まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

金木犀残せる物があったかい

2021年09月30日 | 時には日々是日

 30日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが午後からは湿った空気の影響で曇ってきた。気温は23度から28.6度、湿度は84%から70%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の10月1日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で昼前まで曇るけれど、昼過ぎからは高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 109/63/78 36.3c-98%-63.4Kg 24.9c-66%-1012hPa 体調に変化はない。

 

 観光ガイドのお仕事も一段落、10月には何の予定もない。そこで、自分史の内の小学生時代の思い出をまだ纏め続けている。一つを思い出すと次々と出てくるものだ。

 

 それに今までに作った本の整理なんぞをやっている。でも、なんだかんだとしようのないものをまとめてきたものだ。

 

 午前10時からお出かけ。奥方が来週10日からお仕事に復帰をするというので、ガス抜き兼栄養補給ということで、念願の「北灘漁協とれたて食堂」にやってきた。「JF北灘さかな市」に隣接する【とれたて食堂】は北灘漁業協同組合直送の旬の鮮魚を使った、定食・丼もの・一品ものが自慢のお店。『おまかせ定食』や『びっくり!穴子天丼』など、味・ボリューム共に大満足のメニューで旬の鮮魚をたっぷりと楽しめる。店内で紹介されている当日のオススメメニューも必見。その日の仕入れからイチオシをピックアップしているので、オーダーに迷ってしまったときにも安心というわけ。

 

 私らが着いたときは11時前だったので、私ら夫婦が最初のお客。でも、続いて続々とやってくるので、すぐに店内はいっぱいになった。

 

 こういうことだったので、私は「おまかせ定食」をお願いした。

 

 これが、その「おまかせ定食」である。ありふれたものだなぁと思ったのだが、

 

 このブリの刺身のでかいこと。厚くて長くて大きいのだ。だから二口でも食べられない。だから、いくら頑張っても上の四切れしか食べきれずに、奥方に三切れを食べてもらったが、奥方も「もう、けっこう!」という始末。刺身は「鯛」と「ブリ」を選べるというので「ブリ」にした。鯛の刺身は身がひきしまっていて食べにくい感じ(個人的な見解)。

 

 奥方はあっさりと「ミックス定食」というものをお願いしたが、「こんなに食べたの久しぶり・・」というくらい、密度が濃いというか量が多いのだ。もちろん、夫婦の間にはシールド板が立てられている。

 

 お店の横の水槽にはでかいタイが悠々と泳いでいる。別の水槽には80㌢もあろうかというヒラメも泳いでいた。鳴門の魚はでかいのだなぁと感心しながら眺めていた。そうそう、メバルの唐揚げたって、20㌢もあろうという大きなものだから、「食べきれないからやめといて」と奥方を制止したほど。あんなもの、二人で食べてもどうかなぁという大きさだもの。

 

 食後に少しばかりドライブをしてきた。まだ、高速道路や大鳴門橋だの明石海峡大橋のなかった時代、神戸の奥方の実家に行くときには、こうしたルートを通って、鳴門からはフェリーボートで淡路島に渡り、そこからまたもフェリーで神戸に向かったもの。若かりし日々の懐かしい道路を走ってみた。

 

 こういう島田島の風景とか、

 

 鳴門教育大とかを眺めながら、元来た国道11号線を戻って来たことだった。奥方も懐かしい風景に昔の思い出をよみがえらせていたみたい。

 

 今日の掲示板はこれ。「一生を終えて後に残るのは、われわれが集めたものではなくて われわれが与えたものである」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板からである。ジェラール・シャンドリ氏、たしか三浦綾子さんの『続・氷点』の中に、ジェラール・シャンドリの言葉として引用されていたが、さらに遡ると、フェデリコ・バルバロ著の『三分の黙想』(ドン・ボスコ社)1巻目「与えること」の最初に出てきている言葉なのである。「私がこの人生の喜劇で自分の役を最後までうまく演じたとは思わないか?この芝居がお気に召したのなら、どうか拍手喝采を」というアウグストゥスの臨終の言葉があるが、自分と人生を一緒に過ごした人たちに、行動であったり、言葉であったり、その人達の励みになるような事とものを、なんらかの形として残せたらいいなと思う、今日この頃である。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


陽だまりを独り占めする金木犀

2021年09月29日 | 時には日々是日

 29日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は23.4度から29.2度、湿度は70%から78%、風は1mから2mの東の風が少しばかり。明日の30日のさぬき市地方は、湿った空気や気圧の谷の影響で概ね曇る見込み。

 

 101/57/79 36.1c-98%-63.4Kg 24.5c-70%-1014hPa 体調に変化はないが健康体ではない。今朝も身体が異様に重い。

 

 じっとしていればなんでもないし、普通のことができるのだが、少し動けばゼーゼーハーハーというようになる。

 

 そういう中で、奥方がまたも揚水ポンプが動かないという。昨日、奥方がホースを引っ張ったら軽く上がったというのだが、もしかしてホースが抜けたかも知れないという。欲張ってホースを引っ張ったに違いない。

 

 私が見る限り、ホースが抜けたとも思えない。そこで奥方が、このブロックを下りてポンプを調べることになった。

 

 奥方も右足を引きずりながらハシゴを下りてゆく。そこまでせんでもいいと思うのだが、野菜が第一、第二が水道代。「野菜は買えば高いのよ!」「水道代も高いのよ!」と言い続けている。だから、そのためには命がけである。

 

 で、水中ポンプの位置を水量の多い場所に移動させてみた。ホースを引っ張ったためにポンプが水のない場所に移動したみたい。

 

 おかげでホースは丸々と肥えて元気に水を飲み込んで来る。

 

 野菜畑も見る見るうちに水で満たされてきた。やれやれである。

 

 その後、私は市役所へ出掛けて行って「医療費」の請求手続きである。戻ってくるのはわずかだが、手続きをしなければ受け取れない。

 

 市役所というと、大勢の人で混雑した物だが、今日は駐車場もからっぽだし、庁舎内にも人影がなかった。

 

 職員はちゃんとお仕事をしているのだが、開店休業みたいな雰囲気。みなさん、おでかけを自粛しとるんかいな。

 

 今日のお昼は「おみぃさん」になった。これは讃岐の東部から徳島方面の「阿波弁」かと思っていたが、全国的に「おみぃさん」が食べられているのだとか。私が聞いたところでは、江戸時代に吉野川の流域は藍の産地として栄えていたが、藍を収穫後、裏作として麦やダイコンも栽培されていた。当時はお米は大変貴重だったので、わずかなお米に身近にあるダイコンや里芋などを入れて、分量を増やして味噌味で煮込んだものである。冬場にはもってこいの郷土料理で、「おみいさん」を食べると体が温かくなり、また、ビタミンやカルシウム、食物繊維がたっぷりの野菜やタンパク質を含んだ味噌やダシをとった後の煮干しも入っており、栄養たっぷりの料理であるということだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「命には必ず終わりがある。病気に負けたんじゃない。俺の寿命を生ききったというこだ」という大島康徳さんの言葉からで、宝円寺さんの掲示板からである。

