まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

肩の荷を 下ろす霜月 暮れにけり

2014年11月30日 | たまには旅など・・。

 まだ、真っ暗な6時前にわが家を出た。5時起きというのも京都の本山並。今日は「おへんろつかさの会」のバス研修の日。今回は愛媛県の60番札所から65番札所の6ヶ寺のフィールドワーク。その案内状の出発時刻が6時半と7時出発とがあって、少し早めに送ってもらうことになっていた。

 

 午前7時になると、ようやく夜が明けて明るくなってきた。7時過ぎにさぬき市役所を出発して高松市内へ向かう。途中で10人ほどを乗せながら、高松自動車道高松西インターに入る。今回の参加者は34人。

 

 61番札所の香園寺はまるで公会堂のような建物で、二階の本堂は映画館のよう・・・。

 

 櫻谷権大先達さんから縁起やここの住職さんの開教の努力なんぞを聴かせていただいた。

 

 ついで、62番札所の宝寿寺、63番の吉祥寺を研修する。ま、おへんろ文化の裾野を広げるために、私たちの視野を広くすることが狙いである。

 

 この方は、英語でガイドする先達を目指している方。何を見ても珍しそう。

 

 目をつむって杖を構えて前進して、岩の穴を通す「成就岩」にも挑戦した。

 

 瀬戸内バス・京屋支店に着いたのは1時間遅れの11時半。ここで昼食かた思いきや、ここからマイクロバスに乗り換えて60番の「横峰寺」に向かう。これまた、細いくねくね道・・・。

 

 この頃はまだ、天候も良くて紅葉も楽しめてドライブ気分・・・。

 

 境内は山の北側中腹(750m)にある。四国霊場のうちでは3番目の高地にあり、「遍路ころがし」の最難所であった。昭和59年に林道が完成して、現在は境内から500m離れた林道の駐車場まで車で行き参拝できる。ただし、冬期は12月下旬から2月いっぱい不通となる。大型バスは通行が不可で、マイクロバスに乗り換えて駐車場に向かう。

 

 そこから500mほどの小道を下って境内に向かうが、これがまたしんどい道。かえりはもっと苦しくなる。

 

 ようやくに昼食になったのは14時。これを一気に完食してしまった。

 

 前神寺は、山岳信仰の山として崇拝される富士、大山など日本七霊山の一つ、国定公園・石鎚山(標高1982mの麓にある。真言宗石派の総本山であり、修験道の根本道場でもある。弘法大師は若い空海のころ、この石鎚山に2度入山しており、虚空蔵求聞持法や37日におよぶ護摩修法、あるいは三七日(21日間)の断食修行をしたことが知られている。

 

 そして、今日の打ち止めは、ここ、65番札所の三角寺。ここも途中からタクシーに乗り換えて山門下まで向かう。途中、娘さんの運転する車や中年おじさんの乱暴な車と対向しながら、ひやひやどきどきの山道走行である。で、この75段かの石段がきつかった。おなか満タンだから、苦しい苦しい。足の痛さなんぞどこかへ忘れてしまっている。

 

 今日の掲示板はこれ。「高い山はゆっくり登れ」という荒了寛さんの言葉から。最近は「弾丸登山」という言葉があるようだが、高山病予防のためにも、高い山はゆっくり登った方がよいそうだが、こちらはちと意味合いが違っている。「大きな仕事は焦らず、急がず、ゆっくりと進めたほうが良い」という意味である。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


南天の 紅さに勇気を もらう朝

2014年11月29日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所があった。夕方からは晴れる見込み・・・という天気予報だったが晴れなかった。気温は16度から19度、湿度は84%から61%、風は1mから4mの北西の風が少し。明日の30日は、高気圧に覆われて晴れらしいが、午後は気圧の谷や湿った空気の影響で次第に雲が広がり、夜遅くは雨が降る見込みとか。

  

 目が見えず、足が悪くて雨だとなると何もできないし、やりたくないが、寝てばかりもいられない。全く、田舎で車に乗れないとなると不便で仕方がない。

 

 9時過ぎには雨も上がったので付近を散歩してみる。昨日、大勢の人が何やらやっていたので、どんな狩猟用の秘密兵器を組み立てたんだろうか・・・。

 

 太陽光発電パネルを立てて・・・テント改造の大型ケージに何かが着いている。

 

 これは何かのセンサーなんだろうか。でも、こんな、ものものしいものを設置したら、動物は警戒して捕まらないだろうに。

 

 こちらのケージでは、みかんをエサにしていたら、手を伸ばしてみかんを取り出して食べている。これはサルの仕業だな。でも、このケージは、上からぶら下がっているサツマイモを引くと入り口が閉まる・・・ということを理解していない。堂々と中に入って、下にあるイモやミカンを食べても大丈夫なんだが、中には入ろうとしないのだ。

 

 その周辺の幾つかのケージも、みな、同じようなもの。手を伸ばしてつかんだものは食べ散らかしてあるが、奥の方のエサには手が届かないから食べていない。

 

 何か、できることはないだろうか・・ということで、年賀状作りをやってみた。年賀状は毎年、ワード文書で作っている。

 

 これは、「おへんろつかさの会」用の年賀状。観光ボランティアをやってる時のもの。例年のパターンを踏襲して、文面と写真を入れ替えるだけ。手抜きではなくて「省力化」。

 

 すると、やっぱり、インク切れのアラームが出た。仕方がないから、勇気をふりしぼって、山道経由で「けえず・でんき」に行って来た。今回はイエローを二本と、テレビ用のセパレーターを買った。5,000円でおつりがわずかに戻った程度。

 

 セパレーターというのは、地上デジタル用のアンテナケーブルに接続して、地デジとBS放送に「分波」するもの。これで「BS放送」が見られるようになった。今まではテレビなんて・・・ということで、パソコンで地デジを見ていたのだが、目がしんどくなったので、新技術を取り込んでみた。

