まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

旅終えて 猛暑の中に うなだれる

2019年07月31日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて晴れていたが、午後からは強い日射や湿った空気の影響で雨や雷雨となり、昼過ぎから夕方にかけては激しく降る所がある見込みらしい。気温は26度から32.4度、湿度は92%から72%、風は1mから2mの東の風が少しばかり。明日の8月1日の香川県は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れるらしい。

 

 114/48/58 36.4c-98% 64.6Kg 1012hPa,26c,68% 体調に変化は無い。昨夜はビールに日本酒にウィスキーに焼酎にと、飲んで食べて歌ってと大騒ぎをしたが、意外とすっきりと起きられた。ありがたいことだ。

 

 それに、トイレには2度ほどしか起きなかったら寝不足もない。弟は早速に草刈りをやっている。8月のお盆にはお客さんが来るというので、短い草まで刈り払っている。私は早速に朝食の支度だ。

 

 最近の島の食事は決まってきた。お昼は冷やし中華と巻き寿司、夕食はカツオのたたきとお昼の残り、朝食はハムエッグと夕食の残り・・・。最近のおじさんたちは食べないのだ。飲むばかり。

 

 さて、昨夜、奥方から、弟のスマホに電話があった。「あんた、行方不明とか失踪事件になっとるよ・・・」という。私の携帯電話に連絡しても全く応答がないという。ないはずだ。自宅に置き忘れているからだ。私はペースメーカーを植え込んであるから、携帯電話は使っていない。私の携帯に電話しても無駄なのだ。ショートメールならばOKだ。

 

 それに、自宅の固定電話に電話をしても、全く、電話には出ない。私の固定電話はマル秘の番号。ここに電話するのは知らない人。出る必要は無い。だから、私には電話は不要。必要があれば「電子メール」のみ。だから、失踪でも行方不明でもない。私のブログを見ていれば大丈夫。

 

 ただ・・・、昨日は、「通信アダプタ」を忘れたために、一時的に「電子的失踪」になったみたい。e-Mailもメッセンジャーも使用不可状態。島の家には固定電話はない。ま、たまにはいいではいか。飲んで歌って大騒ぎしたのだから。

 

 奥方のところには、いろんな所からクレームが来たらしいが、今の私は責任あるお仕事なんぞは一つも無い。「あ、いないんです」で、ことが済む話である。

 

 知らない人には関係ない情報だが、しわく広島の「広島駐在所」が廃止をされて、駐在所跡が更地になった。私なんぞは、安堵して、良かった良かったと大喜びするが、自治会長さんは、「ここの草刈りは誰がするん?」と言うてはった。そんなことはわたしゃ、しらん。

 

 で、予定通り、朝の8時35分発のフェリー「しわく丸」で島を後にした。乗客は6人だけだった。

 

 ふっと、このプレートを見て、「そうそう、この船の進水式に行ったもんだなぁと思った。もう、8年も前のことになるのだなぁと。

 

 確か、尾道市の因島だったと思うけれど、石田造船まで特船で行って見学したことを思い出した。

  

 昼からは、飲んで、残った食材を食べてお昼寝をしたら、今日が終わってしまった。けれど、今日はメールも携帯も全く鳴らない。

 

 今日の掲示板はこれ。「物事はうれしい前に決まって 心配事やら悲しいことがあるんです」というもの。町内の善楽寺さんの掲示板にあったもの。

 物事ってえものは、うれしい前にはきまって、
 心配事や悲しいことがあるんです。
 心配事や悲しいことから、
 うれしいことが生まれてくるもんですナ

 という「なめくじ艦隊」からの言葉。「なめくじ艦隊」ー志ん生半生記は古今亭志ん生さんの著作。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


悩んでも 悩みきれない 鹿の子百合

2019年07月30日 | 今日もなんだかなぁぁ・・・だった日。

 丸亀地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は26.5度から32.6度、湿度は88%から68%。風は1mから2mの西北西の風が少しばかり。明日の7月31日は、高気圧に覆われて概ね晴れるが、午後は強い日射と湿った空気の影響で雨や雷雨となり、激しく降る所がある見込みらしい。

 

 120/81/68 36.4c-96% 64.2Kg 1010hPa,28c,88% 数値的に問題は無いが、体重だけが変動している。だから、どうという問題でも無い。

 

 さて、下の弟「たっくん」が、先週に島の家の草をなぎ払ったので、その後処理をしたいと言うてきた。我が家は、今の住宅と、島の家と、旧宅の3ヶ所を管理している。

 

 ま、それぞれの想いで、島の家を大事にする「たっくん」と、旧宅を愛して止まない次男の「よっくん」と、我が家を守り切れていない私とがいる。ま、弟に誘われて、島の家に「帰る」ことにしたわけだ。

 

 丸亀港から、海上40分ほどで、「しわく広島」という島に着く。NHKなんぞでは、「丸亀市沖に浮かぶ丸亀市広島町では・・・。」と放送するが、決して、しわく広島は浮かんでなんかはいない。浮かんで、プワプワしていたら大変なことになる。

 

 

 これが、「暁光庵」の扁額である。文字は、奥方の親父さんで、元日蓮宗のお坊さんである。寒い時期の「水行」という水をかぶるのがいやで逃げ出したらしいと噂だった。文字を刻んだのは、千葉の電機屋さんである。

 

 で、今回は、先週に弟が刈り払った雑草を、集めて燃やす・・という作業である。そのまんまにしておくと、次回の秋の草刈りの時に邪魔になるし、余分な栄養で伸び放題にもなる。刈った草や木は、全部、処分しておかねばならぬ。

 

 だが、作業は思ったよりも軽く、家の前は30分ほどで燃やして済んだ。草が乾燥していたからだった。10時過ぎに我が家に着き、休んで着替えて燃やして11時前には前半戦は済んだ。

 

 で、昼食を食べて、弟が眠りこけている間に、家の裏側を燃やして済んだ。ここも40分ほどで作業完了。あっという間に、ミッション・クリア・・・。本当ならば、これで帰れる筈なんだけれど・・。

 

 食材は、お昼、夕食、明日の朝食と準備してある。このままでは帰れない。これからが、島の時間の流れが遅い・・・。とにかく、予定の作業が終われば、ほかにすることがない。行く場所もない。行く当てもない・・・。島には本屋さんもコンビニもない。何もない島なのだ。

 

 どうにか、時間を過ごしての夕食。働きもしないから食欲もない。17時に食べ始めても18時にはおなかがいっぱいになる。困ったものだ。そのあたりを散歩をしても、おなかはすかない・・。

 

 そんな時だった・・・。弟の「たっくん」が、シャワーを浴びると風呂に入って間もなく、「ドンドンドン・・・、ドンドンドン・・」と、異様な音が・・・。酔っ払って風呂に入って倒れたのかと・・・急いで洗面所に行ってみると、この、ドアのロックが掛かって、出られないという。双方から、ドアを分解して、ようやくに脱出はできたのだが。

 

 何年か前、島に来た若者が、このドアノブを折って壊した事件がある。お風呂だからと、ロックをしたのに、それを力ませにドアノブを回して、折って壊してしまったのだ。でも、この家は、とある住宅メーカーの特注品だから、このドアノブは市販されていない。

