まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

金木犀 しぐれて今日を ひとまとめ

2014年09月30日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷の接近で雲が広がり、夜には雨の降る所があるらしい。気温は19度から28度、湿度は88%から61%、風は1mから2mの北北東の風が少し。明日の10月1日は、気圧の谷の影響で明け方まで雨の降る所があるらしいが、その後は高気圧に覆われて概ね晴れる見込みとか。

 

 わが家の周囲の草刈りが終わったから、今度は山の旧宅の草刈りになる。まずは手始めにお墓の周辺から。ここはお彼岸前に刈っておきたかったのだが、ちょうど、刈り払い機の故障で修理中だった・・・。

 

 30分ほどでお墓のまわりはさっぱりとした。ただ、小さな羽虫やヤブ蚊がまとわりついてうっとおしかった。そこで農作業用の防虫ネットをかぶっての草刈りになったから、蒸し暑くて汗まみれになってしまった。

 

 旧宅に入る専用の道路も草刈りをしておいた。両方でほぼ一時間の草刈り作業になった。手足はしっかりと防護しているが、顔中、虫さされでかゆいかゆい・・・。

 

 その後は相変わらずのデスクワークになった。で、日曜のバスツアーの時にいただいた宿題をこなしておく。

 

 この本とか、

 

 この本とかの増刷作業。今週の日曜日に四国霊場開創1200年記念講演会がある。私たちは、その駐車場係を担当するのだが、その時に持って来て欲しいと頼まれたものだから。

 

 なお、この講演会の講師は変更になっている。安富先生は所用で出席できなくなったらしい。

 

 そんなことで、増刷作業だが、あんまりうれしい作業ではない。こういう場合の「実費計算」というのが面倒だから、一応、「非売品」ということにしてある。インク代とか用紙代の計算ってどういう計算をするのかわからないし、300円とか500円とかというのをもらっても面倒だし・・・ということで。

 

 だから、読んでいただけるのはうれしいし、もらってくださるのはうれしいが、その分、お小遣いは減る計算になる。そのかねあいが難しい。

 

 ま、喜んでいただけるのが楽しみ、「良かったわよ」と言っていただけるのが悦びってところだ。何もせずに一日を過ごすのはむなしいし、苦しいし。

 

 今度の「山頭火句碑集」は県立図書館やさぬき市図書館などに寄贈して、皆さんに読んでいただけるのだが、今回のこの二冊は部内資料だから、あくまで「参考資料」。これを元にして、さぬき市観光課あたりがもっと立派なものを作って配布してくれたらありがたい。

 

 今日の掲示板はこれ。「何かをしたい者は手段を見つけ、したくない者は言い訳を見つける」というもの。アラビアのことわざらしい。すぐに言い訳や反論をを考えてしまう時は、やろうとしないからで、やりたい気もちが起こらない時である。やる気スイッチがオンの時には、どんな方法でも探し出してやりきってしまうものであるし、やらなければ気持ちがおさまらないものでもあるのだし。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


金木犀 自分の頭が 見えてない

2014年09月29日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていた。気温は17度から28度、湿度は90%から54%。風は1mから2mの北東の風が少し。明日の30日は、引き続き高気圧に覆われて晴れるけれど、気圧の谷の接近で昼過ぎから次第に雲が広がり、夜は雨の降る所がある見込みとか。

 

 県道脇の防災工事も追い込みになってきたのか、朝早くからお昼休みもなく作業を続けている。その手前側の金木犀も満開状態になってきた。

 

 朝の涼しい間に、わが家の周囲の草刈り作業。

 

 このあたりは草丈も短くて草も柔らかいのでどんどんと刈れた。

 

 ここは昔の村の道の跡だから、わが家が刈る必要はないのだが、誰も刈る人がいないのでやむなく私が刈るしかないのでやっている。放っておくと、わが家まで草が侵入してくるので仕方がない。

 

 さて、今朝は昨日のバスツアーのレポート作成やら資料整理。それに、昨日、いただいてきた宿題もこなしておかねば・・・ということで、今日も天気がいいのにデスクワーク三昧となった。

 

 「おへんろつかさの会バスツアーリポート」の追加修正、「さぬきの偉人」のデータ追加と修正」なんをやった後、例の「さぬきを歩いた山頭火」という句碑巡りのレポート作成。

 

 あらかた形が見えてきた。

 

 さて、ブログ仲間の「にころこ」さんからの宿題も届いた。「全国のお地蔵さまにエプロンを奉納するぞぉ~!」プロジェクト。全国のブログ仲間に呼びかけて、一〇〇枚だか五〇〇枚だかのエプロン(?)を奉納するという勇気ある行動らしい。

 

 この「にころこ」さんは、今度生まれ変わったら「お地蔵さん」になりたいのだそうだ。

 

 早速、わが家の「まほろば地蔵」に「よだれかけ」を奉納することにした。母のさっちゃんがいた頃には、さっちゃんがよだれかけを縫ってくれていたのだが、今はおまいりするひともなく、そのまんまになっている。

 

 このお地蔵さんは、昔、私らがやっていたパソコン通信センター「オリーブネット」の物陰にあったものを「オリーブ地蔵」としてマスコット代わりにしていたもの。オリーブネットも廃止され、行き場の無くなったお地蔵さんをわが家にお招きして安置してあるもの。

 

 早速によだれかけを奉納したが、よだれかけというよりもマントみたいになってしまった。

 

 で、おまけについていたこのポーチは、永年、お世話になってきた巾着袋の後継として使うことにした。この伊右衛門さんの巾着袋は、アメリカのサンフランシスコまで行って来たという歴史物。8年は使っているかな。

 

 ま、どうせ、小銭しか持ち歩けないのだから、これで充分。

 

 今日の掲示板はこれ。「一番はもちろん尊い しかし一番より尊いビリがある」というもの。東井義雄記念館には、「一番はもちろん尊い。しかし、「一番よりも尊いビリだってある。」という先生直筆の言葉が掲示されている。その先生の著書の『東井義雄「こころ」の教え』から。
 ビリであることはちっともはずかしいことではない。なまけることのほうがよっぷどはずかしいことだ。走ることに限らず、生きていく間には、いろいろなことでビリを走らなければならないことがあります。
 しかし、そのとき、どうか日本一立派なビリであることができるよう、こころがけてほしいと思います。堂々としたビリであってほしいと思います。これはなかなか難しいことです。ビリになると、どうしてもひくつになり、はずかしくなり、心まで貧乏になりやすいからです。ですが、ビリの味がわかる人間でなければ、困っている人、弱い人、貧しい人の気持ちなんか、絶対にわかるものではありません。とにかく、ビリになっているときは、その人にとっての得難い勉強の機会を与えられているときだと思います。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


寺の庭 つくつく法師が 勤行中

2014年09月28日 | たまには旅など・・。

 四国地方は、高気圧に覆われて晴れていまた。愛媛県も高気圧に覆われて晴れて暑いほどの一日になった。気温は18度から27度、湿度は84%から58%、風は1mから3mの西風が少し。

 