 

 しかしのかかし、「今年の一枚」というような画像が見つからない。お正月用だから、お寺やお墓の写真は適切ではないし。坊さん二人で・・「和尚が2(ツー)」というギャグも何回もやったし、「和尚、ガッツ!」というのも使ったし・・・。奥方用にも2パターン作ってみたが、「ダメよ~、ダメダメ」と言われそう・・・。

 

 なんだなんだ、特別な装置をつけなくてもBSが見られるのか・・・。パラボラもいらないんだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「ゴミ箱とお仏壇を見ると その家がわかる」というもの。少しばかり、キツイ言葉だなぁと思ったのだけれど。最近のおうちではゴミ箱を家の外に置いてあるのは見なくなったが、お坊さんはおうちの中にまで入っていくし、お仏壇にもお参りするからよくわかるのだろう。まさか、今の時期に、お正月の松がそのまま・・・というおうちはないだろうが、茶色になったお花は、わが家ではしょっちゅうある。特に母がいなくなってからは、そのまんまのことが多い。案外と、紺屋の白袴、医者の不養生、坊主の不信心、医者の若死に出家の地獄、易者身の上知らず、学者の不身持ち、駕籠かき駕籠に乗らず、鍛冶屋の竹火箸、紙漉きの手鼻、髪結いの乱れ髪、紺屋の白足袋、左官の荒壁、儒者の不身持ち、大工の掘っ立て、椀作りの欠け椀 ・・・などというのは有名なことば。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


やぶ椿 お役目一つを やりとげて

2014年11月28日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、湿った空気の影響で雲の広がっている所があった。夜からは雨の降る所があるらしい。気温は8度から18度、湿度は76%から62%、風は2mから5mの南南東の風が少しばかり。明日の29日は、寒冷前線の通過により、朝まで雨が降り雷を伴う所があるらしい。午後は次第に晴れる見込みなんだとか。

  

 朝はこんなに気持ちのいい秋晴れ。病院に行くにはもったいないが、武田鉄矢が「病院に行こう~」と歌っていたので病院に向かった。と、言うのも・・・。

 

 たいしたことはないのだが、ややふくらはぎのところが腫れている。まだ、少しばかり痛みも残るので、とりあえず、診てもらっておくほうがいいかなぁと言うことで。

 

 この病院で初めての「整形外科」の診察・・・。

 

 まずは、レントゲン室で足首の写真撮影。2方向からの撮影になった。

 

 この手前側のベッド状の台の上に寝かされて、あの白いマーキング部分に足首を置いての撮影。ま、骨折や筋肉・神経の断裂ではないと思うのだが・・・。昨夜、母・さっちゃんが大量に集めていた「湿布薬」を三枚ほど張って寝たら、案外と楽になったのは事実。

 

 予約診察でないものだから1時間半ほど待たされた。ま、それも仕方がない。

 

 「ま、様子を見ましょう・・・」ということで、こういう湿布剤、(抗菌・消炎剤)を処方してもらっておしまい。内出血による「鬱血(うっけつ)」ということらしい。「氷を巻いて冷やしてください」ということでおしまい。五日経って、まだ、痛いようでしたらおいでてください・・とも言われた。その頃には治るでしょう・・・という意味だろうか。

 

 奥方が、「ここでいいでしょう!」というので、ついていった。私は運転できないのだから仕方がない。お店の名前は看板通り。

 

 久しぶりのうどんだなぁと思った。今日は「山菜うどんの小」で300円。たまに食べるうどんもいいもんだなぁと思った。

 

 帰るとすぐに宅配便が届いた。昨日の3時過ぎにお願いしたものが、翌日のお昼過ぎには届くのか。そのくせ、お歳暮などのうどんや荷物は一週間経っても届かない時がある。不思議な世界だ。

 

 その届いた荷物の中から洗濯物を取りだして洗濯。

 

 襦袢や白衣、足袋や寝間着、下着や靴下などを一気に洗って一気に干して・・・・。

 

 あとは「衣体(えたい)」の片付け。素絹(色衣)・黒衣・道服・五条袈裟・墨袈裟・切袴などをきれいに折りたたんで、「たとう(畳)紙」にくるんで保存する。ある有名な先生が、「『たとうし』を書ける人・・・」と、話してしたが、私は知っていたが、黙っていた。「むつかしいなぁ・・」とか、「知らないなぁ・・」と言うていたが、『たとうし』は「畳紙」でいいのだと、和裁をやっていた母のさっちゃんが言うていた。着物を折りたたん(畳ん)で保存するから畳紙。

 

 今日の掲示板はこれ。「よかよか あんたはあんた そのままでよかばい くよくよしよるあんたも好いとるばい」というもの。」 あるがまま、持ったもまま、煩悩のまますくわれる。それでいいのだと、このおばあさんは言うとるわけだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


報恩講 庭にもみじは 遠慮無く

2014年11月27日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 京都市地方は、昨日の雨とは打って変わって、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、この週末からはまた、気圧の谷で下り坂になるらしい。

 

 予定では、28日の法要が終わるまでは都に滞在するつもりで上洛してきたのだけれど、右足の調子が悪く、正座することも歩くことにも支障が出てきた。このまま、出勤すれば足の状態が悪化するぞ・・と諸先輩がたのご忠告を受けて、朝の「ご晨朝」からリタイアすることになった。

 

 二日間の出勤で、指定席数はクリアーしていたので、出勤証明書がいただけた。これで、無事、お役目終了・・・ということになった。あとは自由参詣・・・ということで、椅子席でのおまいりになった。そのまま帰ってもいいようなものだが、高松行きの高速バスは夕方でないと出ない。

 

