問題だ。あんまり、ページ数が多くなっても重くなるばかり。

 

 これが、A5版で、私の俳句集はこういうタイプ。ま、こういうイメージのガイドマニュアルにしたいのだろう。

 

 これは、俳句集だから少し大きい文字にしてあるが、高齢者が多いのだから少し文字が大きい方がありがたいのだが・・。情報量が制限されるし。

 

 今日は特別なお客様がやってきて、外国人の歩き遍路をサポートしたいのだが・・というお話を持ち込んできた。私と会長が応対したのだけれど。

 

 一人で歩き遍路をやっていて、急な病気やけがに対するアシストについて・・とかのお話とか、世界遺産登録に関するサポート案とかのお話と相談だった。トイレの場所とか、急病の場合の連絡先とか、コンビニ情報とか・・・。

 

 志度寺さんの副住職さんとか、四国霊場6番の安楽寺さんとか、あちこちで相談や意見を聞いて歩いているらしい。で、おへんろ交流サロンで、歩き遍路の数とか、国籍別数字とかを調べに来たついでらしい。

 

 ま、外国の人に限らず、最近はスマホ片手のお遍路だから、困ったときにはすぐスマホやタブレットで調べることができるので、どんなことで困るのか・・・みたいなことだった。

 

 暑い暑いといいながら、いつのまにか、秋は近づいてきているらしい。私たちもうっかりとしてはいられない。A5版タイプのガイドマニュアルを考えてみなければ。

 

 この報告書も一応の完結を見た。

 

 今日の掲示板はこれ。「"人"の"為"と書いたら "偽り"という字になりました」というもの。「人の為」だと思って物事を為すことは尊いことである。「人の為」と思うからこそ、物事を為すことができるのかもしれない。しかし、たとえ純粋な想いで始めたことでも、いつの頃からか「お礼を言われなかった」「誉められなかった」「見返りがなかった」など、不平不満の気持ちが溢れて来るもの。そのことを否定する つもりは毛頭ないけれど、本当に「人の為」を想ってのことなのかどうか、自分を中心に考えていなかったか?不平不満が出たときにこそ、問い返されることである。「偽り」と表現すると、わたしの想いや行動を否定されるように聞こえるかもしれないけれど、そうではなくて鏡のことばとして受け止めよう。「偽り」とは、わたしの姿を映し出していることばなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


秋晴れに 歴史を知らぬ 曼珠沙華

2017年09月18日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は、台風一過、高気圧に覆われて晴れていた。気温は23.0度から27.9度、湿度は78%から64%、風は3mから1mの西の風が少しばかり。明日の19日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 大きな台風だと言われた割に、このあたりでは、そんなに大きな被害も見聞きしなかった。我が家も少しの被害もない。

 

 明日(9月19日)が前山出勤の日だというので、提出用の「大窪寺ガイドマニュアル」の正式版を作っていたが、作るたんびに、様式が少しばかり違ってくる。認知が進んできた物か、手先の感覚が鈍くなってきた物か。作るたんびにページ数が違ってくる。

 

 この「仏教語辞典」は無駄だから、本編の中に組み込んだらどうか・・という気になってやってみたら、これがまた、ページ数が会わなくなってくる。とんちんかんな私になったものだ。

 

 同行さんは10時半集合でお願いします・・ということだったので、10時半に来たら、まだ、誰もいなかった。ご遺族さんは二階の控え室とかでお食事をしているらしかった。「たちはの飯」とかいう、故人さんと最後のお食事らしい。

 

 故人さんの娘さんが、小学校、中学校の同級生だったので、「みっちょちゃんのお母さん」くらいしか記憶がない。10年前には自治会も違っていたこともあるし。

 

 昨日には、こういうことで、「ご香典は受け取らないように・・・」ということで、受付のお仕事はいらない・・ということだったのだが、「議員さんは受け取って、氏名を確認すること」、「親族は喪主宛にお香典を渡すように」、「喪主は忙しいので、親族は受け取って記帳すること」といかと、いろいろ変更になったが、受付で、「おたくは親族ですか」などと一線が引けなくなった。

 

 一般の方でも、「母の時にお香典をいただいたのに・・」とかと言われるとどうしようもない。

 

 結局の薬局で、親族以外の方もお香典を頂くはめになってしまった。開式は12時少し前。ここも名家と言われていたおうちだが、家族葬とか「小さいお葬式」とかで、会社関係には知らせないとかで、数十名ほどの参列者だった。喪主が年金生活者だと、小さなお葬式にするしかない傾向にあるらしい。