 プロ野球の中日で活躍し、日本ハムの監督も務めた野球評論家の大島康徳さんが令和3年6月30日に大腸がんのため死去したことが報じられた5日、妻・奈保美さんが、大島さんのブログを更新。今年の春ごろに記したという大島さんの言葉をファンに届けた。タイトルは「この命を生きる」とした。以下、ブログの投稿内容。

 「この先の人生何かやりたいことがあるか?と真剣に考えてみたけれど 特別なことは何も浮かばない(笑) 高校を卒業してプロ野球選手としての人生をスタートし この年になるまで 野球一筋、野球人として生きることができた。皆様のおかげです。どうもありがとう。そりゃ辛いこともあったけど それ以上にこの世界にいなければ 得ることができなかったであろう ファンの方からの声援や感動や喜びをたくさんいただいた。貴重な経験もたくさんさせて頂いた。よき先輩、よき後輩 よき仲間、よき家族に恵まれ 美味しいものをよく食べて旨い酒をよく呑んで 大いに語らい 大いに笑い 楽しいことやりたいことは片っ端からやってきた。楽しかったなぁ…これ以上何を望む? もう何もないよ。幸せな人生だった。

 命には必ず終わりがある 自分にもいつかその時は訪れる その時が俺の寿命 それが俺に与えられた運命。病気に負けたんじゃない 俺の寿命を生ききったということだ その時が来るまで 俺はいつも通りに 普通に生きて 自分の人生を、命を しっかり生ききるよ 大島康徳」。

 

 妻・奈保美さんは文末に「夫、大島康徳の言葉をお伝えさせて頂きました。(今年の春頃に記したものです)」と今春に大島さんが書いていたものだと説明し「また改めまして読者の皆様にご挨拶させて頂きます。少しお時間をいただくことになるかと存じますが、どうぞよろしくお願い申し上げます」と呼び掛けた。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


愚痴まみれ金木犀の香の中で

2021年09月28日 | 時には日々是日

 28日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で曇っていた。気温は23度から27.6度、湿度は82%から70%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の29日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で曇るけれど、昼過ぎからは高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 103/59/78 35.8c-97%-62.8Kg 24.1c-72%-1016hPa 体調に変化はない。

 

 とかく急ぐときにはエラーばかりだし、赤信号ばかりだし、渋滞ばかりになったりするもの。それが急がないときには機械は正常だし、青信号ばかりだし、渋滞もなくスムーズに流れたりする。

 

 先日からハガキ印刷ができなくなって、こんなハガキになってしまっている。幾らヘッド掃除をしても、自動洗浄をやっても治らない。

 

 そこで、その横にある、このプリンター「TS5300」というプリンターを使おうとすると、

 

 印刷用紙をセットする「カセット・トレー」にハガキをセットする場所がない。どこを探してもハガキをセットする場所がない。そこで諦めて、年賀状印刷用に新しいプリンターを買おうとAmazonをのぞいてみたら、3万とか5万とかするではないか。それももったいないなぁと思いつつ・・・。

 

 なにげにマニュアルを開いたら、こんな所にハガキがセットできるではないか。まさに目からウロコ状態。

 

 で、試したらば、ちゃんと、きれいに印刷できるではないか。

 

 ほら、こんなにきれいに印刷できるではないか。ナンタルチア・サンタルチア・・・。

 

 これが我が家の最新型カラートナー式プリンターである。これにも、よくよくみるとハガキ用のトレイがあるではないか。だから、このプリンターで年賀状印刷だってできるのだ。

 

 調べてみたらば、この二台のトナープリンターだって、ちゃんと、ハガキ印刷が可能なのだ。別に大騒ぎをして、新しいプリンターを買わなくて良かったのだ。あ~やれやれ。

 

 で、奥方が来週後半からお仕事に復帰をしたいからと整形外科の診察を受けて、一応の診察を終えるという書面を施設のほうへ出すことになった。

 

 で、その書類を施設の方へ提出して、ケアマネさんの処理をお願いしてきた。足の痛みはまだまだらしいが、家に居てもやりたいことはやって済んだとかで、一刻も早く職場に復帰したいというのである。

 

 で、今日も富山の氷見うどん(細麺)を使ったかき揚げ天うどんになった。この氷見うどんは艶があってまろやかでするりと喉に流れ込むという、讃岐では味わえないおうどんである。

 

 

今日の掲示板はこれ。「幸せの一つの扉が閉じると、別の扉が開くもの。でも、私たちは、閉ざされた扉を長いこと見つめていて、その開いた扉が見えないことが多いのです。」というヘレン・ケラーのことばから。ヘレン・ケラーは、20世紀米国の社会福祉活動家・教育家・著述家であった。(1880~1968)私たちは、一つのことが終わってしまっても未練たらしく、その失敗ばかりを眺め続け、動けないで居ることが多いもの。でも、三重苦のヘレンさんは言う。「幸せへの扉のひとつが閉まっていても、別の扉が開いているのよ。けれど、私たちは閉まっている扉ばかり見ているために、開いている扉に気がつかないことが多いのですよ」と。

[英文]When one door of happiness closes, another opens; but often we look so long at the closed door that we do not see the one which has opened for us.

 

じゃぁ。また、明日、逢えたら、いいね。


見残した昨日の夢や金木犀

2021年09月27日 | 時には日々是日

 7日の丸亀市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、夜遅くは雨の降る所がある見込み。気温は21.5度から26.2度、湿度は82%から70%、風は1mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の28日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で曇り、夕方まで雨の降る所がある予想。

 

 106/54/79 36.0c-97%-63.4Kg 24.3c-74%-1018hPa 体調に変化はない。

 

 一昨日、セキスイさんから「エコ・キュートの工事が終わりました」という連絡を受けたのだが、奥方が「そんな、滅多に使わない家に給湯器を入れっぱなしにされたら困る」と言い出して、島の家を見に行くことになった。

 

 で、4時起きでお赤飯やら何やらでお弁当作りをして、7時前に我が家を出て、9時前に丸亀港に着いた。途中で三男の弟を乗せての島帰りになった。(島帰り・・というと変な感じだが)だから、お弁当は四人前。あと一つは弟の奥さん用。

 

 で、9時25分発のフェリーボート「しわく丸」に乗り込んだ。海上は45分でしわく広島の江ノ浦港に着く。

 

 天気予報では「曇」ということだったが、秋晴れのいい天気になった。

 

 島の家には10時20分頃に着いた。早速に弟が草刈りを始めてくれた。この前は7月の14/15日に草を刈ったのに、もう、こんな草まみれになっている。

 

 で、これが「エコ・キュート」なるものらしい。しわく広島にもガソリンスタンドもプロパンガス屋さんもあったのだけれど、高齢化で病院通いとかで休業状態。だから、地方(じかた:本土)からガソリンやプロパンガスボンベも持って入らないと行けなくなったが、これらは「危険物」だから容易にはフェリーには載せてもらえない。そこで思い切ってオール電化に踏み切ったという訳。

 

 台所にはIH調理台が入った。早速にお湯を沸かしてみたら簡単にお湯が沸いた。私にしたらお湯が沸くだけで十分である。流し台の蛇口からは常にお湯が出るようになっているし、シャワーも試してみたが快適にお湯が出る。奥方は、その電気代が心配だと、そればっかりを心配している。