 せっかく、京都のご本山に来ているのに、しっかりとお参りもしなくては・・・ということで、境内を散策したり、お寺の周辺も歩いてみたが、くるぶしのあたりを捻挫したみたい。歩くと鋭い痛みが走る。かかとではない。足先でもない。だから、右足を引きずりながら歩く状態。

 

 こうして外陣から法要を見ていると、「あ、そういうふうになっていたのか・・」という、舞台裏と観客席から舞台を見る感覚の相違・・・みたいなものを感じたし、「あ、こうして、法要はつくられているのか・・」みたいなことを考えていた。「で、次は、こうなるな・・・」みたいな。

 

 結局、三席の法要にお参りして、帰り支度。四泊五日の荷物は重い。「衣体(えたい)」の数も多い。あ、「衣体の知れない人」というのは、この「衣体」から出たのか・・・。それを、足を痛めた身体では無理だろうということで、宗務所から宅配便で送ってもらうことにした。

 

 しかし、さぬきの山奥でパソコンばかりいじっているおじさんが、京の都で大勢の人に出会い、お話を聞き、会話し、教えを受け、助けられ、ありがたいなぁと感じた四日間だった。普段は家内以外とは会話しないし、奥方がいないと、会話もなくて黙々とした一日。

 

 驚いたのは、私が自己紹介もしないのに、「フェイズブックを見ていますよ」という方の多かったこと・・・。私は全く御存じ上げない方々ばかり・・・。「見られているんだ・・・」という強迫観念は少しばかり感じた。

 

 突然、「見えてますやん・・」と言われてびっくり。「左目が見えない」「左目が見えない」とばかり書いてるのを、しっかりと見られているんだと・・・。右目はまだ見えるので、その感覚でものごとを判断しているだけで、誰が誰やら、詳しいことはわからない・・・。

 

 お隣の本願寺の布教使・渡邊さんとお会いする約束だったのだが、打ち合わせ場所を確認せずにいたものだからすれ違いになったらしい。私は、この赤い傘のある「休憩所」のつもりだったし、本願寺さんとは違って狭い境内だから見逃すはずがないと思って居たのだが、お互いの「視野」が違っていたらしい。残念なことでした。

 

 16時にお寺を出て、足を引きずりながらJR京都駅まで30分。普通は20分弱の距離なんだけれど。相変わらず、京都駅には大勢の観光客が列を成していた。

 

 JRバス、エクスプレス京都号高松行きは16時50分発。40分に乗車、やれやれという気持ち。京都あたりで工事渋滞、40分遅れ・・。

 

 わが家の着いたのは20時40分。それから遅い夕食・・。ほっとして京都の旅が終わったことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生に確かなことなんてない。それだけが確かなことなんだ」という「ビューティフル・マインド」からの映画の中の台詞から。全く、人生に確かな事はひとつもない。そのことだけが確かなことなんだ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


迷い道 秋の日暮れの 速いこと

2014年11月26日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 今日も京都は薄曇りから小雨状態。蒸し暑さがぶり返してきたような息苦しさ。

 

 本山報恩講の6日目。代表出勤の2日目である。6時起床の7時からのご晨朝(じんじょう)。朝から汗が流れる状態。

 

 8時から朝食。朝から一仕事をしたからご飯がおいしい。思わずにおかわりをしてしまった。普段ならば、朝ご飯はどうでもいいのだけれど。

 

 10時からは間日中の法要は「礼讃日没偈」。その後、ご親教。

 

 お昼ご飯をいただいて一休みしたあと、午後2時からは「間逮夜」のおつとめ。

 

 今日はたくさんのおまいりがあって、御影堂は満座満堂。

 

 午後4時からのおつめが終われば、今日のお仕事はおしまい。

 

 FaceBookの友人と一緒に河原町出て、「くいしんぼ」というお店に入った。お隣の方はフランスからお越しの方・・・。「バスタブでジャポーン」というシャレを言ったが、わかってくれなかった。さむい親父ギャグなんだけれど。

 

 で、ついでお近くにある「龍馬資料館」にお邪魔した。

 

 ここでいろいろな方のうんちくを楽しんで呑んでいた。

 

 讃岐の人もいたし、長州のかたもいたりして龍馬談義を楽しんだことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「生死の問題は他人事でなく 誰もが抱える一人ひとりの問題である」という報恩講布教使、西本先生の言葉から。じっくりとかみしめてみたい言葉である。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


もみじ葉に まとめきれない 日が過ぎる

2014年11月25日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 京都地方は気圧の谷の影響で、雲が広がり雨が降っていた。気温は12度から15度、湿度は90%から84%、風は2mから3mの北北西の風が少し。明日の京都市は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がり、南部では朝晩に、北部では断続的に雨が降る見込みらしい。

 

 朝の京都は本降り・・・。朝は6時起床の7時からの「ご晨朝」、朝のお勤めである。阿弥陀堂と御影堂との両堂でのお勤めだった。

 

 ここは、本山「興正寺」。ここで、21日から報恩講が勤められている。報恩講は宗祖親鸞聖人の御命日(旧暦11月28日)に聖人のご恩とお徳を偲んでつとめる浄土真宗では最も大切な法要である。本山興正寺では、毎年11月21日の御逮夜から28日の御日中までの7日間、厳修していて、今年もそのとおり。

 

 で、今日から(後期)のご法要が始まるのだという。

 

 朝は、ご晨朝が終わってからの朝食会。わが家で食べると、そうでもない朝食が、ここではなぜかおいしく感じられて、ついつい、おかわりをしてしまう。みんなで食べるとおいしいのかも知れない。、

 

 外は激しい雨・・・。法要の合間に散歩にいきたし傘はなし・・・。ひきこもってお話を聴くほかない。

 

 そんなことばかりもしていられないので、濡れるのを覚悟で出かけてみた。お昼過ぎには雨も上がったこともあって・・・。

 

 せっかくの紅葉が今日はもの静か・・・。おまいりの方も多くはない。

 

