まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

セミの声 言葉もよどむ 昼下がり

2014年07月31日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れている所もあったが、湿った空気の影響で雲が広がり、雨の降っている所もあった模様。気温は24度から34度、湿度は90%から67%。風は1mから6mの南東の風が吹いたりもした。「高温が予想されるため、熱中症など健康管理に注意してください」と気象庁は呼びかけている。明日の8月1日は、引き続き湿った空気の影響で雲が広がり、午後は雨の降る所がある見込みらしい。

 

 ドーナツのドがつく田舎だから、二階の窓は網戸だけ。だから朝方は肌寒い・・・。最近は「トウキョウトッキョキョキャキョク・・・」の声にカナカナゼミの声が混じって賑やかな朝だ。朝方は涼しくて、よく晴れて気持ちのいい朝になった。それならば・・・ということで出掛けた先は・・・。

 

 我が家のお墓。このお墓は親父が亡くなってから建てたもの。それまでは松の仏生山法然寺に納骨をしてきた。旧宅の元屋敷周辺には自然石のお墓が十数基並んでいたように思う。

 

 明日の八月一日が、その父の祥月命日に当たるので、今日はお墓の草刈りやら掃除やら・・・。ここの草だって、五月の連休前に刈ったのに、草はすっかりと伸びていた。8時の朝食を食べてから、ここに来たら、一気に気温が上昇してきて暑くなった。やはり朝早くに草刈りをしなければ。

 

 こんなボトルなんぞ一気に飲み干してしまった・・・。

 

 昭和四五年(1970)というから四四年前の写真ということになる。私がまだ23歳(野辺位牌を持っている)、次男(写真を持っている)が21歳、母(骨壺を持っている)はまだ43歳だった。親父は46歳であった。三男は就職試験に出掛けていて不在。だから、この写真の人の多くもお浄土に還ってしまった。*背後の家は我が家ではない。

 

 お仏壇のお掃除は大丈夫。明日は兄弟ほかが集まっての祥月命日のおつとめを、夕方18時から行う予定。導師はもちろん、この私。

 

 今日も、先日の高知研修のレポートの修正やら追加やら前書きやら後書きやら奥書やら参考文献なんぞもつけたりして・・・。

 

 ということで、レポート集の完成。明日にでもさぬき市観光課に提出しておこうと思う。明日からはいよいよ八月だな・・・。

 

 午後になると雲が広がってきて、蒸し暑くなってきた。ここの工事現場でも、朝の涼しいうち、7時半から作業をやっているが、だからと言って16時半に帰るかというと、そうでもない。昼間の休憩時間を永くしているのかも・・・。

 

 だんだんと工事の様子が見えて来るようになった。三台のバック・ホウがいて、上段できれいに掘削するものと、中間でそれを下へ投げ降ろすものと、下でダンプカーに積み込んで運び出すものと分担して作業している。

 

 青空に元気なのはセミとサルスベリの花。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は、できることに集中することであり、できないことを悔やむことではない」というもの。アインシュタイン以降の物理学、宇宙論の第一人者、スティーブン・ホーキング博士。幼少の頃から数学や物理学に才能を発揮していた彼は、17歳でオックスフォード大学に入学。その在学中に、筋萎縮症性側索硬化症という難病にかかり、大きなショックを受ける。しかし、博士の強固な意志と周囲の協力により、精力的に研究を続けてきた。ケンブリッジ大学院の研究生として本格的な宇宙論の研究を始め、1960年後半に「宇宙にはブラックホールが存在する」ことを示した。1980年代になってからは、宇宙の起源や量子力学が宇宙の運命に及ぼす影響について研究を開始。まだ、どうやって宇宙ができたかは解明されていないが、博士の功績はじつに大きなものである。

 

 筋萎縮症性側索硬化症は、筋肉に血液がうまく供給されず、次第に全身の筋肉が衰えていくというもの。さらに1985年に患った肺炎により、24時間介護が必要となった。喋ることもできなくなった。しかしスピーチ・シンセサイザーやポータブル・コンピュータを駆使し、大学等で講演活動を行っている。周囲の理解、協力が博士にとって大きな存在であることは間違いないが、そして、それらを無駄しない、まさに「できることに集中する」人生を送っているといえるだろう。宇宙は無限かもしれないが、人の一生は有限。後悔の時間は、反省点を拾い上げる程度に切り上げ、できることに集中して仕事、生活、人生をこなしていきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


病院の くすりぶくろに セミの声

2014年07月30日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は南から流れ込む湿った空気の影響で雲が広がり、雨や雷雨となっている所があったようだ。気温は朝から27度で最高は34度、湿度は94%から70%と蒸し暑い午後になった。まるでサウナ風呂みたいな熱い空気に取り囲まれたみたい。風は3mから8mの南南東の風が吹き荒れもした。明日の31日は、引き続き、南から流れ込む湿った空気の影響で、雲が広がりやすく、午後は雨の降る所がある見込みらしい。

 

 本当は7月14日が予約診察日だったのだが、京都に7日から17日までいたために、予約を変更してもらって、今日の30日になった。

 

 朝方はよく晴れていて気持ちの良い朝だった。水曜日だということもあってか、駐車場も患者さんの数も少なかった。例によって、受付を済ませると「中央処置室」前で待っていた。血液検査の採血を待っていたのだが、いつまで待っても呼んでもらえない。15分ほど待っていたのだが、ふと、受付票を見ると、「中央処置室」ではなくて「生理検査室」だった。呼ばれないはずだ。

 

 この部屋へ行くと、「お待ちしていました。その部屋に入ってください」と即座にベッドに寝かされて心電図の検査。数分ほどで検査も終わる。以前には長いテープのような記録用紙を渡されたものだが、電子カルテになってからは何も手渡されなくなった。

 

 電子情報がサーバーに送られて、電子カルテとして登録されるのだろう。

 

 この方が私の担当ドクター。で、相変わらず、心臓のカテーテル手術をさかんに勧めるのだが、夏場の暑い時期は勘弁してもらった。ここの病院には風呂がない。希望者はシャワー室が使えるのだが、それも週に1度か2度。気候が良くなってからにしたいとお願いした。

 

 予定通りに10時30分から45分までに診察終了。この時間帯ではおなかもすかないので、しばらく走りながら、うどん屋さんを探して回った。

 

 このお店の前で11時になったので、ここに入った。さぬき市長尾東笠堂という地区にある「笠堂や」というプチセルフのお店。カウンターで注文して、できあがったおうどんを受け取って、会計をすませて、好きなトッピングを乗せて食べる。食べ終われば食器は返却口へ戻しておしまい。

 

 今日は夏らしく、「梅おろしぶっかけうどん小(一玉)の冷や」をお願いした。これで330円。ドクターに肝臓の数値が高いのと中性脂肪値が上がっているので要注意と言われたが、肝臓はわかるとして、中性脂肪というのはどうして溜まるんだろうか。たいしたものは食べていないのだけれど。これもお酒かな。

 

 11時過ぎだから、お客はパラパラ・・・。

 

 で、二階の書斎に戻ってみて、「テ!!」と思った。少し前なら「じぇじぇじぇ・・」だった。な・なぁんと、温度計が37度を指している。室内で、しかもパソコンの陰でである。これはアカン!!と思って、エアコンをつけた。

 

 あつい!あつい!と騒いでいる間に、今度はサル軍団の襲来。けいこばぁ農園に十頭ほどが潜り込んでいる。

 

 このロケット花火で迎撃。「ピュ~~~・・・・バァン!」を数発。サル軍団は蜘蛛の子を散らすように逃げ去ってしまったが、もう、これだけで汗まみれ。

 

 ようやくに涼しくなった書斎で、昨日の続きでレポートの作成をやっていると・・・

 

 いきなりの雨・・・・。遠くで雷も鳴っているが、ほどなく雨も雷も姿を消した。

 

 今日の掲示板はこれ。「あなたが生まれなければ、この世に生まれなかったものがある」というもの。考えさせられる言葉だが、これ、実は、「アミューズメントメディア総合学院」のキャッチコピーなのである。「夢を夢で終わらせない」。上手いなぁと感心した。誰が考えたんだろう。何かを生み出したいと苦しんでいる私たちには勇気づけられる言葉である。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


堂々と 悩んで生き抜く さるすべり

2014年07月29日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れているが、午後からは大気の状態が不安定となるため雨や雷雨の所がある見込みだとか。そう言うわりには雨は降らない。気温は21度から34度、湿度は94%から61%。風は2mから5mの南東の風が吹いていたこともあった。明日の30日は、南から湿った空気が流れ込むため雲が広がりやすく、午後は雨や雷雨の所があるらしい。

