まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

特別付録>灯台吏員待息所・灯台宿舎及び事務所

2012年01月07日 | 最近は建物研究などを・・・。

 たびたびおたずねが来る・・・灯台に関するお問い合わせについて、調べたもののご報告になる。

 

 灯台(とうだい)は、岬の先端や港内に設置された、船舶の航行目標「航路標識」の一種であって、その外観や灯光によって位置を示す「光波標識」の中の夜標として位置づけられている。

 

 塔状の建造物で、最上部には遠方からでも識別可能な強力な光源を有する。夜間には光源が明滅(大型のものでは光源に前置されたレンズが回転)し、航行する船舶が場所を識別する目印となる。現在多くはコンクリート製だが、木造や石造、煉瓦造や鉄造のものも見られる。

 

 これが明治初期に建てられた坂出市沖合にあった鍋島灯台の待息所で、英国技師のR・H・ブラントンが設計したもので、石造の建物で明治6年に竣工した。壁は奥行き60センチの切石を積み、間取りは中廊下式で部屋には暖炉が置かれ、外側に浴室や便所などが張り出す構造になっている。

 

 内部は洋式で、テーブルやいすが置かれ、事務机、暖炉、ピアノやオルガンなども置かれていた。

 

 この建物は昭和30年まで本来の宿舎として使用されたが、その後は海上保安庁の通信施設となっていた。

 

 これは淡路島北端にあった江崎灯台の待息所。これもブラントンの設計によるもので、我が国八番目に点灯した洋式灯台であった。先の阪神・淡路大震災で被災したため、この地に移転復元されたもの。本格的な石造建築で」当初の木造トラス構造を残すなど「洋式灯台の黎明的な建物である。

 

 この待息所は、「おいら 岬の灯台守は・・・」という主題歌で有名な「喜びも悲しみも行く歳月」という映画で知られる・・・灯台守たちの労苦のしみこんだ住居であった。最果ての岬や絶海の孤島で灯火を守り、沖行く船の安全を支えた灯台吏員とその家族たちの哀感はいかばかりであったか・・・。

 

 我が国の洋式灯台の初点灯は明治二年元日、東京湾入り口に当たる観音崎灯台であった。江戸幕府が米・英・仏・蘭と結んだ条約により灯台が建設され、その事業は明治政府へと引き継がれた。

 

 いわゆる「お雇い外人」の指導の下に、建設の第一歩を踏み出した。中でも英国の技師R・H・ブラントンは日本国内に28基の灯台を設計・監督し、「日本の灯台の父」と呼ばれている。

 

 待息所も時代とともにその内部は変遷し、愛媛県松山市沖にあったクダコ島灯台は明治35年に着工し、翌年に竣工・初点灯したが、この建物はレンガ造りのモルタル仕上げ。内部は左右二つに分かれて二家族用になっていて押し入れ付き和風の畳敷きで、かまどや風呂もレンガ造りとなっているのが興味深い。

 

 この待息所は明治後期の建築であり、部屋も和風の「要素が強くなっている。洋式灯台初期のものとはいくつかの点で違いが見られ、我が国の灯台建築の変遷を知るうえで貴重な資料となるだろう。

 

 瀬戸内海ののどかな島に、調査と工事のために訪れた黒船と碧眼紅毛の異国人に素朴な島民は驚き、長老は裃袴を着用し、刀を携えて出迎えたと紹介されている。

 

 時は流れ・・・昭和30年代になって、灯台は次々と無人化され、電子化されてゆき、人々の喜びや悲しみを見守ってきた灯台吏員待息所はその役割を終えていったのであった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


元気かい 寒中見舞いに 見る絆

2012年01月07日 | 最近は建物研究などを・・・。

 今日は霜もなくおだやかなお正月らしい朝になった・・・。今日は「七草」だというが、我が家はそんな情緒のあるものを食べたことはない・・・。

 

 で、寒中見舞いを何枚か・・・というても、十枚ほどはあっただろうか。それを書いて出して・・・。喪中欠礼の方へのご挨拶・・・。

 

 今、レキ墓研究の一環として「灯台寮」とか「水路史」とかを調べているものだから、県立図書館に行ってみた。でも、そういうのは一般的ではないものか、私が探すのが下手なものか・・・わからない・・。それじゃダメじゃん、春風亭昇太。

 