 「雨の京都いいもんだ・・」とうそぶいてみる。本当は雪駄に足袋では足元があぶない。

 

 お昼はお弁当を頂いて、午後からのおつとめ・・・。

 

 夕食は通い慣れたレストランでのお食事。皆さんは街へ出かけてしまって誰もいない。私は二十年来のおねえさんと会話を楽しみながらの夕食会。

 

 生中が三杯に焼酎のお湯割りが二杯に清酒の熱燗が二杯・・・・。でも、気持ちのいいお酒だった。宿舎に戻ったのが6時半だからすこぶる健康的。とにかく、ブログを書き上げないと寝るわけにもいかないのだ・・・。

  

 とどのつまりは、このコンビニに頼るのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「冬があり夏があり 昼と夜があり 晴れた日と雨の日があって ひとつの花が咲くように 悲しみと苦しみもあって 私が私になっていく」という星野富弘先生の言葉から。今日は、そんな気がする1日だった。暑くもあり寒くもなったし、雨も降ったし上がったし、朝もあったし昼も夜もあった。楽しくもあったし、苦痛でもあったし・・・。そんなことの積み重ねで、私が私になっていくんだなぁと思ったことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


イチョウ散り 今日もあたふた 日が暮れる

2014年11月24日 | たまには旅など・・。

 今日の京都府は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で、夕方から次第に雲が広がり、一部では、夜遅くに雨の降るところがあるらしい。明日の京都府は、前線を伴った低気圧が西日本を通過するため、雨が降るという。

 

 さて、今年最後の大きなお役目ということで、京都に向かうことになった。朝の9時過ぎに高速大内のバスストップでJRバスに乗って京都駅に向かう。天気は快晴だった。

 

 バスはほぼ満員状態。40人近くが乗り込んでいる感じ。

 

 バスに乗る前に二回、途中、淡路島で一回トイレ休憩をしたのだけれど、京都に着く寸前でトイレに行きたくて仕方がなくなった。ところがお隣にはきれいな背の高い娘さんが居眠りをしている。起こすのも悪いし、我慢にも限界があるし・・・。つい、うっかりと朝、利尿剤を飲んでしまったのだ・・・。

 

 バスの中には、こうしたトイレがあって、ホッとしたのだけれど。

 

 京都駅に着くと、またまたトイレに行きたくなったのだが、京都駅にはものすごい人が・・・。トイレの前には長蛇の列が・・・。これはアカンでぇ・・と歩き出したが、どうのも我慢がならぬ。で、お東さん近くの公衆トイレに駆け込み、次には七条堀川の公衆トイレに駆け込み・・・・。

 

 で、本願寺さん前の龍谷ミュージアムをのぞいてみた。

 

  二楽荘は、西本願寺二十二世法主・大谷光瑞さまが六甲山に建設した別邸である。明治42年に建設されたが、数年後には閉鎖され、昭和7年に焼失した。「二楽」とは「山を楽しみ、水を楽しむ」「山水を楽しみ、育英を楽しむ」の意味だという。

  

 大谷探検隊は、二十世紀初頭に浄土真宗本願寺派第22世法主・大谷光瑞さまが、中央アジアに派遣した学術探検隊。シルクロード研究上の貴重な業績を挙げた。1902-1914(明治35年~大正3年)の間に、前後3次にわたって行われたが、戦時中という状況も重なり活動の詳細は不明なところも多いという。

 

 本願寺さんにもおまいりしてトイレを使わせていただいた。まるで、今日は犬みたい。

 

 御影堂前のイチョウが紅葉して、大勢の人がスマホをかざして写真撮影をしていた。すると、この髪の長いおねえさんににらまれた。あんたじゃないって、イチョウだってば。

 

 この阿弥陀堂門でじっと観察していたら、出入りともに、ここで頭を下げた人は十分間に一人もいなかった。観光客が多いとはいえ、それはあまりも失礼でしょうが・・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「きれいな心になって合掌するのではない 思い煩うままに手が合わされる」というもの。本当は・・本当の宗教は・・・「きれいな心になろう」と言うのかも知れない。でも、私たちは・・きれいな心なんぞにはどうしたってなりきれない。どんなにしたって合掌すらできない・・・。そんな私たちが救われるとしたら・・・、この思い煩うままの乱れたこころ、汚れたこころ、迷い続けるこころのままに・・・手が合わされるのを待つしかないではないか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


紅葉は 自分の出番を 知っている

2014年11月23日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は10度から18度、湿度は90%から68%、風は3mから1mの北北東の風が少し。明日の24日は、気圧の谷や湿った空気の影響で次第に雲が広がる見込みらしい。 

 

 今日はお天気もいいし、取り立てての用事もないのでおでかけをしたいと考えた。

 

 これはわが家近くに仕掛けられた捕獲用ケージなんだが、サルだろうか、イノシシだろうか、中にあった紙袋を引っ張り出して、上に置いてあったサツマイモをみんな食べてしまっている。かしこいなぁ・・・。

 

 奥方のけいこばぁにお願いして、高松市西部にある五色台に向かった。昔は「五色台スカイライン」とかと呼ばれた、この道路は、いつのまにか、そういう名前が消えている。この周辺にも車が多く止められていて、カメラを抱えた人たちが危ないのに歩き回っている。

 

 目的地はここだが、途中の四国霊場八十二番札所根香(ねごろ)寺は警備人が出て交通制限。周囲の道路には「駐車禁止」の標識がズラズラズラと。ここも紅葉見物の名所だから、お寺としてはありがた迷惑。普通のお遍路さんに迷惑をかけてもいけないし。

 

 実はここで、「四国霊場開創1200年記念『空海の足音 四国へんろ展』 香川編 関連企画 巡る人々、巡る信仰ー讃岐を訪れた木食、全国を巡った六十六部ー展」という、長い名前の展示が行われている。

 