 今日も月末の最終日曜日は「おへんろつかさの会」の「櫻谷さんといくバスツアー」という研修の旅。旅というほどの大げさなものではないが日帰りバス旅行。今回は愛媛県の松山周辺の旅である。

 

 「おへんろつかさの会」というのは、さぬき市において、四国遍路の知識を伝え、さぬき市を観光的歴史的側面から全国に発信する活動をしている団体で、主には、上がり3ケ寺の案内や春と秋に遍路道を歩くまち歩きイベントを開催している。

 

 今回は四国霊場48番札所の「浄土寺」から53番の「円明寺」までの5ヶ寺である。空也上人が四国を巡歴し、浄土寺に滞留したのは平安時代中期で、天徳年間(957〜61)の3年間、村人たちへの教化に努め、布教をして親しまれた。

 

 鎌倉時代の建久3年(1192)、源頼朝が一門の繁栄を祈願して堂塔を修復した。だが、応永23年(1416)の兵火で焼失、文明年間(1469〜87)に領主、河野道宣公によって再建された。本堂と内陣の厨子は当時の建造で、昭和36年に解体修理をされているが、和様と唐様が折衷した簡素で荘重な建物は、国の重要文化財に指定されている。

 

 松山市の汚水管のマンホールの蓋である。特産の日本三大絣の伊予絣と市花ヤブツバキをデザインしてある。

  

 50番の繁多寺は一遍上人ゆかりのお寺。伊予の名門、河野通広の次男として生まれ、10歳のとき出家、のち全国を行脚し「遊行上人」「捨聖」と呼ばれた。

 

 51番石手寺は日本最古といわれる道後温泉の近く。参道が回廊形式となり仲見世のみやげ店が並ぶ。境内は、巡礼者よりも地元のお大師さん信者や観光客が多い霊場である。住職さんの趣味なんだろうが渾然とした境内である。衛門三郎伝説の地であって、にぎやかなお寺である。

 

 縁起によると、神亀5年(728)に伊予の豪族、越智玉純が霊夢に二十五菩薩の降臨を見て、この地が霊地であると感得、熊野12社権現を祀ったのを機に鎮護国家の道場を建立し、聖武天皇(在位724〜49)の勅願所となった。翌年の天平元年に行基菩薩が薬師如来像を彫造して本尊に祀って開基し、法相宗の「安養寺」と称した。「石手寺」と改称したのは、寛平四年(892)の右衛門三郎再来の説話によるとされる。

 

 この日の昼食はここ。旬彩ダイニング 菜の花というお店でバイキング方式。

 

 いつも小食なので控えめにしたが、皆さんは三食分も四食分も食べなさる・・・。

 

 私はこんなもの。野菜中心。ご飯は珍しくお寿司。

 

 昼食後は52番札所の太山寺。この本堂は国宝である。

 

 と言われても、「ふーん」と思うばかり。また、ここには最古と言われる「納め札」があることでも有名。

 

 昔は紙は貴重なものであったので、こういう木札に願い事や施主の名前を書いてお堂や建物に竹釘で打ち付けたという。この事から「札所」と呼ばれるようになり、お遍路することを「打つ」というようになったという。

 

 若い娘さんが一生懸命におまいりしている姿が印象的だった。

 

 53番札所の圓明寺には、アメリカ人巡礼者が発見した四国霊場最古の銅板納札が保存されている。大正13年3月、シカゴ大学のスタール博士が四国遍路をしている途次、寺の本尊・阿弥陀如来像を安置している厨子に打ち付けてあったのを見つけた。江戸時代の初期にあたる慶安3年(1650)の銘があり、縦24cm、幅が9.7cm、厚さ約1mmで破損のない納札としては、現存最古で例のない銅板製である。

 

 ここにはキリシタン石塔が大師堂左の塀ぎわにあり、高さ40cmほどの灯籠である。キリシタン禁制の時代、この地方には信者が多くいて、寺では隠れ信者の礼拝を黙認していたらしい。

 

 この円明寺にあった掲示板はこれ。「遊ぶときは大人だが仕事はまるで子供だね」という荒了寛さんの言葉から。遊んでる時も子どものような気がする。すぐにむきになったり、勝ち負けにこだわりすぎたり。仕事はどんなだろうか。自己満足で終わるのではなく、しっかりと相手に伝わる仕事ができているだろうか。子どもが物事を覚えるように楽しんで、大人の結果が出せる仕事していきたいものである。遊びは子供のままでもいいような気がする。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


金木犀 昼のカレーが まだ匂う

2014年09月27日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れている。気温は18度から29度、湿度は84%から57%、風は2mから3mの東南東の風が少し。明日の28日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 わが家のキンモクセイが満開になっているみたい。今朝も涼しそうな朝になったので、今度はわが家にある北側の土地の草刈りをやってみた。どこもかしこも、見渡す限り草まみれになっている。

 

 でも、この草刈りもいつまでできるんだろうかと不安になる。数年前には平気でどんどんと草刈りができたのに、最近は足が上がらないし、身体のバランスも悪くなってきた。

 

 それだし、30分も草を刈れば一休みしないとやってられない。

 

 彼岸花もそろそろ花の終わりが近づいてきた。もう、思い切って刈り払ってしまってもいいだろう。いつまでも「彼岸花がきれいだから・・・」などと言ってもいられない。

 

 残った燃料分で芝生の草刈りもやっておく。燃料タンクを空にしておかないと次回の始動がうまくいかないことが多い。

 

 その後、奥方の物置を片付けておく。とにかく、何でもかんでも投げ込んでおくものだから、欲しいものを探そうとすると探せない。「片付けたら?」というと、「重いからどうにもならない」と仰る。そこで、私が重い腰を上げたというわけだ。

 

 母のさっちゃんの道具とか使わない工具やロープやネットを山の旧宅に運んできた。山の旧宅もお墓も草まみれだが、かろうじて通ることができた。

 

 その後はまたも昨日の続きの「山頭火句碑集」のまとめ作業。表紙や奥書、前書きや後書きもつけてみた。いちおう、概要・背骨はできたみたいで、本の体裁ができあがってきた。

 

 仮印刷してみて、地図を入れ替えたり、画像を差し替えたりもする。

 

 明日は松山方面へのバス研修に出かけるので、なんか、気分的に宙ぶらりんの中途半端な一日。明日がない・・・というのは、物事が中途半端になってしまう。

 

 そうそう、昨夜というか、朝の2時か3時頃か、ふと見ると奥方のけいこばぁがいない。夜中にどこに行ったんだろうと思いつつ寝てしまっていた。朝になってもとなりの布団に奥方はいない・・・。ま、深夜番組で見て、そのままリビングで寝てしまったのだろうと思っていたのだが・・・。

 

 聞けば、一昨日あたりから鼻風邪になってしまったらしく、「グッション」とか「グッスン」とかとうるさいので、リビングで寝ていたのだとか。それでも、今日は「ケアマネ業務」で出かけて行った。

 

 今日の掲示板はこれ。「私は社会において傍観者ではなく常に当事者なのです」というもの。これまた、誰の言葉かはわからないのだが、ものごとに出会っても傍観者のように素通りしてしまう私であるけれど、この世という舞台に登場してしまったからには、常に、「私の人生」という社会ドラマの中の当事者であり続けて居るように思う。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