 

 肝心のガラス戸はまだまだ、部品の調達とかでそのままの状態。ま、急ぐ工事でもないので慌てない。そうそう、この保険金の請求書を今日、発送しておいた。いくらの査定になるか楽しみではある。

 

 弟のおかげで草はさっぱりと刈り取られてしまったし、

 

 裏庭も草を刈り払ってくれたので、これが乾けばすっきりとする筈。

 

 今日もお昼は「栗入りお赤飯」になった。これまた秋の風味というか秋の味わいである。

 

 で、12:55分発のフェリーボートで戻ってきた。我が家に戻れば15:30分過ぎだった。ま、秋の息抜きの旅みたいなものだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「葦と書いてもヨシと読む 勝手に決めるな人の善し悪し」というもの。葦(よし)は、葦(あし)のアシと読む音が「悪(あ)し」に通じるのを忌んで、「善し」に因んでヨシというようになったそうで、「悪し」の気持をもって葦の髄をのぞくともっと良くない結果になるのかも。ただ、ものごとの「音」や「ひびき」などで、勝手に、「あし」だの「よし」だのと変えられてはたまらない。人の善し悪しも気分次第で言い換えられたのではたまったものではない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


すぐそこに金木犀のあるやわらかさ

2021年09月26日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 26日のさぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、夕方からは雨の降る所があるらしい。気温は21度から26.6度、湿度は88%から72%、風は1mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の27日の香川県は、湿った空気の影響で曇り、明け方まで雨の降る所がある見込み。

 

 102/68/78 36.2c-97%-63.6Kg 23.1c-71%-1022hPa 体調に大きな変化はない。

 

 今日は大事なお役目を二つ片付けないといけない日。昨夜からソワソワとしている私がいた。別に急ぐものでもないし、命にかかわるようなものでもないのだが、私の背中にずっしりと乗っているお役目ふたつ。

 

 朝7時からの自治会内の「地神(じじん)さん」のお祭りの日。いわゆる秋祭りというものである。そのお掃除の集合が朝の7時だが、6時半にはこれこの通りの全員参加となっている。で、まずはお掃除からである。

 

 お掃除が終われば「のぼり」を立てる。年に秋と春の二回だから、要領をすぐに忘れてしまって、一本ののぼりを立てるのに、ああだ、こうだと三人がかりになったりする。本来は、春の例祭で土地の神様をお招きし、豊作万作を祈願して、秋の例祭は、その収穫に感謝して天へお帰りを願う儀式だったらしい。

 

 少し前までは、午後の15時くらいから自治会館で祭礼を行って夕方まで歓談を楽しんだものだが、最近はそれも廃止になって、この場で二礼二拍手一礼しておしまいになる。

 

 これが、私の担当した「しめ縄と御幣」である。それらしくはなっているではないか。坊さんもやりぃの、神主さんもやりぃのとなんでもやらないといけない集落でもある。

 

 それが終わると、今度は観光ガイドである。ここが私たちの「お仕事場」である「山寺さん」。境内の紅葉はまだまだ。でも、ここは気温が数度は違うくらいに肌寒い。

 

 今日は門前の「野田屋」さんのご協力をいただいての勉強会になった。もちろん感染症対策はばっちりで、非接触型体温計測定とアルコールによる手指の消毒にマスク着用、換気を考えての屋外で、間隔をあけての勉強会である。

 

 今日は日曜日ということで、自転車での若者数十人が休憩したりお参りしたり、お遍路さんも数組が入れ代わり立ち代わり。門前のうどん屋さんは通常営業状態。少しずつだが人の影が多くなってきた。今日は、ガイドポイントの確認やらを行って終わった。

 

 で、門前の「野田屋」さんの「栗入り赤飯弁当」を奥方の「お土産用」に買ってきた。野田屋さんにお世話になったので御礼も込めて・・・。

 

 我が家に戻ると、今日は「かき揚げ天うどん」だという。おうどんは富山県の「氷見うどん」の「細麺」である。

 

 奥方は、お赤飯とおうどんで大満足そう。でも、昨日の水中ポンプ引き上げ修理なんぞで「足が痛い」「傷跡が痛い」を連発している。だから、あんな無茶をしてはいかんでしょ。

 

 今日の掲示板はこれ。「なんでもないこと どうでもいいこと 得にならないこと それを大切にする時 人は美しくなる」というもの。これも赤松先生のお寺にあったもの。私の研究や調査は、それこそ「なんでもないこと」、「どうでもいいこと」「得にならないこと」ばかり・・・。レキの墓研究でも、咸臨丸乗組員のお墓探しで も、二十四輩さん研究でも、法然上人の足跡探しでも、お遍路さんの納め札調査でも、遍路道の道標や丁石調査でも、それで誰かが幸せになることもないし、生活が豊かになるわけでもない。そんな「どうでもいいこと」「得にならないこと」を大切 にしてはいるのだけれど、それで「こころが美しくなる」訳でもなく、「生活や身なりが美しくなる」訳でもないのだけれど。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


金木犀失敗ばかりの一里塚

2021年09月25日 | 時には日々是日

 25日のさぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は21度から27.7度、湿度は76%から64%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の26日のさぬき市地方は、湿った空気や上空の寒気の影響で曇り、昼前から夕方は雨の降る所があるらしい。

 

 103/60/79 36.0c-97%-63.2Kg 23.2c-69%-1022hPa 体調に変化はない。

 

 歯医者さんでは嚙み合わせにも義歯にも問題はないというが、左耳とかその下の顎関節が炎症を起こしているのかなんとなく違和感がある。肩凝りの関係だとは思うが、いつまでもしつこいなぁと思うばかり。

 

 さて、奥方は元気になったようで、畑仕事がきれいにできている。きれいにできたのだが、先日より川からの揚水ポンプが回らないのだという。お野菜に水道局の水道なんぞもったいないというのである。

 

 じゃぁ、なんとしてみようかと眺めてみたら、そのあたりは1mもの草ばかり。長雨のせいか草の伸び方が早い。これではだめだと草刈り機を取り出したけれど、この草ではなぁと、思案していたらば・・・。

 

 奥方は長い草丈にも負けずに「猪突猛進」。一気に土手を踏み分けて川の中へ入っていった。

 

 川の中たって、こんな高さがある川なのだ。これは工事の後だからさっぱりとしているが、実際は草まみれ。

 

 そこへハシゴをおろして川の中へと、猛アタック。

 

 で、なんとか、水中ポンプを確保して、ホースをつなぎなおして修理は終わった。私は茫然と・・・、ただ、茫然と見ていただけ・・・。

 

 無事に揚水は完了し、野菜畑にも水が流れた。「水道水を使ったら、あんたの年金なんぞなくなるのよ」と息巻いていたが、やはり、午後からは「傷跡が痛む・・・」と、寝込んでしまった。あれだけ動いたら、痛むと思うよ。無理せんとってよ~。

 

 私は・・・と言えば、明日の観光ガイド班の定例会の準備。最近のご時世で、会合をする場合には、このようなチェックリストの確認が必要とのこと。消毒液やティッシュ、マスク、ゴミ袋くらいはなんとかなるのだが・・・。

