まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

雨受けて ため息ばかりの 夏水仙

2019年08月31日 | 観光ガイド的日常

 

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で曇り、昼前あたりから夕方にかけて雨が降っていた。昼過ぎから雷を伴う所があった。気温は23度から28度、湿度は85%から72%、風は2mから3mの南西の風が少しばかり。明日の9月1日は、引き続き前線や湿った空気の影響で曇り、昼前は雨が降る見込みらしい。

 

 119/58/59 36.3c-93% 64.2Kg 1011hPa,26c,72% 体調に変化は無い。今日も湿気があるせいか、呼吸困難になった。もう、連続して何日も雨ばかりである。

 

 今日も雨ではお出かけが出来ない。

 

 そこで、気分を一新して、「看護師さんの白衣はなぜ白いのか」ということでリフレッシュしてみた。9世紀の西洋の医師は、もっぱら黒いコートを着用していたという。黒は礼服の色であり、神聖なる医療の現場にもふさわしい色である、と考えられていたためであった。衛生管理よりも儀礼的な慣習が優先された結果とも考えられる。

 

 フローレンス・ナイチンゲール(1820-1910)は1854年に勃発したクリミア戦争に看護婦として従軍し、2年後に帰国すると統計学的根拠を基に医療現場に衛生改革をもたらした。そして初めての宗教系ではない看護学校、ナイチンゲール看護学校を設立した。ナイチンゲールの時代の看護婦はワンピースに白いエプロン、そしてナースキャップという服装であった。のちに女性看護士が白いワンピースを着るようになったのは白いエプロン+ワンピースという組み合わせの影響もあるかもしれないという。

 

 医学の歴史では衛生管理の重要性が理解されるのと同時に、医療用の衣服の色に「白」が選ばれていた。清潔感を与える色であり、衛生管理がしやすいことが最大の理由だった。

 

 ところが、昨今の医療現場では白以外の色の白衣を着た医療従事者を多く見かける。衛生を象徴する白が一部姿を消したのは、決して衛生管理が軽視された結果ではない。現在、医師や看護士が手術着に白い白衣を選ぶことはまずない。これは「補色残像」への配慮が理由。補色とは、色相環で反対の位置にある色のことで、緑色の補色は赤紫色で、青なら黄色、赤なら青緑色が相当する。

 

 左のぶどうをじーっと見つめた後で、右の白い画面に目を移すと、どんな色のぶどうが見えてくるだろうか。答えは、黄緑の心理補色である紫のぶどうが見える。つまり、マスカットが巨峰に見えるというわけである。紫に色づけしてある葉の部分は、逆に黄緑に見えるはず。

 

 手術の際は血液のあざやかな赤色を長く見続けるため、視線を動かすと赤の補色である緑色の残像が現わる。手術中も手術後も、医師の目から血液の赤色の補色残像が消えず、業務に支障をきたすことが問題になった。そこで赤の補色である青や緑色をあらかじめ周囲に配したところ、補色残像の緩和が確認できたため、手術室の壁やカーテン、そして手術着にも緑色や青色が積極的に採用されるようになり、こうして、ほとんどの手術室から白い白衣が姿を消すことになった。

 

 現在、医療現場では(手術室以外でも)真っ白ではない白衣が増えている。衛生管理の必要性から白い白衣が医療現場に定着したのだが、現代は白にこだわらずとも衛生管理は可能になった。だから、医療関係では、赤でも青でも緑でもグレーでも黒でも、依然として「白衣」と呼んでいる。「はくい」である。

 

 今日は一日、雨・・・。明日も雨らしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「船荷のない船は不安定でまっすぐ進まない。一定量の心配や苦痛、苦労は、いつも、だれにも必要である」というもの。ドイツの哲学者、ショーペンハウエルのことばらしい。例えばこれを『責任』、『責務』、『使命』、『信念』だと考えた場合、見えて来るものがある。それらはまるで、『作用の為にあるエネルギー』である。『作用・反作用の法則』とは、ある物体に力を加えた場合は、必ず、相手の物体からも力を受けることになる。相手から力を受けることなく、相手に一方的に力を加えることは出来ない。ということを指示した法則である。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


暑さにも 負けぬリコリス 凜と立つ

2019年08月30日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で、東部を中心に雨や雷雨となり、激しく降っている所があった。気温は23.5度から26度、湿度は93%から76%、風は0mから2mの南西の風が少しばかり。明日の31日は、引き続き前線や湿った空気の影響で曇り、昼前には雨が降る見込みなのだとか。

 

 118/79/66 36.3c-96% 63.6Kg 1009hPa,26c,61% 体調に変化は無い。今日は身体が少し軽くておなかの調子もいい。

 

 右腕からの出血も収まってきた。この防水シートも剥がしたいのだが、剥がせばまたしても出血しそうで、そのままだ。

 

 今日は奥方がお休みの日なので、起こしてはまずいと、台所で高群逸枝の「娘巡礼記」を読んでいた。わずか24歳だというのにすごい文学少女だ。50歳でもこんな文章は書けまいと思うほどの語彙の多さだし立派な文章だ。

 

 朝食はブドウ半房と、パピコ1個である。白桃は確かに桃のような味がするが、少しばかり甘ったるい感じがした。甘いものはあまり得意ではない。

 

 で、白衣研究のために、「砂の器」のDVDを買った。多分、安い物だと思う。「遍路史」にはよく出てくる映画である。でも、思い出そうとしても思い出せない映画である。

 

 それで、DVDを買ってみた。あ、東北弁のカメダ・・・。これで思い出したが、お遍路さんと何の関わりがあるというのか。何回もトイレに行く度に停止したり再生したりしながら見ていたが・・・。

 

 何か違和感のある映像である。

 

 確かに笠と杖と白衣姿のお遍路に見えるのだが、何か・・・違和感。

 

 そうだ、四国にこんな風景はない。

 

 四国でなければ「遍路」ではない。単なる「巡礼」であり、「業病」でふるさとを追われた「乞食:こつじき」である。昭和前期の「ハンセン病」=「四国遍路」と短絡的に捉えられた時期の作品かなと思った。四国遍路以外のことには触れないので、このDVDも断捨離だなと思った。調べてみたが、新潟県糸魚川市の「親知らずの浜」でのロケハンだということだった。

 

 恒例の「へんろ88ウォーク」である。大窪寺班は、最終目的地の大窪寺のガイドを担当している。その翌日の4日には観光ガイド養成講座の「大窪寺現地研修」があり、さらに5日には、市内某中学校のふるさと学習がある。