見過ごした 時の流れの 金木犀

2014年09月26日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は19度から27度、湿度は84%から56%、風は2mから4mの北北東の風がさわやかだった。明日の27日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 朝、県道脇の防災工事の現場を眺めていたら、左手前方になにやら黄色いものが・・・。

 

 あ、いつの間にかキンモクセイの花が咲いている。奥方は「匂うでしょうに・・」と言うのだが、私の鼻も加齢のためか、あんまり機能していないみたい。

 

 「この花もあっという間に散ってしまうの・・」と言うていたが、いつしか、そういう時期になっているのか。

 

 朝一番に農機具屋さんで、修理に出していた草刈り機を受け取って、涼しい間にわが家の周辺の草刈り作業。お彼岸までにはきれいに刈り払っておこうと思って居たのだが、燃料系統の漏れがみつかって部品交換に一週間もかかってしまった。

 

 おかげで、お墓も旧宅もわが家周辺も草刈りができずにそのままになっていた。

 

 で、バリバリと・・・草刈り作業。修理から戻って来ると元気なんだが、一週間もすれば、また、あそこが悪い、ここが動かないということを聞かない。

 

 秋になったとはいえ、8時半を過ぎると気温が上昇してくるし、太陽が高くなって来て暑くなる。燃料タンク満タンでほぼ一時間の草刈りになる。燃料タンク一杯を刈り払うと、今日の作業はおしまい。シャワーをあびて、着替えをして・・・。

 

 今日はおでかけの予定だったのだが、草刈り時間が延びてしまったもので、相変わらずのパソコン三昧になった。どうにもパワーが弱ってきたようで、少しのことで予定変更になってしまう。

 

 で、今日のお昼は、奥方のおごりでここになった。さぬき市長尾東にある「うどん亭いわせ」という一般店。

 

 今日は朝から水中ポンプの整備やら草刈り機の受け取りやら草刈りやらとよく働いたので・・・ということでの大サービス(??)で、「温泉たまご入りぶっかけうどんの並の冷や」で470円。

 

 ここの奥様が信心深い方だから、お店も「四国霊場開創1200年」というのぼりを建てて協賛している様子。

 

 午後からも「山頭火」のお勉強。句碑集も65基中、48基まで行った。後は難しい「竹屋敷」という宿泊施設の中・・・。ここに20基ほどがあるらしいのだが・・・。よそさまのお屋敷の中をウロウロするのは苦手だし・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「なんでもいいこと どうでもいいこと 得にならないこと それを大切にする時 人は美しくなる」というもの。この掲示板は何の管理も記録もしていないので、同じ言葉が何度も出て来るけれど、そこはご勘弁のほどを。掲示板の画像ホルダーの中にあるものを任意に掲載しているだけなので、「見たことあるなぁ・・」というものが出て来ることもあると思うので・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


きっぱりと 庭のコスモス 天を指す

2014年09月25日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は寒気の影響で瀬戸内側を中心に雲が広がり、雨の降っている所があった。気温は22度から27度、湿度は86%から67%で、なんだか蒸し暑い一日。エアコンのドライモードが働いてくれた。風は2mから5mの西北西の風がときおり。明日の26日は、日本海に中心を持つ高気圧に覆われ、概ね晴れる見込みらしい。で、この週末も晴れて暑くなるらしい。

 

 朝方には小雨が降っていたので今日もデスクワークの一日になった。

 

 今日までに65基ほどの山頭火の句碑のうちの29基までの記事ができたが、地図の修正とか記事の訂正加除などが相次いだ。きれいなマップでもモノクロ印刷すると全く読めなくなってしまったりする。

 

 今頃の書店に行くと「平成二十七年どこそこ館開運暦」などという、いわゆる「こよみ:暦」を売っている。この暦の中に、「納音:なっちん」というものがある。生年月日による干支(かんし:えと)につながるのが「納音」である。

 

 私の場合は、「霹靂火:へきれきか」:戊子(つちのえ・ね)と書いてある。この中に、「山頭火:さんとうか」や「井泉水:せいせんすい」の字がある。でも、それ以外には俳号になりそうな言葉はない。

 

 だから、私もそういう俳号にするならば「霹靂火:へきれきか」ということになるのだが、どうにもこれは難し過ぎる。だから、山頭火も自分の生年月日ではなく、わかりやすい「山頭火」を選んだものらしい。

 

 暦と言えば、時期的には「ダイアリー」だ。私は現役時代から、この「デスク・ブロック」というものをずっと使ってきている。現役時代にはA4版だったが、退職してからはB5版になった。業務用ではないのだから小さくても大丈夫。それに書き込むようなスケジュールも多くはない。

 

 明日の予定がわからないのに、来年用の日記帳を用意するのは無謀かも知れないが、目標というか、人生の予定表というか、こころの杖なのかもしれない。

 

 今日は奥方が洋裁教室に出かけたので、今日のお昼はここになった。さぬき市長尾にある「笠堂や」というプチセルフのお店だ。このあたりにはレストランやソバ屋さん、ラーメン屋さんはない。でも、スーパーやコンビニの弁当というのも面倒くさいし、味気ない。

 

 で、今日はわかめたっぷりの「わか梅うどんの小」である。これで320円。わかめの感触と梅のすっぱさがなんとなく気に入っている。まだ、うどんの味はわからない。おいしいとかも感じない。だから、わかめと梅のコラボが味になっているという程度。

 

 今日もサル軍団が我が物顔で歩き回っている。向こうにすれば、変なやからが移転してきて目障りやなぁ・・と思っているに違いない。でも、わが家もここに引っ越してきて、もうすぐ十年になろうとしているのだが。

 

 ということで、秋の日はつるべ落とし。あっという間に暗くなってしまう。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生はできることに集中することであり、できないことを悔やむことではない」というもの。アインシュタイン以降の物理学、宇宙論の第一人者、スティーブン・ホーキング博士。幼少の頃から数学や物理学に才能を発揮していた彼は、17歳でオックスフォード大学に入学。その在学中に、筋萎縮症性側索硬化症という難病にかかり、大きなショックを受ける。しかし、博士の強固な意志と周囲の協力により、精力的に研究を続けてきた。ケンブリッジ大学院の研究生として本格的な宇宙論の研究を始め、1960年後半に「宇宙にはブラックホールが存在する」ことを示した。1980年代になってからは、宇宙の起源や量子力学が宇宙の運命に及ぼす影響について研究を開始。まだ、どうやって宇宙ができたかは解明されていないのだが、博士の功績はじつに大きなものである。

 

  筋萎縮症性側索硬化症は、筋肉に血液がうまく供給されず、次第に全身の筋肉が衰えていくというもの。さらに1985年に患った肺炎により、24時間介護が必要となった。喋ることもできなくなったが、スピーチ・シンセサイザーやポータブル・コンピュータを駆使し、大学等で講演活動を行っている。周囲の理解、協力が博士にとって大きな存在であることは間違いない。そして、それらを無駄しない、まさに「できることに集中する」人生を送っているといえるのだ。宇宙は無限かもしれないけれど、人の一生は有限である。後悔の時間は、反省点を拾い上げる程度に切り上げて、できることに集中して仕事、生活、人生をこなしていきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