 

 で、急遽、Amazonさん急送で、非接触型体温計をゲット。

 

 左端が、「ハンズフリー拡声器」で、右上の青いものが「フェースシールド」。これで完璧だ。明日用の資料も用意できたし、神社用のしめ縄と御幣もできているし・・・。忘れ物はないのかと確認中。

 

 その資料を整理中に出てきた「納め札」の数々・・・。これは「参拝証明書」みたいなもの。1~4回は白色、5~7回は青色、8~24回は赤色、25~49回で銀色。50~99回でようやく金色になる。100回以上が錦色である。これらは、大窪寺のガイドをした御礼にいただいた「名刺代わり」のお札である。ずいぶんとたまっていたものである。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分から回っている気の風車」というもので、いつもの赤松先生のお寺の掲示板からのおことばである。『仏説譬喩経』の「黒白二鼠のたとえ」がある。(以下概要)

 一人の旅人が悪ゾウに追いかけられ、木の根を伝って井戸の中に逃げ込んだ。ほっとするのもつかの間、目の前に黒と白のネズミが出てきて、代わる代わる木の根をかじり出した。下を見れば大きな毒蛇が口を開けて旅人が落ちてくるのを待ちかまえている。このままでは確実に根は切れて、大蛇に食べられてしまうことになる。そこに、木の根のミツバチの巣から甘い五滴の蜜が口の中に落ちてきた。その甘さに心が奪われ、もっと蜜をなめたいと思って、旅人は今にも切れそうな木の根をゆすりだした…。(以上)

 ゾウとは時間の流れ、井戸の中の大蛇は私を待ち構える死の影、木の根は自分の寿命のこと、黒白のネズミは夜と昼のこと、すなわち私のいのちが一日一日と死に近づいていることのたとえである。五滴の蜜とは、そんなきわめて危機的な状況も忘れて、食欲、色欲、睡眠欲、名誉欲、財欲という日常的な欲望にうつつをぬかしていることをいうのである。生きる目的は、金でもなければ財でも名誉でもない。「人身受け難し、今すでに受く」(よくぞ人間に生まれたものだ)と生命の尊厳と歓喜に目覚めて生きることなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


秋の日は時計ばかりが動き過ぎ

2021年09月24日 | 時には日々是日

 24日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、夜は湿った空気の影響で曇るらしい。気温は18.2度から29.8度、湿度は84%から52%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の25日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 107/38/79 35.8c-97%-63.6Kg 22c-78%-1014hPa 体調に変化はない。

 

 秋のお中日も終わって秋本番なんだが、昼間はまだまだ暑いと思う今日このごろ。最近、流行だという東かがわ市にある「やまだかいがん」に行ってみると、まだまだ裸ん坊の若者がテント三昧をやっている。海岸にはラーメン屋もあれば生ビールもある。若者が集まるはずだ。

山田海岸|香川県 (kagawa.lg.jp)

 

 それはさておき、奥方は今日も早朝から畑仕事。6時半過ぎから11時過ぎまでだから暑いと思うのだが元気なものだ。

 

 一方、私は宿題である「地神(じじん)さん」のしめ縄作りである。先日に頂いてきた生の稲束も乾燥できてそれらしくなってきた。まだまだ稲穂が残っているが細かなことには頓着しない。私はいわゆるA型人間らしいが、母のO型を受け継いでいるのかも知れない。

 

 朝の間の涼しいうちにしめ縄を片付けておこう。この一番最初が難しい。「縄(なわ)をなう」というのは普通ではやらないことだから、身体が覚えていないのだ。

 

 左右の手のひらで、わらを回転させながらネジ合わせていく。つまり「ひねり」ながら、さらにひねり合わせるのである。このひねり具合が難しい。で、適宜、稲わらを補給しながら、継ぎ足しながら長く長くもみ上げていく感じ。

 

 そうすると、こんなへんてこなものができた。本当はまっすぐに同じ太さで長くしていくものだけれど。で、これを、無理こやりこでまっすぐに伸ばし、ハサミでヒゲを切っていく。

 

 それに、肝心の「七本」「五本」「三本」の「下がり」を付けたら「七五三縄」のできあがりだ。

 

 それに、ご神体の「御幣」と、しめ縄に付ける「紙垂(しで)」を結べば完成する。

 

 当日は、この中央のようになる予定。今年は「紙垂」が細いかもしれない。

 

 我が家のキンモクセイもようやくに開花した。

 

 お昼(12:00)からの歯医者さんだったから、今日の昼食はなんとなく抜きになった。歯医者さんに行く前に食事をすると歯磨きが面倒だし・・と。で、食事時間が遅くなると、食欲もなくなって。

 

 結局の薬局で、歯の噛み合せとか、義歯の影響とかで顎の関節が痛むのではなくて、単に肩こりが原因だと言うことで、歯医者さんはおしまい。「大山鳴動して鼠一匹」。

 

  今日の掲示板はこれ。「絶対に不可能だと思えることでも、心を変えれば可能になる」という稲森和夫さんのお言葉から。昨日の法話で佐々木先生が話されて いたのだけれど、「物事の二面性を知る」ということも大切なこと。嫌いな人でもおいしいものをもらえばいい人だと考え直す。好きな人でも自分の悪口を言わ れていると聞いたら嫌いな人になる。同じような物事でもオモテとウラが必ずあるもの。「絶対に不可能だ」と思えたことでも、やってやれないことはないのだ と真剣に打ち込んでみたら、案外と簡単にものごとが完成したりする。要は、この私の「こころ」一つなんだということである。

 

じゃぁ、また、明日、会えると、いいね。


うどん屋の開店祝う秋彼岸

2021年09月23日 | 時には日々是日

 23日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は20度から30度、湿度は80%から60%、風は1mから4mの西南西の風が少しばかり。明日の24日のさぬき市地方は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 112/68/79 36.1c-97%-63.6Kg 22.5c-70%-1014hPa 体調に変化はない。

 

 連日、メールアドレス騒動を繰り広げている。先にウィルスらしきものが私のメルアドから多量のメールを送信したとかでメール停止になった。その関連でいくつかのメールも停止になった。そこで、あれこれと、ヤフーメールだとかgmail とかを探し出したのだが、これに合うメールアプリがない。ヤフーメールはヤフーでしか送受信できないし、Gmail もそれなりのアプリが必要・・・云々。

 

 そこで気分転換に「折り紙細工」「切り紙細工」をやってみた。いつもはA4判の印刷用紙を使うのだが、YouTubeで見た「障子紙」を使うことにした。

 

 この日曜日に、集落内の「地神(じじん)」さんの例祭が予定されていて、中央の五角形の石柱に巻き付ける「しめ縄」と「御幣」を作る役目を任されている。もう、この集落内でも、これができる人がいなくなったのだ。いやぁ、私だってYouTubeを見ながらの猛練習をやってのことだ。

 

 だが、肝心の所の折り方が早くて、何度見直してもわからない。わからないままに、これでよしとした。誰も正式のものなど見たことはない人ばかりなのだ。

 