 

 そこで、代用で、ビニールテープで巻いて、使っていたのだが、この熱さで、ロック機能が働いてしまったらしい。もう、どうしても駄目。その若者が、この八月のお盆過ぎにやってくるという。「洗面所、使用禁止」の張り紙を出すしかない。とにかく、来るたんびにトラブルの絶えない、「島の家」である。

 

 とにかく、若者が、ここを使うと、ゴミ処理問題、ガスボンベが空っぽになる問題、そこいら中タバコの吸い殻が散乱する問題、使った後の整理ができない問題などがある。でも、奥方が許可するのだから仕方が無い。問題が解決した後は、二人でカラオケのやり放題。飲んで、歌って、憂さ晴らし。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生は、近くで見ると悲劇だが、遠くで見ると喜劇である」という、喜劇王・チャップリンの言葉からである。自分の不幸は自分にとっては悲劇だが、他人から見れば、それは喜劇にも見える。他人の不幸は蜜の味。落ち込んでいてばかりではつまらない。明日になれば、きっと、喜劇のように大笑いできるかも知れない・・・。

 

じゃぁ、また、明日。会えればいいね。


ようやくに つくつく法師の お出ましだ

2019年07月29日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。昼過ぎから夕方にかけては湿った空気の影響で雨や雷雨となる所があるとの予報だったが、まるで降らなかった。気温は25.5度から32.2度、湿度は92%から76%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の30日の香川県は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れるのだが、昼過ぎから夕方にかけては湿った空気の影響で雨や雷雨となる所があり、激しく降る所もある見込みらしい。

 

 131/62/79 36.4c-96% 63.1Kg 1010hPa,28c,40% 体調に変化は無い。下痢はまだまだ続いている。

 

 今日は、香川県立病院での予約診察。ま、いわゆる「月に一度の定期診察日」である。お薬の処方をしてもらう日でもある。

 

 予約時間が10時からだったので、9時前には病院に入った。血液検査の結果が出るのに1時間を要するからだ。だから、すぐに「中央処置室」に呼び込まれた。通常の血液検査で検尿はなかった。

 

 それが終わると、内科Aブロックの窓口で受付をし、身長・体重をはかり、血圧測定をやっておく。今日は63.1Kgだったが、ドクターは何も言わなかった。この体重測定までは、食事も飲み物を控えていたが、体重が記録されると、早速に自販機でお茶やリンゴジュースなんぞを飲んでいた。朝からは、これが最初の飲み物だった。

 

 そうそう、その間に、本山興正寺へ提出する診断書をお願いしておいた。最近はお作法ができないもので、全く、お仕事にならないので、そのための手続きである。

 

 ドクターの診察の時、下痢状態や、尿の出たり出なかったりする点を確認しておいた。今のドクターは心臓の専門で、泌尿器が心配ならば、院内の泌尿器科を紹介すると言われたが、当分は様子見ということで、「トラセミド錠剤」が処方された。

 

 トラセミドは、腎臓の尿細管におけるヘンレループという部分に作用し、尿による水分排泄を増やし体の過剰な水分や塩分を排泄し、むくみなどを改善する薬らしい。これを、尿が少なく、苦しい時に飲むことになる。

 

 お昼からは、「藤めん」というお店から、お友達におうどんを送っておいた。

 

 その後、スーパーで、明日からの食材を買っておく。明日は下の弟、「たっくん」と一緒に、しわく広島にある「海の家・暁光庵」にお出かけをする。先週に、たっくんが草をなぎ払っておいてくれたので、その片付けに行くのである。その食材・昼・夜・朝の3食分である。

 

 銀行屋さんで、預金を引き出して・・・。

 

 町内にある調剤薬局で、今日、処方してもらった薬を受け取りに寄る。こんな状態だから、見た目には普通の人と変わりは無い。この頃になると、下痢も落ち着いてきた。あとは、尿の出方次第だ。

 

 5*7=35日分である。今度の診察日は9月2日。ま、なんだかんだと言いながら、明日や明後日に心臓が止まる状態にはなさそうだ。

 

 今月も先月と同じ金額だった。ま、このお薬のおかげで生かされているようなものである。一時期のような、薬代が37,500円という状態からは脱出できた。

 

 今日の掲示板はこれ。「よく噛んでみると はじめてその味がわかる でも、その味は人それぞれ 学びとはそんな食べ物です。」というもの。これまた、どこの誰の言葉かわからない。ただ、学びに限らず、肉だって魚だって、米だってうどんだって、よく噛んでみると、初めてその味が分かることが多い。噛みしめてみて、「ああ、こういうことだったのか・・」と思うことはいくらもある。でも、その味の感じ方は千差万別で、人の感覚次第、感じ方次第。同 じ店の同じうどんでも、「旨い」という人もいれば「こんなまずいものを」という人がいる。別に「学び」に限ったことでもないと思うのだけれど・・・。

 

 じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


借り物の 命尊し 蝉の声

2019年07月28日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、湿った空気の影響で雨や雷雨となってきた。気温は26度から31度、湿度は90%から72%、風は1mから2mの北の風が少しばかり。明日の香川県の29日は、高気圧に覆われて概ね晴れるが、午後は日射や湿った空気の影響で雨や雷雨となる所があるらしい。

 

 111/51/71 36.4c-96% 63.3Kg 1012hPa,28c,48% 食べ過ぎもなく飲み過ぎでもなかったのだが、気疲れなのか湿度のせいなのか、妙に身体が重くて7時過ぎまで寝てしまっていた。弟たちも帰ってしまい。奥方も出勤してしまった。なんだかけだるい朝。

 

 昨夜もカラオケを楽しんだが、私はいまいち、ノリが悪かった。だから数曲を歌っただけだった。それで早めに寝てしまったものだった。

 

 これが、弟の探し出してくれた父の葬儀のアルバムだった。当時は花輪や盛り籠の多さを競うような状態だった。でも、私や弟の会社からのものは間に合わなかった。私と弟と従兄弟の三人は、夏休みと言うことで足摺岬に向かう途中で父の死に遭遇したのだった。

 

 突然の死に面して呆然としていた私たちだった。憧れの水道事業を始めて、元気いっぱいではつらつとしていた46歳の父がまさか、突然にいなくなるなんて・・・。

 

 そんなことやなんかで、カラオケに夢中なる元気も出なくなっていた私だった。

 

 そういうことで、今日はまるでやる気スイッチが故障中の私で、寝てばかりいた午前中だった。

 

 昼前からは、突然に激しい雨が降り出して、雷鳴まで轟くようになった。道理で蒸し暑いと思えた朝だった。

 

 一方、母は、平成25年(2013)年2月18日に亡くなった。88歳だった。母の場合も故人の遺志で自宅葬になった。

 

 過去の日記を見ると、ちょうど、この時期に本山での布教使研修会があった。京都から戻ると家の片付けや葬儀の準備をやっていた。一周忌も似たようなことだった。

 

 この時代は、ほとんどが会館や斎場を利用してのお葬式だったが、おりしも大きな雪が降る中での我が家でのお葬式になった。もちろん私が喪主であり、私が読経をして送った。そんなことを思い出していた今日だった。

 