萩の花 散らす小鳥の せわしなさ

2014年09月24日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は台風第16号から変わった低気圧に向かって流れ込む南からの湿った空気や前線の影響で雲が広がり、雨の降っている所があったらしい。夕方からは雨が降りやすく、雷を伴う所がある見込みだとか。気温は21度から30度、湿度は91%から72%、風は2mから4mの南南東の風が吹いていた。明日の25日は、引き続き、南からの湿った空気や気圧の谷の影響で、朝まで雨が降り、雷を伴う所があるらしい。

  

 午前中は山頭火の句碑集の作成に取りかかった。今まで調べてきたものを忘れないうちにA4版1ページにまとめる作業である。これはワードで作成中。ま、これまでの作成例のパターンの応用にはなるのだけれど。

 

 で、今日は奥方がお休みだったもので、お昼はおうどんにすることで出かけたついでに、四国霊場86番札所志度寺前でのラジオ中継の現場をのぞいてきた。NHKラジオ中継車「80ちゃん号」が今週は香川県内を走っているらしい。それが、この「ここはふるさと 旅するラジオ」という番組。

 

 昨日は、東かがわ市から人形劇のふるさと、スポーツ施設や図書館などが集まる「とらまる公園」に全国的にも珍しい人形劇専門の劇場がある。その活動を支える人々を紹介したらしい。この人はテレビでニュースを伝えている「堀井洋一」さん。スーツ姿でないから別人かと思って眺めていたが・・・。

 

 今日は志度寺山門前から、四国八十八ヶ所霊場の各札所から集めた〝お砂〟を踏みながらお参りする「お砂踏み」キャラバンを志度寺十河瑞澄副住職がお話して、今年が開創1200年とされる四国遍路をPRする活動を伝えた。ついでに「おへんろつかさの会」の活動や、87番札所前の遍路宿のおかみさんがお接待文化なんぞについて話した。アナウンサーは保里小百合アナウンサー。

 

 さぬき市のマスコットの「さっきー」も応援にかけつけた。

 

 ラジオ中継は12時半から12時55分まで。それが終わってから遅い昼食。同じく志度にある「こがね製麺所志度店」での簡単なお昼。13時にお昼を食べると夕食が遅くなる・・・。

 

 で、けいこばぁは「かけうどんに温泉たまご入り」、私は「冷やかけに温泉たまご入り」で、どちらも210円ずつ。水曜日は「温泉たまご」が無料サービスなんだとか。このわかめもネギもおろしショウガもフリートッピングの大サービス。太っ腹なお店だ。

 

 午後からもすっきりしない天気だから、句碑集の編集作業を続行。

 

 このようにして地図入り、写真入りの解説付きという句碑集になっている。

 

 句碑がおよそ70基近くあるものだから、概算で120ページほどにはなりそう・・・。

 

 明日も天気が悪そうだから、明日もこうした作業の連続になりそうな雲行き。

 

 となりのおじさんの言うことには、台風17号が発生したのだとか。台風は勘弁してほしいものだが、こればっかりはお願いしてもどうにもならない。

 

 今日の掲示板はこれ。「絶対に不可能だと思えることでも、心を変えれば可能になる」という稲森和夫さんのお言葉から。昨日の法話で佐々木先生が話されていたのだけれど、「物事の二面性を知る」ということも大切なこと。嫌いな人でもおいしいものをもらえばいい人だと考え直す。好きな人でも自分の悪口を言われていると聞いたら嫌いな人になる。同じような物事でもオモテとウラが必ずあるもの。「絶対に不可能だ」と思えたことでも、やってやれないことはないのだと真剣に打ち込んでみたら、案外と簡単にものごとが完成したりする。要は、この私の「こころ」一つなんだということである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


菩提子が ただ念仏の 寺である

2014年09月23日 | たまにはご法務

 さぬき市地方は高気圧に覆われて東部では概ね晴れていたが、西部では気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、弱い雨の降っている所があったらしい。気温は17度から28度、湿度は82%から47%。風は1mから2mの東南東の風が涼しく感じられた。明日の24日は、台風第16号や前線の影響で雲が広がり、昼前から雨が降りやすく、夜は雷を伴う所がある見込みなんだとか。

 

 朝の間は相変わらずのパワーポイントを使っての法話の作成。どうにも。会社時代からの「プレゼン指向」から抜け出せない。若い頃の「落語家指向」、五〇歳代頃の「講演会指向」も頭をよぎる。

 

 さて、今日は所属寺院の「秋の永代経」の日。東さぬき市三本松という地区にある「海暁山・海暁閣・勝覚寺」という真宗興正派のお寺である。

 

 最近、境内の松の木が「伝染病」で黄色く変色するようになってきた。例の「松枯れ病」ではないというのだが、あちらこちらで松の木が枯れたようになってきているが、ちゃんと新芽も出てきているのだという。

 

 そうそう、この人が「讃岐の妙好人・庄松同行」。このお寺、ゆかりの人である。だから、今回はこんなものをプレゼントした。

 

 庄松同行ゆかりの「シール集」である。シール・・・というと、こどもたちは喜ぶが、おじいさんやおばあさんの反応はどうかなぁと思ったのだけれど、案外と、「これ、いただきます」とか、「これ、経典に貼っておきます」とかと上々の反応。中には、「一式、いただくわ」と云うお方も。

 

 13時半からのおつとめ。皆さんご一緒に「仏説阿弥陀経」のお勤め。

 

 後住の「英海」さんの導師の元、参列の皆さんで阿弥陀経をおつとめしたことだった。

 

 ご法話は高松の専光寺の佐々木安徳先生。苦を除くのではなくて、苦を乗り越えて行く念仏の暮らし・・・みたいなお話をされていた。

 

 ということで、今日はご法務ですっかりと遅くなったので、今日はここまで。

 

 今日の掲示板はこれ。「おたがいになぁ 不完全な欠点だらけの人間ですがね」というもの。ご存じ、あいだみつをさんのことばからである。ある方のメールで、「りっぱなことをいつもたくさん書いてありけれど、あなたはそんな立派な人間ですか?」と書かれたことがある。とても衝撃を受けた。「そうだなあ、私はそんな立派な人間ではないなあ。欠点だらけだなあ。」って自己反省するとともに、ブログをやめようかなぁと思ったことが何度もあった。いまでも傷ついていることがいくらもある。でも、「ブログみてますよ。がんばってください」ってメールをいただいたりすると、単純な私は、なんだかすごくうれしくて、こっちこそパワーをいただきいたなぁ・・と、思ったもの。そして素直な自分の気持ちをまた書いてみようって思ったのだ。完全な人間なんているわけがない。みんないろんな欠点や汚点を抱えながら生きているもの。今は不完全でも「自分はこうなりたい、こんなふうに生きてみたい」そんな目標をもって向かっていけたらいいんじゃないかなぁ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