 

 皆さんが斎場に出掛けた合間に、葬儀社の若い方のお話を聞いたところでは、だんだんと、小さくなっていく傾向にあるらしい。お生花とか盛りかごの数も減る傾向にあるし、お坊さんの数も減らすし、院号も求めないとか、エコな葬儀を望む傾向にあるとか・・。

 

 こういった、初七日引き上げのおつとめも、「エコ化」なのかも知れない。15時半だった。

 

 その後の「精進あげ」のお食事もムダを省くように綿密な計算と消去法が必要とのこと。余っても困るが足りなくて失礼しても困るので、遺族分は手を付けないで、余ったら食べるようにするとか・・。年金が少なくなる一方なのだから、葬儀費用をいかに切り詰めるか・・そこがポイントらしい。お寺さんにはお寺さんの言い分があるのだけれど。今日は黙って聞いていた。

 

 「ご遺族のみなさんもお疲れでしょうから・・」ということで、私たちは早々に失礼したことだった。16時少し前だった。

 

  今日の掲示板はこれ。「与えられた場所に生きる意味を見つけない人は、どこに行っても満足はない」というもの。「やりたい仕事が見つからない」とか、「こんな仕事をやるためにこの会社に入ったんじゃない」とか、そういう声をよく聞くのだが、目の前にあるものをまず はきちんとやるべきで、「生きる意味」とか、「仕事の意味」とかは人に教えてもらうものではなく、自分で見つけるしかないのである。自分の置かれている環 境に対して文句ばっかり言っていたって、何も解決はしないし、自分の人格を下げるばかり。だから、今自分にやれることをやる。自分で居場所を作って、自分 で生きる意味を見つけるしかない。シンプルだけど、生きてくってそういうことの繰り返しなのだと思うばかりである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


世の中の 悩み重ねて 曼珠沙華

2017年09月17日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は、台風第18号の影響で雨が降るのかと思えばそんな気配は全くない。夕方から夜のはじめ頃にかけて、非常に激しく降る所があるらしい。気温は21.1度から24.6度、湿度は92%から81%、風は5mから12mの東の風が吹くらしいが、そんな気配もない。明日の18日は、高気圧に覆われて概ね晴れるが、湿った空気の影響で、未明まで雨が降る見込みらしい。

 

 大きな台風だ、すごい台風だというので、地神さんの掃除をどうするかと、あれこれと騒いでいたが、当日の天気次第だということにしたのだが・・・、

 

 朝になってみれば、おひさんまで照ってきたではないか。

 

 それでは・・と、しめ縄とかを持って行って飾ったのだが、誰も来ない。そのうちに、ゴミ捨てに来たおばちゃんや、散歩をしていた夫婦とかが道具を持って集まってきて・・・。

 

 10人中5人が集まってきて、なんとかお掃除ができた。すると、二軒のおうちでお葬式ができた・・というではないか。あと一軒は足が悪いといい、あと一軒は「ぶく(服忌)がかかっている・・」という。自治会長さんはお伊勢さんへ社員旅行で出掛けたという。

 

 台風どころか、お陽さんまで照ってきたではないか。

 

 15時からの直来(なおらい)を朝の9時に繰り上げたというので集会場に集まった。で、1時間ほどの情報交換。お葬式はどうするのか、いつごろ、どうするのかとか・・・。

 

 で、先日の独居のおじさんちに行ってみた。すると、台風が来るというのに、洗濯物はそのまま・・・。「あれれ・・・」。そこへ息子さんがやってきて、「ええ、元気ですわ・・」というので、一安心。ここは、まぁ、一件落着。

 

 今年に手がけた調査報告書なんぞを整理していた。寒川家俵札調査報告書二種類。

 

 大窪寺観光ガイドマニュアル二種類と仏教語辞典など。この夏休みも頑張ったな。

 

 台風が接近しているというのに、この右のおじさんの親が亡くなったというので、今日の17時からお通夜だという。

 

 火事とお葬式はどうしようもない。これからお手伝いに出掛けねば・・。

 

 私たちは受付なんぞのお手伝い。台風がきがかりだけれど仕方あるまい。

 