 六十六部とは、法華経を六十六部書き写し、日本全国、六六か国の国々の霊場に一部ずつ奉納して回った僧侶のこと。鎌倉時代から流行し、江戸時代には諸国の社寺に参詣する巡礼、または遊行する聖。背に阿弥陀蔵を納めた長方形の龕(がん)を負い、六部笠をかぶった姿で諸国を回って勧進をしたり、巡礼姿で米銭を請い歩いた一種の乞食でもあり、六部とも呼ばれた人たち。

 

 一方、「木食(もくじき)」というのは、木食戒(五穀・十穀断ち)(火食・肉食を避け、木の実・草のみを食べる修行)を受けた僧のこと。木食上人ともいうが、そんな人たちが「作仏(さぶつ)行」として、各地でいろいろな仏像や掛け軸を残している。そんな展示会である。

http://www.pref.kagawa.jp/setorekishi/

 

 で、今日のお昼はここになった。坂出市高屋町にある「さぬき麺匠 はま弥」という一般店。ここも奥方のお気に入りのお店だが、今日は三連休の中日ともあって行列のできるうどん屋になっていた。幸いにも私たちは数秒の差で、小上がり席に着くことができた。

 

 奥方はおでんにお寿司にかけうどん。私はこのわかめうどんが精一杯。これで360円だった。外には十数人が座り込んで待っている。セルフのお店ならば回転が速いが、一般店では10分から20分は待たねばならない。

 

 奥方に運転をお願いすると、ついつい、余分な時間を使ってしまう。私一人だとお昼を食べなくても平気だし、五色台だからとみかんを買わずに済むし、食材を買ったりもしないのに、だから、わずか10分ほどの展示を見ただけで1日がかりになってしまった。

 

 私的には、根香寺の紅葉も見たかったし、白峯寺の紅葉もみたかったのだけれど、朝の警備状況を見ただけでうんざりとした。

 

 今日の掲示板はこれ。「黒い土に根を張り どぶ水を吸って、なぜ、きれいに咲けるのだろう。私は大勢の人の中にいて、なぜみにくいことばかり考えるのだろう。」という星野富弘さんの言葉から。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


見上げれば 皇帝ダリアの ひるね顔

2014年11月22日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、湿った空気の影響で雲の広がっている所もありながら、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は11度と温かい朝になって18度まで上がった。湿度は86%から68%、風は3mから2mの北北西の風が少し。明日の23日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

  昨夜はなんとなく、「千と千尋の神隠し」を見るとはなく見ながら、ゆっくりと飲んでいた。初七日の法要膳を中途半端な食べ方でいささかおなかの調子が狂ったよう。だから、わが家の食事に戻すのにしばらく時間がかかったこともあって。

 

 朝の間は行くところもなく、行きたい場所もなくて、論文を整理したり、年賀状の文案を考えたりしたが、直前にならないとスイッチが入らない。とにかく、「隻眼」というのは不便なものだ。片方の目だけで見るというのは「奥行き」や「足元の高低差」もわからなくなる。歩くにも不自由ということになる。

 

 来週からの上洛の準備もやっておかねばならないが、ものをつかむとか合わせるという間隔がわからなくなって、衣装がたためないし、裏返せない。こんな単純なことさえも不自由になってくる。丹下左膳や独眼竜正宗は、本当に「隻眼」で戦えたんだろうか・・・。

 

 ごちゃごちゃ言うていても仕方がない。昼食は「ラ王の袋麺」で済ませて散歩に出た。パソコンは確かに目に良くないなぁと思うし、かと言って読書も活字が霞んで読みにくくなっている。

 

 ふと見ると、捕獲ケージの中に何かいる・・・。足下が危うい中、慎重に山の中に入ってみると・・・。

 

 これはどうにもタヌキらしい。それもおなかの大きなタヌキ。餌のサツマイモを「たらふく食べたのだろうか。それともお母さんタヌキなんだろうか。

 

 これはテントを改造した捕獲ケージらしい。こんなものを自作して仕掛けてあるんだろうが、先日はこの上でおさるが遊んでいたことを猟師さんは知らないはずだ。設置して、もう、一週間になるのに、何の反応もない。ま、こんな異様なものが置かれたら、猿もイノシシも警戒すると思うのだが・・・。

 

 今日は、わが家近くに猿の軍団が現れた。すぐさま、ロケット花火で撃退した。

 

 追い払ったつもりでも、裏のたんぼでは、これ、このとおり。役所の方からは「餌付けをしないように」というのだが、栗や柿は時期が来れば実がなるし、野菜だって最小限度のものは作りたいと思うもの。全く、さるやイノシシのエサを無くするわけにはいかないのだ。

 

 そうそう、今日は『小雪』にあたるが、そういう節目のことで、「小雪(こゆき)」が振る頃という意味ではないそうで、単に立冬から数えて15日目ということで「小雪(しょうせつ)」という名前の節目なんだそうだ。で、暦的には、旧暦の十月一日で時期的には「秋」である。

 

 それに、俗世間的には「いい夫婦:1122」の日でもあるそうだが、単なる語呂合わせで、そんなに注目するべきことでもない。

 

 今日の掲示板はこれ。「がまんがまん ここはがまんだ どんななが雨も いつかやむ」という荒了寛さんの言葉から。どんなことがあっても、いつも笑顔(^^)を忘れず、心をこめて聴き、心をこめて話すようにしたいもの。日日是好日。今日も、ステキな土曜日になりますように。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


あれやこれ みんな忘れて 散るもみじ

2014年11月21日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で西部では雲が広がり始めているのだとか。夜遅くには雨の降る所がある見込みらしい。気温は7度から18度、湿度は74%から56%、風は3mから2mの東の風が少し。明日の22日は、南からの湿った空気の影響で雲が広がりやすいらしい。

  