 で、高松市屋島中町にある民家園「四国村」にも行ってみた。「百聞は一見にしかず」ということだ。一般は800円。この中にギャラリーがあるが、それを見るときには別料金が必要になる。

 

  すると・・・大きなキャリーバッグを引いた娘さんがぞろぞろと集まっている。今の時期だから観光客かな~と思っていたのだが・・・。

 

 そのあたりで着替えを始めて・・・。和装っぽいね。髪が紫・・・。羽織に袴、刀やら槍やら・・・。侍ごっこ?武芸者のコスプレ?・・・。

 

 おりしも・・ここでは「正月飾り展」もやっている・・。二月末からはひな祭りも行われるし・・・。すると、あちらこちらに・・・白いセーラー服に紫の頭とか・・・黒い陣羽織を着た娘さんとか・・・。年頃は・・・高校生らしい・・・。

 じろじろ見たり、カメラを向けるとやばそうなので素通りしたが、彼女らは何をやってんだ??

 

 目指すのはこれ・・・。灯台吏員待息所:とうだい・りいん・たいそくしょ」という、灯台職員の事務室兼住居兼休憩所。ここには三棟の待息所が保存されているが、どれも石造りの堅固なもの。壁の厚さは・・・60センチはある。どんな台風や地震にも耐えられそうな建物だ。

  

 林の中にも・・・変な・・・娘さんたちが・・。ま、そういうのは無視して・・・出口に急いだ。おなかがすいてきたのだ。そこで、隣接する「わら屋」に寄ったら・・・お正月の土曜日ということで・・・行列になっている。短気の私はそこを離れて・・・別なお店を探した・・・。

 

 で、「さぬきうどん大木戸」に入った。この時には数人の客がいただけだったので、のんびりとおうどんを注文した。ここにはしっぽくうどんが見えなかったので、カレーうどんを注文した。

 

 冷たい空気の中を歩いた者だから、こういう温かいものがおいしい・・。麺がなめらかで・・・のどの奥に滑り込んでゆくようだ。カレーも辛くもなく甘くもなくて・・・あっという間に完食。これで410円。ここは珍しく・・・「ハーフ・セルフの店」と書いてある。さぬきのうどん屋のほとんどが、ハーフ・セルフかプチセルフ・・・。本当のセルフうどんは製麺所とかのかけうどんくらいなもの。

 

 今日、見つけた掲示板がこれ。上手な字だなぁと思ったが、なんとなく当たり前すぎて・・。

 「一年の計は元旦にあり」というのは昔からの言葉だけれど、元日の朝に、そう、簡単に一年の計画ができるはずがないし、今日一日の計画を、朝っぱらから考えられるはずもないし。ましてや・・・一生の計画を・・・今の今にやれと言われても・・・。

 「一夜賢者の経」のように、「未だ来たらざる明日を思うことなかれ」のほうが、私は好きだなぁ・・・。

  

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


栗飯を 置いて夜勤の 妻は出る

2011年10月14日 | 最近は建物研究などを・・・。

 朝から雨になったが、ぽちの散歩と朝の散歩は小雨をついての運動になった・・・。

 ♪~雨の降る日は雨のよに 風吹く夜には風のよに 晴れた朝には晴れやかに~♪

 ということで、今日もベーハ小屋三個目の工事に掛かった・・・。

  

 と言うのも、大阪の藤本幹事から密書が届いて、週明けの月曜日に「越後の番頭さん」が塩飽訪問をされるので、さぬき広島の「尾上邸:おのえてい」を見たいというので、その案内役をやれとおっしゃる。

 

 で、マイボートで塩飽本島まで出迎えて、島を案内して、昼飯を食べさせて、15時までに丸亀まで送り届けるように・・というオーダーだ。これには参った・・・。ま、幹事のオーダーだから、その通りにやらんとあかんのだろうがね~・・・。

 ということで、バタバタしてる時に、母のさっちゃんがこけて歩き辛いとおっしゃるし、けいこばぁは神戸のお友達に会いたいからとお出かけする・・・。明日の午前中は病院に連れて行って、午後から・・・島にゆくか、準備だけして、日曜の朝イチに出かけるか・・・。

 