 

 大窪寺班には関係ないが、志度寺班は11月に、このようなイベントを打つらしいし、

 

 さらに早くも来年の3月のイベントまで予定しているらしい。

 

 今日の掲示板はこれ。「「できなくもしようがない」は、終わってから思うことであって、途中にそれを思ったら、絶対に達成できません。」という、イチローのことばから。やっぱり、イチローがすごいと思うのはずっと継続して結果を出し続けていること。一回だけいい結果を出すことって簡単だけれど、ずっとその結果を出し続けるためにはそれだけのことをしている必要がある。私の場合は、「まだ、間があるな」とか、「まだ、スイッチが入らんなぁ」と思ってしまうのだが、物事を継続し続けることというのは大変なことだと思っている。夏休みの自由研究も、あとわずか。もう、ひとがんばりするとしようか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


睡蓮は 今日の重さを 生きている

2019年08月29日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で曇り、雨の降っている所があった。気温は24度から29度、湿度は92%から66%、風は0mから3mの西の風が少しばかり。明日の30日は、引き続き前線や湿った空気の影響で曇り、昼前からは断続的に雨が降るらしいし、雷を伴う所がある見込みなのだとか。

 

 115/77/65 36.4c-96% 64.6Kg 1007hPa,28c,83% 相変わらずおなかが張るようで体が重い。

 

 待望の本が届いた。遍路史研究には欠かせない一冊である。大正時代に17歳の娘が四国霊場を回る遍路日記であるが、無論、一人で歩いた訳ではない。これも100円で送料が350円だから450円の本になった。

 

 私が必要なページはここだけである。用意した荷物には、「白衣」と「笈摺」があるが、遍路姿の写真では、普通の和服に笈摺を着ている。

 

 花柄のような袖の長い和服のようである。その上から「笈摺」を羽織っている。

 

 さて、昨夜、市の観光課からEメールが入っていて、2019年秋の「てくてく通信」は発行されたが、

 

 大窪寺班の小学生以下の料金が1,000円になっているが、さぬき市広報の原稿では1,500円になっているが、いかがしたものか・・・というメールだった。一寸前なら覚えちゃいるが、だいぶ前だとちと判らないな。こどもの料金のことだって いろんな経緯があったからなぁ~。

 

 今からだと、広報の修正も可能だからというので修正をお願いした。ついでに、私の原本も修正しておいた。このチラシもそろそろ印刷に出さないと・・・。

 

 FB仲間から、いつも私が、ガリガリ君を「ガリっている」からと、新しいものを教えてくれた。「パピコ」というらしい。そこで早速に探してきて、「パピってみた」梨味だった。

 

 こんなサイズなのに二個も入っている。これをどうやって食べるのかを「ググって」パピってみた。

 

 昔のバクダンアイスの小型版みたいで、何かと面倒だし、手が汚れる。もんだりさすったり、チューチューしたりで人前では食べられない。

 

 さらにアマゾンさんから本が届いた。これは145円で、350円の送料で495円だった。

 

 これも、この1ページだけで用事は済んだ。

 

 今日の掲示板はこれ。「止まりさえしなければ、どんなにゆっくりでも進めばよい」という孔子の言葉からである。ゆっくりでもいいから、いつも前進していくことを意識する。小さなことでもやり続けていれば、わずかでも前進できるけれど、止めてしまえばそこから先は進まない、という意味らしい。子曰わく、譬(たと)えば山を為(つく)るが如(ごと)し。未(いま)だ一簣(いっき)を成さざるも、止(や)むは吾(わ)が止むなり。譬えば地を平らかにするが如し。一簣を覆(ふく)すと雖(いえど)も、進むは吾が往(ゆ)くなり。と言う言葉が元らしい。現代語訳では、「ちょうど山をつくるようなものだ。最後にもうひと簣(もっこ)というところをやりとげないのは、止めた自分が悪いのである。ちょうど土地を均(なら)すようなものだ。最初にひと簣(もっこ)をあげるだけでも進行したのは、自分の手柄である。」というものらしいが、難しくてわからない。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


秋雨で 今日もちんたら 日が暮れる

2019年08月28日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で雨や雷雨となり、夜は曇るらしい。気温は23.5度から27度、エアコンはいらなくなった。湿度は89%から77%、風は1mから4mの西北西の風が少しばかり。明日の29日は、引き続き前線や湿った空気の影響で、夕方から夜のはじめ頃にかけて雨が降り、雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 117/78/65 36.4c-95% 64.8Kg 1006hPa,25c,60% 体調に変化は無い。

 

 それにしても、今年は雨のよく降る年だ。それで別に困ることもないので文句は言わない。さて、先月の心臓の検診の時、「おしっこが出ないのは腎臓かも。それは私の専門ではないので・・・」と言われたので、月曜日のペースメーカー外来の時、「泌尿器の診察を受けたいのですが・・・」と、受付で話すと、「じゃぁ、水曜日の午前中においでてください」と言われた。

 

 「そうだ、おなかが張ったり、おしっこが出たり出なかったりするのは腎臓が悪いからだ・・・」と、これで私の体調不良は治るぞ・・・と思って、勇んで県立病院に行ってきた。

 

 で、検査は「尿検査」だけだった。そんなんで、私のおなかのことがわかるのか・・・と、半信半疑になった。

 

 ここの病院では、「泌尿器科」は、月・水・金の午前中が外来診察日になっているらしい。で、三枚もの問診票に記入したが、「尿の量は多いか」という項目では、「多い日もあり少ない日もある」という答えになったのだが、それでは答えにならないらしく受付嬢は悩んでいた。そういう項目が幾つもあった。「日による」とか「わからない」「感覚がない」では点数がつけられないらしい。

 

 ま、ドクターと話をしたが、どうにもドクターと意見がかみ合わない。「尿が出ない日は体重が65Kgにもなり、出過ぎた日は62Kgまで落ちる」と説明したが、「尿の量で体重が変わることはない」とドクターは言う。「おなかが張って呼吸困難になる」と言えば、「尿の量でおなかが張ったりはしない」とか言う。事実、私の身体はそうなんだちゅうの。

 

 で、腎臓エコーを取ったけれど、「あ、少しは尿が残っていますね・・」くらいなこと。「腎臓がんも前立腺がんもありません。日浦ドクターの言うように、あなたに出すお薬はありません。私にもあなたをどうすることもできません・・・」というではないか。

 