 ご案内の通り、お隣さんちのご主人が亡くなったもので、今日はその告別式。いわゆる、お葬式の日。お式は13時から14時なのだけれど、私たち隣組というか自治会が「お同行」ということで、お手伝いに行くことになっている。昔からの慣行なのである。

 

 で、そのお隣さんのお隣さんちの奥さんに乗せてもらって、「セレモニー会館」には午前11時に入った。男性陣は受付事務で、女性陣は昼食のお茶の準備と後片付け。会館に着くと、すぐにお寿司のパックを頂いて早々に昼食を食べた。朝食後の昼食だから半分も食べられなかった・・・。

 

 11時半くらいからぼつぼつと弔問の方がみえるようになって、12時あたりがビーク、12時半にはほぼ落ち着いた。お客様はお席に着いて待っているし、お寺さんもやってきた。

 

 13時前には静寂が訪れた。私たちもほっと安堵したころ。

 

 お式は13時から始まって・・・・13時45分ころまで。

 

 お式が終わって、出棺が終われば、私たちのお仕事はおしまい。自分たちの回りを片付けて、それで帰ればいいのだが、お骨が帰るまでは待機なんだそうで、休憩室で2時間半あまりを待つことになる。この時間が手持ちぶさた。

 

 私たちの集落は10戸しかなくなった。限界集落に近い自治会である。それも高齢者ばかり。で、葬家を除いた9戸が「お同行」ということでお世話をする。お世話たって、昔ほどのお仕事はなくなった。話題はいつものお猿やイノシシの話題ばかり。今日の「アベノミクス解散」を話題にする人など誰もいない。

 

 エアコンからアシナガバチが出てきたということで撃墜したり、さらにもう一匹が出てきたと言うことでジェット・スプレーを吹き付けて撃墜したりと、なんだかんと話題作りをしながらの時間待ち。

 

 16時半から「還骨勤行」と「引き上げ初七日法要」が30分ばかりあった。その後、「精進落とし」の法要膳になった。

 

 みごとなご馳走をいただいたが、私たち「お同行」は形ばかりにいただいて、早々に会館を後にした。「ご遺族がお疲れでしょうから・・」という、これまた、暗黙の約束みたい。ここで、呑んだり食べたりはいけないらしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「身近な人の死に逢うたびに 人のいのちのはかなさと 今ここに生きていることの尊さを味わいました」というもの。今日も私のこころ、そのまんま・・・。不要な言葉はいりますまい。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


あれやこれ 迷っている間の イチョウの黄

2014年11月20日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は6度から14度、湿度は74%から52%、は2mから3mの北東の風が少し。明日の22日は、南からの湿った空気の影響で雲が広がりやすいとか。

 

 秋らしいさわやかで静かな朝になった。早くも今日は11月20日。月日の流れは速いなぁと思うことだった。

 

 朝の間は過去の日記帳の電子化作業。10年分の日記を一覧表にする作業である。こうすれば、何年の何月何日には何があったのか・・・ということがわかるようにした。まだまだ、作業は続くのだけれど。

 

 続いて年賀状データの確認や追加、削除、修正作業。今年にいただいた年賀状を手にしながら、一件、一件、確認してゆく作業・・・。

 

 そんな中、自治会長さんから訃報の連絡が入った。わが家のすぐ前のおうちのご主人さんが亡くなったのだという。そして、今夜、夕方にお通夜だという。最近、入退院を繰り返していた人だった。

 

 お昼からは県立病院での眼科の検査。白内障手術前の検査や事前研修や連絡指示など。もう、左目は失明状態。しかも溶けそうだという。

 

 13時に病院に入って、採血や採尿検査のあと、この眼科での検査があった。

 

 その合間にビデオで白内障手術の概要やら術前の生活やら術後の生活などについて勉強する。とにかく、12月11日にオペを待つばかり。

 

 わが家に戻ったのは16時半。すぐさま喪服に着替えて葬儀会館に向かう。奥方の運転であることはいうまでもない。

 

 私たちは受付係。今は、それしか用事はなくなった。

 

 受付係もこの記帳台でカードに住所氏名・電話番号などを記入していただくので、こちら側は受け取るだけでいいので楽になった。今日はお通夜なので、お香典は多くなかった。

 

 そんなことで、バタバタとした長い一日になった。

 

 今日の掲示板はこれ。「大丈夫って言ってみる つらくて悲しいそんな日は 大丈夫って言ってみる」というもの。余分な言葉は不要な気がする。とにかく、「大丈夫」って言ってみる。あれこれと考えても仕方がない。「大丈夫」「大丈夫」

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ほんものに なりきれないと 秋の風

2014年11月19日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れている。気温は5度から14度、湿度は76%から62%、風は2mから3mの西南西の風が少し。明日の20日は、気圧の谷や湿った空気の影響で午前中は雲が広がるけれど、午後は次第に晴れる見込みらしい。

 

 今日は秋晴れのいい天気になった。そこで久々にお布団を干した。だが、昨日のこともあるので遠出の散歩には出ないこと。車には乗らないこと。猿の番をすることの三点をきつく戒められた。では、することがないではないか。

 

 で、教区の機関誌の原稿書きをやってみた。「讃岐における二十四輩を歩いて」の四回目の記事。東植田町から塩江町という高松市東南部方面。書き上げたついでにメール送信しておいた。

 

 それから、通年日記帳の整理もやっておいた。2006年から2014年11月分までを記入した。今年1年もなんだかんだとあった年だなぁと実感した。まだ、10大ニュースには早すぎる。

 

 お昼前になって、私の下の(三男)のたっくんがやってきて、「うどんにでも行こうよ・・・」というので出かけたが、ちょうど時間が正午前。どこのうどん屋さんも超満員。ここもだめ、あそこも超満員、ここも車が止められない・・・と四軒目のここに入った。讃岐にはめし屋もソバ屋もラーメン屋もレストランもない。あるのはうどん屋さんだけ・・・。