 夕方には雨も上がってきて、また、蒸し暑さが戻って来た。

 

 明日は、県立病院での予約診察日である。そのための書類を準備していた。

 

 仏教で、誰にでもできる布施行として無財の七施が説かれており、その中に「和顔悦色施」がある。穏やかな優しい顔つきで人に接することの意味である。作家の五木寛之さんに「顔は親の責任、表情は自分の責任」という言葉がある。亡くなった父の人生は、並大抵の苦労ではなかったことを、母や祖母から聞かされていた。確かにそうだ、そうだといいながら、そうは言ってもなぁ~・・・という自分がいる。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


父偲び 思い出話の 蝉の声

2019年07月27日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていたが、湿った空気の影響で雨や雷雨となる所があるらしい。気温は26.5度から33.7度、湿度は98%から67%、風は1mから5mの西南西の風が少しばかり。明日の28日の香川県は、湿った空気の影響で概ね曇り、午後は雨や雷雨となる所がある見込みらしい。

 

 118/66/79 36.4c-94% 64.2Kg 1005hPa,26c,43% 体調に変化は無い。ただ、やたらと眠たいばかりだ。

 

 さて、今日は親父の50回忌法要の日。親父は、昭和45年7月31日に46歳で亡くなった。急性肝不全とのことだった。仕事が忙しくて、ついつい飲み過ぎて亡くなった・・・ということだった。1日に一升瓶が空っぽになったとの噂も聞いたことがある。

 

 これが、我が家のお仏壇である。

 

 この写真を、次男のよっくんが見つけ出してくれた。日本酒が大好きな親父さんのために、一升瓶がお供えされているところがおかしい。

 

 この頃は自宅葬があたりまえだった時代。左端のお仏壇は開扉されたまんまである。祖母が焼香を終えた時のものらしい。

 

 さて、暑中見舞いの時期ではあるが、私のマシン室の、どの端末にも年賀状ソフトというか、住所録アプリが見つけられない。今年の年賀状は、確かにここから印刷して発送した筈なのに、8台のどの端末にも住所録アプリがみつからないし、見つかってもデータのないものばかり。そういうことで、今年の「暑中見舞い」はお休みさせていただくことになった。頂いた方、ごめんなさい。

 

 さて、お昼前に宅配便が届いた。FaceBookのお友達からのお荷物だった。

 

 中には、このようなフォルダーが七個も入っていた。おおきにです。

 

 お昼の「おとき」は、このようなものである。最初は「お弁当」と言うてたのだが、お参りの方が3名と、我が家の2名だけの5名になったので、奥方自作の巻き寿司とかという簡単なものになった。50年という年月の長さを思い知らされた。お葬式の時には、あれだけたくさんの方がおいでになったのに、あの写真の中の人のほとんどがお浄土にお帰りになった。残ったのは、私ら兄弟3人と叔父さんの4人だけ。

 

 これが、当時の我が家である。

 

 その後、こういうおうちになったけれど、平成16年の台風で流失してしまった。波瀾万丈の人生であったなぁと話し合ったことだった。祖母も父も母も、働きづくめに働いて、お浄土にすくい取られてしまったのだった。

 

 祖母のこと、親父のこと、母のことなんぞの思い出を語りながら飲んで、食べて、バターンQになったことだった。しかしのかかし、夕食後には、またもやカラオケ大会が始まるのである。

 

 それまでの休憩中・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「善し悪しの 写る姿の影法師 よくよく見れば 我が姿なりけり」というもの。自分の鏡に写る姿というのは、よくよく考えてみれば、自分の心の善悪を映しだしているようなものだということだと思う。影は実際の姿が地上に映ったもの だが、それは、かならずしも本当の姿ではないし、自分の心の姿が投影されたものとし、その影を、よくよく反省の材料として、見つめるべきであると教えてく れているのかも知れない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


夏草を 踏んで毅然と 検針員

2019年07月26日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、概ね晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で雨の降っている所があり、夜遅くには北上してくる台風第6号の影響で雨となる見込みらしい。気温は25度から32.5度、湿度は90%から72%、風は1mから2mの南東の風が少しばかり。明日の27日の香川県は、台風第6号の影響で明け方まで雨が降り、雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 118/79/66 36.3c-96% 63.5kg 1009hPa,26c,61% 昨日はなぜか30分ごとにトイレに駆け込む下痢状態。お昼には1時間ものお昼寝、そしてまたトイレに駆け込む。それでも体重は少しも減らないし、尿は出ない。だから、昨夜は19時過ぎから寝てしまった。

 

 何かを食べたとか、何かを飲んだということもないのに、夜中には1時間ごとにトイレに行くが尿は出ない。で朝になるとまたまた下痢状態・・・。

 

 トイレに行けば楽になると思うが、少しも楽にはならない。かと言って救急車を呼ぶほどの問題でも無い。

 

 それだけトイレに駆け込んでも、体重は少しも減らない。私の身体の中で、何が起こっているのだろうか・・・。

 

 そんなことばかりもしていられないので、通院している高額医療費の請求処理をやっておく。毎月のことなので手慣れたもの。個人番号と預金通帳番号さえ記入しておけば大丈夫。

 

 それを市役所の窓口に提出してきた。振り込みは9月の2日なのだと・・。ま、アテにはしないで待っておこう。こういう状態だから緊急事態ではない。また、入院するほどのことでもない。

 

 さて、私の父が亡くなって、今年で49年。父は昭和45年7月31日に亡くなった。私がまだ22歳の時、真ん中の弟が20歳、下の弟は18歳で就職試験で家にはいなかった。私は神戸で会社員になっていたし、真ん中の弟も大阪で会社員になっていた。そういう時代だった。

 

 これが火葬場に向かうときの写真だが、後ろの家屋は我が家ではない。下の弟だけが葬式には間に合わなかった。

 

 これが、49年前のお葬式の写真、扇風機が1台回っているだけだったが、そんなに暑いとは思わなかった。特に氷柱を立てたとかの記憶も無い。喪主は母で、祖母の姿(坊さんの横)が見える。

 

 父の勇姿である。父は志願兵で南方に向かったが、すぐに敗戦になって戻って来た。

 

 で、明日、私が父の五十回忌を営むのだが、子が親の50回忌を営むというのはまれなことらしい。多くが孫の時代になるという。だから、参列するのはほとんどいない。みんな、父の姿を知らない人ばかりになった。だから、私たち兄弟3人と奥方、それに叔父(父の弟)が来てくれるらしい。父の姉は施設に入所中。みんな、いなくなった。

 

 今日の掲示板はこれ。「確かな一歩の積み重ねでしか 遠くへは行けない」というもの。メジャーリーガーのイチローこと[鈴木一朗]さんの言葉である。一歩、一歩、また一歩。亀のようにその歩みは遅くても、大地を踏みしめて、確実に前に進んでいけば、いつかは必ず頂上にたどり着くことができる。昨日の言葉の続きのようだけれど、目標に向かって進んでいくプロセスと、人生を歩んでいく過程とは同じだと感じたことだった。考えてみればくだらなような作業だけれど、今はただ、この作業をコツコツと丹念にやっていくしかない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えると、いいね。