 

 今日は久々に香川県立図書館に行ってきた。ここのクマゼミは元気で朝から「シャンシャンシャン・・・」と、大合唱。

 

 ここへ網や虫かごなどを持ってこどもを連れてくる母親がいる。それほど多くのセミがいるのだが、こういう場所で、虫取りをしてもいいんだろうか・・・という疑問を持った。昨年だかに、仏生山法然寺の池で鯉を網ですくう母と子を見た。「それはあかんやろう・・」と思ったが、注意する権利があるんだろうかと思って眺めて通ったが・・・。

 

 いやに子供が大勢いるなぁと思えば、そうなんだ夏休みに入っているんだ。ま、とりあえず・・・と、入ってみたけれど、冷房はあんまり効かせていないようだし、こどもがうろうろしていたりしてなんだか落ち着かない。

 

 専門書コーナーへは子供は寄りつかないだろうと「空海コーナー」に廻ったが、さすがにこれは難し過ぎて眠たくなってきてしまう。

 

 と言うことで、今日は先日の高知方面へのバス研修のレポート作成をやっておく。早めに記録をしておかねば右から左へと抜けてしまって忘却の彼方へと消えて行く。

 

 毎年、この時期になると、セミの鳴く時期、鳴く時間帯、鳴く温度・・・というものが話題になって、それらをどこかに書いた筈だと思って探すのだが見つからない。また、グーグル検索などで調べてみても曖昧なことしか出て来ない。こういう時代「地球温暖化」とか「生物の多様化」などで公式というか対応とかが変化してきたのだろうか。

 

 我が家の場合、朝方は「カナカナカナ・・」というヒグラシの声で起こされる。おそらく20度前後の気温と思う。セミは17度以下では動けないとか聞いた。でも、20度前後に温めると、再び飛び上がるのだそうだ。

 

 それから、「ジジジジ・・・・」と鳴くアブラゼミ。これも午前中いっぱいだった。「シャンシャンシャン」と鳴くのがクマゼミ。これもほぼ午前中。午後からも鳴いているのも聞いたことがあるから流動的かも。

 

 そうそう、今日の夕方の「迷犬ごん」の散歩の時にはしばらくだけれど、「ミーン、ミーン・・・」と鳴く、夏を代表するセミの声、「ミンミンゼミ」を聞いた。その後・・・・

 

 わずか、数分だったけれど、「ツクツクボーシ・ツクツクホーシ・・・」と鳴く、「ツクツクボウシ」の声も聞いた。「お、いよいよ、おまえの出番なんか・・・」と思ったことだった。その後は「カナカナカナ・・・」というヒグラシの声。今日はそれでおしまいみたい。暗くなれば虫の世界の音楽会。

 

 しかしのかかし、昨日の涼しさとは打って変わって、今日は暑い一日になった。真夏だ、土用だと言われれば仕方がないのだが、とにかく暑くなった。暑いときに暑くならないと水稲とかの生育には不都合が生じるらしい。

 

 そうそう、昨日、奥方のけいこばぁの知り合いの農家で、早くも稲の収穫をする様子がテレビで放映されていた。東かがわ市小砂(こざれ)の丸山繁さん(51)が、「アキタコマチ」の収穫をやって、そのあとに田植えをして、讃岐では画期的な米の「二期作」をするのだそうだ。小学生の頃には、高知の二期作を勉強したけれど、讃岐でも二期作とは頑張るなぁ・・・。

 

 その小学生のころ、「二毛作」と「二期作」との区別がよく判らずにいて、いつもテストでは「ペケ」がついていた。二毛作というのは、麦を作ったあとに稲を植えることだと、親父に教えられたのだが、いつも左の耳の穴から右の耳へと抜けてしまうのが常だった。

 

 今日の掲示板はこれ。「念仏は悩みをなくすのではなく 堂々と悩んでいける道である」という曽我量深先生の言葉である。妙好人といわれた庄松さんはまさしく安心して悩むことができる道を見出された。「(悩みを)持ったまま」「邪険という角を持ったまま」、安心して堂々と悩んでいける道しか、私たちがすくわれる道がないと仰せになったのは法然上人さん。そこには、いのちを我が物にして苦しんでいたことから解放された法然さんの喜びがある。思いどおりにならない状況のなかに、実は光輝く世界があるもの。法然さんは、「真宗の教えは立派な人になっていく教えではない。人間は愚かであるがゆえに、はかりしれないいのちからの呼びかけを常に聞いていかなくてはならないのだ」と言われている。この呼びかけを忘れて、自分の思いにとらわれてしまうのが凡夫とよばれる私たちのあり方なのであろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


借り物の いのち尊し 夏のつゆ

2014年07月28日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は日本海の高気圧に覆われて概ね晴れている。気温は20度から29度、夜明け前は寒くなって窓を閉めてしまって寝た。午前中もエアコンなしで作業ができた。湿度は82%から54%。風は2mから1mの北の風が少しばかり。明日の29日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 さて、高知の旅から戻って来たら、夏の高校野球香川大会は終わってしまっているし、大相撲名古屋場所も終わってしまっていた。早くも夏が終わってしまったような印象・・・。明日から、何を、どうしようかと思案してみたり・・・。

 

 さて、土日の高知旅行に行くのに、ノートPCは入れたのに、この「通信アダプター」を入れるのを忘れてしまって・・・。これがなければただのパソコン、古くには「スタンド・アローン」なんて言われたもの。民宿だから、インターネット環境くらいあるかなぁと思ったけれど、そんなものはない、ただの「おへんろ宿」だった。

 

 そこで、朝の間は、デジタル画像の整理やら縮小やらをやったり、ブログの更新をやったりして昼が来る。今回は高知県窪川から足摺岬方面という長距離コースから、四万十市経由の宇和島地方までのハードなコース。なんという場所のなんというお寺を廻ったんだろうか・・・と意識がはっきりとしなくなった。

 

 で、ふと、カレンダーに目をやると、怒濤の七月も今週でおしまい。それに八月がもう、まもなくだ。あれあれ・・・ということで、「まほろば自然博物館(本館):HP版」の九月の行事予定表を作成しなければならない。あっという間の一月だったなぁと思った。

 

 七月上旬は、地区の会堂周辺の掃除から女体山の夏の例祭、それが終われば京都での住職研修会、その後の神戸での博物館巡りを経て、本山での研修会があり、帰宅すると、これまた夏休み特集の博物館巡り、そして昨日・一昨日の高知バス研修・・・。30日の県立病院での予約診察が終われば七月もおしまい。

 

 八月になれば、またもお墓周りやら自宅周りの草刈りをやらねばならない。恒例のしわく広島でのお盆休みも、今年は受験生を控えての缶詰猛勉強になるらしくて予定は全くの未定。八月は「夏休みの自由研究」に没頭することになるのかも。

 

 最近はアブラゼミの声を聞かなくなった・・・という声を聞くが、我が家周辺では連日アブラゼミの声がにぎやかに聞こえる。朝夕は「カナカナカナ・・・」というヒグラシが聞こえて来るし、セミは温度を感じて鳴く種類も変わってくるものらしい。さすがにこのあたりでは「シャカシャカ・・」というクマゼミの声は聞こえない。

 

 朝、迷犬ごんの散歩に行ったら、不動堂の外灯周辺に、蛾の羽やカブトムシとカミキリムシの頭が五つほど散らばっていた。何がそんなものを食べるのかが疑問になった。でも夜中に出掛けて行く元気はない。夕方の散歩では、それらがきれいに無くなっていた。アリが運んでしまったんだろうか。山の自然もまたミステリアス。

 

 高知でもきれいに稲が実っていたが、まだ、刈り取りはやっていなかった。このあたりでも、次第に稲穂が垂れては来たが、収穫はお盆過ぎだろうか・・。

  

 とんぼの姿を見掛けると、いよいよ秋かなぁとは思ってしまうが、本当はこれからが真夏になってくるんだなぁ。

 

 今年はまだ、入道雲らしい雲を見ていない。今日はおどろくような涼しい日になった。

 

 今日の掲示板はこれ。「時が来ればお返しせねばならぬ 財産も借りもの 命も借りもの」というもの。 人の命はいつかは尽きる時が来る。それは誰しも理屈ではわかっていることだろうが、俺は死んだ後にも財産を持っていくぞと言わんばかりに金を稼ぐことにあくせくしている人がいる。地獄の沙汰も金次第だとうそぶく人もいる。しかしのかかし、人は裸になって死んでいかねばならない。「無常たちまちに至るときは 国王大臣親じつ従僕妻子珍宝たすくる無し ただ独り黄泉に赴くのみなり」と『修証義』にあるとおり。大臣になろうが、資産家になろうが、それはこの世の中でしか通用しないもの。だからこそ「相続」とか「継承」という概念があるわけだ。逆にいえば、貧しくても、出世しなくても、何も悲観する必要がないというもの。その人はその人なりの花を、この世で咲かせることができれば、仏さまのものさしで言えば、「一所懸命に生きた、素晴らしい人生」なわけだ。だから、明るく、気楽に生きたいものである。