コスモスに 明日はどっちだと 聞いている

2014年09月22日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は19度から27度、湿度は86%から52%、風は1mから3mの北北東の風が少し。明日の23日は高気圧に覆われて晴れるけれど、夕方からは気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がる見込みとか。

   

 それにしてはなんだか蒸し暑いと思うような一日になった。このあたりでは、どこもここも、このようにして彼岸花が満開状態になっている。この花も、お彼岸を過ぎたら、あっという間に姿を消してしまう。

 

 さて、書類の整理ができたので、漏れている句碑なんぞを探しに出掛けてみた。87番長尾寺さんにはこんな大きな句碑があるのに、うっかりと見過ごしていた。それも山門を入ってすぐの場所にあったのに・・・。これは愛知の信者さんが四国各地に建てている山頭火の「人生即遍路」という句碑であるのだとか。地元の顕彰会の建てたものではない。

 

 これはおへんろさんの休憩所兼宿泊所。長尾寺さん近くにあって、ここから大窪寺に向かう人もいるのだとか。入口にある「歩々到着」はわかるのだが、ほかにも三基の句碑があるのだと聞いた。お店のおねえさんに、左手の木戸をくぐった中庭にあるとかで入れていただいた。

 

 あまり広くないお庭の中にあって、しかも植木の陰ではわからない。

 

 ここにも「人生即遍路」の句碑が隠れていた。もう一つは裏庭にあった。

 

 歩き遍路さんが通る道筋にある真宗の宗林寺さん。ここにも20基ほどの句碑があるというので探してみたが、19基は見つかったが、最後の1基がどうしても見つからない。大楠の前にあった筈なのだが移動したんだろうか。

 

 ここはさぬき市竹屋敷という地区にある「野田屋竹屋敷」という温泉付き宿泊施設兼お食事処。この前のお庭では12基の句碑が見つかったけれど、5基ほどが見つからないし、誰の者かわからない句碑が3基ほどあった。

 

 そんなこんなで、65基中60基は見つかったのだけれど、前山ダム周辺・南側、多和槇川8丁石付近・地獄谷とか言われても見当もつかない。それに宿泊施設の中に入るのもどうかと思うし・・・。

 

 午後からはパソコンでデータの整理。

 

 こうして、エクセルシートで整理をして、あとの5基をどうするかの検討作業。山頭火の句か、そうでないのか、わからない句碑も混ざっているし、それらしいけれど「山頭火」の字のないものも幾つかあった。

 

 ま、これもいつまでにやらなければ・・・というものでもないので、もう少し草が枯れた時期になれば、すんなりと見つかるのかもしれない。その間に、顕彰会の会長さんにお会いしなければ・・・。

 

 ということで、山頭火の句碑探しは一旦中断。時期をあらためてリベンジすることにしよう。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分にも、人にもレッテルは貼らないほうがいい。人間は変わる動物だ。人との出合い、触れ合うことで人間は変わっていく。」という鎌田實さんのことばから。その後に、

とくに結婚という空間では、
相互作用によって化学反応を起こす。
いい方向へも、悪い方向へも変わる。
赤の他人だった二人がともに暮らし、
誰よりも深くかかわり合いながら
子供を産み育てていくのだから、
ほかの人間関係以上に、
お互いに与える影響は大きいのである。
(空気は読まない、鎌田實)

 と言う言葉が続いている。

 

 人は自分の意志ではなかなか変われなくても、環境や時代が変われば、やむを得ず変わらざるをえなくなる。だから、つまり変われるのだし、変わって行くものものなのだ。変化は、自分の選択ではあるが、他人まで変えることを選択はできない。だから、お互いによく変わっていける関係を築ける相手とつながればいいのだと思うことである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


曼珠沙華 自分の出番を 知っている

2014年09月21日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は晴れている所もあるが、気圧の谷の影響で雲が広がっていた。気温は17度から25度、湿度は90%から60%、風は2mから3mの東北東の風が少し。明日の22日は、高気圧に覆われて概ね晴れるが、気圧の谷の影響で昼前まで雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 今日は集落内の「出事(でごと)」で、地区の「地神(ぢじん)さん」の秋の例祭日ということで、朝の7時からみんなで掃除やら準備に出掛けた。

 

 すると、もう、こんな状態・・。7時からというと6時半には集まって来る。当番ならば、少し早めは出掛けるものだが、ここは、いつも早いのだ。ここは「土地の神さま」ということで、秋の収穫に感謝するおまつりになる。ま、みんな、そんなに深くは考えていないようで、単なる「おまつり」でしかない。

 

 10戸中9人が参加してのお掃除やらしめ縄のお飾り、のぼりを立てて30分ほどで作業終了。だから、お作法も拝礼もなにもない。ただ、お掃除しておしまいみたいなもの。神前の礼儀や作法を教える人もいなくなってしまった。

 

 だから、この五色ののぼりの意味や五角形の石碑の意味なども誰も知らない。戦後は遠くなってしまった。

 

 ということで、今日はシャワーを使う訳でもなく、着替えをするほどでもなく終わったので、午前中は昨日の続きで、「山頭火句碑」のスキャニングしたものの修正作業。なぜか、うちの「読んde!!ココ」というアプリは、「山頭火」の「頭」や「俳句の「句」の字を読めない。だから、それらを修正しないと訳がわからなくなってしまう。

 

 例:この遍路みちは、これまでは宗教一途のみちであったが、放浪の俳人・種田山頚火が、昭和三年と十四年の二回来町し、数々のを詠んだことから、文学のみちともなったのである。 このたび、弘法大師がとおったみちぞいに山頚火の句碑  恵一、称lし′まったくがない笠をぬぎ・・・

 

 こういうものを丹念に修正してゆくのだから、目玉も乾燥する筈だ。

 

 この旧長尾町の作成した句碑集は平成10年作成のものだから、「大川郡長尾町」という地名になっているので、これらは「さぬき市長尾西・・」などに直さないといけないし、それ以降の句碑がわからない。つまり、長尾町が合併してからは、こうした句碑集は発行されていないのかもしれない。

 

 で、web上に掲載されている俳句と、この句碑集を突き合わせてみると、18もの句碑がわからないことがわかった。今も「山頭火顕彰会」というものが存続していて、いまだに活動をしているものだろうか。当時の会長さんであった「藤井先生」は、時々、会合や研修会で顔を合わすので、聞いてみたいものである。

 

 しかしのかかし、「漂泊の俳人」とか「放浪の俳人」とか言われるけれど、「行乞(ぎょうこつ)」ということで、お米をいただき、お金をいただいて、「食べて、寝て、歩いて」の人世が送れたものだ。当然、「四国」という「お遍路文化」や「おせったい文化」があったのだろうけれど、いただいたお米をそのまま食べるわけにいかないし、お米だけでは生きてゆけないだろうし。それに空腹だからと、「水」だけ飲んで歩くわけにもいかなかっただろうし。

 

 「15時から集会場でおまつりをするから・・・」との案内だったので、14時45分に会場に着いたら、私が一番ビリだった。私の参加で、「おまつり」が始まったのである。おまつりと言っても、みんなで「二礼・二拍手・一礼」しておしまい。あとは座談会とか自治会長からの周知事項とか・・。