犬老いて コスモス畑に 呆然と

2019年07月25日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、昼過ぎから夜のはじめ頃にかけて雨や雷雨となる所があるらしい。気温は25.5度から31度、湿度は90%から78%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。梅雨明けしたというのに、依然として蒸し蒸しとした一日になった。明日の26日の香川県も、湿った空気の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 121/80/66 36.4c-96 63.8Kg 1008hPa,25c,88% 朝方は気持ちの良い朝になったので少しばかりドライブをしてきた。

 

  右目の白内障が進んできたので、広い通りは恐ろしいので山道ばかりを選んで走っていると、突然、鹿が飛び出してきた。

 

 で、あっという間に山陰に消えていった。そうそう、最近はペアの鹿が出没するらしい。

 

 ふと、思い出したのだが、こうしてお遍路さんが読経するとき、特にお大師堂なんかで、「ご法号を・・」ということで、「南無大師遍照金剛・・・」とお唱えする。その時に、私はお宗旨が違うものだから、「なんまんだんぶ・・・」とお名号(みょうごう)をお唱えする。すると、決まって「うるさいな!」みたいなことで睨み付けられる。

 

 私の白衣は「南無大師遍照金剛」ではなくて、「南無阿弥陀仏」のお名号が入っている。だのに、なぜ、場違いなように思われてしまうんだろうか。

 

 いつだったか、「あなたの知らない大窪寺」というイベントがあった。その時に、ガイドさんが、「空海さんは、南無阿弥陀仏をお唱えしとったんよ。空海さんは「南無大師遍照金剛・・」なんてはいわなかったんですよ」という説明があった。それはそうだなぁと思った。自分で自分のことを「南無」とは言わないもんだし、そういうのは、後世の人が言い始めたことだったし。

 

 いつしか、真言宗では「南無大師遍昭金剛」と言うようになったし、日蓮宗では「南無妙法蓮華経」とお唱えするようになったし、浄土系では「南無阿弥陀仏」が主流になった。

 

 前にも触れたが、空海さんが「南無阿弥陀佛」を信仰していた・・・というのは確かにあった。なお、和歌としても「空海の心のうちに咲く花は弥陀より他に知る人はなし」とあって、これは東寺の巡礼歌である。四国路においても、この歌は流布した。

 

 今ではお名号と言えば、浄土宗や浄土真宗の特権みたいに思われていたが、高野山にも「念仏聖」は大勢いたし、南無阿弥陀仏を唱えて歩く人たちもいた。『般舟経』には、「三世の諸仏は、弥陀三昧を念じて等正覚を成ず」と説かれているそうで、大日如来が阿弥陀如来のお力によって仏のさとりを開かれた、ということは、大日如来の先生が阿弥陀如来だということらしい。

 

 ま、つまらんことかも知れないけれど、、空海さんも最初は「南無阿弥陀仏」を称えしとったんだよなぁ・・」ということあでる。

 

 今日も湿度が高くて、呼吸困難になって、昼食後はよだれをタラして寝てしまっていた。天気予報によると、まだしばらくは、今のような晴れたり曇ったりの日が続くらしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「念仏は悩みをなくすのではなく 堂々と悩んでいける道である」という曽我量深先生の言葉からである。妙好人といわれた庄松さんはまさしく安心して悩むことができる道を見出された。「(悩みを)持ったまま」「邪険という角を持ったまま」、安心して堂々と悩 んでいける道しか、私たちがすくわれる道がないと仰せになったのは法然上人さん。そこには、いのちを我が物にして苦しんでいたことから解放された法然さん の喜びがある。思いどおりにならない状況のなかに、実は光輝く世界があるもの。法然さんは、「真宗の教えは立派な人になっていく教えではない。人間は愚か であるがゆえに、はかりしれないいのちからの呼びかけを常に聞いていかなくてはならないのだ」と言われている。この呼びかけを忘れて、自分の思いにとらわ れてしまうのが凡夫とよばれる私たちのあり方なのであろう。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


控えめの セミもいるような 曇り空

2019年07月24日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、湿った空気や上空の寒気の影響で概ね曇り、昼過ぎから夜のはじめ頃は雨や雷雨となる所があるらしい。気温は25.5度から31.6度、湿度は88%から76%、風は1mから4mの西の風が少しばかり。明日の25日の香川県は、引き続き湿った空気の影響で概ね曇り、昼過ぎから夜のはじめ頃は雨や雷雨となる所がある見込みらしい。

 

 117/78/65 36.4c-95% 62.8Kg 1007hpa,25c,82% 今日は身体が軽いしおなかの張りもない。とりたてて便や尿の量が多かったわけでもないのだけれど。

 

 でも、昨日はこれだけあった体重が、

 

 一晩で2Kg近くも減るというのも、なんだかなぁ・・と言う気持ち。取り立てて何をしたというわけでもない。

 

 今日は天気もいいし・・・ということで、久々に東かがわ市五名経由で大窪寺へ行ってきた。でも、門前のうどん屋さんにもお寺の境内にも人影がない。今日は平日だから人がいないのだろうか。仕方が無いから前山経由で戻って来た。

 

 帰りに、町内の「キムラ酒店」に寄って生ビールのサーバーを予約してきた。それも、お盆の12日だから無理かなぁと思ったが、幸いに12日だけが空いていたというのだからラッキーだ。

 

 我が家は昔から、お正月の「正月礼」と、お盆の「盆礼」には親戚中が集まるという風習だった。祖母も親父も母もいなくなったから、もう、いいのじゃないのかなぁと思うのだが、やはり、お客さんが集まるらしい。

 

 そこで、恒例の「生ビール」になる。なにせ、今の時期だと缶ビールでは間に合わない。冷蔵庫に入る缶ビールの数はしれたもの。10本か12本も入ればいっぱいになる。そこで、夏場は「生ビール」になる。今年も19リットルを予約してきた。

 

 あ、私の体調が良くなったのは「梅雨明けのせいか・・・」。そんなことはない。

 

 きょう24日、九州南部、九州北部(山口県を含む)、四国、近畿、北陸で梅雨明けしたとみられると発表があった。九州南部は平年より10日、昨年より15日遅く、九州北部は平年より5日、昨年より15日遅いという。四国は平年より6日、昨年より15日遅く、近畿は平年より3日、昨年より15日遅く、北陸は平年と同じ、昨年より15日遅い梅雨明けであるという。

 

 ま、梅雨が明けようと明けまいと、私の暮らしに問題は無い。ただ、湿気がなくなるのは嬉しいが、やたらと暑くなるのはかなわない。

 

 我が家の温度計は35度をさしている。

 

 昼からは冷房の効いたマシン室でのお勉強。

 

 今日の掲示板はこれ。「ひと夏のいのちかぎりとセミが啼く」というもの。八月は「死」が身近な季節である。原爆記念日や終戦記念日、月遅れのお盆が八月であるからという以上の、死を身近に感じる季節である。この、生命の峻烈ともいえる季節に、ひときわ蝉たちは声高に啼き尽くし、叫び続けて死んでゆく。仲間たちはまだ梢にあるというのに、あるものは地面に落ち、狂ったようにもだえたかと思うとまた飛び立ち、再び地面に落下して死んでゆく。生命の烈しい燃焼と死の充実。あるいは生と死の落差にあらためて驚くということ。それを短い期間で気づかせてくれるということ。われわれが耳にする死の情報は抽象的なもの、頭の中だけの理解であることがしばしばである。けれども、蝉たちは身をもって教え示してくれている。これが現実であるのだと・・・。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