  

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


来てみれば ムクゲの色と 伊予の空

2014年07月27日 | たまには旅など・・。

 足摺地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、午後は大気の状態が不安定となるため、雲が広がってきて、一時は雨も降ったが、たいした雨にはならなかった。高温が予想されるため、熱中症などに注意するようにと、気象庁が呼びかけている。気温は26度から37度、湿度は88%から60%。風は3mから4mの南南西の風が少しばかり。明日の28日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 ノートPCは持って来たのだが、肝心の通信アダプターを忘れたためにブログの更新ができなかった。足摺岬の朝は5時半くらいだろうか、それなのに、3時過ぎから起き出す老人がいて、なんだか寝不足気味。朝の朝食は6時半。それなのに、4時半にはもう、起き出して散歩するもの、シャワーを浴びる者などさまざま。おちおち寝てもいられない。

 

 予定を1時間前倒しにして7時に宿を出発。高知県最後の札所、39番延光寺さん参拝。日曜日のせいかおへんろさんが多い。39番延光寺から40番観自在寺まではおよそ31Km、バスで1時間弱。

 

 この寺のシンボルの赤亀が運んで来た鐘。現在の山号、寺名の由来にかかわる竜宮城の縁起からひも解こう。時代は平安中期、延喜11年(911)のころ、竜宮に棲んでいた赤亀が背中に銅の梵鐘を背負ってきたという。僧たちは早速これを寺に奉納して、これまでの山号、寺名を「赤亀山延光寺」に改めた。この梵鐘には、「延喜十一年正月…」の銘が刻まれ、総高33.6cm、口径23cmの小柄な鐘で、明治のはじめ高知県議会の開会と閉会の合図に打ち鳴らされていたともいわれ、国の重要文化財に指定されているそうな。

 

 愛媛県は「菩提の道場」。その最初の霊場は40番札所の観自在寺で、一番霊山寺からもっとも遠くにあり、「四国霊場の裏関所」とも呼ばれる。寺があるこの町は、美しいリアス式海岸の宇和海に面した最南端で、海洋レジャーの基地、真珠の生産地としても知られる足摺宇和海国立公園の景観を存分に楽しむことができる。

 

 とにかく暑い・・・。七月の炎天下を歩いて研修するのだから大変だ。意識がもうろうとする。ここはバスの駐車場から細い路地をくねくねと歩いてお寺まで進む。弘法大師が大同2年に平城天皇(在位806〜09)の勅命を受けてこの地を訪れ、1本の霊木から本尊の薬師如来と脇侍の阿弥陀如来、十一面観音菩薩の三尊像を彫造して安置し、開創したとされている。このとき、残った霊木に「南無阿弥陀仏」と6字の名号を彫り、舟形の宝判を造って庶民の病根を除く祈願をなされた。この手ぬぐいを1500円で授与しているが飛ぶように「売れていた」。

 

 宿舎を1時間早く出たために、食事時間も早まったが、しばらく待たされて、このお弁当になった。作りたてだろう、温かくておいしかった。量も少ないせいか、ぺろりと完食した。ここは愛媛県南宇和郡愛南町御荘というところ。近くの海で「紫電改」が引き上げられて近くに展示されている。

 

 40番観自在寺からは海岸線近くをひた走り、41番龍光寺に向かうが、前方にバスが数台。そこで、一つ先の42番仏木寺に入った。この間の距離は4Km、バスで数分の差だ。ここの鐘楼は珍しい茅葺き屋根。ここの梵鐘の音色が良いとかで鐘撞きをするにも順番待ち。熱心なおへんろさんたちだ。

 

 大同2年のころ、弘法大師はこの地で牛を引く老人と出会った。誘われるまま牛の背に乗って歩むと、楠の大樹の梢に一つの宝珠がかかって、光を放っているのを目にした。よく見ると、これは唐から帰朝するときに、有縁の地が選ばれるようにと、三鈷とともに東方に向かって投げた宝珠であった。大師は、この地こそ霊地であると感得、堂宇の建立を決心した。大師は自ら楠で大日如来像を彫造、眉間に宝珠を埋めて白毫とした。これを本尊として安置し、「一山仏木寺」と名づけ、草字体で書写した『般若心経』と『華厳経』一巻を奉納されたと伝えられる。

 

 そこから引き返して、41番龍光寺に入った。ここは珍しく(と言っても、土佐はお寺と神社が並ぶ札所が多い)、「神仏習合」ということで、お寺の中に神社がある・・・と、いうよりも、神社の中にお寺ができたというもの。宇和島は伊達家十万石の城下町、その市街地から北東に10kmほどのところが三間平野。地元では「三間のお稲荷さん」と呼ばれ、親しまれているのが龍光寺で、往時の神仏習合の面影を色濃く伝えている霊場である。その象徴ともいえるのが、山門は鳥居であること。この山門をくぐると仁王像に代わる守護役・狛犬が迎えてくれる。境内には狐とお地蔵さんの石像が仲良く並んでおり、仏と神が同居している。

 

 ここもおへんろさんがいっぱい。この暑い中、ごくろうさまなことだ。そんな中に、こんな普通のおじさんやおばさんが混じっているのがおかしいのか。創建のころから神仏習合の寺であった龍光寺は、稲荷寺として信仰され維持されてきたが、明治新政府の廃仏毀釈令により旧本堂は「稲荷社」となった。新たに本堂が建立されて、ここに稲荷の本地仏であった十一面観世音菩薩像が本尊として安置され、その隣に弘法大師勧請の稲荷明神像も一緒に祀られて鎮座している。

 

 今回の最後のお寺になる明石(めいせき)寺。このあたりのお寺の本堂や大師堂には、このような「唐破風(からはふ)」の建物が多い。これは伊達藩が特に許可し、寄進したものだという。ここはオレンジ色の本瓦葺きであるが、近年新しくされている。

 

 弘仁13年(822)には弘法大師がこの地を訪ねている。荒廃した伽藍を見た大師は、嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上して勅命を受け、金紙金泥の『法華経』を納めて、諸堂を再興した。その後、鎌倉時代になってから再び荒れ果てた伽藍の修復に当たったのは、源頼朝である。建久5年(1194)、頼朝は命の恩人である池禅尼の菩提を弔って阿弥陀如来像を奉納、また経塚をきずいて、山号の現光山を「源光山」に改めた。以来、武士の帰依があつく、室町時代には領主・西園寺家の祈願所として、また江戸時代には宇和島藩主・伊達家の祈願所となり、末寺は70余寺を数えたと伝えられる。

 

 41番龍光寺と42番仏木寺は約4Km、車で5分の距離、そこから43番明石寺までが約15Km、バスで30分の距離。宇和島からは工事中の部分なども含めて高速や自動車道を乗り継いで松山自動車に乗り込んで・・・豊浜SAで休憩してさぬき市へ・・・。我が家に着いたのは6時半過ぎ。予定より早くに帰ることができた。

 

 今日の掲示板はこれ。観自在寺あたりで見掛けた掲示板。「みずから光らないものは 他から光を受けて光る」というもの。 詩人の坂村真民さんの「光る 光る すべては光る 光らないものは ひとつとしてない みずから 光らないものは 他から 光を受けて 光る」という詩からの言葉である。「すべてのものは光る」「光らないものは他から光を受けて光る」という言葉に感銘を受けた。あるものは光って、あるものは光らないとなると不公平だが、「すべてが光る」「他から光を受けて光る」というのである。 阿弥陀仏の救いの光は、何ものにもさまたげられず、また、分けへだてなく、あらゆる生きとし生けるものを照らしている。苦しみ悩むすべてのものに「必ず救うぞ。浄土に生まれさせ仏にならしめるぞ」と誓われた阿弥陀様のお心は私にも注がれている。 私は自ら光る力は持ち合わせていないのだが、月が太陽から光を受けて輝いているように、私のいのちも周りの方々のいのちも阿弥陀仏からの光を受けて、いま、共に輝いているのであると思っていたい。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