 今日の掲示板はこれ。「人間の大きさは その人が出会っている世界の大きさ」であるという言葉。町内の善楽寺さんの掲示板からである。農業をやっている人はどこに旅行しても、稲のできばえとか野菜の育ち具合しか見ないという。会社の事務職員は自分の仕事の範疇しか知らないし、技術者は自分の担当している職場しか知らない。孫悟空がどこまでもどこまでも飛んでいったのに、お釈迦様の手のひらの中で遊んでいただけのように、「人間の大きさは、その人が出会っている世界の大きさ」なのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


手を合わせ 初心忘れな 曼珠沙華

2017年09月16日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、前線や台風第18号の影響で雨や雷雨となり、昼過ぎから夜のはじめ頃は激しく降る所があるらしい。気温は19.4度から22.3度、湿度は96%から79%、風は3mから7mの東南東の風が強まるらしい。明日の17日は、台風第18号の影響で大荒れの天気となる見込みらしい。

 

 朝から小雨が降ったりやんだりしているが、風は未だ無い。

 

 今日は「おへんろつかさ養成講座」の第三回講座で、「長尾寺実地研修」の日である。私たちは「駐車場係」ということで、車の誘導班である。

 

 こういう雨の日はお遍路さんのお参りも少ないので、私たちも誘導しやすい。

 

 今年からは、それぞれのガイドチームが境内の案内をして、私たちも実地研修になる。ここでは、「長尾寺観光ガイドチーム」の「草野部会長」がメインの境内案内をする。今日は「さぬき市ケーブルテレビ」の取材が入っている。

 

 東門や弁天堂、大師堂から本堂でのガイドになる。 開創は聖徳太子という説もあるが、天平十一年に行基菩薩の説が一般的。行基がこの地を歩いていると道端に楊柳の霊夢を感じ、その木で聖観音菩薩像を彫造して本尊として安置。法相宗を開基した。その後、弘法大師がこの寺を訪れ、入唐が成功するように年頭七夜に渡り護摩祈祷を修法して国家安泰と五穀豊穣を祈願された。その祈願は現在にも受け継がれ、毎年正月の七日には「大会陽」が盛大に開催されている。

 

 こちらは副会長の「みゆき女史」が天神さんについてガイドした。唐から戻った空海は、再びこの地を訪れ「大日経」を一石に一字ずつ書写し供養塔を設立し、その時に真言宗に改宗した。長きに渡り多くの天皇から帰依された寺であったが、天正の兵火により、本堂以外は灰燼に帰した。江戸時代に藩主松平頼重が、堂塔を整備。その時に天台宗に改めている。

 

 その後、本坊の膳所に移動して、今度は座学になる。明治維新以後、本坊は学校や警察、郡役所などの公共施設に提供された寺。地元では「長尾の観音さん」や「力餅・静御前得度の寺」として親しまれている。

 

 本日の受講生は18名、卒業生の支援スタッフが12名の計30名余りと市役所職員など。

 

 一講目は、「さぬき市内の石造物について」という、香教委の片桐孝浩先生の講義。

 

 まずもって、「お遍路とは何か」から始まって、長尾寺から大窪寺間の石造物についてのあらましとか、茶堂や庵などの建造物や丁石、道標などについての講義があった。

 

 丁石というのは、札所(お寺)までの距離を刻んだ目印の石標だったり石仏だったりする。高野山では「町石」と呼んでいる。いずれにしても距離を知らせるものである。

 

 その後、11時10分からは長尾寺住職の木村俊雅師から、後ろの額について説明があった後、本堂に移動して、「仏教概論」や「長尾寺縁起」などについて、一時間の講義があった。

 

 台風が接近をしているようだが、今のところ、静かに雨が降り続けているところ。風も水音も変化はない。

 

  今日の掲示板はこれ。「みようみまねで合わす手に やどるすなおな菩提心」というもの。仏さまの眼から見れば無心に遊ぶ子供たちの姿の中にも、菩提心はあるということなのだろう。そういえば、幼い子供は、みよう見真似で小さな手を合わせている。それにどんな意味があるのか、なぜそうなるのか知らないままに合わせる両の手。それでいながら、そこには不思議なほど仏さまの世界との一体感が感じられる。言い方を変えてみれば、大人より子供たちの合掌の姿の方がずっと絵になるのである。子供は純粋無垢という点で私たちより仏さまの世界に近いのかも知れない。だから素直な心そのものが菩提心だと受け止めてみてもいいのかもしれない。

 

じゃぁ、また、明日、合えたらいいね。


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