 で、一応、それらしいものを仕上げてみた。背丈が短いかなぁとは思うのだけれど。

 

 一方、しめ縄のほうは、ほぼ乾燥ができたみたい。稲穂もほとんどはたたき落とした。でも、まだ幾分かは残っている。ハサミで切り落とすか、石で叩き潰すか思案中。しめ縄は明日のお仕事に取っておく。

 

 こうして、バーベキューコンロのレンガに稲束を叩きつけて稲を落としてみた。

 

 そうこうしていたらば、畑仕事が暑くなってきたのでギブアップした奥方が「食材を仕入れに行きたいの」というのでお供することになった。お荷物が多いからなのだとか。で、この市場でお魚やお野菜なんぞをしこたまと買い込んでいた。

 

 「そうそう、新装開店したおうどん屋さんがあるじゃないの」と言うので入ってみた。新装開店だからかお客さんは多い。入れ替わり立ち替わりの大賑わい。

 

 私はマイブームの「温玉ぶっかけ小」の今日は「温いん」をお願いした。それにちくわ天をチョイスした。320円+100円の420円。

 

 奥方はいつもの「かけ小」の230円。今日は少なめだなぁ。孫用においてあったアイスクリームを食べた後だったからかな。

 

 店から出ると、「おっちゃん、おっちゃん、わし、広島から来たんやが、讃岐では何を食べたらええんかいや」と、私に聞く。「そら、かけうどんやな。それだと麺や出汁のうまさがわかる。あとはみな、トッピングの好みやからな。そんで、ふた玉、<中>を頼むと、通やなぁと思われるな」と指導してあげたら、奥方が横で爆笑してやんねん・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「どうにもならないことは忘れることが幸福だ」というドイツのことわざからの言葉である。中国の孔子も言っている。『虐待されようと、強奪されようと、忘れてしまえばどうということはない。』と。時間というのは幸か不幸か一次元に流れる。人間はそれに合わせて生きていくことしかできない。それに逆らうことが出来ないのだ。 その圧倒的な力のせいで、人は死ぬこともあるが、そのおかげで生かされることもある。それが『忘れる』ということだ。時に人は、遠い記憶の彼方に忘れたい現実を置いて、自分の時を、前に進めるのである。そうか、そうなのか、忘れることがしあわせなのか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。

 


コスモスに明日はどっちだと聞いてみる

2021年09月22日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 22日のさぬき市地方は前線や湿った空気の影響で概ね曇り、昼過ぎからは雨や雷雨となってきた。夜は晴れる見込みらしい。気温は23.4度から28.度、湿度は92%から74%、風は1mから2mの西南西の風が少しばかり。明日の23日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れる見込み。

 

 110/64/79 36.3c-98%-63.4Kg 26.1c-73%-1012hPa 数字的には問題ないが、なんだか身体も気分も重たい感じ。

 

 停電などでネットが止まると大慌てになってしまうし、メールが使えなくなるというのは目や耳を削がれた感じ。それが17日からずっと・・・である。プロバイダーからはウィルスを完全に除去しないとメールは開放しないと言うもので、ウィルス退治はやってみたが、プロバイダーからは文書で通知すると言ったきり。そこに三連休が挟まったものだから、なかなかに文書が来ない。

 

 それだし、一個のアドレスが使えなくなると他のアドレスまで使えなくなってパニック状態。このメーラーの「ショリケン」も使えなくなった。幸い、ヤフーメールやグーグルメールが使えたので、それでアウトロックやウィンドウズ・メールでスマホ宛に送信試験の連続。

 

 どうにか、メインのアドレスは復活したものの、メーラーが不安定。何かいいメーラーはないものだろうか。

 

 奥方は早朝から野菜畑の草むしり・・・。ここは「奥方の治外法権区域」だから黙ってみているしかない。

 

 そうこうしていたら、病院に行く時間になった。二ヶ月に一回の定期検診である。慌ただしく出掛けて行ったものである。病院には午前8時半着。

 

 まずは採血からである。とにかく「採血」この血液検査でドクターの判断が決まる。

 

 だと、予定時間よりも早くに呼ばれて内科の診察。今月上旬のペースメーカー外来の時の胸の写真やら血液検査の結果やらを見比べて・・・「はい、11月の15日です」と次回の日程を決めて内科はおしまい。内科的には問題ないらしい。

 

 お次は「泌尿器科」である。「おしっこの出が悪いです。おなかが重いです」と言うが、「膀胱に残量もないですし、そのおなかはお肉ですよ」でおしまい。ここも次回は11月15日。泌尿器科的にも問題はないらしい。身体が重い感じ・・・というのは「お肉が増量している」という暗黙の診断であるらしいが、「脂肪が増量している」とは言わないのが優しさかもしれない。

 

 確かに雨ばかりの長い梅雨があって、すぐに暑くなり、すぐにまた梅雨のような秋になって、運動量は全くない。パソコン三昧の毎日だから運動不足は否定できない。診察が終わったのは予定よりずっと早い10時前だった。

 

 その後、本屋さんに行って、来年用の「ダイアリー」を買おうと思ったが、希望する物がない。

 

 こういうダイアリーである。会社員時代からずっと使っている物だから安易には妥協はできない。

 

 お昼からは豪雨に雷雨である。でも、しばらくで止んで静かになった。おかげで、すぐ横でやっている道路工事もお休みになった。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分にも、人にもレッテルは貼らないほうがいい。人間は変わる動物だ。人との出合い、触れ合うことで人間は変わっていく。」という鎌田實さんのことばから。人は自分の意志ではなかなか変われなくても、環境や時代が変われば、やむを得ず変わらざるをえなくなる。だから、つまり、変われるのだし、変わって行くものなのだ。変化は、自分の選択ではあるが、他人まで変えることを選択はできない。だから、お互いによく変わっていける関係を築ける相手とつながればいいのだと思うことである。

その後に、
とくに結婚という空間では、
相互作用によって化学反応を起こす。
いい方向へも、悪い方向へも変わる。
赤の他人だった二人がともに暮らし、
誰よりも深くかかわり合いながら
子供を産み育てていくのだから、
ほかの人間関係以上に、
お互いに与える影響は大きいのである。
(空気は読まない、鎌田實)

 と言う言葉が続いている。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


曼珠沙華涙が出そうな赤である

2021年09月21日 | 時には日々是日

 21日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、夕方からは湿った空気の影響で曇り、雨の降る所があるらしい。気温は22度から30.5度、湿度は62%から78%、風は1mから4mの東南東の風が少しばかり。明日の22日のさぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎから夕方にかけて雨や雷雨となる見込み。

 

 114/66/79 36.2c-98%-63.2Kg 23.4c-69%-1014hPa 数字的には問題ないが、なんだか身体が重い感じがする。そんなに水分も食べ物も採ってはいないと思うのだけれど。

 

 今日は奥方が自分で整形病院へ行って診察を受ける・・・というので、私は私でおでかけすることにした。

 

 やってきたのは、旧多和小学校跡。今は天体望遠鏡博物館になっている。目的は正面に見える「護摩山」というどんぐりみたいな山である。昔の火山活動でマグマが冷えて固まって、柔らかい部分が削られてできた山だという。