むくげ咲く 足摺の寺 杖の音

2014年07月26日 | たまには旅など・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。高温が予想されるため、熱中症など健康管理に注意するようにと、気象庁が呼びかけている。気温は26度から36度、湿度は84%から60%。風は2mから1mの北北東の風が少しばかり。明日の27日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 さて、毎月恒例の「さぬき市おへんろつかさの会」の恒例バス研修の「櫻谷さんと巡る四国霊場」で、高知から宇和島に向かう旅の日。「土佐藩・宇和島藩は、なぜ、お遍路対策を強固に推し進めたのか」という研修。

 

 この方が「権大先達」の櫻谷和香さん。実は、私が某通信会社にいた頃、お世話になった「保険屋のおばちゃん」。今はこんなこともやってるんだ。近く「公認大先達」になられるのだとか。この方が、今回の旅のナビゲーター。

 

 さぬき市長尾の「亀鶴公園」駐車場から出発して松西ICから松自動車道-高知自動車道を経て土佐ICで降りて、途中マイクロバスに乗り換えて35番札所清瀧寺に向かう。この細くてくねくねした山道は絶叫マシーンみたいな道。私個人では、ここには行けないなぁと思った。

 

 次に向かったのが「36番青龍寺」。あの明徳義塾のある半島にあるお寺。あの横綱「朝青龍」がこの石段で猛特訓をしたというお寺。ゴルファーの「横峯さくら」もここで練習したのだとか。とにかくきつい石段だった。

 

 あの長曽我部氏が寄進して整備されたお寺らしい風格のあるお寺だった。35番清瀧寺から36番青龍寺までは約17Km、バスで30分だが、36番から37番岩本寺までは48Km、バスで1時間半。

 

 で、山からおりてきたところの海岸沿いにある「三陽荘」というレストランでお食事。マイクロバスの乗り場がこのレストランになっているという仕組み。朝が早かったために朝食抜きの私にはうれしい食事。すっかりと完食した。というても、そんなに量は入ってはいない。

 

 次に向かったのが37番札所の岩本寺。ここの本堂の天井、格天井(ごうてんじょう)の絵が有名。マリリンモンローとかネコとか尾長鶏とか馬とか・・・。

 

 天井ばかりも見つめてはいられない。

 

 どこのお寺も、「四国霊場開創1200年」ということで、きれいなお荘厳(しょうごん)が施されている。

 

 ここでは特別開帳ということで「矢負地蔵」を特別公開していた。当然、撮影禁止だが、それはきれいな輝くばかりのお地蔵さんだった。木造の地蔵さんに彩色を施したもの。この公開場所が売店の奥だというのもミソだなぁと思った。

 

 37番岩本寺からおよそ104Km、バスで2時間の距離にあるのが、38番金剛福寺。あの足摺岬の先端部にある。四万十市に入り、四万十川を越えて、土佐清水市に入り、細い山道の「スカイライン」を走り詰めて、ようやくに足摺に着く。山の頂上にあるお寺にはこんな池がある。今の住職さんが(実際は業者さんが)作ったものらしい。とにかく石ばかりの豪勢なお寺だ。

 

 ここでもご本尊を特別開帳しており、内陣に入り、住職さん、副住職さんの導師でおつとめ、勤行のあと、本尊や脇士のすぐ前まで入らせてもらって直々に説明を受けた。これはすごく得した気分になったもの。

 

 こういう場合、私は線香もおろうそくもあげないし、納め札も当然、納めないし、納経帳にご朱印もいただかない。自分の略袈裟に単輪念珠で合掌礼拝のみ。ま、私にすれば、「歴史散歩」的な感覚だが、大切にされている文化遺産と「聖地」であるという感覚は忘れてはいけないと思う。後ろ向きの銅像は「中浜(ジョン)万次郎」。

 

 ついでだからと、展望台に上って「足摺岬灯台」を眺めてきた。

  

 ここが、今夜の宿舎の「民宿西田」。先達さんご推奨の宿らしかったが、お世辞にも良い宿だとは思えなかった。

 

 汗をシャワーで流した(お湯は熱くて入れない「温泉だから水で薄めては効果が落ちると言う理由」ので・・)あと、しばらく休憩した後、お待ちかねの夕食。ご馳走に見えるが、食べたのはお刺身だけ。あと・・・、

 

 かつおのタタキ。ぜいたくを言ってはいけないが、高知ならば、もっとおいしいタタキがあるはずだが、「へんろ宿」だと言われれば仕方がない。

 

 ま、お食事会だと言っても、お勉強は寝るまで続いた・・・。

 

ということで、長くなったので、今日は掲示板はお休み。

 


大楠に 人の声無く セミの声

2014年07月25日 | 昭和レトロのお話なんぞ・・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、午後は大気の状態が不安定となるため、雲が広がってきた。雨の降る所があるのだとか。高温が予想されるため、熱中症など健康管理に注意するようにと、気象庁が呼びかけている。気温は26度から35度、湿度は81%から63%。風は2mから1mの北北東の風が少しばかり。明日の26日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 さて、先日から気になっている場所をどうしても確認しておきたくて、またも琴平に出掛けてみた。いや、先日、「おもしろ博って、どこでやってるんですか?」と、琴平名物の「駐車場誘導員」に聞いてみた。いずれも、「そんなもんは知らん」とにべもない。要は車を預けた人がお客さんで、それ以外の人には聞く耳を持たないようだ。

 

 で、あれこれとWEBほかで調べて出掛けてみた。「KONPIRA昭和なつかし博」というものらしい。これがメインのポスターである。これを見ると、こんぴらの町の七ヶ所で、それぞれにイベントをやっているらしい。

 

 で、こういう古い町並みを歩いてみたが・・・やっていない。「ナツカシアター」には昔の映画ポスターなんぞを展示してあるはずだが、あかりもついていないし、入口はロックされている。よくよくポスターをみれば、「毎土日休日のみ開催」という小さな文字が・・・。それじゃダメじゃん、春風亭昇太。

 

 ということで、今はここだけしかやっていないという、「ことひら浪漫館」。こんぴらさん(金刀比羅宮)の参道口にある、この「金陵の郷」は、酒造り創業当時(寛政元年(1789年))の白壁の酒蔵をそのまま復元している。大楠がそびえる「くすのき広場」を取り囲むように建つ「歴史館」「文化館」では、昔ながらの酒造りの風景を再現していて、酒造りの工程を人形の作業風景により紹介。ビデオ紹介や徳利、酒ビン、ラベルの展示、試飲コーナーもある(無料)。

 

 その入口にあるのが、この「ことひら浪漫館」。

 

 そこにあったものは・・・・。思わず、「なに、これ!」という、「ゆるぃぃぃ」品物。昭和の30年代から40年代のなつかしい家庭用品を集めたものらしい。「あなたが噛んだ、小指が痛い・・・」という伊東ゆかりの音楽も流れていたりする。

 

 手回し脱水ローラー付きの洗濯機や・・・・

 

 古い遊技機。俗にいう「パチンコ台」やスマートボール機もあった。一応、それなりのなつかしさは観じられるのだけれど・・・・。

 

 ま、一応、内部も見学させていただいて・・・。

 

 ま、ここは何度もお邪魔しているもので、さほど感じるものもない。

 

 さすがにここから先は無理。この暑さで大門まで行ったら熱中症になってしまいそう・・・。結局の薬局で、七ヶ所のイベント中、やってるのは浪漫館だけ。あとの六ヶ所は「土日休日限定イベントだった。

 

 午後からは、明日からのバス研修の準備。土佐藩・大洲藩・宇和島藩が、なぜにも遍路対策を強固にしたのか・・・という、最終のフィールドワーク。今回は夏場ということもあって、一泊二日の研修になる。そのお泊まりほかの準備。

 

 今日の掲示板はこれ。「目の前の苦しみに負けるな!! 近くにあるほど苦しい いつか過ぎて行くから 永遠の上り坂など無い」というもの。さだまさしの一所懸命日めくりカレンダーからの言葉である。最後の「永遠の上り坂など無い」というのが効いている。本当に苦しい時には、登っても登っても・・・いくら登っても下り坂にでないことがある。どれほど登っていくんだろうかと思うほど登っていくときがある。でも、下り坂のない上り坂はない。永遠の上り坂などない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


ひとしきり 三日三晩の 土用干し

2014年07月24日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は25度から35度、湿度は92%から61%。風は1mから4mの西北西の風が少しばかり。明日の25日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れるけれど、午後は大気の状態が不安定となるため、雨や雷雨の所がある見込み。

 

  いよいよと猛暑日がやってきた。こんな日はお出かけしたくはないが、エアコンを動かすのももったいないなぁ・・ということで、今日は丸亀に向かった。

 

 というご案内を頂いていたもので、丸亀市立資料館にやってきた。このパンフレットの左に見える一振りの日本刀、これが「ニッカリ青江」という刀で、これが豊臣秀頼から京極忠高に下賜されて400年目ということで、この展示会が企画されたとのこと。