 越後のお客様をご案内するのに、軽トラの荷台では危ないし、失礼やし・・となると、マイカーを乗り込むか。そうなったら、このベーハ小屋を壊さないように車で運ぶのがベスト。それだし、ボートの燃料の軽油、給湯器用の灯油も、こちらで買って持ち込めば、それだけでフェリー代が浮きそうな気もするし・・・という、捕らぬ狸の皮算用・・・。

 

 で、今日は雨も降るし・・・ということで、町内の・・「セルフうどん・まなぶ家」に行った。

 

 で、カレーうどんを注文した。藤本幹事からは、越後の番頭さん夫妻には、「讃岐うどんで、カレーうどんでも喰わしておけばいい・・」と言われたが、自分で食べるのは・・・適当なカレーうどんでいいが、越後の番頭さんに・・レトルトではまずいやろうと・・・研究目的のカレーうどんだが、参考にはならんわな・・・。

 

 午後からは本格的な雨になった。豪雨とかではないが、まるで梅雨のような・・・降ったり、止んだりの雨・・・。さすがに・・・我が家の金木犀は散ってしまった・・・。

 

 ♪~雨の降る日は雨のよに 風吹く夜には風のよに 晴れた朝には晴れやかに~♪

 ということで、午後からもベーハ小屋の工事に掛かった・・・。

 

 「♪~・・急がなきゃ遅れるわ! おしゃれしなくっちゃ~・・♪」注*フランス・ギャルの「すてきな王子さま」という歌の歌詞だ。

 これで、ほぼ外観はできた・・。この屋根の下には、マッチ棒で垂木まで打ってあるんだ・・。

 

 もちろん、この赤い部分は切り捨てるんだけれど。その裏手というか、表部分に、紙粘土を貼り付けて、筋目をつけて瓦を表現する・・・。

 

 これを建物の屋根部分に装着すると・・・、こうなる。

 

 釜場の後部にも壁が取り付けられたし・・・。

 まるで・・・ベーハおたくやね・・。私は・・ベーハ小屋を調べると、「ベーハ女子」という若い娘さんが群がってると思ったのだけれど・・、そういう現象はまるでないね・・・。「がっくりモード」

 

 これが・・・夕食前までのバージョンだ。ほぼ・・完成版。とりあえず、明日の夕方には、これをさぬき広島まで搬入しておく。こんなものを抱えて高速艇に乗ると、ほかの食料とかビールとかが持てないもの・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

 


山葡萄 六地蔵前に 大いばり

2011年10月12日 | 最近は建物研究などを・・・。

 今日は一ヶ月に一度の「プラスチックゴミ回収日」ということで、ゴミ出しやら整理やらをやって、夕方からは空き缶のゴミ出しをやって・・・。

 

 朝方は気持ちのいい秋の空になったけれど、少しばかり散歩をすれば、まだまだ・・汗が流れてくる・・・。

 

 で、午前中は・・・例の「ベーハ小屋」作成。今度は・・「夫婦釜(めおとかま)」の作成だが、先に作ったものは「夫婦釜直列二連」というもので、向かい合わせになった夫婦釜を二つ直列に並べてあったが、今回は普通の並列式の夫婦釜だが、どちらが夫でどちらが婦人なのかはわからない・・。

 

 この写真では、すでに左側の一棟が崩壊して自然同化してしまっている・・。上は、その復元想像建築物になる・・・。

 今度は、それを横に並べてみようという、これまた、復元想像建築物になる・・。

 

 まず・・、こういう基本形を置いて・・・。

 

 こういう風に二つを並べて、間に焚口を置いて屋根をかぶせることにした・・・。

 今日はけいこばぁがお休みだったもので、さっちゃんともども・・・近くの一般店に行ってみた。

 

 隣町にあるスーパー「ビック」の敷地脇にある「うどん処花林亭」。ここは定食もの・・というのが評判いいようだが、定食というても、おうどんと稲荷寿司みたいなもの。だから、私が注文した「肉うどん+いなり寿司2個」を「C定食」といって、イチ押しメニューなんだそうだ。

 

 ここは一般店だから・・普通の大きさが「一玉半」あるのでちょっとしたボリューム。それに大きめのいなり寿司2個を食べると・・・夕食が入らないほど・・・。お値段はこれで600円か。奥方のおごりの時にはついついと食べ過ぎてしまうな・・・。

 