 

 で、いつものように、菓子パン二個とお茶での「直会(なおらい)」である。今日は、「敬老会のお相伴」ということで、全員に「甘酒」がふるまわれた。

 

 で、いつものように、サルの話、イノシシの話、ヤモリの話、ヘビの話で盛り上がった。ま、みんなに共通する話題と言えば、こんなもの。それで1時間があっという間に過ぎてしまう。

 

 今日の掲示板はこれ。「たとえ一日の生(しょう)であれ、彼岸を見られれば これより勝ることはない」というもの。

 あるところにキサーゴータミーという女性がいた。彼女は幼い一人息子を亡くして悲しみにくれており、愛する息子をなんとか生き返らせたいとお釈迦様のもとを訪ねて生き返らす薬をお願いにきた。お釈迦様は「ケシの実を持ってきたら薬を作るけれど、ただし、そのケシの実は誰も死者の出ていない家からもらってくるように」と言われたのである。

 キサーゴータミーは急いでケシの実をもらいに街に出るが、けれども、街中の家を回って尋ねても、死者の出ていない家は一軒もなかった・・・。
        
 キサーゴータミーは、どこの家にも死があり愛する人との別れがある事に気づかされた。死は生きる者誰もが逃れることのできない事だと知り、生死という根本問題を自分自身の事としても向き合った彼女は、出家して生死を超えた仏の悟りの世界を求めることとなった。

 そんな彼女にお釈迦様は次の詩を送られた。
「不死の境地(彼岸)を見ることなしに 百年間も生きるより
 たとえ刹那(一日)の生であれ 不死の境地(彼岸)を見られれば
 これより勝ることはない」  『ダンマパダ・アッタカター』

 私達は日頃「生」と「死」という根本的な問題を後回しにしてその日暮らしをしているもの。キサーゴータミーが愛する息子の死を通して自分自身の問題として気づかされたように、お彼岸を機縁としてお仏壇やお墓に手を合せ、改めて「生死」の問題を自分の問題としてしっかり向き合い、仏様の教えを聞かせていただきたいと思うことである。

  

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


人待って 月にはぐれる ススキの穂

2014年09月20日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は気圧の谷や四国の南海上付近に停滞する前線の影響で雲が広がり、小雨が降っていたこともあった。気温は17度から24度、湿度は70%から48%。風は1mから3mの北北東の風が少し。明日の21日は、気圧の谷や前線の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 さすがに掛け布団を出してかぶって寝るようになった。朝一番に顔を洗おうとして水道の水がいきなり冷たくなったように思った。奥方のけいこばぁは朝の6時からお墓へお花を供えるために出かけて行ったが、ミョウガをどっさりと持って帰っていた。どこまで行ってきたのやら。

  

 私はまたしても「香川県立図書館」に行ってきた。これだけの山頭火の句碑があるのだから、何か図書か参考資料がないものか・・・とやってきた。さすがに蝉の声はすっかりとなくなっていた。それにアキニレの葉っぱが黄色くなってきたように思った。

 

 開館直後の9時過ぎに着いたために、土曜日にしてはあまり人は多くなかった。で、「山頭火」で検索してみると、さすがに本は多い。で、読みたいなぁと思う本は「書庫」に保管されていて貸し出し禁止のものが多かった。

 

 で、郷土資料の中から五冊ほどの本を借りてきた。ここにあるものは香川県内の山頭火に関するものらしい。

 

 この左の「山頭火句碑集」というものは長尾町発行による「山頭火顕彰会」の本で、これが実にありがたい。ただ、平成10年発行のものだから14年前の本。新しいものはわからない。

 

 それを早速にスキャナーで読み込んで保存しておくことにする。でも、これが実に面倒な作業だし、OCRで読み込んだ文章を修正する作業にも手間がかかる。

 

 その句碑の中にこんな俳句がある。「まこと お彼岸入の 彼岸花 山頭火」というもの。さぬき市長尾の宗林寺の境内にあったもの。

 

 彼岸花というのはご存じのように、お彼岸頃に咲くから「彼岸花」というのだが、彼岸花にはアルカロイドという毒があるため、「毒花(どくばな)」「痺れ花(しびればな)」などと呼ばれてきて、こどもたちが遊ぶのをやめさせたこともあった。その反面、でんぷんを多く含んでいるため食用可能で、毒は水にさらすと抜けるため、昔は飢餓に苦しい時に毒を抜いて食用にすることもあったそうで、田んぼの畦道に彼岸花が多いのは、その毒でモグラや野ネズミを防除するためだけではなく、飢饉に備えて植えたという説もあり、危険を覚悟してまで口にしなければならなかった昔の苦労がしのばれる。

 

 一方、山口百恵が歌っていた、「マンジュシャカー」というのはインドの昔の言葉らしい。「曼珠沙華(まんじゅしゃげ/かんじゅしゃか)」は、サンスクリット語(梵語)で「天界に咲く花」という意味。おめでたい事が起こる兆しに赤い花が天から降ってくる、という仏教の経典から来ていて、サンスクリット語ではmanjusakaと書くらしい。

 

 そんな、「暑さ寒さも彼岸まで」の彼岸の入りだが、草刈り機の修理が終わらないために、お墓の周囲の草刈りができないままである。明日は集落の「地神さん」の朝は掃除、夕方は直来(なおらい)がある。

 

 でも、なんだかんだと言いつつ、昼間も涼しくなったし、朝夕は肌寒いほどになってきた。確かに秋になったんだなぁと実感するような今日このごろではある。

 

 迷犬ごんの散歩ルートには、「不動堂」、通称、「棚岩のお不動さん」があって、今日がその縁日らしい。そのお参りの人がいただいたパンを突撃して略奪する光景を見た。サルもここまでするんかい・・と驚いた。一瞬、カメラを向けたがすばや過ぎて何も写ってはいなかった・・・。迷犬ごんは見て見ぬフリをするばかり。

 

 お参りに来ていたおじさんも唖然として・・「何が飛びつくかわからんのぉ・・」と驚くばかり。今日はその近くにある墓地にもお参りの人がいたが、サルは平然と歩き回っている。

 

 今日の掲示板はこれ。「ご先祖様は眠っているのではない 眠っているのは私たち」というもの。亡き人に向かって、「どうぞ安らかにお眠りください」という言葉をよく耳にするけれど、そもそも、私たちはそんな言葉をなくなられた方に言える立場にあるのだろうか。生きている私たちが良い世界化に住んでいて、亡くなった方はこの世の邪魔をしないように眠っておいてくださいと、お願いをしているように感じられるのは私だけだろうか。悪いことが続いたりした時に「先祖のたたりだ、だからお墓におまいりしなければ・・」という云う人がいるけれど、ご先祖さまが子孫に悪さをするだろうか。むしろ、子孫である私たちの幸せを願っているのがご先祖さまではあるまいか。眼を開けた、ままで眠っている私たちに、眼を覚ませと呼びかけているのがご先祖さまではあるまいか。

  