 

 日本刀は「サムライの魂」と言われるが、それにふさわしい刀身だけでなく、鞘や束、目貫、鍔、小柄などの小物に至るまで細緻な彫刻や象眼などにも目を通したいもの。本物の質感や存在感や重量感など、ずっしりと内蔵に染みこむような圧迫感がある。

 

 この「四目結」が京極家の紋所。

 

 こういう形で、ここが所蔵しているものや金刀比羅宮所蔵のものとか、多くが個人所蔵のものが展示されていて、総数は57点。見応えのある展示になっていた。

 

 パンフレットにもあった具足はこれ。「肩白萌黄糸威朱塗二枚胴具足」というもので、京極家家老多賀家伝来になるもの。

 

 今日は時間的なこともあって、珍しく、こういうチェーン店に入ってみた。ここは丸亀市城西町にある「はなまる丸亀城西店」というプチ・セルフのお店である。普段には、こうしたチェーン店には入らないのだが、今日は背に腹は替えられないということで・・・。

 

 で、お店のあちこちに、「限定!とろたま」という掲示があったので、その・・・「とろたまひやかけ小」を注文してみた。つまりだ、つめたい麺に冷たいかけ出汁をかけて、その上にとろろと温泉たまごを乗せて、削りぶしとネギなどをトッピングしたもの。これで380円だった。これはテーブルまで運んで来てくれた。

 

 ま、変わった涼しさかなぁとは思った。

 

 我が家の梅も「七月八月あついころ、三日三晩の土用干し」をやっている。参考までに「うめぼしの歌」をば。

 二月三月花ざかり、うぐひす鳴いた春の日のたのしい時もゆめのうち。五月六月実がなれば、枝からふるひおとされて、きんじょの町へ持出され、何升何合はかり売。 もとよりすっぱいこのからだ、しほにつかってからくなり、しそにそまって赤くなり、七月八月あついころ、三日三ばんの土用ぼし、思へばつらいことばかり、 それもよのため、人のため。しわはよってもわかい気で、小さい君らのなかま入、うんどう会にもついて行く。ましていくさのその時は、なくてはならぬこのわたし。

 

 今朝はカナカナカナ・・・というヒグラシの声で起こされたし、昼間はジジジジジ・・・というアブラゼミの声が聞こえていたが、まだまだ、ツクツクボーシの声には出会わない。

 

 今日の掲示板はこれ・・・。「子どもはやがて大人になる 大人はいったい何になるのでしょう」という、ある小学生の言葉から。仮に質問を受けた大人が30代・40代であれば、「やがてはおじいさん、おばあさんに」と何とか答えられるけれど、質問を受けた大人が60代・70代、いや、それ以上だった場合はもうその先がない。どうしようか。

 

 その先は当然わかっている。やがては死人であろうか、それともお骨になるのだろうか。いや、この問いはそのような短絡的な答えを求めているのではないように感じる。もし、あなたが仏教徒であるならば、ぜひとも「大人は、やがて仏様にならせていただくのですよ」と答えていただきたいと思うもの。仏教徒のやがては、死人でもなくお骨でもなく仏様になるのである。しかしのかかし、その仏様になるはずの自分自身の生活を少し振り返ってみたいもの。本当に仏様になるような日暮をしているであろうか。つい、欲にかられ、愚痴、不平、不満、怒り、腹立ち、妬み、おごりの日暮をしているのではないのだろうか・・・と。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


大暑とは 草にまみれた 墓そうじ

2014年07月23日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れている。高温が予想されるため、熱中症など健康管理に注意してくださいと気象庁は呼びかけている。気温は23度から34度、湿度は90%から60%。風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の24日も、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 すっかりと夏らしくなってきて、ミーンミンというミンミンゼミの声が朝から賑やかだった。先日の夏参りの時、弟が「アブラゼミの声が聞こえなくなった」と言うていたが、このあたりでは聞こえているように思ったが、昨日、今日はミンミンゼミの声と、朝夕はカナカナカナ・・・と言うヒグラシの声が聞こえるようになった。

 

 さて、今日はここに行ってきた。由佐城は、由佐氏の居城で、東は香東川、西に沼地の多い自然を巧みに利用した要塞です。天正11年(1583)長宗我部元親軍が攻め入ったが容易に落城しなかったと伝えられる堅城だった。由佐家にのこる由佐家文書のなかに「由佐城絵図」があり、それによると香東川の西岸に柳並木があり、それに接して「下之城」があり、その西に内堀を隔てて「上之城」が設けられていた。上之城を中心に周囲16町ばかりの中を外堀、内掘によって仕切り、各地区は橋で結ばれ、外との連絡も南、北、西に設けられた橋によって行われていたことがわかる。城内には土塁が築かれ、櫓もあったそうだ。由佐家の居宅とした屋敷内には内堀、土塁跡を見ることができた。今でも香南歴史民俗郷土館の敷地内、庭園西側には土塁の跡が残されている。周囲には南門という地名も伝えられている。

 

 ここは、そのお城があった場所に建てられた「高松市香南歴史民俗郷土館」という建物。

 

 ここで行われている「船の仲間プラモ展」を見るためにやってきたもの。ここは、毎年、こうしたプラモ展をやっている。

 

 旧軍や海自や各国の空母や潜水艦、軍艦、民間船など多数のプラモデルが展示されている。

 

 これは旧軍の潜水艦らしいが、やっぱり「船」の形をしているのが興味深い。

 

 これは民間船のフェリーボートの「さんふらわ」。これは大きなプラモデルである。私が作った戦艦大和は、長さが1m50Cmもあったが、大きい割に小さな銃座や艦載機などの細かな部品が多くあって、完成までに三年もかかってしまった。

 

 これは宇宙戦艦のコーナー。

 

 当然、「宇宙戦艦ヤマト」もしっかりといる。我が家にも、戦艦大和と宇宙戦艦ヤマトが並んでいる。

  

 これは昔の「木製」の潜水艦キット。昭和の初期のものだろうか。「潜水艦」という言葉の響きに憧れたのかも知れない。私も中学生の頃には木を削って船や飛行機を作った記憶がある。その頃にはぼつぼつと「「プラスチック模型」もお店に並んでいたようには思うのだが。

 

 もう、このあたりでも「出穂(しゅっすい)期」になって、花盛りが始まっている。月遅れのお盆を過ぎたら収穫かな。お盆前に収穫するとお値段が良いようだが、この状況では8月の終わり頃に収穫かも。

 

 今日の掲示板はこれ。「努力をする人は希望を語り 怠ける人は不満を語る」というもの。戦後の文壇をリードした一人、井上靖の言葉である。「希望を語っていれば努力する気持ちになり、不満ばかり言っていると怠けるようになってしまう」とも言い換えられそうだ。人生のすべてが順調ということはありえないが、常に希望を持ち続けているだけで、気持ちは前向きになれるというものである。

 

じゃぁ、また。明日、会えるといいね。


乗り越える 壁の大きさ かたつむり

2014年07月22日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、薄雲が広がっているという空だった。気温は23度から31度、湿度は86%から64%。風は2mから3mの東南東の風がときおり・・・。明日の23日は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 我が家のゴーヤーのグリーンカーテンはすっかりと成長して、あちらこちらにゴーヤーが実っている。

 

 すっかりと成長してすでに幾らかを食べている。こればかりはサルも食べには来ないみたいだ。

 

 さて、NHKラジオでの「夏休み子供科学電話相談」が始まっているのだが、昨日あたりから夏の高校野球の香川大会の実況放送が優先されて放送されている。なんでも三回戦だとかで、勝てばベスト8入りするらしくて、今日の三試合で、そのベスト8が決まるらしい。

 

 そこで久々に「夏の県大会」をのぞいてきた。ここには毎年の「青春」がある。

 

 まさに彼ら達には「かけがいのない青春の一ページ」がここにはある。

 

 グランドにも応援席にも内野席にも、輝くばかりの若者の息吹がある。

 

 そして、これも青春の一コマ。県営球場で食べるうどんは格別の味がする。勝っても負けても、このうどんの味が忘れられない。

 

 私の今日の一杯はこれ。「ひやかけうどんの小」で、ここでは280円。ここしか食べる所はないのだから仕方がない。これにかきあげを乗せると400円になるという。

 

 今日7月22日は全国的に美術館・資料館・図書館・博物館などは休館日になっている。昨日が休日の月曜日だったから、自動的に「休日の翌日は休館日」になる仕組み。でも、そうでない美術館や博物館もあるにはある。そこで、以前から気になっていた美術館を訪ねてみた。それが、この、「歯ART(ハート)美術館。