 私の身体は健康体であるという。「じゃぁ、水分を控えればいいですか」と言うと、「利尿剤でしっかりと尿を出しているのですから、水分を補給しないと熱中症になりますよ」と、心臓のドクターの真逆を言う。

 

 とりあえず、膀胱のパワーを強くするお薬を出しておきますから、一ヶ月後にまた来て下さい・・・ということになった。このドクターも訳がわからんらしい。

 

 これを朝昼晩と食後に飲むらしいが、薬は同じものだから順番を間違えてもかまわないという。なんだか、納得の出来ない診察になった。

 

 ま、それだけ、お値段もお安いものだった。

 

 お昼に郵便屋さんが届けてくれた、このお薬の方がよっぽど、私の身体のためには役立っていると思った。

 

 今日の掲示板はこれ。「きれいな心になって合掌するのではない。思い煩うままに手が合わされる」というもの。本当は・・本当の宗教は・・・「きれいな心になろう」と言うのかも知れない。でも、私たちは・・きれいな心なんぞにはどうしたってなりきれない。どんなにしたって合掌すらできない・・・。そんな私たちが救われるとしたら・・・、この思い煩うままの乱れたこころ、汚れたこころ、迷い続けるこころのままに・・・手が合わされるのを待つしかないではないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


花オクラ 咲いて人生 一度きり

2019年08月27日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で、断続的に雨や雷雨となっていた。気温は23.5度から25.5度、湿度は90%から82%、風は1mから2mの南南西の風が少しばかり。明日の28日も、前線や湿った空気の影響で、断続的に雨や雷雨となる見込みらしい。

 

 117/78/64 36.4c-94% 64.8Kg 1006hPa,23c,66% 体調に変化は無い。

 

 統計は取っていないのだが、今年の夏は雨が多かったように思う。海水浴時期には台風がやってきたし、ガンガンに暑い猛暑日というのは記憶にない。ただ、蒸し暑い・・・という印象が強い。

 

 農家の人にも、この時期になれば雨もうれしくはないように思う。奥方の野菜畑の野菜も時期が過ぎて、雨はもう、必要ないらしい。今年の四国の水瓶、早明浦ダムのニュースは聞かなかったし、高松市の節水運動も話題にならなかった。

 

 夏休みもあとわずか。来月は秋のイベントの準備に忙しくなる。その資料作りにもようやく手が付いた。というか、行事予定に背中を押されたというか・・・。せっつかされた・・というか。

 

 今までは、事務局がやっていたお仕事を、班単位に下ろされたものだから、右往左往しながら切り抜けていかないといけない。その作業分担も必要になる。

 

 その合間に、香川県立図書館にやってきた。あれだけうるさかった蝉の声がぴたりと消えた。ここでも夏は終わったみたい。セミの死骸がコロコロと転がっていた。

 

 先週に借りた五冊の本を返したが、返却するのが面倒くさくなって、今回は本は借りずに返ってきたし、借りたい本が見つからなかったせいもあった。

 

 眠気覚ましに、今日も「ガリってみた」。しかしのかかし、あとに残る甘さが気になるようになった。

 

 またまた、電力さんから電柱敷地料の払い込み通知が来た。今年も電柱6本、支線7本で14,780円。NTTさんからは電柱2本に支線2本で17,910円、合計で32,690円か。いいお小遣いになりそうだ。

 

 ありがたいことでございます。

 

 今日の掲示板はこれ。「いつも二つの道がある ここでやめるか ここからはじめるか」というもの。私たちはいつもこんな問題を抱えている。生きるのか、生きるのをやめるのか、食べるのか、食べるのをやめるのか、前へ行くのか、やめるのか、本を読むの か、やめるのか・・・。その選択の歴史が私たちの人生だ。でも、その選択をふっとやめてみたら、どんなにか楽だろうなぁと思ったりする。全てを「一如から来るものに委ねる」。そんなことができたらいいなぁと思ったりする。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


朝夕の しずくの光る 虫の声

2019年08月26日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で概ね曇っていた。気温は22.5度から28度、湿度は87%から65%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の27日は、前線や湿った空気の影響で断続的に雨となり、雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 123/81/60 36.4c-94% 64.6Kg 1013hPa,25c,74% 体調に変化は無い。

 

 我が家の「花オクラ」である。この花をサラダや冷や奴やうどんやそうめんの上に載せて食べる。おいしいものではないが、彩りとか葱みたいな感覚で食べている。

 

 さて、今日は月曜日である。私もいつまでも夏休み気分でも居られない。「高額医療費の請求事務」ということで、今年の6月分で支払った医療費について、補助金が出るので手続きに行ってきた。

 

 これも慣れたものだから、必要な保険証だの預金通帳だの個人番号カードなどを揃えて提出すると1分ほどでOKが出た。18,000円ほどのバックになるらしい。

 

 次は病院である。3ヶ月に一度の「ペースメーカー外来」の日である。私の胸に埋め込んであるペースメーカーが正しく動作しているかの確認検査である。

 

 で、最初は胸のレントゲン検査で、正面と側面からの二枚を撮影する。数分で終わる。数分で私の場合は終わるのだが、それまでの待ち時間が永い・・・。

 

 それが終わると、今度は生理検査室での「心電図検査」。これも昔の紙に印字するものと違って、数分で終わってしまう。

 

 さて、そういう検査は午前中に済ませておくのだが、肝心の「ペースメーカー外来」は午後からである。このあたりの時間配分が難しい。そこで、今日はわざわざ、病院とは反対方向に走って、さぬき市長尾東にある「うどん亭いわせ」という一般店に行ってみた。

 

 で、夏場のメニューである「冷やし梅ぶっかけうどん」を注文した。下の茶黒いものは椎茸の煮物である。これが夏場には毎日でも食べたくなる味なのである。580円。

 

 あと、時間つぶしで、長尾寺経由で大窪寺に回り、東かがわ市をぐるっと回ってきて、県立病院へ入る。時間の無駄だが暇つぶしが下手なのだ。で、13時過ぎから受付開始の13時半ごろから診察開始。

 

 診察はなんでもない。そのまんまの服装でベッドに寝ていればいい。ペースメーカーの上に、丸いドーナツ状のコイルを載せるだけ。専用の機械を体の外から当てるだけで、ペースメーカのいろいろな情報を読み取ることができるそうで、ペースメーカが設定どおりに働いているか、電池があとどれくらいもつか、何かペースメーカやリード線に問題がなかったか、危険な不整脈がなかったかなどを調べるものらしい。私の場合、まだ、7.2年は大丈夫らしい。