 普通に働く人にはちょうどいいくらいの量らしくて、けいこばぁはさっちゃんが少ししか食べなかったおうどんもぺろりと食べたのだから、私の胃袋が小さいってことやね。

 最近、パソコンでNHKラジオが聞けるってことは話したと思うけれど、その「らじる☆らじる」を聞いていると、「田んぼの畦にヒガンバナが植えてあるのはモグラ避けです」と言うてた・・・。

 

 これって、自生しているのかと思ったら・・・植えてあるのか・・・。モグラがヒガンバナの球根がいやなのか、みみずが根っこを嫌うのかは知らないが、モグラが穴を掘って、この中央みたいに畦が漏水で崩れるのを防ぐために・・・ヒガンバナを植えたものらしい・・。

 道理で・・・こういう景観ができていたのかと思うと・・「ガッテン!」「ガッテン!」やね・・・。先人の智恵はすごいなぁと思う・・・。

 

 ゴーヤはなぜに苦いのか、栗のイガはなぜに強いのか・・・みたいな疑問も前に言うてたことがある。こういう植物は、種ができるまでは、ほかの動物に食べられたくないのだそうだ。柿でも梨でもなんでもそうだけれど、種ができるまでは硬くて渋くておいしくないのだそうだ・・・。

 種が成熟したら、動物や鳥たちに食べてもらって、糞と一緒に運ばれていって子孫を残すんだそうだ・・・。だから、栗も実が熟すとイガから外れて地上に落ちて発芽する。柿も桃もスイカも一緒やねぇ・・・。

 植物の智恵もすごいなぁと思う・・・。

 

 この赤い実も。。「もう、食べてもいいよ~」という合図なんだろうと思う・・・。

 

じゃぁ、また、明日、元気に会えるといいね。 


赤とんぼ 群れているので 遠回り

2011年09月26日 | 最近は建物研究などを・・・。

 今日も曇っていたせいか・・・朝の七時半になっても薄暗かった・・・。今日は・・奥方のけいこばぁがお休み。母のさっちゃんは10時から15時までデイサービスにお出かけ・・・。

 

 朝から雨になったり曇ったりで・・屋外作業は無理だから・・・いつもの「図画工作」で過ごすことにした。で、例の「型抜き作業」・・・。れれれ・・・、またも、ベーハ小屋を作るんかいな・・・。

 

 さぬき広島の文化祭「ふれ愛まつり」に出展するのならば、あの・・「手島の米葉小屋を展示しないとマズイやろ・・・」みたいなことで。讃岐以外のことは知らないのだけれど、こういう・・ベーハ小屋は珍しい。

 これは、「夫婦釜(めおとがま)」=「二連」の、さらに二連の・・「夫婦釜ツイン」という特殊な形だ・・・。それも直列型のストレート。普通は二つの釜を向かい合わせにするのが夫婦釜。

 その直列ストレート夫婦釜(四釜連続式)の内の左側の一棟が倒壊して、今は・・三棟だけが残っているが、それも荒廃が激しい・・・。この姿を・・・残しておきたい・・・ということから・・・。

 

 こういう組み合わせになって・・・。

 

 これで・・・外観部分ができた・・。あとは・・瓦屋根だの壁の代わりの板塀とかの装飾をかければそれらしくなるはず・・・。すっかりと・・ベーハ小屋をマスターしたぞ。

 

 で、今日は奥方がお休みだから・・・「アッシィー君」で、「運転手はボクだ、社長はキミだ~・・」ということで、運転手。郵便局からお米を送ったり、スーパーでビールを買ったりするのに荷物運び係だ・・・。

 その後、さぬき市長尾東の「うどん亭いわせ」でのおうどんタイム。けいこばぁはここがお気に入り・・。

 

 けいこばぁはいつもの「おでん+かけうどん」、私は・・・「野菜天ぶっかけ」だが、今回の野菜天は少しばかり小さいね・・・。これで・・550円だった・・。

 

 ま、麺もお出汁も安定していておいしいけれど、私はやっぱりセルフうどんのほうが気楽でおいしいと思うのだけれど・・・。

 

 もう、そろそろと、リコリスの時期もおしまいかなぁ~・・・。

 

 そうそう・・・、今日のおうどん屋近くの公園で見かけたのだけれど・・・。

 

 これは・・まぎれもなく・・「桜」なんだが、桜の若葉まで見えるのが・・「あれれ」と思った。桜は・・葉っぱがあると花を咲かさないらしいが、桜の花と一緒に若葉が出るのは珍しいと思った・・・。