撫子や 四国参りの 夫婦連れ

2019年07月23日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は朝方は晴れていたが、湿った空気の影響でやがて曇り、昼過ぎから夜のはじめ頃にかけて雨や雷雨となる所があるらしい。気温は25度から29.5度、湿度は88%から74%、風は2mから5mの西南西の風が少しばかり。明日の24日の香川県は、引き続き、湿った空気や上空の寒気の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 116/78/84 36.4c-96% 64.8Kg 1006hPa,28c,66% 体調は相変わらずである。同じようなものを食べ、同じようなものを飲み、同じような生活をしていたら、同じような体調は続くばかりだ。

 

 という訳でもないが、今日は火曜日ということで、はるばるとはるばると、高松市亀水(たるみ)町にある瀬戸内海歴史民俗資料館にやってきた。通称「れきみん」である。

 

 ここの中庭に、このような道標がある。後ろの看板に書いてあるように「真念の道標」である。

 

 という道標である。大切な道標を、資料館に保存するのはどうかと思うが、これまた、大切な「資料」なのかも知れない。

 

 五色台の「根香(ねごろ)寺」の近くの山中にあったものである。歩き遍路は根香寺から打ち戻り、オレンジパークから山を下って岩田神社に向かって行く。次の札所は83番一宮寺である。

 

 本来、道標はその場所にあってこその道標であるが、道路事情とか宅地の改良とかで邪魔になって打ち捨てられることもある。これはさぬき市志度にある86番札所志度寺であるが、この山門向かって右隅にも道標があったらしい。それが事故か偶然かで倒れて久しかった。

 

 それがこの、武田徳右衛門の建立した道標である。「是より長尾寺へ一里半」と読める。

 

 その場所が、この納骨堂前で、ここにも久しく放置されていた。

 

 この面には、「享和元年酉八月 願主 豫州越智郡朝倉上邑徳右衛門」と刻まれている。この少し弧を描いている石材が、その昔、お堀にかかっていた橋である。お堀は、現世とあの世を遮る三途の川を意味していた。俗に三途川の名の由来は、初期には「渡河方法に三種類あったため」であるともいわれる。これは善人は金銀七宝で作られた橋を渡り、軽い罪人は山水瀬と呼ばれる浅瀬を渡り、重い罪人は強深瀬あるいは江深淵と呼ばれる難所を渡る、とされていた。その橋を意味していた。

 

 その道標が近年に納経所入り口前に移設されていた。

 

 これが志度寺の境内図である。ま、こういう移転ならば仕方あるまいというか、ありがたい移設であると言わねばなるまい。

 

 さて、今日は「大暑」。大暑は、二十四節気の第12。一年中で一番暑い時だとされている。現在広まっている定気法では太陽黄経が120度のときで7月23日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。期間としての意味もあり、この日から、次の節気の立秋前日までである。

 

 いよいよと、夏本番になってきそうな天気予報である。

 

 今日の掲示板はこれ。「斯(こ)う居るも 皆骸骨ぞ 夕涼み」という小林一茶の俳句である。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。文化七年、48歳の頃、「七番日記」執筆開始。帰郷して遺産交渉するも不調。11月、成美宅に滞在中、金子を紛失し、5日間足止め。「大江戸や芸無し猿も花の春」「故郷やよるも障るも 茨(ばら)の花」遺産相続で疲れた。故郷の人々は茨の花のように棘を刺す。「蝶飛んで我が身も塵のたぐひ哉」一茶は蝶に我が身を重ねることが多い。塵のようなつまらない人生だったか。「斯(か)う居るも皆骸骨ぞ夕涼み」こうやって生きてはいるが、死ねばみな骸骨だ。「ちる花や已(すで)におのれも下り阪」散る花のように、人生50を前に、何もなしえていないのにすでに下り坂か・・・。反省ばかりの一茶であった。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


愚痴もあり 言い訳もある 団扇かな

2019年07月22日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、湿った空気の影響で断続的に雨が降り、雷を伴う所があった。気温は25度から27.5度、湿度は80%から92%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の23日の香川県も湿った空気の影響で概ね曇り、昼過ぎから夜のはじめ頃にかけて雨や雷雨となる所がある見込みらしい。

 

 116/77/59 36.4c-96% 64.6Kg 1008hPa,26c,79% 体調に変化は無いがおなかが張るようで体が重いし、湿気の具合だろうか呼吸困難になる。安静にしていればどうということはない。

 

 さて、宥辨(ゆうべん)真念のことばかりで恐縮だが備忘録みたいなことである。高知出身の江戸時代前半の高野聖だが正式な僧侶ではない。大坂で活動し、四国を訪れて弘法大師が修行したと伝わる霊場を巡った。四国遍路の父とも、四国遍路中興の祖とも言われる。「四國邊禮道指南」「四國偏礼功徳記」など庶民に遍路を紹介する書物を表した。高松市牟礼町の洲崎寺に墓があることは先日にも触れた。

 

 その真念法師が四国には37基の道標を建てたとされており、徳島には11基、高知には5基、愛媛には9基を残し、我が香川には12基の道しるべを残している。だが、我がさぬき市にはわずか1基しか残されておらず、それが、この志度寺庭園内にあるこの道しるべである。(三豊1、観音寺5、善通寺2、丸亀1、高松2)

 

 「右 遍ん路みち 左 徒た(つだ)みち」「願主真念」と刻んである。

 

 こちらには、「南無大師遍照金剛」とあり、左面には、「為父母六親 摂津大坂西濱町 木屋○○」とある。

 

 ということから、「大坂西濱町 木屋半右衛門」とのことらしい。

 

 この、道標は、志度寺を南に進んだ旧道の交差点にあったと推定されている。赤丸から右(東)に進めば、「津田」の町であるし、下(南)に進めば長尾寺に向かう遍路道である。

 

 さて、昼食後、何気なくCATVを見ていたら、何やら見たことのある風景が飛び込んできた。ドローンが南から北、つまり、水源から津田の海に向かって飛んでいるらしい。

 

 津田川という2級河川(県道と我が家の間の溝のような部分)は、こんなにも狭い小川のようなものなのかと知らされた。我が家の西(左)には「みろく奥池」に向かう水路があり、さぬき市道がある。二階のベランダに屋根がついているから、最近の画像らしい。

 

 その頃、13時前あたりから、大粒の雨になった。

 

 雨樋からあふれた雨が噴き出して暴れている。空には稲妻が光り、雷鳴がとどろいている。まだ、県営大川ダムの放流サイレンもさぬき市からの避難情報も無い。

 

 そんな中でも、迷犬ごんは素知らぬ顔で寝ている。若い頃には少しの雷でも泣きわめいて、部屋に入れてくれと大騒ぎをしたのに、尻尾が濡れてもわからぬほどに寝入ってしまっていた。もう、すっかりと認知症が進んでいる様子。飼い主に似てきたのかも知れない。