 

 こういう画像とか、心電図などをチェックしたが、今のところは大丈夫とのこと。心臓は大丈夫なのだが、呼吸困難になるのはなぜか。明後日の水曜日に泌尿器科の診察を受けてみることにした。

 

 新しい医療機器が出てきて、便利になったのはいいのだが、それでも、まだまだわからん部分があるのも確か。明後日に期待してみるか。

 

 今日の掲示板はこれ。「食うだけ食って 寝るだけ寝て 時間が無いなどと云うな」というもの。いつもの「荒了寛」さんの言葉から。「時間がない」、「時間がない」という人の多くはこんなもの。「忙しい」、「忙しい」とう人の多くはこんなもの。喰うだけ食べて、寝るだけ寝て、それで忙しい・忙しいと云うているのだ。本当に忙しい人は「忙しい」とは云わないし、本当に時間が無い人は「時間がない」とは云わないものだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


まどろみを ミンミンゼミに 食べられた

2019年08月25日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、はじめ晴れていたが、前線や気圧の谷の影響で昼過ぎから曇ってきた。気温は22度から28度、ようやくにエアコンなしで寝られるようになった。湿度は84%から64%、風は1mから4mの西南西の風が少しばかり。明日の26日は、高気圧に覆われて概ね晴れるのだが、前線や湿った空気の影響で朝晩曇り、夜遅くには雨の降る所がある見込みらしい。

 

 118/79/60 36.4c-96% 64.4Kg 1012hPa,24c,74% 体調に変化は無いが、夜中に何度もトイレに起きるもので眠たくてたまらない。

 

 さて、昨日の夕方、珍しい方が我が家にやってきた。13年前に、我が家に「迷犬ごん」を連れてきた人である。まさか・・・またもや、犬を連れてきたのではあるまいか・・・と不安がよぎった。もう、犬も猫もウサギやカメは飼いたくない。

 

 それと、これまた珍しいトオル君である。この男の子が先日に鰻を食べに行った孫のはやて君で、この少女が高校三年生のなぎちゃんだから、ずいぶんと昔の写真だ。

 

 で、久々に酒盛りになった。名目は、「迷犬ごん追悼の夕べ」である。でも、おっさんばかりになると食べられない、飲めないということで、あっさりと早くに眠りについた。(昨夜は飲んでばかりいたので写真がないので、過去ログからの引用ばかり)

 

 で、山の旧宅に残っていた、私の母、「さっちゃん」が乗っていたミニバイクを持って帰った。もう、20年近くもそのまんまだったから、多分、使えないのだろうが、なんとかやってみるらしい。

 

 だから、こんな大きなトラックに乗ってきていた。朝になると、娘と孫のなぎちゃんとがやってきた。

 

 で、一行五人は「カレーうどん」がおいしいというお店に行ったのだが、日曜日ともあって長蛇の列。30分待ちだというのであきらめた。

 

 で、走ることしばらくで、「ここにしよう」と、私が誘って、ここに入った。メインはカレーうどんになった。私は「梅しそ細切り麺」で、なぎちゃんが「ざるうどん」にした。

 

 カレーうどんは、こういうものだった。

 

 とおる君とよしつぐさんと娘はカレーうどんにした。

 

 私は爽やかそうな、「梅しそ細切りうどん」で、半田そうめんみたいに細いのだが、しっかりとおうどんだった。

 

 これはつるつるつる・・と喉に流れ込んだ。

 

 午後からはまたしても「白衣変遷史」についてのお勉強。

 

 合間にはかき氷なんぞも食べてみる。

 

 今日の掲示板はこれ。「やるか、やらないかですよ、人生は。やればそれだけのものが返ってくるし、やらなければそのままですよ。なんにもない。」という、元メジャーリーグの投手だった桑田真澄さんの言葉らしい。蒔かぬ種は生えぬ。蒔いた種は刈り取らねばならぬ。できるかできないかの問題ではなくて、やるかやらないかの問題である。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


蝉の声 止んで静けさが 後戻り

2019年08月24日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で概ね曇り、雨の降っている所があった。気温は朝方はぐんと下がって23.5度から29度、湿度は86%から69%、風は1mから5mの西南西の風が少しばかり。明日の25日の香川県は、前線や気圧の谷の影響で概ね曇り、明け方まで雨の降る所があるらしい。

 

 116/78/66 36.4c-94% 64.2Kg 1010hPa,28c,76% 今年は夏もなく梅雨ばかりの半年間であったような気がする。

 

 amazonさんが、私に「買え」「買え」と言ってくる本があった。10円だからと思い切ってポチ!したらば、送料が350円で360円の本になった。おへんろ研究の本にはよく出てくる本だった。

 

 ところが、参考になるのは、この著者・西端さかえさんの衣装だけだった。昭和33年の写真らしいが、おばあちゃんのような印象を受けた。大法輪閣という出版社からの特派員として、四国霊場を歩いて調べて本に連載されたとか言う。この人は和装の白装束である。何を参考にしたのだろうか。持ち物には着替用として二着の白衣を用意していた。

 

 くれぐれも、くれぐれも言っておくが、お遍路について研究調査はやってはいるが、「お遍路が好きだ」とか、「お遍路をやりたい」とかという気持ちはさらさらない。あくまでも「観光ガイド」としてのお勉強に他ならないのだから。

 

 「ねぇねぇ~ガイドさん。おへんろさんはなんで白い服を着ているの~~」と言われて、「はぁ~、なんで?」と答えたら、チコちゃんに叱られる・・・・。

 

 これは、法衣なんぞの下に着る「白衣:はくい」である。しかしのかかし、西端さかえさんは、和装の白衣を着ておられる。つまり、白い着物である。これは何を意味するのだろうか。

 

 今日も今日とて四国遍路の衣装についてのお勉強。でも、ありきたりのお話しかない。

 

 私が不審に思うのは、和装から洋装に変わったのはいつ頃か。また、昭和33年頃にお遍路バスから洋装の白衣になったのだが、一般の方が、上着だけが白に変化したのはいつごろか。そのきっかけは何か。というようなこと。

 

 これも昭和33年頃のものだが、白い和装姿のおへんろさんである。

 

 一方、この人たちはお寺か講とかの団体さんらしく、衣装が統一されているが、なかなかに、ここまではそろわないもの。これは平成になってからのものらしい。

 