 

 私たちの観光ガイドは、ここを起点にして活動することが多いので、ここを軸にして、どこを、どう回るか・・・という視察のためである。

 

 重要文化財に指定の「細川家住宅」である。昭和44年の古民家調査によって、香川県東部山間地の農家としての地方色を持った建物として認められ、同46年6月、国の重要文化財に指定された。特徴は、山の地形や自然を利用し、母屋、納屋、便所、屋敷取りをしている点にあるという。

 

 そういうものを順次回って調べて距離と時間を計ってきた。

 

 これは、「槇川の庚申塔」と言われるもので、このあたりでは最大級の大きさらしい。「兼割の庚申塔」や「菅谷の庚申塔」というものもある。

 

 今日は、少し遠回りになるが、こういうものも見ておいた。

 

 その後、大窪寺門前までやってきて、トイレ休憩。今日も観光客が数組とお遍路さんがぽつぽつと。お昼時だからおうどんを食べに来る人が、ついでに山寺さんにお参りするくらい。

 

 今日は久々の好天だからか、境内にも人影がぽつりぽつりと。

 

 で、この日曜日の定例会に、このお店のテーブルを借りる約束をとりつけた。でも、お接待の「くず湯」は出せないという。やはり、感染症対策で飲み物のお接待はできないのだという。自前のお茶を用意していただくしかないが、お寺の境内では「飲食禁止」だから、お茶も飲めないのか。

 

 で、「どこかで食べて来てちょうだいな」と奥方が言ったもので、今日のお昼はこれにした。門前の「野田屋」さんの「山菜そば」である。具だくさんでボリュームありそう・・。

 

 こういうおそばである。本物のおそばは久しく食べたことがないのだが、そういうおそばではなさそうだし、このあたりでいう「田舎そば」とか「日本そば」というものとも違うような。これで700円だから場所柄かなぁとも思ったりする。

 

 今日の掲示板はこれ。「境遇や環境を選ぶことはできないが、生き方を選ぶことはできる」という、渡辺和子さんの著書、「置かれた場所で咲きなさい」の中からのことばである。「こんなはずじゃなかった」と思ったこと。あなたは、今日まで生きてきて何回あっただろうか。受験に失敗し不本意な進学をしたこと。目標を持ち、仕事をしていても会社に馴染めない自分。結婚し幸せになれると思ったが、理想とは違う現実。人生は嬉しいことも嫌なこともある。山あり谷ありだ。しかし、人は闇の中で、もがき苦しんでいるとき、自分も周りも見えなくなる。辛く悲しい気持ちは、脳を、身体をすべてを麻痺させる。今回紹介する本は、渡辺和子著「置かれた場所で咲きなさい」というエッセイ集。著者はシスターであり、岡山市にあるノートルダム清心学園の理事長だった。聖書の教えなどを交え、生き方や人生の在り方を説いたこの本は、悩める人々の心の支えになった。160万部のベストセラーである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


虫の声けだるさばかりが残る朝

2021年09月20日 | 時には日々是日

 20日のさぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は21.5度から27.8度。湿度は82%から64%。風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の21日のさぬき市地方は、はじめは高気圧に覆われて晴れるが、湿った空気の影響で昼前から次第に曇り、夕方から夜のはじめ頃は雨の降る所がある見込み。

 

 105/63/79 36.4c-98%-62.8Kg 23.9c-73%-1015hPa 数字的には問題ないが気分的には落ち込んでいるし食欲もない。

 

 というのも、メイン(真ん中)のパソコンがウィルスに侵されているらしく、そのせいでメールがすべて停止されている。プロバイダに聞くと、パソコンメーカーでウィルスを退治したという証明がないとアドレスの開放はできないという。ほかのユーザーにも蔓延するかららしい。

 

 何年か前にはリモートで接続して、あれこれとウィルスを退治してくれたのだけれど、新しい働き方改革なのかどうか、木で鼻をくくるみたいなお返事とたらいまわしばかり。

 

 で、メーカーの富士通さんに言わせると、「市販のウィルスソフトで対応してください。それでなおかつ退治できなければ訪問して退治しますが有料ですよ」という。そんな、無茶な・・・。で、パソコンに内蔵されていたソフトで調べるが二日かかっても10%・・・。

 

 で、違うパソコンには別のウィルス対策ソフトがあったので、それで調べると、あれこれと退治できた。だから、それをほかのパソコンにも移植しようとすると、「契約台数超過です」という。仕方がないから三台分の追加をお願いした。

 

 だと・・・、4台のパソコンでウィルス退治の大掃除になった。

 

 簡単に退治できたマシンからのアクセスである。そんなこんなで何もできずにウィルス退治の一日になった。

 

 奥方は元気になったのか畑仕事。ま、少しは運動しないと動けなくなりますよというケアマネさんの言葉通りにあれこれと動いている様子。でも、整形のドクターは「安静にして動かさないように・・」というのだそうだ。どこもここも、立場が違えばいうこともバラバラだ。

 

 今日は「敬老の日」らしい。いつから「お年寄り」なのかはさまざまあるらしいが、一般的には孫ができたら「おじいちゃんおばあちゃん」になるらしいし、65歳以上がお年寄りだというところもあるし、公共機関だと60歳以上はお年寄りで無料になるし・・・。でも、「高齢者」という響きにはまだまだ抵抗があるわたし。

 

 所属寺院からは、こういうご案内があったが、どこもかしこも内勤めばかりになったなぁと思うばかり。感染症が収まっても、新しい生活様式なんたらで、そういう方式になってしまうのかも。

 

 奥方がいる間に散髪をしてもらっておく。気分的にもさっぱりとするのかもと。

 

 これでは少しも変わらないのか・・・。ずいぶんとさっぱりとしたのだけれど。

 

 今日が彼岸の入りだとか聞いたけれど、そういう時期になれば一斉に出てくるというのも不思議な花だ。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きるということは 思い通りにならないということが はっきりとわかることです」というもの。真宗大谷派の「祖父江文宏」先生のことばである。この言葉を残された祖父江文宏さんは、長年、児童養護施設「暁学園」の園長を勤められた方だという。祖父江さんは子供を尊重し、「子供」と言わず、「小さい人」と呼んでおられたそうで、体を張って虐待をうける子供を保護してこられた、その姿勢は子供たちに伝わり、子供たちから親しみをこめて「園長すけ」と呼ばれていたとも聞いている。この掲示板の言葉は、その祖父江さんの姿勢をつらぬく芯のようなものではないかと思っている。この思い通りにならないからこそ、人は苦しみ、悩み、怒り、泣き、わめいて、暮らすのだ。それが「生きること」だからである。そのことをはっきりとわかれば、悩みも怒りも悲しみもそねみもやわらかくなるというのである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


落ち栗は拾われもせず一個二個

2021年09月19日 | 時には日々是日

  9日のさぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は22度から28.9度、湿度は84%から52%、風は1mから2mの北東の風が少しばかり。明日の20日のさぬき市地方は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 106/67/77 36.2c-97%-62.6Kg 24.0c-78%-1013hPa 数字的には問題ないが、無性に眠たいのと身体が重い感じがする。