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


落ち栗は 拾われもせず 一個二個

2014年09月19日 | ふるさと散歩

  さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、夜には雨の降る所があるらしい。気温は17度から25度と涼しくなってきた。湿度も78%から54%、風は1mから2mの南南西の風が少しあった程度。明日の20日は、引き続き気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、昼前にかけて雨の降る所がある見込みとか。明日のお出かけは要注意かな。

 

 このあたりでも彼岸花が一斉に咲き出してきた。田んぼの畦に彼岸花が咲いているのはモグラ予防のためで、モグラが走り回るとその穴から水が漏れて田んぼが崩れてしまうからだという。この根っこというか球根のニオイがモグラはイヤなんだそうだ。モグラに聞いたわけではないが。

 

 さて、今年は二度も台風がやってきたし、雨が多かったせいで、この水中ポンプが行方不明になっていた。たぶん、大雨で流されたんじゃないかなぁと心配していたのだが、電源コードやビニール・ホース、おまけに移動防止用にロープで結んであったので、どうにか探し出して元に戻した。おかげで家庭菜園用の水が通水できた。

 

 さて、そういうことで、今日は、昨日の句碑調査のまとめというか整理をやってみた。句碑と、場所と、俳句のことばなんぞをエクセル・シートで整理してみた。

 

 すると、さぬき市長尾(旧長尾町)に56基58句、志度(旧志度町)に2基2句、合計58基60句があることになっている。他の町には全くないから、圧倒的に長尾町に多いことになる。これは砂井さんと言う方が山頭火の熱烈なファンであって、「種田山頭火顕彰会」を立ち上げて、遍路道沿いに設置したものだという。今も会長さんがあたらしくなって、まだまだ、句碑を建てているみたい。

 

 さて、ここは旧長尾町と志度町の町境近くにある「当願大明神」という神社で、ここに二つの句碑があることになっているが、一つは見つかったのだが、二つ目がわからない。そこで、今日は再調査にやってきたというわけ。

 

 あちらこちらと探してみたが、この一基しか見つからない。あきらめて帰ろうとしたとき、「あれ??」と思った。この植木鉢のあるのが正面だが、なんと、こちらがわの面にも俳句が刻んである。まさしく、「水音おべんたうをひらく」と刻んであるではないか。なるほど、そういうことか・・・。

 

 おもわず、しゃがみこんで、しばらく見つめたことだった。一つの石に二句を刻むということはいまだなかったこと・・・。

 

 ここは、その当願大明神から旧のへんろ路を長尾寺に向かって進んだ途中にある「西沢庵」という昔の「西沢寺」の跡地にある庵である。ここにも山頭火の句碑がある。ここは県道からは見えない場所だからわからなかったもの。

 

 このあたりではサルがいないのだろうか、落ちた栗がそのままになっていた。

 

 ここは藤の寺として有名な玉泉寺。ここにも句碑があるはずだが、どこにもない。お寺のおばあさんに聞いてもわからないと言う・・・。そこで、はたと考えてみた。

 

 まさか・・・と思ってやってきたのが「尽誠公民館」地名が「尽誠」と言うのだろう。まさか、あの高校とは関係があるとも思えない。

 

 ここには、「秋風けふも乞いあるく」という句が刻んであった。で、まさか・・と思って、裏を見てみれば、「鳴いても山羊はつながれてひとり」と刻まれて居るではないか・・・。なんたるこちあ・サンタルチア・・・。そんなことで、今日も暮れてしまった。

 

 今日の掲示板はこれ。「"人"の"為"と書いたら "偽り"という字になりました」というもの。「人の為」と言いながら、実は自分のことばかり考えている私たち。偽りという字がある。嘘という意味でもある。二つに分けると「人」と「為」である。人が為す(行為)ことと読めるし、人が為すことは嘘だと言っているようでもある。「あなたの為を思って言っているのよ」というセリフがあるが、「人の為」と言ったら「偽り」だということにもなるわけだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


曼珠沙華 恥ずかしいほどの 赤である

2014年09月18日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がっていた。気温は16度から25度と過ごしやすい気候になってきた。湿度も70%から47%、風は2mから3mの北北西の風が少し。明日の19日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 さて、ご案内の通り、今日からは「さぬき市内にある山頭火の句碑巡りの旅」を始めようと思った。で、まずは四国霊場88番札所大窪寺の阿弥陀堂前にある句碑からのスタート。

 

 「ここが打ち止めの水があふれている」と刻まれている。このお寺の門前の土産物屋さん「八十八庵(やそばあん)」さんの中庭にも句碑があるというのでお邪魔してみた。

 

 「暮れても宿がないもずがなく」という山頭火の句碑である。こうして、大窪寺から志度寺を過ぎて平賀源内旧宅までの22ヶ所を回って来たが、すぐに見つかるもの、いくら探しても見つからないものなどで、午前中が過ぎた。

 

 ここは「竹屋敷」という宿泊施設兼うどんの食べられるレストランのような建物。日帰りの温泉付き宴会場としても利用されている。ここにも十数基もの句碑があるらしい。個人のお店だから勝手にお邪魔してはいけないのだが、お庭散策・・・という程度に歩いてみたが、幾つかは分かったが、他の方の句碑もあって・・・。あんまり、深入りをしては申し訳ない。

 

 入口付近の萩の庭にも五つほどの句碑があった。

 

 これは閉校になった「多和小学校」の校門だが、その脇のサツキの木に隠れるようにしてあるのが山頭火の句碑。こういうものを探してゆくわけだ。

 

 ここはリストににはない新しい場所だが、実にここには三つもの山頭火の句碑があった。他の人の句碑もあるので、その確認をしながらの旅。

 

 この先の「前山ダム」周辺にも句碑があるはずだが見つからなかった。広範囲過ぎて探しようがない。

 

 ここも市の介護施設らしい「行基苑」という建物だが、この「あじさい園」という看板の下脇にひっそりとあるのが、山頭火の句碑だった。

 

 ここはさぬき市長尾西にある宗林寺・一畑御坊というお寺だが、ここは「俳諧の寺」というらしい。この参道に並んでいる石が実は句碑で、参道や境内には数十という句碑が並んでいる。すごいのは、本堂前にある大きな雨樋を受ける水枡にも俳句が刻んであるという懲りよう。これが左右に別の句を刻んである。

 

 他の人の句碑もあるから、それを確認しながらになる。リストにない句もあれば、あるはずの句碑が見つからない場合もあって混乱してしまう。

 

 これが宗林寺さんの参道。左右にたくさんの句碑が並んでいるのがよくわかる。

 

 ということで、今日はここでお昼になった。さぬき市造田宮西という地区にある「さぬきうどん溜(たまり)というプチセルフのお店。10時半過ぎだったのでよく空いていた。

 

 ここに来ると、なんとかの「一つ覚え」みたいに注文してしまう、「溜まりうどん小の冷や」で380円だった。実にまぁ久方ぶりのおうどんだった。これに生醤油を回しかけて食べる「生醤油うどん」のとろろサービスバージョンみたいなもの。大きな梅干しがポイントだった。

 