 今は、一般的にこのようなスタイルが多い。上だけ白い服を着ているようなもの。歩き遍路さんには多いスタイルである。

 

 今日の掲示板はこれ。「明日なきと 知るよしもなき 蝉の声」というもので、迫谷富子さんの「いろり」という俳句集の中の一句である。いつもお世話になっている赤松先生のお寺の掲示板から。セミだけに限らず、犬もライオンも馬も鹿も、そして私たちも明日がないということを知るよしもない。私たちはうすうすとは「いつかは死ぬのだろうなぁ」とは知ってはいるのだけれど、それがまさか、明日だとは誰も考えていない。「この旅果てもないつくつくぼうし」と、山頭火も人生という旅がいつまでも続くのだよと、つくつくぼうしに語っているのだが、やがて、松山の地で旅の終わりが待っていた。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


蝉の声 今日の役目は 終わったか

2019年08月23日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で曇り、夕方にかけて雨や雷雨の所がある見込みらしい。気温は26度から29.6度、湿度は89%から76%、風は1mから4mの西南西の風が少しばかり。明日の24日は、前線が南海上まで南下するため、曇りで雨の降る所があるらしい。

 

 118/79/72 36.4c-93% 64.3Kg 1007hPa,28c,48% 体調に変化は無いが、なんだかけだるい感じ。

 

 今日、8月23日は処暑。処暑は二十四節気の一。太陽の黄経が150度の時、現行の太陽暦の8月23日の頃。暑さがやむの意で、朝夕しだいに冷気が加わってくる時候らしい。

 

 蝉の声も収まって、朝夕にツクツクボウシやヒグラシの声になった。

 

 今日は奥方の定休日で、またもや、奥方の無茶振りの日である。銀行が開店する8時45分に我が家を出て、銀行経由で高松市の屋島西町に向かう。片道約45分。孫のハヤテ君を乗せて国道11号線経由で東かがわ市に向かい、そこから国道318号を南下して徳島県阿波市へ入る。そこからは阿波市道で板野郡板野町へ。そこから藍住町に向かった。

 

 ここが、「うなぎや」という「うなぎ屋」さんで、藍住本店ということになっている。この白のシャツが孫のハヤテ君で大学の一回生である。前のおばさんが奥方である。

 

 高松にもうなぎ屋さんがあるのだが、お値段がする・・というので、わざわざ藍住町までやってきたのである。

 

 ま、メニューはたくさんあるのだが、私は小食で人様の半分もは食べられないので、「ご飯少なめ」でお願いした。よそさまは、この上に天ぷらだの刺身だの唐揚げだのを注文していたが、私は極めて質素倹約に徹して。

 

 奥方はやハヤテ君らは、おうどんを注文していたし、ご飯の量も多めみたいだった。

 

 私はこれでもまだまだ多めみたいだった。

 

 写真が悪いが、ここのうなぎは「宮崎県産」であると表示してあって、さらに店員さんが「宮崎県産のうなぎです」といちいち説明している。最近は、どこのものかを明確にする必要があるらしい。

 

 こんな遠くまで食べに行く・・・というほどのものではないが、ま、奥方の自慢の種にでもする積もりらしい。

 

 讃岐にも、「うどんや」という「うどん屋」はあるが、

 

 「うなぎや」という「うなぎ屋」は安易過ぎる店名だと思った。

 

 きょうの掲示板はこれ。「墓参り 合掌した手で 蚊をたたく」というもの。何年か前には「墓参り 合わせたその手が 蚊を叩く」というようなことばだったかも・・・。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。いずれにせよ、私たちは矛盾を抱えて生きている。片方ではいのちを大切にし、片方では多くのいのちを食べて生きている・・・。それをやめるわけにはゆかない私。その矛盾とともに生きて行かねばならないこの私・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


まどろみを 破る車の ドアの音

2019年08月22日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、午後は大気の状態が不安定となるため、雨や雷雨となる所があるらしい。気温は25.5度から31.5度、湿度は92%から68%、風は1mから3mの東北東の風が少しばかり。明日の23日の香川県は、前線の影響で昼過ぎまで雨が降り、雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 118/79/77 36.4c-96% 64.6Kg 1010hPa,25c,53% 体調に変化は無いが、朝方は湿気が高くて息苦しかった。午後からは気温も下がり風も穏やかになった。

 

 今日も相変わらず、「なぜ、四国遍路は白い服を着るのか」という調査である。一般的に、お遍路さんは白い着物など着てはいないのだ。つまり、「死に装束」だというのは後世の妄想なんだろうか。

 

 昭和30年頃だとされる画像にも白い着物を着た人は居ない。この時代には「死に装束」なんぞ必要ではなくなったのか。しかしのかかし、こんな舟なんぞ転覆すればあっという間にお浄土だ。

 

 嗚呼、夏休みもあと残り10日だ。夏休みの自由研究はまだ坂半ば・・・。

 

 どうにも、おつむの中の濃霧が晴れぬ。右目の白内障も進んできたような気がする。しかしのかかし、眼科のドクターは「まだまだ、まだまだ」というし、涼しくなってきたからの方がいいようにも思う。

 

 今日は久々にamazonさんに注文した本が届く日なのにまだ来ない。出かけようにも出かけるとまずいかもと待機中・・・。

 

 今日も男のそうめんのお昼。夏場はそうめんが一番食べやすい。下には大きな氷が何個も入っている。で、これを食べてお昼寝をしていたらば、これまた久しぶりの電話で起こされた。我が家の電話は公開していないので、電話は滅多に鳴ったことがない。

 

 観光ガイド大窪寺班の役員さんからの電話だ。で、市内の某中学校からの連絡で、事前研修と、秋のふるさと学習の打ち合わせだった。まさに「令和初 眠りを覚ます ガイド役 たった二分で予定変更」。

 

 9月分、10月分、11月分、12月分の予定表変更・・・。

 

 私のスマート時計はタブレットに連動している。血圧や脈拍や歩数計なんぞが記憶されている。ちなみに、スマホはペースメーカーによくないので、充電器に載せたまんま。ショートメールしか読んでいない。

 

 それを、PCに転送して、クラウドで全端末と共有している。

 