 

 「歯ART美術館」などという名前がなんとなく怪しそうに思えるし、「歯医者さん」か何かがやっていそうな雰囲気が漂ってくるではないか。そこで、勇気を出して入ってみた。

 

 長い石段を下って玄関の受付にたどりついたら、そこが4階だという。入ってすぐの広い部屋が「企画展示室。今回は「松工芸高校」のデザイン科を卒業した4人と地元出身の作家による合同展になっていた。「撮影禁止」のために画像はないが、よく見掛けたキャラクターとか2000円札や5000円札や切手をデザインした人とか、ゲームセンターに設置してあるゲーム機のデザインとか・・・身近な所に、この5人の作品があることを知らされた。

 

 階段を下って三階に降りると、そこは骨董品の世界。焼き物から仏像から置物から・・・。すごいのがこのクラシック・カメラの数。およそ数百台と言われる各国製の古いカメラがずらりと並んでいる。ここの館長さんの個人的なコレクションらしい。ここは、毎日元気に快適に食べることができる「良い歯」を作り続けている歯科技工の会社「和田精密歯研株式会社」が設立した、全国でも珍しい歯とアートの展示がある美術館。

 

 それと、これまた各国のお面。日本のものからアジアやアフリカのものまであるのだという。

 

 そして、いよいよ・・・二階へと下りると・・・。そこは「歯」の展示コーナー。インプラントから差し歯、入れ歯、総入れ歯などの様子や仕組み、加工状況などのものすごい展示。上の画像はわざと小さくしてあるが、クリックしてみれば・・。実は5000個の入れ歯で、総額が1億5000万円にもなるそうな。

 

この銀杯にも驚くが、その左には本物の頭蓋骨が無造作に展示してある。ま、こわくはないが、気持ちの良いものではない。

 

 今日の掲示板はこれ。「本当のものがわからないと 本当でないものを本当にする」という仏教学者の安田理深さんの言葉から。自分がどこまで知ってるかを識別していないと、自分では知ってる範囲が全てで本当と思うと自認してしまうもの。大切なことは知っていることと、知らない事を分別する力、つまり知識だと思うのだ。本当のこと、これは「真実」とか「真理」ということを指すのではないだろうか。それが探索できないと、当然、自らが下す判断は誤りとなることが多くなり、自ずと良い結果は出ないくなる。問題とすべきことは、「本当でないものを本当にする」ということではないだろうか。私たちは、仕事や生活の中で、常に真実とは何か、真理とは何かということをしっかり学ぶ必要があると言うことだ。今回の骨董品とかコレクションとか、口の中の不思議さと秘密を垣間見て、そんなことを考えたことであった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


あきらめも ほどほどが良い 蝉時雨

2014年07月21日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、雲がかかっていることが多かったが、午後は大気の状態が不安定となるため、雨や雷雨の所がある見込みとか。気温は22度から31度、湿度は94%から69%。風は2mから」3mの北北東の風が少し。明日の22日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 今日の満濃池の水位はこんなもの。だいぶ、水位が下がってきたなぁと思う。

 

 今日のまんのう町帆の山地区の「ひまわり団地」は大混雑。なんでだろ・・と考えてみたが、今日は海の日で三連休の三日目になるのか。とにかく、大きなデジイチを抱えた人がどっさりとやって来ているし、若者達や家族連れらしい人もいっぱいいた。そうなんだ、今日は「海の日」なんだ・・・・。

 

  毎年、海の日からは一週間とか十日間とかは夏休みということで島の家に行くことにしていた。しかしのかかし、今年はなぜかスイッチが入らない。そこで、今日は海の日にちなんで、「海の科学館」に行ってみた。

 

 この「海の科学館」は、仲多度郡琴平町という町にあって、あの、「こんぴらさん」の裏参道沿いにある。今日は「海の日」だから、入場料は無料だろうと思って入ったら、小学生から高校生までは無料だが、おとなは450円の入場料がいると仰る。

 

 海の科学館というわりに、船の展示が多い。これは有名な帆船の「カティーサーク」これも作ったことがある。

 

 これは航海練習船の「日本丸」。多くの船員を育てた船だ。

 

 意外だったのがこれ・・・。幕府軍艦「咸臨丸」だというのだが、どうにもイメージが違う。セールを全て畳んでしまったら咸臨丸らしくなるのかな。こんな形のセール(帆)を見たことがない。

 

 これは実際に動く操舵席。夏休みで観光に来ている子供達のために譲ってあげた。わいわいと舵輪を回したりしてにぎやかだった。

 

 これは南極探検に使われた「開南丸」。明治45年に南極探検隊・白瀬中尉を乗せて行った船である。

 

 で、たくさんのおみやげをいただいた。DVDも三セットも無料で頂いたし、資料は厚さ三センチを超えていた。

 

 このシールもいただいたもの。「UW旗」という国際信号旗を使ったもので、「安全なる航海を祈る」という」意味である。返礼は「UW1」を掲揚して答礼する。

 

 今日のお昼はここになった。丸亀市綾歌町栗熊西にある準セルフのお店で、評判の三人姉妹のいるお店である。店に入ると、「今日はなんにするん?」と元気な声が飛びかかってくる。

 

 昨夜は弟やいとこらが集まっての「夏まいり」をやって、大いに食べて飲んで歌ったものだし、朝ご飯もしっかりといただいたもので、お昼は簡単にあっさりと食べたかったもので、「ひやかけうどんの小」をお願いした。ここはセルフといいながら、「おねぎ入れてもええんかいな」「おショウガも入れるんな?」とサービスしてくれるが、たくさん入れないようにするアイディアなのかも知れない。これで180円だった。

 

 今日の掲示板はこれ。「気にせず 苦にせず あてにせず」という「スミレとぉちゃん」の「楽書きメッセージ」からのことば。とは言うものの、あれこれと気に懸けてばかりいて、あれこれと苦しんでばかりいて、あれこれとアテにしてばかりの私たちである。ま、そういう煩悩を持ったまんまで救われるしかない私たちなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


梅雨明けて 雲まで高く 見えるもの

2014年07月20日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、大気の状態が不安定となるため雨や雷雨の所がある見込み。気温は22度から29度、湿度は96%から60%。風は2mから3mの南南西の風が少し。明日の21日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れるが、午後は大気の状態が不安定となるため雨の降る所があるらしい。それはそうと、本日11時に、「中国・四国地方は梅雨明けした模様」という発表があった。昨年よりも18日遅いというのだが、今日も明日もすっきりしない天気なんだけれど。

 

 ということで、「暑中お見舞い申し上げます。」これからが夏本番。暑さに負けずにご自愛くださいますように。

 

 さて、私はさぬき市観光協会のボランティア・ガイド「おへんろつかさの会」に入って、お遍路文化の研究や継承活動をやっているのだけれど、「お遍路は誰が始めたのか」ということが基本的な問題になる。もちろん、弘法大師空海が始めた・・・というのは有り得ない。そこで浮上するのが、「四国辺路の父」とも言われる「真念」という僧侶。

 

 この石碑に刻まれている「真念」という人だ。四国八十八ヶ所を特定し、現在の「発願の寺」1番札所から結願所の88番札所までの巡礼の札所番号を定めたのは「大坂」の宥辨真念だといわれている。江戸時代にあっては、大坂から四国へ渡るには淡路島を経由し鳴門から四国入りするのが普通であったことから、撫養(むや=徳島県北東部、鳴門市の中心地区。旧板野郡撫養町。撫養川河口にあり、古くから畿内〈きない=奈良県の全域と、京都府の南部、大阪府の大部分、兵庫県の南東部〉と阿波〈あわ=徳島県)を結ぶ交通の要地であった)の港に最も近い霊山寺を第1番札所と定めたという。

 

 明治時代まで版を重ねる一大ベストセラーとなった本格的なガイドブック「四國邊路道指南(へんろみちしるべ)の後の書きに発刊の願主として「仝所(どうしょ)寺嶋 宥辡真念房」と、また「四國偏礼功徳記」のそれに『大坂寺嶋頭陁(ずだ)真念 宥辡』と記されているところから、真念は大坂寺嶋(現・大阪市中央区空堀商店街付近)を本拠として活躍した頭陀聖(ずだひじり=日本の中世において、真言宗に属し、寺も師ももたず、高野山から諸地方に出向き、勧進と 呼ばれる募金のために勧化、唱導、納骨などを行った修行僧)であったと思われる。

 