 

 昨日頂いてきた稲わらをウッドデッキに並べて乾燥しておくことにした。二三日も乾燥できたら注連縄にしなくては間に合わない。果たして大丈夫なんだろうか。どこかに去年の稲わらがないものだろうか。

 

 さて、来週の観光ガイド大窪寺班の定例会の下調べの為に多和方面から大窪寺に向かって走ってみた。気分転換のドライブみたいなものである。

 

 するとシカがいた。シカもいる筈で、道路にはタヌキやイノシシの子どもが交通事故で転がっている山道である。動物たちも受難の時代になってきたらしい。

 

 お彼岸だというのに、山寺さんに人影はまばら。たまに観光客らしい人が一人、二人と・・。秋の三連休だというのにお遍路さんの姿はない。で、来週の日曜日にガイドするポイントを一つ一つ確認してきた。「あなたの知らない大窪寺」というテーマである。

 

 本来ならば会議室でゆっくりとお話をしたのだけれど、香川県の「まん防」措置継続で公的なところは閉鎖や休館だから屋外でしかお話ができないということ。で、どこに座ってお話できるか、資料を確保するところはどこだとか、そういうところを確認しておいた。

 

 雨が多かったからか、こんな奇妙なものまで生えてきている。なにかのキノコがめくれ上がっている感じ。触らぬ神に祟りなし。触れない仏にバチはない。

 

 なんだかんだと、一時間ほどのお散歩になった。

 

 さて・・・である。少し前から私のメールが停止になってしまっている。プロバイダーに問い合わせたら(繋がるまでに二日と四時間ほどかかってしまった)、私のパソコンが何かのウィルスに冒されているのでアドレスを停止しているとのこと。その対処には、パソコンメーカーでウィルスを退治したという証明がないとアドレスの開放はできないという。

 

 でも、一方で、パソコンメーカーは「そんな証明書や証明の文書は発行できない」という。暗礁に乗り上げたまんまで三日が過ぎた・・・。同じプロバイダーからは新しいアドレスも発行できないという。パソコンが汚染されていると、全体に蔓延してしまうからだという。こちらも「蔓延防止措置発令」である。はてさて、どうしたものだろうか。

 

 今日は氷見うどんのお昼になった。メール騒動で食欲もないが、なんとか完食はできたものの、おなかの調子も悪くなってきた感じ。

 

 とにかく食べておかないとなんともならぬ話だからと食べるには食べた・・・という感じ。

 

 本文とは関係がないのだが、今日の掲示板はこれ。「"人"の"為"と書いたら "偽り"という字になりました」というもの。「人の為」だと思って物事を為すことは尊いことである。「人の為」と思うからこそ、物事を為すことができるのかもしれない。しかし、たとえ純粋な想いで始めたことでも、いつの頃からか「お礼を言われなかった」「誉められなかった」「見返りがなかった」など、不平不満の気持ちが溢れて来るもの。そのことを否定する つもりは毛頭ないけれど、本当に「人の為」を想ってのことなのかどうか、自分を中心に考えていなかったか?不平不満が出たときにこそ、問い返されることである。「偽り」と表現すると、わたしの想いや行動を否定されるように聞こえるかもしれないけれど、そうではなくて鏡のことばとして受け止めよう。「偽り」とは、わたしの姿を映し出していることばなのである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


秋晴れに歴史を知らぬ曼珠沙華

2021年09月18日 | 時には日々是日

 18日のさぬき市地方は、湿った空気の影響で概ね曇り、昼前からは晴れてきたが、一部では雨の降る所があったらしい。気温は23.9度から29度、湿度は88%から70%、風は1mから4mの西南西の風が少しばかり。明日の19日のさぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込み。

 

 105/62/79 36.1c-97%-62.8Kg 25.9c-77%-1015hPa 体調に変化はない。

 

 台風直撃だというので全部の雨戸を閉めて厳戒態勢で寝たが、なんともないままに朝になった。

 

 「さぁ、行くわよ」という奥方の声。「台風で船が出ないかも・・・」というのに、「ごちゃごちゃ言わないで逝くわよ」と言うので島の家に行くことになった。なんでも、8月分だかの電気代が2,000円台が倍の4,000台になっているので、電灯の消し忘れか、冷蔵庫があけっぱなしになっていないか確認に行くという。

 

 台風一過・・・というのか、さぬき市地方はすっかりと秋晴れ。だから、仕方なく出掛けることにした。それも午前9時過ぎの話である。お昼の高速艇は11:10分発。二時間しかないではないか。

 

 ぎりぎりセーフで、11時の高速艇に乗ることが出来た。今度、帰るのは12:50分のフェリーである。時間はそう多くはない。奥方はこわれたガラス戸の様子も確認したい様子。

 

 海上20分で丸亀港からしわく広島の江の浦港に着く。乗客はそれでも30人ほどが乗っている。島に停めてある軽トラも始動一発で動いてくれた。

 

 島の家ははやくも草まみれ。弟が除草剤を撒いたところは草がない。あれは七月に草刈りに来たのだったか。

 

 業者さんが割れたガラスなどをきれいに掃除してくれて、窓枠も外して片付けてあった。これから材料を調達して、工事はしばらくのちになるらしい。急遽、臨時に出たものだから、保存してあったラーメンを湯がいて食べることにした。そんなものしか島の家には置いてない。

 

 私は、お世話になった自治会長さんに、割れたガラスの処理や雨戸を閉めてくれた御礼に行って、来週の地神宮用の注連縄用の稲わらをお願いしたら、「そこのイノシシが荒らした田んぼのをあげるから・・・」と、まだ生えている生の稲を刈り取ってくれた。

 

 「あの~、去年の稲わらでいいんですが・・・」と言うても聞く耳をもたない。神様にお供えする注連縄は青刈りしたものがいいのだという昔からの信仰心らしい。でも、稲の穂がついたまんまの稲は困るのだけれど・・・。

 

 「そんなにたくさんは・・・」と言うても、「乾いたらどんだけにもならん」と言うてきかない。だから、生で、しかも台風の雨でじっとりと濡れたまんまの稲束をかついでフェリーに乗ったものだった。

 

 お昼のフェリーは、この12:50分。次は15時になる。それまでは待てない。あわただしく島に帰って、慌ただしく戻ってきたのである。

 

 今日は、私のブログ開設から6000日の記念すべき日だから、それなりの特集記事を用意していたのだけれど、今度の7000日までお預けである。ちなみに、6000日というのは、16年と6ヶ月になるらしい。よくまぁ、ここまで続いたものである。

 

 今日の掲示板はこれ。「与えられた場所に生きる意味を見つけない人は、どこに行っても満足はない」というもの。「やりたい仕事が見つからない」とか、「こんな仕事をやるためにこの会社に入ったんじゃない」とか、そういう声をよく聞くのだが、目の前にあるものをまず はきちんとやるべきで、「生きる意味」とか、「仕事の意味」とかは人に教えてもらうものではなく、自分で見つけるしかないのである。自分の置かれている環 境に対して文句ばっかり言っていたって、何も解決はしないし、自分の人格を下げるばかり。だから、今自分にやれることをやる。自分で居場所を作って、自分 で生きる意味を見つけるしかない。シンプルだけど、生きてくってそういうことの繰り返しなのだと思うばかりである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。