 今日の掲示板はこれ。「きょうほめて あす悪く言う人の口 泣くも笑うも人の世の中」というもの。「今日ほめて 明日悪く言う人の口 泣くも笑うもうその世の中」という場合もあるが、一休さんのことばだとされている。今日は私のことを、「いい人、大好き。」とほめていても、明日になると、「あんた、そんな人だったの?大嫌い!」と悪く言う。人とはそういうものだ、ということである。あなた自身は昨日と今日で何が変わったわけではなくても、人の口はコロコロと変わるもの、あてにはならない。そんなあてにならない人の口にふりまわされて、「悪口を言われた。」とか、「こんなひどいこと言われるくらいなら死んだほうがましだ。」と言って自殺しようとする人があるが実におろかなことではないか。逆にほめられたからといって、有頂天になって舞い上がっているのも馬鹿なことだよ・・・と一休さんは言うているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


借り物の いのち尊し せみの声

2019年08月21日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、夕方からは雨や雷雨となる所があるらしい。気温は26度から31.8度、湿度は92%から74%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の22日の香川県は、湿った空気の影響で概ね曇り、夕方まで雨の降る所がある見込みらしい。

 

 127/61/64 36.4c-96% 64.2Kg 1009hPa,26c,52% 体調に変化は無いが、湿気が多いので呼吸困難になる。

 

 迷犬ごんのおうちも撤去してきて、ドッグフードやらリードやらもお炊き上げをすることにした。病原菌や伝染病やらが残っていてもよくないし、ごんの思い出も必要ないので、関連するものはお炊き上げになった。

 

 「おん・ごんまや・さとらばん・そわか・・・」

 

 散歩用のワイヤーや金物も全て廃棄することにした。もう、猫も犬もウサギもカメも飼わない。ごんに関するものは全て廃棄してしまう。

 

 13年も経てば、さまざまなワイヤーや鎖やチェーンなどもあったが、ことごとく廃棄する。

 

 犬小屋のあったガレージ部分もきれいさっぱりと洗い流した。13年分のホコリや抜け毛やゴミが固まってしまっていた。

 

 これで、私の車も気兼ねなく置ける。今までは犬やワイヤーなんぞが邪魔で、犬をどけてからでないと、車を駐められなかったのだ。奥方の停車位置での昼寝は常で、クラクションをならそうが、車に接触しても動こうとはしなかったのだ。

 

 今日のお昼は「かまたまうどん」にした。単なる思いつきだけである。ちなみに、サッカーにも興味はない。

 

 お昼からは隣町のデンキ屋さんに行ってみた。我が家の宴会用の冷蔵庫が全く冷えなくなって、おまけに冷凍庫までもが冷えなくなった。お安いのはないのかなぁと覗いてみたが、お安いのはそれなりだなぁと眺めるだけになった。

 

 あおり運転対策で、運転手の顔まで写るドライブレコーダーとか、トナーカトリッジのプリンターを眺めてみたが、帯に短しタスキに流し・・・で、これまた眺めるだけになった。結局の薬局で、インクを買っただけになった。

 

 今日は平日なのだが、台風で倒れたり、傷んだ稲を刈り取る作業があちらこちらで行われていた。みなさん、汗まみれになって収穫をしている。

 

 私なんぞは見ただけでも汗が噴き出してくる。田んぼを持っているというのも、大変なものだなぁと、他人事のように思う私であった。

 

 今日の掲示板はこれ。「仏教は都合よく生きられたら幸せだという夢から覚める教えです」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。昔、私の自宅が土石流に巻き込まれたことがあった。台風によるゲリラ豪雨で、重要な蔵書やノート類がすべて土砂に埋まり、パソコンからアプリからデーターなどが水没してしまった。普通の人間であれば計り知れないほど大きなショックを受けたことだろう。でも、起きてしまったことは仕方がない。「流された」のでもない。「流した」のでもない。ただ「流れた」とあきらめた。そうすると事実を事実のまま受けていけるのではないか。自も他も損なわんで済む。そんなことを先の災害で学んだ。

 

 「仏教は都合よく生きられたら幸せだという夢から覚める教えです。仏教は不安を取り除くのではなく不安に立つ教えです」という法語があった。仏教に触れたからと言って、都合よく生きられるわけでは決してない。好むと好まざるとにかかわらず、生きているとさまざまな災いが必ず降りかかって来る。むしろ、目の前で起きた辛い出来事を「師」とし、そこから学びや対応の仕方を与えてくれるのが仏教なのだ。この世界に生きていると、葛藤や不安が完全におさまることはない。災いや不安・葛藤を前にした時、仏教にヒントを求めて、命ある限り謙虚に学び続けていく姿勢こそが大切なのではないだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


夏ぐもり 一期一会の お念仏

2019年08月20日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、夜のはじめ頃は雨が降るらしい。気温は25度から29度と夏日になったが、湿度は90%から83%と高くて蒸し暑い。風は0mから2mの東北東の風が少しばかり。明日の21日の香川県は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、明け方まで雨や雷雨となる所があるらしい。

 

 122/81/68 36.4c-96% 63.6Kg 1008hPa,26c,83% 体調に変化は無い。

 

 奥方は昨夜は施設のお友達とビアガーデンに行き、そのまま、同僚のおうちに泊めてもらって、朝帰りになった。で、入れ替えに、私は香川県立図書館に行ってきた。まだまだ、ここのクマゼミは健在だった。

 

 借りて、ご用の済んだ本は早々に返却しておいたほうがいい。そこで、五冊の本を返却して、またしても適当に五冊の本を掴んで戻って来た。

 

 もう、何度も借りた本だが、記憶は全くない。用事が終われば忘れてしまうからだ。『忘却とは忘れ去ることなり』と言う有名な言葉があった。ま、そんなことはどうでもいい。

 

 さて、昨日、我が家の「老犬ごん」が星になった。真宗の坊さんが「星になった」というのも妙なものだが、「お浄土へ還られた」とか、「往生なされた」とかというのも大げさすぎる。人と犬とは違うのだ。3歳で我が家にやってきて、13年4ヶ月を過ごした。人間風に計算すると88歳ほどになるのだという。ま、長生きしたほうだと思っている。

 

 名犬ごんは、兵庫県でご婦人のお座敷犬として飼われていたのだが、そのご婦人が亡くなられて「殺処分」になる筈だった。その犬が突然に我が家に寄贈されてきた。私は犬や猫は大の苦手なのだが、やむなく我が家の一員になった。

 

 我が家に来てしばらくは、こういう「ごん・ダンス」というので、遊んで、遊んでとわがままを言い続けていたが、当時はまだ会社員でもあったので番犬代わりにと飼っていたが、猿が来ても追い払わずに縁の下に逃げてしまって役に立たなかった。

 