 これが、その、真念のお墓とされるもの。現在は八栗山麓にある「州崎寺」の境内に、そのお墓があるというので行ってみた。現在の四国辺路を作り上げたという人のお墓である。この写真は元の位置、牟礼の塩屋の南三昧「さんまい:墓地」にあったもの。

 

 これが、その真念房のお墓である。近年、ここの場所に移転されている。その説明版によると。

 

 こういうことらしい。つまり、今年が「四国霊場開創1200年」と言われているのと少し趣が違うことになる。四国遍路のために多大な功績を残した高知出身の大坂(阪)で活動した真念が、「四国中興の祖」とか「四国遍路の父」といわれる由縁は、自ら20回以上も四国を訪れて弘法大師が修行したと伝わる霊場を巡って、「四國邊路道指南」や「四國偏礼功徳記(しこくへんろくどくき)」等の道中記や霊場記(ガイドブック)を刊行したうえに、遍路宿(屋)の建立や遍路道に標石を設置したためである。

 

 なお、お墓にはこのような字句が刻まれている。

 

 さらに真念は、各札所で取材し、四国遍路を同行した小沙弥(こしゃみ)洪卓(こうたく)が書いた札所の絵図と共に、高野山・宝光院の学僧であった寂本(じゃくほん)阿闍梨(あじゃり、あざり)に霊場記の編集を依頼して、1689(元禄2)年に「四國徧礼霊場記」(しこくへんろれいじょうき)を刊行している(これで江戸時代の遍路案内書は、ほぼ完成したといわれる)。

 

 つまり、それまでは修行僧や修験者などが四国の山中を歩いて修行していたものを、真念たちがガイドブックを作り、案内用の石碑や遍路宿を作り、お接待などの仕組みを作ったといういことらしい。こうして、一般民衆も四国遍路の旅に出掛けるようになったということだ。

 

 州崎寺は、源平の戦いの時、負傷した兵士たちを、「戸板:雨戸を外して」、その上に人を乗せて担架代わりにして収容したところだと言われている。

 

 一方、こちらは、土佐の長曽我部元親軍が讃岐へ侵攻した時、宿舎になったとされる「六萬寺」である。ここものちに火災にあって規模は小さくなったということである。

 

 

 今から約1280年前の天平2年(730年)聖武天皇が讃岐の国主高晴公に禄を増し、新たに領地六万戸を御下賜になった。高晴公は大変喜び、国家の豊穣を祈り大恩に報いるため牟礼の郷に寺院を建立し、これをお聴きになられた帝より『国豊寺』という寺号の勅額と新羅王から献上の阿弥陀仏を本尊にせよと賜ったのが寺の始まりであると伝えられている。その後40年ほど経って宝亀年中(770~780年頃)に国内に流行した疫病を鎮めるため当寺にて一大祈祷会を修したところただちに治まりまった。これを喜んだ高晴公は六万戸の領民に一戸一躯の銅の仏像を奉納せしめたため六萬寺と呼ばれるようになった。その霊験あって以来、多くの信心を集め七堂伽藍を備え、今の琴電八栗駅から大町駅にもおよぶ壮麗な寺院となったという。

 

 今日の掲示板はこれ。「欠点は直さなくて良い。見方を変えれば個性になる。持ち味になる。味わいになるから。」と云うもの。私たちは自分の「欠点」を嫌い、そのままでは人に嫌われてしまう、と思って、何とかそれを直そうとしたり、隠そうとしたりしてしまうもの。しかし、そういう態度は私たちを完璧主義に仕立て、むしろ、人との間に壁を作ったり、遠ざけたりしてしまうようになってしまう。実は「欠点」そのものが問題ではなく、「欠点をどう扱っているのか?」がとっても大切なことで、つまり、隠すのではなく、オープンに、直すのではなく、受け入れることが大切なことなのである。オープンになれなるほど、その欠点は嫌われることなく、あなたのひとつの個性として受け入れられ、愛されるようになっていくものである。

 

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

 


ひまわりは 東ばかりを 向いている

2014年07月19日 | 今日はすっかりとアートの世界

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がってはいたが、案外と晴れていた。気温は24度から31度、湿度は98%から68%。風は1mから2mの北北東の風が少し。明日の20日は、引き続き気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がりやすく、午後からは晴れる見込み。

 

 さて、かねてからご案内をいただいていたプラモデル展示会をのぞいてきた。場所は高松市牟礼町牟礼の山間にある「高松市石の民俗資料館」の企画展示室。

 

 ここは駐車場がこの芝生のさらに下にあって、階段をえっちら・おっちらと登って来る。で、さらにここから進んで、向こうに見える石段を上って行く。前期高齢者のおじいさんには石段はきつい。

 

 プラモデル・・と言うても、これはプロの作品だなぁと思った。松ニッパーズ代表の「ダッズ松本」さんは、幼少よりウルトラマン、ヤマト、ガンダムと順当にそっちの道を歩み、何度か人の道を踏み外しそうになるも、手先の器用さが幸いし、かろうじて一線を越えず現在に至る。雑誌や実演では香川県民であることをネタにしている。グラフィックデザイナーを経て模型誌のライターをやっている。

 

 模型造りに対するポリシーとして、「模型は格好のコミュニケーションツール」を信条としており、わかりやすく、閾値(いきち= 生体に興奮を引き起こさせるのに必要な最小の刺激の強さの値。刺激閾。)の低い2WAY指向の作品を得意とする。そのためモデラー的日常ごくありふれた生活描写や風景などのジオラマが多く、それらの作品は模型誌のみならずトークイベントや模型実演で発表されることも少なくない。無類のクルマ好きであり、カーモデルではしばしばプラ材やケミカルウッドを用いたスクラッチ工作や光沢塗装への強いこだわりが見受けられる。

 

 だから、今回の展示会でも「空母赤城」や空自や戦前の戦闘機、戦車など車の模型が目に付いた。

 

 細かなディテールや細やかな塗装は「さすが」と思わせてくれる。

 

 なかなか、細かな部分の塗装は難しいもの。

 

 こんなものも展示されていた。月面着陸の時のものか。

 

 ちなみに、私の作品はこんなもの。いわゆる「ガンプラ:ガンダム・プラ模」と呼ばれるもの。たくさんあったのだが、台風で家が流された時、不要品として処分されてしまった。これは、ここに引っ越してきてからの作品。

 

 これは初代ガンダム。塗装がいかにもまずい・・・。リアリティがない。

 

 ここ、石の民俗資料館では常設展示で石材の切り出しの様子なども展示してある。これは石を割る作業で、矢穴にタガネを打ち込んでいるところ。

 

 こちらは切り出した石材をろくろを使って運び出しているところ。オープン当時は本物らしく動いていたが、壊れたのか節約なのか動くことはなかった。

 

 石切の道具や、その道具を作る鍛冶屋のような作業用道具なんぞも展示されている。

 

 さすがに「石の民俗資料館」だけあるなぁと感心するばかり。ついでながら、私どもの島、「しわく広島」の青木集落にも、これと似た「石の里資料館」があって、こうした石材採掘用の工具や道具類が展示されている。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分は手を出さないで 人のやったことに口を出すな」という、荒了寛さんの言葉から。嫌と言うほどこの言葉の例を見て来た。自分は逃げてばかりで仕事にも企画にも参加せずにいて、私の成果に対してあれこれと口出しをする上司や同僚がいた。私が成果をあげるとやっかみになったし、そんなものはおれにもできるさとうそぶいた。実際、支店長に言われて、やると言って手を挙げたら部長から電話がかかってきた!「やる言うたんか!勝手にやるんやな!」と一方的に言われて電話を切られた。なんとか友人らの努力により何とかなりそうになると、とたんに手のひらを返したようになった。『手柄は自分の物!ミスは部下のせい!』 そう言う人間に限ってそういう事を言いだしたもの。同じような格言は一杯ある。自分はそんな事をしないでおこうと思っていた。できないままに定年退職になったけれど。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


ひまわりに 明日の予定を 聞いてみる

2014年07月18日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で、瀬戸内側を中心に雲が広がっていた。気温は24度から30度、湿度は93%から69%。風は1mから3mの南南西の風が少し。明日の19日は、引き続き気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、雨や雷雨の所がある見込みらしい。

 

 この左端の方の略袈裟と取り違えが起こっていて、その交換のために「まんのう町」まで行ってきた。

 

 昨日は、バタバタと帰り支度をしていて、うっかりと略袈裟を取り違えていたみたい。席も前後だったし、寝る場所もお隣だったし・・・。色も形も紋所も、全く同じ物であったからだし。

 

 で、すぐ近くにあったこの「梅木」といううどん屋さんに入ってみた。一応はセルフ形式で中高年のご夫婦でやっているお店。

 