 

 それでも、二時間ほどで雨はおさまった。そろそろ、梅雨明けだろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「くらやみの中で 宝があっても つまずくだけだ」というもの。前川五郎松という人の、阿呆堕落偈(あほだらけ)から。闇と光について、いつかこんな言葉をお師匠様から聞いたことがある。「暗闇の中で宝があっても、つまづくだけやぞ。燈明(あかり)をつけてもらうだけや、何にも変らぬが、見える見える、見えると安心や」。と。暗闇の中では、宝物もご馳走も有り難い仏様も見えぬ。仏法を知らぬ者には経典も仏像も何も見えぬ。光という智恵を頂いてこそ、宝物やご馳走が見えるというものである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


ひまわりに 明日は東だと 教えられ

2019年07月21日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、湿った空気の影響により太平洋側を中心に雨で、猛烈に降っている所があったし、雷を伴う所もあった。気温は25.5度から29.7度、湿度は86%から69%、風は1mから2mの東南東の風が少しばかり。明日の22日の香川県は、湿った空気の影響で断続的に雨が降り、雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 128/70/67 36.4c-97% 64.4Kg 1009hPs,25c,81% 体調に大きな変化はないが、体重が微妙に増加している。水分が体内に貯まりだしているようで、足がむくむようになってきたし、湿気のせいか運動不足か呼吸するのが苦しくなってきた。

 

 ということで外出する用事も無いし、出かける必要もないので、久々にポータルサイトの更新をしておいた。全く、一ヶ月ぶりだった。

 

 最近は体調が思わしくないので、講演会も法話会も法要の出仕もお断りしているので、取り立てての行事予定もない。あるのはゴミ出しの予定とか、民生委員のお仕事だとか病院の診察日くらいなもの。

 

 お昼からは、前山の活性化センターへの出勤である。今日は「ホームページ班」の勉強会である。梅雨らしく、雨がしとしとと降っていた。

 

 まずの話題は、「真念庵の再建問題」であった。高知県土佐清水市の市野瀬地区にある番外札所「真念庵(しんねんあん)」の老朽化に伴い、地区住民らが改築費用の募金活動を始めた。活動を知った県外の遍路経験者が全国の仲間に情報を発信するなど活動が広がっている。

 

 弘法大師像を祭っている約20平方メートルのお堂は代々住民が管理しており、約30年前に補修したが老朽化が進み、今年1月の地区総会で改築実行委を組織した。同規模での建て替えには500万円が必要というが、地区世帯数は26しかない。実行委員長の沖上芳幸区長(64)らは「年金生活者も多く住民だけでは難しい」と寄付を募ることにした。

 

 真念は江戸時代初期、ガイドブックに当たる「四国遍路道指南(みちしるべ)」を刊行するなど、遍路文化を広めた高野聖僧の一人。「公認先達・歩き遍路の会」の山下正樹会長(73)=奈良県=は「真念さんの名を冠し、番外札所の中でも重要な場所。こうした取り組みは広く薄く募ることに意味がある」として、全国の遍路仲間らへ情報発信を始めた。沖上区長は「皆さんの助けで広がりが出ている。建て替えに向けた力強い後押しです」と感謝している。

 

 さて、本題の「ホームページ班」の会議である。各班からの代表者が集まっての会議は、これまではパソコン用のHPだったが、最近はスマホが主流となっているためにスマホ対応として、各班からの代表がHPを更新できるようにという勉強会である。

 

 これまでは、私が一人、取材から写真からHPの更新作業とやってきたのだが、体調が思わしくないのと、若いパワーとみんなの力を合わせての更新作業となるようにと話し合っている訳である。

 

 こちらが、新しい試験用のHPである。現在のものと似たような構成になっている。ま、実験用のHPである。

 

 で、「JIMDO」というシステムを使って、ワープロ感覚で更新できる・・・というのだが、いろいろとメニューが多すぎて、何が何だかわからない。確かに簡単そうなんだが、どこの何を押せばメニューが出るのやら、どうすれば画像が取り込めるのか、さっぱりわからん・・・。

 

 ま、一ヶ月ほど、あれこれと試験用画面をいじくってみないと要領がわからない。いろんなことができるというのは、いろんな機能があるということで、それを理解できないと更新出来ないわけだ。

 

 これは、夏休みの大きな宿題になりそうだ。それはそうと、昨日の夕暮れに、「カナカナカナ・・」という「ヒグラシ」の声を聞いた。これは昔は夏休みが終わりそうな頃の寂しそうな秋の夕暮れに聞いたものだったが、まだクマゼミもミンミンゼミもアブラゼミも啼かないうちからカナカナが啼くなんて・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「5分間なら5分間でできる仕事がある。「これだけの時間がなきゃ、できません」なんていうことでは死ぬまで待ってもできない」という平山郁夫先生の言葉から。要は「やる気の問題」ではなかろうか。やりたくない人間は、「時間が無い」「暇が無い」「忙しい」とかのやりたくない理由ばかりを並べたがる。やろうとすれば時間なんぞ問題ではない。自分が釣りに行こうとしたら、どんな仕事だってやりとげて明日に備えるに違いない。自分がゴルフに行こうと考えたら、30分の仕事だって数分で片付けてしまうことだろう。とは言いつつ、「蒸し暑いなぁ・・」、「雨やなぁ・・」を連発しながら動こうとしない私がいるのだけれど・・・。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


蓮散って 経の一つも 出せぬまま

2019年07月20日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は湿った空気の影響で雨が降り、雷を伴う所があるらしい。気温は25度から28.7度、湿度は91%から74%、風は1mから4mの東南東の風が少しばかり。高温が予想されるため、熱中症など健康管理に注意するよう呼びかけている。明日の21日の香川県は、湿った空気の影響で曇り、未明は雨の降る所がある見込みなのだとか。

 

 114/48/58 36.4c-98% 64.6Kg 1012hPa,26c,68% 数字的には問題ないが、湿気が多いせいか呼吸が重たい感じがする。じっとしていれば問題は無い。

 

 ここは、屋島寺と八栗寺の間にある「洲崎寺」である。高松市牟礼町という場所にある。昔の源平の古戦場跡で、多くの負傷者が運び込まれた寺としても知られている。

 

 ここに、かの有名な「四国遍路道指南(しるべ)」の著者、高野聖だった「真念」さんのお墓がある。真念法師の墓は昭和48年(1973)牟礼町塩屋南三昧の共同墓地で発見され、昭和55年(1980)現在地。洲崎寺に移され整備されたもの。

 

 こういう碑もある。

 

 その中に、「(四国遍路は)惣じて足半(あしなか)にてつとむべしといいつたへたり。草鞋(わらじ)は札所ごとに手水なき事有て手を汚すゆへに、但草履わらうつにても苦しからず」と述べる。要するに「草鞋(わらじ)は手水なき札所もあるから、紐を縛り直したりすると手が汚れてしまう。草履(ぞうり)だと手が汚れない」の意である。足半は草鞋に比べると履きやすく、予備品としても手軽であった。よって長道中の四国遍路においては、足半草履で通すのがよろしいというのである。

 

 これが、その「足半(あしなか)草履」である。近年はまた、健康のために静かなブームになっているという。見ての通り、草履の後ろ半分がない。

 