 

 なんだかんだと言うてても、さすがに・・・「暑さ、寒さも彼岸まで」やね・・。朝夕は・・・何を着たらいいものかと・・・思案する昨今。まさか・・・今からセーターは早いだろうし、薄いシャツだと身震いするし・・・。

 「なんとか組」とか「米葉建設」とかという法被(はっぴ)でも欲しいなぁと思ったりする。どなたか、寄進してくれませんかね・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


曼珠沙華 どうしてそんなに 赤い顔

2011年09月15日 | 最近は建物研究などを・・・。

 今朝はにぎやかなサルの嬌声で起こされた・・・。「キィキィキィ・・」という高い声で山の上から吠えられたら寝てなんぞいられない・・。でも、起きてみれば・・六時前だった・・。そういう目覚まし時計はセットしとらんのだけれど・・。

 

 で、けいこばぁの作っているナンキンがもぎ取られてかじられて、道路の真ん中に転がっていた・・・。まるで・・おさるのために野菜を作っているようなもんだ・・・。

 今日は・・・けいこばぁがお休みだというので、いつもの運転手だ。少し前には・・「アッシィ君」、その少し前には・・「ステッキボーイ」とかと言うたそうだ・・。そんなんは知らないけれどもね。

 

 けいこばぁは銀行でおかねをおろして・・ご法事の用意とかお葬式の準備とか・・・。高齢社会になると・・あれこれとね。私も・・・農協さんでお金を下ろして・・・敬老会のお祝い金を商品券にしてお配りする準備・・・。自治会長のお仕事なんだと・・・。

 で、けいこばぁのおごりでおうどんタイム。

 

 先日にも行ったのだけれど、さぬき市津田の「羽立:はりゅう」という一般店。で、けいこばぁのおごりだというもので、とびきりのご馳走の・・・。

 

 「野菜天ぶっかけうどん小の冷や」というものを注文した・・・。奥方は・・・「なに、それ・・・」と絶句状態・・・。さすがに、こういうおうどんは食べたことも見たこともなかったらしい・・・。でも・・、単なる「野菜天ぷら」だから・・しれたもの・・。これで・・・500円なのだ。海老天なんぞが入ると・・・650円くらいにはなるけれど・・。

 タマネギ、ナンキン、ごぼう、さつまいも、ナスの天ぷらが乗っているだけ・・・。でも、見た目はハデやね・・・。まるで、トロピカル・ヌードルではないか・・・。

 

 その後・・・。奥方のお買い物なんぞを済ませておいてから・・、私はまたも家を出た・・・。家を出たっていうても・・「家出」をしたわけではない。単に・・・お出かけをしたってことだ・・。

 

 昨日の・・細川家住宅を思い出して、そういう家ならば、うちの町にもあるぞ・・・みたいなことで、みろく自然公園の一角にある『旧恵利家住宅』をのぞきに行った。この建物は・・・昨日の細川家よりももっと早い時期の17世紀末頃の民家(農家)の住宅で、どちらも・・・国の重要文化財に指定されている。

 恵利氏がさぬき市大川町新名に住み着いたのは、19世紀の始めといわれており、この地で農耕に勤め、安政のころ集落の長百姓役をしていた旧家の屋敷を譲り受けた。恵利氏にこの住宅を譲った旧家がこの地に入居したのは不明、恵利氏初代が元禄12年に没していることと、建物の構造・手法などからその時期に該当していて、建築年代も17世紀末頃と考えられる。

 

 昭和42年頃、老巧化が進み、この家を解体する計画が持ち上がったが、地元では、住宅の保存の機運が高まり、当時の大川町が昭和45年に町内田面砕石(たづらわれいし)の大川ダム東岸に解体移築保存された。これが我が家の近くだった・・・。

 

 翌年だかに、香川県東部の典型的な民家で建築年代も古いことから、国から重要文化財に指定されたが、無人状態で老朽化が進み崩壊寸前になった。そこで、平成13年にみろく自然公園に再度移築保存されて、現在に至っている。

 

 こうした・・・茅を軒先まで葺き降ろす屋根を「ツクダレ」と呼ぶそうで、当時は・・農家の長、庄屋さんクラスの家だったとか・・。玄関から内部に入ると、大きな土間があり、左側に広間が配されていた。

 