 で、最終は、志度町の旧道沿いにある「平賀源内生家跡」近くにある、この大きな「石鎚山奉納灯籠」脇にある「山頭火句碑」で、今日の旅はおしまい。全部はとても今日だけでは紹介しきれないので一部だけ。でも、探せばあるもんだ・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「ただいたずらにあかし いたずらにくらして年月をおくるばかりなり まことになげきてもなお悲しむべし」という蓮如上人のお言葉から。私も今年で66歳、前期高齢者の仲間入りをしている。母は88歳、父は46歳で還浄しているもので、今更ながら自分の歳の重みと、蓮如上人が「ただいたずらにあかし、いたずらにくらして、年月をおくるばかりなり。これまことになげきてもなおかなしむべし。」と申してくださっている言葉をありがたくいただくばかりである。そういうことで、ま、あちらこちらと出歩いている次第でもある。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


世の中の 悩み重ねて 曼珠沙華

2014年09月17日 | ふるさと散歩

 四国地方は、気圧の谷の影響で次第に雲が広がってきたが、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は19度から26度、湿度は84%から56%、風は1mから3mの北北西の風が少し。明日の18日は、気圧の谷や寒気の影響で、雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 朝の間、家の周りの草刈りをしようと張り切って草刈り機のエンジンを掛けたら、燃料の混合油がぽたぽたと漏れている。道理で燃料が早くなくなる筈だなぁと、作業を中止して農機具屋さんに駆け込んだら、部品交換でしばらくかかると言われて、機械を預けて戻ってきた。

 

 六月の初めにも燃料系統の故障で、ここにやってきたように思う。ま、たまにしか使わないものだから仕方がない。

 

 ということで、草刈りはあきらめて、ここにやってきた。香川県立図書館である。先週だかに本を五冊ほど借りていたのを返却に来たのだが、またしても訳のわからない本を五冊、借りてしまった。

 

 この前の、さぬき市の偉人シリーズで、昨日までは「静御前」を追ってみたが、今度は「種田山頭火」の足跡を追ってみようと考えた訳だ。

 

 

 新聞コーナーには何種類もの新聞が置かれているのだが、おじさん方が読んでいるのはスポーツ新聞や全国紙。だから、こうした人民日報や韓国の新聞、ニューヨーク・タイムスなんぞはほとんど読む人は居ない。でも需要があるから購読しているんだろうと思う。意外だったのは・・・。

 

 「福島民放」という新聞。近畿や大阪などの新聞は置いていない。ふむ?9月11日??。

 

 これが87番札所長尾寺にあった山頭火の句碑。「水ちろ々 柄杓ををそへて」とある。こういう句碑を探して回ろうというわけだ。これからは気候もよくなるだろうから。

 

 これは、さぬき市志度の平賀源内生家近くにあるもの。「ここにおちつき草もゆる」という句である。さて、幾らほどの句碑が見つかるんだろうか。

 

 その後、東かがわ市に向かって走って見た。これは三寶寺(さんぼうじ)さんの境内にある菩提樹の実。お念珠にするような大きな実ではない。もう、茶色になっているものも落ちていた。

 

 少し東に進むと、こんなのぼりが立っていた。場所は、東かがわ市西山・福栄地区で、主 催 者は農業法人「福栄中央」。毎年の「空(くう)ちゃん田んぼ」。この田植えは近くの小学生らが行ったもよう。

 

 何種類からの品種の違う稲を植えているらしい。今年は「和 ’14」という字が見えるけれど、これではなんだかわからない。

 

 元のデザインはこんなものらしい。頭の後ろに描かれているのはコスモスみたい。でも、「一千二百年」の文字が右手になっている。手前の文字や絵は上に置いて、手前におへんろさんを持って来た方がわかりやすいのになぁと思った。

 

 いよいよ萩の花も見頃になってきたが、今日はなんだか蒸し蒸しするような午後になった。

 

 今日の掲示板はこれ。「人間の大きさは その人が出会っている世界の大きさ」というもの。農業をやっている人はどこに旅行しても、稲のできばえとか野菜の育ち具合しか見ないという。会社の事務職員は自分の仕事の範疇しか知らないし、技術者は自分の担当している職場しか知らない。孫悟空がどこまでもどこまでも飛んでいったのに、お釈迦様の手のひらの中で遊んでいただけのように、「人間の大きさは、その人が出会っている世界の大きさ」なのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


独り寝の 今夜の客は 松虫か

2014年09月16日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がってきた。一時、雨の降っていた所もあった。気温は20度から28度、湿度は92%から60%。風は3mから1mも北北東の風が少し。明日の17日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 朝方は涼しいなぁと思ったけれど、8時を過ぎるとぐんぐんと気温が上昇して27度までに上がった。だから、涼しい間にお出かけをしようと、今日は東かがわ市に出掛けてみた。

 

 ここは、東かがわ市丹生(にぶ)大谷というところにある「姿見の井戸」という史跡。その奥の正面には「姿明神」という神社がある。

 

 この地の出身だといわれる磯野禅尼の娘が義経の愛妾、静御前だといい、絶世の美女がその姿を井戸の水に映して化粧したという。その割に、小さな水たまりである。

 

 その標柱も根本から腐って折れて倒れていた。

 

 一方、こちらは、小磯という集落にある「史跡靜屋敷跡」、静御前の母・磯野禅尼 出生の地とされるところ。都から逃げてきた母磯野禅師と静御前はこの生家にたどり着いたが、軒は崩れ、柱は腐っているような小屋のような建物だった。そこでしばらく静養したが、靜の容態は優れず、今の遍路のように屋島合戦で亡くなった多くの人たちを慰めるために旅立って行ったという。

 

 これが小磯の海である。都から淡路へ渡り、淡路からこの小磯に舟で帰ってきたのだと伝えられている。

 

 さて、昼前に、amazonから荷物が届いた。昨日の朝に注文したのに、早くもその品物が届いたのだ。

 

 中身は植松三十里先生の「リタとマッサン」の本と、「黒曜石」という品物。これは、パワーポイントを使ってのプレゼンテーション時に、画面を切り替える「ポインター」というもの。これで画面を送ったり戻したりするもの。これまでは、ワイヤレス・マウスでポインター代わりに使っていたが、どうにも不便なもので、これを注文した。

 

こうして、指輪のようにして画面を切り替えるか、

 

 レーザーポインターに装着して使うかする。長い講演会などにはこれが便利かなと思って。

 

 お昼を過ぎると気温は28度にも上昇した。さすがにセミも一時、大きな声で鳴いていたが、15時を過ぎると聞こえなくなった。

 

 今日の掲示板はこれ。「みようみまねで合わす手に やどるすなおな菩提心」というもの。人生歩けばデコボコ道さ。だから要るんだ、心の杖が。見よう見まねで合わす手に、やどるすなおな菩提心。そういえば、幼い子供は、みよう見真似で小さな手を合わせたりするもの。それにどんな意味があるのか、なぜそうなるのか知らないままに両の手を合わせている。それでいながら、そこには不思議なほど仏さまの世界との一体感が感じられたりする。言い方をかえれば、大人より子供たちの合掌の姿の方がずっと絵になると言うもの。子供は純粋無垢という点で私たちより仏さまの世界に近いのではないのだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、合えるといいね。


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