 だから、かかとは地面についている。

 

 かの西郷さんも足半草履を愛用していたという。またこの草履は江戸期のみならず、令和の現在でも長良川(犬山)の鵜匠が用いている。水垢や魚の油で足が滑らないために履くのである。

 

 旅姿だと、どうしても足下は「草鞋(わらじ)」を思い浮かべてしまうし、昔はそうだったのだろう。でも、四国の道は悪く、便所もきたないし、札所によれば手水もないところがあった。そんなところで、わらじのひもを結んだり解いたりすると手が汚くなってしまう。

 

 そこで、草履(ぞうり)や、足半草履を勧めているのである。

 

 即ち四国遍路においてこの草履が用いられたのは、海浜の道、あるいは山の難所の岩道などで滑らないという効能も見逃せない。例えば現在でも、岩屋寺の奥の院の二十一段の梯子のように、一歩誤れば命を失う危険な所もある。江戸時代をふりかえると阿波から土佐にぬける難所をはじめと岩屋寺奥の院よりして、もっと多くの難所、滑落所があったと思われる。『四国八十八ケ所道開』の一節には、「……阿波と土州の国境、八坂坂中難所にて、八浜浜中又難所、飛石はね石ごろごろの、石の数々ふみ分けて……」と表現されている。

 

 ところが明治期に入ると四国路も大分開けてきたこともあり、足半草履よりも普通の草鞋が大半を占めた。また地下足袋も現れた。大正七年、高群逸枝は白地下足袋に草鞋をはいている。大正、昭和期では下駄も珍しくなくなった。それだけ道が開け、交通が便利になったのである。靴の普及もあった。

 

 なお、昭和二十年以前のころ(戦前)では、足半草履はすっかり廃れ、普通の草鞋が遍路道の随所に、いも、蜜柑などといった食べ物と一緒に吊って売られていた。その光景は地元の古老らには懐かしい想い出となっている。いわゆる無人販売所である。現在でも遍路の道筋に、季節の果物および野菜が売られている。

 

 今日の掲示板はこれ。「傲慢になったり卑屈になったり 一喜一憂している我が人生」というもの。いつもお世話になっている町内の善楽寺さんの掲示板にあったことばから。あの人の奥さんはきれいで優しそうだから幸せな家庭だろうなぁと、うらやんでみたり、あの人は大きな会社の社長さんだから優雅な生活をしているんだろうなぁと考えてみたりするけれど、他人より優れている人が幸せか・・・というとそうでもない。その人たちも自分と同じで、傲慢になったり卑屈になったり一喜一憂してるのである。世の中に幸せだけの人なんていないのだし、不幸だけの人もまたいないのだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


長梅雨に カサブランカも 下向いて

2019年07月19日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は梅雨前線や湿った空気の影響で断続的に雨となり、雷を伴う所があったらしい。気温は23度から25度、湿度は92%から96%、風は0mから3mの東南東の風が少しばかり。明日の20日の香川県は、台風第5号周辺の湿った空気の影響で断続的に雨や雷雨となる見込みらしい。

 

 106/53/59 36.3c-92% 64.3Kg 1012hPa,25c,80% だんだんと体重が増えていく。トイレに行く回数はかわらんのだけれど。雨と湿気のせいで運動不足かも知れない。

 

 今日は終日雨だった。奥方もお休みだが、さすがに野菜畑には入れない。私のオバカ指数も高く高くなりつつある。

 

 さて、昨日の出前講座の時、前田ガイドが、この遍路の白衣はいつからこうなったのかを話していたが、その時に、昭和28年からの伊予鉄バスが遍路バスを運行しはじめてから・・・と話したのだが、いささか耳慣れない言葉に聞こえた。そこで再確認のために資料を調べてみた。

 

 一般的には、このように、「死に装束」だと書いてある。遍路が亡くなれば、死に装束のまま埋葬し、菅笠が天蓋になり、杖が墓標になると説明しているし、私たちもそのようにガイドしてきた。

 

 しかしのかかし、江戸時代前期の貞享四年(1687)に刊行された真念の「四國徧禮道指南」には白衣のことには触れていない。つまり、その頃には白い衣は着ていなかったことになる。

 

 その後に出た、寂本の「へんろ功徳記」にも出てこない。

 

 江戸時代には、普通の服装で旅をしていたことになる。

 

 大正10年の遍路でも白衣なんぞは着ていない。

 

 昭和28年に初めて伊予鉄が遍路バスを始めたが、まだ誰も白衣なんぞ着てはいない。

 

 これが昭和33年の伊予鉄おへんろバスである。ここに来て、全員が白衣姿になっている。つまり、おへんろバスによって、今の白衣姿が流行し始めたことになる。右端の二人は乗務員であり、中央左寄りの黒衣はお先達の住職さんである。

 

 だから、今日のこのスタイルは戦後の30年代から40年代ごろから定着したものと思われる。

 

 ただ、要素として、西国巡礼が使っていた「笈摺(おいずる)」が四国にも流入してきて、それが行者や修行者たちに及んだ可能性は考えられる。

 

 この背書きが変化して、「南無大師遍照金剛」になり、同行二人が定着したと考えられる。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分は手を出さないで 人のやったことに口を出すな」という荒了寛さんのカレンダーの言葉から。嫌と言うほどこの言葉の例を見て来た。自分は逃げてばかりで仕事にも企画にも参加せずにいて、私の成果に対してあれこれと口出しをする上司や同僚がいた。 私が成果をあげるとやっかみになったし、そんなものはおれにもできるさとうそぶいた。実際、支店長に言われて、やると言って手を挙げたら部長から電話がかかってきた!「やる言うたんか!勝手にやるんやな!」と一方的に言われて電話を切られた。なんとか友人らの努力により何とかなりそうになると、とたんに手のひらを返したようになった。『手柄は自分の物!ミスは部下のせい!』 そう言う人間に限ってそういう事を言いだしたもの。同じような格言は一杯ある。自分はそんな事をしないでおこうと思っていたが、それができないままに定年退職になった・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


三振も 空振りもある 梅雨さなか

2019年07月18日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は梅雨前線や湿った空気の影響で曇り、断続的に雨が降っていた。気温は24.5度から27.6度、湿度は92%から82%、風は1mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の19日の香川県は、引き続き梅雨前線や湿った空気の影響で、雨や雷雨となる見込みらしい。

 

 120/81/68 36.4c-96% 64.2Kg 1010hPa,28c,88% 数字的に問題はないが、湿度のせいか呼吸が重たい感じがする。

 

 この前には「利剣名号」について調べたが、この文字阿弥陀如来は全くわからない。

 

 今日は、出前講座があるので、移動用端末を確認していたら、突然に自動アップデートが始まって、延々と2時間半、さらに再起動して再構築が始まってしまって間に合わなくなった。そこで、左側のノートPCを外して持参することになった。とんでもないときに、とんでもないことが起こるものである。

 

 で、左側の端末の試験をやってみたが、こちらは順調に動いた。

 

 お昼前からは大雨になってきた。洗濯物を取り込む間もなかった。

 