 今日も暑いことだし・・・ということで、「冷やかけうどんの小」をお願いした。200円だった。消費税が上がっても、このかけうどんは変わらないみたい。

 

 けっこう、地元の方が頼りにしているようなお店だった。気楽に、我が家のような感覚で休んだり食事をしたりしている観じ。

 

 ついでに、「まんのう町帆の山地区」に行ってみた。ここのひまわり畑は満開状態。今月いっぱいまでは楽しめるらしい。

 

 今日は平日なのだが、いるわ、いるわ・・。大きなカメラをかついだ中高年の方々などがわんさかと・・・。私もその中の一人なのかも知れないけれど。ここの種類は「ホクレン」というもの。

 

 ここのひまわりは、種を収穫して「ひまわりオイル」を作るのだそうだ。栽培面積は町内全域で500~600アール程になっている。帆山団地では帆山地区内の9割近くの面積が団地化され、毎年500~550アールに作付けされ、約25万本が開花する予定。人を引き付け、元気を与えてくれる花「ひまわり」の魅力を町内外の人々に見ていただきたいと、関係者は話しているそうだ。

 

 ついでに、ここにも寄ってきた。仲多度郡まんのう町にある「満濃池」は、かんがい用ため池として名実ともに日本一である。満濃池の歴史は、大宝年間(701年~704年)にはじまり、讃岐の国守道守朝臣(みちもりあそん)が築いたといわれている。しかし、弘仁9年(818年)に決壊、朝廷の築池使真人浜継(まびとはまつぐ)が復旧に着手したが、改修がならず、空海が築池別当(つきいけべっとう)として派遣され、わずか3ヶ月足らずで周囲2里25町(約8.25km)面積81町歩(約81ha)の大池を完成させた。

 

 その後、450年近くを経て、鎌倉・戦国の混乱期もあって、放置されたままとなっていた満濃池の修復を、生駒讃岐守が家臣西嶋八兵衛に命じた。寛永8年(1631年)に修復事業は完成し、再び33郡44ケ村の田を潤すことになった。その後も、安政元年(1854年)の大地震で再び破堤し、高松藩執政(しっせい)松崎渋右衛門(まつざきしぶうえもん)の支援のもと、榎井村の長谷川佐太郎(はせがわさたろう)らの尽力によって明治3年(1870年)に復旧、その後数回のかさ上げ工事を経て、昭和34年(1959年)、現在の満濃池となった。

 

 次にやってきたのが仲多度郡まんのう町追上にある「二宮忠八飛行館」。明治20(1887)年、忠八は21歳で徴兵され、丸亀歩兵第12連隊に入隊した。その2年後、野外演習の帰り道のこと、仲多度郡十郷村(現在のまんのう町)もみの木峠で昼食をとっている時、ふと霧の中から残飯を求めて滑空してくるカラスに注目する。カラスは翼を広げ、羽ばたくことなくすべるように舞い降りてくる。飛び立つときには何度か大きく羽をあおって、すぐに谷底からの上昇気流に乗って舞い上がっていく。その様子を見ながら忠八は、向かってくる風を翼で受け止め、その空気抵抗を利用すれば、翼を羽ばたかなくても空を飛ぶことができるのではないか、と考えた。飛行原理の発見である。

 

 その日から忠八は空を飛ぶことの研究に没頭。休みのたびに研究を重ね、ついに1年後、「カラス型模型飛行器」を完成させた。飛行実験では、10メートル飛んだ。その後、自由に空を飛べる二枚翼の「玉虫型飛行器」の実用機の完成を目指し、何度も軍に上申して、日夜研究を重ねたが、あと一歩のところでライト兄弟が有人飛行機を飛ばし先を越されてしまったのであった。

 

 晩年は、自らの考えていた飛行機が現実に世界の空を飛び交うようになったとき、その事故による犠牲者の多さを嘆き、自宅に「飛行神社」を建立し、航空界の安全と航空殉難者の慰霊に一生をそそいだ。 忠八の功績は、有人飛行機を飛ばすには至らなかったが、ライト兄弟が成功する14年も前に飛行原理に着想していたこと。また、忠八が研究に費やした時代背景は、まだ日本に電気はなく、動力もままならない時代でもあったにもかかわらず、夢の実現に向けて研究に没頭した人生は、近年「日本の航空機の父」または「飛行機の真の発明者」と称されるようになった。(同館HPから)。

 

 その「玉虫型飛行器」をモチーフにした、旧仲南町のマンホール。特産品のタケノコと梅があしらわれている。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きるということは 思い通りにならないということが はっきりとわかることです」と言うもの。真宗大谷派の「祖父江文宏」先生のことばである。この言葉を残された祖父江文宏さんは、長年、児童養護施設「暁学園」の園長を勤められた方だという。祖父江さんは子供を尊重し、「子供」と言わず、「小さい人」と呼んでおられたそうで、体を張って虐待をうける子供を保護してこられた、その姿勢は子供たちに伝わり、子供たちから親しみをこめて「園長すけ」と呼ばれていたとも聞いている。この掲示板の言葉は、その祖父江さんの姿勢をつらぬく芯のようなものではないかと思っている。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


旅終えて 野菜ずくめに 虫の声

2014年07月17日 | たまには旅など・・。

 京都市地方は朝から晴れて暑い一日が始まった。気温は26度から34度、湿度は86%から94%。風は2mから4mの南南西の風。夕方からはぐんと蒸し暑くなってきた。

 

 6時起床。起きると早々に寝具を片付けて荷物をまとめる。時間的には短いのだが、早くも今日は三日目になる。

 

 7時10分から両御堂のお掃除。主に畳のから拭き。こちらは御影堂。

 

 掃除が終われば着替えて8時からの「ご晨朝:じんじょう」こちらは阿弥陀堂。阿弥陀堂での「讃仏偈」が終われば御影堂での「お正信偈」と「観無量寿経」、「ご勧章拝読」。

 amida

 9時からが朝食。ここでは食事前に必ず順番で「かんわ」がある。不思議なことに、誰も、この「かんわ」をどう字を書くのか知らない。それなのに「今から”かんわ”を行います」などと云う。どんな字なのかわからないのに、あたりまえのように「かんわ」を行っている。

 

 本願寺さんやお東さんの布教使さんなどは「感話」という字を使っているが、ここでは「感話」という字は使わない。そもそも「感話」などという日本語はない。それでは簡単な話の「簡話」かというとそうでもない。そう、「閑話休題」の「閑話」なのである。とりとめのない話とか無駄話とかの意味があるらしい。

 

 九州南部は梅雨明けしたいらしいが、京都あたりの梅雨明けはまだまだのような気がする。

 

 今日の講義は「本山史」。大原先生の集められたデーターベースを元に、江戸時代と明治以降の真宗寺院の数的変動とか檀家数の変異についての解析と考察。浄土真宗の多い地区、ほとんどない地区の理由や政策の理由など・・・。

 

 特に明治以降の北海道や鹿児島・香川での浄土真宗寺院の数が一気に増えているのが興味深い。それに対向するように、関東地方は日蓮上人の開教折伏の成果で真宗寺院は空白地帯に近い。 

 

 15時過ぎに閉会式が終われば解散。荷物をまとめてようやくに長いロードが終わる。

      

  京都駅前のお店で休憩。久々の生ビールをお茶代わりに立て続けに三杯を一気のみ。高速バスの発車時間は16時50分。約1時間の休憩タイム。                                                                                                                                                                                                                                                                                

 

 定刻の16時50分発の高松エクスプレス京都号は京都駅烏丸口を出発して、高速大内には19時50分に到着。奥方のお迎えで20時過ぎにはわが家に帰宅。11日間:248時間の長期ロードは終わりを告げた。

   

 わが家の食卓は野菜ずくめ。奥方と二人で350mlの缶ビール12本がすっかりと空き缶になっていた。外では早くも「くつわむし」が鳴き出している。 

  

 今日の掲示板はこれ。「何が起こるかわからないのが世の中 何をしでかすかわからないのが自分」というもの。 妙好人の源左さんの、こんな話を聞いたことがある。ある人が、「村の者がお爺さんを妙好人伝に載せるというがのう」と言うと、源左さんは、「いやいや待ってつかんせい、死ぬるまでは何をするか分からんでのう」と応えた。 「何が起こるか分からないのが世の中。何をしでかすか分からないのが自分」。「さるべき業縁の催せば、いかなる振舞いもすべし」(『歎異抄』) 何かが起こったときに、どうするかは、実は、そのときまで分からないもの。そのときに頂いている、気づきの深まり具合に応じて、自ずとすることが決まるもの。人生にシミュレーションなどない。人生は、つねに本番である。

    

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             


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