 これ、2本足で立って踊っているのだ。上品なご婦人のおうちで育ったからか、雨や雷、花火の音が恐ろしくて、「おうちに入れてよぉぉ・・」と叫び続けたものだった。しかしのかかし、我が家は当時は新築してすぐだったから、家に入れるわけにはいかなかった。

 

 ま、そのうちには慣れてきて、雪の日なんぞははしゃぎ回って喜んだり、孫たちと遊んだものだった。

 

 しかしのかかし、近年は痴呆が進んだのか、私や孫たちの顔もわからなくなり、私にでも噛みつくようになった。少しでも、この鎖に触ると、「散歩だ散歩だ」と、何度でも散歩に行くが、足が動かずに、すぐに戻ってくるようにもなった。先の土曜・日曜あたりには、嘔吐や下痢を繰り返すようになり、とうとう、昨日のお昼過ぎに眠るように息を引き取った。

 

 いつかは迎える日が来てしまったなぁと、無常観と安堵感で合掌するばかりだった。

 

 今日の掲示板はこれ。「何ものも「自分のもの」ではないと知るのが智恵である」というダンマパダからのことばである。「降れば濡れ 濡るれば乾く袖の上を 雨とて厭う人ぞはかなき」と一遍上人は言った。煩悩にまみれた自分でいいのだと腹をくくると光が見えてくる。「煩悩 を断ぜずして 涅槃を得るなり」と親鸞聖人も言った。人生さえも借りものである。清々しく生きられるコツがそこかしこにある。「何ものも“自分のもの”で はない、と知るのが知恵であり、苦しみからはなれ、清らかになる道である」と、『ダンマパダ』に書いてある。考えても仕方のないことを、あれこれ思い悩む のは愚かなことだ。「眠れぬ者に夜は長く、疲れた者に一里は長い。真実を知らぬ愚者に生死の道は長い」とも『ダンマパダ』に書いてあった。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


降り出して ノウゼンカズラは 雨の中

2019年08月19日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇りや雨で、雷を伴っている所があった。気温は26度から28度、湿度は76%から94%、風は2m程度の東北東の風が少しばかり。明日の20日の香川県は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、昼前から夕方は雨となり、雷を伴う所がある見込みらしい。

 

 117/78/62 36.4c-96% 63.6Kg 1009hPa,27c,86% 体調に変化は無い。おなかの張りもないし身体が重たいとも思わない。だからと言って健康ではない。

 

 朝の暗い内からカナカナカナ・・・というヒグラシの声がする。「夏休みの宿題は終わったのかい・・」と啼いているような音。それが最近はすっかりと怠け者になって、少しも宿題は仕上がらない。

 

 「なぜ、四国遍路は白い服を着るのか」に関する社会民俗学的一考察・・・である。「はじめに」と、「まとめ」は見えているのだが、その間の事象の連携と展開がうまくなじまない。

 

 表紙も「はじめに」も、目次も、「後書き」も、参考文献も奥書も出来上がっているのだけれど、肝心の中身が迷路みたいではつまらない。

 

 これが、お遍路の白衣の原型になったとされる「おいずる:笈摺」である。これは室町時代あたりから、西国三十三観音霊場なんぞで盛んになったもの。こういう姿で、西国巡りからお四国へと流行したのだが、いつしか消えてしまった。

 

 最近でも、こういう「おいずる」は売られているが、これに朱印をいただくとすると、袖の部分がないので、三十三個しか押せない。だから流行らなくなって、両袖のある「白衣」になったと言う説もある。

 

 そういう需要もあってか、お遍路さんの姿も変わっていくものらしい。

 

 正岡子規研究家の坪内稔典らが提唱し、1991年に制定したとされている。「は(8)い(1)く(9)」の語呂合せであるらしい。夏休み中の子供達に俳句に親しんでもらう日ともされている。「毎日よ 俳句作りの ボクの家」。

 

 さてさて、何を思いだしたかのように雨になった。今週はずっとお天気が良くないらしい。今年の夏休みはどこに行ってしまったのか。

 

 どうにも、今年はやる気スイッチも故障しとるようだし、そのパワーもまるで出ない。今年の夏は湿気が多くて、頭の中に濃霧が立ちこめているみたいですっきりとしないのだ。右目の白内障も進んできているみたいだし。

 

 往く夏や まだ宿題の できぬまま

 

 雨の量が多くなったからか、水路の水音も大きくなってきた。

 

 今日の掲示板はこれ。「やる前からあきらめて何もしない人は、永久にゼロよ。」という林真理子さんの言葉から。胸の中にある「これやりたいな」っていう気持ちや、忙しくて後回しにして、忘れてしまったり、諦めてしまったことってあるけれど、「これだったらできるかも」とか、「じゃあどうやったらいいのかな?」と、少し視点を変えて、自分のやりたいことに一歩ずつ近づいていけるといい。大きな一歩ではなくて、小さな一歩でいいから、まずは一歩を踏み出してみよう。

 

じゃぁ、また、明日、会える、といいね。


あたふたを ホテイアオイに 覗かれた

2019年08月18日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は24.5度から31.5度、湿度は93%から68%、風は0mから1mの北東の風が少しばかり。明日の19日の香川県は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎからは断続的に雨が降る見込みらしい。

 

 血圧123の82 脈拍64 体温63.4c 酸素96% 体重64.2Kg 気圧1006hPa 室温30c 湿度38% 体調に変化は無い。

 

 今日は集落の行事で、7時集合ということになっていたのだが、6時半過ぎに出かけようとすると、私の車の周囲は迷犬ごんの排泄物でどろどろ・・・。水で洗い流したり、スコップで片付けたりしたが、とうとう、ここまで来てしまったのか。

 

 今日は集落にある「おっぞさん・お地蔵さん」の例祭の日。地蔵盆と関係があるのかどうかは、今となってはだれも知らない。私が子どもの頃には、ここに呼ばれたことも、ここで何かをもらったという記憶もない。その当時は、同じ集落だったのだが、全く記憶にはない。

 

 ここの集落は10戸だが、今日はなんだかんだで7人が参加してのお掃除になった。年に一回の行事だから草は伸び放題だし、落ち葉は積もり放題。

 

 13年前に、ここに引っ越してきてからは、「おっぞさん」の日だからと朝の暗いうちから集まってお掃除をして、この前でおつとめをしていたが、10年前くらいからはおつとめもなくなった。確か、般若心経を年長者が読み上げていたように思う。こういう人たちだって、ここが何をするところで、なんでこうするのか・・・ということを知らないという。親がやっていたからとか、みんながやってるからと言うことだけらしい。