 お昼からは、さぬき市にある「介護老人保健施設」に出かけてみた。ここで、今日は出前講座ということで、四国遍路なんぞについてお話をする。

 

 会場に行ってみると、もう、すでにスクリーンやプロジェクターもPCも準備ができていた。これでは、私の出番がないではないか。講師は、大窪寺班の前田チーフガイド、ガイド歴10年の大ベテランである。

 

 聴衆は、こういうお年寄りたちで20数名ほど。案外と元気で、質問にもすばやく答えてくれる。

 

 難しいお話だなぁと思ったが、ガイドが上手なのか、聴衆が賢いのか、お話がとんとんと進む。智拳印の結び方なんぞ・・・と思っていたが、

 

 指の体操みたいに、みんな、上手に結べるようになった。

 

 「西国三十三観音にお参りするのは何と言うん?」「巡礼!」「ほな、お四国参りは何と言うん?」「お遍路!」と答えるのだから、まるで予習でもしてきたみたい。あっという間に、90分、1時間半の出前講座は終わった。

 

 でも、だらしがないのは私である。出かける前にパソコンが自動更新を始めたし、左側のPCを持って行ったら、マウスを忘れたし、とっくに先輩が用意してくれていて出番がないし、帰り際には、車のキーがないと言って、施設長に大騒ぎして迷惑をかけたし。

 

 帰ってくると、洗濯物がずぶ濡れだし・・・。何か、梅雨入りした頃からオバカ指数が進行しとるみたい・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きている時間は現在しか無い。だから、いま、最高の生き方をしていれば、過去も全部良かったことになる」という芳村思風さんの言葉から。最高の一日、最高の一日を連続していったら、それを繋げてできあがった過去は、最高のものになることになる。板画家の棟方志功も、「一大事とは、今、ここのことにて候」と、生きている時間は、いま現在しかないと言った。だから、いま、自分が最高の生き方をしていれば過去も全部よかったということになるというのである。なんか、うまく、言いくるめられているような気もしないではないが、ひとまず、そういうことにしておきたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。 


失敗も 間に合っていて 梅雨さなか

2019年07月17日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、梅雨前線が北上してくるため夕方から曇り、雨や雷雨となる所があるらしい。気温は23.5度から29.7度、湿度は94%から78%、風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の18日の香川県は、梅雨前線や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎから雨で雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 110/49/58 36.4c-93% 63.2Kg 1011hPs,24c,90% 体調に変化は無いが、身体が重たい感じが少しばかり。

 

 朝、ふと見ると、迷犬ごんがいない・・・。ワイヤーが切れて徘徊を始めたらしい。

 

 犬はすぐに見つかった。我が家の玄関先で、「エサをちょうだい・・」と言うとるみたい。

 

 奥方は、「また、サルがトマトを食べたわよ!」と騒いでいるが、どこから侵入したのかを調査中。奥方は、健康診断があるからと出かけていった。

 

 そうは言うても、こんなにキュウリが取れたのは久しぶり。サルにすれば、こんなキュウリはまだ目に入らぬらしい。色の付いたトマトが目に付いた様子。

 

 とにかく、今年は朝からキュウリ、昼にもキュウリ、晩にはキュウリずくめの食卓で、やや、うんざり気味。

 

 さて、昨日の志度寺さんでのお話である。この本堂の外陣(げじん)の西の端に・・・。

 

 こんなものが、東に向いて飾ってある。人呼んで「肉付きの面」と言うものらしい。目は凄く、口は裂け、青白い顔に角が生え、おんぼろ髪を前にたらし、口からは不気味な舌をのぞかせ、見るからに恐ろしい形相をしている。

 

 その昔、志度に根性の悪い婆さんが居た。息子を嫁に取られたからか今でもあることだが、とにかく分からず屋のいじわる婆さんであった。 こんなむつかしい姑(しゅうとめ)の下に仕えて、何一つ逆らうことなく、はいはいと働いている嫁は信仰心が厚く、まだ人の起きない内に志度寺に参拝し「今日は姑に気に入ってもらえますように」と、観音様にお祈りしていた。この事を知った姑は「私が早く死ぬようにと、そんな祈願をして居るのだろう」と邪推し、この憎い嫁が二度と寺参りをしない様に、一つ懲らしめてやろうと悪心を起したのである。

 

 あくる朝、嫁より早めに起きて、隠してあった「般若(はんにゃ)の面」をかむり、まだ薄暗い寺の門で嫁の来るのを待ち構えていた。嫁は観音様の導きがあっての事か、その朝に限ってお寺へは参らなかった。姑は仕方なく、かむっていた面を脱ごうとしたが、顔が引っ付いて取る事が出来ない。住職や駆けつけた人達で無理に脱がすと、姑の顔面が剥がれて、面にくっ付いていたと言う話である。

 

 似たような話があった。福井県の吉崎御坊の願慶寺に伝わるお話である。昔、吉崎寺の村に清という信心深い女が住んでいた。清は夫と子供に先立たれ、姑のおもとというお婆さんと暮らしていた。清は毎日熱心に吉崎寺に通って、亡くした家族を弔っていた。しかしおもとはそれが気に入らない。村人からも親しまれ、けなげに生活する清が良い人ぶっているようで、憎くて憎くて仕方なかったのである。

 

 清に一泡吹かせるにはどうしたらよいか? おもとは家に伝わる鬼女の面をかぶって嫁を怖がらせてやろうと思いついたのである。そして清が吉崎寺に詣でるのを先回りして、面をつけて髪を振り乱して清の前に飛び出した。清は驚いたものの「食(は)まば食め、喰(くら)わば喰らえ金剛の、他力の信はよもや食むまじ」と念仏を唱えながら逃げたのである。おもとも正体がばれては大変と、家に飛んで帰ったことである。

 

 家に着いて、面をはずそうとするおもと。けれども面は全く顔からはずれない。無理に外そうとすると顔の皮、肉がそげてしまうような痛みが走ってしまう。そこへ嫁の清が帰ってきて、鬼女の面をかぶった姑に驚く清。おもとが涙ながらに訳を話すと、清は「南無阿陀仏」と心から唱えなさいと勧めました。念仏を唱えると、なんと面はぽろりと顔からはずれたのである。以後おもとは清とともに熱心に仏を信心するようになったのであった。

 

 この話にも、いろんなバージョンがあるようだが、各地には、似たようなお話があるものだと感心したことだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「何が起こるかわからないのが世の中  何をしでかすのかわからないのが自分」というもの。つくづく自分への自戒の意味も込めて。意味は少し違うけれど、「諸行無常」という言葉がある。仏教から生まれた四文字熟語で、「諸行」は、この世の一切の事物や現象。「無常」は、この世の中の一切のものは常に移り変わり、永遠不変のものはないということから、この世のいっさいの現象は常に変化・消滅して絶えないという意味である。人生は諸行無常だと言われてきた。 何ひとつとして同じ状態が保たれるということは絶対になく、毎日、毎日が変化しているので、何時、何が起こるかわからない。世界各地で思わぬことが起きている現代。 たとえば、今が不幸な出来事があっても、その状態が一生、不変に続くことはなく、逆に幸せな出来事でも、その状態が一生不変に続くことはありえないのだと心得ておくべきだと教えてくれているのである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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