 土間から天井を見上げるとこんな感じだ。

 

 午後からは・・・例のお大師まいりの資料作成で日が暮れた。でも、ほぼ・・予定は完了した・・・。

 

 お大師まいりの資料がほぼできあがったら、次は・・・ベーハ小屋の資料作成やね・・。ま、次から次へと忙しいことだ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、きっと、会えるといいね。


じんじんと 残暑厳しき 宮まいり

2011年09月14日 | 最近は建物研究などを・・・。

 朝方は寒いほどなんだけれど、日差しが高くなると・・・真夏のような暑さになって・・・夕方まで気温は三十度をくだらない・・・。この暑さ・・・、今週いっぱいは続くのだと言うが・・・。

 

 さて、午前中は相変わらず・・・さぬき広島お大師参りの資料作成をやっていた。作業の九割近くはできあがった。今週末には製本段階まで行けると思う・・・。あくまで「プロト・タイプ」という試作品なんだけれど。

 で、今日は・・母のさっちゃんがデイ・ケアに出かけて行き、奥方のけいこばぁが夜勤から戻って来る日。その時間が・・・午前十時。けいこばぁが戻って来るのを確認して、私は家を出た。

 

 徹夜勤務してきたのだから、自由にビールを飲んで、自由にお昼寝をしてもらわないと健康上にもよくない。けいこばぁに倒れられたら・・それこそ大騒ぎになってしまう。だから・・・ゆっくりと休憩してもらうために・・午後三時までは我が家を留守にする・・・。

 

 で、通り掛かった・・・さぬき市長尾西にある「おかだ食堂」に入った。正確には知らないが「手打ちうどん・おかだ」というのかも知れない。ここで、朝昼兼用のおうどんを食べる。まだ・・時計は10時過ぎ・・・。

 

 「まぁ、何か食べておかねば・・」みたいなことで注文したのが・・・「きつねうどん」。小で280円だった・・。それを何を勘違いしたものか・・・480円だと思って少しばかり警戒して「小」のみになったんだけれど、落ち着いてメニューを見たら・・・280円だったが、今更・・・稲荷寿司の追加もできずに、そのまんまになった・・・。

 

 で、例によって・・・長尾町を南下して山間部に入り、大多和から多和地区に入ってのベーハ小屋探し・・・。だが、このあたりには全く姿が見えない・・・。

 多和地区で・・・国の重要文化財に指定されている「細川家住宅」というのをのぞいてみた。

 

 この農家は・・十八世紀初期の古式間取りというらしく、広い土間の「ニワ」という作業場と、土座という・・・土間にムシロを敷いただけの台所風の間、その奥に竹座のザシキがあるという三座方式。つまりは・・・二間(ふたま)+土間という・・初期の農家の間取りが残されている。

 

 それだし、自然の曲がった木材を自由自在に組み合わせて創られている自然建築の基本構成が間近に見える・・・。

 

 江戸時代初期の農家の生活を感じさせる住宅であった・・・。

 

 多和という集落ではベーハ小屋が見つからず、そこから東かがわ市に入って五名(ごみょう)という集落に入った・・・。ここで、こうした「ベーハ小屋」を撮影していると・・・。

 「あれぇ~・・」という声が・・。振り向くと・・数年前まで机を並べていた「三谷マネージャー」が立っていた・・。同じ会社の同僚というか仲間だった人・・・。そこで一頻り・・・思い出話やらその後の話に夢中になった・・・。案外と・・・お互いが知っていても素知らぬ顔で通り過ぎるものだが、この「マネージャー」さんはきさくに話しかけてくれて・・・思い出話に花が咲いた。

 

 夕方からは・・集落内の「山の神さん:大山祇神社」の秋の例祭だった・・・。こうした山間部の農村では、田の神・地の神・山の神などに感謝のおまつりをする・・。はるか昔から続いてきた民間信仰の素朴な姿・・・。おまつりをだしにして・・情報交換やら仲間の親睦やらを行ってきた素朴なおまつり・・。

 

 昔には、ここにも拝殿があって、ここにおこもりをして親睦を深めたのだろうが、今は礎石が残るばかり・・。今は・・自治会堂での直来:なおらいになって、情報交換やら相談事、これからの集落のことなんぞを話し合ったりする・・・。

 

じゃぁ、また、明日、きっと、会えるといいね。 


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