 


世の中の悩み抱えて曼珠沙華

2021年09月17日 | 今日は歯医者さんへ行って来た

 17日のさぬき市地方は、台風第14号の影響で雨や雷雨となり、荒れた天気となっていて、夜遅くには非常に激しく降る見込みらしい。気温は24度から25.8度、湿度は74%から84%、風は2mから5mの東の風が吹いたりやんだり。明日の18日のさぬき市地方は、台風第14号の影響で朝まで雨や雷雨となり、荒れた天気となり、未明は激しく降る見込み。昼前からは湿った空気の影響で曇る見込み。

 

 114/62/78 36.1c-97%-63.2Kg 25.1c-78%-1010hPa 体調に変化はないが肩こりがひどくなってきた。

 

 感染症自粛と雨天が続くと、どうしてもデスクワークばかりなってくる。運動不足にもなるし、肩こりもひどくなり、耳は遠くなり、目はドライアイでかゆいばかり。

 

 そんな中、メールが全く機能しなくなって、送受信とも不能になってしまった。それも、アカウントみんなが使えなくなった。さてはメーラーの故障なのかと、Outlookで試したら、二三回はOKだったが、すぐに接続不能になってしまった。何が原因なんだろうか。

 

 台風は、まだ、こんな所に居座っていたのかい。四国上陸は今夜から未明にかけてになりそうな気配。全くどんならんこっちゃな。

 

 雨が降る日は天気が悪い。おまけに私の機嫌も悪い。

 

 メールを管理しているプロバイダーに問い合わせしようにも混み合っていますからと相手にもしてくれない。仕方がないから、秋の観光ガイド用にコースプランを考えていた。

 

 こういう観光情報誌を眺めながら、似たようなアイディアをひねり出すのである。「習って覚えて真似して捨てる」と、昔の我が社の社長の言葉であった。これをことあるごとに力説していた。船を造る技術と新しい通信技術とは同じようなものだというのだからたまらない。

 

  とか、

 

 とかなんとか・・。乾いたタオルを絞って知恵を出そうとしてもないものは出ない・・・。

 

 で、予約時間の12時前になったので、町内の歯医者さんに行ってきた。私は肩こりだというのに、奥方は「噛み合せが悪いから肩が凝るの。さっさと歯医者さんに行って頂戴」と口うるさいのだ。で、とうとう、歯医者さんに行ってきた。

 

 だと、やっぱり、顎の関節炎らしいというのである。そこで低周波を当てることにしたのだが、「ペースメーカー、大丈夫ですか」というので、「ペースメーカーは大きな強力なものが入っています」というので、治療はアウト。治療法がない・・・。

 

 ということで、しばらくは様子見になった。様子を見るだけでは食べることができないじゃないか。ああ、なんという日になったことだ。

 

 おまけに天候は悪くなってくる一方・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「人間の大きさは その人が出会っている世界の大きさ」であるという言葉。町内の善楽寺さんの掲示板からである。農業をやっている人はどこに旅行しても、稲のできばえとか野菜の育ち具合しか見ないという。会社の事務職員は自分の仕事の範疇しか知らないし、技術者は自分の担当している職場しか知らない。昔、会社の連中と慰安旅行に出かけたら、電柱の姿や公衆電話機の設置方法とかしか話題にならなかった。孫悟空がどこまでもどこまでも飛んでいったのに、お釈迦様の手のひらの中で遊んでいただけのように、「人間の大きさは、その人が出会っている世界の大きさ」なのである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


手を合わせ初心忘れな布袋草

2021年09月16日 | 時には日々是日

 16日のさぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で曇り、夜は雨の降る所がある見込み。気温は20.4度から25.7度、湿度は80%から745、風は1mから4mの東南東の風が少しばかり。明日の17日のさぬき市地方は、台風第14号の影響で断続的に雨や雷雨となり、夜遅くは非常に激しく降る所があるらしい。

 

 113/68/78 36.1c-97%-62.8Kg 21.0c-79%-1016hPa 体調は変りがない。肩こりが激しくなるばかりだ。

 

 朝の間は自分史の「小学生時代」の思い出がふつふつと沸き上がってきて、そのまとめに夢中になっていた。こんなことばかりだから肩こりも激しくなる一方だ。

 

 すると、奥方が「なすびがなくなったからJAの産直市場に行きたい」と言い出した。私も気分転換に運転手役でお供することにした。我が家から南へ南へと走ると、東かがわ市を経由して徳島県の阿波市という所に出る。四国霊場10番札所の「切幡寺」近辺である。

 

 そこから東へしばらく走ると、この「JA夢市場」に着く。「ここは見るだけ」というていたのに、あれこれと野菜を満載にして戻って来た。

 

 私はこんなものばかりを見ていたが、最近はどこのお店で見かけるようになって新鮮味に欠けてきた。だから、見るだけ・・・。

 

 お野菜が高い高い・・・と言うているのだが、形が不揃いだろうと、長いものがあれば短い物もあるのを選べば50円、100円といいものがある。食べるにはおなじことなになぁと思いながら見ていた。

 

 そこから少しばかり走れば、いつもの「どなりマルシェ」に着く。奥方はここでもお野菜をしっかりと買った。「木村農園」のお野菜はもうおしまい。種を蒔いたお野菜が芽を出したとうれしそうに話してくれた。

 

 そこから鳴門市の北灘の「漁師市場」に行くはずが、トイレ休憩に寄ったはずみで、一つ手前側の「卯辰越え」という山道に入ってしまった。これだと北灘町の手前に着いてしまう。戻ろうか・・と言ったが、「もったいない」の一言で却下。

 

 仕方がないので、「讃岐家」という活き魚料理のお店に入ることにした。ここも一時は忘年会だ、新年会だ、歓送迎会だなんだと、現役時代にはよく通ったものだったけれど、時代の流れで、静かなお店になっていた。

 

 で、「讃岐家定食」という一般的な定食にしたらしい。これでも1,600円程度はするらしい。それでも、ご近所の方とか高齢者とかが三々五々、お食事に来ていた。

 

 一時はお昼時には行列の出来たお店だったが、感染症対策もあってか、県の「まん防」とかのお達しがあってのことか、お客さんは数えるほどだった。

 

 今日の私のお買い物はこれ。なんだか、すっかりとおじいさんの買い物になってしまった。

 

 今日の掲示板はこれ。「みようみまねで合わす手に やどるすなおな菩提心」というもの。仏さまの眼から見れば無心に遊ぶ子供たちの姿の中にも、菩提心はあるということなのだろう。そういえば、幼い子供は、みよう見真似で小さな手を合わせている。それにどんな意味があるのか、なぜそうなるのか知らないままに合わせる両の手。それでいながら、そこには不思議なほど仏さまの世界との一体感が感じられる。言い方を変えてみれば、大人より子供たちの合掌の姿の方がずっと絵になるのである。子供は純粋無垢という点で私たちより仏さまの世界に近いのかも知れない。だから素直な心そのものが菩提心だと受け止めてみてもいいのかもしれない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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