 

 今年は当番さんが、このような祭壇を作ってくれた。ここで長老が合掌礼拝しておまつりはおしまい。集会場の座談会もなくなった。全くの形式だけになってしまったようだ。

 

 昔は・・・(いつの頃か知らないが、子どもが多かった時代だというから戦後のことだったらしい)、ここにむしろを何枚も敷いて、子どもだけでも四~五十人くらいは集まって、お菓子をお下がりだと言って頂いて食べたものだという。今は子供なんぞ一人も居ない。午前7時前には集合して作業開始して、7時20分には解散した。

 

 新参者には、つくづく、これは何のためにやっているのだろうかと不思議でならない。

 

 【閲覧注意】だが、私の右腕はこんな状態。皮膚が薄いのと、血液さらさら錠を飲んでいるために、皮膚から血液がにじみ出してくる。それを防止するために防水フィルムを貼ってもらっている。

 

 こういうものである。だから、風呂に入ろうが、シャワーを浴びようが沁みたり、血が流れたりすることはない。それでも寝ている間にはどこからかにじみ出るようで、シーツやパジャマなどが汚れてしまう。

 

 だから、今日もシーツやパジャマや枕カバーなんぞを洗って干した。布団も干した。ついでにガレージ全体を水洗いもしておいた。だから、休み休みしながらだが、自分の身の回りのことはまだ、なんとかできている状態。

 

 そうそう、昨日、真宗門徒は巡礼はしない・・・というようなことを書いたが、真宗門徒だって旅はしてみたい・・・ということで、「祖師聖人御旧跡拝礼ニ罷り出申し候」という通行手形をもらって旅をしていたのである。表向きは、「親鸞聖人二十四輩旧跡巡り」だったが、ひとたび故郷を出たら、伊勢に行ったやら金比羅参りに行ったやら。浄土宗は、「法然上人25霊場巡拝」というものがあった。

 

 今日の掲示板はこれ。「誓って破ってまた誓う 決まり文句は今度こそ」というもの。それが凡夫(ぼんぶ)たる我らの姿である。昔に流行った「スーダラ節」植木等の歌った有名な歌だ。「わかっちゃいるけどやめられない・・・」我らの素顔そのもの。それでいいのだ。「悪性さらにやめがたし こころは蛇蠍(じゃかつ)の如くなり」と親鸞さんも言うてなさる。

 

じゃぁ、また、明日、会えると、いいね。


盆終えて 伸びた休みを 気にしつつ

2019年08月17日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は26度から31.5度、湿度は86%から72%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。そんなに暑くてどうしようもないという天候ではなかった。明日の18日の香川県は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 123/82/72 36.4c-93% 63.4Kg 1003hPa,26c,54% 体調に変化は無し。おなかの張りもない。足のむくみも軽くなった。

 

 今日は孫たちから急な連絡があるかも知れないのでと外出禁止になった。孫たちだって、「お盆玉」をもらったばかりならば、そうそう爺ぃじに用があるとも思えない。

 

 ということで、涼しいうちは夏休みの宿題をやっておく。この本の中に、参考になるかと思ってデータを調べていた。

 

 この数字は2004年から2005年にかけて調査した数字らしいが、白衣姿のお遍路さんが七割もいる・・・ということになっている。当然だなぁと思うのは、バスやタクシーでのお遍路さんは白衣姿が定着している。マイカーでも、札所に着けば白衣を羽織ってから参詣する。歩き遍路は姿形とか自覚とか、お遍路マークとして白衣を着ている。お接待を受けられる度合いが高くなるとも言う。

 

 年齢はやはり、60代、50代、70代で、退職とかリタイアしてからという人が多くなるのは当然である。人生の人区切りをつけてから・・・という年代である。

 

 意外に思ったのは男性の数が多いということである。でも、バスやマイクロバスの場合は、先を急ぐとかでアンケートには答えないということから、暇でマイカーや自転車などでおへんろするのは男性が多いかも・・というのは納得できる。でも、お遍路バスにはご婦人が圧倒的に多いのだけれど。

 

 やっぱりなぁ・・と思ったのが宗派別のお遍路である。真言宗に続いて、「真宗」や「浄土宗」が多いのである。

 

 20年ほど前の調査でも、浄土宗や浄土真宗の参詣人が多いというのは実感していた。母も祖父もお四国を何度も経験しているし、このあたりの門徒さんも七回・八回とお四国まいりをやっている。宗派に関係しないのがお四国でもある。

 

 それよりも驚いたのは、霊場会公認のお先達さんである。これはてっきり、真言宗のお坊さんとか関係者が多いだろうと考えていたが、なかなか、真宗や浄土宗の方も「先達」の資格を持っているらしい。そういえば、うちの観光ガイドの中にも真宗門徒でありながら、「先達」の赤い錫杖を持っている人は何人もいる。中には日蓮宗の方までもがお先達だとは・・・。

 

 今日もエアコンの効いたお部屋でのガリガリ君。

 

 今日も興味深い写真を見つけた。昭和30年ごろの宿坊の様子だが、ご婦人方の服装が洋装になり、靴を履いてリュックザックを背負っている。頭はパーマであろうか。もちろん、白衣もおいずるも着ていない。

 

 こういうことだったのか・・・。バス会社がお遍路を募集すると、そこに、こうした移動販売者がやってきて、白衣やお杖、菅笠やお念珠からろうそく線香までも販売している。こうして、お遍路バスの乗客は白衣姿が定着していったのか・・・。

 

 このご婦人は白い和装でのお遍路である。まだ、昭和31年というと和装が標準であった頃。この方は手甲まで着けている。よほどの願掛けをしているのだろう。

 

 今日の掲示板はこれ。「いのちほど大切なものはないと言いながら 今日もそのいのちを食べている」というもの。動物であろうが植物であろうが、どんな生き物であっても、自分の命の限り精いっぱい生き続けたい、そう願って 生きているのだと思うもの。私たち動物は、そんな他の生き物の「いのち」を奪わなければ、一時も生きていくことができない、悲しい宿命を背負った生き物なのである。口先では「命は重い」とか「大切ないのちをだいじにしましょう」とかと言うのだけれど、その口裏で、平然と他の生き物のいのちを奪って食べているのである。食べることを考えることは、命について考えることである。いのちについて考えることは、多くの生き物のいのちを考えることである。

 

じゃぁ、また、明日、逢えたら、いいね。


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