 

 木田郡三木町鹿伏にある「讃岐手打ちうどん寒川」というセルフのお店。今日はまつたけうどんを食べるはずがセルフうどんになってしまった。

 

 でも、時期だから・・・ということで「しっぽくうどん小」にした。弟は冬なのに「ぶっかけうどんの冷や」を注文した。ま、それが正解だったかも。私は暑くて熱くて汗まみれ・・・。これで350円。

 

 最近のお店では、こういうプラスチック製のお箸を使うようになった。割箸はもったいないからと云う訳なんだろうか。希望者には割り箸も置いてはあるようだけれど。

 

 午後からは今年のお正月にいただいた年賀状の整理をやってみた。年賀状ソフトの不要になったデータも削除した。実に多くの方がお亡くなりになったし、母がいなくなって母の友人らのデータも削除した。その数、実に67人。

 

  もう、叔父さん、叔母さんという人が数えるほどしかいなくなった。多くの先輩や師匠ともいえる人もお亡くなりになった。時代の流れだなぁとしみじみとした。

 

 今日もまた、喪中はがきが届いている。でも、パターン通りなのかも知れないが、『永眠』ということばが印刷されているものがほとんど。仏教徒に『永眠』や『草葉の陰』は似合わない。

 

 今日の掲示板はこれ。「裏をみせ おもてをみせて 散るもみじ」という良寛さんの辞世の句といわれる言葉から。そこはかとない悲しさと、ほのぼのとしたやさしさというのだろうか、良寛さんの飾り気のない人柄がよく出ているように感じられる句である。この句は、晩年に交流の深かった貞心尼という尼僧さんに向けられたものだといわれているが、自分の心の中の弱い部分も含めて全てを見せてきた人(貞心尼)に対して、何か肩の荷を下ろすような、そんな気持ちをがあったのかも知れない。また、一説には、この句は、もともと谷木因が詠んだ「裏ちりつ表を散つ紅葉哉」という句を良寛が作り直したもので、『はちすの露』に収録されているともいわれているし、『裏をみせ 表もみせて 散るもみじ』ともいわれている。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


もみじ散り 今日もあたふた 日が暮れる

2014年11月18日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は冬型の気圧配置が続くため雲が広がりやすく、夕方まで雨の降る所があった。気温は9度から13度、湿度は74%から56%、風は4mから36mの西北西の風が少しばかり。明日の19日は、高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 今朝も8時半を過ぎた頃からウォーキングに出た。わが家から北に向かうと、ゆるやかな下り坂になっている。だから、快調に歩き出した。

 

 で、県道に出て、大川郵便局から香蓮寺あたりからゆるやかな登り坂になるのだが、このあたりから足が重くなってきた。さらにみろく自然公園までもゆるやかな登り坂。心臓はぱくぱくとするし、足は重くて10歩歩いては一休みする。

 

 このままでは動けなくなってしまうんじゃないか・・・と心配になったが、奥方は朝からお仕事に出ているし・・・。平坦地になればなんともないのだが、足の指が登り坂になると硬くなって動けない。水を飲んでもお茶を飲んでも効き目はない。

 

 歩き出したのだから、歩いて戻らねばならない。とにかく一歩ずつ、一歩ずつ。昨日はなんともなかったのに、今朝は何がどうしたというんだろ。

 

 この公園にもウォーキングや散歩の人が多い。みろく奥池を何周もするらしい。そんな人がやってくるとカメラを紅葉に向けてはやりすごしながら、一歩ずつ・・・。

 

 最後の坂道をあえぎあえぎ昇ったら、今度は下り坂になる。サッカー場を横目に見ながら坂を下って、県道2号線を南下する。鮎帰(あゆかえり)橋を過ぎたら、またもや長い登り坂。

 

 いつもは1時間半コースなんだが、今日は2時間少しで戻って来た。さすがに足が痛くなってきた。そんなに疲れるような毎日でも無いはずなんだけれど。

 

 教区の機関誌の原稿依頼が飛び込んできたし、法話の話も届いているのだが、眼がこんな状態だから気分的に乗らないのだからどうしようもない。そのくせ、自分史用の日記帳の整理には手をつけている。

 

 今日は2012年から2013年の日記を整理していた。これを見ると、「病院」という文字が多い。そんなに病院に行った記憶はないのだけれど。でも、風邪や肺炎の文字も見えるし、定期的な検診もあるから、けっこう、病院のお世話になっているものらしい。

 

 お昼からは奥方と東かがわ市方面へドライブ。奥方の用事と私のご用が半分ずつ。

 

 来週の京都行きについて、打ち合わせをしたり、奥方の買い物をしたり。お正月用の餅米を注文していたのを受け取りに行ったり・・・。

 

 最近、このような張り紙があちらこちらで見られるが、イノシシが捕まったとか野猿が捕まったという話はきかない。たくさんのオリ形の捕獲ケージも見られるが、餌用のサツマイモはそのまんま。

 

 今日は早めにお風呂に入って、早めにお休みすることにする。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分の心が一番しまつに困る 承知せぬのは自分の心である」という曽我量深先生の言葉から。本当にあわれみ,かなしみ,はぐくむということは計画しても出来るものではない。自分の心が一番始末に困る。承知せぬのは自分の心である。故に「おもうがごとくたすけとぐること,きわめてありがたし。」思うが如くなるということは世の中は一つもない。世の中は一から十まで思わざる如くに動くのだそうである。(曽我量深『歎異抄聴記』より)

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


秋の日は あっという間に 暮れ過ぎる

2014年11月17日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、昼過ぎから夕方にかけて、雨の降る所があった。気温は8度から16度、湿度は80%から56%、風はおだやかで1mから2mの東北東の風が少し。明日の18日は、寒気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

  

 昨日、前山ダムを一周したからということでもないのだが、今日は家の近くにある「県営大川ダム」を一周することにした。「隻眼」ということで、車の運転は危ないし、かといってパソコン操作も面倒になってきたし、読書も隻眼では疲れやすい。ということで、できることは歩くことくらい。

 

 大川ダムは、津田川総合開発事業の一環として、津田川流域の治水安全度の向上や流域における水不足の解消のために昭和38年度に完成した。私が小学5年か6年の頃に着工して、中学2年の時に完成したように思う。当時はばかでかいダムだなぁと思ったが、今はさほどのダムではない。

 

 発電棟脇のこの階段を昇って堰堤上に出る。この頃になると蜘蛛は一匹も居ないし、蜘蛛の巣もなくなっている。

 

 堰堤からはこのような管理用道路がついていて、路面はコンクリート舗装になっている。ときおり倒木があったり、土砂崩れの箇所もあって、通れるのかなぁと思うような場所も何カ所かある。

 

 たとえば、こんな所がある。竹林が迫り、あるいは倒れて、その下をかいくぐって歩いてきた。最近は管理もされていない様子。

 

 最近、水位が安定してきたようで、ヘラブナ釣りの人が何人かいる。ここには鯉もいるしブラックバスもいるらしい。

 

 ②の左から出発して南下して大川ダムの字からダムの管理用道路をさらに南下して、県道で折り返して北上して、地図の上端で折り返してわが家に戻る、およそ8Kmの2時間コース。今日は汗がじっとりと流れていた。

 

 来週は上洛の予定だが、その準備も遅々として進まない。左目が見えないというのはこんなにも不便なものかと思うし、気分的に前向きになれていない。今週20日には手術前の準備事前検査がある。その問診票も記入しないといけないし。

 

 そんなことばかり言うてもいられないので、今日はリビングのおこたを出した。それにオイル・ファンヒーターを出して灯油を買ってきて試運転も済ませた。山の奥では朝夕が冷え込んでくる。

 

 奥方のけいこばぁが早くも年賀状を買ってきた。ま、年賀状は眼の手術が終わってからでも間に合いそう。そんなに慌てなくても良いし。

 

 ということで、今週は上洛の準備と冬支度の準備になりそう・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「卵は割らないと目玉焼きはできない」というもの。似たような言葉に、「卵を割らなければ、オムレツは作れない。」ということばがある。ドイツの軍人、「へルマン・ゲーリング」の残した言葉。この言葉は、映画、『オール・ザ・キングスメン』の中にも引用されていて、「何事も行動を起こさなければ前には進めない」という意味でもあれば、「自分の殻を割ることでしか得られない何かがある」という意味にもとれる。勇気を起こさせてくれる名言である。この掲示板では、後者の自分の殻を割ることを勧めている。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


また今夜 放浪の身となる 落ち葉道

2014年11月16日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷の影響で西から薄雲が広がってきている。気温は7度から14度、湿度は74%から53%、風は1mから2mの東の風が少し。明日の17日は、気圧の谷や湿った空気の影響で、日中を中心に雲が広がりやすく、昼過ぎから夕方にかけては雨の降る所がある見込みらしい。

 

 今日はふるさと環境整備美化運動ということで、さぬき市前山地区のクリーン作戦のお手伝い。「おへんろつかさの会」にも応援要請が来ている。11月3日の88ウォークの時に、手袋と案内状とゴミ袋を渡されたもので、参加してみることにした。

 

 午前8時に、前山地区活性化センター前に集合。この日は「おへんろつかさの会」会員7人が参加。私たちは前山ダム一周コースが担当。

 

 前山ダムの下のピンクのゾーンを出発して、反時計回りにダムを一周する。

 

 この手前の数人がおへんろつかさの会員さん。後方の人たちは別のグループ。地元の前山地区の人たちは「全戸参加」だそうだ。

 

 8時過ぎにゴミ回収に出発。みんな「前山は寒そうだ」というので重装備での参加。

 

 この6人がうちのグループに私で7人。けっこう、それなりに袋に何かが入っている。

 

  ヤマツバキの花を観賞したり、野菊の花がかわいいねとか言ってみたり、世間話をしながらのクリーン作戦。こういうことでもないと、なかなかにゆっくりとお話をすることもない人たちばかり。

 

 対岸の建物正面が出発地点。少し左寄りに「道の駅ながお」の建物。この日は風が無くてきもちのいい朝である。水面に波はない。

 

 道ばたには前山ミニ八十八か所の石仏群があちらこちらに散在している。

 

 時にはイチョウやもみじの落ち葉を拾いながら、ああだこうだと世間話から衆議院解散の話まで。というのも、投票日がいつになるかで、講演会の会場が使えなくなる可能性もあるから、14日やろか、21日やろかというてみたり。それによって活動が変わるからである。

 

 そうして集められた「燃えるごみ」に、

 

 こちらは燃えないゴミの空き缶やら古タイヤ、金物類に・・・・

 

 パソコンのディスプレーからストーブまで。こんなものをおへんろさんが通るおへんろ道周辺に捨ててあったのか・・・。

 

 閉会式に参加した人たちは、この倍の数。私の後ろにも右にも左にも。総勢100人ほど。さぬき市長さんほかの挨拶でおしまい。パンとジュースを頂いて解散した。9時半過ぎだった。

 

今日の掲示板はこれ。「できないとやってないは同じじゃないよ できないと思っている90%はやってないだけ」というもの。今日のクリーン作戦の成果をを見て驚いた。昨日もここを通ったけれど、「なんだ、きれいじゃないか。クリーン作戦やっても意味ないと思うけど・・」と思ったのが事実。20人もが一列になって歩いても、そんなに紙くずや空き缶が落ちている訳はない。ところがどうだ、100人が集まってお掃除したら、あんなにもゴミが集まったじゃないか。やっぱり、やってみるもんだなぁと思った次第。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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